四トロ同窓会二次会 2002年2月13日〜15日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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なんだか、現代国学者を彷彿とさせる無茶苦茶ぶりですな(苦笑 投稿者:黒目@反トロ教条主義(ワラ 投稿日: 2月15日(金)23時05分39秒
(8)なんか、どういう事を言っておられるのか、全然理解できないのですが(
もうちょっと話を整理してもらった方がいいのではないですか?
私は内ゲバという現象を「あれはスターリニズムだ」という事で終わらせるのは、全くなにも説明したことにもならないし、内ゲバという現象の解明にもつながらない、という事を起点にして話をしている筈ですが。
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これまでの議論をチャラにして新しく議論を始めるってこと? 投稿者:せみまる 投稿日: 2月15日(金)22時37分25秒
(8)「正しいトロツキズム」の組織論とは?
少し前にもどりますが、黒目さんの主張には更にものすごいものがあります。「正しいトロツキー組織論の結果が日本支部の破産であるなら、トロツキー組織論を再検討するべきだ」というものです。女性差別などを行なった日本支部の破産を「正しいトロツキズム組織論」と位置づける根拠は全然理解できませんが、それを認めるとすれば、逆にヨーロッパのトロツキストは「正しくないトロツキズム組織論によって成功した」ことになりますね。黒目さんの主張をそう解釈していいのでしょうか?
(9)黒目式内ゲバ論分析のまとめ
こうして黒目さんの主張を概括すると「日本新左翼はスターリニズムではない」「内ゲバはスターリニズムではない」「解放派の内ゲバもスターリニズムではない」「民族・宗教・政府・会社・軍隊などでの内ゲバはスターリニズムではないので日本新左翼の内ゲバもスターリニズムではない」「正しいトロツキズム組織論は女性差別的で組織を破産させる」「したがってヨーロッパ左翼は正しいトロツキズム組織論を適用しなかったので組織が拡大し内ゲバも防ぐことができた」…でよろしいですか?(^o^)
(10)そしていきなり今までの議論をチャラにするのかな?
以上、これまでの議論の流れを跡づけたわけですが、その過程で黒目さんが主張してきた事はどうなったんでしょうか?以上のわたしの質問に答えてから次にいってもらいたいものですが、いかがですか?
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黒目さん、議論の流れからどんどん飛躍してますが…(^^;;) 投稿者:せみまる 投稿日: 2月15日(金)22時34分33秒
(1)『検証・内ゲバ』がきっかけ
黒目さんはすっかり議論の流れを忘却しているようなので、簡単に復習しましょう。そもそもここでの「内ゲバ」議論がはじまったきっかけは『検証・内ゲバ』についての意見の交換からです。この本の中で多くの著者が問題にしているのは「党の唯一絶対論」の問題、したがって「複数主義と党内分派」の問題、したがって「民主主義の問題」なのですよ。そして、この問題をめぐって、いろいろな人たちが経験者の立場からの意見、あるいは読んで感銘を受けた本などの感想などを交換してきました。
(2)高島による日本新左翼批判
『検証・内ゲバ』で小西さんは「なぜヨーロッパでは内ゲバがなく、日本では内ゲバが横行したか」を探ろうとしています。それに対して「かけはし」高島論文は「ヨーロッパ新左翼はトロツキズムを起源とし日本新左翼はスターリニズムを起源としたからである」と回答しています。これはトロツキスト以外の人々にとってはセクト主義に聞こえることでしょう。黒目さんはこれに反発し蝉丸は擁護する立場から双方の議論がはじまったわけです。つまり「日本新左翼はなぜ内ゲバ党派に転落したか」が出発点なのです。
(3)日本新左翼はスターリニスト
蝉丸は日本新左翼の源流がスターリニズムである事の証明のために、とくに日本新左翼主流派を形成したブントと、同じく主流派後継セクトである中核派の組織論について語り、彼らの組織には民主主義がなかった事を論じました。なお、小西さんも中核派のスターリニズム批判は一国社会主義についてだけでプロレタリア民主主義についての批判が無かったことを自ら語っています。つまり内ゲバの根元である「非民主主義」がスターリニズムに関係している事は、もはやトロツキストだけの合意事項ではないのです。
(4)新左翼は第三潮流だったのか?
蝉丸は、日本新左翼が「トロでもなくスタでもない第三の潮流という主観にもかかわらず、客観的にはスターリニストの亜流であり、スターリンの掌中にあった」と主張しました。黒目さんはこれに対してスターリンなどの「ロシア左翼とはまったく違う潮流」である社青同解放派をとりあげ「スターリニストではないのに内ゲバ党派に転落したのはなぜか」を蝉丸に質問したわけです。蝉丸は「組織原則を持たない党派がスターリニストに対してスターリニズムの方法で反撃をした結果である」と説明しました。
(5)解放派全協はスターリン主義か?
