四トロ同窓会二次会 2002年5月26日〜28日
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定義の継ぎ足しについて 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)23時58分53秒
「スターリン主義」なる語の定義を巡って、せみまるさんと話をしてきたわけですが、例えばせみまるさんは、こう書かれています。
>ひよりんさんへ 投稿者:せみまる 投稿日: 5月23日(木)14時10分32秒
「特徴」はまさに特徴です。スターリン主義の特徴のひとつは、民主主義的手続きを踏みにじって自己の主張を強引に押しつけ、それによって他者を支配するところにあります。これは形態としてはいろいろな形で表現されるでしょう。たとえば・・・
(1)極端に非民主的な方法での選挙や決議。
(2)誰もが認めるひと(例えばレーニン)の言葉などを断片的に巧妙に組み合わせて自分の主張に権威を持たせる
(3)ウソやデマによって反対派をワナにかけて失脚させる。
(4)暴力や、それを背景とした脅迫によって反対意見を屈服させる。
(5)反対者の肉体を抹殺することによって、反対意見そのものを抹殺させる。
・・・等々、いろいろあるわけです。上にあげた5つ以外にもいろいろあるでしょう。内ゲバもその手段のひとつです。これらの手段をひとつひとつ挙げて「スターリン主義と認定する」ことが必要なのでしょうか? 方法としてはそうではないと思います。スターリンはあらゆる方法を駆使して政敵を抹殺し、自分の政策を推し進めていったわけですが、そうした「手段の認定」ではなく「手段の背後」にある労働者民主主義の抹殺を「スターリンの犯罪」=「スターリン主義体質」として告発していくべきだと思います。
だから「明らかにスターリン主義の系譜にある組織が内ゲバをしなかった」というような「現象」をあげる分析の仕方ではスターリン主義の問題を論じたことにはならないと思うのです。いや、そもそも、「スターリン主義の系譜にある」から「スターリン主義者だ」という断定自体がまちがっていると思います。
>>引用ここまで。
この、1〜5までのいくつかに、少なくともボルシェビキの反対派殲滅という事例は確実にあてはまるのであり、せみまるさんの方式でいけば、ボルシェビキの反対派殲滅という事例は、「スターリン主義体質」の産物である、という事になろうかと思います。
しかるに、せみまるさんはここで、この事例は「スターリニズムの問題点ではない」と断言される。で、そうではないということの根拠として、「党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程」という「新基準」が提示されるのです。
過去ログをご覧下さい。「スターリン主義」という語の意味を、スターリン首相の政策や思想、その結果として生み出した現象、そこから派生した現象などの、本家本元のスターリンとの関連で理解できるものに限定して考えるべきであり、そうでなければ、著しい用語の混乱を生む、と主張してきたのは俺ではないのですか?
せみまるさんは、どの時点で宗旨替えをされたのでしょう?
せみまるさんの論法は、「内ゲバはスターリン主義の産物である」という仮定の下に、内ゲバとして確認される事柄に対して、スターリン主義という言葉を貼り付けていく、というやりかたであります。で、その言葉の意味や定義は、その貼り付ける先の塩梅によって、修正される。俺はここで、あえてせみまるさんが「スターリン主義」というレッテルを貼り付けることが出来ないであろう事例を提示する、ということをやりました。この事例は、これまでのせみまるさんのレッテル張りの法則でいけば、「スターリン主義」の範疇に入れなければならない事例です。しかし、せみまるさんは、「スターリン主義」という言葉の定義に、「党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程」なる「新基準」を継ぎ足す事によって、この事例が「スターリン主義」の範疇に入る事を回避しようというのです。
ここで明らかなのは、せみまるさんの「スターリン主義判別法」が、全くの恣意的なものであるに過ぎないということ、せみまるさんの「スターリン主義の定義」がどこまでいってもあやふやで形がはっきりしないものであるのは、このために、「定義に弾力性をもたせた」ものである、ということであると思います。
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「スターリン主義」ってのがよくわからない 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 5月28日(火)23時34分38秒
お 取り込み中すいません。せみまるさんのいう「スターリン主義」ってのがどうもよくわからないですが。
内ゲバその他が、頭痛や吐き気だとすると、「スターリン主義」がウィルスに相当するとのことですが、「スターリン主義」を標榜しないばかりか、「反スタ」を標榜する党派も陥っているとなると、「諸現象の総和の言い換え」以上の内容があるのか、と思ってしまうのです。
で、仮に顕微鏡がなくて、ウイルスそのものの姿を見る事が出来なくて「ウイルス」というのが仮説の段階であったとしても、その仮想の「ウイルス」なるものは人を介して広がっていく、乾燥してると活動が活発、とかが分かれば、人々は何らかの「実体」としてその存在を認めると思うのです。
ところがどうもこの「スターリン主義」というのは、私にとってはまだまだ「実体」として認識できません。例えばそれは、どのように「感染」したのでしょうか?自然に発生するとしたらスターリン以前にも「スターリン主義」は存在してもよさそうなものです。スターリンの手法を意識的か、無意識的か採り入れた組織があって、それを他の組織が真似して、という具合に延々今日まで継承されてるのでしょうか?
それから言葉の問題ですが、わたしはなるべく「固有名詞+主義」というのは使わない方が言いと思います。マルクス主義者たらんとするなら、マルクスの著書をよんで鍛錬が必要で、スターリン主義はスターリンの「ス」の字も知らないでも、油断するとなってしまうとなると、同じ、「固有名詞+主義」でも随分扱いが違ってしまう事になります。
ついでに言うと、「内ゲバ殺人をなくすためにはスターリン主義を克服すべき」、というのはあまり意味がないんでしょうね。目的意識的な殺人なんて、やろうと思ってもなかなか出来るものではないが、スターリン主義には容易に陥るし克服するのは大変なら、「前者を引き起こさないために後者にならないようにする」、よりも、「スターリン主義に陥っても人は殺さないようにするほうがずっと実現しやすい」わけだし。
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ほう、それでは 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)22時36分46秒
「党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程」という2つの要素を持たないものは、スターリニズムと呼ばないということですね?
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回答しているつもりですが 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)22時19分57秒
それでははっきり言っておきましょう。
ボリシェヴィキの問題点は「スターリニズム」の問題点とは違うものです。
スターリニズムはスターリンが党の権力を簒奪する過程、その簒奪した権力によって国際的な共産主義運動を破滅においやった過程の考察のなかから生まれたものと解釈するべきです。内ゲバはその有力な手段です。
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国際主義なら大丈夫なのか? 投稿者:すえいどん 投稿日: 5月28日(火)21時20分14秒
いつもお世話になっている宮地健一さんのホームページ・レーニンの項から要約引用。
レーニン・スヴェルドロフは、権力奪取の7カ月後、80%・9000万農民にたいする内戦を自ら仕掛けた(1918年5月「食糧独裁令」の貧農委員会方式によって、「富農」にたいする階級闘争という内戦を勃発させ、「農村の社会主義革命」をやろうとした。結果として、激発した農民「反乱」との戦闘と白衛軍との内戦という“二正面作戦”に追いこまれた。さらに、「世界革命戦争、まず対ポーランド戦争・侵攻」のために、レーニン・トロツキーは、赤軍の正規軍化と徴兵による500万人拡大路線を採る。その非生産者500万人を養う「兵糧確保」政策にまったくの無策。とどのつまり貧農委員会方式が、わずか7カ月間で行き詰まり、転換した政策は、農民の生産意欲を無視し、踏みにじった「軍事=割当徴発」制という「食糧収奪」路線。この“三正面作戦”遂行のために、ボリシェヴィキの産業政策が武器・軍需生産強化に集中し、国民・農民向けの消費財・生活用品生産を後回しにし。食糧だけでなく、燃料・衣料・靴などを極度に欠乏させた。メドヴェージェフは、従来の外国干渉軍・白衛軍という内戦の主要原因説を否定し、この「食糧独裁令」こそが、内戦の地域・期間の拡大とその大惨禍の主要原因の一つとした。レーニン・トロツキーは、『ドイツ革命の勃発と成功近し』という、彼らの国際情勢認識と、それへの“熱烈な願望”から、先進資本主義国ドイツにおける「プロレタリア革命」の勃発を“絶対的前提”とし、かつ、それが成功するものと“仮定”し、そのためには、後進国ロシアの“ボリシェヴィキだけによる抜け駆け的な単独権力奪取クーデター”を「世界革命」の導火線とするというギャンブルを行ったのである。レーニンの単独武装蜂起・権力奪取クーデターに反対したボリシェヴィキ指導者のジノヴィエフ、カーメネフや、ソヴィエト内社会主義政党のメンシェビキ、エスエルは、『ドイツ革命の成功』というレーニンの情勢判断は、まったくの誤りだとしていた。ドイツ革命は失敗し、ハンガリー革命も鎮圧され、ポーランドにたいする「プロレタリア革命の“輸出”戦争」も、ポーランド軍によって撃退され、赤軍は惨敗した(望んだ目は出なかった)。
もちろん、このような判断には当然異論はあるでしょうが、国際主義必ずしも反内ゲバの道ではないのでは。地獄への路は善意の敷石で・・・
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このような頓知論法がなんの役にたつのか、全く謎ですが 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)21時03分29秒
1.そもそも俺は「スターリン主義」なる語の定義を問題にしているのであり、「スターリン主義の例として」、ボルシェビキの反対派殲滅の例を出しているのではありません。
2.俺は、ボルシェビキの反対派殲滅の事例が、せみまるさんの定義するところの「スターリン主義」に当てはまるのか、否か、という事を聞いているのですが、この問いに関しては、せみまるさんは奇妙な論点ずらし、すなわち、当時のボルシェビキの事情という問題を持ち出すことにより、回答されていません。
3.これが「スターリン主義」であるのか否か、という問い、これに、解放派のいつのどのゲバはスターリン主義であり、いつのゲバはスターリン主義ではない、というような細かい分別を行うことのできるせみまるさんが、端的に回答できない、というのは大変に奇妙なことであると思われます。
4.せみまるさんの説によれば、思想的系譜の流れとは関わりなく、「スターリン主義体質」なるものは「発生する」ものであり、スターリン以前の運動の中に「スターリン主義体質」が発生する、という事は、せみまるさんの話の枠組みのなかでは当然ありうる話であり、時系列と関わり無く、せみまるさんが解放派についておこなったような分別が、ボルシェビキに対しても行うことが可能であるのは当然であります。
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やまさん、ありがとうございます 投稿者:まっぺん 投稿日: 5月28日(火)20時29分11秒
えーと、「せみまるVS黒目バトル」がどーなっていくのかわかりませんが
TAMO2さんからも貴重な意見が出ています。
まちがいをおそれず、いいたい事をどんどん言ってください。
あるいは、まちがいだらけな主張が飛び交うのかもしれませんが、
そのなかで、おたがいに何か得るものがあればいいと思うので。
投稿を期待します〜〜\(^o^)
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一国社会主義と内ゲバは深い関係が. 投稿者:やまさん 投稿日: 5月28日(火)20時15分27秒
いつもワクワクしながら皆さんの議論を見ていました.自分の意見を述べたくなったので,メールします.
一国社会主義はそれまでの共産主義思想の中軸となる考え,「国際主義」を否定するものでした.一国社会主義の思想は,ソビエト社会主義連邦を守ることを至上命令とし,国際主義をその元に跪かせ,各国の共産主義運動を国ごとに分断しました.そのような方針は,権力を一国的に防衛しようとするスターリンによってもたらされました.世界の労働者の多くはソビエト社会主義連邦を自分たちの希望の星と思っていたに違いありません.しかし,スターリンはこのような世界の労働者の気分を,自己保身の為に利用してしまったのです.
戦時中の日本共産党の人たちが行った反戦闘争は,素晴らしいものだったと思います.彼らは,日本民族のための戦いではなく,世界の仲間の未来の為に,闘ったのだと思います.「国際主義」は,国内ではいつでも民族的な団結を壊すような問題行動をとります.というのは,彼らは民族的な団結ではなく,人類の連帯を求めるからです.これこそが,民族主義者にとって共産主義こそが不倶戴天の敵である根本的な理由でしょう.今,共産主義を目指す人間や運動にとって「国際主義」に基づいた運動になっているかどうかが,時代の変革にとって有用な方向を向いているかどうかの判断基準になりえるように思っています.世界の共産主義者に向かって,「共に活動しよう,我々は今・・・・が重要と考えている」と呼びかけられるような思想を目指すなら,内ゲバは存在できないのではないでしょうか.
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念を押しておきましょう 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)19時42分29秒
>スターリンにすら、やったことの事情を聞けば、数多くの理由が挙げられるでしょう。
>「目的は手段を浄化しない」なのです。
まったくその通りです。そして、そのあげられた理由に正当性があるかどうかの考察をしていかなくてはならないと思います。
黒目さんはそこの考察がすっぽり抜けているのです。
そして、その考察を初めから拒否してしまっている。
問題は「理由に正当性があるかどうか」であって、「いっさいの理由を拒否する」のでは
ただ、「自分の結論にしがみついている」だけになってしまうでしょう。
それは「議論の拒否」でもあります。
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いや、混同させてるのが黒目さんなので・・・ 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)19時36分12秒
TAMO2さん、「その責は」私にあると言われてもこまりますよ。
私はまさにTAMO2さんが言われるようにクロンシュタットやマフノの問題をスターリン主義と別問題ととして語ってきましたが、黒目さんは下記で「スターリン主義」の例として持ち出して来ているわけですから。
とにかく、ここではっきりしたのは内戦当時の問題を、私は「スターリン主義」とは思っていませんが(ただし代行主義についての考察は必要です)、黒目さんは、これも「スターリン主義と同等である」と判断し区別していないことです。これはお互いに確認できると思います。どちらの主張を選択するかは、読むひとにまかせましょう。(^^)
黒目さん、「判断の保留」がなぜ「逃げ」になるのでしょうか? それは誘導尋問でしかありませんよ。つまり「せみまる氏はボリシェヴィキを擁護するべきである。それなのにそれを保留するのは逃げだ」とね。だから黒目さんに従えば私は「クロンシュタットは反革命だ」と言わなくてはならないことになる。黒目さんが予め期待する「反論」を主張するつもりはありません。
なお「現実に、クロンシュタットに進撃を命じられた赤軍の、少なくはない部隊が、進撃を拒否し、赤軍からクロンシュタットに転じて闘った部隊すらあったのですが」という事実を知っているからこそ、私は判断を保留しているのですよ。
なお「なんていうか」の内容は問題外ですね。よくここまで論を飛躍させるかとあきれるばかりです。あなたの反論は初めから「ボリシェヴィキは権力を簒奪した、人民の敵対者である」ことを前提としてのみ成り立つ反論ですよ。つまり、「当時の状況を考える」のではなく、「ボリシェヴィキは敵」を前提として反論をされるのでは議論が成り立つわけがありません。つまり、ここから導き出される黒目さんの結論は、「レーニンは敵なのだから、これを爆弾で襲撃した左翼エスエルは正しい」「ドイツ代表団を襲撃するのは正しい」ということになります。そういう結論でいいですね?
なお、クロンシュタットを弾圧したのはトロツキーではありません。これも過去ログで確認してください。
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便利な関西弁 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月28日(火)18時53分08秒
内戦をこんな譬えで言うのもなんですが、泥沼の夫婦喧嘩で、どっちがどう悪いかなんか
いえない場合「しゃあないわな」と言って、水に流したりします。三里塚じゃないけど、
ボタンの掛け違いとレーニンをはじめとする革命指導部の見込み違いが爆発した最終局面が
クロンシュタットであり、マフノです。そういうことと、スターリンが安定的な政権を築いた
上で政治的反対者に行なった非道は、基より混同すべきじゃないのでは?
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念を押しておきましょう 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)18時12分24秒
話が「古いアナボル論争」と同じところに回帰するのは、せみまるさん
が、古典的・教条的レーニン主義の枠を一歩も出ていないからに他なりません。
我が国の新左翼の内ゲバに対して、「内ゲバ反対」という立場に立つ人間
が、なぜ、クロンシュタットに関して、「判断を留保」というような立場に立てるのか?
この「判断を留保」という立場こそが「逃げ」ではないのですか?
クロンシュタットを弾圧した、レーニンとトロツキーを、なぜ、免罪しうるのか?
レーニンとトロツキーが行った事の、どの辺がどう、スターリンが行った事と異なるのか?
スターリンにすら、やったことの事情を聞けば、数多くの理由が挙げられるでしょう。
「目的は手段を浄化しない」なのです。
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確かに、人類は進歩しているかもね 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月28日(火)18時10分05秒
内ゲバ党派=スターリン主義は、問題設定が間違っている(その責はせみまるさんにある)と思うので、書き込まなかったのですが。でなきゃ、スターリン主義の変種と言われる毛系の私は「内ゲバ主義者」になっちゃうので(爆)。
掲題の件、皮肉を込めて。左翼エスエルはテロ的手段でもって、農民の利益を守ろうとしました。結果、党全体が反革命の烙印を押され、悲劇のファニー・カプランをはじめとする党員の主力はほぼ皆殺し(=「赤色」テロ)の憂き目に遭いました。これは、現在の先進国では決して赦されない、個人主義を弁えない手段です。党ではなく、下手人を処罰(この場合は、ファニー・カプラン)することが前提となります。非常時だから、仕方ない、とも言えますが・・・。だが代償は大きすぎた。特に、先進的・自覚的農民への打撃は大きかった。
そんなことよりも問題は、そんな事態になっちゃう以前に、リアリスト・レーニンが、革命後、なぜ、エクスを採用したか、記帳と統制路線に突き進んだかですが。この点は「レーニンと資本論」(不破)は、説得力のある「共産主義者的思い込み」への批判を行なっています。
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あるいは 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)17時45分02秒
現実に、クロンシュタットに進撃を命じられた赤軍の、少なくはない部隊が、進撃を拒否し、赤軍からクロンシュタットに転じて闘った部隊すらあったのですが、彼らを称して「逃げた」と言っておられるのでしょうか?
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なんというか 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)17時38分34秒
全く、なんでいまさらせみまるさんともあろう人にこんな話をしなければならないのか、理解に苦しむのですが。ネタでやってるんじゃないですよね?
「あなたは三里塚の管制塔を警備する機動隊員です。過激派が突入してきました。さあ、どうしますか?」
「あなたは日本国の首相です。北朝鮮が攻めてきました。さあ、どうしますか?」
「あなたは1960年の岸信介です。さあ、どうしますか?」
せみまるさんが1960年の岸信介ではないのと同じ程度に、俺は1921年のレーニンではないと思いますが?
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黒パンさんへ 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 5月28日(火)15時44分41秒
回答待ってます。あなたには回答する義務があります。
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逃げないでね\(^^) 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)14時51分07秒
> 然にもボルシェビキに対する反対派に立って、殺されていたにきまっている
その回答のしかたは明らかに「逃げ」ですね。(^^)
私が聞いているのは「黒目さんならその時エスエル左派に対してどうするか」という質問です。それを黒目さんは答えられないということですね?
自分が答えられない行動について他者を批判しても、それは通らないと思いますよ。あなたがエスエル左派によって爆弾で狙われている政府側の人間だったらどうしますか?
>1921年の時点でのボルシェビキの行動を「正当なものである」と考
えるのは、せみまるさんの政治的立場、党派性によるものに過ぎません。
やっぱりひとの話をなにもきいてない。私はこの事件についての最終的結論は保留しています。当時の状況を正確に知っているわけではないからです。だから「クロンシュタットは反革命」などという結論を排除している。それを「どうせボルの考えをする者はみんなボルに味方するのだろう」という偏見にもとづいて黒目さんは反論している。その反論は無効です。
前にもいったように、それは「古いアナボル論争」の範囲から一歩も出ていないのですよ。つまり、黒目さんの主張には発展を感じないんです。新しい状況が生まれてきているこの社会で新しい状況に即して考えなおしていかなければならない時に、ちょうど「古いボリシェヴィキ」的な考えから抜け出せないのと同じように「古い反ボリシェヴィキ」的思考から抜け出せなければ、新しい時代を捉えてゆく事はできないと思います。
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私なら 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)14時37分19秒
当然にもボルシェビキに対する反対派に立って、殺されていたにきまっているではありませんか(笑
トロツキーはスターリンの御世になって革命が「裏切られた」と称しますが、これはトロツキーがどの時点で失脚したかという塩梅にすぎますまい。クロンシュタット水兵にとっては21年の時点で革命は裏切られていた。
新左翼の内ゲバを扱っているわけですが、そのゲバを行使するための状況、理由などによって、正当化されうるゲバ、というのがある、という話でしょうか?
1921年の時点でのボルシェビキの行動を「正当なものである」と考えるのは、せみまるさんの政治的立場、党派性によるものに過ぎません。中国派が、中国の政権交代の度に、その評価をめぐっていろいろやってましたが、それと基本的に同質の問題である。ボルシェビキの行為であるから正しい、なんてのは、レーニン主義左翼という非常に狭い範疇での前提に過ぎないのです。
その行為者の党派性における正しさ、というのを前提とするならば、当然にも革マル派は他党派を解体して同心円型構造をつくっていくのが、主観的に「正しい方針」でありましょうし、中核派は運動を分裂させた何某は足を切断されて当然、と言うのは「正しい方針」という事になりましょう。せみまるさんにおいては、ボルシェビキが反対派を殲滅したのは当然、というのは、これと全く同列の話です。
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どうぞ唖然としてください。 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)14時06分13秒
正直いって、私も黒目さんの反論(?)には唖然としました。
具体的状況を説明しているのに、それを無視して下記の私の説明を「ボルシェビキの反対派殲滅を正当化する文章」というだけでは反論になっていません。下記のようなボリシェヴィキが直面した状況について、黒目さんならどう対処するべきだったと思いますか?そういう立場に自分が立った時にどうするか、を前提としなければ、なんとでも言えますよ。同じ状況に立った時、黒目さんならどうするか、説明してください。
エスエル左派についての言及がないのもおかしいと思いますが、ボリシェヴィキによる非合法化を「スターリン主義」と黒目さんがいうなら、エスエル左派の爆弾テロについてはどうお考えですが? 「ボリシェヴィキは悪いけどエスエル左派は悪くない」のですか? クロンシュタット反乱が革命そのものを敗北に導くと判断したボリシェヴィキの判断については、「正しかったかまちがっていたか」の評価はいろいろ可能だと思います。しかし、そうした評価もしないでただ「クロンシュタット水兵のほうがたくさん殺された」事を理由としてボリシェヴィキを「スターリン主義」と呼ぶのはまちがっていると思います。
では「黒目さんならその場でどうしたか」説明を待っています。
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メンシェヴィズムが断罪されるべき点 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月28日(火)13時50分23秒
あくまで、革命理論としてですが。メンシェヴィキは、教科書的には正統なマルクス主義です。だが、教科書的ってのが癖者で、当時のマルクス主義の教科書は、封建制度をブルジョア自由主義がプロレタリアートや農民の助けを借りて打倒し、支配者となったブルジョアジーをプロレタリアが農民の助けを借りて打倒する、となっています。
これは、封建制度のもとでのブルジョアジーの力の成長、そして、自由主義社会(あえてこの言葉を使います)におけるプロレタリアートの力の成長が前提となります。
しかるに、かのロシアはどうだったかというと、自由主義はインテリのもの(しかも、大枠には社会主義などと未分化!)で、ブルジョアジーの基盤は脆弱でした。ロシアの産業を支配するブルジョアジーはイギリスやフランスにいたりしました。要は、社会革命を担い切るだけの力がロシア民族のブルジョアジーにはなかったということです。
ロシア社民党メンシェヴィキ派は、そういう状況でもあるにもかかわらず、2月革命以後、ブルジョアジーに幻想を抱いて、「プロレタリアと同盟している」と思い込んでいました。ブルジョアジーは、自らの脆弱さを補うため、実際には保守反動と連携していたにもかかわらず、です。ソヴェト大衆(労働者)に権力の座につかしてもらいながら、彼らを裏切ることをブルジョア自由主義者(ブルジョアも、自由も括弧に入れるべきだが)はしたのにもかかわらず、ボリシェヴィキの暴露に反対してメンシェヴィキは活動しました。同時に、SRの主流派もです。
これが、「プロレタリア」社会主義革命への裏切りでなくてなんなんでしょうか。党という道具は問題ではありません。ボリシェヴィキは10月の決定的な時点まで、少数派でしたから。大衆は、裏切り者を見抜いた、ということです。
もし、このとき、ボリシェヴィキが勝利せず、レーニンがある瞬間言ったように、皆殺しになったならば、封建制度のもと、軍事独裁となったことでしょう。同時に、ストルイピン以前−−すなわち、ブルジョア社会の成長以前−−にまで政治的に後退したかも知れません。一時とはいえ、ブルジョアジーは封建制に刃を剥いたため、復活せるツァー官僚に壊滅させられたことも考えられますね。すなわち、ブルジョア革命さえ、成功しなかったと。
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なにやら唖然とせざるをえませんが 投稿者:黒目 投稿日: 5月28日(火)13時21分29秒
せみまるさんは、内ゲバという現象をどのように考えておられるのでしょうか?
2つ下にせみまるさんが書かれた、ボルシェビキの反対派殲滅を正当化する文章、これと同様の文章を、まさに内ゲバ党派が、自らの暴力を正当化する為にこしらえた論理と、一体、どのへんがどのように異なるのか?せみまるさんは下の方で「一握りのレーニン主義者」と書かれましたが、この文章は、まさにその、一握りの、ある種の「レーニン主義者」、スターリンを批判する事によってレーニンとトロツキーを「免罪しうる」と考えてる宗派的思考そのものではありませんか。
中核派に対して抗議した348名という人数が、中核派の行為の正当性を否定しうるのであれば、クロンシュタットの反乱で殺された人数はもっと多いですな。
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補足 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)11時36分22秒
もしもトロツキーの提唱したネップ政策が一年はやく実現していたらクロンシュタット反乱はおこらなかっただろうというのは想像ではなく確証があります。当時、クロンシュタットのような軍事反乱は別としても、農民反乱があっちこっちで起こっていました。この統計リストを見たことがありますが、ネップ政策の推進とともに、農民反乱は激減していきました。
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ボルシェビキの反対派殲滅について 投稿者:せみまる 投稿日: 5月28日(火)11時04分51秒
黒目さんは過去ログを読んでくれてないようなので 繰り返しの説明がかなり多くなりますが。
●ボリシェヴィキによる他党派の非合法化
この背景には、対独戦終結に関する経緯があります。ブレストリトフスク条約を結ぶかどうかについて激しい議論がありました。トロツキーは衆知のように「講和でもなく戦争でもなく」という立場を表明し、当時、これに近い立場の人々も多かったと思います。一方、断然戦争の継続を主張したのが左翼エスエルやアナーキストの一部などでした。ボリシェヴィキの内部でもそういう意見がありました。こうした中でレーニンの必死の説得によって、ほぼ全面的にドイツの条件を受け入れての講和という線で政府の方針はまとまったわけです。実際問題として、当時、もはや戦争を継続できる力量などロシア側にはなかったからです。国内は飢餓が始まっており、まさにクロンシュタット水兵が嘆願したような農民の悲惨な状況がすでにこの時、革命政権を危機に陥れていました。当時、政治党派はボリシェヴィキと左翼エスエルだけで他は全て反革命軍側にいましたが、左翼エスエルは、自らの主張を実現させるために陰謀を働きました。つまり、ドイツ代表団を爆殺しようとしたのです。また、レーニンにたいしてもこの行動は実行されました。レーニンは重傷を負いましたが、死にませんでした。ともかくも、左翼エスエルは政府に対する敵対勢力として登場し、そのため非合法化されたわけです。つまり、この事で自動的に「一党独裁」がはじまってしまったという事です。この事実を黒目さんはどう思いますか? 無視してもいい問題と思いますか? それでも「左翼エスエルを非合法化した行為はスターリニズムだ!」と思いますか?
●クロンシュタットとマフノの反乱
次にクロンシュタットの問題です。上記に述べたようにクロンシュタット水兵たちは農民の悲惨な状況を訴えて反乱をおこしたわけです。この背景には内戦のために戦時共産主義体制を敷いていた政策に農民が耐えられなくなった事実があるでしょう。もちろん反革命軍と外国干渉軍による革命の妨害が元凶なわけですが、これに対して、革命政府はクロンシュタット水兵を「反革命」と非難し鎮圧します。鎮圧後、水兵達は残虐な仕打ちにあったといわれています。この時、トロツキーも含めて革命政府側は口をきわめてクロンシュタット水兵たちをののしっています。これに対して、現在、われわれは事後的にこれを論評することはできます。あまりにもクロンシュタット水兵がかわいそうである、と私も思います。しかし他方、どのような解決手段があったのでしょうか。彼らの反乱拠点は反革命側がそこを抑えたら首都防衛にきわめて不利となる軍事的要所でした。革命政府側は、この危険を除去しなければ革命そのものがあぶないと考えた。その結果としての反乱鎮圧です。これをどう評価するか、「革命政府がスターリニズムである証拠」と黒目さんが思うのは自由ですが、そういう評価は妥当じゃないと私は思います。これは「彼らの判断がまちがっていたかどうか」の評価とは別です。なお、トロツキーは、それ以前にすでに農民の悲惨な状況を知っていて、「ネップ」政策を強く政府にせまっていた事も覚えておいてください。トロツキーの主張は否決され、結局それが採用されたのは一年後でした。もしも一年はやくネップが推進されていたらクロンシュタット反乱はおこらなかったでしょう。
マフノについては簡単に説明します。マフノが反革命軍と手を結んだ時点では鎮圧するしかなかった思います。もちろん、そこまでマフノを追いつめる前に何らかの手だてはあった可能性があります。しかし、そこまでマフノを追いつめたきっかけを作ったのはスターリン派であった事も覚えておいてください。
●中核派の第四インターへの内ゲバ
次に黒目さんに伺います。上記と同じように、中核派が第四インターに対して暴力的に敵対しなければならなかった正当な理由があると思うなら、それをあげてください。すくなくとも、中核派自身以外には、それを正当化する意見を私はしりません。むしろ中核派に対して348名の人々が抗議していることで充分にこの事態を説明していると私は思いますが。
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なぜ、内ゲバ主義へ拘るか? 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月28日(火)09時12分01秒
荒鷲さん、はじめまして。おっしゃることは尤もと思いますが、掲題の件、拘る理由はいくつかあると思います。
小生は現在36歳で、世代的には三無主義の下の「新人類世代」です。当然、左翼運動なぞもともとは軽蔑・侮蔑の対象以外の何物でもありませんでした。ですが、事情によって運動にかかわるようになり(生活防衛のため)、それなりに運動に意味・意義があると考えています。
さて。まず、50年代〜70年代にかけて、左翼運動は今とは違って非常に大きな力をもっており、その中で闘った人はまだまだ社会の中核として、否、多くはトップとして活躍されています。それらの人がその闘いの意味、そして敗北の理由をきちんと総括したとは思えません。それは、彼らの人生の意味を問わないことにもなります。
とはいえ、意味などどうでもいい、と言うことも出来ます。だが、意味に拘る人もいます。ここで言えば、すえいどんさんや、臨夏さん、そして主宰のまっぺんさんがそうではないでしょうか。これは、ある意味、宗教的実存への問い、個人的な問いです。
次に。カウンタームーブメントは、社会に矛盾のある限り(そしてそれは例え共産主義社会であってもなくならないだろう)、続きます。内ゲバ思想の根源は、議論をすっ飛ばしていいますと、結局は「悪霊」「罪と罰」(ドストイエフスキー)に表現されたような病理−−ある真理を知ったとする(される)人間が、その真理ゆえに優越性を感じ、「間違ったもの」への態度をどうとるのか、そのために他者を殺してもいいのか−−という問題にあると考えます。これは、レーニン主義(トカチョフ主義と言ったほうがいいかもしれない)のみならず、カウンタームーブメントには付きまとう問題で、時代に対して超越的・普遍的な問題であると考えます。
どうでしょうか。日本でも、まだまだ社会主義運動・共産主義運動は全くの無、というわけではありません。よって、その可能性と同じく、その病理も社会的に追及されるべきでしょう。
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(無題) 投稿者:荒鷲 投稿日: 5月27日(月)23時50分10秒
革マル派だとかなんとか言っても所詮人に迷惑をかけ散々世の中騒がせた連中にしか見えないのですが!
一般人から見れば中核もレーニン主義もいっしょくたです そんないつその主義がどのようにかわったかなどもう今や無用の長物にすぎない
と思うのですが
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かめさん、それは誤解です! 投稿者:せみまる 投稿日: 5月27日(月)18時23分48秒
「またはそれに向かう危険がある思想」と表現したのは、
実際に中核派や革マル派などが簒奪した政権が成立しているわけではな 「ェ、やはり黒目さんとせみまるさ z@白昼夢 投稿日: 5月21日(火)01時04分00秒
では、そのアナキスト でも読んでみたらどうでしょうか。まっぺんさんとの関係の中でリンクされて来たか、まっぺんさんがリンク オなりません。
「新左翼」は最早歴史の瓦礫 フマニにおける戦術 Trotsky/29/syohyou.html
陳独秀に対す 驍ウによれば、コムスンは「介護」の美名にかくれて相当ひど
い事をやっているようですね。
社会保険行政が破綻の危機に瀕 +ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP