四トロ同窓会三次会 2004年1月3日〜24日
書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
冬コミケへのご来場ありがとうございました。もぐら新聞好評でした。
次回も皆さまのお越しをお待ちしております。
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名無しさん、いらっしゃい。\(^o^) 投稿者:まっぴょん 投稿日: 1月24日(土)15時01分2秒
また、その話題か。やれやれ・・・・・。
投稿は多いに歓迎しますから、どうぞどんどん書いてくださいね。
だけど、せめて名前を書いてくれませんか。別に実名でなくても、何でもいいですからね。
それから、一度にたくさん書いても、議論にならず、無視されるだけですよ。
少しずつ書いて、それに対する反論を聞くほうが、自分にとっても相手にとってもいい事だと思いますよ。
それとも少しずつ書いて、反論されるのがこわいの?
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朝鮮人「強制連行」問題とは何か 投稿者: 投稿日: 1月24日(土)14時32分
13秒
(読み方は上から順番に)
■■■「強制連行」は「人さらい」?■■■
現在使われている中学歴史教科書は「強制連行」をこう描いている。例えば、日本は「不足する労働力を補うために、外国の人を強制的に連行して、本国の鉱山や工場で働かせました。日本で働かされた朝鮮人、中国人などの労働条件は過酷で、賃金は安く、きわめてきびしい生活をしいるものでした」(東京書籍)。
また、平成十三年まで使用されていた教科書のなかには「寝ているところを、警察と役場の職員に徴用令状を突きつけられ、手錠をかけられたまま連行された」(教育出版)とか、「町を歩いている者や、田んぼで仕事をしているものなど手当たり次第、役に立ちそうな人は片っ端から、そのままトラックに乗せて船まで送り、日本に連れてきた。徴用というが、人さらいですよ」(大阪書籍)という話も掲載されていた。
教科書だけでなく、今日、「強制連行」関係の証言集なるものが数十冊も出版されている。そこに出てくるのは、「連行」先での「使い捨て同然の酷使」であり、虐待に耐えかねての逃亡、捕まった後の見せしめのリンチ……奴隷労働さながらの「証言」がほとんどである。
果たして、こうした拉致当然の日本への送出や過酷な労働はどこまで事実なのであろうか。証言の事実関係を逐一検証することは不可能に近いのだが、実はこうした証言の内容は当時の戦時動員の実態や労務事情などと大きくかけ離れていることもまた事実なのである。
一例を挙げると、先に紹介した徴用令状を突きつけられ、手錠をかけられ日本の炭坑に連行されたという話は、朴慶植編『朝鮮人強制連行の記録』に掲載されている金大植という人物の手記からの引用だが、手記の原文を読むとこの人物が徴用されたのは昭和十八年二月の話となっている。後に述べるが、朝鮮半島において「徴用」という強制力をもった戦時動員が行われたのは昭和十九年九月以降のことである。昭和十八年段階では軍関係がごく少数の徴用を行っていたが、徴用先は海軍工廠などであって炭坑ではない。また原文では七回も徴用令状(正しくは徴用令書)を受けたにもかかわらず逃げていると語っているが、徴用拒否が事実だとすれば、一年以下の懲役である。
もう一つの手当たり次第連行したという話も、同じ『朝鮮人強制連行の記録』に引用されている話である。こちらの方は「昭和十六年か十八年」に「朝鮮人を徴用に行った(炭坑の)労務の係から聞いた話」をさらに又聞きしたものとして登場する(こんな出典の曖昧な話が教科書に載っていたのだから驚く他ない)。これも徴用されたとすれば時期が違うし、しかも徴用は徴兵と同様の強制力をもった動員なのだから、わざわざ炭坑の労務係が朝鮮半島に出張して「人さらい」をやる必要などない。そもそも、戦時でも平時でも「町を歩いている者」をさらっていくなどということが朝鮮各地で行われていれば暴動が起こっているはずである。
つまり、こうした証言の多くは、戦時動員の実態や当時の労務事情などからして、あまりにも信憑性に欠けると言わざるを得ないのである。少なくとも、まず当時の朝鮮人に対する動員の実態という枠組みなどの事実を踏まえなければ、そのまま受け入れることは出来ない代物と言えよう。
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朝鮮人「強制連行」問題とは何か 投稿者: 投稿日: 1月24日(土)14時31分11秒
■■■ゆるやかだった朝鮮の戦時動員■■■
では、この「強制連行」問題を検証する際に、踏まえられるべき事実とは何であろうか。
一つは朝鮮に対しては内地と比較してかなり緩やかな戦時動員が実施されたという事実である。昭和十四年、前年に成立していた国民総動員法に基づいて国民徴用令が発せられ、戦時動員が開始される。しかし、朝鮮ではこの国民徴用令が三段階にわたって緩やかに実施された。
まず、同年九月から「自由募集」という形で戦時動員が始まる。これは、炭坑、鉱山などの内地の事業主が厚生省の認可と朝鮮総督府の許可を受け、総督府が指定する地域で労務者を募集し、それに応じた人たちが内地に集団渡航するというものである。
実は、戦前の日本政府は、朝鮮人の内地渡航に対しては治安や労務面で社会問題があるため就職や生活の見通しを持たない朝鮮人の渡航を制限する行政措置を講じていた。日本への渡航には証明書を必要とするとか、釜山など出発港において就職先や滞在費を持たない渡航者の渡航を認めない渡航諭止制度を設けるなどしていたのに対して、この「募集」制度は、戦時動員の一環としての「募集」手続きに従った内地渡航に限っては渡航制限の例外としたのである。
従って、戦時動員とはいうものの、平時の渡航とほとんど変わらないものであった。ところが、この「募集」方式では、当然のことながら、動員計画はほとんど達成されなかった。昭和十六年までの三年間は動員計画数二十五万五千に対して、「募集」で送り出された朝鮮人労務者は十四万七千人に過ぎず、達成率は六六%に留まった。また、応募者の大半は農民であり、炭坑鉱山などの坑内作業を嫌い、職場を離脱するものも多かった。
そこでこの「募集」に替わって、昭和十七年から採られたのが「斡旋」という方式である。これは、企業主が朝鮮総督府に必要とする人員を許可申請を出し、総督府が道(日本の県に当たる)を割り当て、道は郡、面に人員の割り当てを行う、つまり行政の責任において労務者を募集するというシステムであった。
さらに、この「斡旋」が昭和十九年九月から「徴用」に切り替わる。道知事の徴用令書によって出頭し、指定された職場で働く義務を伴う、いわば兵士の「応召」に準じるものであった。「国家から命じられた職場で働く義務があり、その工場なり事業場の事業主とは使用関係に立ちますが、直接雇用関係に立たず、(被徴用者は)あくまで国家との公的関係にある」(朝鮮総督府『国民徴用の解説』)わけであるから、徴用先も労務管理の充実した職場に限られ、給与も法定され、留守家族援護から収入減の場合の補償に至るまでの援護策が講じられた。また、同様の措置が「斡旋」で既に稼働している者にも現員徴用として適用された。
むろん、「徴用」の場合は忌避すれば罰則があり、国家総動員法によって一年未満の懲役又は千円以下の罰金に処せられた。これに対して、「募集」「斡旋」に対しては、当然のことながら応じなくても罰則はなかった。
また、「募集」「斡旋」の場合は、配属された職場から離脱しても罰則はなく、離脱したり契約期間(多くの場合は一年〜二年)を終えて内地に残留しても、日本国民としての公権(参政権など)が保証された。これに対して「徴用」の場合は、指定された職場から離脱すれば徴用拒否と同じ罰則があった(ただし、「特高月報」などをみると実際は職場離脱によって検挙されても、ほとんどは元の職場に復帰させられるか朝鮮へ送還されている)。
こう見てくると、朝鮮での戦時動員は内地より遅れて、しかもはるかに緩やかに実施されたということが分かる。また、内地と違い朝鮮では最後まで女子には適用されなかった。徴用だけでなく朝鮮においては徴兵も昭和十九年十月になってようやく実施されている。なお、「徴用」による日本への送り出しも翌二十年三月末には関釜連絡船の運行が止まり、わずか七ヶ月で終わる。
「徴用」は、まさに強制力を伴った戦時動員であった。それを「強制連行」というであれば、既に全面的に実施されていた内地の日本人はほとんど「強制連行」されていたということになる。
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朝鮮人「強制連行」問題とは何か 投稿者: 投稿日: 1月24日(土)14時30分21秒