黒目さんは、ここで議論の流れから脱線してしまいます。解放派全協は内ゲバ党派ではないのにスターリニストなのか、という質問です。「内ゲバはスターリニズムであるかどうか」の議論がおこなわれている時に「内ゲバをしない党派がスターリニストであるかどうか」を聞いてどうするのでしょうか?それでは反論にはならないんじゃないでしょうか?また黒目さんは内ゲバの例について「民族」やら「宗教」やら「政府」やらを持ち出しはじめましたが、これもまた、「途方もない飛躍」と言わざるをえません。
(6)階級的視点を欠落させた内ゲバ論へ
つまり「民族・宗教・政府・会社・軍隊などでの内ゲバはスターリニズムか?」という質問ですね。では、もういちど(2)と(3)を読んでください。われわれの議論の出発点は「日本新左翼運動はスターリニズムか?」という事だったはずです。「民族・政府・会社」などといった、およそ新左翼運動と関係ない「内ゲバ」を持ち出して議論して、それで「日本新左翼の内ゲバはスターリニズムか?」という命題への答えになるのでしょうか?例えば「民族・宗教・軍隊などでの内ゲバはスターリニズムじゃない」という結論は「新左翼の内ゲバはスターリニズムじゃない」という結論に結びつくのでしょうか?
(7)記号に置き換えれば簡単にわかるレトリック
われわれは「A(日本新左翼の内ゲバ)=B(スターリニズム)であるかどうか?」を議論しているわけですよね。ここに黒目さんは突然C(民族・宗教・政府・会社・軍隊での内ゲバ)を持ち出してきました。そして「C=Bだというのか?」と聞いてきたわけですね。「それならいたるところBだらけだぞー!」と。ところで、それを証明すると、「A=Bであるかどうか」の証明に何か関係するのでしょうか?もしもその関係性を証明したいなら「A=C」であることを証明しないとだめじゃないスか?(^^)
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クリビンヌ演説の印象 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 2月15日(金)21時58分57秒
>せみまるさま ご紹介のクリビンヌ演説、サイトで拝見しました。
冷静な言葉遣いながら、全体として“ヨーロッパ左翼は上潮にある”という空気が伝わってまいります。その基調は「反資本主義」。そのなかで若い世代の急進化への言及が新鮮に感じられます。そうした動きのなかで、「追随」と「分裂」を同時に避け、運動に対する「責任」を強調している点、これは貴重な政治資質と存じます。「トロツキスト」系が複数共存している状況、これは日本で「新左翼」が何派も存在しているのと似かよっていると考えられましょうか。
何でも群れればいいというのではない、新しい質と要素を包みこむ「統一」の近未来イメージが鮮明かと思います。「労働運動」と「過激市民主義」との架け橋というむづかしい問題を扱いながらも、「夢見ることは革命的である」とは、フランス的エスプリかどうか存じませんが、とてもさわやかな響きのよい言葉ですね。(^^) 「内ゲバ」に血ぬられた日本左翼が夢を見たり語ったりできるのはいつのことになりましょうか。
前書き(解説?)には、イギリスSWPという組織がトニー・クリフ派とあり懐かしい気分を誘われました。トニー・クリフ『ソ連=国家資本主義論』は、60年安保の少し後だったでしょうか、論争社から翻訳がでて、わたしなど一時期かなり影響を受けました。今は行方不明、そのトニー・クリフも故人となったこと、今回の記事で知りました。
わたしの手許に今あるのは、小著のルクセンブルク評伝(浜田訳、現代思潮社)だけ。それの『蓄積論』を扱った章で、ジョーン・ロビンソンのルクセンブルク評(英訳版『蓄積論』に附されたもの)を紹介しているのはさすが経済学専攻のイギリス人という感じですね。蓄積論第3篇への注目、ブハーリンに対するルクセンブルクの理論的優位の指摘、いずれもも適切に思います。
『かけはし』次号では、SWP側の発言が紹介されるのでしょうか。
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私はまさに教条的に、あらゆる教条主義と敵対するのです(ワラ 投稿者:黒目@反トロ教条主義(ワラ 投稿日: 2月15日(金)21時57分43秒
まあ、私はまさに新しげな事をほいほいやっていちびっていた、観念なき大衆運動の一員であり、クソの役にもたたない観念の布教者には、常に理解不能なレッテルを貼り続けられてきている訳ですが、「反トロ教条主義」って、新しい概念ですよね?(ワラ
しかし、俺は結構、トロツキーそのものは好きなんですけどね。論理的整合性を追求し、自らのそれまでのポジションを犠牲にしてでも論争する、あのスタイルが好きなのですが。ま、バルサックでも用意して読まなければならないかもしれませんが(苦笑
まず、私の「内ゲバ問題」に対する理解が、「没階級的」である、という問題について。
ぶっちゃけた話、私はこれまでに一度たりとも、マルクス主義者であった事はありません。従って、「共産主義者である事が前提となった」ギロンが、私の口から出る筈はそもそもありません。で、ここで大変に大きな疑問が生じる訳です。
第4インター日本支部は、「大衆的な運動としての内ゲバ反対」をやろうとしていたのではなかったのでしょうか?で、大衆運動というのは、共産主義者の運動と=なのでしょうか?「共産主義者である」ということを前提としなければ成立しないような話を、どのようにして、大衆的に説明するのでしょうか?
