四トロ同窓会二次会 2003年8月21日〜22日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。
投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もあります。
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Re:極東 投稿者:まっぺん 投稿日: 8月22日(金)13時42分51秒
なるほど。ヨーロッパからの距離の比較で決められているようですね。
それでいまごろ気づいた。「極東」もそうなんだぁ!
まぁ、「差別的なので変える必要がある」と思うかどうかによりますが。
「日本海」をやめて「極東海」への改名を提案!\(^o^)
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歴史認識の態度は問題になるのでは 投稿者:しまだ 投稿日: 8月22日(金)13時09分51秒
義様、あなたの歴史認識の態度について「不純きわまりない」といったのは言い過ぎだったと思います。歴史認識の議論で、「反日」とかいう穏やかでない批判があります。義さんも同じ批判をされていました。そのため、その批判がある種の動機から生じていることを知った時、「不純きわまりない」という強い反パツを覚えました。でも、その感情はまだ私個人のきわめて私的なものであって、抑えるべきものでした。でも、「不純」という批判まで変えるべきとは思いません。歴史認識で違いや対立が深刻とも言えるとき、その認識の視点に違いがあれば、それが大きな問題になると思うのです。
義殿が、なぜ、それを問題にされず、単なる個人的違いにされるのか、とても合点行かないところです。
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中東(続き) 投稿者:野次馬 投稿日: 8月22日(金)13時01分59秒
どこかの大学の先生のサイトがありました。
http://www.law.ryukoku.ac.jp/~sakai/chuto/chuto2.html
どちらにしろ、ヨーロッパから見た地理観であるのはまちがいないことです。
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中東 投稿者:野次馬 投稿日: 8月22日(金)12時56分53秒
>「中東」もそうじゃないかな。東(アジア)とヨーロッパの中間地帯とchuto2.htmlいう意味なんでしょう?
近東(Near East)=小アジア(トルコ)
中東(Middle East)
極東(Far East)
だと思っていました。調べてみることにします。
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インドシナ考 投稿者:まっぺん 投稿日: 8月22日(金)11時35分24秒
山口さん、こんにちは。たしかに、失敬な言い方ですよね。インドと中国(中華民国成立以前はシナ或いはチャイナ)の間だから「インドシナ」「インドチャイナ」。まったく19世紀植民地競争時代を反映した名称だと思います。日本語の「支那」も当時のヨーロッパ(フランスか?)からの影響があったんでしょうかね。幕末までは相手の主権を尊重して「清国」と呼んでいたはずですが、それに代わって「支那」と呼び始めたのは日本の国際的視点が欧米側(つまり帝国主義的視点)に移行したことを意味するんだと思います。
世界の地名にはまだ植民地宗主国側のことばがいっぱい残っています。インドシナがそうであるように「中東」もそうじゃないかな。東(アジア)とヨーロッパの中間地帯という意味なんでしょう? 古地図を見ると中世まではエルサレムが世界の中心だったのにね。その頃はまだアラビア世界の方が進んでいてヨーロッパは寧ろ西の辺境だった。しかし、植民地競争の時代、世界地図はつぎつぎと欧米先進諸国の地名が増えていきます。太平洋の島々はイースター島とかクリスマス島とかジェームス・クックが「発見」した日付を地名にしています。そんなの島民にとっては何の関係もないのに。リビングストンが「発見」したアフリカの滝はビクトリア女王の名前が冠せられているし、アフリカではもっと露骨に「象牙海岸」だの「奴隷海岸」だのといった国名もありました。
しかし地名は現在その土地に住む人々の意志を尊重していくように変えていく傾向にあります。どんどん変えちゃえばいい。エベレストはチョモランマになったし、アフリカでもナミビア、ボツワナなど現地名に変わっています。「南ローデシア」なんて国名知らないでしょ? 今「日本海」が問題になってますが、少なくともロシア・中国・北朝鮮・韓国も沿岸を接しているんだから日本だけが独占する必要はありません。ここは各国共同で決めるべきだね。
