四トロ同窓会二次会 2002年4月19日〜21日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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おかいこさん 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 4月21日(日)23時43分41秒
養蚕地域で子供時代を送ったためでしょうか、菊さんの養蚕のお話を読んで、ちょっとはんなりの気分になりました(^^)。議論とはまるで無関係の、雨の夜の雑談ですけど。
●クワの葉と雨とクワと
卵から孵った茶色のヤゴが最初の脱皮で白くなり、桑の葉をパリパリ食べ脱皮をくりかえすたびにムクムク大きくなるのは(糞の掃除は手間でしたが)見ものでございました。でも濡れた桑の葉を与えると死んでしまうので、雨が降るとたいへん。野良仕事に出ているお百姓さんは、鍬を放り出して桑の木に駆け寄ります。大急ぎで桑の枝を落として家に運び込み、葉一枚づつふきんでぬぐって雨の止むまでの餌としなければなりません。学校でも教室の後ろに蚕棚をつって蚕を育て、繭をつくるとそれを仲買人が買いに来て、そのうち音楽室の楽器か何かが新しいものに買い換えられました。実物教育というより「実益教育」でございました。でも、糸をとるには茹でるので、せっかく育てたおかいこさんは繭の中で死んでしまう、それは子供心に何か哀しいものがございました。秋には桑の実を取って食べるのが楽しみでした。食べた後は“クァンクァン”で、すぐわかってしまうのですけど(笑)。
●青虫
“おかいこさんは白いもの”と思い込んでおりましたが、白いのはモヤシと同じく遮光したところで育てるからなので、光を浴びれば色がつくこと、当然といえば当然ながらその姿を目の当たりにしたときは相当のカルチャー・ショックでございました。インドでは、なんと“放し飼い”、つまり桑の木にじかに蚕を放して自由に葉を食べさせるという手間要らずなのでございます。半年雨が降らない地ならではのこと。その蚕はみごとに青虫、その吐き出す糸は白ならぬ黄色で、それを生なりで撚った糸で織った生地のインド服には独特の風合いがございます。サリーに使う薄絹とはもちろん別ものですけど。
●漂白
では、雨が多いタイではどうなのかと思っておりましたところ、たまたまタイ東北部の農村へ行く機会があって養蚕の現場を見せていただきました。飼い方は日本と似ていて、竹ならぬ麻綱で編んだ浅い籠を棚状にして、その上で摘んできた桑の葉を食べさせておりました。ただ場所が高床式住居の縁の下、虫除けの網の中なので、遮光は完全とはいえません。そのためおかいこさんは白でも青でもなく、お寿司のシャコのような色をしておりました。生糸そのものは見られなかったのですが、伺ったお話ですとやはり日本のように白とはならず、一度漂白してから染めるのだそうです。おかいこさんをやっている農家には、そうして染めを終えたきれいな糸が届いており、軒先の大きな機で年配の女性が織っておりました。
●関東絹街道
絹といえば世界に冠たる日本の純国産輸出品であったのは、戦後いつ頃までのことだったでしょうか。北関東から高崎・川越を通って八王子へ至る「絹街道」、それが鉄道になったのが八高線ですね。維新後は和服に加えて横浜の外人さん向けのスカーフ製造が盛んになり、横浜線が通ります。八王子工業高校も東京農工大もかつては繊維工学科が主力で、中央線沿線には蚕糸試験所がいくつかございました。それが閉鎖され東京都の経済局が統廃合されるのは70年以後のことになります。岡谷の工場も博物館になり信州ではほとんどみなくなりましたが、北関東ではまだ養蚕が続いていると聞き及びます。
北関東・甲信越が主な絹産地とされてきましたが、元は中国・朝鮮からわたってきたのでしょうから、長い歴史をたどれば元の主産地はやはり関西でしょうか。わたし普段は和服を用いませんし着てもウールだったりしますので、消費者としては絹物にさほどの縁もないのですが、子供の頃の「おかいこさん」と後年の産業史的関心と、未だかぼそい糸でつながっております。他の天然繊維とちがい、絹は長い一本の糸なのですね。
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訂正 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 4月21日(日)23時28分20秒
よくよく考えてみますと、「ザーメン」もある種の「排泄物」には違いありませんので、
「むしろ「排泄物としての」と加筆したほうがより適切だろう(嗤)。」に訂正します。
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掲示板荒らしの被疑者クン宛(はぁと) 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 4月21日(日)22時45分28秒
戸田クンには、ぜひとも弁明とか反論とかして欲しいもんだな。その権利はあるだろ(w
ココでカッコよくディミトロフのように論破し、「ネット人士」を味方につけてみやがれ。
まあ、どーせ「身内」に「ネットのヘタレ」だとかほざいて愚痴るか、馬鹿の一つ覚えで
「忙しい」「電話・メール・FAX」を連呼するか、はたまた何事もなかったかのように、
ココかテメーの板やらに書きなぐることであろう。まったく、見苦しいったらありゃしない。
いずみちゃん同志は「ザーメン」と書いていたが、むしろ「排泄物」のほうが正しかろう(嗤)
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顔を洗い直したい 投稿者:スタン・ケントン 投稿日: 4月21日(日)21時54分19秒
過去ログを読んでまして、自分の書き込みがあまりに水準が低いので、おぞ気が立っています。顔を洗って出直したいと思います(私の意志でです)。書き逃げにならぬように、いくつかレスを。
鬼薔薇さん
私の「イスラエルはイラク以上のファシズム国家でしょう」という筆の滑りについての的確な指摘に感謝します。たしかにほとんど概念検証せずに書いていました。また
2月11日(月)00時41分51秒の蓄積論についての言及にも「感謝」します。
AIT久我山支部(準) さん
「本筋でして」(私に「対」する)はまったくそうだと思います。また私の書き込みが関西の農家に不快を買ったならば、反省せねばなりません。
反共精神さん
あなたに対すると、どうしても私の書き逃げの性格をもってしまいます。移民についての議論は管理人様のいうとおりでしょう。しかし私は反共精神さんの理想論(?)は、やはり観念的にすぎると私は残念ながら確信しています。あなたの文章はつねに具体性がない。あなたの身体を経由していない。引用なさっているものも本当に検証なさった上のものなのか、疑問を感じざるをえません。しかしその理想が具体的なものに関わることを望んでいます。今まで攻撃してきたことにお気を悪くせぬよう。
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サイバッチ!に辻元問題で「関係者の投稿」が 投稿者:故あって匿名 投稿日:4月21日(日)19時23分39秒
共産趣味界隈のみなさんにとってはなんだかものすごくどこかで読んだような文体ですが(笑)、今回の問題の背景について語られています。
http://www.mailux.com/mm_bno_dsp.php?mm_id=MM3CA3323935BAC&bno=20020420220801
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農家の跡取り息子だったので。 投稿者:菊 投稿日: 4月21日(日)16時44分33秒
農業と農民の話が出ているので、一言。
実は私は、江戸時代から養蚕・畑作をやっていた農家の跡取り息子(つまり、長男)だったのです。百姓仕事とあの閉鎖的な農村がホントにイヤで(最近の歴史学では百姓とは農民をさす言葉ではないそうですが)、もう30年以上も「土」とは無縁の生活です。
専業農家か兼業農家かという議論がありましたが、実家の跡取りは酪農をやっている弟ですが、彼は大学時代から20年近い●●党の活動家で、議員もやっています。そうすると、専業農家ではない?
どうして、農民だけが専業か兼業か、はたまた兼業も一種か、二種かと、区分されるのかと思います。普通の人は何で主に収入を得ているかで区別されません。それなのに、なぜ農民だけがあれこれ言われるのでしょうか。農水省のそういう統計の取り方やそれを前提に議論をするやり方そのものが、ちょっと理解できません。
弟なんか、結構うまく使い分けています。ある時は「農民」、ある時は「議員」、ある時は「プロの活動家」。それでいいではないかと思います。考えてみれば、三里塚の農民もそんな感じでしたね。
その意味では、久我山さんの意見を支持します。鬼薔薇さんの「農業・農民」に対する書き込みはある種の「感情」がこもっている感じがして、ちょっとイヤでしたね。
久我山さんの書き込みで思い出しましたが、昭和30年代半ばから40年代にかけての農村の変容ぶりはものすごいものがありました。私は小学校低学年でしたが、いろいろと思い出します。
当時「三反百姓」とか「水呑百姓」とかいわれていて、現金収入の道があまりなく、実家で大規模にやっていた養蚕の手伝いに来て現金を得ていた同じ部落(集落のことをそう呼ぶわけです)の人たちが、来なくなった。どうしたのかと思ったら、ほとんどが出来たばかりの工場に働きに行くようになった。
そうこうするうちに100軒余りの部落で、専業農家は私の家以外2−3軒になってしまった。周りが皆、日曜日は休みなのに、家が百姓で仕事を手伝わされるのはイヤだったし、とても恥ずかしかった。
新潟で三宅正一たちと戦前小作争議を闘った農民たちが、戦後田中角栄の越山会の幹部になっていったという話を聞いたことがありますが、そういう流れの中での変化なのだろうと思います。
今はずいぶん、違うようですね。今でも百姓仕事はキライですが(だから、三里塚に援農に行かざるを得なかった時は、おれは革命家を目指しているはずなのに、どうして百姓仕事の手伝いやらなくちゃいけないのかと、できる限りさぼった)、弟のところにも若い実習生が結構来ているようです。
全く議論と関係ない、私的な思い出でした。
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反共精神さんへ 投稿者:まっぺん 投稿日: 4月21日(日)13時16分18秒
現実についての私たちの認識の差はかなりはっきりしてきました。
反共精神さんが「市場原理」という時、それは現実に機能している「市場原理」ではなく、あなたの理想とするところの「あるべき市場原理」ということではありませんか? そういう解釈のもとでなら、次のように言いかえるべきでしょう。「健全な市場原理へ復帰せよ!」と。つまりこれは「資本主義の改良の要求」です。移民の制限の廃止などはまさにその一環として承認するべきものです。
たとえばアメリカでもヨーロッパでも移民労働者や外国からのでかせぎ労働者(労働目的の滞在)には政府がさまざまな規制をしています。もちろん日本でも。ヨーロッパでは移民労働者も組織をつくって「アタック」の運動に参加しています。つまり「資本主義の改良」を目的とするのならば、部分的かもしれないけど「反資本主義者」と戦術的な共闘ができると思います。
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スタンケントンさん 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 4月21日(日)11時50分27秒
ハンドルを書く前にいつもワクワクしてしまうわけですが(^^;;、
私の言ったことは本筋でして、都市近郊の兼業農家がそんなに「窮乏化革命」の主体よろしく?清く正しい存在、などとは考えてませんし、また実体的にそうではないでしょう。農地潰してアパート立てて税務対策して、保険外の金歯入れて外車に乗って毎晩スナック通い、という方も私の周りに「大勢」おりますな。
加えて、都市近郊農協の「よりヒドイ」実態をも、十分に理解しているつもりです。何せ農協の給料は全額小遣い、なんて職員を前にして、こんな長々と「兼業農業は....」などと労力を消耗して書くことは時として虚しくなったりもします。
ですから、地域によって見方も、処方箋も、また色々と異なるのは当然ですし、それが農業の地域性そのものともいえます。しかしながら、構造的には、兼業農業と兼業農家は以下に書いたような中に「組み込まれてきた」というのは、隠しようがないものとしてあります。
ということでご理解いただければ。
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午前中の咆哮(笑) 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 4月21日(日)11時36分25秒
>>全編「まともに相手しようと思って」書かれた文とはとても思えませ
>>んのでこれまでにしておきましょう。
これを「論拠」と取れないんだったら、あんたは日本語の読みとる力、ゼロで「ございますね」。
あんたが、「論拠」で示した場所は「感想」だろうに。「論拠」はその下でしょうが。
ほほう、「汚い手」ですか。ま、確かに綺麗な手ではないし(昨日も畑とデモに行ったからな)、深夜の咆哮であったことは認めるけど(笑)、人のこと言う前に、過去ログでこれまでの自分の「物言い」と、それに対してここの人がどういう対応したか、そいつを眺めてみるんですな。相手が何で怒って(気分を害して)る(きた)かをね。それとも自己絶対化は、昔の輝かしい運動経験の所産で「ございますか」(おおっと、また「妄想」が入ってしまったか〜)。
それがわからん以上、ここでこれ以上何を言ってもムダだと思うけどね。
で、以上は「感想」。以下は「反応」ね。
あんたの発言趣旨が「農業の堕落」、であっても、私の言い方は同じです。
兼業農業「という(産業の?)形態」が「片手間」で「堕落」してる、などというのは、結局、兼業農家(業)を「蛻農」とよんだ学者センセ、とおんなじでしょうが。誤読でも何でもないよ。
私は、「兼業農業が堕落してる」とも「片手間」だと思わないし、兼業農業が中心になってしまったことを「農業の堕落」とも考えないし、実態もまたそうではない、それだけだよ。それともあんた、「蛻農」センセの弟子か?
つーことだな。
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ふーん? 投稿者:いずみ 投稿日: 4月21日(日)11時17分54秒
多くの人が「鬼薔薇キモイー」って感じてたと思うのだけれど、これっていずみの妄想かニャー?
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ちょっと横やりですが 投稿者:スタン・ケントン 投稿日: 4月21日(日)10時19分10秒
AIT久我山支部(準) さん
私自身が鬼薔薇さんの議論を煽った側面もありますからちょっとだけ。(勿論、この書き込みは鬼薔薇さんとは関係ありません)。
兼業農家についての分析、まったく啓蒙されます。ただし地域別のことを考える必要もあるのではないか、と。(AIT久我山支部(準)
さんと無関係でしょうか)。
私は関西居住者なのですが、関西の農家は伝統的に兼業農家で、昔からわりあいに裕福なのです(勿論、全部とは言いません)。私はその農家のもっている山林を削って造った「新興」住宅地(1960年代後半からのものですから、もはや新興ではありませんが)に住んでいますが、その農村の方が住宅地の賃金労働者よりも裕福で、かつ保護もうけているという側面もあるんです。
だから、農協の議論も、全国一律には捉えきれない要素もあるのではないかと思うんですが・・・(余計な横やりでした)。
反共精神さん
>>自分はその解決策として移民の自由と国籍の撤廃を言ったんだけどね。
>>地域性の特色の保持といったものは何を意味するかわかりませんが、私からすればナショナリズムや民族主義といったものは、オーソリティーが民衆を支配する道具でしかありません。
あなたの議論はあまりにも観念的だ。なにかを観察しているのか。私はもともと「社会問題」は関西の在日朝鮮人、被差別部落のところから入った人間なのですが、そういう人間からしても、あなたの議論は理想的に見えてまったく有害にちかい。あなたのような意見を法務省が聞くとは思えないが、実施したとしたら、社会は滅茶苦茶になるだろう。
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RE:おいおい,エラソウだな,鬼薔薇さんとか 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 4月21日(日)09時49分53秒
まぁなんと恐ろしげなタイトル(怖>久我山さま
人にはネチっこく「論拠、論拠」と迫っておいて、いざご自分が求められたらとたんにキレまくり、吼えまくり、マッチョふう決めつけですか?
ずいぶんとまたご立派なことね(怖笑)。
> あんたは前から,ほんっっとに,気持ちの悪い,嫌みの連続する,最悪なものの言
>い方をする男(か?)と思っていたけど,これまでまともに相手しようと思ってた私
>がアホでした〜(反省)。
“反省だけならサルにもできる”とか申しますけど(笑)、全編「まともに相手しようと思って」書かれた文とはとても思えませんのでこれまでにしておきましょう。それに怖いし。
ひとつ大きな誤読がおありのようですので注釈しておきますと、わたし「農業」の堕落と申したので、「農家」の方々を貶めたり「責め」たりしたわけではございませんよ。....などと申したところで、“聞く耳持たぬ”ご様子の方には無駄でしょうかしらね。
「論拠」↓
> 少なくとも,兼業農家が身の周りにいて,どういう気持ちでどんな生活をしている
>か,あんたは,全然知らないし,知ろうともしない,そのくせその兼業農家の作った
>米を買いたたいて,手を汚さずのうのうと生きている,ま,そんな輩なんでしょう。
想像、空想、妄想、思い込み、決めつけ、いくらでもお好きにどうぞ。あなたのご自由ではございましょう。
昨夜はひどくお疲れだったとか。深夜の咆哮の後はよくお休みになれまして?
感情表現もけっこうでございますが、お品のよろしいタイトルづけ含めて、あらためてご自分の文章でも読み返されてはいかがと存じます。あ、その前に、汚い手は洗って置かれたほうがよろしいかと(笑)。
では、ごめんくださいませ。アナ、コワヤ...
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参考文献 投稿者:睦月@出先携帯 投稿日: 4月21日(日)03時38分35秒
大野和興「農と食の政治経済学」出先からの書き込みなので出版元不明。94年刊だが大概のことはこれ読めばわかる。
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どっちでもいいらしいので、グローバル化と搾取に就いての私見。 投稿者:中野 投稿日: 4月21日(日)02時45分58秒
グローバル化は悪だと考える人はグローバル化が強い者が弱い者を支配する様に先進国に途上国が食い物にされて居ると感じるからだと思います。でもグローバル化の主役は国家ではなく企業ではないでしょうか?そう考えれば現在の空洞化現象は正にグローバル化です。詰り空洞化を防ごうと言う人は必然的にアンチグローバルの様な気もします、然も空洞化は開発途上国に取って恩恵となり先進国に取っては痛手となります、従って問題は地域経済でグローバル化ではありません。但しグローバル化に伴い安い労働力を求める余り児童労働が取り沙汰された企業も。
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反共精神さん 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 4月21日(日)02時02分01秒
過去ログの整理と議論の確認,用語の定義の統一,このあたりをちゃんとやると,この手の掲示板でもちゃんとした議論は十分可能だと思いますよ。そのうちまた。
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おいおい,エラソウだな,鬼薔薇さんとか−2 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 4月21日(日)01時54分00秒
だいたい専業農家こそが,強く明るく正しい農家で,二種兼業農家はダメ,などとする発想自体が,農業・農村の現実を知らない旧態依然とした生産力主義者の亡霊そのものです。専業農家が力を発揮できるようにする政策は必要でしょうが,日本の土地条件でそんな農家が力を発揮できる場所は限られています。ヨーロッパでも,地域的には,兼業農家や高齢の農家と専業農家が力を合わせて,あの美しい農村景観を維持しているわけで,日本ではなおさらのことなんです。
企業的な,生産性の高い,所得の高い,「力強い」農業経営ばかりが突出する,そんなアメリカ的なおぞましい姿など,大体日本の農村の原理に合致しません。
それから農協について。農協のダメさ加減は,「全っったく」あんたのいうとおり。付け加えることはあまりありません。しかし,じゃ農協を解体して市場に委ねれば問題は解決するかといえば,それは「全っったく」ありえません。むしろ,腐ったとはいえ,最後の安全弁すら崩壊する事態になるでしょう。
なぜなら,農協は(たとえどんなヒドイ実態であっても)協同組合です。全面的な変革など望む術はないですが,部分的・地域的には「改良」の余地はありえるし,現にそういう事例はヤマのようにあります(あのね,そんなこと,農村の実態を知っていればすぐ分かることなんだよね)。しかし,市場に委ねれば,儲け最優先な中で「改良」の余地など全くありえないでしょう。全ては「商売」にのみ純化されるわけですから。
無論,農協に変わる組織が登場し,本来の農協の機能を担うことはあり得るでしょうし,その方がいい場合も(地域も)当然ある。でも,そこに求められるのは,やはり協同組合的機能であると考えられます。それは,戦前期,農村がどんなに産業資本(!)に食い荒らされてきたかを見れば明らかです。
ここまで書けばお分かりでしょう。要するに,農協は国鉄と似ているんですよ。国鉄は協同組合ではないし,「改良」の余地がどこまであったかは微妙ですが,公共性が高く,....と,ここはこないだ書いたとおりで,同様の共通性がある。そのどうしようもない組織の実態も,官僚や利権集団に食い荒らされているという面でも。しかし,きわめて重要な役割を担っており,市場(資本)に明け渡すべきでない,という面でもね。
ということで,あんたの論法は,やはり反共精神さんの国鉄の議論と同じベクトル,なわけなんです。言及しなかった,と言っているけども,ちゃんと(やっぱり)言及してくれましたね。予想どおり,とするのはいささか「言い過ぎでございましょうか」(苦笑)。
それから重ねて言っておくけど,この手の話は,安全な場所にいて,机の上でエラソウに考えてもコタエは出ないからさ。丁度,農家も忙しくなる時期だし,少しは手にマメでも作って田起こしでも手伝ってきたらどうだ?千葉県某地区なら,この掲示板ですぐ紹介してもらえると思うぞ(笑)。
その上で議論しようじゃないか。物の見方・考え方が変わってるかもしれないぞ。(実際に地域農業を維持・再生産していくか,その戦略は如何にあるべきか,なんて話したいことはいっぱいあるけど,それはその後ね)
あぁ,ったく。今日は長いデモで疲れ切ってるってのに。参ったぜ。
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おいおい,エラソウだな,鬼薔薇さんとか−1 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 4月21日(日)01時53分06秒
>>ニ種兼」多数派化とはそれを片手間仕事ですませている現象でございましょう。
>>「堕落」と申すゆえんでございます。こんなことは「米作保護」を旨とした食管
>>制がコメ過剰時代にまで温存された結果にほかなりません。
>>米作以外、こんな片手間仕事ではとてもすみませんから。
は〜,呆れてものがいえないね。
「堕落」かよ。随分と傲慢で偉そうですな。一体あんた,何様のつもりかね?
少なくとも,兼業農家が身の周りにいて,どういう気持ちでどんな生活をしているか,あんたは,全然知らないし,知ろうともしない,そのくせその兼業農家の作った米を買いたたいて,手を汚さずのうのうと生きている,ま,そんな輩なんでしょう。
あんたは前から,ほんっっとに,気持ちの悪い,嫌みの連続する,最悪なものの言い方をする男(か?)と思っていたけど,これまでまともに相手しようと思ってた私がアホでした〜(反省)。
しかし,農水省ばかりでなく,著名な農業経済学者の中にも,兼業農家を「蛻農」呼ばわりしたのがいましたから,あんた個人などではなく,こういう「物言い」をする論理構造(と立場性)にこそ批判すべき視座を構築すべきなのでしょう。
その前提でまとめてみますか。
二種兼業農家はなぜ増えたのか?農業で飯が食えなかった,そのことに尽きるわけです。公の場でエラソウに物を言う以上,少しは,戦後農業史を勉強してください。
しかし,農家が兼業によって自らの「生活」を維持し(あんたが農家で,この米価と日本の土地条件下で,子供が2人居てその子供を進学させる,と考えてください)てきた,そのこと自体は,ある意味「当然」の選択です。
そのことは,誰が何を言おうと絶対に「責められる筋合い」ではない。
二種兼業農家は,したたかに,兼業で所得補完して生活を維持し,兼業農業で「自らの家産である農地」を維持するとともに,そのことを通して,「我々の食料」を生産し,地域資源と環境を維持する役割を担ってきたわけです。
高度経済成長期には,農村部に進出した工場等に安くこき使われ(しかし,農産物価格が低迷する中では,そうであっても所得補完の機能を果たした),工場すらこない限界地では,出稼ぎに出て都会で工事に従事,それらは(岡林信康の歌を持ち出すまでもなく)み〜んな,日本資本主義の蓄積に貢献したわけですね。
それを支えたのが,農業の機械化と農薬・化学肥料の発達でした。「田植えと稲刈りだけはムラに帰り」,それ以外はサラリーマンとして働くか「土方」に従事する,しかし,「農」は忘れなかった,それが兼業農家です。あんたが「片手間」と悪罵を投げつけようが,日本資本主義と,その高度経済成長の中に「構造的に組み込まれた」,まさにそれが兼業農家です。そして,そのために「米のみ」が維持保護され,それ以外は輸入自由化される,挙げ句の果てに米が余れば,低米価と減反を強要される。それが実態でした。すなわち,総資本の全体重をかけた農業攻撃(時に三里塚に見られる破壊的なものであるとともに,大方は,票田を維持するための見せかけの補助金等の農業政策等の「真綿で首を絞めるような」もの)の中で,兼業農家は再生産されてきたのです。
米作保護の食管制がコメ過剰時代まで維持された所産,などと高見に立ってエラソウに知ったかぶりする前に,こういった構造と兼業農家の「生活」,それが日本資本主義においてどのような意味があったのか,その辺をきちんと見てからモノをいえ,と言っておきましょう。
(つづく)
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そうですね 投稿者:反共精神 投稿日: 4月21日(日)01時30分57秒
>論点は鮮明になったんじゃないですか。
そうですね。まあ、私も書きたいことは山々ですが時間の都合でこの議論にそそぐ労力があまりないという実情もあります。が、次第に具体論へ移行できればとは思いますね。
>その点から新古典派の括りをもってあなたへの批判にしたわけで,そうではない,とするなら,
>調整の余地があるでしょう。
それは新古典派の政府による市場への介入を認めるという立場に対して懐疑的だ、といった意味で、あなたの主義主張に擦り寄ろうとしているといった意味合いではありません。
>これまでの過去ログをきちんと読み返し,反批判を論理的に作り直してみても,それはそれで,
>今後のあなたの学習に大いに役立つとは思いますが(それで議論の溝が埋まるかどうかはともか
>く)。
たしかにそういった作業も必要ですね。
>であるなら,ちゃんとレスしましょうね。「実態をみるべき」ということに対しても(^^;;
これでは私がいったい何についてどういうふうにレスすることを求めておられるのかがわかりません。商店街についてもことならレスしましたよ。
>ちなみに,僕は国鉄の分割民営化はすべきでなかった,と考えています。
これについては後々細かく議論することになるでしょうが、国営企業は本質的に腐敗し、税金泥棒化してしまう性質をもっています。今日は細かくレスできません。
>>それは「事実」というよりもまっぺんさんの現実に対する「解釈」もしくは「認識」といったほ
>>うがよいでしょう。「市場原理に基づいた経済では強いものが弱いものを搾取する」とか、「金
>>融のグローバル化によって世界経済は不安定化する」とかいったものは「事実」ではなくてまっ
>>ぺんさんの経済に関する意見でしょう。
>と言いながら
>>違うね。自分は「搾取」や「金融の不安定」がないとは一言もいっていない。
>と言える点。おかしいと思わないですか? 真面目な態度とは思えないですよ。
おかしくないですね。私は「市場原理に基づいた」「金融のグローバル化」とわざわざ前提条件をつけているのです。私の意見では市場原理に反したり、資本の自由な移動を妨げる要素が「搾取」や「金融の不安定化」につながると考えているのです。
>まあ、移民、あるいは、労働力の移動をもっと自由にすることや、国籍条項の廃絶(これ
>は国境をなくすること)は、長期スパン的には賛成だし、その方向で「なにをなすべき」を
>議論したいんですが。
具体的には、外国人に参政権を認めること、移民をもっと受け入れることがあげられるでしょう。
>地域性の特色の保持ならびに、民衆に快適なグローバリズムとは?ということで。
地域性の特色の保持といったものは何を意味するかわかりませんが、私からすればナショナリズムや民族主義といったものは、オーソリティーが民衆を支配する道具でしかありません。そういったものに寄与する「文化」であるのであればないほうがいいでしょう。戦争などの惨劇もナショナリズムや民族主義から生み出されるものです。もちろん、どのような文化も人間を自由化する側面も持ち合わせてはいますが。宗教について論じてみましょう。
例えば、キリスト教は本来、人間を支配したり搾取したりする教義を含んでいませんが、ヨーロッパやアメリカ合衆国において権力者はキリスト教を利用して巨大な権力機構を作りだし、民衆を支配しました。このような文化であれば保持されない方がよいでしょう。軍隊による暴力の支配は主に身体的に人を支配しますが、文化は民衆の精神を支配できるだけにいっそう恐ろしいものです。
また、人はより快適な生活を求めて移住します。そういったものを妨げるのは政府による統制の場合が圧倒的に多いのです。北朝鮮では極端に政府の統制によって人々の移住の自由というものが制限されていうことはよく知られています。そういった束縛から逃れるには、命がけの亡命といった手段しかないのです。私はこれまで安易に「グローバリゼーション」といった概念を用いたことがあったかもしれませんが、みなさんと一度、定義を確認した方がいいかもしれません。
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レス 投稿者:いけずなはせ子 投稿日: 4月21日(日)00時02分47秒
葉寺覚明です。今回は、私が別のところにて使用しておりますハンドルで登場します。
私はちっとも落ち込んではおりませんので、その点はお気に召されることはありません。
それはさておき、もしも上京される機会がおありでしたら、一度お会いしませんか。
私の友人ともども、歓迎致します。もちろん、実際にお越し頂くのはかなりのご足労を
煩わすことになりますゆえ、もし機会がありましたら、のお話なのですが、もしも
機会がございましたら、ぜひお報せ下さいませ。
あと、貴殿の登場される権利についてですが、私が以前書きましたように、
「どっちでもいい」と申し添えておきます。
それでは。失礼申し上げます。
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まっぺんさんへ 投稿者:反共精神 投稿日: 4月20日(土)23時23分26秒
>現代はこの「独占」がまだ続いている時代です。これは否定しようがありません。
私も否定しません。しかし、私はこのような独占資本がでてくるのは市場原理をさまたげる「政府と大企業の癒着」が原因であると考えています。つまり、国家が市場に介入する権限を不当に持っている状態において「独占」というものは現れうると考えているのです。日本におけるかつての三井、住友といった財閥は国家の後押しなしにはあれほどまでの権力を保持できませんでした。ですから、私は軍産複合体にも海外で独裁政権と癒着している多国籍企業にも反対します。
>1998年の段階で、世界の最貧国に属する20%の人々の個人消費支出は世界の消費支出のう
>ち、たったの1.3%であるのに、最も収入の高い国に住む20%の人々の消費支出は全体の8
>6%を占めています。このような巨大な較差はさらに広がっています。
ですから、なんどもいうように私は国籍の撤廃と移民の自由、移住の自由を実現すべきだと考えているのです。そうすれば、地域における平均賃金の均等化をはかることができます。
>1999年にはビル・ゲイツは、アメリカの家庭の底辺の45%の人々の合計よりも多くの財産
>をもっていたそうです。
市場原理に基づく経済においては(といってもアメリカ合衆国でさえ相当レベル不十分であるが)、所得に格差が生じることは避けれらません。しかし、貧困はなくすことができます。生活が苦しい貧困層が生まれるのは政府による統制によって経済が停滞するためです。
>「経済的強者だけが自由に経済を支配する。そしてさらに資産を増やしていく」事をしか意味し
>ないのではないでしょうか? 国家的あるいは国際的ななんらかの規制をしなければ、「自由市
>場」は「富者にとって自由な市場」にしかなりません。
私は思うのだが、国家による規制、国際的な規制、このようなものを増やしていくところに権力というものが生まれ、搾取が生まれるのではないでしょうか。市場主義経済にどの程度アクセスできている度合いに応じてその国、もしくは地域の住民の生活の豊かさが実現されているということは歴史を見ればわかります。その反面、生活が苦しい人々が暮らしている地域では、それにおうじて政府による経済統制、保護主義が比較的強くなっています。一度に多くのことを書くのは時間の制約上難しいですが、政府の権力や統制が「搾取」や「貧困」というものの根本原因であると私が考えているということは知っておいていただきたいです。
>経済のグローバリゼーションとは、まさにそれを促進し「勝ち組」と「負け組」とをはっきりさ
>せようとする事にほかなりません。
グローバリゼーションという言葉は使う人によってたいへん意味合いがことなりますので、その定義をはっきりさせていただければ、と思います。それが、経済の市場化、自由化を意味するならば、はっきりと否定します。例えばインドや中華人民共和国はまさに経済の市場化、自由化によって二十一世紀にもっとも経済発展するだろうと言われています。これらの国は、二十世紀の間、他国の侵略によって辛酸をなめつづけた国であることはみさなんご存知でしょう。しかし、インドや中国はこれからは「勝ち組」になるでしょう。問題も多々起こっていますが、それは市場によるものよりもむしろ政府の政策ミスによるものが多いように思います。
>この事実をどうして「まっぺんだけの解釈」といえるのでしょうか?
まっぺんさんだけではないですね。まっぺんさんとまったく同じことを言う方は数えきれないほどいますからね。
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(無題) 投稿者:中野 投稿日: 4月20日(土)21時26分01秒
まだ許しても貰ってないのに勝手に投稿してごめんなさい、ちょっと葉寺覚明さんの事だけが気掛かりと言うか、悔いに残ってたので確認したいなぁ〜と思ってました。僕が想像するに葉寺覚明さんは正に感受性の塊と言ったイメージです、決しておかしいなんて思ってません(本当です)。それ所か可愛いなぁ〜とさえ思ってしまったぐらいです(葉寺さんて女性ですよね?)、若しへこんでたら今すぐに立ち直って下さい。以上です、失礼致しました。(ごめんなさい・・。)
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論拠、ロンキョ、ろんきょ? 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 4月20日(土)20時51分06秒
>久我山さま
> 「同じベクトル」とは,国鉄等の議論で,食管が「同じようなもの」としてスライド
>し,しかもその論拠が明確に示されなかったからでして,それ以上ではありません。も
>し,勘違いというなら,ご容赦ください。
あのぅ、この文章ほとんどイミフメでございますけど?(苦笑)
わたし、いつ・どこで「国鉄」に言及いたしまして? したのは反共精神さん。ですよね? 彼の「国鉄」議論とわたしの「農業堕落」説と、ふたつ別のも i馬場宏二氏は過労死を
社会主義的な殉死、という表現に近いことを喋っていましたが)