四トロ同窓会三次会 2002年5月20日〜26日
書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
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ああ、こっちの方が適切かも 投稿者:黒目 投稿日: 5月23日(木)00時14分02秒
大別すれば、政治における《真実》には3つの場合がある。
その1は、真実でなければならぬ重要事なため、全党派の協力によって、それが真偽不明であれ虚偽であれ、あちこちから支えられ、はやしたてられて真実へまで強められてしまうもの。
その2は、本来どうでもよいこと、例えば、歩きだすのに左足からはじめるべきか、右足からはじめるべきかといったことが、或る党派の支配確立のため、どちらかのみが真実とされてしまうこと。
その3は、反対派であるがために、つねに真実の影を追うことによって、架空の真実をついに標的のように、眼前の小さな円い空間に認めてしまうこと。つまり反対のための真実である。
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埴谷雄高 投稿者:黒目 投稿日: 5月23日(木)00時05分08秒
我々、自称「革命的左翼」の類は、例えば丸山真男とかを「戦後民主主義の限界」などとせせら笑ったりしがちですが、実のところ、丸山の問題意識の水準にまでも手が届いていない、などという事がありがちです。埴谷雄高をちょっと引いておきましょうか。
政治の目的がひたすら権力の維持と奪取にあって、それ以外になんらの目的ももたないことを私たちは知っている。さて、権力の維持は階級性の上に立っているが、権力の奪取がなお階級性に立脚して行われ、しかもなお、その奪取者が自らを変革者と呼ぶときは、そこに単なる僭称があるのではなくして、腹立たしい悲劇があるのだといえる。腹立たしいというのは、そこになお私達の悪徳の根源である階級制が不動の基本としてあるからであり、悲劇というのは、そこになお黒い死があって、しかもその暗い死が明るい死とされているからである。
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スターリン主義 投稿者:黒目 投稿日: 5月22日(水)21時51分27秒
「スターリン主義」という言葉の定義が問題になっている状況で、「スターリン主義という言葉が一切でてこない文章」から「スターリン主義とはどういうものか」ということを読み取る、というのは、具体的にどういう事を指しているのか、理解しかねます。
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2つの内ゲバについて 投稿者:黒目 投稿日: 5月22日(水)21時47分00秒
まず、この2つの内ゲバの性格がそもそも同じものであるとみなしうるか、否か、という問題がありましょう。中核の4トロに対するテロは、一方が暗殺の手段を持ち、一方が報復殺人をしない、という前提でなされたものであり、また、これは戦争の実績を積んできた内ゲバ党派が、その軍事的力量を大衆運動をコントロールするために発動した、という異様な事態、そのことに対して、広範な大衆運動が形成されえた、というものです。
革マルが本多氏を殺して、裏から仕掛けた停戦工作、「殺し逃げ」を期待した工作とは、根本的に異なって然るべきである。
また、この文面は革マルの高知聡が手を回した作文であることは明らかになっており、この文面から、埴谷雄高の思想を読み取ろうなどというのは、共産党の綱領を読んで、不破哲三の思想を読み取ろうとするに等しい愚行であると思います。
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どうも 投稿者:Giya 投稿日: 5月22日(水)20時10分11秒
まっぺんさん。こちらへの私の文章の掲示ありがとうございます。
これからも、内ゲバ問題について深めていきましょう。
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学ぶべき教訓 投稿者:せみまる 投稿日: 5月22日(水)19時44分08秒
(1)内ゲバを許さない態度を行動で実行してゆくべきである
内ゲバ当事者の「善意」に期待した「仲裁」や「中止のおねがい」ではなく、実力によって内ゲバを阻止し、内ゲバ主義党派を排除するための実効性ある集団的手段が必要である。
(2)運動の主体は党派ではなく大衆であることの再確認
しかし、それは大衆的におこなうべきであり、党派が代行的に行なうべきではない。代行的に武装激突した場合、それは結局「党派対党派」の内ゲバの様相を体することになる。
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「提言」と「声明」の比較2 投稿者:せみまる 投稿日: 5月22日(水)19時33分32秒
(4)背景となる事件との関連
「提言」は1975年6月に出されたが、同年3月には中核派本多書記長が暗殺され、直後に革マル派が一方的な「内ゲバ停止宣言」を行っている。革マル派の立場から考えるなら「大きなポイントをかせいだ今が勝ち逃げのチャンス」なのであり、以後、中核派からの反撃を避けたい時であった。「提言」は、この革マル派の意図を援助する役割を果たしており、中核派にとっては到底受け入れられるものではなかった。
「声明」は中核派が一方的に第四インター派を襲撃したことに対する批判であり、「提言」のような「かけひき」や「政治利用」の余地はまったくない。もちろん、この声明は一方的に第四インター派側に有利なものとなっているが、それは第四インター派が「内ゲバ」そのものに反対しているからであって何ら「謀略的な党派利益」に結び付いているわけではない。第四インター派の態度の方が大衆運動の利益に合致していた事が第四インター派を有利にしたのである。
(5)主体的な立場のちがい
「提言」は、革マル派の一方的「停止宣言」を「決定的ともいえる好機」「急速に解決にむかう可能性」と絶賛し、内ゲバ党派の「善意」への期待に基づいて内ゲバ停止を勧告しているわけである。これは「どうすれば内ゲバをなくす事ができるか」という主体的な立場ではなく「第三者」的立場からの提言である。また一連の事件全体についての分析を踏まえていないために、主観的「公平さ」と客観的な中核派に対する不公平さとの矛盾にも気付いていない。
「声明」は「〜とともに、運動内部での排他的なイデオロギーによる支配にも反対する」「運動上の意見や方針の相違を、物理的暴力、とくに肉体的な抹殺や、それを背景とした脅迫によって解決しようとするような行為は、運動の基本原則とまったく無縁であり〜」と、全ての内ゲバへの批判となっており、停止を勧告しているのではなく、内ゲバと決別する自分の立場を宣言している。そしてそれは多くの賛同者によって実行されていった。
(6)実効性のちがい
「提言」は結局失敗に終わった。その理由はその主体が文筆活動を中心とする文字通りの「知識人」に限られていたからでもあるが、「党派の善意」に期待した「仲裁」でしかなかったからでもある。また「大穴を当てて勝ち逃げしたい」革マル派の企図に沿った提言であったために中核派の説得に失敗したからである。又そもそも、仮に一定の「世論的圧力」のもとに仲裁が成功したとしても、それは一時的なものでしかあり得ず、「党派の都合による停止宣言」への迎合では、今後また「党派の都合による内ゲバ戦の再開」があっても阻止できない。「提言」は失敗する運命にあったのである。
第四インター派は「声明」への賛同を中核派に対する「大衆的党派闘争」として目的意識的に精力的に働きかけた。「声明」の署名者の中には多くの労働組合、農民運動団体、大衆運動団体、政治党派などの代表者や活動家、それに国会議員や多くの地方議会の議員も含まれており、それらの人々が単に内ゲバ反対声明に署名するだけではなく、それぞれが関わっている運動内部で「内ゲバをおこなう党派・団体との決別」を働きかけていった。この結果、中核派はやがて多くの大衆運動団体との共闘を拒否され、多くの有識人支持者を失い、とりわけ悪質スパイ作家=宮崎学との決別後は、わずかに残った「100万人署名」運動でも、困難を強いられている。
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「提言」と「声明」の比較 投稿者:せみまる 投稿日: 5月22日(水)19時32分41秒
以下は内ゲバ研究会で「せみまる」が提出した文書です。
埴谷雄高氏らの文化人が出した「革共同両派への提言」と中核派の第四インター襲撃に対する348名の声明を比較したものです。
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(1)「内ゲバ」の定義のちがい
「提言」が出されたのは革共同両派の内ゲバ戦が激化し、とくに死者が増加した事によっている。「提言」の中で両派の死者数を数え上げ、「本来の党派闘争の闘い方にもどすこと」を提言している。「提言」の(2)には「相互の思想闘争、運動上での競争によって、その正当性を人民大衆に理解させてゆくという方向」が提案されており、これを「労働者民主主義の提案」と解釈できなくもないが、あいまいである。はっきり提案されているのは「殺し合いの停止、襲撃の停止」までであり、たとえば早稲田大学における革マル派の暴力的一元支配などにはまったく言及していない。内ゲバを単に現象的にとらえているだけである。
「声明」では「運動内部での排他的なイデオロギーによる支配」に反対し「物理的暴力、とくに肉体的抹殺」だけでなく「それを背景とした脅迫」に対しても非難している。現象的な面に止まるのではなく、労働者民主主義の観点から「内ゲバ」の本質を批判している。
(2)仲裁か、対決か
「提言」は両党派を「既成左翼にかわって、真実、労働者階級の利益を代表する党派」と持ち上げ、「その本来の闘いにとりくむべきであると考える」と提案する。したがって、両派に対して「仲裁する」ことを目的としたものであったと言える。しかし仲裁とは、両者の意志を尊重しなければ成り立たないものであるが、「提言」はその「前提」すら踏まえられていない。後に述べるように「提言」は「革マル派の意志だけ」を尊重しており、そこに中核派を屈服させることでしか成立し得ない「仲裁」内容であった。
「声明」の場合は内ゲバを「運動の基本原則とはまったく無縁であり、人民の運動の荒廃のみか、広く一般民衆の政治不信を広げるもの」と断罪し、中核派に「強く要望する」としている。したがって「提言」よりも踏み込んだものであり、「仲裁」が目的ではなく、何ら当事者両党派の意志を尊重しているわけでもない。
(3)誰に呼びかけているのか
「提言」は「革共同両派」という特定の党派に対して直接に呼びかけたものであり、それに対する機関紙上などでの返答を求めている。呼びかけ対象に大衆一般は全く含まれていない。
「声明」にはいっさい党派名は書かれていないが後半部分で明らかに中核派に対して「強く要望する」と言っている。しかし、何の返答も期待しているわけではない。また声明全体の印象としては「党派への呼びかけ」というより「宣言文」的なものであり、「われわれは〜反対する」というように署名者自身の「大衆に向けた態度表明」というべきものである。
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ブントの内ゲバ的思考4 投稿者:まっぴょん 投稿日: 5月22日(水)19時25分05秒
かつてのSENKI派は、大衆的実力闘争やゲリラ・パルチザン戦闘などの非合法活動を繰り広げてきました。パラダイム・チェンジした彼らは、どうやら法律を自分たちの価値基準にするようになったようです。しかしそうであるならば、ロフトプラスワンでの暴行なども明らかな犯罪であり、自ら法の裁きを受けるべきではないでしょうか。
吉沢氏は、女性の自由意志による売買春と、女性の意志を踏みにじるレイプとを同列に置いて論じています。かつて、ホテルの部屋で男性客からナイフで脅されたホテトル嬢が、身を守るためにナイフを奪い取り、結果的に男性を刺殺してしまった事件が池袋でありました。東京高裁は彼女の正当防衛を認めず、「被告人が売春のために本件ホテルに赴いたことにもその原因がないわけでなく」として彼女に有罪判決を下しました。吉沢氏の発想は、この不当判決と同じスタンスに立つものです。
吉沢氏の文章の横には、私が女装した写真が添えられています。その写真はそもそも、トランスジェンダーに興味を持った私が、少しでもそれを自分で体感しようと、ある女装スポットで行ったものです。その女装スポットのホームページ上にアップされた写真を、SENKI派は著作権を侵害して転載しているのです。私の女装写真について、文章ではなにひとつ触れられていません。一般に存在する女装者に対する偏見におもねって、私を傷つけられると考えたのでしょう。これはとても、改革者の態度であるとは思えません。
自分にとって異質な存在は理屈抜きで攻撃するというこの態度。山岳アジトで指輪をしていたと言って、死に至るまでの総括を要求した連合赤軍に通底したものを私はここに感じます。
エロライターである私が、真面目な口調で反戦を語ったり、三里塚の現闘時代のことを語るのを、「反戦の叫びを嘘にしている」と吉沢氏は批判します。しかし例えば、人を笑わせるのが仕事のコメディアンが、時には真面目な口調で政治のことを語ったり、過去の戦争体験を語ってはいけないのでしょうか? 「タダのコメディアンではないのだと、差異をつけたがっているのである」などと吉沢氏は揶揄するのでしょうか? コメディアンでなくとも、ごく普通の市民は、ふだんは冗談を言ったり、時には空騒ぎをしてすごすこともあるものです。吉沢氏の主張は、市民が運動に参加することを否定するものです。これが徹底していけば、規律に服した兵士だけが政治について語る資格があるという、連合赤軍の思考に行き着いていくでしょう。
