四トロ同窓会三次会 2002年2月25日〜28日

書き込み自由です。二次会に飽きた方はどうぞこちらへ\(^o^)
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「民主主義」のこと・3:問題の背景 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月27日(水)00時42分20秒

 新左翼運動がもっぱら学生運動を基盤に展開されたのは、日本の特徴のひとつでございました。闘う行動原理としての民主主義は、労働運動にとっては50年のレッドパージで終ったのに対し、学生運動はこの闘いで「赤色教授」を(一人を除き)追放から守って勝利し、その成果を行動力として、日本共産党50年分裂の負の遺産を乗り越え50年代後半「第2期黄金時代」を闘い抜きました。「戦後民主主義」は「闘う民主主義」として60年安保まで学生運動に息づいていたと存じます。労働組合や市民社会で排撃された「共産主義」が学生運動では広く受け入れられたのも、全学連の「闘う民主主義」との共感構造が成り立ったためでございましょう。「平和と民主主義、よりよき学園生活」の要求は「反戦・反帝」「社会主義」へと滑らかに連続しておりました。けれどもそれが学生運動に限定されていたことは大きな落差、社会的・運動的制約でございました。またそこでの「革命理論」の精緻化が、学生活動家特有の知的エリート意識に支えられていたことも否定できません。
 
 「層としての学生運動」といわれた全学連の大衆的戦闘性の歴史は60年安保で終ったとわたし考えます。その基盤が解体した状況で、学生共産主義者は政治展望とイデオロギーの両面で混迷に陥り、そのなかで、実践に遠い小サークルだった革共同全国委員会の「革命的マルクス主義」なる奇矯なイデオロギーが学生活動家のあいだに伝染いたします。生理的反発はあってもワクチンに当たるものは残念ながらございませんでした。
 
 60年代半ばから復活した戦闘的学生運動の行動原理は、もはや「戦後民主主義」ではなく、高度経済成長の体制秩序に変質した「民主主義」への対坑でございました。それは学費や学館をテーマとした私学の学園闘争にまず直裁に表現されました。学問と理性の府だったはずの「大学」自体がひとつの権威的秩序と捉えられたところから、全学バリケード封鎖という(60年安保にはみられなかった)闘争形態が拡大いたします。その最大の焦点となった早稲田の学費闘争で社青同解放派の掲げた「自己権力」というスローガンは、抑圧的な体制秩序に替わる別の秩序を模索する学生大衆の鮮明な意識表現となったと存じます。
 早大学費闘争の終息後も大学のバリケード封鎖は、日大と東大を軸に全国へ拡大いたします。このとき党派は大衆に乗り越えられるか、大衆意識の表現となるか、選択を迫られました。「指導性」はなにより戦術のエスカレートにおいて発揮されたのが実態であったと存じます。最大拠点となった日大・東大で党派よりも「ノンセクト」が指導的立場に立ったのは、党派の政治的指導力の限界を示すものでございました。
 
 他方、政治状況は「ベトナム戦争」を軸として世界的な激動に向かっておりました。けれども当時の新左翼政治思想には、「ベトナム」を捉えるにいくつも難点があり、65〜66年の出遅れを招きます。ベトナムの闘いは、「反帝・反スタ」理論からすれば「帝国主義とスターリン主義の代理戦争」にしかみえませんでしたし、「階級闘争」原理主義の目には「民族主義運動」と映ったことでしょう。けれども、ベトナム人民の不屈の闘い、北爆へ踏み切ったアメリカの暴虐、それに対する日本政府の荷担、革命キューバから出立したゲバラの「ふたつ、三つ、もっと多くのベトナムを!」とのアピール、そしてアメリカ本国で激化する黒人の闘い、こうした情勢は新左翼諸党派を街頭闘争へと突き動かしました。それに対する弾圧に抗して初期的な“武装”が進み、50年共産党の冒険主義以来のタブーを破って火炎瓶が「民衆の武器」本来の姿を取り戻します。「実力闘争」と呼ばれた行動形態は、「戦争」に反対する「闘い」のメッセージとして広く民衆的共感を呼び起こしました。しかしここでも諸党派は、「権力闘争の時代」を直感しながら、政治戦略と運動組織論の革新、革命思想の検討を脇に置き、日々の戦術指導と弾圧対策に追われました。中核派が見事だったのは、何よりこの戦術指導の面でございました。

 「東大安田決戦」と「70年安保決戦」は、左翼党派の政治的限界を露呈させました。戦術エスカレートの中で見失われたのは、「権力」の問題であったとわたし思います。いわゆる「内ゲバ」が本格化するのはこれ以後であったことを念頭に置きつつ、次回以降、このふたつのプロセスを「権力」問題を軸に批判的に振り返ってみたく思います。
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「民主主義」のこと・3:問題の背景 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月27日(水)00
時42分20秒

 新左翼運動がもっぱら学生運動を基盤に展開されたのは、日本の特徴のひとつでございました。闘う行動原理としての民主主義は、労働運動にとっては50年のレッドパージで終ったのに対し、学生運動はこの闘いで「赤色教授」を(一人を除き)追放から守って勝利し、その成果を行動力として、日本共産党50年分裂の負の遺産を乗り越え50年代後半「第2期黄金時代」を闘い抜きました。「戦後民主主義」は「闘う民主主義」として60年安保まで学生運動に息づいていたと存じます。労働組合や市民社会で排撃された「共産主義」が学生運動では広く受け入れられたのも、全学連の「闘う民主主義」との共感構造が成り立ったためでございましょう。「平和と民主主義、よりよき学園生活」の要求は「反戦・反帝」「社会主義」へと滑らかに連続しておりました。けれどもそれが学生運動に限定されていたことは大きな落差、社会的・運動的制約でございました。またそこでの「革命理論」の精緻化が、学生活動家特有の知的エリート意識に支えられていたことも否定できません。
 
 「層としての学生運動」といわれた全学連の大衆的戦闘性の歴史は60年安保で終ったとわたし考えます。その基盤が解体した状況で、学生共産主義者は政治展望とイデオロギーの両面で混迷に陥り、そのなかで、実践に遠い小サークルだった革共同全国委員会の「革命的マルクス主義」なる奇矯なイデオロギーが学生活動家のあいだに伝染いたします。生理的反発はあってもワクチンに当たるものは残念ながらございませんでした。
 
 60年代半ばから復活した戦闘的学生運動の行動原理は、もはや「戦後民主主義」ではなく、高度経済成長の体制秩序に変質した「民主主義」への対坑でございました。それは学費や学館をテーマとした私学の学園闘争にまず直裁に表現されました。学問と理性の府だったはずの「大学」自体がひとつの権威的秩序と捉えられたところから、全学バリケード封鎖という(60年安保にはみられなかった)闘争形態が拡大いたします。その最大の焦点となった早稲田の学費闘争で社青同解放派の掲げた「自己権力」というスローガンは、抑圧的な体制秩序に替わる別の秩序を模索する学生大衆の鮮明な意識表現となったと存じます。
 早大学費闘争の終息後も大学のバリケード封鎖は、日大と東大を軸に全国へ拡大いたします。このとき党派は大衆に乗り越えられるか、大衆意識の表現となるか、選択を迫られました。「指導性」はなにより戦術のエスカレートにおいて発揮されたのが実態であったと存じます。最大拠点となった日大・東大で党派よりも「ノンセクト」が指導的立場に立ったのは、党派の政治的指導力の限界を示すものでございました。
 
