四トロ同窓会二次会 2006年4月1日〜8日------------------------------------------------------------------------
ひどいじゃないか! 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 8日(土)21時44分27秒 引用
改憲派さん。せっかくの議論が台無しじゃないですか。全部消しちゃって。訳が分からなくなるよ。
一度ここで交わされた議論は、投稿者だけでなく、それなりに読者にとっても価値をもつものです。
とりあえず三次会の僕たちの議論についてはデータ公開しておきます。勿体ないよ。
なお、「対権力関係」で用心しているなら、そんなに心配しなくてもいいですよ。
串通してるじゃん。
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Re:業務連絡 投稿者:改憲派 投稿日: 4月 8日(土)21時02分37秒 引用
失礼しました。今までの投稿をもう一度削除します。
その後は書き込みしません。
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続々東トルキスタン問題。 投稿者:倉知某 投稿日: 4月 8日(土)18時06分13秒
引用
三浦小太郎様
>「現在の東トルキスタン亡命政府や独立運動には様々な問題もあると思いますし、また最近ちょっと扇情的過ぎる報道が多い気がしますので、まあ私としては冷静に語ってみたつもりです。
「諸君」今月号に、尊敬する水谷尚子氏の、独立運動家ラビア・カデイールへの優れたインタビューが載っています。こちらも手にとってみる事をおすすめします。」<
私も読みましたが、民族の自決と独立、その国土の問題は、あのパレスチナとユダヤの問題のごとく、最近はクルドとトルコ・セム・ペルシャとどこが民族の固有の根拠地なのを定めるかは、その時代をいつに仕切るかによってとても難しいですわね・・・。
私に友人に中国人の日本の学校の先生がいますが、その人の話では(新疆ウイグル)あの地域は、今はウイグル人の土地となっておりますが、西暦840年に蒙古高言の都斤山(ウトケン山)の西南カラバルガズンの地(今のウランバートル)を根拠としていた九姓鉄勒(ウイグル)が、北方の
森林の民、アンガラ川(エニセイ川の上流、バイカル湖北方の地)のキルギス族の猛襲を受けて四散、アルタイ山脈をこえて、その数10万人の部族が、唐朝の西域節度使の亀茲(クチャ)高昌(トルハン)伊州(ハミ)に大挙亡命した。もともと漢民族の王朝の地にウイグルが逃げ込んできたと言うのである。
ならば唐朝の前は、どの部族の根拠地かと言えば、イシククリ湖な西方の砕葉城(スイヤーブ、現在のフルーゼ当たりか?)を首都とした西突厥(トルコ)の領有地である。トルコ人の制圧し、漢人の唐王朝が支配権を得て、この地に大量のモンゴル人のウイグルが入り込んで来た。
その前と言えば、鳥孫(アーリア系)の土地であり、この支配権を得ていた匈奴(トルコ?モンゴル?)を討滅して、漢王朝が西域都護を置いて、この鳥孫を入貢させ属国としていたことからも、歴史的に見るかぎりにおいては、18世紀に満州族の清王朝の乾隆帝が遠征し、準部(ジュンガル部族)を討ち、この地を中国領土とした(新疆ウイグル)地区、決してウイグル人の固有の土地とも言えないと彼は断言する。
独立運動家ラビア・カデイール氏を読めば、あの土地がウイグル人の郷土であり、よそ者漢人の圧政には憤りと、ウイグル人への同情の気持ちが高まり、中国人の友人の歴史講義を聞けば、現在、施政権を持つ人に帰するとの論理が妥当の如く思え、このように民族自決と国土の問題は実に厄介なものとつくづく思う・・・。
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滋賀の砂川次郎さん 投稿者:みつお 投稿日: 4月 8日(土)15時56分26秒 引用
がんがれ!たぬきの薬屋さん。
ついでに、がんがれ!泉南の小山広明さん、勝って9敗五勝を緑青じゃなくて6勝に!
コマンダンテは応援に忙しいですね。
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今回も断固として選挙にHP活用!4/9公示の大津市議選で砂川クン 投稿者:コマンダンテ戸田 投稿日:
4月 8日(土)14時49分26秒 引用
日本の全ての左翼・市民派・革新・「運動圏」等々が「選挙の時にHPで宣伝し
たらあかんよ」という政府選管のご宣託に屈服し続ける状況の中で、唯一HPの
選挙活用を開拓し続けている電脳キツネ目組ですが、今回は前志賀町議の砂川ク
ンが、4/9公示・4/16投票の大津市議増員選挙の選挙闘争でHP宣伝を開始して
います。http://www.asahi-net.or.jp/~ph6j-sngw/what_new.html
この選挙は志賀町と大津市の合併に伴い、旧志賀町区域だけで行なわれるもの
で、議席数は志賀町時代の16から3に大激減。出馬表明していた旧志賀町教育
部長が自殺するなどのミステリーも起きてます。
戸田や砂川は、政府選管への屈服をよしとせずHPの選挙活用を実践する人材
が新たに現れることを願ってますが、誰かやる気のある人はいませんか?
これを実践できる立場の人は、たしかに議員候補者に限られてしまうんですが、
この実践闘争に「賛同を表明する」のは誰にでもできることだし、そういう声が
多く出ることが民衆的政治闘争へのHP活用を促進していくことでしょう。
http://www.hige-toda.com/
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フランスからの情報 [AML 6596]より 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 8日(土)12時08分16秒
引用
コリン@グローバルウォッチ/パリです。
3月28日の全国デモは、前回18日の巨大デモに勝るとも劣らない参加者数(主催者発表で350万)で、シラク大統領声明後にもかかわらず、圧倒的なデモでした。今日、フランス大統領は個人的利害の表面を繕うことに賢明で、憲法を誠実に守る事を放棄しています。大統領が一つの法案を法制化する声明を出して、同時にその法律を適用しないように要請すること自体、憲法違反を犯すという混乱状態を産み出しています。現政府は合法的であっても、民衆を代理するという民主的政府の正当性を失っています。そこ今日の第五共和制の老化現象が明らかに読み取れます。
今日の危機は、新自由主義の民営化、規制緩和の流れに沿ったもので、最近では欧州憲法以来、フランスの労働者、若者達がこの流れにいかに強く抵抗しているかということです。2002年以降、顕著になってきた雇用関連の規制緩和は、とりわけ、昨年8月のCNEから、11月の郊外暴動を通して、14歳からの事実上の徒弟を可能とするCPEを含む今回の<機会均等>法となったわけですが、CGTなど左派労働組合は、CPEのみならず<機会均等>法全部に反対しています。財界、経営者側は、26歳以下という条件を無制限にしたかったのが本音です。こうした労働主権や福祉制度の解体に他ならない規制緩和が今後も継続するグローバリゼーションの流れのなかにあるのです。ですから、このフランスの問題はヨーロッパ諸国にとって切実な問題であり、それゆえ、欧州労働組合連合の書記長やいくつかの隣国の労働組合も派遣団を送ってデモに駆けつけたり、また多くの他の国々でもフランス大使館前で、フランスの反対運動に連帯し支援するデモがくり広げられています。NGO<ATTAC>はドイツATTACとこの闘争について意見交換をしており、運動の波及効果が現れています。
過半数の大学ではストが続行中で、大学生、高校生らはこの運動によってますます政治化して来ており、1-200人、ときには100-200-300人単位で、各都市の幹線道路を封鎖したり、国鉄中央駅のホームに入り、線路に寝転がったり、空港でダイインをしたり、様々なアイデアでゲリラ的な攪乱戦術をとり、また今日は機動隊によって封鎖されているソルボンヌ大学そばのサン・ミッシェル大通りで、1000人規模でピックニックをして、道路を封鎖する、というようなアクションを起こしています。学生のこうしたアクションには、労働組合も支部ごとに参加したり同調しており、復活祭のヴァカンスに入る今も、運動のパワーは落ちる気配がありません。内務大臣サルコジは機動隊を政治手段として使い、弾圧を強めていますが、全国に広まったこのアクションは衰える気配がなく、来週火曜日にも全国的なアクションが予定されています。このまま行くと現政府は決定的に致命傷を負うことになりそうです。
(転載可)
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業務連絡 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 8日(土)11時38分40秒 引用
二次会・三次会過去ログを更新しました。
http://www.redmole.info/log/
改憲派さん!自分の過去ログを消していったら過去の会話の流れが変になります。こういうのはやめてほしいなぁ。
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続・東トルキスタン 投稿者:川島 投稿日: 4月 8日(土)08時36分33秒 引用
しつこいようですが・・。三浦氏の書き込みは歴史的経過については、そういうことなこか、と読みました、しかし、
>民主主義、国家主権、そして民族自決といった、これまで人類が勝ち得てきた価値観を世界に確立していくこと、同時に貧困や抑圧を解決してゆくことこそが、真のグローバリズム
という総括が逆転してると思います。「貧困や抑圧を解決してゆく」ためのグローバルな階級闘争の中で、抑圧された民族の「国家主権や民族自決」という問題も積極的に位置ついていくのだと考えます(民主主義は前者に入れててもよいですね)。
現在のように複雑化している民族や国家の様相に、一律に古い定式を当てはめることはできないでしょう。中東やアフリカの定規で引いた線のような国境は、帝国主義の侵略者が決めたものです。また、中央アジアのトルコ系の民族国家はそもそもソ連の政策と一体のものとして誕生したものです。それらは出発すべき現実ですが、不変の形式などと考えることはできないでしょう。資本主義誕生当初の「一民族一国家」というヨーロッパモデルが現代の世界規模では通用しないことを端的に示しているものこそ、トルコという国の現実ではないでしょうか?
資本主義という抑圧を前提にした社会を世界的に廃絶し、社会主義を実現することがあらゆる民族抑圧と対立をなくする基礎なのだということで、インター、元インターの皆さん、頑張って下さい。
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右翼を辞めて左翼に 投稿者:みつお 投稿日: 4月 7日(金)23時24分48秒 引用
人間だもの。
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CPE反対闘争 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 7日(金)19時35分45秒 引用
「かけはし」最新号より。
http://www.jrcl.net/web/frame060410g.html
フランスの雇用大臣の名前って「ジャン・ルイ・バロー」って言うんだね。
パントマイムが得意だったりして。(^◇^)
http://www.geocities.jp/yurikoariki/lesenfants
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東トルキスタン 投稿者:川島 投稿日: 4月 7日(金)07時52分40秒 引用
ソ連外交の反階級性の問題ですが、ヤルタ会談の核心的問題は、ソ連スターリン主義が米帝国主義と妥協し、「東トルキスタン」を放棄した、ということではないでしょうか?
1945年までは、「反ファッショ」の名の下に米英帝とソ連が協定した時期です。それが対立へと転化するのは、46年のチャーチルの「鉄のカーテン」の演説以降です。一方中国の45年段階の中央政権は、親米の国民党政権です。46年から国共内戦が全面化し、49年に新中国が誕生しています。
国家や民族より人間が大切だと考えます。また、国家や民族という単位は歴史的に変化するものです。現在の民族の概要は近代に形成され、20世紀の帝国主義の時代になって、抑圧する民族と抑圧される民族への分岐が起きたのだと思います(単純な問題ではなく、複雑な抑圧―被抑圧関係や対立関係を形成しながら)。
マルクス主義の理想は、働き搾取されるものの解放が、人間の解放となり、民族への抑圧を打破して、インターナショナルをかちとることでしょ。それをソ連スターリン主義は、帝国主義からのソ連防衛のダシに、抑圧された民族の闘いを利用したのだと考えます。皆さんご存知の公式的な話しで恐縮ですが・・。
民族運動やイスラム運動を一面的に肯定するのはおかしいと思います。国家と民族の中にも抑圧する者とされる者がいます。イスラムも、肯定的な面もありますが、批判すべき面もあると思います。例示のトルコは、軍部の権力が異様に強く、また、左右のテロが吹き荒れる国家と聞きます。また、クルド人を民族とすら認めず、残酷に弾圧しています。他方、クルド人問題も独立すれば解決するような単純な問題ではなく、また、クルド人はイスラム教徒ですが、イスラムに依拠してたたかおう、などと考える人は極少数でしょう。
以前、ホームページにロシア革命以後の、ソ連とトルコ系民族の問題、およびイスラム主義の問題を論じたことがあるので、関心があれば、ご覧になって下さい。
http://www.geocities.jp/kawassima/
繰り返しになりますが、民族や国家という単位より、現実に搾取されながら必死に生きる一人一人の人間の方が大事です。「三浦さんはいい人だ」というネット上の友人がいますが、三浦さんは右翼をやめて左翼に転向しませんか?
http://www.geocities.jp/kawassima/
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東トルキスタン 投稿者:みつお 投稿日: 4月 7日(金)01時06分53秒 引用
人間だもの
↓
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何だか… 投稿者:イレギュラーず 投稿日: 4月 6日(木)22時05分2秒 引用 編集済
>東トルキスタン独立記念日とは
朝鮮半島での出来事のようにも思えます。
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三浦さんどうもありがとうございます 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 6日(木)19時20分34秒
引用
この論文、先日メールでいただいて読んで勉強になりました。
ソ連の外交政策の反階級性がよく現れています。
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東トルキスタン独立記念日とは 投稿者:三浦小太郎 投稿日: 4月 6日(木)18時29分36秒
引用 編集済
ここが相応しいかどうか分からんのですが、東トルキスタン問題(新疆ウイグル)について、左派の方々にもお考えいただければと思い、拙文を紹介します。現在の東トルキスタン亡命政府や独立運動には様々な問題もあると思いますし、また最近ちょっと扇情的過ぎる報道が多い気がしますので、まあ私としては冷静に語ってみたつもりです。
「諸君」今月号に、尊敬する水谷尚子氏の、独立運動家ラビア・カデイールへの優れたインタビューが載っています。こちらも手にとってみる事をおすすめします
東トルキスタン独立記念日とは
(本稿は11月12日、13日、大阪、東京で行われた東トルキスタン独立記念式典にて講演した内容を抄録したものです)
盛世才による新疆支配
本日は、通常日本では「新疆ウイグル」といわれております、東トルキスタンの独立記念日を祝う集会にお越しいただきありがとうございました。日本でこのような集会が行われるのは多分初めてのことと思います。本日は、東トルキスタン共和国の独立とはどのような経緯で生じたものなのか、その歴史的意味合いとは何なのかについて、私なりに簡単に述べてみたいと思います。なお、この問題、また中国の民族問題についてより詳しくお知りになりたい方は、毛里和子著「周縁からの中国」(東京大学出版会)を是非お読みください。最も公正な学問的著作であると思います。なお、本日はいまだに一般的である新疆という言葉を便宜上地域名として使わせていただきます。
1933年、新疆地域は、盛世才といういわゆる軍閥がクーデターを行い、政治的に支配しておりました。盛世才は政治的には親ソ・新中国共産党の政策を採り、同時に中華民国政権とは独立した勢力を築こうとしていたのです。実際、ソ連もこの地域に親ソ政権ができれば中国に対して圧力をかけられるわけですから、経済的にも軍事的にも積極的な援助を行いました。多くのウイグル人、カザフ人がこの時期からソ連に留学手いること、ソ連の影響の強いエリート層が作られていたことは、今後の新疆の運命に大きな影響を及ぼすことになります。
しかし独ソ戦が勃発し、ソ連が当初のドイツの電撃戦の前に敗北の一歩手前まで追い詰められると、盛世才は直ちにソ連を見捨て、それまでは国内で活動を許していた中国共産党員をも逮捕し、さらには外交官以外のソ連人を全員国外追放し、急遽姿勢を転換して蒋介石の国民党との接近を図ります。1943年1月から国民党の大軍が駐屯し、約10万人の兵士が新疆に駐留しますが、軍隊というのは生産をする機関ではありませんし、もともと経済的に豊かなわけではなく、農業、牧畜などの平和な生活を営んできた新疆にはあまりに重い経済的負担がかかるようになりました。ウイグル人、カザフ人は、労役や挑発に苦しみ、ソ連との貿易の停止がさらに経済に打撃を与えます。しかも、誇り高き遊牧民から1万頭もの軍馬を徴発するなどの、各民族の精神を踏みにじる行為が続発しました。
しかし、ここまで其の時其の時のマキャベリズムだけで同盟関係を変えるような政治家は結局信頼されないのですね。盛世才と国民党との間には次第に対立が生じ、国民党は軍事的圧力の元結局1944年8月に盛を免職し、無理やり重慶に連れ去ります。新疆がこのような政治的混乱の只中にあったときに、東トルキスタン独立への民衆運動、そして各国の干渉が起こったのでした。
独立運動とソ連の干渉
1944年春から、新疆では激しい武装闘争が始まります。盛世才の独裁体制、そして国民党の軍事支配と経済的搾取に抵抗するゲリラ闘争です。「3区革命」と呼ばれる激しい民衆の戦いは、主としてイスラム教に基づくものでした。同時に、この地域での覇権を再興しようとするソ連の軍事顧問団が参加しており、またゲリラ軍はソ連で軍事的拠点を持ち、軍事訓練や指導なども受けていました。各民族のゲリラ軍は連合して進撃、1944年11月12日、民衆軍はクルジャ地域全域を占拠、東トルキスタン独立共和国を宣言します。独立記念日はこの日を記念したものです。同時に、臨時政府は、直ちにソ連人軍事専門家を呼び、軍事的整備、政治機構の確立を急ぐと共に、45年4月にはゲリラを正規軍に編成、45年9月には東トルキスタン全域を解放、東トルキスタン共和国が歴史に姿を表したのでした。
しかし、独立運動への流れはここから停滞します。独立軍は首都ウルムチ占拠への進撃を、ソ連軍事顧問により停止され、壊滅寸前だった国民党軍との停戦を余儀なくされます。これは、ヤルタ協定による中ソ交渉、8月14日の中ソ友好同盟、それ以降の中ソの親密化が大きな影響をもたらしたのです。このことはまた後で述べます。
ソ連の指導による国民党と独立運動側の和平協定の過程で、ソ連政府の命令により、殆ど撤退していきます。続いて、独立運動内部の、イスラム系、民族運動系の指導者が多く、ソ連領事館によって、病気療養などの名目で退けられ、東トルキスタン共和国自体が解体され、中華民国内部の自治領とされました。46年7月2日、独立派の新聞「革命的東トルキスタン」自身が「今日を持って東トルキスタン共和国は解散を宣言する。(各地域は)省政府の直接管轄下に入る」と発表。東トルキスタン共和国はわずか1年半で終わったのでした。
では、この東トルキスタン共和国の本質とは何だったのかを見ていきましょう。
イスラム勢力と親ソ勢力
東トルキスタン共和国建国直後、臨時政府にはイリハン・トレというイスラム系の指導者が選ばれました。彼の主張には極めて激しいイスラム色、反中国、そして独立への強い意思が現れています。
「目を覚ませ!今は目覚めの時代となった。アッラーは我々の神であり、ムハンマドは我々の聖者であり、イスラムは我々の信仰であり、東トルキスタンは我々の祖国である。(中略)血生臭い圧制を意味する中国の旗は、我々の足の下で踏まれて塵となった。(中略)いわゆる新疆が中国の一部であるというのは真っ赤な嘘である」(共和国成立大会でのイリハン・トレ演説)
イリハン・トレは主としてクルジャでの民衆蜂起を組織、宗教リーダー、地主、商人、牧主などの支持を受けていました。ここにはいわゆる民主派、進歩派、親ソ派知識人は少なく、ある意味、最も民族主義的、宗教的色彩の強い運動だったとも言えるでしょう。そして、このときに立ち上がった民衆の意識を率直に体現していたのではないでしょうか。
しかし同時に、親ソ派の民族解放組織が発表した「我々はなぜ闘うのか」では、宗教色はまったく見られず、自分たちが中国ではなく東トルキスタンにルーツを持つ諸民族であることは明確にした上で。漢民族支配排除、民族の平等、民主政府樹立、ソ連との友好関係確立、税の軽減などの方針を打ち出しています。実際の東トルキスタン共和国の政治香料として発表されたのは後者の思想が中心となったもので、独立、民主化、そして外交的には明確に親ソ姿勢を打ち出したものでした。これは明らかにソ連に近い勢力の意向が反映されたものですが、勿論、この時点では独立への意志は堅持されていたのです。
しかし、先述しましたように、46年の段階で東トルキスタン共和国そのものが消滅するのは何故でしょうか。これがソ連の影響であることは言うまでもありませんが、当時の世界状況の中で、この東トルキスタン問題を考えてみたいと思います。
もともと、共和国を成立させた民衆の武装闘争に、どこまでソ連の軍事力が関与していたかはさまざまな説があります。しかし、ソ連が直接に軍事的、物質的支援を行ったことは殆どの論者が認めているところですし、同時に、東トルキスタン共和国と国民党との和解、同時に共和国そのものの消滅がソ連のイニシャチヴで行われたことはほぼ確実でしょう。なお、このことを強調し、東トルキスタン共和国それ自体を
ソ連の衛星国に過ぎないという視点で論じたのが、王何著「東トルキスタン共和国研究」です。この学者の「多民族社会 中国」(岩波書店)は、以前私たちの機関誌にて批判したようにきわめて悪質な本ですけれども、こちらに関してはソ連の一次資料に当たるなど、研究書として一定の水準を示しているとは思います。しかし、この結論はあまりにもソ連の存在を過大視するあまり、中国支配に対し立ち上がった民衆の力を不当に低く評価し、同時に東トルキスタン独立運動そのものを否定しようとする意志が強く感じずにはおれません。
ヤルタ会談が独立運動を失速させた
少し話がずれましたが、ここで重要なのは、ソ連の姿勢が何故変化したかであります。東トルキスタン共和国が成立し拡大していく中、1945年2月、ソ連は英米とヤルタ会談を行います。ヤルタ会談はご存知のように第2次世界大戦の戦後処理を論じたものですが、ここでは中国不在のまま、外モンゴル、新疆なども話し合われ、ソ連は中国の国民党政府と、中国問題、また対日問題では歩調を合わせることを決定します。
この後、1945年の6月から中ソの交渉が始まり、7月には、中国側から「ソ連政府が新疆の騒乱などを中国が平定するのを援助するなら、中国は外モンゴル問題で妥協してもいい」という提案がなされ、結局この線が合意事項となったのです。外モンゴルはモンゴル人民共和国として独立する(親ソ政権)東トルキスタンは新疆として中国政府に戻す。こうして、ヤルタ協定後、ソ連は姿勢を急変したのでした。
この姿勢変換にはもう一つの理由があると思われます。東トルキスタン共和国が純粋な親ソ政権、もしくは傀儡政権(たとえば初期北朝鮮のような)であるのならば、ソ連はこの地域の独立を国益にかなうものとして、中国側に対しこのような妥協はしなかったかもしれません。(私はこの意味で、東トルキスタン共和国を単なる衛星国とは考えない立場をとります)しかし、これは推測ですが、現実の民衆蜂起が激烈なイスラム教的、民族主義的思考を示していたことから、ソ連はこの独立国が単なる親ソ政権にとどまらず、ソ連。東トルキスタン国境の諸民族、イスラム教勢力と今後結びつき、中央アジアに大きな勢力となっていく可能性、ソ連のスターリン体制そのものへの起爆剤となることを恐れたのではないでしょうか。
独立を失って以降、新疆の運命は益々悲劇的な方向をたどります。ソ連の命じる妥協案を受け入れるか否かで、東トルキスタン共和国政府内部にもさまざまな対立、分裂が生じ、結局は親ソ派知識人、アフメトジャン、アバソフらの勢力が、ソ連に従う形で独立を放棄します。1946年5月、アフメトジャンは独立放棄の意志をこう述べています。
「現在、東トルキスタン共和国の自由と自治のために、長期的な流血と戦争を継続させ、さらに大きな被害を人民にもたらすか、それとも第2次世界大戦がすでに終結した状況に鑑み、戦争をやめ、(国民党中国政府との:三浦注)和平交渉の形で解決を図るかという二つの路線しかない。国民政府の領袖蒋介石はすでに、『辺境地帯に住む民族に対する談話』の中で各辺境民族に充分な自治権を与えることを約束しているので、流血の闘争を通じなくても問題を解決できる可能性が出てきた。」
この『第2次世界大戦がすでに終結した状況に鑑み』という言葉の裏に、中ソという2大『戦勝大国』に愚弄される運命を見る思いがしますが、同時にこの時期、東トルキスタン共和国内部で、いくつかの反漢民族テロルが起き、共和国政府を悩ませていたことも作用していたようです。それまで抑圧されていた民族が立ち上がるとき、どうしてもこのような報復テロは避けられない面があるのですけれども、親ソ派であると同時に、民主的、進歩的知識人だった指導部には耐え難い事態でもあり、一刻も早い事態収拾を図りたい思いもあったのかもしれません。
しかし、外モンゴル独立承認など、ソ連との関係を優先するためであれ多少は『辺境民族自治』承認の傾向があったこの次期の蒋介石政権は、毛沢東の中国共産党の前にあっけなく敗れ去ります。1948年から49年までの間に、イスラム系、民族主義系の指導者は新疆からソ連の手によって殆ど追放されてしまいますが、さらにスターリンは、毛沢東政権成立後は、早く新疆を「解放』するようアドバイスをする有様でした。
リーダーたちのなぞめいた最後
中華人民共和国成立後、共産党の?力群に語ったアフトメジャンの言葉はあまりにも惨めなまでに、かっての独立運動そのものをほぼ完全に否定してしまっています。彼は民衆の蜂起が自然発生的なものであって、盲目的だったこと、宗教勢力や封建勢力の力が強かったこと、その中で漢民族へのテロが行われてしまった事などを次々と自己批判しました。そして、アフトメジャン、アバソフ、イサクベク、ダリルハンら最後に残ったリーダーたちは、毛沢東から北京に招かれ、1949年8月22日飛行機で旅立ちますが、その11月、バイカル湖上で飛行機事故により全員が死んだという、余りにも不自然な最期を遂げることになります。
東トルキスタン独立共和国の独立は、以上のように、第2次世界大戦と中ソ両国の力関係の分析無くして理解しにくいものです。しかし、私たちはここで、現在の東トルキスタンの状況の中で、この独立共和国をどのように捕らえなおすかを考えてみるべきでしょう。
1990年以降、東トルキスタンではいくつもの民衆による抵抗運動が始まっています。その多くは、民族独立とイスラム教に根ざした戦いであり、これは中国が文化大革命以降徹底した宗教弾圧を行ったにもかかわらず、民衆の伝統意識が守られたことを意味します。いや、むしろ、文革から改革解放に移る中国社会の中、あらゆるモラルや伝統が崩壊し、ひたすらな利益追求・経済優先の中で各民族の伝統が益々破壊され、漢民族企業家が東トルキスタンにも大量移入して経済侵略を行っている中、民衆の中に、もう一度民族の伝統と信仰が蘇り、それが抵抗の火種となっているのでしょう。
そして、この抵抗運動の中で、かっての東トルキスタン共和国は新しい夢として蘇りつつあります。さまざまな大国の力関係に左右され短命に終わったにせよ、中国政府に抗して立ち上がった民衆が、一度は支配を跳ね除けて独立を勝ち得たことは、輝かしい歴史的事実として蘇り、全世界でこのような独立記念日を祝う行事が行われているのです。歴史とは冷たい活字の中に埋もれているのではなく、今ここで生きている人たちの思いの中で蘇るものです。
同時に、私たちはまた、『歴史を夢見る』と共に、『歴史に学ぶ』ことを忘れてはなりません。では、東トルキスタン共和国は何故滅び、モンゴル人民共和国(外モンゴル)は、たとえソ連の影響下であったとはいえ生き延びたのか。これは中ソの取引による残酷な偶然です。しかし、同時に考えておかなければならないのは、民衆の純粋な怒りや意思だけでは政治的成果を出すことは難しい。常にこの東トルキスタン独立は、中国、現在のロシア、そして中央アジアのさまざまな国々との政治的力学の中で勝ち取らねばならないのです。その意味で、中国国内の各少数民族との連携を深めると共に、独立運動はさらに中央アジア諸国、諸民族との間に深いつながりを持たねばならないでしょう。
独立運動の新しい道
そして、かっての東トルキスタン共和国は、イスラム教的価値観、反漢民族、強いナショナリズムに根ざした勢力と、親ソ派に代表される、民主派、進歩派、また宗教色の弱い勢力とに分断され、結局ソ連に後者が操られる形で失速していきました。この歴史の過ちを繰り返さないためにも、必要なのは、民主・人権、そして国家主権と独立の意志と、イスラムに代表される宗教ならびに民族特有の文化・価値観との融合・連立こそ、独立運動を真に思想的に勝利させる道だという視点です。
私は昨年夏、トルコのイスタンブールを訪れました。私は亡命政府も独立運動も、トルコのよい面には大いに学んで戴きたいと考えております。トルコはイスラム教国ではありますが、同時にアタチュルクの革命以降、近代国家としても見事に発展し、勿論さまざまな問題はあれ民主的な国造りに成功しつつあります。さらに、全世界のトルコ系民族の祭典を行い、そこには中国からの圧迫を受けつつも、東トルキスタンの代表もまた参加していたのです。イスラム的価値と近代化、民主化、そして民族主義の両立は決して不可能ではないことを、独立運動家の方々が多く在住するトルコでこそ学んで欲しい。民主派とイスラム派、穏健派と、過激な闘争も辞さずという勢力とは、決して対立するものではなく、運動上はむしろ補い合うべきものです。
イスタンブールで、私はコーランの和訳本を持って行きました。日に数度、コーランの朗誦がマイクを通じて流れるこの近代都市で、コーランの次の文章を読んだとき、たとえ日本語訳とはいえ、少しばかり敬虔な気分になった思いがしたものです。
『どちらの海からも真珠は取れる、珊瑚も取れる』(コーラン・メッカ啓示)
イスタンブールは、西欧と中東社会、イスラム社会の境の街です。そして、どちらの海からも、欧米からも、中東からも、そしてここアジアからも、それぞれの地域から、それぞれ別の素晴らしいものは取れる。そのような考えが真のグローバリズムです。各地域の、民族の、国々の思想を尊重した上で、民主主義、国家主権、そして民族自決といった、これまで人類が勝ち得てきた価値観を世界に確立していくこと、同時に貧困や抑圧を解決してゆくことこそが、真のグローバリズムであり、それは東トルキスタンをはじめとする中国の各民族を支援することの本質をなすものと考えます。
私の話は、1944年に、命を捨てても独立のために戦った東トルキスタン民衆や、困難な独立運動やその後の世界情勢に愚弄された指導者に対し、あまりにも冷たいものに感じられた方もいらっしゃるとは思いますが、東トルキスタン共和国とは何だったのかを、皆様がお考えになる参考となれば幸いでございます。(終)
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もひとつお手紙紹介(^◇^) 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 6日(木)18時22分31秒
引用
社会批評社小西さんから出版記念パーティーのお誘いメールです。
「新宿タイガー」って、あの「伝説」の? かなり昔から配達してるハズだなー・・・(以下)
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社会批評社の小西です。
間近かになりましたが、増山麗奈さんの新刊『桃色ゲリラ』の出版記念会のご案内をさせて頂きま
す。予約制ですので、確認のご連絡が必要ですが、今からでもお申し込みをいただければ間に合いま
す。どうぞよろしくお願いします。
●増山麗奈さんの著書『桃色ゲリラ』(社会批評社刊)出版を祝うパーティーのご案内
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
さてこのたび、私たちの友人、増山麗奈さんが『桃色ゲリラ―PEACE&ARTの革命』(社会
批評社刊・本体1800円・3月11日発売)を上梓しました。この本は、2003年3月の「桃色ゲ
リラ」発足以来の運動の検証を行うとともに、増山さんのご自身の生きざまを通して戦争とエロス、
そしてアートなどの有り様を描いたものです。
とくにこの本は、増山さんの「生と性」を包み隠さず赤裸々に描写することで、現代の苦悩する青
年たちの生き方を示唆するものとなっています。
私たちは、増山麗奈さんのこの新刊の発行を祝い、そして彼女を励まし、今後の様々な活動を模索
するために左記のようなパーティーを催したく思います。
どうぞ、この趣旨をご理解いただき、ぜひともご出席下さるようお願い致します。
2006年3月
★発起人(アイウエオ順・敬称略)
相澤恭行(NPO法人PEACE ON代表)
きくちゆみ(ピースアクティビスト)
新宿タイガー(新聞配達員)
高田 健(許すな! 憲法改悪・市民連絡会)
根岸君夫(日本美術会代表)
早野 透(朝日新聞・コラムニスト)
平松秀土(ハプニングバー「美女と野獣」メンバーズバー
「眠れる森の美女」両店舗マスター)
星野ゆか(俳優)
本江邦夫(府中市美術館館長)
村田 真(美術ジャーナリスト)
安田尚樹(TVチャンピオン「ライティングペイント王」)
山下裕二(美術評論家)
●日時 2006年4月8日(土)午後4時から
●場所 中野勤労福祉会館1階「レストラン欅」
(東京都中野区中野2―13―14
JR中央線・総武線中野駅南口徒歩4分)
●会費 5千円(本代込―すでに購入済みの方は3500円)
●連絡先 東京都中野区大和町1―12―10(株)社会批評社気付
電話03‐3310‐0681 ファクス03‐3310‐6561
Eメール shakai@mail3.alpha-net.ne.jp
○好評発売中
★『桃色ゲリラ』(増山麗奈著)本体1800円
★『労働運動再生の地鳴りがきこえる』(武建一・脇田憲一編著)本体1800円
★『憲法状況の現在を観る』(石埼 学著)本体1500円
★『逃げたい やめたい 自衛隊』(根津進司著)本体1700円
★『戦場が培った非戦』(渡邉修孝著) 本体2000円
★『自衛隊のイラク派兵』(小西誠・渡邉修孝・矢吹隆史著)本体2000円
★『戦場イラクからのメール』(渡邊修孝著)本体1600円
★『同性パートナー』(赤杉康伸ほか編著)本体2000円
★『トランスジェンダリズム宣言』(米沢泉美編著)本体2200円
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救援要請のお手紙が来ました 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月 6日(木)14時32分2秒
引用
ご協力出来る方はよろしくお願いします。(以下)
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管制塔元被告連帯基金運動 殿
例年にない厳寒もようやく終わりを告げつつありますが、皆様方はいかがお過ごしでしょうか。
神戸で、空港問題などに関わっております、フリージャーナリストの永岡と申します。昨年7月、神戸地検に不当逮捕された、鹿砦社・松岡代表の裁判支援を行っております。
今回、紙の爆弾、鹿砦社への支援をお願いいたしたく、メールを差し上げました。
紙の爆弾はおかげさまで創刊1年を迎えることが出来ました。市民運動関係の方々よりも、おかげさまで好評を得ております。今後、5月より新たに再出発の準備をしております。これからも、自由な言論の場として、活躍して行く所存です。 しかし、現在鹿砦社にあっては取次先書店などからの売上支払がストップしたままで、松岡社長の逮捕を理由としていわゆる「売掛金回収」がうまくいっていないとの報告を受けました。『紙の爆弾』は元気に刊行を続けています。出版業務には差し障りないものの民事・刑事に渡る双方の裁判費用は甚大で、真の鹿砦社復活に対して大きな障害となっています。アルゼとの民事訴訟・刑事訴訟などの裁判費用について本業以外に大幅な「赤字」が予想されます。支援する会としては『紙の爆弾』定期購読をもって松岡代表の熱意に応えようと提案し広く皆様にも訴えるものであります。こちらの支援する会のHPでは、私たち事務局を通じて、『紙の爆弾』の定期購読をしていただいた方達には、お好きな鹿砦社既刊在庫の出版物二点をリクエストし い」というのはミスリードとはいえません。しかし、その後、内戦や生産力低下、 思います。
http://www.geocities.jp/housei_kougi/
------------------- ワみれになりました。ところが入管職員は、その彼をイラン航空の飛行機に 跪憲派=加藤さんまでの干渉材になれれば、それはそれで存在 オ語訳)でもいいかもね?
??? L齡hとの軍 冥もそも自衛隊は軍隊であり、人道復興支援の キ。
戦争の「残酷な現実」 ノヘ? 投稿者 Fした。<