市民運動への転身を装うSENKI派にさえ、明確に内ゲバ主義的な思考は息づいているのです。内ゲバ主義との対決は、いまだ今日的な課題です。
http://www1.jca.apc.org/aml/200205/27979.html
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ブントの内ゲバ的思考3 投稿者:まっぴょん 投稿日: 5月22日(水)19時23分39秒
吉沢氏は、私がSENKI派を離脱したことを「逃亡」と呼んでいます。私は離脱の際に荒氏とも話していますし、三里塚担当の政治局員とは何度も話をし、お互いに納得の上で離脱をしています。どんな離脱の仕方であろうと組織を離れることは逃亡だというのも、内ゲバ党派に固有の発想でしょう。SENKI派では脱退は自由とされていましたが、その当然の権利を行使すれば、結局「逃亡」と呼ばれてしまうのです。
つけ加えて言えば、もし仮に私の離脱の仕方が実際に逃亡に近いものであったとしても、非難されるいわれはないと思います。人は自分の望まない状況から、逃亡する権利があります。内ゲバはしないと言いながら自分たちより小さな組織には暴行を振るい、共闘者である反対同盟の会議を盗聴するような組織から逃亡したとしても、それは当然のことです。
事実に基づかない誹謗中傷でつじつまが合わなくなった吉沢氏は、私に「頭がイカれている」という悪罵を投げかけています。言うまでもなくこれは、一般に存在する精神障害者に対する差別におもねって、私をおとしめようとするものです。明確な精神障害者に対する差別です。革マル派が中核派を「パラノイア」と呼んでいたことを、思い起こさせるものです。
「パラダイム・チェンジ」を唱え、自分たちは左翼ではなく市民運動、NGOだと言うSENKI派ですが、内ゲバ主義的な発想は根本に生きているのです。
自分に理解できない
異質なものを排斥する体質
吉沢氏による「『良心的な乱交パーティ』大好きストーカー小林義也の昼の顔と夜の顔」には、私が乱交パーティやSMクラブ、援助交際クラブなどに出入りしていることを、腐敗だと指弾しています。私の職業はエロライターです。私は、現場に行かずに現場のことを語る、今井氏のような特殊能力の持ち主ではありません。そのような場に行かずに、文章を書いているとしたら、そのことのほうが指弾されるべきです。
「フードル」という言葉の意味まで知っている吉沢氏ですが、私が記事を書いているような成人向け雑誌を、今まで一度も見たことがないとでも言うのでしょうか? エロ文化を一方では享受しながらエロライターの仕事を腐敗だというのは、調理済みの肉を食べながら屠殺人を残酷だと指弾するのと同じ事でしょう。
吉沢氏は「これは売春である。その斡旋もれっきとした犯罪行為だ」と書いています。「人はどこまでも自由であるべきだ。ただし、他者の自由も尊重しなければならない」が、私のポリシーです。男女が自分の意志で、乱交パーティやSMサロンに集ったり、金銭を媒介にして性的なサービスを与えることは個人の自由であると私は考えます。売春防止法などをもって、国家がこれに介入してくるのは不当なことです。
私のポリシーから言って、他者の意志によってその場に連れてこられ、行為を強制されている者がいるのだとしたら、それには断固反対します。その場合に、売春防止法の存在は障害以外の何ものでもありません。個々人の自由意志による営みまでが売春防止法によって犯罪というダークゾーンに置かれているために、その中で受けた被害を訴えることができにくいという状況があるのです。
セックスワークを合法化すべきだという論議は、ここ数年、フェミニストたちの間でも盛んに行われてきました。現在では、セックスワークに関わる者の自己決定権が尊重されるべきで、売春防止法は不当だという意見が多く聞かれます。少数ながら、やはり法律で規制すべきだという声もあります。しかしその場合は、女性の側が処罰される現行の売春防止法は不当だ、買う男性の方を処罰すべきだという主張です。現行の売春防止法に拠って立ち「売春は犯罪だ」と主張する吉沢氏は、明確に女性を差別しています。
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ブントの内ゲバ的思考2 投稿者:まっぴょん 投稿日: 5月22日(水)19時22分01秒
自分たちに都合の悪い人物を
根拠なく「スパイの手先」と呼ぶ
私や、共同声明の賛同人のひとりである李英和氏に対して、SENKI派は「スパイの手先」と決めつけています。
李氏は関西大学の助教授で、在日外国人の参政権を求める運動(在日党)や、北朝鮮の民主化を求める運動(RENK)を続けている方です。その李氏が、韓国案企部(KCIA)の手先だと、SENKI派はいうのです。もちろんこれは、まったくあり得ない話です。その根拠とされているのは、元赤軍派議長の塩見孝也氏がそう言っているからだということです。しかしこれは、塩見氏自身がそのようなことは言っていないと否定しています。
私はSENKI派として活動していた11年間のうち、のべ5年以上を三里塚の現闘団としてすごしました。私がSENKI派を離れたあと、SENKI派による盗聴によって、熱田派の当時の菅沢事務局長が空港公団や警察と密通していたことが明らかになりました。
現闘団だった頃に、私はこの菅沢に同調するスパイの手先であったと、SENKI派は繰り返し主張しています。その根拠とされているのは、私が菅沢の担当だったことのようです。
吉沢明氏による「『良心的な乱交パーティ』大好きストーカー小林義也の昼の顔と夜の顔」(http://www.bund.org/opinion/loft9.htm)という文章には次のように書かれています。「小林が菅沢を擁護し、相川勝重や石毛博道などのいわゆる青行路線を支持したことから他の現闘メンバーから批判され、挙げ句の果てに二期決戦から逃亡した」
空港用地外の千代田学区と、用地内にかかる東峰地区の担当だった私は、相川勝重氏の担当でもありました。言うまでもなくこれは、組織で決定された任務として行っていたことです。また88年の芝山町議会選挙の時に、私は石毛博道氏の選挙対策事務局に入りました。石毛氏の選挙は当時のSENKI派にとっては、組織上げての応援でした。SENKI派の中央にいた吉沢氏が、そのことを知らないとでもいうのでしょうか? そんなことも知らずに、中央が三里塚闘争を指導していたなどと主張するのでしょうか? 組織の任務で行っていたことをもって、私がスパイの手先であったという根拠にしているのですから、これほど荒唐無稽なことはありません。
また、吉沢氏が私をスパイの手先とする論拠として上げているのは、SENKI派メンバーの今井俊政氏の文章です。今井氏は現在、三里塚の現闘団長だそうですが、当時の三里塚の現地闘争には関係のなかった人物です。現場にいなかった者に現場のことを語らせ、それを証拠とするなど、SENKI派は冤罪でっち上げ常習の警察と同じようなことをしているのです。
吉沢氏は、私が「『話し合いでの解決』と空港公団とほとんど同じことを言っていた」と主張します。しかしそれが本当なら、敵と同じ主張を行う私にどうして、SENKI派は機関紙「戦旗」に三里塚からの報告記事を最も多く書かせていたのでしょう? 87年秋の三里塚における総決起集会において、約3千名の参加者の前で発言させたのはどうしてでしょう? SENKI派の理論誌「理論戦線」に、繰り返し論文を書かせていたのはなぜでしょう? SENKI派を離脱する半年前には、吉沢氏から直接に執筆の依頼を受けたこともあるのです。組織を離れる意志を荒岱介氏に告げると、「支度金を用意するから」「現闘が辛いなら本部に来てくれ」などと慰留されました。敵と同じ主張を私がしているのだったら、なぜそんな懇願が必要だったのでしょう。
自分の意志に従わない者を粛清・虐殺したスターリンは、その党員の過去の行為まで改竄しました。それと同じ事を、SENKI派は行っているのです。
SENKI派は正当な根拠なく、私や李英和氏を「スパイの手先」と決めつけています。自分にとって都合の悪い政敵を「スパイの手先」として断罪することは、スターリン時代から始まり、日本の新左翼内の内ゲバや、連合赤軍の内部粛清でも行われてきたことです。最近の例で言えば、中核派が機関誌「前進」2043号(2002年3月4日)で、30年に渡って反軍運動を作り出してきた小西誠氏を「権力の手先」と決めつけています。もちろんこれも、なんの根拠もないものです。小西氏による中核派批判が彼らに打撃を与えてしまったために、それを何とか繕おうとしているにすぎません。
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ブントの内ゲバ的思考 投稿者:まっぴょん 投稿日: 5月22日(水)19時20分13秒
amlからの転載です。18日の「内ゲバ研究会」に提出された資料です。
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市民運動への転身を装うSENKI派(自称・ブント)に見る内ゲバ的思考
−−批判者をスパイの手先と呼ぶ吉沢論文の分析−−
小林義也
現代における内ゲバを考えるときに、新宿のトーク居酒屋『ロフトプラスワン』(http://www.loft-prj.co.jp/)で起きた、SENKI派(自称・ブント)による3度に渡る暴行について、避けて通るわけには行かないと私は考えます。この事件は、SENKI派への批判を行った佐藤悟志氏に、SENKI派のメンバーが集団で暴行を加えたものです。
確かにこれは、組織対組織の暴力的対立ではなく、個人に対して組織が計画的に暴力を振るったものです。この事件そのものは内ゲバと呼ばれる性質のものではなく、むしろ内ゲバよりも悪質なものでしょう。しかし、内ゲバを恒常的に行ってきた党派が、一方では自分たちの支配する学園内部で、学生個人に対する暴力的恫喝を行ってきた事実を考えてみれば、ロフトプラスワン襲撃事件も内ゲバとまったく無縁なものとは言い切れません。内ゲバ党派のうちの最大のふたつが現在内ゲバを停止していると言われていますが、それらが今後は個人への暴力支配だけ残していくことも考えられます。この側面への研究はもっと深められるべきだと思います。その意味で、SENKI派のありかたは貴重な材料になるものです。
内ゲバ的思考を持つ党派が
個人への暴力へ傾斜する時
ロフトプラスワンでの暴行に対して、私は多くの仲間たちとともに「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」(http://www.t3.rim.or.jp/~punsuka/)を発表しました。さらに私は、共同声明の総括パンフレット「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明・全記録」(http://www.t3.rim.or.jp/~punsuka/zenkiroku.html)の発行に際して、70年代の後半から80年代のほとんどをSENKI派の活動家として過ごしてきたという立場から「三里塚の大地に跪きながら」(http://www.t3.rim.or.jp/~punsuka/sandou-kobayashi.html)という文章を記しました。内ゲバを回避するという名目で中核派に対して自己批判したSENKI派が、自分たちより小さな集団にはゲバルトを行使していた事実、組織からの離脱者への暴力行使が総会で決定された事実、などを私は明らかにしました。
これに対してSENKI派は現在、自分たちのウェブサイト(http://www.bund.org/)に私への反論を載せています。その他、ロフトプラスワンでの暴行事件をごまかそうとする文章は、彼らにとっては「人権を守る闘い」になるようです。それらの文章は、内ゲバ的な体質を持ったセクトが個人への暴力に傾斜していった時にどうなるかという、格好の研究材料となるものです。
それらの文章の特徴はまず第一に、事実に基づいた批判がされていないということです。佐藤氏への暴行に関しても、彼のほうから手を出したというまるっきりの嘘が書かれています。これはすでに「襲撃の事実をねじ曲げる『ブント』の宣伝に反論します」(http://www.t3.rim.or.jp/~punsuka/hanron.html)で逐一反論されています。彼は殴られた後にさえ手を出してはいません。それは、現場にいたSENKI派のメンバー自身が知っているはずのことです。
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いずれ消します。 投稿者:せみまる 投稿日: 5月22日(水)13時32分25秒
とりあえずさらしときましょー\(^o^)/
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どうしてこうも涌いてくるのかねえ 投稿者:TAMO2@反共二割 投稿日: 5月22日(水)11時49分42秒
せめて、もっと笑える内容を書くべし。
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テーゼに反対 投稿者:名無しの反共 投稿日: 5月22日(水)08時23分31秒
管理人削除
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参考資料・ふたつの「反内ゲバ声明」 投稿者:せみまる 投稿日: 5月20日(月)12時07分22秒
●革共同両派への提言(1975年6月27日)
一、六月一九日また一人の死者が出てしまった。彼は、二二歳の真面目な全逓の組合活動家だったという。革マル派は、六月四日の大阪での三人の死者をだした襲撃事件と同様に、これを警察権力の謀略であると発表したという。私達はその真実を確かめるためのことをやってはいないので、そのように断定はできない。だかしかし、これら一連の殺人事件でほくそえんでいるのは誰れであるのかということだけは明確であると思う。
ところで、この革共同両派―革マル派と中核派―のいわゆる「内ゲバ」は今、ひとつの転機を迎えているといえる。三月以来、死者が十三名という「一見激化の一途をたどっているかに見え、私達のみるところその内訳は中核派一名、革マル派系十二名であるが、革マル派は三月下旬以後、「同様の形態での応酬は、その権利を一時留保する」という態度を堅持していると、現時点で判断しうることもあり、さらに、中核派が同様の態度をうちだすことで事態は急速に解決にむかう可能性をはらんでいるといえる。
もちろん事態はそう簡単ではないとも憂慮するわけであるが、この五年間にわたる事態を考えると、決定的ともいえる好機にまちがいはないと思います。今こそ、この機会をのがすべきではないと考える。
二、(前略)体制内化した既成左翼にかわって、真実、労働者階級の利益を代表する党派がとりくむべき課題は山積みとなっている。かかる重大な時を思えば、今日の革共同両派の「内ゲバ」的形態での闘いはただちに中止し、その本来の闘いにとりくむべきであると考える。三、したがって以下のことを両派に提言する。
(1) 革マル派は三月下旬に明らかにした「直対応的な応酬は一時その権利を留保する」「同じ土俵に入らない」等々の態度を今後とも貫き通すこと。そして中核派は「黒田、松崎、土門に死刑を」とか「一人のこらず完全セン滅する」とかいう主張をやめ、ただちに攻撃的なテロルを中止すること。とくに既成左翼に抗して、春闘などを懸命に闘っている貴重な労働組合員を襲うなどという行為は絶対にすべきではない。
(2) 両派の闘いを、本来の党派間の闘い方にもどすこと。つまり、相互の思想闘争、運動上での競争によって、その正当性を人民大衆に理解させてゆくという方向に転換することである。
(3) したがって、それぞれは今日の世界的、国内的情勢に関する認識を明らかにし、どのように大衆運動を展開するのかの方針をまずもって明確にうちだしてほしい。そのうえで、それぞれの批判を説得的に明らかにしてもらいたい。
以上の点について、両派は機関紙上などで、態度を発表してくれるよう強く希望する。
四、(略)
発起人(五十音順)
秋山清 井上光晴 色川大吉 遠藤忠夫 久野収 対馬忠行 中井英夫 中村宏 埴谷雄高 平野謙 藤本進治 もののべながおき (※注 後で大屋史郎も参加)
賛成人(五十音順)
石井恭二 石堂清倫 白井健三郎 鈴木市蔵 関根弘 田中吉六 中野重治 西田勲 森本司郎 丸山邦男 吉留路樹
●声明(1984年3月7日)
一、一月九、十日におこされた三里塚闘争にかかわる活動家への暴力による襲撃事件にわれわれは衝撃を受け、このような事件の再発を深く憂慮する。
一、万人の自由と平等をめざし、平和を希求するわれわれは、物的利益主眼の権力政治に反対するとともに、運動内部での排他的なイデオロギーによる支配にも反対する。
一、運動上の意見や方針の相違を、物理的暴力、とくに肉体的な抹殺や、それを背景とした脅迫によって解決しようとするような行為は、運動の基本原則とまったく無縁であり、人民の運動の荒廃のみか、広く民衆一般の政治不信を広げるものと憂慮するわれわれは、このような行為が二度と起こされぬよう、強く要望する。
一、今回の不幸な事件を契機に、対立する二つの反対同盟の農民が、話し合いをもち、万人の共感を得られるはずの三里塚闘争の大義において一致されるよう、心から希求する。(以下348名の賛同者名)
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>研究会 投稿者:まっぴょん 投稿日: 5月20日(月)10時56分01秒
今回は葉寺さんがきっと詳しく知っている事件が出てきましたよ〜。
「日中友好協会(正統)」についてのはなしとか、
善隣会館内ゲバ事件のこととか。\(^o^)/
葉寺さんのはなしもききたかったなぁ・・・
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