 他方、政治状況は「ベトナム戦争」を軸として世界的な激動に向かっておりました。けれども当時の新左翼政治思想には、「ベトナム」を捉えるにいくつも難点があり、65〜66年の出遅れを招きます。ベトナムの闘いは、「反帝・反スタ」理論からすれば「帝国主義とスターリン主義の代理戦争」にしかみえませんでしたし、「階級闘争」原理主義の目には「民族主義運動」と映ったことでしょう。けれども、ベトナム人民の不屈の闘い、北爆へ踏み切ったアメリカの暴虐、それに対する日本政府の荷担、革命キューバから出立したゲバラの「ふたつ、三つ、もっと多くのベトナムを!」とのアピール、そしてアメリカ本国で激化する黒人の闘い、こうした情勢は新左翼諸党派を街頭闘争へと突き動かしました。それに対する弾圧に抗して初期的な“武装”が進み、50年共産党の冒険主義以来のタブーを破って火炎瓶が「民衆の武器」本来の姿を取り戻します。「実力闘争」と呼ばれた行動形態は、「戦争」に反対する「闘い」のメッセージとして広く民衆的共感を呼び起こしました。しかしここでも諸党派は、「権力闘争の時代」を直感しながら、政治戦略と運動組織論の革新、革命思想の検討を脇に置き、日々の戦術指導と弾圧対策に追われました。中核派が見事だったのは、何よりこの戦術指導の面でございました。

 「東大安田決戦」と「70年安保決戦」は、左翼党派の政治的限界を露呈させました。戦術エスカレートの中で見失われたのは、「権力」の問題であったとわたし思います。いわゆる「内ゲバ」が本格化するのはこれ以後であったことを念頭に置きつつ、次回以降、このふたつのプロセスを「権力」問題を軸に批判的に振り返ってみたく思います。

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ユーゴスラビアのこと 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月27日(水)00時40分03秒

買ったまま行方不明になっていた岩田昌征『ユーゴスラビア−−−−衝突する歴史と抗争する文明』(NTT出版)、ようやく探し出しました。チトー、カルデリの壮大な実験の失敗から、「社会主義」をもう一度考え直す豊富な材料を引き出す必要を感じさせる内容と存じます。さもなければ、血塗られた「民族浄化」の犠牲者たちが浮かばれません。
 
 中央ヨーロッパの民族問題についての分析となれば、やはりオーストリア・マルクス主義の領分でしょうか。たしかオットー・バウアの古典的大著が翻訳されていたかと思うのですが....。

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RE:国家論 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月27日(水)00時39分05秒

>れんげさま ごめんなさい、ひとつアップするのを失念しておりました。過日の「国家論」へのレスでございます。

 「国家論」となりますと、議論のステージを整理することが肝要かと存じます。たとえば、思いつくままにあげてみましても、
 @国家の原理規定:もしくは「権力論」
 A国家の歴史規定:もしくは「国家史/国家形成」
 B国家の実体規定:もしくは「対外関係論」
などを考えることができるかと存じます。
 Aの歴史規定として「国土=領土」に着目いたしますと、多くの場合近代国家はその「領土」を近代以前の国家(絶対王政とか)からほぼそのまま引き継いでおりますね。また、B実体としての国家は、他の国家との関係でその存立様式(政体その他)を規定されてまいりましょう。先進国イギリスに対する後発国ドイツなど。
 
 価値法則という抽象理論との関係で議論できるのは、@の原理規定でございましょう。ここでは国家はひとつしかないものとモデル化され、したがって対外関係といった実体的次元の問題は捨象されます。またその土地=領土領有にしても国境という限界線はとりあえず問題になりません。わたしの議論は、あくまでこの次元のことでございます。
 
 さて、そのような原理規定の範疇で考えますとき、「結果」かどうかとのご疑念が置かれる脈絡も決まってまいりましょう。それは、歴史過程としての因果関係ではなく、論理上の因果関係でございます。『資本論』冒頭の「商品」が歴史的なものでなく論理的なものであるのと同様とお考え下さいませ。その意味で「政治国家」は「市民社会」の内部相克から外化=疎外された権力と位置付けられ、論理上は「結果」ということになるとわたし思うのですけど? 
 
>近代国民国家の成立に関してはある程度説明....

 わたしの議論は↓のとおり「近代国民国家」(資本制国家)に限定されており、しかもその「成立」を歴史的に扱うものでもございません。
 
> 資本制における“「政治」と「社会」の分裂”は、抽象理論的に申せば「価値」と「使
>用価値」の分裂=「価値法則」の貫徹の結果でございますから、その統合=止揚こそ「共
>産主義」の綱領的.... 

 「抽象理論的に申せば」とあえて限定しましたのは、以上の意味のつもりでございました。もう少し申せば、「国家」それ自体というより、“「政治」と「社会」の分裂”という事象に限定されております。その点、れんげさんのご関心とはズレていたかもわかりません。
 
 「国家論」はわたしにとりましても、汲めども尽きぬ興味の対象でございます。なんと申しましても人類は未だ「国家」より素敵なものを創ってはいないのですから(笑)。その「国家」を死滅させてしまおうというアイデア、これってものすごいですよね。(^^)/

 またよろしくお願いいたします。

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質問なんですが 投稿者:れんげ  投稿日: 2月26日(火)22時10分15秒

次の提起、といいますか(^^;
23日「国家論」のところで鬼薔薇さんに質問しっぱなしだったので、それについてお聞きしたかったんです・・・つまり、再度言い方を替えますれば、「国民経済」の形成が近代国家の成立を促す場面であれば、「価値法則」の貫徹が結果してそれにふさわしい権力の形態を生みだす、という説明づけは理解できます。しかし歴史的にも世界的にも、それだけでは説明のつかない国家のありようは(スターリニスト国家とかイスラム国家とか)どう捉えたらよいのでしょう?

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追加>れんげさま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月25日(月)22時30分13秒

>「価値法則の貫徹→国家」論の積み残しはどうしましょう?

 これはこちらで続けましょう。これ、わたしにとっては“「内ゲバ」に直接関連する話題”のつもりなのですけど、考えてみますとその「関連」をたどるのにけっこう距離があるようにも思いますので。では、れんげさんから次のご提起をお待ちします。

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しばし待ちましょうか 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月25日(月)22時12分41秒

 2次会はしばらく「小西=反革命」規定の問題で埋まりそうな雲行きでございますね。
 「まったり」っていう日本語(宮台語?)の意味、あまりピタリとは捉えかねますけど、トップギアでなくサードあたりで、という程度に理解し、議論のテンポを調整してみたく思います。
 ここで始めた議論はここで、という「分割原則」でもいいのかもしれませんね。
 
 それにしても、「反革命」規定=「身体攻撃」と直結しなければよいが、と心配してしまいます。

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また〜りいきましょう\(^o^)/ 投稿者:まっぺん  投稿日: 2月25日(月)21時15分41秒

テンポが速すぎてじっくり話ができない面もありますね〜。いちおう「議論は二次会で」「資料はりつけは三次会に」「内ゲバ以外の話題も三次会へ」と分けたつもりでしたが書き込みの総量が多くなると、それでも対処が難しくなってきます。他にも掲示板はいろいろあるのでそれぞれ有効に使いましょう。とりあえず中核派の小西批判には非常にあたまにきているので「せみまる」さんに一発かましてもらおうかと思ってるです!\(^o^)

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二次会へ>鬼薔薇さま>まっぺんさま 投稿者:れんげ  投稿日: 2月25日(月)20時08分24秒

とりあえずコメントを書いてきましたが、「価値法則の貫徹→国家」論の積み残しはどうしましょう?私は「内ゲバ」に直接に関連する話題は二次会のほうで、それ以外の議論は三次会で、と勝手にたて分けていたのですが。なにしろあちらは流れが速くて、気になる論述に言及するためには何枚もページをめくらなければなりません。
こちらは肩の凝らない意見・情報交換で、あちらは硬質の議論の場、としたほうがよいのでしょうか?

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アメリカも、 投稿者:臨夏  投稿日: 2月25日(月)01時05分09秒

知的伝統は、ものすごい、と聞いております。
鬼薔薇さま>
ジェイムソンなんか、まだまだ氷山の一角やとか。
地理学の中心もアメリカらしいですし。
ポスト構造主義時代が、ヨーロッパ中心の最後の時代やったんでしょうか。
でも、最近のヨーロッパ見てると、活気が戻ってきてる気もしますが。

ちゅうか、これからは、どこが中心というわけでなく、世界中が全体さかえ、
その上を、ノマドのように、中心点、結節点が移動・流浪していくのでしょうか。
アジアや第三世界も、もりあがってきましたしね。

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2次会移動の前に 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月25日(月)00時47分32秒

>れんげさま すばやいレス! お気持ちがよく伝わってくる内容に思いました。
 
 まず進め方ですけど、おしゃるように2次会へ移ることといたしましょう。ご覧かと思いますけど越貴来 翔さんがあなたの提起された問題とたぶん重なると思う内容でご発言ですから、あちらでのほうがお話が多角化すると思いますし、「長いものは3次会、意見は2次会で」というのがたしか管理人さんの方針と思いますし。でしたよね?>管理人さん
 
 それからね、
 
>街頭で石っころを握ったこともない若造が、生意気なことを申しました。

 こういうのはナシにいたしません? 大学教授でも高校生でもホームレスでも、「社会的地位」や年齢など関係なく平等・対等に議論できるのがネットの特性、責任はただ発言の内容だけにかかっているとわたし考えて参加しておりますので。わたし、あなたのご年齢やご経験など斟酌せずに対質させていただきたく思っておりますので、よろしくどうぞ。
 
 それで、お引越し前にいくつか。
 
 まずユーゴのこと。現地へいらしたのね。それは大変なご経験。そうですか、ザグレブは戦禍に合わずにすんだのでしたか。わたし、どんだ無知をさらしてしまって(^^;
 
>に日本左翼(既存を含む)のなかに、とりわけ「人権」についての感覚が乏しかったこと
>が様々な運動の退廃を生みだす根拠になってしまったのではないか、ということなのです。

 ご指摘のとおりと思います。問題は日本社会そのものに乏しかったこと、左翼もまたそれを反映していたということでしょう。では、「人権」感覚というものを育む契機をこの日本社会のどこにどのように見つけて行くのか、左翼なら左翼運動としてそれをどう価値付け、運動として具体化するかということになりましょう。
 それを今後の課題と考えたとき、従来の左翼イデオロギーはどう批判されるかですね。その点、左翼に共通する「非合法主義」が明らかにマイナスだったこと、ご指摘に賛成ですし、ご発言でその点についての視点をはっきりさせていただいたと感じます。
 
>人間的なものが冒涜されるときの怒りの行動は正当です。行使される「暴力」の質はここ
>にかかるべきだと思います。私がこの場でおそらく多くの人とズレているのは、それを
>「プロレタリア」という形容詞と結び付けようとしないところでしょう。

 視点は違うでしょうけど、わたしも「プロレタリア」という形容詞の使用をためらっていること、おわかりでした? その意味ではわたしとあなた、それぞれにこの場で少数派かもわかりませんね(笑)。で、その視点の違いは、次のところかと存じます。

>先の国家論で言えば「階級対立の非和解性」を措定するか否かが大きな議論の分かれ目に
>なろうかと思います。非和解性をあらかじめ措定しておけば、暴力の出番を計算しておく
>ことになります。計算された暴力には腐敗が忍び込む、というのが私の捉えかたなのです
>が。

 前半は原理の問題、後段は戦略の実践問題。そのふたつをあなたはあまりに直接に結び付けすぎておられる、というのが印象でございます。それは、「階級」を実体論的に捉える傾向(滝口テーゼなど)と、ある意味共通しているように思うのですが、いかがでしょうか?
 わたし、「プロレタリア」という形容詞をためらうことなく使える地点を探ろうと考えてあれこれ模索しているところなのでございます。
 
 では、続きは「2次会」で。(^^)

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アメリカも>川魚さま 投稿者:鬼薔薇  投稿日: 2月25日(月)00時44分06秒

 ヨーロッパに劣らずなかなかですよ。
 レオ・ヒューバマンとともに『マンスリー・レビュー』を主宰していたポール・スゥィージーの『歴史としての現代』という本(訳、岩波)は、「すべての歴史は現代史である」とバッサリ述べていて、目ウロコでございました。まだ純情可憐な高校生だったから、というわけでもございませんでしょう(笑)。

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