■■■動員前からあった朝鮮人移住者の奔流■■■
第二に重要なのは、内地に渡ったのは動員による朝鮮人だけではないという事実である。あまり知られていないが、戦前の日本には戦時動員とは別に自らの意志で内地に渡ってきた大量の朝鮮人移住者がいたからである。
この朝鮮人移住者については各種の統計資料をもとに森田芳夫氏が書かれた『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(昭和三十年七月、法務研究報告第四十三集第三号)などの論文、さらに森田論文をもとにした西岡力氏の論文「朝鮮人『強制連行』説の虚構」(月曜評論・平成十二年八月〜十一月号)があり、これらの研究を参考にさせていただきながら、簡単に紹介したい。
先に述べたように朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、明治四十三年の日韓併合以降(明治四十四年年末で二千五百余り。以下、百の位以下は切り捨てで表示する)、一貫して内地の朝鮮人人口は増え続けてきた。とりわけ大正十年から終戦までの二十五年間は顕著で、森田芳夫氏によれば、在内地の朝鮮人人口は大正十年末には約三万八千だったのが、昭和二年末には約十六万五千と増加し、昭和十三年末には七十九万九千に達している。先に述べたように朝鮮半島での戦時動員は昭和十四年九月にはじまるが、戦時動員が始まった時には既に約八十万の朝鮮人が日本内地に在住していたのである。これは今日の在日韓国・朝鮮人より二十万も多い数である。
どういう人たちが内地に渡ってきたのかというと、「一般の海外移民のように、一家をあげて指定された移住先に定着するというのではなく、出稼ぎ的労務者として、日本内地に渡航し、職や住所を転々としつつ漸次生活の基盤を開拓し、その家族をよびよせたのであり、かつ、たえず朝鮮の故郷の地と往復していた」(森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』)という。
こうした大量の出稼ぎ移住が起こったのは、ひとえに朝鮮半島の人口急増によるものであった。簡単に言えば、併合当初約一千三百万だった半島人口は終戦時には約二千九百万(朝鮮半島二千五百万、日本内地二百万、満洲・華北二百万)と三十五年で二倍以上に急増している。これは衛生状態の改善による出生率の向上と死亡率の低下もあるが、何より農業生産性の向上によるものである。一町歩当たりの米の収穫量をみると、明治四十三年の併合当初は七・六九石であったものが、昭和八年の段階では一〇・七二石と約四割も増えている。日本統治下で農業生産性が向上した結果、朝鮮半島の人口が増え、さらに移住へとつながっていったのである。
しかし、朝鮮には急増した農村人口を吸収できるだけの都市も産業もまだなく、増えた人口の大部分を農村が抱えることになり、昭和五年の総督府の統計によると春窮農家、つまり秋の収穫を食べ尽くし春には食糧不足となる農家が半数近くを占めている。一方、日本には多数の出稼ぎ移住を受け入れる労働力需要があり、とりわけ戦時景気の起こった支那事変以降はその傾向は顕著だった。
しかも、渡航が行政的に制限されていたとは言え、当時の朝鮮人は同じ日本国民であり、日本政府も朝鮮総督府も日本内地に出稼ぎ移住するのを法的には止めなかったため、こうした大量の移住者が出稼ぎのために渡航したは自然なことでもあった。
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朝鮮人「強制連行」問題とは何か 投稿者: 投稿日: 1月24日(土)14時29分4秒
■■■動員の三倍にのぼる「出稼ぎ」労働者■■■
さらに重要なのは、昭和十四年に戦時動員が始まってから後も終戦まで、そうした出稼ぎ渡航が一貫して続いているという事実である。
「募集」期間に相当する昭和十四年から昭和十六年の三年間で、内地に渡航した朝鮮人は約百七万人であるのに対して、そのうち「募集」制度に則って内地に渡航した朝鮮人は約十四万七千人(厚生省統計)に過ぎない。つまり、「募集」以外に約九十二万人もの渡航者がいたのである。全渡航者のなかには内地から一旦朝鮮半島に帰り再度内地に渡航したものも含まれているが、「募集」という戦時動員による渡航者が、朝鮮人の内地渡航者全体のわずか一六%に過ぎないことは注目に値する。
さらに、西岡力氏の分析によれば、この三年間で内地の朝鮮人人口は約六十六万九千人増加している(昭和十三年末の人口は約七十九万九千、昭和十六年末のそれは百四十六万九千)。ここから内地での自然増(家族の呼び寄せなど家族で生活している多数の朝鮮人がいたので内地でも二世が生まれている)の八万一千を引くと、朝鮮半島からの渡航による人口増は五十八万八千となる。この間の「募集」による動員数は十四万七千だから、「募集」以外の渡航者によって約四十四万が増加したという実態が見えてくる。つまり、戦時動員期間でも、動員の三倍以上の人たちが自らの意志で日本に渡ってきていたのである。
この流れは「斡旋」「徴用」の時期についても変わらず、昭和十七年一月から二十年五月までの内地への動員数は約五十二万。この同じ期間に朝鮮半島からの渡航者数は百三十万七千人だから、ここでも渡航者の約六割が動員以外ということになる。
こうした渡航・移住によって、終戦時には約二百万の朝鮮人が内地にいたと推定されている。しかし、終戦当時、動員先の職場にいた朝鮮人は約三十二万二千人。それ以外に朝鮮人の軍人・軍属が約十一万二千人。併せて、動員された者は四十三万五千人となり、終戦時の朝鮮人人口の約二二%にしかならないということになる。
いずれにしても、戦時動員と並行して、かくも膨大な朝鮮人が自らの意志で日本に渡航していたわけであり、その事実を踏まえれば、嫌がる朝鮮人を無理やり日本に連れて行ったという「強制連行」イメージは明らかに虚像と言わざるを得ない。
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朝鮮人「強制連行」問題とは何か 投稿者: 投稿日: 1月24日(土)14時28分26秒
■■■「日本に来たがってたの、大勢いたんだ」■■■
実は、いま出回っている「強制連行」証言を子細に見ると、そうした事情を裏付ける証言がいくつも見つかる。
以下は、「斡旋」の時期に渡航してきた人たちの証言であるが、当時の「斡旋」によって渡航した人たちの事情がよく理解できる。(いずれも引用は『百万人の身世打鈴』から)。
例えば、姜壽煕という人は、昭和十七年に面長(日本の村長にあたる)と駐在所の所長から「日本に行け」と言われて日本にやってきたのだが、こう述べている。
「日本は天国だと思っていました。村から日本に行った人が帰ってくると、洋服を着て中折れ帽子を被って革靴を履いているんです。親は親で、『うちの息子は日本から帰ってきて、革靴を履いている』と自慢していました。……その頃は、朝鮮では村一番の金持ちの子どもでも革靴など履けなかったのです。……ですから、『日本に行け』と言われたとき、そんなに抵抗感もなかったのです。」
また、李斗煥という人も同じ頃に「斡旋」を受けている。
「役所に呼び出されて『日本へ行ってくれ』と言われた。いやとも言えないしな。まあ正直いえば嬉しかったの。日本に来たくてもなかなか来られないんだから。韓国にあっても、仕事ないし、百姓ぐらいだから。おれだけじゃなくして、日本に来たがってたの、大勢いたんだ」
「斡旋」は、「募集」とは違って朝鮮総督府の行政機関が関わり、罰則はないもののある種の圧力を感じていたことも分かるが、それ以上に日本への渡航熱が窺える。
こうして見ると、戦時動員とはいうものの、特に「募集」「斡旋」については、実態としては大量の「出稼ぎ」の流れを、戦争遂行のための炭坑、鉱山、軍需工場へ転換させようとしたとも言えるのである。
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朝鮮人「強制連行」問題とは何か 投稿者: 投稿日: 1月24日(土)14時27分29秒
■■■相当高額だった朝鮮人労務者の収入■■■
とは言え、証言集などを読めば、炭坑での坑内作業やダム工事での過酷さ、少ない配給食糧による飢餓、朝鮮人に対する差別、そして堪りかねての逃亡……というエピソードが溢れている。こういう話を聞けば、制度としての動員とは別に、現場の実態は「強制労働」ではないのか、という疑問は残る。
確かに、農業しか経験のない人たちが、わずかな訓練だけで炭坑の坑内作業やダム建設などの土木現場で働くというのは、相当な困難が伴うことは想像に難くない。国語を解さなかった者も多かったという。管理者である日本人との軋轢も当然あったであろうし、生活習慣の違いも大きかったであろう。実際、そうしたトラブルは「特高月報」にも毎月何件も報告されている。
しかし、話はそう単純ではない。当時、何度か朝鮮人移入者の労務調査が行われているが、食糧の配給については職種(例えば炭坑では坑内作業と坑外作業)での配給量の違いは見られるものの、日本人と朝鮮人を理由とした違いは見られない。また、給与についても熟練度による違い(戦時期には日本人は比較的高齢の労働者しか残っていない)はあるものの特に差別があったとも思えない(昭和十八年・労働科学研究所「半島労務者勤労状況に関する調査報告」などによる)。
むしろ、戦時にあっては動員された朝鮮人の大半が就労した炭坑や鉱山、土木事業は、労働環境は厳しかったが、その分厚遇されていたというのも事実である。昭和十九年頃の九州の炭坑での賃金は一日四円〜八円(平均五円)で、これに各種手当がついて月収は百五十円〜百八十円、勤務成績のよいものは二百円〜三百円であり、同じ職種では日本人徴用者に比較して「はるかにいいのが実情である」と指摘されているくらいである。従って、朝鮮の親元への送金や貯金(徴用時は強制貯金)も行われ、「半島労務者の送金は普通三〇円〜五〇円程度」であったという(大内規夫「炭山に於ける半島人の労務管理」昭和二十年五月)。
ちなみに、当時、巡査の初任給が月額四十五円、事務系の大学卒の初任給が七十五円、上等兵以下の兵隊の平均俸給が十円弱だから、朝鮮人労務者の収入が相当な高額だったことが分かる。
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山本夜羽音さん 投稿者:イレギュラーず 投稿日: 1月23日(金)10時15分42秒
貼り付けておきます。読んだ方も多いと思います。
全文は【 Publicity 】 775で
http://www.emaga.com/info/7777.html
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個人史からの「社民党解党の讒言」
---(略)-----
戦後民主主義の哀しむべき点は、持たざる者の希望を、こんな
みっともない、不誠実な政党に託すしかなかったということで
す。
断言しますが、独裁制度を維持し、独善的な日本共産党は人民
の党では決してない。新左翼諸党派、公明党は論外。いまの民
主党は、個々人を信頼できても、大勢としての党派性は持たざ
る者の利益とはほど遠い。
「拉致問題への不誠実な対応」は、決して些細なことではあり
ません。辻元さんは大好きだけれど、「秘書給与流用」という
行為は、社民党が議会政治の腐敗に易々とはまっていったとい
う「裏切り」の顕著です。
辻元を貶めたのは、紛れもなく社民党の責任であり、拉致問題
への不誠実な対応は、社民党が関係する団体とのなれ合いや癒
着の中で、決定的に弱い立場の人々を「裏切った」という事実
です。
「自民党の方がもっとひどいことをやっている」という言い訳
は、もはや通用しません。
社民党が持たざる者の希望を託されているという責任を痛感し
ていたら、このような不誠実な態度は決して許されないと、考
えなくてもわかるはずです。
親子三代にわたって支持してきた人間の言葉を受け止めるべき
でしょう。
「速やかに解党せよ。全てを明らかにし、不誠実を謝罪し、し
かるのち、ゼロから同志を募って徹底的に議論し、あるべき『
持たざる者を代弁する党』を創設せよ。」
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「大きくなったら、社会党の書記長」と物心もつかない頃、私が言ってい
たと親は言っていたものです(笑)。当時、子ども心にも社会党とはそう
いう存在だったのでしょうね・・・
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父に貰いし名は 投稿者:鍋山 投稿日: 1月22日(木)20時02分47秒
有田さんが誤解するのは、まあしょうがないね。
でも、村岡氏が、コメントもせず、(うれしそうに)紹介するのは、イカンね。
有田芳生(ありたよしふ)
熱心な共産党員である父親が、スターリンにあやかって付けた名前だと、何かに書いてあった。
スターリン
本名、ヨシフ・ビサリオノヴィッチ・ジュガシビリ
(IosifVissarionovichDzhugashvili)
山本夜羽音さんの家族のようで、しみじみ微笑ましい。
レーニンにちなんで名づけた親とか、いろんな人がいるけど。(?謎?)
三人の子供に、「人」「類」「愛」と付けた猛者もいるが(大笑)
DOXA(独立左派日誌)
http://d.hatena.ne.jp/johanne/
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2004-01-15 あきらめるなんて、死ぬまでないから。
絶望だけはしないと、言い聞かせてきた。人間に必要なのは愛より自由より「希望」
なのだと、「希望」がなければ人間は生きられないのだと、信頼する友人がかつて教
えてくれた。
だけど、揺れている。
これからは、畳みかけるように「絶望」が誘惑する時代が来る。
■ 何を伝えるべきか。
「NOと言える日本」とのたまった方に、本当に聞きたい。いま、「NO」と言わず
に、これから先どこで「NO」というのか。人身御供を送り込み、首を長くして「犠
牲者」を待つ。そうやって勝ち取る「自主防衛」と「普通の国」を、あの親分が容認
すると、本当にお考えか。
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村岡さんのAML投稿について 投稿者:まっぴょん 投稿日: 1月22日(木)11時27分42秒
村岡さんの思想・ご意見についていろいろ異論はありますが、少なくとも
村岡さんが勉強熱心で、いつもたくさんの本を読んでいらっしゃることに
敬服いたします。その上で、同じ「元第四インター派」に所属していた者
(と言っても、私は青年同盟どまりでしたが)として、有田氏評言の紹介
について、ひとことご意見を申し上げたいと思います。
有田氏の評論の主旨にはまったく賛同するものであり、その有田氏が引用
した梅本氏の言葉にもまったく異議はありません。ただ、「村岡さんは第
4インター時代から共産党に投票してきたという不思議なひとだ」という
有田氏の評言にひっかかるのです。これがなぜ有田氏にとって「不思議」
な事に思われるのでしょうか? 考えられる事はふたつしかありません。
「第4インターの他の人たち(あるいは党派の方針)が社会党など、共産
党以外の左翼への投票方針」であったか、または「そもそも投票拒否方
針」であったのに「村岡さんだけが共産党に投票してきた」と、有田さん
は誤解されているのではないでしょうか? いずれにしても、そこには共
産党に「投票しない第4インター」と「投票する村岡さん」との対比が感
じられるのです。これは私だけの誤解でしょうか?
私も、村岡さんも、同じ組織に関わっていた者として、第4インター派が
「社共への投票」を呼びかけ続けてきた事を知っています。もちろん内部
には異論もあり、その時々の状況によって「共産党への投票」や「社会党
への投票」を呼びかける者も内部にいました。ですから少なくとも私には
「共産党への投票」を呼びかける村岡氏の方針は何ら不思議ではなく、当
然の事であると思っております。もしも有田さんの評言をコメントなくそ
のまま紹介した村岡さんの行為によって上記のような誤解が生まれるとし
たらたいへん残念に思います。
なお、AMLでの投稿に対してここ三次会掲示板でレスを書いたのは、ここ
の方が四トロ同窓生が多く目にすると判断したからです。
※参考(aml投稿)村岡到:有田芳生の評言
http://www1.jca.apc.org/aml/200401/37489.html
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こんなのもつくってみました 投稿者:TAMO2 投稿日: 1月19日(月)08時31分22秒
リンク先
葉寺さんへ:毎度です。例のリンク先、変更しました。ありがとうございます。
http://www.geocities.jp/meltext001/index.html
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落書きして逮捕された反戦市民を救おう 投稿者:ワッペン 投稿日: 1月18日(日)21時54分14秒
「群馬・高崎市 シャッターなどにスプレー落書きした男ら逮捕」
群馬県高崎市にある商店街のシャッターなどにスプレーで落書きしたとして、
大学生ら4人が器物損壊の疑いで逮捕された。
逮捕されたのは、東京・世田谷区の大学生・矢島奨容疑者(21)ら4人。
4人は15日早朝、高崎市内の商店街のシャッターや壁など数十か所にスプレー式
塗料を使って文字などの落書きをした疑いが持たれている。
商店街の防犯カメラに犯行の様子が映っていたことから、4人が浮上し逮捕と
なったもので、いずれも容疑を認めているという。
NNN24.COM http://www.nnn24.com/12275.html
http://www.nnn24.com/pictures/img25927_200x150.jpg
↓この落書きに勝るとも劣らない芸術作品だ
http://mypage.naver.co.jp/antiwar/graffiti417/images/graffiti/K/graffiti_01.jpg
こんな便所使いたくねえ
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(無題) 投稿者: 投稿日: 1月18日(日)21時50分57秒
田口さん宮崎・青島で船に 拉致の状況を兄が公表
拉致被害者の田口八重子さん=失跡当時(22)=の兄で、家族会副代
表の飯塚繁雄さん(65)が17日、埼玉県川口市で講演し、田口さんが
拉致され、船に乗せられた場所について「宮崎県の青島」と初めて話し
た。
飯塚さんは「(拉致現場は)これまで新潟県佐渡島と宮崎の青島の2つ
の説があった」とした上で「(田口さんは)青島から船に乗せられ、北朝
鮮の南浦に連れて行かれた。その後、袋をかぶせられたという話を関係者
から聞いた」と述べた。
講演は「救う会埼玉」主催の支援集会で、市民ら約100人が参加し
た。(共同通信)
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反語を反語として理解できないものは・・・・ 投稿者:TAMO2 投稿日: 1月18日(日)09時34分46秒
蛆虫軍団のエゲツナイ文章は誰がどう見ても「そりゃ違うだろ、おい(笑)」という突っ込みが可能なわけで、
それさえ理解できない方々と言ったら・・・アゥアゥアゥ。
大坂仰山党(準)としても、スタイルは違いますが学びたいものです。
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>ニセ日中 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 1月18日(日)03時14分19秒
とりあへず負荷分散のため、旧アカウントにマオちゃん置いときますた。
マオちゃんが原因とも思えないんですが、以前も同じようなことがありました。
じきに治るかと存じます。ほかにも負荷が増えそうでアプしてないコンテンツが
あるんですが、しばらく見合わせます。すいません>関係者氏
http://members.lycos.co.uk/jcia/mao/archive.htm
まあ、しかし蛆虫軍団文体はいつ見ても癒されますね。
世の中には「便所の落書きに学べ」と文集作った労組もあることですし。
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鈴木藤一郎・伊東市市長に怒りのメールを!! 投稿者:ワッペン 投稿日: 1月18日(日)02時44分23秒
成人式妨害の低脳を死刑にしてくれ!!
伊東市の成人式で酒を飲んで大騒ぎ!! 挙句の果ては壇上まで駆け上がり、狼藉を働いた大バカものに、怒りの声があがっている。ネット中に以下のようなテンプレが乱れ飛び、同市市長の鈴木藤一郎氏の元には、「凶暴で粗雑な知恵遅れはその場で射殺すべき。あんな奴らをのさばらしているから、朝鮮人が調子に乗って人さらいを続けるのだ」というメールが怒濤のごとく押し寄せている、という。
「低脳の溜まり場となった成人式に血税を使うこと自体が大問題。騒動を起こした6人が謝罪に訪れたというが、謝ればすむというのら、警察はいりません。もし、これで伊東市が告訴を取りやめるようなら、市長もあのDQNと同罪でしょう」(伊東市市民・20歳)
と、いうところで、以下にテンプレをコピペしておく。みなさんも、怒りの声を届けてくれ!!
―――――――――書き込み時強制テンプレ――――――――――――
みんなもどんどん告訴推進のメールを送ろう!!
伊東市のHP
http://www.city.ito.shizuoka.jp/webc/
秘書広報mailアドレス hisyo@city.ito.shizuoka.jp
TEL 0557-36-0111
鈴木克政 伊東市議会議員 掲示板
http://www.katsumasa.jp/cgi-local/anboard/show.cgi
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日中愛好協会・パンク? 投稿者:TAMO2 投稿日: 1月17日(土)11時14分37秒
何か、ダウンロードかアクセスによるトラフィック過重で、「有料化
汁!」と怒られますた。
うぇぇん、けざわひがし さまの文献にリンク張れないよぉ!
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大坂仰山党(準)にて 投稿者:TAMO2 投稿日: 1月17日(土)10時24分52秒
貴党の文献・資料室にあるマルクス主義古典が少し利用しにくいので、以下のような「目次」
を作っております。ご参考まで。
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/gakushuu_bunken.html
http://www.geocities.jp/osaka_multitude_p/gakushuu_bunken/lenin_imperialism_mokuji.html
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日: 1月17日(土)00時47分4秒
つーか、人がせっせと準備してきたもんで、うだうだと私利私欲でしょー
もねえ話するのは威力業務妨害だな(w
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来年からは靴を脱いで上がるといいんだな 投稿者:黒目 投稿日: 1月17日(
土)00時43分18秒
> 男子学生は昨年五月から、式の運営方法などを十四人のサポーターとともに準備活動
>を行ってきた。市青少年育成課の近藤義晴課長は「サポーターグループが一生懸命準備
>してきたのに、こんなことになって残念。彼は、先頭に立って式を準備していたのに…」
>と肩を落としていた。
って、めっちゃわかりやすい話やね。自分が一生懸命準備してきたもん
を、腐れ政治家どもに台無しにされました、どないやねん、つー。
むかむか。
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いきなり びっくりするだろ! 投稿者:鍋山 投稿日: 1月17日(土)00時34分11秒
今、どこ!
インド?タイ?ベトナム?フィリピン?台湾? 何やってんの?
「鳥インフルエンザ」大変なんだ〜
鳥は羽があってインターナショナルだからね!
韓国と山口のウイルスのDNAは一致したってね。
「理科?」は苦手だから〜 二次会も見てね。
(ほとんど私信だな)ほかの人にはナゾだな??
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鍋山さん 投稿者:にわとり 投稿日: 1月17日(土)00時20分23秒
だから言ったでしょうおばかさんだって。こっちは鳥インフルエンザで大変。
日本では山口県の一つの農場だけで消毒液足りなくなってイギリスから空輸とか。
ここじゃ120万羽以上たぶん200万羽は死んでいる。勿論消毒液はない。
おかげで旧正月前に魚も牛肉も暴騰。夏の食べ残しのそーめん送ってくれ!
時間あるんだったら20年前のアメリカ、去年のオランダの被害状況調べて教えて。
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ただただ、大人気ない 投稿者:セクトbV 投稿日: 1月17日(土)00時03分30秒
どこにでもいるアホ首長の話ですね。自分たちのつまらない話は「拷問」
であることには気が付かないで、そのことをはっきり物言う若者に切れる
なんて。こういうの、諭すくらいじゃないと大人じゃないんだと思うんで
すが?
いま、ニュース23で石波が喋っている。先遣隊の隊長らしき人が原稿ど
おりみたいな発言をしたいる。小泉と神崎が---------
この国の「大人」という人たちは、なんなんだろうか?いつも式典の内容
より、スケジュールと整然と行われることだけ考える人たち。昔、役所関
係の仕事をしたことがありますが、企画書の内容より言葉使いに「赤」の
訂正が入っていたことを覚えています。
みんながヘルメットとゲバ棒でいた時代の「大人」は、いま当たり前のつ
まらない話しか出来ない「ジジ、ババ」になったんだろうか?「いく時代
かがありまして、茶色い戦争ありました」と友川かずきは中原中也を唄い
ました。彼の出世作「生きてるって、言ってみろ」を思い出しながら二次
会のD氏発言思いだしました。話を聞いたことあります。
マジメな話、ここ一年が正念場と思うのはみなさんも同じなんでしょう
が、各地のネットワークが必要な気がしてなりません。いつもまとまりな
いのですが、今日はいつもよりまとまりません。
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写真 見つけた! 投稿者:鍋山 投稿日: 1月16日(金)22時48分14秒
見事な仁王立ち! 後ろの来賓の数の多いこと! 40人近くいる!
私、勘違いしてた。「ステージの上に土足」どころではなく、
「ステージの上の演台の上に土足」だった。うむうむ・・・
これだと、頭のカタイ、権威をカサにきたやつは、「何だ!この若造は!」と怒るだろうな。
成人式を突然批判
【写真】演台に登り、スピーチを行った大学生=川崎市中原区のとどろきアリーナ
http://www.kanagawa-np.co.jp/news/nw04011323.html
川崎・成人式問題 横浜市長「言わんとすることは、よく考える必要ある」 /神奈川
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040115-00000007-mai-l14
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んなこといったら 投稿者:鍋山 投稿日: 1月16日(金)18時30分24秒
黒目さんの きついツッコミも 殺人未遂?
noizさんの 時々むずかしい文章も 頭が痛くなるから 傷害罪?
日本の伝統文化である「らくしょ」〜トイレの落書きが 器物破損だもんね!
んで、そういう市長を選んだ川崎市民は 共同共謀正犯!
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流行りです(きっぱり) 投稿者:弱い犬 投稿日: 1月16日(金)16時39分29秒
っていうか、何処かのイナカ市長が 頓珍漢な所感を述べたぐらいでそ
んなに目くじら立てないで下さいよ。法律の専門家じゃないんだし、そう
思ったのが事実なら表明内容が頓珍漢でも別に いいんじゃないですか(ヘラヘラ
っていうか うちの市長がお騒がせして申し訳ございません…(おいら
が住んでいるらしい高津区はどうやら川崎市ですた)
っていうか、流行に敏感な湘南ボーイ(詐称)のオイラとしては、阿部市
長が公衆の面前に姿を現す事は猥褻物陳列罪ではないか?と思いますけどねw
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んなこといったら 投稿者:黒目 投稿日: 1月16日(金)10時22分48秒
「挨拶文を投げつける」のだって殺人未遂だよな(w
あたって死んだらどうするんだ、つって(w
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>演台に)土足で上がるのは器物損壊ではないか 投稿者:noiz 投稿日: 1月16日(金)01時39分24秒
なんか最近、こーゆうの流行り トいない!一体どうお考えですか!」
小泉 「バナナに皮があるのは当然じゃないですか」
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性格が予想より 投稿者:現政研 投稿日:12月18日(木)20 棯。こういう事 -------- つのじ 投稿日: 3月 2日( コ器を 活定的証拠なんだ ニ;qhP