「共産主義者である」という事を前提にしなければならない議論など、まさに「神々の争い」であり、「無人島に全員集まって、全滅するまでやってくれ」というしかないような類の話であると思います。
現実に、例えば「6月共同行動枠」のような形で、内ゲバを回避する形での運動構造を作るための努力をしてきたのは、マルクス主義を共通の前提としない、市民運動のなかから生まれてきたのではないのですか?また、第4インターによる「内ゲバ反対」論も、共産主義者に階級的視点から受け入れられたのではなく、極めて現実的な、大衆運動の運営の為の必要からうまれた部分に共感を生んだのではないのですか?
>もしも、黒目さんのような観点から「内ゲバ」を見るなら、共産主義者は「内ゲバ」を>全面否定するべきではありません。
>半分だけ否定するでしょう。私は「味方同士の内ゲバには反対、しかし敵同士の内ゲバ>にはおおいに賛成」です
大衆運動というものが、共産主義者の独占物であるならば、このような話も成立するかもしれませんが、私はこのような話をする輩は、内ゲバ党派の同類であるとしか見えません。
そもそも、互いに相手が共産主義者であると考えている、いう前提の上でないと、この話は成立しませんね。内ゲバ党派が違いに相手を「ファシストだ」「権力の走狗だ」と呼び合っている状況では、なんの意味も持たない。蝉丸さんが言われるような話は、内ゲバが本格化する70年代前半までの状況までにしか、射程を持たないと思います。
>ボリシェヴィキの苦渋の歴史の中でどこからを「スターリン主義」と呼ぶべきなので
>しょうか?それを考えるなら、解放派についても答えが出るでしょう。
それでは、SRやクロンシュタット、マフノとボルシェビキとの闘争は、内ゲバとは異なる、蝉丸さん的には、「反対する理由を持たない」なにものか、なのでしょうか?
内ゲバという現象が、純粋に「共産主義者同士の」、「神々の争い」として展開されるのであれば、私はこれに積極的に反対する理由を持ちません。どうぞ、勝手にナンボでもやっていただくとよろしい。しかし、現実に起きた現象は、大衆運動を分裂させ、相手の大衆運動を破壊する事で、相手にダメージを与えようとする事が、内ゲバの実態であったのではないのか?内ゲバはまさに、大衆運動を踏みにじるものとして展開されたのではなかったのか?
私がそもそも、4トロの「内ゲバ反対」の内容に、大きな誤解をもっていただけかもしれませんが。
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そもそも、 投稿者:いずみ@出向先 投稿日: 2月15日(金)20時25分15秒
この文体自体が、すごく敷居を高くしているのではないだろか、と思うんですが。
すごくいやらしさを感じるのはいずみだけだろうか。
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>せみまるさま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 2月15日(金)20時14分24秒
差し出口はあまり好みませんが、そうとうにズレまくっていると感じますので少しだけ。
>もしも、黒目さんのような観点から「内ゲバ」を見るなら、共産主義者は「内ゲバ」を全
>面否定するべきではありません。
>半分だけ否定するでしょう。私は「味方同士の内ゲバには反対、しかし敵同士の内ゲバに
>はおおいに賛成」です。
>これは階級闘争の理論というよりも、むしろ純粋に軍事的観点から正当化されるでしょう。
これは「軍事的観点」というより、ただの「政治力学」ではございません? そして、問題の「内ゲバ」にはこの種の「政治力学」主義が、党派の私的利害として無原則に入り込み、大きな作用を及ぼしていたのではなかったでしょうか?
>ここで「内ゲバ=スターリニズム」という言葉が階級的視点に立って語られている事は前
>提ではありませんか。
「階級的視点」とは、「左翼」(もしくは「共産主義者」)内部の問題にあらかじめ視野を限るという意味で仰っているのでしょうか?
わたしが「プロレタリア民主主義」という言葉遣いにためらいを感じますのは、そもそも「プロレタリア」とか「プロレタリアート」とかが、かつてほどに自明な意味概念ではなくなりつつあると思うからでございます。運動が後退しているからというわけでは必ずしもなく、たとえば菊さんご紹介のWSF「宣言」も、ある意味で「プロレタリアート」という左翼概念が溶けかけている状況を濃厚に映し出していると感じました。そうした状況の展開そのもののなかに新しい可能性を探り当てるのでなければ、「左翼」も「プロレタリアート」も、歴史博物館に飾られてしまうほかございませんでしょう。
さりとて、何か賑やかそうな「運動」や新しげな「闘争」があればホイホイと同調したり宣伝したりどこへでも出かけて行くだけで心満たされるのであれば、別に「共産主義」や「階級性」にこだわる必要もございません。なんたらイズムのしかつめらしい議論や古文書の詮索などサラリと捨てて楽しく騒げばよろしいだけでございます。「革命」など心から追放して「改良」に徹するのもよろしいでしょう。それらもまた現実の選択肢としてわたし否定いたしません。
さはさりながら人はパンのみにて生きるにあらず、観念もまた食べねば生きられぬ存在である以上、そこでもまた大小の「政治力学主義」や「内ゲバ」が再生産されないという保障はございませんね。「非暴力抵抗」のマハトマを聖化したインド共和国が「国民的内ゲバ」を再生産し続けて今にいたっておりますように、また、最大の社会的被差別者と申すべきユダヤ人の自己解放欲求が政治的シオニズムとなって「永久殺戮」の轍にはまり続けておりますように。いえ、そんな「大きな物語」でなくとも、A国からの発電施設導入に反対する環境NGOの立派そうなキャンペーンが、実は「環境にやさしい」のがウリの(高額の)B国発電施設の売込みに一役買っていたりとか。
けっこう辛いところにわたしたち立たされていると思うのですね。ご論議拝見していてズレまくっていると感じますのは、今のこの「辛さ」に、と申しますよりその「辛さ」の所在を探り当てる模索に、うまく方向付けられていないように思うためでございます。
差し出口、失礼いたしました。併せて黒目さんにもお詫び申します。m(__)m
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RE:あれこれ 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 2月15日(金)20時08分57秒
>菊さま
>書かれていることが、どうもよくわからないのですね。私の活動家経験は時代が少し下っ
>た70年代前半からですが、「左翼ワッペン」=「ワッペン・プロレタリア」か、なるほ
>どとも思うのですが、どうもよくわからない。さらに、2番目のフレーズの結論、「検証]
>の方法や道具を見出すための営為が必要」となると、さらにわからない。ごめんなさいね。
こちらこそ言い方が下手で申し訳ございません。
前半は、「プロレタリア民主主義」があなたの語られたようなものであればよくわかるけれども、その内容は闘う大衆がすでに獲得していた意識以上のものではなく、党派はそれに「プロレタリア」という左翼語形容詞をつけてみせただけで、特段の理論的貢献をしたわけではない、という意味でございます。それを「大衆への埋没」と申しました。
後半は、そのような党派語(「プロレタリア....」)が、実体としては「プロレタリア」とはいえぬ闘う大衆にそれなりに受け入れられたということ自体、大衆レベルの「新左翼運動」現象として独自の歴史的意味をもっていたはずで、「労働者本体論」からする否定的評価(別に革マル派だけでなく)に立つのでなければ、この意味の解明が必要、でもそれは、マルクス・レーニン・トロツキーなどが過去に書き残したものを探しまわっても見つかるわけもなく、わたしたち自身の経験から自力で探り当てるほかない問題、それにはそれなりの道具だても要るでしょう、という、それだけのことでございます。
わたしもあれこれと模索しながらの発言、「よくわからない」理由の一端は問題そのもののむつかしさからも来ているのかもわかりません。と申したところで書き方のまずさを正当化できるわけでは決してないこと、自戒しておきたく存じます。
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議論の自由と行動の一致 投稿者:せみまる 投稿日: 2月15日(金)16時47分22秒
ヨーロッパ・トロツキストは今、それを積極的に実践しているようです。「かけはし」2月18日号に、フランス支部アラン・クリヴィンヌのイギリスSWP(トニー・クリフ派)の集会での演説内容が掲載されています。そこから一部コピペします。日本の運動は百歩も二百歩も遅れているな〜。
今日、ヨーロッパの多くの諸国で、新しい反資本主義的組織が発生している。そして、通常それらはよく似た特徴を持っている。スコットランド社会党については、皆さんのほうが私よりご存知である。社会主義連盟も同じ枠組みの中にある。ポルトガル、デンマーク、ギリシャ、トルコ、フランスなどの諸国に目を向ければ、フランスは少し異なった点があるかもしれないが、これらのすべての諸国で、異なる伝統をもつ政治的グループや傾向の結集が発生していることが分かるだろう。トロツキズム(ときにはトロツキズムの種々の翼、ご存知の通りこの点ではトロツキズムは非常に豊富である)、毛沢東主義、危機に陥っている旧共産党や、自由主義的伝統の中からさえ人々が結集している。これらの多様な伝統を持ち、過去を議論しないことに同意した人々の再結集が始まっている。もちろん、過去について議論することは非常に重要であるが、今日新しい反資本主義的組織をいっしょに建設するには、七十年前のソビエト連邦の性格について同じ意見を持つことは必要ではないと私は考える。
もちろん、トロツキストとして、私たちはこれらの歴史的な論争は非常に重要であると考えているが、私たちは未来に目を向けることが必要であり、今日私たちにとって中心的な課題は、今日何をなすべきかについて合意する人々を、たとえ過去の分析について一致していなくても、再結集することである。また、種々の組織に属してきた人々だけではない。政党に属したことはないが、今日、労働組合運動、社会的運動、反人種差別や反ファシズムの運動、女性の運動やエコロジスト運動の活動家である人々や、日々の社会的政治的生活の中で直面する問題に対する政治的答えを待ち望んでいる人々も結集する必要がある。
http://www.jrcl.net/web/frame0218d.html
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あれこれ。 投稿者:菊 投稿日: 2月15日(金)14時32分51秒
鬼薔薇さん、どうも、です。
書かれていることが、どうもよくわからないのですね。私の活動家経験は時代が少し下った70年代前半からですが、「左翼ワッペン」=「ワッペン・プロレタリア」か、なるほどとも思うのですが、どうもよくわからない。さらに、2番目のフレーズの結論、「検証の方法や道具を見出すための営為が必要」となると、さらにわからない。ごめんなさいね。
私は活動家として当時、民主的であろうとした。しかし、結果的にそうならなかった。それはなぜ?どうしてなのか?そうして様々な点について違った考えの人と議論することによって、自分なりに納得性を得て、これから役に立てていきたい。もう少し言えば、封印してきた経験を突き合わせることによって、集合的な記憶=歴史として残しておきたい。そんな感じなのですが、アプローチの仕方・問題意識の違いなのでしょうか。よくわかりません。
小西さん、初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします。
中核派の中で「プロ民主主義」といわれていたのですか。知りませんでした。大変、失礼しました。私は以前ここでも夏目漱石から少し引用して書きましたが、「多様性の承認」、「僕は左を向く、君は右を向いても差し支えない位の自由は自分でも保持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます」(夏目漱石)という原理は、どんな社会であっても根幹に措定されるべきだと思います。そこにはブルジョワ民主義もプロレタリア民主主義もないと今は思うのです。
一同窓生さんやイレギュラーずさんが書かれている当時の第4インターの組織内民主主義の保障という原則も、それは上に書いたような「民主主義の原則・個人の自立」の観点から積極的に主張されていたわけではなかったと思います。
確かにれんげさんが引用されているように、規約(あれはいつ頃のでしょうか?政治局、中央委員会とありますから、日本支部ですね)は立派なのです。しかし、問題は運用というか、日常的な組織活動そのものです。「民主主義」が制度や多数決原理ではなく、「物事を決定し、実行に移すプロセスそのもの」であると考えると、プロセスそのものは決して民主的とは言えなかった、さらにそのプロセスが構成員自身が相互に学び、主体的な成長を実現していく非常に重要な役割を果たしている(いわば「プロレタリア民主主義の学校」)という認識はほとんど、なかったように思います。
例えば、「何かオカシイと思うんだったら、分派を作れば」という態度や意見が平然と言われていた。それは議論をするという態度ではないし、そういう意見が出されること自体が組織の政治的活性化を疎外し、ほとんど恫喝に近いわけですね。まあ自覚的にそういった意見をいうというよりも、ほとんど無自覚的だったとは思いますが。
イレギュラーずさん
私の「議論及び行動の自由」という意見に保留されました。「行動の一致」まで取り払ってしまったら、政治組織としてはどこで一致するのだろうか?そう考えられておられるのではないですか。でも、組織における民主主義を結論まで推し進めると、そうでなくてはならないような気がしていますが、どんなものでしょうか。
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追加 投稿者:せみまる 投稿日: 2月15日(金)14時04分13秒
黒目さんは「内ゲバ」の定義を階級的視点を無視して語り始めましたが、それはむちゃくちゃな暴論というものでしょう。
ここで「内ゲバ=スターリニズム」という言葉が階級的視点に立って語られている事は前提ではありませんか。
スターリンは共産主義者であり、共産党の簒奪者であることにふまえての議論なんですよ。常識で考えてくれませんか?
もしも、黒目さんのような観点から「内ゲバ」を見るなら、共産主義者は「内ゲバ」を全面否定するべきではありません。
半分だけ否定するでしょう。私は「味方同士の内ゲバには反対、しかし敵同士の内ゲバにはおおいに賛成」です。
これは階級闘争の理論というよりも、むしろ純粋に軍事的観点から正当化されるでしょう。
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では「内ゲバ=スターリニズム」ではないと思うのですか? 投稿者:せみまる 投稿日: 2月15日(金)13時35分43秒
黒目さんの投稿を読んでいて思うのはね、現実を見ようとせず「言葉のメカニズムで遊んでいる」ようにしか聞こえないんですよ。ものすごく形式主義的じゃないでしょうか?
>そもそも、「内ゲバ主義=スターリン主義」という前提が、
>共有されてなどはいないと思いますが。
『検証・内ゲバ』を読んでください。「内ゲバ=スターリニズム」というのはトロツキストだけの定義である、というあなたの主張。これは小西さんや他の人達の意見を無視しているし、ボリシェビキ内部に内ゲバを持ち込んだのがスターリンである事実を無視しています。内ゲバについて真剣に総括しようとすると、自分の過去の体験や自分が所属した組織や学んできた理論の中に、スターリニズムの影響を見ないわけにはいかない、というのが、これまでここで異口同音に語られてきた内容ではないでしょうか?「トロツキズム」という言葉を使う必要はありません。少なくとも内ゲバの原因としてここで語られてきた多くの主張の根底には「われわれが学んだ共産主義にはプロレタリア民主主義がなかった。それはスターリンによって共産主義組織論から排除されていた」という共通認識があるんじゃないでしょうか? そして、私は、日本の第四インター派も、他の党派より相当マシではあったけどもプロレタリア民主主義について(特にレーニン主義をめぐって)検討する余地があったのではないか、と思っているわけです。内ゲバはスターリニズムであるかどうか、ぜひ黒目さん自身の見解をお聞きしたいと思います。
>また、解放派の協会派に対するゲバについて
・・・・・・・・・・
>スターリン主義者とゲバをやったら、吸血鬼にかまれたように
>スターリン主義が感染する、というような話でしょうか?
ロシア革命は共産主義運動の歴史をまなぶうえで重要な教訓を肯定的にも否定的にもたくさん与えてくれます。ボリシェビキとメンシェビキとの党内闘争、反革命に転落したメンシェビキ他の党派と断絶しソヴィエト民主主義のために闘った歴史、やがて起こった、政治方針をめぐるアナーキストや左翼SLとボリシェヴィキとの軍事衝突、党内分派禁止決議と一党独裁の決定、内戦後のスターリンの台頭、等々。ボリシェヴィキの苦渋の歴史の中でどこからを「スターリン主義」と呼ぶべきなのでしょうか?それを考えるなら、解放派についても答えが出るでしょう。もしも「ボリシェヴィキは初めからスターリニズムに転落する運命を持っていたのだ」と思うなら、解放派についても「はじめから内ゲバ主義に転落する運命にあったのだ」と思えばいいでしょう。そして「解放派全協もいずれ内ゲバ党派になる運命にある」と思えばいい。しかし、わたしはそういう「宿命論」を信じません。一時的に「内ゲバ」または、それに近い戦術をとったとしても、組織のメンバーによる主体的な努力が保証されるなら引き返すことができるのです。引き返せなくなった党派は「内ゲバ党派」に転落していくことでしょう。解放派全協は過去に「東京地本内ゲバ事件」を引き起こしたとしても、そこから引き返すことができたから、内ゲバ党派に転落せずにすんだのです。組織を転落から引き戻すための最低条件は組織内部で誰もが自由に発言できる事、つまり「組織内民主主義」を保証する事だと思います。
>第4インター的な「スターリン主義」という語の使われ方を見ていますと、
>「第4インター的」ではないものの総称がスターリン主義と呼んでいるに
>すぎないのではないのか、と考えざるをえません。
ここにあなたの主張の全てがあるような気がします。だから「教条的反トロ主義者」じゃないのか?と言ったのです。ようするに「トロツキストが言ったことかどうか」にこだわっていて「トロツキストが言った内容が正しいのかどうか」の検証をしようとしていないんじゃないでしょうか。高島論文は、かつて日本左翼の中では四トロだけが内ゲバ反対を言っていたが、それは間違ってなかった、しかし、行動の上で不十分であったと言っているのです。こんどはこの同じ主張を多くの人々が共有し大衆的に行動していくべきだと思います。「どの党派であろうと正しいものは取り入れ、間違っていたものは修正する」という態度が必要なのではないでしょうか。
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おお、21世紀の共産党宣言!? 投稿者:菊 投稿日: 2月15日(金)13時04分26秒
一橋大・加藤哲郎さんがホームページで、2月にポルトアレグレで開催された世界社会フォーラムの宣言「世界の社会運動による呼びかけ−新自由主義・戦争と軍国主義に抗し平和と社会正義を求めて」は21世紀の「共産党宣言」ではないかと高く評価しています。「反グローバリズム」ではない、もうひとつの「グローバリズム」であり、共産党宣言の「プロレタリア国際主義」を越えていると。
ポルトアレグレのWSFに参加した方で、この掲示板を読んでいる方もいらっしゃると思います。よろしければ、感想など書き込んでもらえるとうれしいです。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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おお!ありがとうございます 投稿者:まっぺん 投稿日: 2月15日(金)12時57分01秒
「かけはし」は毎週ハンギョレ新聞の一部を翻訳して掲載してますが、1ページだけなので限定されます。
韓国の運動の全体を掴むためにも、黒パンさんの努力は貴重です。
「倉庫入り」論文と同じものが「かけはし」の前号にもありますね。「疑問死亡 真実を 生きうめに するな」
http://www.jrcl.net/web/frame0211i.html
これ、去年のブンブン君救援の集会で初めて知りました。
※そういえばいつの間にか、26万アクセスありがとー!\(^o^)/
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「ハンギョレ」新聞≪ネット版≫の最新記事。15日昼編集によると 投稿者:黒パン 投稿日: 2月15日(金)12時47分05秒
【ロシアで代替兵役法案、議会提出 】
ロシア 政府は 14日 徴兵制を 廃止するための 前段階 措置で兵役 勤務者が 兵役義務を 公益勤務に変えることができるようにする
代替兵役法案を 用意し 議会に 提出した.
代替兵役法案が 個人的な 事情で徴集を 願わない 若者達の 負担を 減らしてあげるために 制定されたと 話して 居住地で
服務する 場合 夜間学校に 出て行くことができて
代替兵役法に よって 病院や 他の 社会分野で 服務を することができると 明らかにした、しかし その 服務 期間を 3年とするのか
4年とするのかを 置いて 意見が 交錯し まだ 最終 確定出来なかったと 付け加えた.
兵営で 服務することを 望む 代替 兵役等の 場合 服務期間が 3年になるか 病院や 他の 社会分野で 奉仕することを希望する 場合 4年を 服務せねばならないことと 見られると話した.
現在 大部分の 徴集兵らは 軍予算 不足で2年間 服務している.
代表的な 軍隊 ロビー 団体である "ロシア 兵士らの お母さん 委員会”は 徴集兵に 残酷な 処罰が 加えられていると 批判している.
この委員会に よれば 軍人 総 120万名 中に年間 最高 4万名が 良心的な兵役拒否者や 脱営兵に なっていて 約 500人が 毎年 自殺を している。
兵役 拒否者等も 1999年 再発した チェチェン戦以後 大きく 増加した.
(モスクワ/連合ニュース)
「かけはし」が掲載したオウさん関連の記事は『ハンギョレ21』が1月下旬に「まとめ」たようなので<プリントされている刊行日は10日くらい先になっています。今、ネット上で読める『ハンギョレ21』は2月21日付け 396号が5,6日前からアップされています。>
その後の警察当局による「出頭」要請、「逮捕」、裁判所による「拘束棄却」という状況には
触れていません。
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韓国の兵役・徴兵問題の「最新」状況に関して・続 投稿者:黒パン 投稿日: 2月15日(金)12時12分52秒
以下はAMLへの最近の「投稿」
≪ハンギョレ新聞」等の記事から翻訳ソフトを利用して、構成。≫
[ソウル地裁、またしても韓国良心的兵役拒否問題に関連して「良心的判断」を出す。]
2月8日
【裁判所、良心的兵役拒否 者オウ氏への拘束令状 棄却】
オウ氏への拘束令状が 裁判所により 棄却になった.
ソウル地方法院 東部支所の判事は 8日 オウ氏に対する 令状に対して実質審査が 終わった後
「オウ氏が 故意的に 兵役を 回避しようという 意図がないとし, 良心と宗教的 信念に よって 回避しただけに 非拘束 捜査であっても
充分だ」としながら 前日 ソウル 東部警察署が 兵役法違反 嫌疑で申請した オウ氏の 拘束令状を 棄却した.
裁判所が いわゆる良心的 兵役拒否者'に対して 令状を 棄却したことは非常に 異例なことだ. 今回の 決定は 特に ソウル地方法院
南部支所が最近 「良心的 兵役拒否者に 代替服務を 認めない 現行 兵役法に対して違憲審判を 提案した」後に 出されたので
注目される.。平和人権連帯の常任活動家である 崔氏は 「兵役拒否者等は 証拠いん滅も 逃走 憂慮がないために 非拘束 捜査しても
なんの 無理が ない」としながら 「今後も あらゆる 兵役拒否者等に対して 非拘束 捜査の 原則が 守られることを希望する」と話した.
前回、1月末までの報告以降、事態は大きく動いた。
2月4日
≪良心に ともなう 兵役拒否権 実現と 代替服務 改善のための連帯会議≫正式発足
民主弁護士会等、29の市民.社会団体で構成され、 4日 午前 ソウル 安國洞 ケヤキ カフェで 発足式を 持って 良心に ともなう兵役拒否権の
認定を 促した.。参席者らは 発足宣言文を通し
△討論会 及び 国際 シンポジウム 開催
△法律支援と 諮問 活動を通した 兵役拒否者 支援 活動
△国連 人権委を はじめ, 全世界 支援団体らとの 連帯 強化などを、進めて行くことを明らかにした。
2月7日
「良心的 兵役拒否者 非拘束捜査 要求」を連帯会議が提出。
≪良心に ともなう 兵役拒否権 実現と 代替服務 改善のための連帯会議≫は7日 良心に ともなう 兵役拒否者等に対する 非拘束
捜査を 促す.オウ(27)氏が 兵役法違反 嫌疑で警察の 出頭要請 を受けた ことを契機に この日 午前 ソウル 東部警察署
記者室で 会見を 持った.。声明書で「オウ氏は 良心に ともなう 兵役拒否者で証拠いん滅も 逃走の 憂慮が全く ないので 非拘束
状態での 捜査を 促す」
2月7日
オウ氏が「入営拒否」に対する調査を受ける為に7日警察に出頭した。この日午後1時ソウル東部警察署に出頭したオウ氏は入営拒否などについて1時間余、調査を受けた。警察はオウ氏に対する調査にさらに着手することにした。けれども2次召喚とき逮捕状を申し込む可否については明らかにしなかった。
上の補足投稿
韓国の旧正月明けの深夜、「インター・ネット壁新聞」に当事者のドキュメント・テキストが掲載され、新聞記事だけで不明だった点が判明したので補足します。
仏教徒で初めて兵役を拒否したオウ・テヨンさんは2月7日に「出頭」、翌日も続けて「出頭」を求められ、そのまま拘束、「調べ」と「留置」で警察で9時間弱を過ごしました。しかし、裁判所が「拘束令状」を棄却したため夜7時に「釈放」という経過でした。
本人の日記や「連帯会議」によるドキュメントは韓国語から翻訳ソフトを利用して次の掲示板に貼りこみをしてあります。
http://www5.plala.or.jp/cgi-bin/bbs/petit.cgi/mogura/bbs
サイト全体は
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/
「良心的 兵役拒否権 実現と 代替服務のための連帯会議」のコメント 一部
われらは 裁判所の 決定が 刑事被疑者 フ社会主義の民主主義は、人民の直接自治であり、アナーキズムにも近いもの」、とまとめております。
論拠もわからず、あいまいですみません。
90年代の『 ェ数多存在するこの世界に於いて戦争はなくなりません。
「新左翼」は最早歴史の瓦礫 フマニにおける戦術 Trotsky/29/syohyou.html
陳独秀に対す 驍ウによれば、コムスンは「介護」の美名にかくれて相当ひど
い事をやっているようですね。
社会保険行政が破綻の危機に瀕 +ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP