四トロ同窓会三次会 2004年10月16日〜24日
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削除は複数の削除ボランティアによって行われています。[2004/04/23記]
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しまださんへ 投稿者:教えてあげない! 投稿日:10月24日(日)23時44分16秒
例えば、レーニンが商業や交換について、革命直後とネップ後に書いたり言ったりしていること
を調査してみてください。
レーニンというのは「なになす」「国革」「帝論」などの、革命前の問題ある書物で語られすぎ、
それを乗り越えた地平においては「左小」くらいしか代表的な文章はなく、レーニンに賛成する
にせよ反対するにせよ、その像は極めて固く・過激で・ユートピズムなものとして描かれている
ように思います。
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真鯛さんへ 投稿者:教えてあげない! 投稿日:10月24日(日)23時39分58秒
パラパラとチェチェン関連の本を立ち読みしましただけですけど、たとえd肉親がロスケにぶっ
殺されていても、戦争状態が嫌で、ロスケにも回教原理主義者にもチェチェンから出て行って
欲しいと考えているチェチェン人が多数のようです。
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野次馬はん 投稿者:真鯛 投稿日:10月24日(日)23時28分0秒
情報おおきに。
“警告”やとしたら、エライ遠回しな事しますなあ。 先の3バカ拘束事
件といい、日本にちょっかい出す奴らって、な〜んか怪しい… 着弾も自
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しまださんへ 投稿者:猛獣文士 投稿日:10月24日(日)19時59分15秒
お答えありがとうございます。
さて、難しい、すぐに答えの出せない問題を論じていると思います。
今回の、小学校の人質事件を支持するかとか、9.11を支持するかという問
いに答えなければならないとしますと、どうなんでしょう。これらは大変
不幸な事件だと思います。不幸な事件を引き起こした責任のある人には当
然それなりの非難が浴びせられるべきかと思います。しかし、私には、支
持するとかしないとかの決定はできません。
しまださんは、これらの「テロ」行為が人民を解放するのとは反対の効果
をもたらすので、利敵行為であり、つまりしまださんの敵であると考えて
いるということでしょうか。
質問に対して質問で答えているようですが、どうなんでしょうか。
書き込みをすればするほど、泥沼にはまるようで、本当はあまり議論した
くないのですが。
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アンタ、誰?ってかぁ(w 投稿者:改宗者 投稿日:10月24日(日)19時18分9秒
どこからともなく沸いて出た、オノレこそ誰じゃ?
>他人のフンドシ借りるつもりか?
ププ、よくゆーわ 他人のフンドシにしがみ付いて陳腐なアヤつけとるストーカーがよ。
>あと毛の生えてない極短小のチ○ポだけ妙にイキリ勃ってるのと、金玉が付いてないのが
ふーん、このファロス中心主義のオッチャンは、かなり根深いトラウマを引きずっているとみえる。
誰かフロイト的に分析してやってください┐( ̄ー ̄)┌
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誤報とかではないし、確認できないのですが 投稿者:dk 投稿日:10月24日(日)13時47分22秒
asahi.com速報では、地震に対する小泉の行動に対して、書き換えが行われていました。
前の記述を保存していないので、もはや確認できないのですが、
1時間も動かずから、1時間映画館にとどまる
に変わっていたように記憶します。
速報ですから仕方ないにしても、フェアではないですよね・・・。
速報がどういう位置づけなのか、きちんと新聞社は示すべきだと思います...
着弾も同じかな・・・
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パソコン提供のお願い 投稿者:アラブ復興車界党 投稿日:10月24日(日)11時41分15秒
国労闘争団の方でパソコンが不足しているそうです。 ご協力していただ
ける方は下記まで。
http://www.h4.dion.ne.jp/~tomonigo/
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朝刊に載ってますよ。 投稿者:野次馬の視線 投稿日:10月24日(日)11時25分51秒
わざわざ信管を抜いて撃ってきたから、警告的なものか?という論評がど
こかの新聞に載っていたのですが。
http://www2.asahi.com/special/jieitai/
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20041024k0000m030118000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20041023id21.htm
>くだんねえ集会
「かけはし」紹介の集会に半分くらい参加しています。
※さんの参画している「くだる集会」を御教示下さい。
御教示していただけないようなら、単なる引きこもりのお方だと推察します。
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自衛隊イラク宿営地に着弾? 投稿者:真鯛 投稿日:10月24日(日)07時39分56秒
昨夜 21:00頃、余震や被害を伝えるニュース速報に紛れ、1社だけ第一報を流した。
続報ないんで誤報か? それとも何か隠してんか?
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「かけはし」は相変わらず退屈じゃん 投稿者:※ 投稿日:10月24日(日)03時32分48秒
久しぶりにエセ四トロのサイトを見たよ。高島がくたばってまともな発行
ができるかと心配していた連中もいたようだが、もともとくだんねえ集会
の報告の寄せ集めだったからな。
まぁ、これ以上つまんなくなりようがねえんじゃねえか。
15回世界大会への論評でも趣味的に載せてみろよ。
しかしトロ研の西島栄みてえなどうしようもないトロツキストでもねえバ
カを、ロシア語ができるからっていつまでものさばらせとくんじゃねーよ。
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万が一、革命が起こるとすると… 投稿者:真鯛 投稿日:10月17日(日)21時18分42秒
多分、 SRAさんみたいな人が集まって、一気に"こと"を起こすんやろな。
割と筋通ってるし、伝わってくる何かがある。
あくまで万が一やけどな。
沖縄に遠足行って、漁船借りてウロチョロして、帰りに一杯やって泥酔泥
酔ゆうて充実感浸ってる人に比べたら、遥かに可能性と雰囲気あるわ。
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ロシア・チェチェンはもう少しややこしそうですよ 投稿者:教えてあげない! 投稿日:10月17日(日)20時33分5秒
リンク先は田中ニュース。
http://tanakanews.com/e1001chechen.htm
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合掌 投稿者:セクトNo7 投稿日:10月17日(日)17時13分18秒
イレギュラーずさん
先ほど仙台に電話して確認しました。河本隆夫先生は97歳の大往生だっ
たと聞きました。
70年代初期から(そっからしかわかんないので)先生のおられた仙台ホ
サナ教会は、様々な運動体の会議や学習会の解放区のような存在でした。
お世話になった団体は多くあったと思います。私も何回かうかがったこと
があります。今思い返すとデモの先頭に立たれる60歳を過ぎた元気な姿
が思い出されます。
御冥福をお祈りします。
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薩長同盟 投稿者:スパルタコス(丸人) 投稿日:10月17日(日)16時32分40秒
そんな事が現実に可能だろうか?薩摩も長州も同じ日本人というなら、中
核も革マルも左翼である。さらに右翼も左翼も同じ日本人だし、日本人も
アメリカ人も同じ人間だ。そんな事を言い出したら、誰だって手が組める
だろう。実際に薩長が同盟を結ぶというのは、生半可な事では実現できな
いはずだ。例えば薩摩と長州、どちらが新政府でヘゲモニーを取るのか?
大体薩長両軍が同じ軍隊としてお互いを信頼してやっていけるのか?これ
で同じ官軍など簡単に結成できると思うなら、楽観のし過ぎだろう。官軍
内部で激突する可能性もあるのだ。薩長の話し合いをどこでするのか?こ
れも難しい事だ。死者が出ているのだ。容易にお互いが信頼できる訳がな
い。実際に木戸と西郷の睨みあいは鬼気迫るものがあったのではないだろ
うか。江戸城無血開城を行なった勝海舟と言い、幕末の日本人は腹が据わ
った人が多いと思う。
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シンサヨクとバイキンマン 投稿者:スパルタコス(丸人) 投稿日:10月17日(日)16時04分42秒
類推。多分、中核派ら急進左派の多数は革マルをこのように見ていたので
はないか。60年代末の左翼運動が世界でかつてないほど高潮した時期に自
分達が革命的な行動を取った。それに対して革マル派はこれに加わるどこ
ろか、自分達だけのしゃべりサークルを作って、一人陰謀にふけり、分裂
策動をしていた。結局彼らはケチツケだけやって、帝国主義にも急進的行
動にもどっちにも反対するふりをしながら、陰謀論者同様、世の中を何も
変える気がないのではないか?そして、革マルが中核らの行動を阻止・妨
害しようとすればするほど、彼らが革命ではなく、現状維持を望む人間で
あると思われてくるのではないか。全共闘でも成田でも、彼らはいつも別
行動を取っていた。最も革命的で先進的な労働者階級の闘いの足を引っ張
ることだけを考えているのだ、と。国家権力へのテロより革命的左翼への
テロを優先させるのは、彼らがレーニンのボルシェビキズムを継承してい
るからではなく、それをダシに弾圧しようとしているからだ。こういう思
考回路で行くと、KK連合にも説得力がある。奴等は70年代以後も敵対をわ
が方にし続けたが故に労働運動はどんどん苦境に陥っている。まさに昨今
の労働者の苦境は労働者の見方ヅラした革マルの成果である。何故なら彼
らは口先だけで行動してないどころか裏で権力と結託しているからだ。革
マルよ!お前達は国労を分裂させた責任を取り、自己批判するべきじゃな
いのかね?と。
革マルから見れば、中核ら急進左翼は労働運動を潰すためにわざと過激な
行動を取っているのではにないかと見える。過激な該当行動で職場を追放
された労働者の9割が中核派だったとか。革命的情勢など何もなく、こん
な戦争のない日本で過激な行動をしても、庶民から浮き上がり、遠ざけら
れるだけだ。それは最初から彼らも分かっているのだが、警察のスパイだ
からわざとゲリラとか内ゲバとか迫撃砲テロとかをやって、世間をあきれ
させるのだ。そんなものが労働運動の何の役に立つのだね?そのうち奴等
の過激な行動のせいで労働者という労働者が警察に逮捕され、労働組合は
潰されるだろう。奴等はハーメルンの笛吹きであり、とんだ食わせ物だ。
奴等の過激な行動を止めねば日本中の組合が潰れて労働者という労働者が
パクられることになるだろう。奴等が過激な行動を取ったばかりに多くの
活動家が全国指名にされ、地下に潜伏せざるを得なくなった。多くの人間
の人生と雇用を破壊し、何の責任も取らぬ中核をはじめとする急進左派。
彼らのせいで70年代以後の労働運動は沈黙させられたのだ、君達の過激な
行動が一体日本に何をもたらしたのか?と。
新左翼の活動家は自派が襲撃されると、自派の路線の正しさを再確認でき
ていた。襲撃される事で益々自己が完璧に絶対化されていく。これまで
は。しかし、最近やっと自派を相対化できるようになってきたといえる。
それは決して出来合いの理論で生み出されたのではなく、活動家自身がこ
れまで起きた事を自分自身でかなり理解できるようになったからだと思
う。
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ボルシェビキの時代 投稿者:スパルタコス(丸人) 投稿日:10月17日(日)14時36分58秒
私は今SRAさんの根気強い言説に大変説得力を感じてます。
あの時代を今の日本を基準に考えてはならないと思います。反革命が全国
で一斉に蜂起し、日本をはじめとする列強が軍事介入する中ではボルシェ
ビキが逆に反革命に皆殺しにされる可能性があったのです。つまり、テロ
をしなければ、こちらはテロで殺される危険があったという。
今のチェチェンもそうです。テロをしなければ皆殺しにもされないのでは
なく、テロをしなければこちらが皆殺しの危険に合う。すでに学校占拠前
の時点でロシア軍は皆殺しの危機にチェチェンを陥れているから、今更極
左戦術を取っても、チェチェンには失うものは何もないのです。無差別テ
ロでロシア軍の侵攻を招くのではなく、すでにロシア軍は殺戮をやってい
る。
テロと民主主義の問題は難しいと思います。とにかく、現時点で皆殺しに
されかけている民族に「テロはやめて平和的手段で訴えるように」と言っ
ても銃弾が飛び交う中で、それができるかどうかですね。チェチェン政策
に批判的なジャーナリストはチェチェンに向かう途中毒を盛られて死に掛
かったみたいですし、対話を拒絶し、自分達を暗殺しようとする相手にテ
ロ以外の手段でどう平和をつくるか、難しい問題だと思います。こちらの
命を狙う相手にですよ。チェチェンの指導者はロシアによって次々に暗殺
されてきましたし。
現時点では残念ながら、帝国主義廃絶なしには戦争は不可避であるようで
す。平和的な帝国主義は帝国主義ではないでしょうし。
中核・赤軍・ブンド・青解と革マルが何故憎み合ったのか感情面は分から
ない。しかし、情勢分析の差は次のようなものであると思う。革マル以外
の新左翼は60年代から70年代のあの当時今が革命期であるととらえて暴力
革命を目指した。革マルは今はまだその時期ではないと判断して、内ゲバ
はしても国家権力へのテロを手控えたのだ。他の党派がよりエスエルに近
いが、革マルも根っこで国家権力へのテロは否定しておらず、両者の差は
時期の捕らえ方だけである。国家権力へのテロ件数が少なくとも、根っこ
の暴力志向ではなんら劣らず、ただ陽動化しているか、陰性化しているか
の違いでしかない。他党派は動くのが早すぎるという事だろう。結局の
所、どこまで反革命が暴力的になるかで革命に向かう過程での暴力の範囲
は決まると思う。中核・赤軍は先に抜いて、刀を折られ、顔には傷がつい
た。革マルの刀は抜く前に錆びて、刀が使えなくなった。いわゆる昔の極
左は世界的に一応解体し、国家権力に屈服したかに見える。実際の所、こ
の間に左翼陣営は右翼陣営に押しまくられて凄まじい路線転換を強いられ
た。今の日共が50年代前半の日共でないように、今の新左翼も旧来の新左
翼では完全にゆきづまったのである。今の左翼陣営の陣形というのは、50
年代、70年代にひどい目に合った人達の苦悩とゆきづまりなしにはあり得
なかったのだ。セクトでガチガチになった70年代の新左翼より今の左翼の
方がテロを手控えるようになった分、ある意味手ごわくなった。戦後二度
も地獄を見たが故の柔軟性とソフトさ。結合と分離を繰り返す事で、一定
の型にはまらないしなやかさ。かつての全共闘時代の武闘一辺倒の時代に
ない恐さ。世の中には敗北する事で強化されていく強さもある。
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熟読してこれですか…… 投稿者:TAMO2 投稿日:10月17日(日)11時14分32秒
う〜ん。小生が心苦しいのはあなたの信念ではなく(そんなものはどうでもいい)なかったこと
をあったかのごとく語られることですから。
とりあえず、トロツキーのロシア革命史内「七月事件」――準備と始まり〜最高潮と壊滅 を
再読下さい。(リンク先は、ネットで読める七月事件の概要です。)
全くもって、ボリシェヴィキが大衆を煽動したのではなく、寧ろ逆に体を張って大衆の暴発の
先頭に立ち、大衆の弾除けとなり、革命の主力=大衆の戦闘力を温存するために自らを犠牲と
したボリシェヴィキの気高い精神が描かれていますよ。
蛇足ですが、安保闘争を担った急進的学生の行動(これ自身は間違いがあったと思う)に対して
悪罵を投げかけ、「外部」から批判し 切って捨てた我が国の共産党と、エライ違いです。
http://www.kaho.biz/russia/e.html#2
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わあ、びっくりした! 投稿者:臨夏 投稿日:10月17日(日)10時34分17秒
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トロツキズムは革命の破滅の別称である 投稿者:教えてあげない! 投稿日:10月17日(日)10時02分38秒
SRAさんの文章を見て、その思いを強くしました。
このような論理で、小所有者=貧農を含めた農民を300万人虐殺したんですね。
出典はすぐに確認できませんが、レーニンはそのような己の論理を、ネップにいたる過程で
自己批判していますよ。自己批判したからこそ、レーニンにはまだ救いがあるのです。トロ
ツキーは死ぬまで、しませんでしたね、確か。
ショーロホフはどうしてボリシェヴィキに殺されなかったのだろう。
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>しまださん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)08時11分57秒
>あなたは、9月23日にTAMO2氏宛に、レーニンが「少数派」でありながらもボルシェビキ革命
>に成功したのは、彼の「呵責なき暴力による」ものだと書かれてますが、それはどのような文献
>にあるのでしょうか?
>レーニン自身のものについてはTAMO2さんに紹介して頂いた全集等で知り得るのですが、やはり
>本人以外の文献を見る必要がありますね。
「草案(引用注・トロツキーが書いたアピール『社会主義的祖国は危機にある』の草案)の最後の
ほうで、敵に援助したものはだれであろうが即座に処刑すべきであるという問題があった。奇妙な
風の吹き回しで革命の中にはいってきて、人民委員会議にまではいりこんできた左翼社会革命党員
のシュタインベルグが、この激しい威嚇に対して反対した。それは「アピールのパトス」を破壊す
るというのだ。
レーニンは叫んだ『まったく逆だ。ここに革命のパートス(彼は皮肉にもアクセントの位置をかえ
ていった)がある。断固たる革命のテロルなしに勝てると思うのか』
それはレーニンがあらゆる機会をとらえてテロの絶対的必要性を強調していた時期であった」
「それはわれわれの中にいる『平和主義』とみなされる者にいつも向けられていたのだ。彼の面前
でだれかが革命だとか独裁だとかいうと、特に、人民委員会議の席上でか、あるいは左翼革命党員
や臆病な共産主義者の前では、レーニンはすかさずいうのだった、『どこに独裁があるのだね。
私に見せてくれたまえ。われわれがもっているのは混乱だよ。独裁なんかじゃない』。混乱という
ことばを彼はたいへん好きだった。
『サボタージュをする人間や、白衛軍たちを銃殺する用意がなくてどんな大革命なんだね。みたま
え。ブルジョアのやつらが新聞でどんなことを書いているかね!ここのどこに独裁があるのだね。
あるのはおしゃべりと混乱だけだ・・・』
この演説は彼の現実の感情をあらわしていたが、同時に別の目的もあった。これらの方法によって
レーニンは、人々の頭に異常な強行手段のみが革命を救いうるという意識をたたきこんでいたので
ある」トロツキー『レーニン』ーー「十月のまえ」章----------------------------------------------------------------------------
>TAMO2さん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)08時04分30秒
>SRAさんは、L全の22〜24巻を熟読すべきだ
かねてより、私なりには「熟読」しているつもりではありますが、ご助言はありがたく賜ります。
>われわれの任務は、……大衆の実践的必要に適応したやり方で、かれらの戦術のあやまりを
>説明ことのほかにはありえないということを、大衆に説明すること
>批判の仕事、エス・エルや社会民主主義者の小ブルジョア諸党のあやまりを説明すること
上記の「四月テーゼ」からの引用において、TAMO2さんがボールドして強調せんとするところは、
レーニンが「われわれの任務は、・・・説明すること」であると言っている箇所ですね。
つまり、「レーニンは暴力によってではなく、説明によってことを為そうとしていたのであり、
SRAのボリシェビキ観は事実誤認である」という御批判であろうかと思います。
上記の「四月テーゼ」第四項は、「わが党が大多数の労働者代表ソビエト内で少数派である
という事実を、しかも、いまのところわずかな少数派であるという事実を、みとめること」を
積極的に全党に求めるためにあてられた項です。上記「大衆に説明すること」の後には「自分
が少数派であるあいだは、われわれは、誤りを批判し解明する活動をおこなうと同時に、大衆
が経験にもとづいて自分の誤りからぬけだすことができるように、全国家権力を労働者代表
ソビエトにうつす必要を宣伝する」と述べています。
つまり、レーニンは1917年4月段階での自党の主体的限界性を見据えたうえで、「少数派
であるあいだは」迂闊なことをせず「忍耐づよく、系統的に、根気よく」路線の正当性を人民に
説明して回れと言っているわけです。これは党内における冒険主義的翼にたいする戒めであると
同時に、人民に依拠した革命党の建設を、革命運動のただなかで勝ち取るのだというレーニンの
決意を示すものであるということができるでしょう。
その後、三ヶ月足らずでボリシェビキは「説明」にとどまることをやめ、情勢に呼応して武装デモ
を提起するにいたります。しかしそれは失敗に終わり、レーニンが再び国外逃亡を余儀なくされ
ることとなったことは周知の事実でしょう。
つまり、「説明せよ」というレーニンの提起は、あくまで4月にレーニンがペテルブルグに降り
立った時点における戦術的提起であり、革命党の態度を一般的に規定するものではないということ
です。
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>しまださん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)07時56分1秒
>「それ以外にない」というような方針についての積極的な見解が示されていないからです。
>つまり、「断固として承認し支持するのでなければならない」というあなたの主張には、重要
>な理論的飛躍があるように思います。
「それ以外にない」というのはチェチェン人民のおかれた苛烈な現実そのものに鑑みた表現です。
テロルという方針が、当初からの彼らの戦術であったわけではないということはすでに述べました。
実に五人に一人がロシア軍によって殺されている現実に引きずられ、当初それはむしろ消極的な、
もっといえばある種絶望的とも思われる状況のなかでやむにやまれず採用された方針であったという
ことです。しかし、捨て身ともいえるその闘いをもってしてはじめて彼らはかろうじて勝利の展望を
つかむことができたのです。プーチンは明らかに追いつめられています。いかなる弾圧によっても
自らの命をも賭した人間を屈服させることはできないということが誰の目にも明らかとなっています。
これこそまさにテロルという方針が開いた展望だったのあり、その積極面の表れであると言わずして
何と言えば良いでしょうか。
>しかし、反対すべき「テロ」と闘うのに、帝国主義者と一緒に闘わなければならないという根拠
>は何もないのではありませんか。明らかな理論的飛躍があると思いますが。
主観主義的にはあるいはそう言うことも可能でしょう。しかし、殺され続けている被抑圧民族大衆、
パレスチナ人民、チェチェン人民にとってみれば、帝国主義足下の人民がテロルに反対するという
ことは、当然にも帝国主義者と立場を同じくすることの表明にしか聞こえないであろうこと
は明らかです。
さらに、テロに反対するということはそれをやめさせるための努力に賛成するということを意味しな
いはずがありません。つまり、あなた自身がテロに対して直接「帝国主義者と一緒に闘」うことが
なかったとしても、帝国主義者による「対テロ戦争」にお墨つきを与えることに結果的にはなって
しまうということです。
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>黒目さん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)07時49分2秒
>もちろん、「革命」を嘲笑しているのではなく、個別SRA氏、及び、
「SRA氏的なるもの」を
>嘲笑しているのです(w
それを聞いて大変安心しました。では、あなたが嘲笑しない「革命」とはいったいどのよなもの
であるのかをとくとお伺いしたいと思います。革命という言葉に括弧をつけることの意味も
あわせてご説明下さると嬉しく思います。
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>dkさん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)07時48分20秒
>日帝はどのようにチェチェン人民の虐殺に関与しているのですか?
小泉がサミットという名の強盗謀議においてにこやかにプーチンと席を並べ、ロシアにおける石油
利権の獲得に躍起になっているということ一事においても十分に「関与」していると言えるのでは
ないでしょうか。
>次に、イラク侵略(湾岸戦争以前)の日帝はいかにしてパレスティナ人民の虐殺に関与していた
>のでしょうか。
ご質問の意味がよくわかりません。
>日帝打倒しても米国帝国主義とやらを打倒しなければ、沖縄にいる米軍は出ていかないのでは?
米帝の打倒は米労働者人民の仕事です。我々はさしあたり自国の帝国主義を打倒することをもって
それを促進・援助する立場にあるにすぎないということです。
>それこそ、国際連帯弱き革命であったロシア革命の悲劇(介入内戦)を招くだけなのではない
>でしょうか?
もし敗北するならば革命は「悲劇を招く」であろうし、勝利するならばそうではないということで
あるにすぎません。敗北を恐れて闘いを回避するなどということは具の骨頂であり、奴隷根性の極み
と言うほかはないでしょう。
「一国で勝利をおさめた社会主義は、一挙にあらゆる戦争を排除するものではけっしてない。反対
に、それは戦争を予想する。(中略)われわれが、一国だけでなく全世界でブルジョアジーを打倒
し、完全にうちやぶり、収奪したのちにはじめて戦争はありえないものになるであろう。もしわれ
われが、ブルジョアジーの抵抗の鎮圧という、ほかならぬもっとも重要な仕事、社会主義への移行
にあたってのもっとも困難な仕事、もっとも多くの闘争を必要とする仕事を回避したり、あいまい
にするなら、それは科学的にまったく正しくなく、まったく非革命的であろう。「社会主義的」説
教師や日和見主義者は、このんで未来の平和な社会主義を夢想したがる。だが、彼らは、このすば
らしい未来を現実とするための激しい階級闘争や階級戦争(原文は傍点)のことは考えたがらず、
そのために心をつかおうとしないという、まさにその点で、革命的社会民主主義者と区別される」
レーニン『プロレタリア革命の軍事綱領』全集23巻
>どうやら、SRA氏は、イスラエル軍の撤退やロシア軍の撤退・チェチェンの独立という目の前
>で実現可能な課題を彼岸に遠ざけて、彼岸の日帝打倒・世界革命を叫ぶことによって、全てを
>彼岸に流し込もうという極左冒険主義、左翼小児病、利用主義に陥っているようにしか聞こえません。
つまりあなたは「イスラエル軍の撤退やロシア軍の撤退・チェチェンの独立」は実現可能だが、
「日帝打倒・世界革命」は実現不可能な「彼岸」であると仰るのですね。
私は、パレスチナにせよ、チェチェンにせよその問題の根源にあるものこそが帝国主義であり、
それを元から断つことを抜きにしては、第二第三の同様の事態が非抑圧民族大衆を襲うであろうと
いうことを指摘しているまでです。
つまり「イスラエル軍の撤退やロシア軍の撤退・チェチェンの独立」の問題を帝国主義の打倒と
切り離して語ってはならないのだと主張しているにすぎないのであり、それらの問題を「彼岸
に遠ざけ」る意図など毛頭ありません。
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>TAMO2さん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)07時47分27秒
>アルカイダは日本でも潜伏している可能性は高いと思いますが、彼らが日本でテロを実行して、
>あなたが死亡しても、そのテロは反帝国主義的なので、支持されますか?
私はただちにアルカイダの戦術そのものを支持しているわけではありません。
先にも述べたように、その問題性、限界性については当然それを見据え批判しなくてはならないと
考えています。しかし、本質において彼らの闘いが帝国主義の強盗的支配に向けられている以上、
我々は同じく帝国主義の打倒を目指すものとしてはそれを支持せざるをえないのだということです。
事態のネガティブな側面だけを見てその本質を否定してはならないと思うのです。
帝国主義による強盗戦争によって世界中に戦場がつくりだされています。多くの被抑圧民族はその
なかで日々死の恐怖に苛まれながら暮らすことを余儀なくされているのです。
一方、帝国主義国内に暮らす多くの人々はその共犯者でありながらも、そのことに全く無自覚に、
見せ掛けの「平和」を享受し、抑圧民族としての自らの責任になど思いいたることすらない
というのが現実ではないでしょうか。
日々、家族や友人たちを殺され続けている人々の心情を想像するならば、自ら暮らす土地が侵略者に
よって戦場とされていることに対して、彼らが「敵の暮らす土地もまた戦場であってしかるべきだ」
と考えても当然であろうと思うのです。
もし、我々自身が戦場に暮らすならば決して命が危険にさらされるような場所に好き好んで出かける
ようなことはしないでしょう。
今や日帝が侵略戦争に公然と手を染めている以上、我々の暮らす土地もまた本質においてすでに
戦場であると考えなくてはならないし、死にたくないならば呑気に「平和」を享受している自分を
まずは戒めなくてはならないということではないしょうか。
私もまた死にたくはありません。労働者人民がテロルの犠牲になることも全く本意ではありません。
しかし、この世が戦争というものを不可避とする体制にある限り、我々はそれを止揚することに
よってしかその恐怖から解放されることはないのであり、そのための手段としてのテロルを捨て
去ることは、あるいは闘わずして帝国主義の犠牲となることを意味すると言いうるのではないか
と考えています。
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>教えてあげない!さん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)07時46分49秒
>帝論の戦争不可避説、国革の暴力革命不可避説はいずれも歴史・論理的に破綻している
例えば、あなたはイラク戦争を帝国主義ゆえの戦争ではないと仰るのですね。
では、あなたはいったい何が、アメリカをしてあの戦争を強行せしめたと考えておられるの
ですか?
「国革」を一読するならば一目瞭然ではありますが、その叙述のほとんどはマルクス及びエンゲルス
自身の言葉をもって語らせるかたちになっています。あなたはそれを「破綻している」と言う。
つまり、あなたはプロレタリア革命そのものを否定する立場にあるということを告白しているに
すぎないということです。
>戦争を回避するのに、帝国主義打倒しかない、という論証をすべきですね、SRAさんは。
これまで幾度となく繰り返されてきた強盗戦争が帝国主義の犯罪ではない
と主張するあなたの根拠を
こそ是非伺いたいものです。
>天皇制打倒の問題は、当時の日本人の意識に大きく規定され、そして意識と言うものはそれが
>深層心理にまで及ぶものであれば、おいそれと変わるものではありません。「現人神」という
>教育がいかほど深いものであったかを父母らから聞いている身としては、当時すぐに天皇制を
>打倒できなかったからと言って、その当時の日本人をなじることは出来ませんし、その責任を
>日本共産党に背負わせることは出来ません。
つまり、日帝によるアジア侵略も「深層心理にまで及ぶ」教育の結果であって、それに動員された
人々を「なじることは出来」ないと仰るわけですね。
抑圧民族としての自らを免罪する排外主義そのものというほかはありませんね。
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>sinkenさん 投稿者:SRA 投稿日:10月17日(日)07時45分50秒
>日帝打倒.被抑圧民族断固支持は分かります
>打倒するために、どのような政治過程を考えているのでしょうか
党の系統的指揮のもと、各都市における一斉武装蜂起を核として日本帝国主義権力を打倒し、
さしあたり党とその指導下のプロレタリアートが自ら権力を掌握します。
>国家権力の暴力装置、自衛隊、警察を解体するような暴力をどう組織するのでしょうか
平時より暴力装置隊内に革命的フラクションを形成する闘いを蜂起の観点から目的意識的に
つくりだし、革命的な情勢の到来にそなえることによってのみそれは可能となると言えるで
しょう。
>日帝打倒は、暴力革命の結果なのでしょうか
その通りです。帝国主義がその暴力によって支えられている以上、それを打倒する闘いも
暴力を手段とすることに躊躇してはならないでしょう。
>その革命は、個人連帯のゆるい幅広いつながりからは生まれないでしょうね
その通りです。強固な敵を打ち砕くには当然にも我々も強固たらねばならないということです。
鉄の規律によって守られた武装組織としての党なくしては革命はありえません。
>それには、目的意識を持つ民主的に集中された革命党がなければなりませんよね
たゆまね日常活動としての会議と機関紙活動によって一枚岩的意志一致を勝ち取ることが
民主的な中央集権組織としての党を支えるのだと思います。
>このような革命党を支持する人たちをどのように結集するのでしょうか
あくなき宣伝・煽動、オルグその他、あらゆる地道な活動を党の集約のもとに不断に行う
ことによってのみそれは可能となります。権力に秘匿された活動としてそれらの企て
を組織的に防衛することが必要です。
>この過程に、誤りがなければ、帝国主義に対抗し、被抑圧民族解放の解放を支持する
>社会主義国家圏が存在する事が出来たのでしょうか
スターリン主義とは、スターリンが権力の防衛とひきかえに帝国主義世界体制への屈服を
路線化したものであるといえます。その意味でそれは一個の敗北であり、我々は単にその
敗北を乗り越えてゆくほかはないということです。
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塾頭へ 投稿者:イレギュラーず 投稿日:10月17日(日)00時03分11秒
もし、知っていたならご容赦ください。河本隆夫牧師が逝去されました。
今、手元に残る昔の「ご案内」状(ガリ版刷り)で当時を偲ぶのみです。
その後仙台を離れた後に一度近況をはがきでいただきました。あれから20
数年。ずいぶんご高齢だったと思います。
「これまで永い間、牧師として、またベトナム反戦運動から始まり政治犯
救援および日韓連 ッさえ出 胃。
(まるでどこかの宗教団体)
おまけ ノェン戦 堪えまし
た。
あの時見 トヒ fへらさんが 木)20 棯。こういう事 -------- つのじ 投稿日: 3月 2日( コ器を 活定的証拠なんだ ニ;qhP