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歴史観と歴史にたいする姿勢 2 投稿者:義 投稿日: 8月22日(金)11時16分46秒
私はインチキであることを「認めるな」とは言ってません。
ただ、東亜共栄圏という大義が「インチキ」だと規定したら、第二次大戦後のアジア諸国の独立という結果をどのように捉えたらいいのか。
現代において、アジア解放を訴える意味はありません。私は日本の大東亜戦争の緒戦の勝利が世界にもたらした意味を考えたとき、日本の大義はある意味で欧米の植民地主義に勝利したと考えるということです。
で、結局、世界史をマクロに見るということについては、万人の共通する認識であるでしょう。この議論となったきっかけの、しまだ様が一番初めに私に提起した、
「義さんの歴史認識の態度は不純」ということは、他者の歴史観を「私は認めない」と言われているのと同じだという事です。結局、共有できない歴史観を争ったところで得られるものはありません。私は歴史を客観的にみたとき、あまりに日本の戦争が悪意を持って語られるのが常だという現代日本について批判している。そこには「日本人だから」ではなく、歴史的事実が正しく提示されていないからだという私の歴史に対する姿勢があります。
そのうえで、個々の歴史観として、(繰り返しますがあくまで個々の)「私は日本人であり、こういう歴史観を持っている」という事です。
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歴史観と歴史にたいする姿勢 投稿者:義 投稿日: 8月22日(金)11時13分15秒
黒目様 おはようございます。
>「インチキであること」において、アメリカの語ったインチキと〜〜
世界史的に見て、有色人種の日本がアングロサクソンと互角に戦ったことにより、
東南アジア諸国に独立の気運を高め、帝国主義の時代がそれによって終結したという意義が日本の戦争にはあった。私はそう申し上げている。こうした視点が果たして日本人だけが抱く「幻想」なのか?と言いますと、実はそうでもありません。私がこの戦争を、こういう風に捉えるのは、「日本人だから」ではありません。
世界史の流れの中で、日本だけが有色人種の中で唯一独立を保っていた。その帰結として
大東亜戦争があった。負けるとわかっていても、戦った日本人がいた。兵士達もそう馬鹿ではありません。解っていたはずです。この戦争の行く末を。
『徳川家康』の著者として知られる作家の山岡荘八氏は戦時中従軍記者として、
特攻に出撃する二日前の西田高光氏にインタビューをしました。彼は学鷲(学徒兵の航空機搭乗員)で、当時のインテリですから、この戦争の行く末を理解していたと思われます。
「この戦争、そう簡単に勝てるなどと思っていません。しかし、負けたとしてもその後はどうなるのです。おわかりでしょう。我々の生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに…」 彼らの多くは勝とうと思って出撃したのではない。
日本人の意地を見せるため、民族の誇りを守るために出撃した。その意味では彼らは無駄死にするつもりは全く無かったと言えるでしょう。
仮に、我々の世代が日本の戦争が「インチキの大義で多くの国民を死なせた」と認識しましょう。そこから得られるものは何でしょう?
世界の歴史学者は皆、大東亜戦争に対して評価すべき点があると言っています。
「第二次大戦によって日本人は日本人のためと言うより、むしろ戦争によって利益を得た国々のために偉大なる歴史を残したと言わねばならぬ。その国々とは日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄権に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の前面において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去二百年の間に考えられていたような不敗の半神でないことを明らかにした点である」(英歴史学者アーノルドJトインビー)
「日本の敗戦は東南アジア全域の独立運動に決定的な意味を持っていた。日本による占領下で独立要求と民族主義はもはや引き返せないところまで進んだという事をイギリス・オランダは戦後になって思い知る事になるのである。日本軍敗走の跡には、二度と外国支配は許すまいという自信と、その自信を裏付ける手段とが残ったのである」(米コロラド大教授ジョイスCレブラ)
「15世紀のバスコダガマの到来を西欧のアジア支配の出発点とすれば、日本はすでに戦争に勝利したといえる。日本の緒戦の勝利は冷酷に、ある意味では慈悲深く、欧米の植民地の存続期間を大きく短縮した」(英現代史家 クリストファー・ソーン)
こうした客観的な歴史の観方を、私も持ちたいと思う。現代に生まれた人間として。
そして、貴殿に非難されているのですが、私が何故、この時代に日本人として生を受けたのか。
その意味は何なのか。そう考えた時に、「歴史を客観的に観て、それを認
識する」という視点を持ちつつ、「日本人として生まれたことの意味」を考える。
そう考えたとき、日本人として日本の戦争に意義があったと考えたい、そう言っています。
ただ、歴史をマクロに見る視点としては、貴殿と私はそう差異は無いでしょう。しかし、
「日本人として」という部分は、私の感情であり、私個人の「捉え方」、主観によるもので、
その部分をいくら貴殿と議論しあったところで、無駄であるのは確かです。
100人いれば100通りの歴史観が存在すると、私は思います。
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お返事 投稿者:酒井徹 投稿日: 8月22日(金)07時53分00秒
黒目さんへ
酒井です。
黒目さんご指摘の「一水会による襲撃」の件、
一水会にはメールで、
鈴木氏には自宅のほうに電話にてお問い合わせいたしました。
鈴木氏はあいにく不在で、留守番電話にてお話いたしました。
また一水会からは、メールにてお返事をいただいております。
それによると、
一水会には95年当時からの会員は鈴木氏も含めて現在数人しか残っていないが、
調査の上、可能な限りの返答をするので
しばらく待ってほしいとのことでした。
今しばらくのご猶予をよろしくお願いいたします。
伝説のワルさんへ
ホームページをごらんいただきありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
M2さんへ
レスはいつでも結構ですよ。
お仕事、がんばってくださいね。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/sakai/sakaitop.html
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武力は防衛のため 投稿者:愛国政義塾 投稿日: 8月22日(金)06時11分26秒
皆さん、管理人さん、始めまして、、
私なりの思想を書かせて下さい。
今の日本は北朝鮮に脅かされてあわてふためくありさまです。
自国の防衛は国民の義務だし国の責任。アメリカの被保護国になっている現在は、日本はアメリカが守ってくれる、という姿勢が日本の現状でしょう。
自主防衛といっても単独で国を守れるわけがないです。
どの国でも自主防衛を単独でやっている国はないのです。
NATOや他国との関係を保ちながら国を守る。こんなことは世界の常識です。
日本は自主防衛となるとアメリカの傘のもとにはいろうとしますが、
そうでなくアメリカからの自立が大切であります。
そして兵力から、戦費、組織までの枠組が必要なんです。
けしてアメリカをのけものにするのではなく日米間を維持して隣国である韓国をはじめアジア諸国と共同防衛構想の構築の必要があります。アメリカにとっても日本は必要な国でなければならないし、地理的な面から見てもそうあるべきです。北朝鮮が核を持ったら韓国、台湾も持つことになるでしょう。
当然「日本も核武装」の話が出てくるでしょう。
日本が本気で核開発すれば2、3週間で可能です。
そういう 心構え、姿勢を示した上で多角的な外交をするべきです。
今の「非核三原則」など破棄するべきです。
アメリカは今、大変な矛盾を犯しています。
イラク攻撃は国際法違反だし道義的にも許されることではないし、まさしく侵略です。
そのため今後どうなるかというと、ならず者国家といわれた国はアメリカが攻めてくる前に「核武装で固めよう」となります。こんなとんでもない世界に今は進んでいるんです。
しかし現状ではアメリカを支持することが国益と考えていますが、今はアメリカが軍事力で破壊し、国際社会が後片付けをするという図式です。いくら言葉巧みに言い訳しても国際社会から相手にされなくなる日もそう遠くはないでしょう。
アメリカの思想、正義、民主主義は世界では通用しません。国によって文化、習慣、思想が 違うからです。押し付けの民主主義は永くは続きません。
今世紀最大の敵は帝国主義のアメリカにあります。
ヨーロッパはユーローで示すように統一の方向に向かっています。
いずれロシアまで加わるでしょう。
統一共同防衛軍ができるのもそんな先ではないでしょう。
ヨーロッパ統一の目的は経済政策にあるりますが、
それは表面だけでその根底にはアメリカ帝国主義の危機感です。
世界的規模で見れば反米感情は高まっているし、アメリカの経済は破滅に向かっているので侵略するしか生き延びる方法がないのです。
アメリカドルを無秩序に印刷して世界中にばら撒き、
そのため世界経済が崩れかけている。いわば空手形を貰っているようなものです。
いずれドル信仰も終局を迎える時が必ず訪れるでしょう。
アメリカ国内は不況で失業者があふれ空洞化へと進んでいる現在、生き残る手段は
ドルをばら撒き、他国からの搾取しかないのです。
日本はそんな国の属国であってはならないのです。アジア諸国は経済力も技術力もない。だから日本のなす役割はアジアの中心となりヨーロッパ、アメリカに対抗するアジア勢力を作ることです。それには韓国、台湾、タイ、インド、シンガポール、オーストラリアまで入れる巨大アジアブロックを作る必要があります。
その理由はアメリカ、ヨーロッパは白人至上主義で人種差別の国だからだ。アメリカ経済を作ったのは奴隷制度があったからで今のアメリカは奴隷の力で作ったようなものだからです。
つい最近まで奴隷を売り買いしていた人種の考え方はその当時と変わらないんです。
日本の歴史には「奴隷制度」はなかった。
第二次大戦の日本の役割は植民地の解放と侵略を防ぐことにありました。
けして植民地政策ではないのです。アメリカ、ヨーロッパに住むと判りますが、肌色の人種差別の壁というのは根深いものがあります。今からアジアブロックを進めていくしかないでしょう。
中国はマスコミで報道されてはないが各地で反政府派が立ち上がり、内乱も日常起きている状態で、今の体制は崩れる方向にある。
中国は部族ごとに独立するほうがいいと思います。そのようになるでしょう。
アジアの癌は中国です。北朝鮮なんか時間の問題で潰れます。また、潰さなければならないんです。
イスラエルが世界の爆弾ですね。年内にパレスチナと全面戦争になるでしよう。
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noiz さま 投稿者: 伝説のワル 投稿日: 8月22日(金)03時28分36秒
>そこで、いわゆる「在日」と区別して、それ以外のニューカマーを一つ
にまとめて「不法」と形容するのだとすれば(伝説のワルさんはそういう
つもりはないかもしれませんが)、やはり不安を覚えたりするので
す。・・・ごめんなさい。そのくらいの認識しかありませんでした。不法
滞在はいけないことで、そういう人達が増えたから私の住む(東京23区
ですが)街の犯罪も多くなったのだと・・・そのくらいの認識しかありま
せんでした。何故不法滞在されるのかまでは考えていませんでした。自分
の甘さを、素直に反省させられました。だめですね〜しみじみ考えさせら
れました。これからはニュースだけをうのみにせず、背景も考えるように
します。なんだか自分で言うのも変ですが、この掲示板に書き込むように
なって(日は浅いのですが)随分世の中のことがわかってきたような気に
なっています。有り難うございます。この時間は家の者がみーんな寝てい
るのでひとり自分の部屋の静寂の中で勉強やら好きな読書に集中できるの
ですが、私は今、学校でおそわらない貴重なことを学んでいると感謝して
います。
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脱線ついでに補足 投稿者:noiz 投稿日: 8月22日(金)02時08分38秒
ちなみにこないだエビアンサミットがありましたが、その前のジェノヴァ
サミットでは、抗議行動に50万人だかが結集し、しかも抗議者のあいだで
一名の犠牲者が出た(特務警察に射殺される)ということで、この掲示板
でも話題になりました。そのジェノヴァサミットに抗議する連続行動のな
かで、一番最初に行われたのが、先述した移住労働者とその支援者たちに
よる権利要求を掲げた大デモでした(5万人だったかな、確認してないの
で信じないで)。資本の展開の自由だけ認めて、なぜ労働者の移動は認め
られないのだという論理もそうした運動のなかには存在します。
ちなみに、ヨーロッパでは「NO BORDER, NO NATION」を掲げるキャンペー
ン運動が存在します。http://www.noborder.org/
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大脱線:すべての移住労働者に権利を! 投稿者:noiz 投稿日: 8月22日(金)02時01分03秒
伝説のワルさま
いわゆる在日と「不法滞在」である「ニューカマー new comer」を区別化したところで、何とするのでしょうか。確かに在日朝鮮人(・韓国人とも続けて表記する人もあるようですが、、、)や在日中国人をさしていう「在日」は日本「定住」にいたるそれぞれ固有の経緯を有しています。日本人がそのことを認識することは、それら「在日」の人々と「日本人」とが相互に理解していくのにとても大事なことだと思います。
で、「それ以外」として表現されるところの滞在者に冠せられる「不法」とは何か? (朝鮮籍・韓国籍を問わず)朝鮮人、中国人以外にも合法的に存在している人々はいますが、そのことについては言及しないとしても、「不法滞在者」としてくくられる人々はどういう認識が与えられているのか、少し気になります。
いま、移住労働者(移民)の存在権・定住権を要求する運動がヨーロッパ各地で広がっています。食べるために職を求めて「不法に移り住んできた」人々の合法化を要求する運動です。(排外主義者がカリカリしそうな内容ですが(笑))
たとえば、フランスでは「サン・パピエ」、スペインでは「シン・パペレス」という法的地位にある人(イタリアでは何というか忘れたけど同様、「許可証なし=不法滞在」とさせられている人)が、レイシズム/排外主義に抗して自ら生存する権利を主張し(スペインでは「Papeles
paratodos y para todos(すべての人間に許可証を)」というスローガンが掲げられている)、またそれを支援する人々の運動がひろがっています。
※ここでいうパピエ、パペレスとは英語でいうペーパー、意訳すれば滞在(定住)許可証をさしています。
そのときに主張されることは、排外主義者がいうような、自分達はまるごと「犯罪の温床」であるわけがない、単に生きるための仕事を求めて移動してきたにすぎない、しかし国家的な規制によって正規の労働権も争議権・団交権も認められていない、不当解雇や賃金未払い、怪我をしても労災と認定されないど、労働の場で何かあっても泣き寝入りせざるをえない無権利状態から脱したいのだ、ということです。ほとんど生存権の主張と言ってもいいくらいです。しかしマスコミなどを通じて、あるいは極右排外主義者のプロパガンダなどによって押し付けられる役割、即ち、「法を犯して入国したやつら=治安を悪くする=排除撃滅していいやつら」というスケープゴートとさせられている状況があります。それは日本においても変わりはありません。たえず、偏見と排外主義に晒されながら、資本にとっては尤も都合のいい使い捨ての低賃金労働力として存在(ないしプール)させられています。
そうした状況を自ら変えていくために、自己の存在の合法化を求めるという戦術を取りながら、社会を等しく構成する一員として地域定住を展望する動きが出てきています。これも日本でも僅かながらそうした動きはあるわけです。
そこで、いわゆる「在日」と区別して、それ以外のニューカマーを一つにまとめて「不法」と形容するのだとすれば(伝説のワルさんはそういうつもりはないかもしれませんが)、やはり不安を覚えたりするのです。
法がある以上、「犯罪」を犯す人は、何人であれ、存在します。それはもう日本人だろうが朝鮮人だろうが中国人だろうがアメリカ人だろうが何人だろうが、そうなのです。しかし、積極的に「犯罪」の与件となる行為を行うつもりがなくとも存在自体が「不法」とされている人と、主体的「犯罪」実行者とは、やはり事分けしなければならないだろうと思います。不法滞在者≠不良外国人(何を良い悪いとするのは置くとして)であると分かるように、やはり注意して表現した方がいいのかなーと思うのです。
ちなみに、「すべての移住労働者とその家族の権利保護に関する国際条約(移住労働者の権利条約)」という条約(90年12月国連総会採択、03年3月グアテマラが20番目に批准し、03年7月より発効、現在22ヶ国批准)がありますが、日本国は批准していません。
http://www.december18.net/UNconvention.htm
余計な茶々いれかもしれません。
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日本の「大義」はアメリカの「大義」より上等か? 投稿者:黒目 投稿日: 8月22日(金)01時18分13秒
義さんもわかっておられるように、日本の語った「大義」は、日本国家の欲望を覆い隠す為の「表向きの理由」という奴です。インチキです。
「インチキであること」において、アメリカの語ったインチキと日本の語ったインチキの間に、「どっちの方が立派なインチキか?」という事を論点にしても、かなりしょ〜もねえと言わざるを得ないと思います。
で、死んだ日本兵は、この「立派なインチキ」を背負って死んだ事になるわけです。
この兵の死を無駄死ににしないが為に、インチキをインチキである事を認めてはならない、というのは義さんの展開しておられる内容だと思いますが、これは極めて本末転倒した話だと思います。インチキはインチキであり、それは既に蓋が開いているのです。
似たような話はたくさんあります。
「闘って死んだ米軍兵士の死を貶める事は許さない」だの
北朝鮮の悪口はゆるさない、スターリンの悪口はゆるさない、云々カンヌンと、大体は世の中はこういう塩梅で出来上がっています。
しかし、間違ったもんを否定しなければ、我々はいつまでたってもインチキに支配されて生きる事しかできないではないか。
私は、インチキな大義を背負わされて死んだ兵士は、そのインチキによって、その死を貶められているのだと考えます。
その状態を正す事が、後世の我々の仕事ではないのか。
わからんのですが、義さんは
>アジア解放など訴えるつもりはありません。
と言われる。しかし、義さんは日本の訴えた「アジア解放」という「大義」を崇高な大義であると言われる。もし、日本帝国主義が称えた「アジア解放の大義」を、その内容ゆえに正しいと考えるのであれば、その「大義」の内容を共有していなければおかしいのではないですか?
もし、この「大義」が日本が戦争遂行の為の空念仏であったという事を義さんが認めるのであれば、そんなくだらねえ空念仏の為に死んでいった兵は、どういうことになるのですか?
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大義 投稿者:義 投稿日: 8月22日(金)00時25分45秒
猛獣文士様 はじめまして
>自己を正当化するためにアジア諸国を貶めるような論理
私は何も、自己正当化するために「日本の戦争」を論じているのではありません。
なるほど、そういう目でもって私の記帳をみれば、言い訳にしか見えないでしょう。
私がいつ、アジア諸国を辱めるような文章をしたでしょうか。。
黒目様 なかなか「反日」について記帳できない(…汗)
>「アジアの解放」を訴える人が、欧米の視点を介在させた呼び名に固執するというのは、
>極めて不思議な事だと思いますが。
そりゃ、買いかぶりすぎですよ(笑)。アジア解放など訴えるつもりはありません。
歴史用語としての「支那」という言語はどこの国でも使われている。
現代において大陸は「中華人民共和国」なのだから、中国でいいじゃないですか。。
シナという語でしか表現しないとは一度も言ってません。
「日支事変」(支那事変)というように、当たり前のように使われた事があるという事。
蔑称として使われたわけじゃなく、あくまでその当時の言葉として。
ただし、大陸には多数の民族が存在し、現在は中国共産党の「天下」だということで、
その奥にはチベット侵略、ウイグル族弾圧など、未だに「中華思想」があるのですから、
中華人民共和国の「中華」には、政治的な意味もあると私は思います。
>そのインチキの質において、戦争を遂行するために開発された「大義」なるものに
>差異があるのか、と問うているのです。
差があると、私は思うからこそ、逐一例を出して申し上げているのです。
私はイラクに自衛隊を派遣するのは反対です。アフガニスタンなど、今はほぼ無秩序状態で
戦後復興どころか、まず治安の回復が先決である。イラクもそうなる可能性は大いにある。
私が自衛隊派遣の反対な理由は「危険なところに隊員を行かせてはならない」ではありません。
「米国に追従するような主体性無き派遣はしてはならない」という事。
米国の戦争に道義が無いからです。覚悟無き対米追従はなんとしても避けねばならない。
将来、米国が起こした戦争に追従して自衛隊を派遣、米軍を援助した国「日本」となってからでは遅い。
貴殿も米国の戦争の「大義の無さ」は解っておられるのでしょう。
その大義と、大東亜戦争の大義を比べて見てください、と私は言ってます。
「自由と民主主義こそが世界共通の普遍の価値だ。(どこに居るのかもわ
からない)テロリストは国際社会の敵だ」私は日本人だからこそ、こんな
戦争はあまりに身勝手すぎると感じる。
「東亜の新秩序を アジアの土地はアジアに返せ 白人による収奪は許せない」
私はこうした大義であればこそ、使命感に燃え、喜んで国の為に戦争に参加できる。
この裏に、いろんな欺瞞がある事は承知の上です。いままで何度も言ってきたように、
この大義には「国家」としての「国益」を隠す面も大いにある。
しかし、それでも私はこの大義を持ち、その夢を描いて死んでいった兵士達に対して、
「国家のエゴによる無駄死に」とは言いたくないし、言えない。
繰り返し言ってきたのはそういうことです。
もう一度言っておきますが、私は「アジアの人々」に対して、優越感を持ってよいのだという
ような趣旨で、長ったらしく説明しているのではありません。
以上
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補遺 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 8月21日(木)23時24分01秒
私が知る限り、中核は「インドシナ」を70年代後半にも使っておりました。
「差別語」に神経質になっていった時期、華青闘や解同ががんがっていたのが
70年代前半ですので、「差別」に神経質な中核さんはそれよりあとの時期にも
「インドシナ」を使っていることになります。
また、文革当時の外文出版社の本や、「日中友好人士」が出した本、
これらは70年代ですが、「インドシナ」はごく普通に使われております。
また、先日書いたのですが、年代は不明ながら私の書斎のどこか(プ)に
中国人民の「印度支那」ピケ写真があることから、中国人自身が
「インドシナ」を使っていたということになります。
なお、外文出版社は文革宣伝本で「東シナ海」を「東中国海」と表記して
おります。
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インドシナ 投稿者:山口 投稿日: 8月21日(木)22時47分21秒
原則的か?
インドチャイナでもいいが、ずいぶんと失礼な呼称だよな。
あのでっかいとことでっかいとこのあいだ、あいだ、って具合だろ。
固有性や自立性もあったもんじゃない。
"Indochina" as a name was proposed for the region
in the early
19th century by Scottish poet and orientalist John Leyden, because
it lay between India and China -- and perhaps because it had in
its early history been dominated by those superpowers.
だそうよ。
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(無題) 投稿者:コジコジ 投稿日: 8月21日(木)22時19分33秒
失礼しました。8・21・22・14・16は「黒目さんへ」ではなく、「猛獣文
士さんへ」です。
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黒目さんへ 投稿者:コジコジ 投稿日: 8月21日(木)22時14分16秒
僕が言ったのは1972年以降の「社会的」状況に関してです。1945年当時に
時の中国政府が黒目さんが言われたような内容についての申し入れをした
ことについても一応知っています。でもそれは一方的なプロポーズの問題
です。日本帝国主義がそれを受け容れたのは、やはり1972年と考えるのが
妥当ではないでしょうか。そして何よりも僕は「社会的」と表記したはず
です。
…となんだか逆のベクトルで受けとられてしまっているようです。僕とし
ては、「シナ」なる呼称を弁護したつもりはさらさらないのです。むしろ
まったく逆なんです。そこらへんに集約されてしまう様な反差別と運動に
関しての雑感をを述べただけなのですが…。
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むかしむかし 2. 投稿者:鍋山 投稿日: 8月21日(木)21時15分54秒
70年、韓国から孫振斗さんという被爆者が治療を求めて「密航」して来ま
した。
正規の手続きー原爆症治療のための来日がかなわない時代です。
「密航ー強制収容ー強制送還」にたいして、なんとか福岡の病院に入院
し、「被爆者認定」の裁判闘争をはじめます。(病院は原爆症に対応でき
る所ではありませんでしたが)
この支援運動に、東京では、新日本文学系の文化人、市民運動家、東大の
学生などが参加し、福岡では、先ごろ亡くなられた伊藤ルイさん(大杉
栄・伊藤野枝の娘)が病院に付き添いました。
竹中労さんもこの運動に参加し、そして、学生であった私達数人のグルー
プも加わったのですが、ほどなく、ともに排除されてしまいました。
私達のグループについては、「左翼党派だから」、つまり、「反共法国
家・韓国の人の支援に左翼は困る。孫さんに反共法がかかる」というもの
でした。
当時、韓国人や在日の支援に、「左翼(党派)は来るな」という傾向はか
なりありました。
「5年間位の特殊な時代の話」ですが。
有名な「徐勝・俊植兄弟の救援運動」も、左翼党派は直接には関われなか
ったと思います。
竹中労氏も、『山谷・都市反乱の原点』を書き、山谷の支援運動にも関わ
っておられたので、同じように「左翼」として排除されたのではないかと
思われます。
孫振斗さんは、最高裁までいって勝利し被爆者手帳を受け取っています。
「孫振斗手帳裁判」
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/yuu/zaikan4.htm
いずれにしてもその後、民族団体、原水禁、核禁会議などによって、この
問題が取り上げられ、「朝鮮人・韓国人被爆者」、「外国人被爆者」の認
定や補償・治療は、今日不十分ながらも行なわれるようになりました。
「韓国人被爆者支援運動」については、地道な努力が、今日まで続けられ
ているようです。
「在韓被爆者問題市民会議」
http://www.campus.ne.jp/~jcpd/
たしか、竹中さんは、ソウルの「韓国被爆者援護協会」の立ち上げにも関
わっていると思います。
『見捨てられた在韓被爆者』は、竹中さんがその運動に関われなくなった
としても、重大なキッカケをつくった『歴史的な本』と言っていいと思い
ます。
以上、昔話です。
(鍋山三郎さん、50代、男性、会社員)
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貴重な証言であると思う、ありがたいことだ。
当時、学生運動にはセクトもいれば、ノンセクトという“主義”に凝り固
まった人たちもいたそうだ。
竹中労については、「「お付き合い」するのは「たいへん」な人物という
感じ」だったそうだ。そうであろう(^_^;)。
▼時代の違いを、モロに感じるのである。
昭和30年代というと、1955年から1965年。
昭和40年代というと、1965年から1975年。
この年代、特に70年代末までは、独特の“匂い”を感じる。
直接自分が知らない時代だからか、それとも社会自体の変容が理由か、そ
れはわからない。
社会の動きがでこぼこしている感じ、というか。比べると、いまはローラ
ーをかけたような、のっぺりした感じがする。きっとそんなことはないの
だろうけど。
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むかしむかし 1. 投稿者:鍋山 投稿日: 8月21日(木)21時14分41秒
(議論が白熱している所、高校生まで参加している中、こんなので、すい
ません)
2003/08/20-11:05 1697 【Publicity】706
投稿・『見捨てられた在韓被爆者』の時代/オバハン・後方支援なき戦争
などない、他
http://www.emaga.com/bn/?2003080051448514010167.7777
「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?7777
【投稿紹介】▼『見捨てられた在韓被爆者』の時代【転載】▼神浦元彰
(軍事アナリスト)の「J−RCOM」イラク復興支援を国連主導に!▼
「オバハンからの気まぐれ通信」後方支援なき戦争などない
【参考】2003/08/06-01:00 1675 【Publicity】699:見捨てられた在韓被爆者
http://www.emaga.com/bn/bn.cgi?7777
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【投稿紹介】
▼8月6日発信の699号で、竹中労が編集した『見捨てられた在韓被爆
者』を紹介したところ、当時のことをよく知っておられる読者の方から、
メールをいただいた。
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竹山徹朗様
はじめまして鍋山三郎といいます(失礼ながらペンネームです。)
「ブナ林便り」で、懐かしい書名『見捨てられた在韓被爆者』をみつけ、
メールすることにしました。家の中をさがせば、どこかにこの本はあると
思います。
以下、私の経験を書きます。しかし、なにぶん30年以上前のことであり、
私は日記やノートをつけないので、不正確な部分が多いと思いますが。
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竹山さん結び部分
▼竹中は『見捨てられた在韓被爆者』の「結び――」に、「このレポート
が、既成党派、セクトの政治主義的運動をのりこえることに役立てば、―
―幸いである」と書いている。
これは、竹中の真情だったとぼくは思う。そして、実際に役立ったのだろ
うか。役立たなかったのだろうか。
▼後世に残せるのは感情ではなく「思想」であると加藤周一は書いた。
古関彰一は「厭戦感情」から「反戦思想」をつくりだせなかった戦後日本
の民主主義を指摘した。
「根」は、ぼくが想像している以上に、はるかに深い。
そういうことを、竹中労の34年前の文章――ぼくが生まれる前に書かれ
ていた文章は、ぼくに教えてくれる。
2003年8月。見捨てられて久しいのは、在韓被爆者か。
それとも、『見捨てられた在韓被爆者』を生み出した、眼と、手と、足
か。
−−−−−−−−−−−− |開けて知ろうとはしなかったのです。戦後史はまっかなウソ,実 ヘ(w
> 29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日 口さんに対して。
-------------------------------- さに「皆さん フで闘 @ 市 。以下[aml 32600] 映 今選挙すれば、内閣は総辞職で退陣になる ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP