四トロ同窓会二次会 2002年6月16日〜18日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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日本語がうまく操れない (^^;; 投稿者:noiz 投稿日: 6月18日(火)23時38分26秒
修正文組み込み済み(管理人)
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コミュニケの性格 投稿者:noiz 投稿日: 6月18日(火)23時35分28秒
注:上記の言明と分析は、ACMEコレクティブのものであり、N30に参加したブラックブロック全てや、当日暴動や器物破損行為に従事した人々を代表していると解釈してはならない。
Disclaimer: these observations and analyses represent only those
of the ACME Collective and should not be construed to be representative
of the rest of the black bloc on N30 or anyone else who engaged
in riot or property destruction that day.
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シアトルの闘いにおいてBBとして行動したACMEコレクティブは、上記のようにわざわざ断わりをいれています。なぜなのか?
以前にもこの掲示板に書いた通り、BBは一つの統一した組織ではなく、現場で結集する行動体であるからです。そのフットワークの軽い離合集散が、「けつもってねえんじゃねえの?」という不信を抱かせるであろうし、またそうした不信を招く在り方がありうべき戦術批判を呼び起こすとぼくは思っていますが、とにかくこのBBの組織形態が静的ではなく動的であるということが、あらゆる他組織の困惑と反感の所以の一つになっているかもしれません。
BBのようにフード・マスクなどで顔をおおってしかも全身黒っぽい格好をしていれば、警察の諜報部隊がこれを模倣することはいかに簡単であることかは皆さんお分かりになると思います。まさにその点において、つまり謀略を招きやすいという意味での戦術批判は、BB以外の現場で闘う人間ほぼすべてがしうるものでしょう。
ただしかし、BBは行動ごとの結集体であるという事実を踏まえるならば、「シアトルのときの一グループの声明」をもって「ジェノヴァ以降」の状況一般について付会するのは、ちょっと無理があるのではないかなと思います。
批判するのであれば(BBの)個々のグループが一体何をやって、それのどこが批判されるべきなのかということをきちんと詰めていかなければ、悪戯に抽象化して存在しない対象への空虚な批判を繰り返す徒労に踏み込む可能性は十分あるのではないでしょうか。
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続き 投稿者:noiz 投稿日: 6月18日(火)23時26分11秒
<所有に対する暴力について>
我々は、器物損壊行為は、それが生命を破壊したり、その損壊プロセスで苦痛を生ぜしめたりしない限り、暴力的な活動ではない、と主張する。この定義からすれば、私有財産−−特に、大企業の私有財産−−は、それ自体で、それに対して取られるいかなる行動よりも莫大に暴力的なのだ。私的財産は、個人の所有物とは異なる。後者は使用に基づいているが、前者は商売に基づいている。個人の所有物の前提は、我々個々人は自分が欲するものを持つということである。私有財産の前提は、我々個々人は誰か他の人が欲するものを持っているということなのだ。私有財産権に基づいた社会においては、他者が必要としていたり欲したりしているものをより多く作り出すことができればできるほど、多くの権力を持つ。さらに言えば、そうした人々は、多くの場合自分達の利益増大のために、他者が何を欲し、何を望んでいると意識するかに対してもより多くの統制力を行使するのである。「自由取引」の擁護者は、このプロセスをその帰結まで持っていきたいと思っているようだ。つまり、他者全員の生に対して究極的統制を及ぼす独占数企業のネットワークである。「公正取引」の擁護者は、このプロセスを政府の規制によって緩和しようと思っている。つまり、基本的な人道主義的基準を表面上押し付けようというわけだ。
アナキストとして、我々はこれら双方の立場を軽蔑する。私的所有−−そしてその拡大である資本主義−−は、本質的に暴力的であり、抑圧的であり、改良することも緩和することもできないのだ。全ての人々の力が幾つかの大企業上層部の手中に集中するにせよ、後年にやって来る大災害を緩和することに責任を持っている規制機関に転換されるにせよ、ヒエラルキーのない社会に人々がいる場合と比較すれば、いずれにせよ、誰も自由になることも、力を持つこともできないのである。
窓ガラスを壊すとき、我々は、私的所有権を取り巻く正当性の薄っぺらな板を破壊しようとしているのだ。同時に、我々は、我々の周囲のほとんど全てに染み込んでいる暴力的・破壊的社会関係を悪魔払いしているのである。私的所有を「破壊する」ことで、我々はその限定的な交換価値を拡充的な使用価値へと変換するのである。店頭の窓ガラスは、小売店の抑圧的雰囲気に新鮮な空気を導く通気口になってくれる(少なくとも、警察が近くの路上バリケードで催涙ガスをまきちらす決定を下すまでは)。新聞ボックス(訳注:米国では路上に、新聞を売るための小型のボックス型の販売機がある)は、こうした通気口や、公的空間の奪還を求めた小規模バリケードや、その上に立つことによって有利な地位を改善する対象を創り出す道具になる。ゴミ箱は、暴れまくる警官軍団に対する障害物になり、燃やしてしまえば暖をとることもできるし、ライトにもなる。ビルの正面は、より良い世界を求めていろいろな考えをブレインストーミングしたときの記録用掲示板になる。
N30の後、多くの人々が商店の窓ガラスやハンマーを以前と同じように見ることはなくなった。都市の全景観の潜在的使用可能性は、千倍にも増大した。壊された窓ガラスの数は、同じぐらい多くの破壊された呪文で覆われている−−これらの呪文をかけているのは、大企業のヘゲモニーなのであり、私有財産権の名において行われた暴力全てを忘れるように、そして、私有財産のない社会の潜在可能性全てを忘れるように我々を寝静まらせようとしているのだ。壊された窓ガラスには板を張ることができ(もちろん、森林を無駄にしてはいるが)、最終的には、修復される。だが、前提の破壊は、望むらくは、いつの日にか実現するまで継続するであろう。
(『アナキズム』1号所収の翻訳テキストの引用)
原文(英語)はここで読めます。
http://www.infoshop.org/octo/wto_blackbloc.html
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さて、一部のみの引用を全体へと復元してみます 投稿者:noiz 投稿日: 6月18日(火)23時24分55秒
せみまるさんのBBの言葉の引用が、どのようなコンテクストもとに使われたのかということを明らかにしておきましょう。
>つまり黒目さんは「ブラックブロック批判をするのは権力の謀略に乗っている」ということによって、客観的にはブラックブロックの商店破壊を「容認する立場」といわれてもしょうがないと思いますが。それとも、「商店破壊は全面的に警察の行為であって、ブラックブロックには全く責任がない」と言い切るなら、その立場は認めましょう。ただ、ブラックブロック自身はそうは言っていないと思いますよ。彼らは(といっても、統一した組織ではないので、個人的声明なんですけど)こう言っています。
>>店頭の窓ガラスは、小売店の抑圧的雰囲気に新鮮な空気を導く通気口になってくれる
>これは「小売店の窓ガラスを壊せ」と言っていると解釈するのが妥当だと思いますが? この行為を擁護しますかしませんか?
このせみまるさんが引用しているBB参加者の「店頭の窓ガラス」は、「商店」一般というよりも、反グロ運動において糾弾の標的となっている大資本の店鋪のショーウィンドウと限定した方が原文の意志を尊重することになります。
出典先の「N30 Black Bloc Communique / ACME Collective 10:48am SatDec 4 '99」をすべて読めば、このテクストの発話者の意図が「大企業店鋪を象徴的に破壊して私有財産性の暴力性に対抗する」というプロパガンダにあることは明らかです。このコミュニケの冒頭には、シアトルの闘い(1999年)におけるBBの一グループであるACMEコレクティブ一派は繁華街の大企業を標的に破壊活動を行ったことを自ら宣明しています。(そしてまたこのコミュニケでは「自動車の破壊」については一切言及していません。)
標的にした企業リスト
・フェデリティ=インベストメント(コロンビアのウワ族を破滅に追いやったオキシデンタル石油の主要投資企業) ・バンクオブアメリカUSバンコープ、キーバンクワシントン相互銀行 ・オールド・ネイビー、バナナリパブリック、GAP(ファブレス(工場を持たない)企業。生産拠点を「第三世界」諸国に移して人件費コストを圧倒的に圧縮するトレンド企業群) ・ナイキタウン、リーバイス ・マクドナルド ・スターバックス ・ワーナー・ブラザーズ ・プラネットハリウッド
肝心の「店頭の窓ガラスは、小売店の抑圧的雰囲気に新鮮な空気を導く通気口になってくれる」というくだりを前後の文脈も含めて復元してみましょう。これはコミュニケの最後で「所有に対する暴力について」と題された小節で展開された私有財産の否定という文脈にありました。(投稿量が大きいので分割・続く)
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)23時05分20秒
これは熱田派の見解ではないですか。
第4インターがどうだったのか、って問題なのではないのですか?
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Re:おや 投稿者:せみまる 投稿日: 6月18日(火)23時03分38秒
>せみまるさんがそう言われたと記憶してるのですが?
その記憶はまちがいですね。
参考資料↓
http://www.jrcl.net/web/framege5.html
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おや? 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)23時01分15秒
せみまるさんがそう言われたと記憶してるのですが?>3.8分裂評価
過去ログ、みつかんないですね。
どうか、第4インター派の、「3.8分裂への評価」を示して頂ければ幸いですが?
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ぉぃぉぃ… 投稿者:いずみ 投稿日: 6月18日(火)22時58分02秒
>なぜ「テロにも」反対をことさらつけたのかを考えるなら、それは明らかです
って書いてあるじゃないすか…>「自明」云々について
で、まぁそれはいいとしても、
>なお私も「テロ」が9.11に限定した意味かどうかは知らなかったし、あまり意味があるとも思ってなかったです。
という部分に対しまさに批判が出ているのだ、ということではないでしょうか。
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)22時53分19秒
しかし、「テロに反対」と言わない部分=「ざまーみろ」論
である、というような事柄も、全く自明ではないですが、かけはし派はこ
の意図的な混同をおこなっている、って話です。
「意図的」でなかったら、かなりこわいけど(w
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証拠提示をもとむ 投稿者:せみまる 投稿日: 6月18日(火)22時51分39秒
>4トロ的には、「内ゲバ党派」を大衆運動の場から「たたき出す」事に成功した、
>という、積極的に評価すべき事柄である、という事になるわけであって、
すいませんが、それはどこに書いてあったでしょうか? 四トロ派はいつ
そんなことを言ったでしょうか?
権力との闘争の歴史を築いてきた反対同盟の分裂を四トロ派がよろこんで
いるという文章があるなら教えてください。
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「自明」の意味ちがう 投稿者:せみまる 投稿日: 6月18日(火)22時47分53秒
自明なのは「ざまーみろ」論者は決してテロに反対とはいわないだろう、という事です。
「画歴史的」とか「国際的内乱の時代が切りひらかれた」とかほめる党派もいるくらいですから。
下の「匿名」氏も「マルクス主義」に絶望してテロに惹かれてますね。
なお私も「テロ」が9.11に限定した意味かどうかは知らなかったし、
あまり意味があるとも思ってなかったです。
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つーか、 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)22時46分39秒
そんな認識もってるのって、かけはし派ぐらいなんじゃないんですか?まあ、例えば俺は3.8分裂を、我が国の大衆運動に決定的な分裂がもちこまれ、大衆運動全体を衰退させた、極めて否定的な出来事である、と認識しているわけですが、4トロ的には、「内ゲバ党派」を大衆運動の場から「たたき出す」事に成功した、という、積極的に評価すべき事柄である、という事になるわけであって、で、今回もまた、大衆運動の現場から、「テロ容認派」というのを、「たたき出す」ということによって、自派の主張が通るような運動圏を形成しようというような類の策動である、と考えれば、ものすごくよく理解できるわけですが。
まあ、俺なんかは、そういう主張に同調するかのような愚劣な演技は、間違えてもようせんので、いっしょくたに「たたき出される」運命かもしれませんがね(ワラ
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せみまるさん、そんなのちっとも自明じゃないって。 投稿者:いずみ 投稿日:6月18日(火)22時10分57秒
だって、いずみも会議出るまでは「テロにも報復戦争にも反対」の「テロ」って「テロリズム一般」かと思ってたもん。(爆)
で、そうだとしても、今の新時代社とかだと別にそういう市民運動に乗っかるのって矛盾ないと思ってましたし。^^;;;
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そうですねぇ。。。 投稿者:いずみ 投稿日: 6月18日(火)22時09分33秒
いずみは、意外にも、20代前半くらいのよく話せる知人がそれなりにいるのですが、その範囲で見る限りですが、「楽しければよい」という完全思考停止な層と、いわゆる「cool」というのでしょうか、何かの危機感は感じていて、そこからどうスマートに逃げるor渡り歩くかを静かに考える、そんな層のどちらかです。
2chにいるようなウヨ厨は、これらのいずれでもなく、自分の意見を何らかの形で表明せずにはおれないがそのための言語は保守のそれしか選択肢がなく場は2chしか選択肢がない、ということなのかも知れません。そしてLPGさんがかつて別の場で指摘していましたが、「意見表明できない」というルサンチマンが、現行の教育システムに向かい、そのシステムのおかしな部分が全部アカのせいにされる、という妙な構造も、ウヨ厨ばかり、という状況の背景として大きいかも知れませんね。
これを打ち破るのは、そうとう困難だと思いますです。。。
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「テロにも戦争にも反対する」運動 投稿者:せみまる 投稿日: 6月18日(火)22時08分30秒
昨年の同時多発テロのあと続けられてきた「テロにも戦争にも反対する」という運動は、まさしく、そのスローガンゆえに「ざまーみろ派に反対する」運動だったんじゃないですか?
だから、「ざまーみろ派へのレッテル貼りである」というなら、「テロにも戦争にも反対する」運動それ自体が「ざまーみろ派へのレッテル貼り」ということになると思います。新時代社だけの問題じゃないでしょう。
なぜ「テロにも」反対をことさらつけたのかを考えるなら、それは明らかです。資本主義のグローバリゼーションが世界中にますます貧困と不幸の害悪をまき散らしている時に、テロリズムは反資本主義運動全体に対して凶暴な弾圧を招くだけじゃなく、特に不幸の淵にあえいでいる人々に「テロのほうが手っ取り早い」という幻想を抱かせてしまうからです。だから「反資本主義運動」の中でもっと「反テロリズム」を確認していくべきだと思いますよ。
それとも、黒目さんは「反資本主義でまとまるべきであって、テロ容認派もいっしょにやっていくべきだ」と思っているのですか?
なんだか私には、黒目さんのほうが「テロに反対するのはかけはし派だ」という形でのレッテルを貼っていく、という事に政治的展望を見いだした立場、っていうふうに見えますけど。まあ、そういうのって、「カルマ落とし」の潮流とかに展望を見ているわけでしょうが。(^^)
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今日思ったこと 投稿者:イレギュラーず 投稿日: 6月18日(火)22時02分50秒
皆さんこんばんは。ホットな論争の横から無関係に失礼します。
確かに6・16に6万人結集したというニュースは見ました。
しかし、この閉塞感漂う日本社会にあって、青少年「世代」の政治的エネルギー(というか「生きる」?エネルギーみたいなもの)が極端に弱いなーと思います。今年度から完全週五日制が始まり、臨調以来の「教育改革」が着々と進行していますが、肝心の小中学生が疲れ果てている、あるいは「学習から逃走している」といわれる状況を見るとき、そこと日常で切り結ぶ回路の必要性を感じます。もはや彼らの親世代や教師自体がが政治状況が解体した後の年齢です。まして、高卒の就職率が今年度は極端に悪かった。この傾向はこの先続くのでしょう。
今日、地方分権改革推進会議(西室泰三議長)の中間報告の記事を読んで、特に教育の分野で、換骨奪胎でしかないことが明白になった「教育改革」において、この中間報告の果たす役割はますますその意図する方向を強化していくのだろうと思います。パウロ・フレイレの言う意味での「識字教育」が実践されていかなければならないのかな〜。
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つーか、 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)21時50分07秒
こういう、自己の「情念」のみを基礎とした信仰告白って、実際のところ、「闘うぞ、っていうのは暴力的だからだめ」とかいってる奴と全く同じなんですけどね。構造的にも、その果たす役割的にも。
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なんかしらんけど 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)21時42分14秒
じゃ〜、さっさとやれよ、って感じっすね。
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テロリストへ(2001.11.1) 投稿者:匿名 投稿日: 6月18日(火)21時35分27秒
テロリズムは,貧しさや社会的な差別・不平等そのものが原因なのではなく,このような現状を解決できない,むしろ助長する社会のありかたに対する怒りや悲しみが土台になっていると思う.アフガンの人々へのアメリカ政府の仕打ちを見るにつけ,自分の心の中にふつふつとテロへの共感が沸き起こってくるのを禁じえない.今の社会システムが作り上げた弱肉強食の人間社会を守ろうとするものに対するやり場のない怒りを,ブッシュや小泉に,あるいは,彼らが大事にしているもの(彼らの子供など)にぶつけること(テロをすること)で,殺された無数の社会的弱者の意趣返しをしてやりたいと強く思うのだ.このように思っているとき,恐らくは私の心は限りなくテロリストに近づいているのだ.
一方,マルクス主義は人間社会の科学的な洞察から生まれた.生産力の発達が富を生み,富により人類に階級が生まれ,階級の対立が争いの元になっていること,将来,階級を無くすることが出来ることを説いた.マルクス主義は,人類の争いは実は階級対立を背景にしていることを見抜いた.資本主義社会では,労働者階級が次の社会の主役になる潜在的な力を持つものとして期待された.しかし,現状では,労働者階級は分断され,次の世界を指し示す力を示すことは全く出来ていない.それゆえに私の心は,テロリズムに惹かれようとするのだ.野獣的な本能に基づく,希望のない,悲しみの,怒りの,復讐の,テロリズムへ.それゆえに私は活動しなければならない.理性的な展望に基づく,希望にあふれた,喜びと連帯の,対立のない世界を築くための,社会主義社会の実現に向けて.
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論争の構造の問題として 投稿者:黒目 投稿日: 6月18日(火)21時04分56秒
とりあえず俺は、何回か行動に参加していますが、「テロ」という語が、「9.11のアルカイダによる、あのテロ」の事に限定して使う、てな前提が存在する事を全く知りませんでした。
まあ、実際、そんな合意が、実行委でなんで成立したのかがそもそも謎ですが。
また、かけはし論文の
>あえてここで国家や権力によるものでない「テロ」を定義するならば、
云々で言えば、当然にもパレスチナの自爆テロも「テロ」のうちに含まれ、かけはし派的には、戦争に反対するのと同様の調子で反対する対象である、とされているというようにしか読めません。
俺はパレスチナの自爆テロについても否定的にとらえていますが、それは「テロだから」ダメだ、などという話ではない。
で、このような内容について「ざまあみろ論」狩りをしていく、つまり、「テロに反対しないのは、ざまあみろ論派との『中間派』だ」という形でのレッテルを貼っていく、という事に政治的展望を見いだしたかけはし派の立場、って話なんでしょうが。
まあ、そういうのって、「カルマ落とし」の潮流とかに展望を見ているわけでしょうが。
「カルマ落とし派」ってレッテルを貼ってみましょうか(苦笑
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とりあえず32万アクセスありがとー\(^o^)/ 投稿者:まっぺん 投稿日: 6月18日(火)10時10分18秒
一部で(一部じゃないか?^^;;)「ぜんぜん噛み合わない」といわれてきた「せみまる・黒目論争」ですが「かけはし」テロ問題論文への「挑発者」表現をめぐる論争として再開しております。それがフランスの運動に関する範囲にとどまっている場合、「ちょっと遠いはなし」と思うひともいるかもしれませんが、「かけはし」論文の本題である「テロ」について考えて見るとき、また、それに対する運動について考える時、ずっと身近な問題として重要な意味があるんじゃないでしょうか?
今回の「かけはし」論文と同じ主張が過去にも見られます。ぜひ読んで、ばしばし論争しましょー。\(^o^)/
かけはし2001.10.29号より
なぜ日本新左翼のなかに無差別テロを容認する「ざまあみろ論」が多いのか
http://www.jrcl.net/web/framek952.html
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それはそうなんですが、 投稿者:いずみ 投稿日: 6月18日(火)02時44分11秒
今回の論争の枠組みへの批判にはなってないと思います。
なぜなら、
>党は、大衆に明示されていない解釈をもって他党派と論争している
の「他党派」が「スローガンの解釈」について知らないはずがないからです。
いずみは、西田や蜂起の批判は、「市民緊急行動」の言う「テロ」が
「9・11をイメージしたものだ」という前提で、なおかつそれについて批判しているように思います。
その面では、かけはしの反論は反論になってません。
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それって、やわらかいスターリン主義じゃないの? 投稿者:かめさん 投稿日:6月18日(火)02時26分06秒
大衆的に掲げられたスローガンの解釈権は大衆にある。
しかし、スローガンの解釈について事務局レベルで確認したけど、大衆的
には明示されていない、で、党は、大衆に明示されていない解釈をもって
他党派と論争している――なあにこれ?
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流れとあまり関係ないですが 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 6月18日(火)00時59分47秒
>「『闘うぞ!』というシュプレヒコールは暴力的だからイヤ」
「アフガン空爆反対」の「反対」が平和的でない、ってのありました。言ってる人が、「これは自分の主観的好みや感覚の問題」、と自覚してれば良いのですが、中にはそれが普遍的なものと勘違いしてる人もいて。
メットに対してもそうだよね。「そんな時代錯誤的格好は大衆を離反させる」などと労組活動家に言われたけど、「あんた達のゼッケン・腕章・赤旗も世間から見たら似たようなもんだよ」と反論した。
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商店破壊は是か非かという問いは是か非か 投稿者:noiz 投稿日: 6月18日(火)00時04分43秒
ここにBB参加者の言葉を引用します。ジェノヴァ行動において、アナキスト、カルロ・ジュリアーニがカラビニェッリ(準軍装警察)に射殺された直後に発せられた声明です。BBが云々という議論をするなら、とにかく判断材料は多く提出して、突き合わせてやるべきだと思いますので、とりあえず引用からやっていきます。
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ブラックブロック活動家の声明
ジェノヴァ 2001年7月21日
ブラックブロック参加者
我々はブラックブロック参加者のために強く弁護する。
我々は強者の政治へ無力なまま服従することを欲していない。我々はレッドゾーン(1)に戦闘的に突入してG8の会議を止めるために来た。
昨日警察は抗議者に対して残虐な行動に出た。抗議者は叩きのめされ、催涙ガスと衝撃弾で攻撃されたあげくに、拘束され、拷問されたのだ。警察の残虐性は抗議者の一人を虐殺することによって頂点に達した。
公表された論評ではブラックブロックが暴力全体の責任を負うとされた。
資本主義者の世界秩序は日毎に多種多様な暴力を生み出している。貧困、飢え、債務、排除、何百万もの人々の死、および生活空間の破壊は、資本主義者たちの政策の一部なのだ。
これこそがまさに我々が拒絶するものである。
銀行や多国籍企業のウィンドウを叩き割ることは象徴的な行為だ。しかしながら我々は小規模な店舗や車を破壊し略奪することには同意しない。これは我々のとるところではない。
しかし我々はまた、我々を分裂させたりはしない。分裂は抵抗運動を弱める常套手段だ。我々は連帯に裏打ちされた批判をこそ認識し、考慮する。
我々はカルロ・ジュリアーニの虐殺に怒り、そして悲しんでいる。我々の深い哀しみと憤りを抵抗に変えよう。
ウィンドウが派手な音をたてるとき、あなた方は叫ぶ。それなのに人が死んだときにはあなた方は沈黙している。
歴史は決して終わらない。革命万歳!
1 サミット会場周辺をバリケードによって封鎖し、政府要人・警備関係者だけに立ち入りを許可する特別警戒区域。反グローバリゼイション活動家のうち最も戦闘的な部分はこの阻止線の突破し、実力によるサミット粉砕を目指した。
原文は次のURLで読めます。
http://www.infoshop.org/news6/genoa_bb_statement.html
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それが「時局協商懇政治」。 投稿者:いずみ 投稿日: 6月18日(火)00時00分09秒
まーいずみがこんなこと言うのもきわめて何なんですが、遡上の「市民緊急行動」については、この「テロ」が「9・11のみを指している」ことは事務局レベルでは確認事項です。
で、それを大衆的に明示してきたのか、と言えば、反戦ネット他で数人の事務局メンバーがそう書き込んだ、くらいで、「他のテロ一般に反対してはいません」と積極的に明示したことはないですね。
「しんどい議論」というのもありません。せいぜいいずみが2chの専門スレで孤軍奮闘(笑)したとか、数えるくらいしかないと思います。
で、これは、結局、青共同用語で言う「時局協商懇政治」の慣習だ、ということなんじゃないでしょうか。
もちろん、かつてそれ系だった潮流は、今では全国各地の市民運動のレベルでの討論、という詰めはやっています。が、それもまぁ内向きといえば内向き。(でも複数潮流での討論という面では以前よりはまともでしょう)
ただ、「市民緊急行動」は、どちらかというとそういう詰めの面からはやや後退している部分もあるかも知れませんね。
いずみ個人は、「反戦・平和アクション」つーことで(笑)、「市民緊急行動」を、何かの運動体というよりもハブみたいなものにできないかな、という思いで取り組んでいます。だから、掲示板の閉鎖、というのはきわめて絶望的な状況の象徴です。あそこでがんばる人が左派内部にいなかった、ということ自体が、否定的状況をよく表しています。
#でもあそこ維持するのは無理だったよ、やっぱり…
と、結局最後は泣きが入ってしまうのでした。トホホ。
それでもまぁ、あのサイトには大きな意義がまだあると思いますので細く長く続けています。
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そんなこと、大衆的な場で、ちゃんと確認してないと思います 投稿者:かめさん 投稿日: 6月17日(月)23時08分16秒
>まず明確にしなくてはならないことは、私たちの掲げる「テロにも(報
復)戦争にも反対」………ここで言われている「テロ」とは、なによりも
まず「9・11」を指しているのであり、「テロ一般をすべて否定するの
か」というような批判はそもそも乱暴である。
せみまるさんが「参考のために読んでください」といった「かけはし」からの引用おわり
「かけはし」さんや、その愛読者のみなさんが、「テロにも(報復)戦争にも反対」の「テロ」を自分たちとしてはそうとらえている、そう解釈するべきだ、と自分たちとしては思っているというのなら、一応わかります。
が、このスローガンは大衆的に掲げられているのですが、大衆的な場で、「これはテロ一般をすべて否定するのではなくて、9・11のことを言ってるんだ」ということが確認されてきたのか、あたらしい参加者がふえた時に、その人たちともそう意思一致したのか? 社民や構改や宗教者ともそういう解釈で一致すると確認したのか? してないでしょ。それしないで、こういう反批判は「そもそも乱暴である」のではありませんか。
「『闘うぞ!』というシュプレヒコールは暴力的だからイヤ」とまで言う人や「イスラエルとパレスチナの暴力の連鎖を断て」と並列的に言う人とのしんどい討論をどれだけしてるのか。嫌われることを恐れずに、あるいは恐れつつも、そういう人たちとのしんどい討論をしているのか。そのことが帝国主義と闘うことの必要性を認識しているはずのひとりひとりに、どの党派であれ無党派であれ、私を含めて、ひとりひとりに問われるのだと思います。そのことを「かけはし」さんもまず、自分らに問うてほしいな。
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「側にたつ」とは? 投稿者:せみまる 投稿日: 6月17日(月)23時02分39秒
>俺はあえて挑発者の側に立ちます。
というのは、商店を破壊したBBの行動を是認するととっていいのでしょうか?
なお、何度も言ってますが、フランスアタックも、四トロも
そういう「挑発はやめてくれー」と言ってますが
まるでBBを批判することが警察に売り渡すことであるかのような言い方は
論点のすりかえじゃないでしょうか?
「側に立つ」とはどういう意味なのかを具体的にするべきでしょう。
戦術的支持も含めて「側に立つ」のか、それとも戦術的批判はするけど「側に立つ」のかという事です。
「側に立つ」からといって、その戦術を認めなければならないことにはなりません。
四トロ派は、他の党派や団体に対する戦術的な批判をしてきましたが、
権力に対しては防衛してきました。
たとえばセイロンの極左派JVPを批判しながらも最先頭で防衛し、防衛のための国際的キャンペーンをひろげ
また裁判闘争の弁護団長は第四インターでした。
それでもJVPは第四インターを機関銃で襲撃するということまでやったのですが。
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あのぅ、それで具体的にはどっちなの?? 投稿者:せみまる 投稿日: 6月17日(月)22時50分38秒
だから、「商店破壊」についての
黒目さんご自身のご意見をず〜っときいてるんですけど?
「商店破壊は是か非か」ですよ。簡単じゃないすか?
その答えをずーとまってるのだけどなー・・・・・・・・
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なんか、屁ヤンとかと話してるみたいな気分ですが(w 投稿者:黒目 投稿日:6月17日(月)21時16分27秒
あるいは、これが4トロというものなのでしょうか?
俺は、BBの行動には、はっきりと批判的です。
自称「アナキスト」の、「破壊への衝動」とか「反逆」とか、そういうのを基礎に結集した共同性のありかた、そういう人たちが、どういう口振りでどういうことを話しているのかまで、俺は想像がつくのであり、そういうもんに対しては俺は批判的である。
しかし、それが第4インター的な、「挑発者集団規定」だの、「反テロ運動」だのの論理と重なる部分は、1ミリたりともない、とはっきりと言わなければならないでしょう。
「弾圧は挑発者のせい」だ?
このような愚劣な論旨を補完する為の踏み絵ならば、俺はあえて挑発者の側に立ちます。
ま、どうせ既に「反トロ教条主義者」と規定されてるし。(ワラ
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具体的に。 投稿者:せみまる 投稿日: 6月17日(月)14時58分50秒
ブラックブロック問題というのは、フランスではその「問題ビデオ」を多くの人が見ちゃってる「衆知の事実」です。テレビで放映されたのかどうかまでは知りませんけどね。だから、フランスアタックも、警察の謀略に対する抗議声明を出明してるわけです。デモ前日の警察による事務所破壊について、こう言ってます。
>警察のこの介入の理由は、公式に指摘されているような武器の捜索ではなく、
>ブラック・ブロックの一部グループへの警官の内部潜入を立証する写真と
>ビデオを探し出すためであったようである。
「ブラックブロック内部に警察が潜り込んでいる」とアタックは見ているということですね。で、問題はブラックブロックは、商店破壊を全面否定してるのか?という部分です。警察が、なぜ「ブラックブロック」に変装したのか解りますが?、彼らが「ぜんぜんやってない」わけではないからですよ。それに踏まえて、いわば「ブラックブロック」をターゲットにすることによって反グローバル運動全体を弾圧しようとしているわけです。
その点で、彼らの行動には挑発者としての部分が確かにあり、それは困る、そういうのはやめてくれぇ!とスーザン・ジョージなんかは言ってるわけです。でも、それによって、彼らの参加を拒否したわけじゃない。論争はしているけど、排除はしてませんよ。そうした事実も踏まえないで「「ニセ左翼暴力集団批判」的に片づけよう」というのは事実に反しています。
つまり黒目さんは「ブラックブロック批判をするのは権力の謀略に乗っている」ということによって、客観的にはブラックブロックの商店破壊を「容認する立場」といわれてもしょうがないと思いますが。それとも、「商店破壊は全面的に警察の行為であって、ブラックブロックには全く責任がない」と言い切るなら、その立場は認めましょう。ただ、ブラックブロック自身はそうは言っていないと思いますよ。彼らは(といっても、統一した組織ではないので、個人的声明なんですけど)こう言っています。
>店頭の窓ガラスは、小売店の抑圧的雰囲気に新鮮な空気を導く通気口になってくれる
これは「小売店の窓ガラスを壊せ」と言っていると解釈するのが妥当だと思いますが? この行為を擁護しますかしませんか?
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具体的に。 投稿者:黒目 投稿日: 6月17日(月)14時26分25秒
例えば、俺はパレスチナの「自爆テロ」という戦術を支持しません。ああいう、人間使い捨ての戦術は根本的に受け入れる事ができないからです。
しかし、俺はパレスチナのテロを、9.11のアルカイダのテロと「両方テロだから」というような理由で、同一の地平で「反対」する、という立場には立ちません。
「この行為に反対なのか、賛成なのか?」という問いで、立場性を分別し、敵味方をわけていくという方式は、権力側の「反テロ戦争」との奇妙な対応をなしていると考えます。
かけはし式の「テロの定義」によると、パレスチナの「自爆テロ」も、確実にテロの中に分別され 驍ナある」というふうに回答する事が出来ます。しかし、その当時 ンクされて来たか、まっぺんさんがリンク オなりません。
「新左翼」は最早歴史の瓦礫 フマニにおける戦術 Trotsky/29/syohyou.html
陳独秀に対す 驍ウによれば、コムスンは「介護」の美名にかくれて相当ひど
い事をやっているようですね。
社会保険行政が破綻の危機に瀕 +ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP