四トロ同窓会二次会 2002年2月4日〜6日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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>女性はアナボコ 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 2月 6日(水)23時33分51秒
>自分の母親に対しても、そう思うのだろうか?
当然、おねいちゃんや姪っ子も含まれるでせう。肉親は嫌われ者の数字クンには貴重だろう。
元気カーイ。せいぜい仲良くしておけよ。自分のためだゾ♪
まあ、いくらこいつが階級闘争に公害企業の如く害毒をばらまくゴミであるとはいえ、妄想する
自由くらいはあるのだし、そもそもこいつが女性についてどう思おうとまったく勝手なのだが、
実に狭隘な女性観だなあ。きっと女性との接点といえばちんこしか思い浮かべることが出来ない
のだろう。みっともないったらありゃしない。きっとこいつのアタマはちんこ音頭に出てくる
AAみたいな感じにちがいない。「革命家」なのに疎外されててかわいそうかわいそう。
こういうやつにはどうせ無用の長物なのだから、あかの本なんか読まなくてもいいから、
サドの本か「トンデモ超変態系」でも読むとよろしい。でも、なにぶん精神年齢が低いから
もともとイカレタ精神が更に増幅されるかもしれない。中和してくれると助かるんだけどね
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これって、矛盾していると思うのですが 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 6日(水)22時35分05秒
菊さん、こんばんは。アメリカ人とかフランス人とかと話していると、意見の対立する場面での
彼らの挙作を見るたび、やっぱり日本人は #民主主義の作風の観点から# 遅れていると感じ
ます。とりあえず、これは論理矛盾じゃないですか。
>同じように考えると、日本には戦前−戦後一貫して「個人の自立」を認めるような社会環境は
>なかったのでしょうか。そうではないように思うのです。例えば、石堂清倫さんの著作を読むと、
>戦前のマルクス主義の日本での受容のされ方の限界、問題点が非常にクリアに浮き彫りになり
>ます。一言でいえば、「オレはオレ、君は君という個人の違いを認めず(排他的右へ倣え)」、
>「中身(現実)から出発するのではなく、形式(教義)を取り入れた」。
個人の違いを認めない、つうのは相手の環境の差異を認めない、つうことで、まさに民主
主義の作風に対立していると思うし、とりもなおさず「個人の自立」を認めていないと考え
ます。最近は、アメリカ社会も危ういようですが。
やっぱり、民族国家という枠内での発展に縛られてきたわけで、それによる民族毎に異な
る後進性ってのは認めなければ前進できないのではないのかな、と。その過去からの呪縛と、
国民国家を乗り越えるこれからの運動のあり方は、連続している問題だけど、分けなければ
ならない課題だと思うのです。
引き継いだ民族性という問題、それを踏まえたうえでの世界大の運動の問題として。
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一同窓生さん、れんげさん。 投稿者:菊 投稿日: 2月 6日(水)21時51分09秒
一同窓生さん、加藤哲郎氏の出席には私も注目していました。元共産党系というだけでなく、私にとっては今いろいろと読んだり、見たりしている中で感覚が一番ぴたっとくる発言をしていると思っていたからです。
れんげさん、初めまして。
高島論文の該当部分、私も当時、高島氏と一緒に組織活動をしていましたから、ある意味での責任を感じている点ではあります。れんげさんの書き込みに、渦中にいてどんな思いだったのか、どうして闘えなかったのかと、私自身の当時の曖昧さを鋭く批判されているような気がしています。
70年代前半から後半についてはいろいろとここでも書いてきましたが、現場活動家としての感覚では、とても手が届かない、何とも言えず「崖っぷちに立たされている」恐ろしい日々でした。いつかここでも書いたかもしれませんが、大衆的な学生運動の復活で内ゲバ党派を粉砕しようとノンセクトの人たちとフラクションをやっている喫茶店で、神大で革マル派が何人殺されたというニュースを聞くわけです。正直いって、息を呑む思いで言葉もありませんでした。いろいろな内ゲバ事件に遭遇しましたが、これだけは鮮明に覚えています。
私は内ゲバをしていた当事者と直接話をしたことがありませんが、少なくとも70年代半ばまでは、「気が付いたら人を殺していた。殺し合いになっていた」という活動家が多かったのではないでしょうか。
そうした事態の底流には、一同窓生さんも書かれていた「暴力に対する感覚」があったと思います。私がしばらく前にここで、72年早大川口君虐殺糾弾闘争の中で、「殺すな!」を全面にどうして掲げることができなかったのだろうかと書いたことも、それに繋がります。
党派的に見れば、革マルに中核や解放派など急進派が引きずり込まれたという関係にあると思いますが、それを許容する土壌があったことは間違いありません。
一方で、第4インターという政治党派全体の方針として見れば、内ゲバがもたらす日本の左翼運動に対するダメージの深刻さに対する認識度合いが弱かったのは間違いないと思います。内ゲバがひどかったのは主に学生運動であったし、大衆運動の発展で内ゲバ党派を駆逐するという楽観的な見通しに当時の私も立っていました。そしてそのベースには、10年を待たずして日本で革命が起こるという超楽観的な情勢展望があったと思います(これは第4インターだけでなく、共産党でさえ「70年代の遅くない時期に民主連合政府を樹立する」といっていた時代でした)。
れんげさんがいわれる「人間というものを大切にしよう」と主張している組織がどうして非人間的な行為を行うのかという疑問ですが、当時、ある人間が政治活動に参加する動機と組織の活動方針が必ずしも一致するわけではなく、組織で活動していく中で最初持っていた感覚とは大きくズレが生じてしまうという現実があったと思います。70年代後半から80年代前半、私は組織の中で専従活動をやっていましたから実感するのですが、組織生活の中でひとりひとりが人間的な成長を遂げていくための活動やものさしを組織自身が持っていなかったのです。他党派はわかりません、第4インターの場合です。
政治組織に結集してくる人は社会的な不正や差別に対する憤りは人一倍です。だからといって、組織に入った途端に「自立した革命家」になれるはずはありません。間違いなく百人のメンバーがいれば百様の問題や人間的な弱みを抱えていたのだろうと思います。それを組織の中で対話しながらお互い人間的な自立を図っていく組織としての活動は、残念ながらありませんでした。そういう視点をほとんど持っていなかったといっていいだろうと思います。
女性差別事件では、男性メンバーが「オウムがえしに告発内容を認め、坊主懺悔していく」というケースがほとんどでした。これは私も同様ですが、スローガンをベルトコンベアのように展開するだけで、自分の内面的な意識や考え方を話す経験をほとんど持ってこなかった、考える訓練もされてこなかったメンバーに、自分の考えを述べろといってもできるはずはありません。女性差別事件が起こる理由のひとつも、そうした組織活動の在り方にあっただろうと考えています。
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化石レス 投稿者:一同窓生 投稿日: 2月 6日(水)20時31分49秒
黒パンさん、私が加藤哲郎氏に言及したのは、加藤氏がパネラーの予定者だったからです。
それと、元中核、元ブント、元共労、と揃ったなかでは元共産党系と異色ですしね。
出席しなかったみたいですね。
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高島論文について 投稿者:れんげ 投稿日: 2月 6日(水)20時30分23秒
一同窓生さん、私の問いに応えていただきありがとうございます。
ここで話題の中心のひとつになっている高島論文ですが、私は以下の部分に注目しました。
「われわれはたしかに、激化する内ゲバを機関紙を通じて強く批判し続けた。しかし全体
としての内ゲバをやめさせるような大きな社会的運動を作り出そうとはしなかったし、
そのような独自の運動が必要だと考えることもできなかった。われわれは、自分たちの
原則的闘いを責任を持って展開していればいいのだという水準を超えることができな
かった。内ゲバの激化を含む情勢全体に責任を持とうとすることが必要だという意識に
到達することができなかったのである。」
こういう反省のしかたは、高く評価します。ただ単に、我々トロツキストは一貫して内ゲバに反対しつづけたからエライ、というのではなくて、当時の状況に照らしてもこうした行動の選択はありえたのではないか、という反省のしかたです。
ただし「われわれの闘いの不十分性」を克服する作業が、大衆運動の発展とスターリン主義との意識的闘いと言うのみで、内ゲバのよってくるところを細密に掘り下げていくほうにはいっていないのではないか、と思います。上記のような反省を私なりに言い換えれば、「なぜ、内ゲバをやめさせる闘いを、自分たちの最優先課題にしなかったのか」ということなのです。街頭で暴力の吹き荒れる空気のなかで、そのように課題を設定するのは難しかったのかもしれません。しかし「人間解放」を求めて全力で闘っていく人々が、なぜ真面目な活動家の生命すら奪う暴力の激発に対して闘おうとしなかったのか。「(内ゲバを)やりたい奴にはやらせておけ」ではないのです。「そんなことはやめろ」という運動の質をどうして持つことができなかったのかということなのです。
「検証 内ゲバ」本の生田さんの論文には、悲しいショックを受けました。自分なりに連合赤軍事件のことにやっと目を向け、永田さんが革命左派議長から暴行を受けていたことに暗澹たる気持ちを覚えた、そのあとだったからです。のちのインターの女性差別問題ともあわせて考えてみると、人間というものを本当に大切にしよう、という姿勢がどこか根本のところで欠けていたのではなかったか。特定の集団内部での倫理的退廃というのではなく、マルクス主義という人間解放の思想を掲げながら(党派的な内容の別はあるにしても)、なぜその思想に生きようとする人間たちの集団が、そのような非人間的な行為をおしとどめることができなかったのか、ということなのです。
もうひとつ最後に言いたいのですが、dkさんが「暴力が行使できないお前は弱虫だ」と言われ続けたことについて考えました。私は同時代ではないので推測するしかないのですが、人格的に低劣であったから暴力を用いたのではなく、逆に真剣である意味で誠実であったからこそ、目をつむって残酷な行為を遂行したという面がなかったのではないでしょうか。こんな角度からも私は内ゲバを考えてみたいと思っています。
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新時代社はダブルスタンダードだ! 投稿者:SENKI読者 投稿日: 2月 6日(水)18時16分50秒
1つ言わせてください。
新時代社は、「内ゲバを否定しない者を大衆戦線できっぱり拒否してきた」ということを言っていますが、ではなぜ、「市民緊急行動」の枠にSENKI派が登場しているのでしょうか。
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「今、そこにある危機」の深刻さ 投稿者:菊 投稿日: 2月 6日(水)12時49分17秒
dkさん、うーーん、何といっていいか、深刻ですね。やはり、経験の継承の「断絶」が大きいと思います。というか、内ゲバや党派的政治活動に何らかの理由で嫌気がさした人は(私のように)、「召還」(昔の言葉で、イヤな言葉ですが)してしまう。それで、経験はいとも簡単に断絶してしまう。
各党派とも私くらいの年代の人が今でも現役でやっているわけだから(指名手配者には知った−昔殴られた−人もいる)、内ゲバや暴力に対して「無感覚」な人が「学生運動の現場」に経験を伝えることになってしまうわけですね。
内ゲバや暴力の問題が議論されてきているわけですが、自分の今の感覚に一番フィットする発言を最近見つけました。「現代思想」の10月臨時増刊「これは戦争か」のなかの武藤一羊さんと市田良彦さんの対談の一説です。
------------【引用開始】
武藤 ぼく自身は絶対非暴力主義ではありませんが、二〇世紀の教訓としては、暴力的闘争の結末が見えてしまったと考えています。暴力が解決に見えて、必ず新しい次元でより大きな問題を作り出すという歴史です。市田 敵のクローンを作り出して運動がつぶされる、というのがそうですね。
武藤 当面の解決形態が、国家の獲得とか民族の独立とか、国家的集約形態になるときに民族解放闘争が武装闘争の形を取る時代が二〇世紀の前半だった。そこでは武装闘争は、国軍の創設に行くというプロセスだった。しかしこの時代は基本的に終わったと思います。その違いを押さえなくてはいけない。
市田 武装闘争、暴力闘争そのものが、国家を建設するというプログラムと不可分の関係にあった。ところがいまや、国民国家の建設自体は新しい運動の軸になり得ない。そういう路線変更と、暴力を使わないということが連動しているだろうということですね。
武藤 最終的に国家に集約されるという形ではなくなってきている。メキシコのサパテイスタの闘争も武装闘争だけれど、あれはかなり新しい形の闘争で、国家に集約することを目指していない。武装は自衛のため、蜂起はメツセージの伝達のために避けられない通路と考えているのではないでしょうか。
------------【引用終わり】
そんな意識で、かけはしの「高島」論文を読むと、トロツキズムの原則が正しいのだと、自己確認をしているだけのように思えます。原則を堅持してきたことの正しさと力及ばなかった限界の上にdkさんが直面しているような現在の状況があるわけだから、その上でもう一歩踏み出した「仮説」(例えば、武藤さんのような観点から歴史と革命運動を総括するとか)が求められているような気がします。
それからもうひとつ。ここでもよく、「日本的」とか、「ロシア的」「西欧的」という「括り方」がされていますが、これって何なのだろう?と思うのです。直近の話では、トロツキーは「西欧的」だったのでしょうか?あるいは、内ゲバは「日本的」だったのでしょうか?何かその裏には、日本やロシアは「遅れていて」、ヨーロッパは「民主的で、個人の自立を認める社会風土があるという前提があるように思います。果たして、そうでしょうか?
そう考えた時に、黒パンさんのセルジュの回想から見たトロツキーの姿は鮮烈でした。トロツキーも、「一貫していた」訳ではないと思うのです(もちろん、無原則という意味ではなく)。むしろ、その方がトロツキーの悩みや逡巡を理解する上で、とても役に立つように思います。
同じように考えると、日本には戦前−戦後一貫して「個人の自立」を認めるような社会環境はなかったのでしょうか。そうではないように思うのです。例えば、石堂清倫さんの著作を読むと、戦前のマルクス主義の日本での受容のされ方の限界、問題点が非常にクリアに浮き彫りになります。一言でいえば、「オレはオレ、君は君という個人の違いを認めず(排他的右へ倣え)」、「中身(現実)から出発するのではなく、形式(教義)を取り入れた」。
私は自分自身のトロツキズムの理解も含めて、こうした弱さが戦前戦後を通じて大きな流れとして存在しており、それが戦後の日本の左翼運動の極端なまでの「高揚」とその反動としての「衰退」を生み出したような気がしてならないのです。石堂さんのようにそうでない人もいるのですが、それは体制側でも反体制側でも大きな力になり得なかったのが現実ではなかったかと思います。
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ちと疑問 投稿者:黒目 投稿日: 2月 6日(水)12時34分46秒
沖縄「返還」を巡る八派の分裂の過程というのは、けっこおボコボコの「プロレタリア民主主義」廃れまくりの、暴力ありありの展開であった、という証言がされていると思いますが、この過程での「暴力の行使」について、第4インターは「内ゲバ反対」という事を言っていたのでしょうか?
http://redmole.m78.com/bunko/15/bunko15f.html
の革共同小史の六章では、中核派がインターとのブロックを解消して、革マルとの内ゲバにのめり込んでいく事には否定的に書かれていますが、この沖縄「返還」分裂の過程のゲバについては、特にコメントされていないように思うのですが。
あと、2.3シンポって、ガクセ〜の諸君は専修大に行くことそのものがものすごく根性いる、つーか、命なんぼあっても足らん、つーか、なのではないのかと思いますが(苦笑
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2.3シンポおよび雑感 投稿者:dk 投稿日: 2月 6日(水)11時38分04秒
私も行かなかったくせに言うのも何ですが、若者がほどんどきていなかったという
問題が、一番問題ですね。
ノンセクト/セクト問わず、大学内で活動している人たちは、往々にして相対的巨
大党派(学内主流派、別に党派問わず)に、暴力をちらつかされている。
内ゲバは、まさに「今、そこにある危機」なんです。
にもかかわらず、シンポジウムに来ない。もしくは来られない。
これは、ゆゆしき問題ではないかと思うのですが。
もっとも、観察者さんの指摘にもありましたが、内ゲバによる運動の世代間断絶は、良い面で
はなく悪い方向に出ていると思います。語り部の不在(沈黙)してしまったがために、内ゲバ
に対する嫌悪感や回避すべきだという精神の欠落した人が多数いるのです。「暴力が行使でき
ないお前は弱虫だ」と。何遍言われたかわかりません。これは、まあ某大ノンセクトのマッチョ
主義の性かも知れませんが。
平気で他党派/他団体解体路線を口にする人間がいることには反吐が出ます。
言論を暴力で屈服させてきたことこそが、多くの学生を運動から離反させたという現実が、
未だに見えないのでしょうか?
TAMO2さんの指摘にもありましたが、トロツキーが、西欧社民型(もちろん、今の社民とは
違うが)のマルクス主義だったことは事実です。それが、ロシアの現実に適用できず、レーニン
の「軍門」に下ったのも事実だと思います。
だとすれば、内ゲバが少ない理由は、トロツキズムの思想的優位性よりも、西欧社会の持つ豊か
な民主主義の歴史に求められるべきではないでしょうか。つまり、トロツキーは、その思想的酵
母の中からはぐくまれてきた「異色」のロシア・マルキストであったと。
いかにもトロツキー流な進歩主義で、ちょっくらイヤなのですが(^^;)、やはり西欧市民社会の
形式(ブルジョア)民主主義を、実質的(プロレタリア)民主主義は、越えられなかったという
理解をする必要があると思います。
ですから、小西さんが言うように、まず民主主義とは何かという部分を抜きにしての、左翼の
再生はあり得ないでしょうし、ブルジョア民主主義とセットになっている「自由」と「人権」とは
なんなのか、の理解無くして、再建もへったくれもあったものではないでしょう。
(追記)
トロツキズム再生への道は、日本においては、レーニン主義者としてのトロツキーよりも、
「反」レーニン主義者のトロツキーに求められなくてはならないと思います。
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再度、内ゲバはスターリニズムである 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 6日(水)11時31分34秒
67〜69年、70年代初頭までの日本新左翼は非常に大きな影響力を左派大衆運動の中に及ぼしていました。現在ではとても考えられないほどの勢力です。ブント戦旗派、ML派、中核派、革マル派、社青同解放派、構造改革諸派・・・・それぞれに結集する活動家の数は一千以上〜数千にもおよび、とりわけ中核派は単独で1万人を超える動員力を持っていました。こうしたそれぞれのセクトに結集する青年が安保粉砕・日帝打倒を目指して激しい街頭闘争に決起していったのです(おっと!革マル派だけは反急進主義であることはコメントしておかないと誤解されますね)。これらを総計すれば少なくとも数万人の若き共産主義者ないし共産主義にシンパシーをいだく青年が大衆運動のまっただ中で機動隊の壁を乗り越えて明日の日本を造りかえようと行動していたのです。
これらの組織のほとんどすべてが、「堅忍不抜の唯一絶対の革命党」をめざしていたのです。それが当時の理解水準での「レーニン主義組織論」でした。組織内に民主主義はなく、組織方針は少数の「理論家」達に独占され、下部メンバーには何の決定権もありませんでした。内部で意見対立があれば民主的討議ではなく暴力的に「解決」されます。ブントが際限なく分裂し諸派に分かれていく過程がまさしくそうでした。当時の各セクトの組織論は全部スターリンのそれでしかなかったのです。そして彼らはそれを「これこそ共産主義者の組織論である」と信じていたのです。そのような意識はまず第一に、その10年前に日本共産党から分裂し第一次ブントに結集した学生共産主義者によってもたらされたものです。彼らは「共産党スターリニズム」を批判しておきながら、スターリニズムのもつ重大な問題=党内・党外民主主義の問題についてはまったく無批判なまま、新しい組織を建設していったのです。このことは黒目さんにぜひご理解いただきたいと思います。
黒目さんは内ゲバが反動的である事を「別にトロツキーなんか知らなくても、容易に理解出来る」と言いましたね。現在ではそうかもしれません。ところが当時はそうではなかったのです。むしろ内ゲバは「党派の強固な革命的意志」を実現し他の「誤った党派」を排除するための重要な手段でもあったのです。そうして運動のヘゲモニーを握ることは当たり前どころか「本気で革命をめざす党派の重要な責務」なのであり、内ゲバ反対を叫ぶ者は軟弱な日和見主義者と解釈されていました。黒目さんが内ゲバの問題点を「容易に理解」できているのは、内ゲバが3ケタの殺人といういたましい結果をもたらし、数万人もの戦闘的(で内ゲバ的)な左翼勢力が消滅したから可能になったのです。当時、トロツキズム「だけ」が内ゲバを批判する共産主義勢力でしたが、数百にも満たない極少勢力でした。「トロツキズムに帰依」する必要は全然ありませんが、少なくともトロツキストの「内ゲバ批判」に左翼勢力が耳を傾けていれば、現在のような大衆運動の崩壊を見ることはなかったでしょう。
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ひとこと謝罪 投稿者:せみまる 投稿日: 2月 6日(水)10時09分21秒
「ボリシェビキ被害者にこだわる」という言葉はよけいでした。
もしやアナーキスト諸君を傷つけたかと反省しています。ごめんなさい。m(_'_)m
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せみまるさんへ 投稿者:黒パン 投稿日: 2月 6日(水)09時48分43秒
フランスのトロツキストの動向の書き込みありがとうございます。
なぜ、江口幹とかセルジュのテキストを引用したか。
第四インターに関わっていた<いる>人たちならば自明である、ヨーロッパでの
トロツキズムの動向に関しては私は把握できていません。<他の人もそうではないのでしょうか>
「内ゲバ」が起きなかったという主張が、なされてきましたがピンとくるものではありません。
そこで、トロツキズムに言及しているテキストを参考するしかないわけです。
思想とか理論は
「伝統」という括りかたをされるものではないと理解しています。
その時代でそれぞれのグループの主張で影響や反発をして変容していくものです。
江口テキストで各派の人数もそのまま引用したのも、より当時の状況を理解する
ための参考になるからです。
本質は他者や他党派と共闘する時に開かれているのか、戦術的に開かれた組織性
というのではなく、そのグループ、党派の理念そのものが開かれていなければ、
ならないということです。その点3月22日運動の原則は、その後、国際的にも
大きな影響を与えているわけです。内ゲバが起きなかったとしたら、内ゲバ反対が
主張されていたからではなく、すでに前衛の否定という思想に影響を受けていた事
繰り返し貼り付けていますが
1 革命的統一は政治路線やイデオロギーの周りにではなく、行動の中で、じかに形成される。
2 あらゆる革命的行動の前提条件は、全員にとっての言論の権利である。
大衆は、仲介者や代弁者を介してではなく、自分たち自身が直接発言できる場合にしか、行動し ない。
これを<プロレタリア>民主主義と位置付けるかどうかは、また議論が別ですが…
さらにアナ・トロ共闘が成立した過程の方に関心は向くのですが
そしてJCR<革命的共産主義青年同盟がランベール派トロツキスト学生組織と「離反」していた という捩れ構造、トロツキスト同士の方が距離があったという経緯にも。
「思想運動」の武井は数年前に層としての学生運動論を「再」提起していたと思いますが
この国では学生及び大学自治<会>は自派の活動家と資金供給システムとしてしか大小の
セクトやグループに位置付けられなかった不幸があります。
一言、加えると、セクトとは部分共闘していますよ。
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ちょっと思うところ・・・ 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 6日(水)09時29分07秒
精緻な理論というよりも、受ける印象レベルとしての話です。
トロツキーとレーニン、この偉大な二人の「センス」の比較として。
トロツキー:西欧型知識人。民主主義的作風は、所与の条件としての志向。多元主義。
レーニン :ロシア革命家型知識人。弾圧の苛烈な中、トカチョフに代表される「陰謀組織」型
の革命を準備(津村さんに突っ込まれそう)。民主主義を社会主義に従属(「なに
なす」「国革」という、かつての「必読文献」からの印象)。
まあ、「なになす」と「政治的課題」の比較で事足りる印象と言えば、それまでですが。ただ、
トロツキーが負け、レーニンの自称後継者が自分の都合のよい「なになす」的運動観を共産主義
世界標準として定めた、つーのは共産主義運動の悲惨を準備したと思います。(「なになす」そ
のものは多くの示唆を与えるものだと思いますし、否定すべき本ではないと考えますが。)
それゆえ、世界の運動圏において、社会主義の課題を達成するため、本来別の問題である民主
主義の作風が脇に追いやられたのではないか、と。
さらに言うと、黒目さんの主張(マル共連チャットも含めて;「トロツキズムが浸透しなか
ったから、内ゲバになるのだ、という理屈はわからん」)の正当性を認めつつも、トロツキズ
ムに拘る人達にとって、「トロツキズムが浸透しなかったから、内ゲバになるのだ」という気
もちも、わかります。理屈は黒目さんが正しいと思うけど、トロツキストの気持ちもわかる、
と。
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なるほど・・・なぁ 投稿者:TAMO2 投稿日: 2月 6日(水)09時08分39秒
一同窓生さん、小生の疑問に答えていただいたようで、ありがとうございます。
>れんげさんの疑問に一部答えますと、60-70年代は「暴力」に関して抑制する雰囲気が無かった
>ですね。極端に突き出せば突き出すほど「カッコ良い」という雰囲気があって、街頭闘争で限界
>を感じると党の武装、銃の闘争、爆弾闘争、へとエスカレートしていく一方、同じ根っこなの
>かも知れません、「内ゲバ」も運動を真剣にやっていけば当然なんだ、やられるからやるのは
>当たり前のような雰囲気がありました。当時は「赤信号みんなで渡れば怖くない」という人間
>心理が働いてたように思います。過去の問題ではなくて繰り返すこともありうる。自戒しなけれ
>ばならないですね。
P.S. 数字の人の名言の一つ(意訳)。「女性は、アナポコだ」
P.P.S ON P.S.
自分の母親に対しても、そう思うのだろうか?
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一晩で議論が進みますね。 投稿者:黒パン 投稿日: 2月 6日(水)08時55分24秒
管理人のまっぺんさんの、苦労を察します。
追っかけて読むだけでも時間がかかります。
昨晩は、韓国の反徴兵運動と連帯する会の「会議」でした。
兵役拒否者もそれを「審理」する韓国司法もこの1月から2月にかけて大きな節目を迎えています。
http://www5.plala.or.jp/cgi-bin/bbs/petit.cgi/mogura/bbs
連帯する会自体も、徴兵制-軍隊の課題をめぐり岐路に立っています。3月には「パンフ」発行し活動の中間総括とします。
主催者ではありませんが「内ゲバ」停止に向けて一定の発言をしてきた埴谷雄高を偲ぶ会をの案内をさせてください。
第五回 アンドロメダ忌へのご案内 <一部略>
敬愛する埴谷雄高さんがこの世を去られてから、早くも五回目の命日を迎える仕儀とは相成りました。今回はかつてNHK教育TVで「独白『死霊』の世界」が五夜連続で放映された折に、本文朗読を担当された俳優の蟹江敬三さんにお願いして二時間近くにわたって『死霊』を読んで頂きたいと思います。
当夜の朗読テキストは従来の『死霊』の読み方にあえて挑んで、遺された全九章を三輪与志と津田安寿子との「私達の物語」として読み直すべく試み、推敲に推敲を重ねて独自に作成しております。むろん原文そのものの抜粋=再構成で、恣意的な要約などは一切しておりません。世話人のなかの若い研究者たちによるこの作業を、さて泉下の埴谷さんは「悪意と深淵の間に彷徨いつつ 宇宙のごとく 私語する死霊達」と共に、いかにお聴きになられるのでしょうか。帝劇公演の間隙を縫って出演を快諾された蟹江敬三さんに感謝を捧げるためにも、この「獨誦実験」の一夜が満員となるようご協力のほどよろしくお願いする次第です。(なお会場の関係上すべて当日先着順のみとし、前売り予約などは致しませんのでご了解ください)
獨誦実験 『死霊』――「私達の物語」として
● 2月18日(月)午後5時半〜7時半(5時開場)
● アテネ・フランセ文化センター 4階講堂
● 『死霊』朗読 蟹江敬三
(テキスト作成 越智隆幸・人見敏雄)
● 音楽構成 J・A・シーザー
● 参加費 2,000円
○ 終了後B1ビュッフェにて小パーティ(会費別)
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高島論文の印象 投稿者:一同窓生 投稿日: 2月 6日(水)06時15分03秒
いずみさんが、
>結局、小西さんのロジックは、「革共同戦争という個別具体の問題について」、
>「その内部に結集した人に対しての呼びかけとして」、有効なものだと思います。
> その面で、直接の当事者でもなくかつ全くの無縁でもなかった、インターなりノンセク
>なりの活動家やシンパに対しては、必要以上にリアリティが薄れてしまう危険性はあるし、
>また普遍的説得力という面でも「弱」くなってしまうのかなぁ、なんて。
と指摘しているのと同じように、高島論文は、革共同3派とブント以外にはリアリティを
持たないような印象を持ちます。トロツキズムに一度は触れて放棄した中核・革マル・ブント
に対してトロツキズムの優越性を説くことは意味はあるのかも知れませんが、それ以外
の人たちにはリアリティが薄れてしまう、なんて。
黒目さんの意見は、まさに「それ以外の人たち」のひとつの意見のような気がします。それと、
れんげさんのような方、ほんとに多くの人を代表した意見だと思います。こういう方たち
への説得力は低いのでは。だからと言って、世界−日本のトロツキストが「内ゲバ」に反対
し続けたという事実と、それがトロツキー以来の歴史的連続性ゆえであることは、強調して
強調しすぎなことはないと思いますが。
結局、「内ゲバ問題」を一断面から切っても、全ては説明できない、のではないですか。理論
でスパっと解明しようとすることにそもそも無理がある、もっと人間心理や、その時代の雰囲気
の影響とか、文学的課題になるような側面もあるのだと思います。
れんげさんの疑問に一部答えますと、60-70年代は「暴力」に関して抑制する雰囲気が無かった
ですね。極端に突き出せば突き出すほど「カッコ良い」という雰囲気があって、街頭闘争で限界
を感じると党の武装、銃の闘争、爆弾闘争、へとエスカレートしていく一方、同じ根っこなの
かも知れません、「内ゲバ」も運動を真剣にやっていけば当然なんだ、やられるからやるのは
当たり前のような雰囲気がありました。当時は「赤信号みんなで渡れば怖くない」という人間
心理が働いてたように思います。過去の問題ではなくて繰り返すこともありうる。自戒しなけれ
ばならないですね。
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>>数字の人 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 2月 6日(水)02時50分16秒
まあ、毒電波のたわごととはいえ、「反革命は死ね」と公言している以上、「死ね」と
まで言われている「反革命」が、こいつを完全せん滅する権利があることくらいは、当然
想起していることであろう。リアリストとしては、実験してみたいもんだ。
不愉快極まりないが、こいつの名言を、幾星霜生まれ変わっても忘れないようにしよう。
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>数字の人 投稿者:葉寺覚明 投稿日: 2月 6日(水)02時38分13秒
「反革命は死ね」が口癖で、異なる立場の人に「出て行きやがれ!!!!!!!」と
威勢のいいことをほざいていたサヨ界隈の名物男だったのですが、身のほど知らずにも
私たちをジェノサイド宣言し、自業自得にも袋叩きにされたときに「私は日本の掲示板が
イヤになりました」とめそめそ泣きわめいていたくせに実はいろんな掲示板に書いていた、
いかなる差別語をもっても形容しきれない、うそつきの真性ダメ人間です。
学歴とか家族構成とか生息地とかを事細かに書いてやりたい衝動に駆られるのですが、
調べようと思えば誰にでも調べられるので、とりあえず書きません。
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「哲学生」は津村さんの反論に再反論せよ! 投稿者:いずみ 投稿日: 2月 6日(水)02時21分53秒
と、いきなり我が本家\(^o^)/津村さんの登場の直後にこんなこと書くのも何ですが、この「哲学生」なる人物の主張は、かつてネット上で「共産趣味なんかswampだ」「三里塚闘争はプチブルの運動であり徹頭徹尾ナンセンス」「最近ベトナム人と付き合っている。ベトナム人のアソコは締まりがよい」などなど、数々の挑発・教条・差別発言を繰り返しつづけた、「1917」なる人物の主張と酷似しているのだ、ということはここでぜひ指摘しておかねばならないと思います。
まさかいくらなんでも、ここで津村さんの指摘に逃亡することはあるまいね?
申し訳ないが、キミの社会的存在についてはかなりの部分が「運動圏」で把握・共有されている(ことはマル共連BBS過去ログにも明示されちえる)ものであり、万が一回答なき場合などは、k言論上まったく正当な指弾を、それなりの手法によって行使することになるのは当然と覚悟されたし。
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JVP粉砕宣言について 投稿者:津村 洋 投稿日: 2月 6日(水)02時02分46秒
哲学生さんの以下の主張に反論します。
私たちIEGのサイトをごらんいただき感謝ですが、見てもなお私たちの組織名という単純な事実ですら認識できないようでは困ります。少なくとも最近どころか60年代から左翼であるJVPが何を主張し、どうふるまっているかを具体的に提示、検証してください。とりわけ、10万人近いメンバー、シンパ、JVPとみなされた無実の人々が虐殺され、一人をのぞく全指導部が抹殺され、10年ほど前には権力によっていったん壊滅された事実を意図的に隠蔽するようでは、事実認識としてお話になりません。
哲学生さんは、「日本の左翼に取り入ろうとしているJVPを排除し粉砕することは緊急の課題」と言いますが、事実問題として残念なことに日本の左翼のおおかたはJVPを「排除」あるいは一国主義的に「無視」しておりますから「緊急の課題」なるものはそもそも成立しません。また、JVPが日本の左翼に連帯を求めるのは当然のことであって、それに応えられない日本の左翼を問題にすべきで、「日本の左翼に取り入ろうとしている」という非難はまさに帝国主義的な排外主義的言辞です。
問題はその程度ではすみません。
哲学生さんは、JVPとい 、オて「研究」の対象になってし ワ
結局わたしは、人類は、ヒューマ 主義軍 牴と、宗教が数多存在するこの世界に於いて戦争はなくなりません。
「新左翼」は最早歴史の瓦礫 フマニにおける戦術 Trotsky/29/syohyou.html
陳独秀に対す 驍ウによれば、コムスンは「介護」の美名にかくれて相当ひど
い事をやっているようですね。
社会保険行政が破綻の危機に瀕 +ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP