四トロ同窓会二次会 2002年10月25日〜27日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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黒目さんへ 投稿者:Muu 投稿日:10月27日(日)15時36分59秒
何度も言いますが、あなたは論理(ロジック)の整合性に拘る姿勢を見せながら、いつも私の述べたことに則して批判する態度が見受けられません。
私は「私は独特の意味の言葉を使う」とは述べたこともありません。
「私は独特の意味の言葉を使うかも知れないので、誤解を無くすために定義した」と言ったのです。だいたい「神学体系」ってなんですか?言葉によるコミュニケーションを破壊しているのはあなたの相手を意を無視した勝手な解釈ですよ。あなたが疑惑としている「神学体系」にいつ私が帰依してるなど、なにを勘違いして隠喩しているのですか?相手を憶測で判断し隠喩で批判する態度では反論も何もできるはずもありません。
北朝鮮のように自らが住んで生活もしていない場で、多くの民衆からの解放へ呼びかけが届かない以上、民衆解放という連帯声明ができないのは、私にとっては当然の事です。
あなたは私が何度も繰り返している内容を無視し、且つその記述の疑問点を示さずじまいです。
しかし、私に向けたレスではないのですが、上記内容の対する黒目さんの疑問らしき箇所に、改めて意見を述べさせて貰います。
>左翼は闘いのない職場や地域にオルグにいって、闘いを作り出したりするではないですか。
確かに大変重要で必要な事です。左翼が人々に自らの置かれている現状を理解を促し、立場を自覚して貰い、そこで闘争や解放に共に立ち上がる。
しかし、北朝鮮の場合は、残念ながら、その場が作れないのです。
たとえて言うならば、ある離島にある宗教組織に加入している信者を「解放」したくとも、組織内部に入り込む事ができなければ、彼(女)ら信者を「解放」することができないと言うことです。信者が自覚的に宗教組織に異議を唱えるなり救出を求める行動があって、はじめて「解放」があるのです。それが無ければ信者にとって、解放を呼びかける勢力がただの宗派の違う敵対行為に見なされるという事です。この考えは人それぞれですので、その点を配慮し私の「道義」と答えたまでです。
皆様へ
皆様から見て、不毛と思われるようなレスの繰り返しに申し訳ございません。
私からみて黒目さんに、謂われのない事で言いがかりを付けられているような気がしています。
確かに、私が黒目さんのレスの一部の内容に疑問を持ちましたが、意見が異なっても相手の言い分が理解できると判断して書き連ねたのです。その点をご了承下さい。
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民社党のようですね 投稿者:黒目 投稿日:10月27日(日)10時42分09秒
荒木 和博 あらき・かずひろ(46)
著述業,拓殖大学海外事情研究所助教授;現代コリア研究所研究部長
昭和31年8月8日東京都生まれ
昭和54年慶応義塾大学法学部政治学科卒業
【経歴】 民社党に入り、本部書記局員を経て、全国青年部事務局長。グループ・フロンティア代表。平成5年無所属で衆院選に立候補。政治活動のかたわら、韓国朝鮮問題などの研究や著述活動を行う。「電力労連」に「韓国語サロン」を連載した。その後、拓殖大学講師。現代コリア研究所研究部長も兼務。著書に「ソウルAtoZ」「愛し哀しき韓国よ」「在日韓国・朝鮮人の参政権要求を糺す」など。
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あ、一同窓生さん 投稿者:菊 投稿日:10月27日(日)10時38分26秒
現代コリア一統は、その昔「日本・朝鮮」(違ったかな)という雑誌を出していました。
佐藤勝己はたぶん共産党活動家上がりだったではないでしょうか。
70年代後半頃には、横井勝さんがよく批判していたので覚えています。
まっぺんさんは、ご存じかもしれません。
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「凍土の共和国」 投稿者:菊 投稿日:10月27日(日)10時31分27秒
実は80年代前半、当時の第4インター日本支部内で「凍土の共和国」が非常に注目されたことがあります。
それは、南北対立の厳しい中で、当時の韓国側からの反共宣伝ではなく、総連に連なると思われる人の金日成体制に対する告発だったからです。しかもそれを出版したのは亜紀書房だったでしょうか(記憶があいまい)。ともかく、親韓派の出版社ではなかった。
ただ、それは組織全体の議論ではなく、亡くなった横井勝氏を中心にした朝鮮小委員会(こういうグループがそれぞれ戦線ごとにあった)とその周辺にとどまっていたとは思いますが。
「凍土の共和国」出版が大きなインパクトを与えたのは、戦後直後から60年頃まで朝鮮連盟→総連という流れの中で、必死に活動をしてきた在日の活動家だったのではないかと想像します。山崎朋子さんが最近朝日新聞から出した「サンダカンまで」という本のなかに、当時の在日学生活動家の様子が生き生きと描かれていますが、その人たちのことで、現在年代的には60代半ばから70代です。
今朝の朝日新聞に作家金石範さんが「平壌宣言は売国的屈辱外交」という講演記事が載っていますが、金石範さんはその年代のなかの年長層です。金石範さんをはじめ、南北統一という観点から38度線以南の出身者で総連の中核的活動家になった人たちは多く、また共和国と総連の官僚化のなかで、疑問を感じて総連を離れたり、距離を置いた人もたくさんいるわけです。そういう人たちに対するインパクト(それを信じるにせよ、信じないにせよ)は、大きかっただろうと思います。
久我山さんやその他の方が指摘されているように、その後共和国には「左翼」(在日の総連から離れた人も含めて)は触れないようにしてきた。触れ続けてきたのは(ある種の利権も含めて)、どうしようもない「主体思想派」か中国以外の社会主義国全面肯定、それを権威として利用する社会党と「協会派」を中心とした人たちだけだった。
そのスキマで北朝鮮に「共和国無条件支持」の立場の対極で関わり続けたのが、自分たちの寄って立つ軍事独裁政権という基盤をなくした「札付きの旧親韓派」佐藤勝己以下の現代コリアや岸信介の孫・安倍晋三という連中だったのだろうと思います(今、彼らは「大活躍」していますが)。
それから、旧日本支部関係者の発言として、久我山さんが上げられている内容は当時の組織全体の認識とは異なっているように思います(もちろん、個人的にはそういう考えの人ともいたでしょうが)。70年代前半には「ソルジェーニツィンは我々の旗である」という論文を巡っての議論があり、ロシアのトロツキストはスターリンによってシベリアに流され、何万人も虐殺された歴史があるのは「トロツキー写真集」などで、メンバーであれば皆知っていましたから。
「凍土の共和国」出版は84年ですか。もう少し前かと思っていました。
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金正日には怒りを通り越してもう... 投稿者:一同窓生 投稿日:10月27日(日)10時26分53秒
クシャクシャにしてしまいたい。拉致被害者はまた厳しい立場に陥っている。親と
子供の狭間ででもう胸中はいかばかりか、想像もできないです。金正日は即刻退陣
しろ!、スターリニストは地球上から消えてなくなれ! という気分です。
それはそれとして、最近TV露出度の高い佐藤勝巳−西岡力の「救う会全国協議会」
の「現代コリア」コンビですが、動きがちょっと気になります。この2人「救う会
全国協議会」の会長−幹事、「現代コリア研究所」の所長−編集長なわけですが、
前者の事務局長、後者の研究部長をやってるのが荒木和博という人物。
この人物は何度か起きたチマチョゴリ切り裂き事件で「総連フレームアップ説」を
いいかげんにバラマイた人物として記憶しています。ためにする発言にびっくり
ものでした。
この人物たちについて詳しい方、おられますか?
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さすがにさすがに(w 投稿者:黒目 投稿日:10月27日(日)07時18分58秒
言葉の意味というものは歴史的社会的に形成されてきているものであり、「私は独特の意味の言葉を使う」などというのは言語でのコミュニケーションが成立しないのであって、それは単に言葉の意味を間違えて覚えているだけなのではないのか、とハゲシク思ったのですが、やはり、言語=ロジックなんであって、論理の地平でいろいろな不都合が生じるようですね(苦笑
Muuさん、なぜ、北朝鮮の国内民衆の決起があるまで「解放に連帯する」と言わない事が「道義」であるのか?Muuさんにとってはそうすることが自明であっても、あるいはどこかの神学的団体においては自明であっても、この話の流れにおいてはその自明性に疑義を訂するという形で俺が話を持ち出しているのであり、で、そこでまさに俺が疑義の対象としている神学体系への帰依を表明されても、それ自身では反論にもなんにもならない訳ですが。
おわかりでしょうか?
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文明か野蛮か 投稿者:dk 投稿日:10月27日(日)01時06分05秒
文明か野蛮かという視点は、トロツキーの論文やローザなどにも登場してくると思うのですが(^^;)
資本主義は野蛮で、社会主義が文明だという観点は、西欧社会民主主義者(今の社民ではなく当時の)では
共有されていたのではないでしょうか?
その辺りを第4インターはどう総括しているのかなと思った次第です...
結局は、日共の自主独立路線は、ある意味で極めて正しかったのだと思っております。その一国社会主義的視点、
スターリニズム的視点の問題を抜きにするなら、この観点が新左翼に共有されなかったという点で、問題は
なかったのでしょうか?
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前々のレスと同じ事ですが 投稿者:Muu 投稿日:10月27日(日)01時00分34秒
黒目さん、あなたはレスを読んで頂けなかったのでしょうか。(さすがに呆れます。
私は北朝鮮の人が決起するまで、解放に連帯すると言えないと話したでしょう。
何度も言うように、他国に住む私たちに於いては抑圧された多くの人々との連帯があってこそ、はじめて解放すべきと言えると考えてます。それが私流の道義です。
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(無題) 投稿者:お砂場 投稿日:10月27日(日)00時41分32秒
私もATT久我山さんの
>結局、ヒトにこだわらない思想など、右でも左でも絶対に滅びる、と実感します。
は、そうだと思います。
経営学においては確かにヒトの欲求なども研究対象ですね。(マズローの欲求5段階説)
組織はヒトなり、ともいいますし。
でも行き過ぎると経営管理論ですから、どうしても大壇上からヒトをコマのように見てしまう傾向はありますが、意志も嗜好も違う集まりであるということを前提にして考え、常に組織をフレキシブルなものとして、そして又、その時代のニーズも依拠して考えなければその組織の停滞は免れないというところはどんな組織にも当てはまるのかな。
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)22時57分21秒
その「個人的な道義性」の内実を、ここで説明してもらえばいいのではな
いのですか?
なぜ、金王朝打倒を言う事が、Muuさんの道義に反する事になるのか、と
いうことをです。
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レスのようなもの 投稿者:Muu 投稿日:10月26日(土)22時53分55秒
私に聞くまでも無く、黒目さんはどうぞ北朝鮮の「人民解放」といってください。
繰り返しに成りますが、私が北朝鮮「解放」と言えないのは、あくまで個人的な道義性ですから。
私はまず、自身の生活の場である国内が少しでも住み良くなるために、どのような形の運動が可能なのか考えます。
AIT久我山支部さん
金 元祚『凍土の共和国』ですか、私も探して読んで見ようと思います。
>結局、ヒトにこだわらない思想など、右でも左でも絶対に滅びる、と実感します。
このことは私も痛感します。大切なことですね。
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)22時20分58秒
>今、北朝鮮で生活の基盤をもって日々の生活をがんばりながらも、
>送っている人々の日常を潰しても仕方無いと言い切れないのです。
それは日本帝国主義下においても日々の生活をがんばりながらも送っている人は俺自身を含めてぎょーさんいる訳ですが、それは日本帝国主義を免罪するものでしょうが?
あるいはアメリカにおいては?
>個人的な道義性に於いて「解放」とは言えないだけです。
世界中のどこの地においても、がんばりながら日常を送っている人がいると思いますが、
どこのどういう状態に於ける「解放」であれば道義的に言えるのでしょうか?
なぜ、北朝鮮において、今の状態が改まる事が「解放」と言い得ないのでしょうか?
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うひゃひゃひゃひゃ! 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)22時12分00秒
>そもそも義務でやるようなものでもない。(だから始末におえないのかもトカイウ)
は〜もっともだ〜、もっともだ(w
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レスのようなもの 投稿者:Muu 投稿日:10月26日(土)22時08分48秒
noizさん
>ということは誰も否定してないと思いますよ。
わかってます。
当然、あなたの言うように北朝鮮を含め世界中のあらゆる事情を吟味し、認識を深める事は大切だと思っています。
ただ、今から北朝鮮に行き何らかの行動を起こさなければ、カンボジアの二の前になり責任追求の勢いでしたから・・・W。
私は当然、各種市民運動や階級闘争に加わっていなくても、誰かが発言する権利を制限することは出来ないと思います。発言に国とか地域、組織の外部内部は関係ありません。それを失うと個人そのものが崩壊してしまいます。
私も無責任な発言ですが北朝鮮(金王国)は早く崩壊して貰いたいという気持ちも持っています。と同時に今、北朝鮮で生活の基盤をもって日々の生活をがんばりながらも、送っている人々の日常を潰しても仕方無いと言い切れないのです。というのは、私がそこで生活している場では無いからです。
これは発言の当事者かどうかの資格の問題ではなく、個人的な道義性に於いて「解放」とは言えないだけです。
黒目さん
>俺がなすべき事は俺が決めますし、Muuさんがそう思われるのであればそうなされるとよいと思います。
そのとおりです。私の意見はあくまで個人的な意見として聞いてください。(聞かなくてもいいですけど^^)
私も黒目さんと同意見ですが、どんな理屈であれ最後には自分の問題です。それを決めるの自分次第ということですね。
因みに
>「全斗煥を倒せ」つって韓国大使館にデモにいってた
残念ながら私は行きませんし、その意識もありません。
しかし、その行動を否定はしません。むしろ肯定すると思います。例え、それが固有な文化を否定したような捕鯨反対運動にしても同じです。
>普通は怒らせようという意図でもない限りはこういう事はいわないものだと思いますが
言い訳ですが、よく新左翼党派が「粉砕」「解放」「連帯」のような過剰なスローガンだけで、実態が伴わない場合が多く、かえってシラケさせてしまう状況を目にし、思わず重なって見えたのです。確かに、感情的な発言なのは事実です。失礼しました。
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あ。 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月26日(土)22時03分54秒
以下は、何も旧日本支部への問い、というスタンスではありませんので、
念のため。
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ちなみに 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月26日(土)22時00分34秒
>>金 元祚『凍土の共和国』の刊行が1984年
当時の「左翼」で(いずれの党派・非党派のいずれを問わず)、この本のまともな評価をしたというのは聞いたことがありません。無論、北部朝鮮への評価の濃淡を別にしてです。
結局、「社会主義に敵対するものだ」「帝国主義を利する」というトーンであったように思われます。
構造改革派の人が少しは理解を示した、ような記憶がありますか。
丁度同じ時期、僕が、一時期の旧日本支部の諸氏の大衆運動における貢献を一定評価しつつ、どうしても馴染めなかった理由は、「既存社会主義」の評価にあります。前にも書いたと思うけど。
ソルジェニーツィンの評価に始まり、
『君の論法はファシストの反ソ・反共キャンペーンを利するものだ』という論点の立て方、あるいは、「まるでアウシュビッツやシベリアのようだ」という「大衆」の書いたビラの文言に、「シベリアを削除しろ」というその「センス」といい、どうも納得できないものを感じ続けました。
それは、2002年の今日、「左翼」への根源的な問いと継続してあり続けるものです。
結局、そこにはヒトへの想像力がない、ということに尽きます。ヒトよりも党であり、組織であり、イデオロギーであったりする。
資本主義の側は、徹底的にヒトに拘った部分があります。無論、それは「社会主義」への対抗であり、資本主義の延命のためであったのかもしれませんが、経営学などをかじると(以前にも書きましたが)、「これでは左翼は勝てんよなぁ」とつくづく思います。
社会主義を自称する以上、「筋道は合っているのだが、方法論でちょいとね」とか言ってみたりする。その「筋道」でぶっ殺されたり、抑圧されたり、飢え死にしているヒトのことより、その「左翼性」の有無が問題となる。
「凍土」は幻だ。そういう声まで聞いたことがあります。
右翼の軍事独裁なら直ちに粉砕だが、左翼(を自称する)軍事独裁なら、
「まぁ、一応あれ左翼って言っているしなぁ」となるし。
結局、ヒトにこだわらない思想など、右でも左でも絶対に滅びる、と実感します。
「左翼」をやめようか、と思ったのはそんなときだったのかもしれません。
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そんな奴はそもそも左翼にならないと思います(苦笑 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)21時44分24秒
>しかし、あなたが世界を救わなければ成らない義務は無いのですよ。
世界を救おうとするようなアホが左翼になるのではないですか?(苦笑
>はっきり言いますと、私たちの今できうる闘いの中心は、この日本からなのです。日本の階級闘争や反差別闘争などを前進させることが、北朝鮮「解放」よりも主眼に置かなければ成らないことなのではないでしょうか?
では「全斗煥を倒せ」つって韓国大使館にデモにいってた、あれはなんだったのでしょう?
俺がなすべき事は俺が決めますし、Muuさんがそう思われるのであればそうなされるとよいと思います。俺のなす事をMuuさんが変更させようとするのであれば、なぜ、金王朝打倒をいうべきではなく、日本の階級闘争や反差別闘争などを前進させることをするべきなのかを俺に納得させなければならないと思います。
>あなたは「解放」「闘い」とう言葉を書き連ねることで左翼的な闘いを邁進させているような錯覚をしているようにも見受けられます。
>不躾な言い方ですが、あなたに対する悪意と思われないことを願います。
普通は怒らせようという意図でもない限りはこういう事はいわないものだと思いますが、これは文言通りに解釈すべきではない特殊な意味合いを持つ文章だと理解すべきなのでしょうか?(W
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あれ 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:10月26日(土)21時28分54秒
「解放されなくてはならない」
と言って、なんでこれが、ブッシュと同一の立場になるか理解できんので
す。それに植民地支配とは「解放」じゃなくて、自分らが支配するためのも
のでしょ?そういうカッコ付きの解放を指したんではないっす、そもそも。
>>人間はあんなものからは解放されなければならないと思うわけです。(noiz氏)
という当然のことを言うべき時に、「社会主義」の隠れ蓑があった場合に、
それに躊躇し、あるいは隠蔽してきた「左」の側に対して、そもそもそれ
は
違うんではないの全然、という当然のアンチが封殺されてきたことに対する、
至極当たり前の対応としてあるだけの話、なんですけどね。
しかし「既存社会主義」(自称含む)の問題を論ずる度に思うことですが、
100数十年前のアナキストが「当時」言っていたことが、そのまま当たってし
まったとしか言いようがない、というのを、さらに改めて繰り返さざるを得
ない、そういう心境なわけです。またしても。
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ぉぉ、 投稿者:noiz 投稿日:10月26日(土)21時20分50秒
野次馬さん、皆さん、
「解放の論理」の類似性についてのご指摘はよく分かりました。大日本帝国にしても「西洋列強からの解放」を掲げていたんでした。「正義」は誰にもある。ううむ。
そうしてみるといい腐し続けることにはやはり正直いって逡巡を覚えるわけですけど、少なくとも王朝は支持できないという個人的なスタンスは明らかにしておこうという思いだけは変わらないです。
「解放は自らの手で」(正確には「労働者の解放は労働者によって行われるべきである」)ということは第一インター以来の社会主義者のテーゼであったわけですが、そうした主張を北朝鮮の「民衆」に呼びかける手段と努力とを持たない私は、やはり黙っているべきなんだろうか?
もちろん世界救済の義務はぼくにも誰にもないわけですし、「日本の階級闘争や反差別闘争などを前進させること」などについても同様です。あらゆる闘いに義務なんてないし、そもそも義務でやるようなものでもない。(だから始末におえないのかもトカイウ) 個人的に引き付けて考えてみたところで、「反資本主義」とかいってグダグダやってるのは… 確かに義務からではありませんね。
でも、
>私たちの今できうる闘いの中心は、この日本からなのです。
ということは誰も否定してないと思いますよ。単に話の流れから言って、北朝鮮どうなのよ?って話題が続いているだけで… それにそもそも「認識を深めるための議論だけ」というのは、悪いことなんでしょうか?(これも暴言かも)
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ちょっと、宜しいですか? 投稿者:Muu 投稿日:10月26日(土)20時18分54秒
黒目さん、あなたの憤りは理解できます。
しかし、あなたが世界を救わなければ成らない義務は無いのですよ。
もし、左翼として北朝鮮を憂うのなら逮捕監禁即死覚悟で北朝鮮に渡航し、
人民の決起を促すビラまきでもされたら如何ですか?
言葉で北朝鮮の「解放」やポルポトの責任を問うことは簡単です。問題な
のは如何にそれを実行に移すことです。
あなたは「解放」「闘い」とう言葉を書き連ねることで左翼的な闘いを邁
進させているような錯覚をしているようにも見受けられます。
はっきり言いますと、私たちの今できうる闘いの中心は、この日本からな
のです。日本の階級闘争や反差別闘争などを前進させることが、北朝鮮
「解放」よりも主眼に置かなければ成らないことなのではないでしょう
か?
辛い発言で申し訳無いのですが、今回の黒目さんの発言には危機感ばかり
で、では如何に解放させるかが抜け落ちている気がします。
不躾な言い方ですが、あなたに対する悪意と思われないことを願います。
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)18時59分49秒
たしかもののべながおきさんがなんかで書いておられたのですが、米軍機から機銃掃射を受けた、と。で、当時の左翼の認識は、反ファシズムの連合国が日本帝国主義を倒す、と。で、その米軍が自分を殺そうと執拗に攻撃してくる。この事に対する答えは出ない、といった趣旨であったと思います。
んで、日本の民衆の立場で、米軍の空襲を「日本帝国主義打倒の為に必要な事であった」としうる立場というのは存在しないのではないか?
この辺に我々的な立場からいうところの北朝鮮解放と、アメリカのいうところの「野蛮との闘い」というのの分岐点と捉えるべきなのではないか、とつらつらと思う訳です。
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しかしさ 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)18時47分00秒
左翼は闘いのない職場や地域にオルグにいって、闘いを作り出したりするではないですか。
現在、北朝鮮に入り込んだ日には即死!という非常にキビシイ状況である訳ですが。
で、なぜ、内部での闘いがないのか、というと、それは片っ端から殺しちゃうからなのであって、そこでの闘いは国際的な連帯を基礎にしたもの以外、そもそも存在しえないのではないか?
また、ポルポト政権のベトナム軍による打倒、というのがありました。で、現実にカンボジアの人はベトナムに感謝しているわけではない(これはUNTACが入った時の選挙結果をみると明白だと思いますが)。
「じゃあ、ポルポト派をどうすればよかったのか?」という問いは、答えがでないまま、そのまま転がっていると思いますが、このベトナムの侵攻は「野蛮からの解放」というロジック以外の何物かで正当化しうるのか?
いろんな形での問いを思いつくままに挙げているのですが、勿論、俺もまだ明快な回答を持ってはいません。ただ、金王朝が速やかに倒れる事が、北朝鮮民衆が生き延びる事が出来る可能性を増やすことだ、と認識しているのみです。
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横道にそれるけど 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日:10月26日(土)16時52分52秒
>「いいことは本人を無視して押しつけてもよい」
これについてPKO闘争の頃、悩んだんです。もし、カンボジア民衆が国連の介入を望んでいるなら、「UNTACによるカンボジア支配反対」というスローガンは、カンボジア民衆にとっては大きなお世話かもしれない、とか。
当該地域の民衆が「ほっといてくれ」と言っているのに介入するのは弾劾されても仕方ないにしても、もしそうでないなら、外から「介入反対」を言うことは、それもまた押付ではないかと思ったりしたんです。
ユーゴ空爆の頃の米国のデモの写真に、「ルワンダをほっといたくせに」というプラカードがありました。数十万ともいわれる人が殺されつづけても、何もすべきではないのか?と、正直わからなくなる事があります。一方、介入したらもっと混乱する可能性もある。92年暮れのソマリア介入は、事態を更に混乱させて、結局米軍は投げ出した。
あるいは第二次大戦中に我々が連合国の側にいたらどうしたであろうか?コミンテルンと同調して「反ファシズム戦争」に協力したか?「ABCD包囲網で日本を追い詰め、第一次大戦の責任を全てドイツに押し付け追い詰めたのは、欧米敵国主義だ」と、自国帝国主義の戦争政策に反対したのだろうか?「アジア侵略もユダヤ人虐殺も看過できない。しかし、ドレスデンや東京を無差別に爆撃する事は許されない」と主張するか?
あるいはその後の日本への駐留軍についてはどうか?「帝国主義による日本占領粉砕」と言っているときに、日本国内の反軍国主義勢力が「米軍は解放軍」などと主張したら、「やりにくいな〜」と思うだろうな。
http://8549.teacup.com/akaiyamame/bbs
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解放について 投稿者:Muu 投稿日:10月26日(土)15時39分40秒
北朝鮮の「解放」に関しては、まずその「解放」されるべき人々の姿が、公に成らない現状では、
「文明VS野蛮」と同じ姿勢と言わざるえません。
確かに私たちからみると金王朝でもある北朝鮮は、国際的に鎖国状態ともいえ事態で、そこに住む人が何を考え、現状にどのように思っているか本当のところよくわかりません。亡命者の実態からも、伺い知れることができますが、まだまだ少数です。
突き放した言い方ですが、旧「共産圏」と同じように、そこに住む人々の決起があってこそ、はじめて北朝鮮の人々と連帯した解放闘争が始まると思われます。
また、北朝鮮の方からみると、私たち日本人も米帝に支配され洗脳されている「解放」対象なのかも知れませんし・・・。
まずは、北朝鮮の人々の動向を注意深く見つめることが、「解放」云々より必要なことではないでしょうか?
書き込んだ後、下のレス見ましたらまっぺんさんの書き込み追加されていました。
ほとんど同時に同じ事いってしまったんですね。(まっぺんさんの方が格段に名文ですけど・・)(..;)
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Re:圧政からの解放 投稿者:まっぺん 投稿日:10月26日(土)15時30分45秒
植民地支配は「野蛮からの解放」「未開からの解放」を大義名分としておこなわれてきた。
まず文明的に「進んだ状態にある自分たち」=ヨーロッパ資本主義と政治体制を基準として、先進諸国は「文明」を押しつけてきたわけです。アメリカ政府によるハワイ簒奪に際して先住民が分離独立の署名嘆願書を米議会に提出した事は最近まで知りませんでした。
いま拉致被害者本人の意志を無視して、その家族の意志を優先し「永住帰国の方針」を勝手に決定した日本政府のやり方にも、こういう思想=「いいことは本人を無視して押しつけてもよい」という思想が見られます。「五族共和の王道楽土」はこういう思想の延長上にあるんじゃないだろうか。「北朝鮮はひどい」という(それ自身は事実ですが)目先の理由で、社会や人間関係のあり方についての道を踏み外したとき、人は易々と「国家思想」のワナにはまっていく。北朝鮮に対して、その国家に対して、その人民に対して、どう考えるかは、ある意味われわれ自身にとっても試練であるような気がします。
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解放への立場 投稿者:野次馬 投稿日:10月26日(土)13時47分31秒
金 元祚『凍土の共和国』の刊行が1984年ですので、それ以来、李英和『北朝鮮 秘密集会の夜』まで、少なくとも20年近くは、「共和国」と自称する国の実態がどうであるかを「反共宣伝」とは別の経路で、かなり具体的なところまで知ることができたのです。しかし、その内容について、たとえば行きつけの「共和国」籍の焼き肉屋の方々とあえて話そうとはしてきませんでした。日帝38年に対する負い目と、書物による知識というのはあくまで側聞でしかないこと、これらが「しりごみ」の原因です。現実には、ポルポト政権に準ずるような、旧ソ連の1930年代、中国の文革期以上の苛烈な支配情況にあるとは思いますが、具体的にはどのような行動をとるべきか、未だ見えていません。
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インディー・ジョーンズ 投稿者:野次馬 投稿日:10月26日(土)13時08分40秒
>圧制に対する「解放」をという立場がどのように「文明VS野蛮」に類似しているのでしょうか?
『圧政に対する「解放」』という論法が、テキサス共和国、米西戦争、ハワイ独立以来のアメリカ帝国主義の流儀なのです。さらに、スピルバーグの映画『インディー・ジョーンズ 魔宮の伝説』が参考になる旨、藤原帰一『デモクラシーの帝国』(岩波新書)では指摘されていました。日帝の中国侵略の際(いわゆる満州事変の時)にも、似た論法が使われていたと思います。
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金正日体制打倒について。 投稿者:菊 投稿日:10月26日(土)12時10分05秒
まっぺんさんがいうように、「金正日官僚体制打倒」という時に、誰が打倒するのかということが問題になる。私もそれは「北の民衆」しかいないだろうと思う。それをアメリカにやらせるわけにはいかない。
今の北朝鮮でそれが可能だろうか。
金日成−金正日体制のもとで、50年以上にわたって(実に1世代以上!)、思想の自由や表現の自由もない。反対派は朴憲永をはじめ、常に粛清されてきた。そうした状況の中では、当面は不可能のように思う。
先日ここにも少し書いたが、中国貿易をやっている昔の仲間と会ったら、中国の江沢民政権はパクチョンヒや將経国のような「開発独裁」を目指しているといっていた。なるほどなあ、と思ったが、金正日政権も(うまくいくかどうかは別にして)、1周遅れの開発独裁を目指しているのだろうと思う。そこで、政府開発援助と資本の導入に都合の悪いものは、切り捨てる。何しろ、スターリン独裁体制以上の封建君主体制だから、ぱっと切り替わる。
そうすると、渡航の自由から始まって、思想の自由が保障されるなかで、初めて金正日体制の打倒(中国のように、金儲けのために共産党−労働党に入党する奴らがあふれるかもしれないが)を考える主体の登場が現実的な可能性を帯びるのではないだろうかという気がする。
昨日、今日のニュースを見ると拉致された人々は、今二度三度国家間の取引材料にされようとしている。
日本では、親韓派の末裔で韓国の軍事独裁という「よるべき大樹と利権」をなくした安倍晋三をはじめとするナショナリストが北朝鮮非難の先頭に立ち、国家を全面に押し立てて利用しようとしている。また、家族を支援する人々の中にも、そういう連中が見え隠れする。
その一方で、「わずか数人の死をもって、過敏に反応する日本の態度は、新たな朝日関係に悪い影響を与えるだろう」という朝鮮労働党の声明は、日本の植民地支配の犯罪性を表向き糾弾しているようだが、実は日本のナショナリストと「相互依存」関係にあるように思える。
「愛国心はならずものの最後の逃げ場所」(だったかな)という言葉があるが、どちらもそこに逃げ込もうとしている。そこにあるのは「国家権力」の論理であり、人の生き死にを国家が利用しようとするやり方だ。
人の「死」はどこまでも個人的なものであって、それを国家がどういう形であろうと利用するのは許されるべきではない。あるいは逆に、個人にはその真相をあくまで追求する「権利」があると思う。その意味で、さらわれた人の家族が真相を究明しようとする気持ちを持つように、中国人や朝鮮人の家族も日本に強制連行されたり、虐殺された肉親の真相を究明したいと思うだろう。その責任を不問に付したまま、「国家のレベル」で歴史の清算という形で決着をつけることはできない。
相似形のナショナリストの「偽善」を明らかにするためにも、朝鮮半島との自由な行き来とそれにもとづく一人ひとりの人間同士の交流、信頼感の構築が必要だと思う。国家間の儀礼的なやりとりではなく、市民一人ひとりの行き来きや交流のなかにしか、朝鮮民族に対する差別意識をなくしていく手がかりもないのではないか。
そこからしか、始まらないような気がする。
まっぺんさんは「カゲキな時代のスローガン」といっていましたが、私たちが夢見た極東解放革命や統一朝鮮革命というのは「見果てぬ夢」だったのでしょうか。
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いや〜やはり 投稿者:黒目 投稿日:10月26日(土)11時26分26秒
類似はしているんだと思うんですよ。その辺の区別がつかなくなった奴がどこだったかのアナキャピになったりする訳で。
「文明vs野蛮」というのがまさにアメリカが提示する枠組みであって、冷戦構造崩壊以降、アメリカは自らが「圧制に対する解放者」であるかのように立ち振る舞ってきていると思います。
で、我々はまさにその立ち振る舞いに反対してきた訳ですが、その中ででも、常にその「野蛮」と目されたところの民衆はどうなのか、という事が、我々の間で議論になってきた。そして常にその国の民衆とその国の政権を混同するような議論が生じてきていたと思います。せやし、これって、毎度おなじみの話ではあるんですよね。
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んー 投稿者:noiz 投稿日:10月26日(土)10時51分13秒
誰も自分たちが文明派だから正義であるという立場性をもって発言しているわけではないと思うんですが… 圧制に対する「解放」をという立場がどのように「文明VS野蛮」に類似しているのでしょうか?
とこだわるのも、ぼく自身も、キム血族+軍部官僚による専制支配は打破されなければならないものだろうと思うからです。それは拉致事件があろうと、なかろうと、そう思います B>
新しい時代のことのようです。アイスランド航空のサイトに、アイスラン
ド史の概略が述べられています。