四トロ同窓会二次会 2002年1月25日〜26日
誰でも歓迎!何でも自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」その他に掲載する場合もありますのでご了承ください。
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メアドだと? 投稿者:坊主 投稿日: 1月26日(土)09時20分38秒
>そもそも目亜土は?(T/O)
しらねー訳ねーだろ(藁)
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おまいさんが 投稿者:坊主 投稿日: 1月26日(土)09時19分08秒
>ここで釈明しろ。
おまいが釈明しろよ。ゴルァ
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>>チャチャ坊主 投稿者:坊主 投稿日: 1月26日(土)09時17分20秒
あ、電話のほうがいいな。電話番号知ってるだろ? 番号通知でな。
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そもそも目亜土は?(T/O) 投稿者:チャチャ坊主 投稿日: 1月26日(土)09時13分18秒 ----------------------------------------------------------------------------
やだ♪ 投稿者:チャチャ坊主 投稿日: 1月26日(土)09時12分11秒
ここで釈明しろ。
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>チャチャ坊主 投稿者:坊主 投稿日: 1月26日(土)09時10分23秒
お前うざいからメールでもしてこい!
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>坊主クン 投稿者:チャチャ坊主 投稿日: 1月26日(土)08時39分51秒
>>ヒゲの「あほう」発言は本にまでした坊主クンだもんねえ?ねえ?
>誰のことだよ?
チミのことだけど、なにか?
>>とにかく見解示せ。
>いばるなよな。。。
わざわざ大きいフォントで自己批判せよと喚く御仁よりマシとオモ割れ。
ボソボソ弁明してるけど、最初は葉寺クンの発言見落とした誤爆なんだろ??とりあえずココ認めろや。
マル共チャットでとみたクンがつぶやいてたサw
差別発言を問題にするのに「誤爆」ってなんだ??じゃ、わざわざ大きいフォントで喚いていたのが、なんでおとなしくなっちゃったの??ねえ?なんで?おせーてよ。
葉寺クンはわざわざ
>なお、「できそこない」については、漏れは「差別語」だとは思っておりませんが、「で
>きそこない」を「買ってはいけない欠陥品」などに言い換えても、文意は変わりませんの
>で、それでもかまいません。この場合、「革命家」云々を僭称すると「不当表示」になります
と見解示してるのに、これの評価はどうなの??わざわざ大きいフォントで喚いた坊主クン!ねえ??でもってKYクンはこのまま不問にするの??誤爆だから??ふざけろよ!
誰もこの件指摘しなかったら書き逃げするつもりだったんだろ??え゛??
>「糾弾」などとんでもない。まず話をすることなのだ
わざわざ大きいフォントで自己批判せよと喚くのがどうして話し合いなの??言われた方は謝罪するか開き直るかしかないよねえ?ねえ?コレって新左翼の悪しき代理糾弾だよねえ??ねえ??
しかも活動家や元活動家ならコレで、左翼じゃなければ一切不問ってわけか。たいした反差別だねえ。。。漏れには「またインターが墓穴掘ってやんの〜」って狂(漏れは活動家とか革命家とかじゃないから不問だよな??)喜乱舞するチミの心の声が聞こえたような気がしたけど?あ、漏れがインター現役とか元とか関係者とかの邪推はなしね。違うし。
チミは差別問題を自分の自意識を満足させるため、または左翼へのルサンチマン(どこかのようだw)を晴らすため他人を攻撃する材料として利用してるんだろうよ??違うか??
差別問題を利用してネットで党派解体闘争でもやってるワケか。。。(プ
>私は学生時代に差別問題にとても厳格なグループにいました。そこは反戦・反天運動など
>のほかに部落解放闘争、「障碍者」解放闘争に力を入れていて
まさか、明治出身!?まさかな。だって相手を選別しているだけ革労協以下だよ、お前は。 ぃ ゃ 「反差別」を利用するだけ革マル以下だよ。
もう一度聞くけど、大きいフォントで居丈高に自己批判せよと迫ることで解放される人間が一人でもいると思うの??ねえ??
>「差別解放」運動の一環としてです。被差別者を差別・抑圧・侮辱するような言葉をつか
>わない。これは当該の告発から出てきた運動でしょう
↑との整合性は??葉寺クンとKYクンをどうするの??吐いた唾飲んじゃうの??ねえ反差別の闘士クン(プ
ねゆ
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真摯な問題検討 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月26日(土)08時32分38秒
>土日のトロツキストさま はじめまして。
2連続のご発言、感銘深く読ませていただきました。
ご指摘のように“日本型の内ゲバの論理的支柱をなした黒田組織論や本多暴力論、清水先制的内戦戦略論に対するちゃんとした批判はなされてこなかった”のは、その必要を感じなかったためではないでしょうか。“その内ゲバ否定論が「党派的正当性」という政治主義的にゆがめられてい”(小西指摘)たのなら、必要性を感じなかったのもごく当然のことと理解できるところでございます。
同様の傾向は、すでに昂揚期のなかでも散見されたところでございました。68〜69年の東大キャンパスでは、かなりの部隊をもっていたML派がやはり「内ゲバ反対」を宣伝これ努めておりましたが、現実に進んでいる他党派間の衝突に対して理論的な批判を加えるのでもなく、物理的に止めに入るわけでもなく、“自分たちはあれら「内ゲバ党派」とはちがう”という「自党派宣伝」に終始していたのが印象に残っております。
>実践的に内ゲバを克服するためには、日本支部が大きく強固になるということではなく、
>内ゲバ党派に所属する人々、その党派をとりまき許容する人々に「ひょっとしたら自分
>は間違っているのではないか」という考えにいきつくような、真摯な理論的批判を行う
>ことだと思います。
今回のご発言、重要な点に分け入り事柄の本質に迫る鋭角的な内容と存じます。
こうした公開サイトでこのような真摯で自己切開的な問題検討が、一枚一枚皮を剥いでいくように現れることは、やはり旧第四インターのすぐれた側面の発現かと思いますし、そのような場として機能するこのサイトもまた高く評価されることとあらためて思いました。
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土日のトロツキストさん、主観的な部分がありますが根拠を提示してください 投稿者:黒パン 投稿日: 1月26日(土)08時19分26秒
≪第1は早大川口君虐殺糾弾闘争です。早稲田の革マル派活動家の多くが、大衆的糾弾を契機
に消耗していったこと、全国動員の全学連行動隊の暴力でしか学内支配を維持できなかったこ
となどを考えれば、この闘いの帰趨がきわめて重要であったことを示唆していると考えます≫
と記述していますが、その中で
【早稲田の革マル派活動家の多くが大衆的糾弾を契機に消耗していったこと】
というのはどのような情報を根拠にしているのですか?
1972年の文学部キャンパス内だけの革マル派の「動員」力は、キャンパス内
集会だけでも7,80人から100人以上<在籍か失籍か不明者、シンパ的参加者も
含めて>いたと思います。≪現在の全都動員に匹敵するくらいですが≫
警察権力による傷害致死等での指名手配の時期は忘れましたが一・二文の自治会
「役員」を中心に十名余りであったと思います。
11月後半は、革マル自ら、関連弾圧回避と動揺活動家層の再オルグで、それまで
の文学部を基盤にしていた「活動家」が「引いて」いたと思いますが、その後は
ほとんど「回帰」していたと記憶しています。
脱落したのは「シンパ層」の部分だけです。
革マルは全国的政治闘争の前後には全国動員の「部隊」を早稲田に「登場」させ得た
かもしれませんが、革マル糾弾闘争のピークであった、革マル「自治会」リコール、
新「自治会」成立の各学部の学生大会の「破壊」策動は、せいぜい全都動員で示威的
にヘルメットを被せた革マルの部隊は百数十名は超えていなかったと思います。
<レポ、「幹部」レベルは含まずに。>
それに対して、革マル糾弾で当該学部以外から大衆的な「防衛」で学大会場を囲んだ、動員力
は5,6百から千名近くあったと思います。「一般ノンポリ」から民青、<各セクトの学外活動
者もかなり来ていたようなのですが>も含みます。これが11月後半から12月だったと思いま
す。
田中<当時の一文自治会委員長>・佐竹の「逮捕」時期は覚えていませんが、弾圧拡大回避の
ために彼らを「差し出し」たような印象が当時あります。他の顔写真付き指名手配メンバーは
かなり長い時期「逮捕」を避けられていたような記憶もあります。<数年というレベルで>
その過程で「大丈夫」であったはずの田中・佐竹が「自供」をするという思わぬ展開がありま
した。
結論的にはリンチ殺人の現場に居た活動家は消耗していますが、大衆的糾弾闘争によって多く
の活動家が離れたという事実はありません。
消耗もある意味ではしていなくて、リンチ殺人という現実から「逃避」するのに早大自治会
「死守」という課題が出されたわけですから。
問題はあれだけの「大衆的」糾弾によっても殺人を犯した当該セクトである革マルが最大拠点
喪失の危機を乗り切れ「内ゲバ」が激化していく矛盾した状況を生み出したということです。
革マルの「理論」として「内ゲバ=リンチ殺人」を「克服」してしまったということです。
大衆的糾弾闘争=革マルの消耗という図式は「幻想」だったわけです。
その後、数年間は革マルは図々しいことに「川口君、追悼」という四枚張りのたて看板を
出し続けます。ちなみに毎日新聞が出している時代ごとの写真集には革マルのたて看を
大きくアップした≪意図的な間違いか知りませんが≫写真が収録されています。
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おお、土日のトロツキストさん、鮮明に記憶されていますね 投稿者:菊 投稿日: 1月26日(土)07時42分43秒
そうでしたか。東北大では機動隊が割って入ったのでしたか。すっかり、忘れていました。日本支部の内ゲバ反対について、土日のトロツキストさんがおっしゃる所までは考えていませんでした。なるほど、なるほど。
私は「内ゲバ」関連にはホントにいい思い出がなく(当たり前ですが)、正直いってずっと眼をそむけてきましたし、小西誠氏の本も手には取ったのですが、「いまさら」の思いが強く、読んでいません。これは読まなきゃ、いかんかなあ。
おーーい、一同窓生さん(はるか彼方への返事ですが)、
企業組織と革命組織の違いと共通点、同感です。私は日本支部を離れて以来、組織では絶対活動しないと企業組織にも加わらず、ひとりでやってきました。でも、レポート・原稿、レジュメを書いて、それが評価されて、お金が入ってきた時の「感激」は今でも忘れません。
当時の専従(職業革命家といっていいかどうか)は、労働者メンバーに「寄生」していました。それは結構、屈辱的でした。その昔、Dが中央委員会で「(倒産争議に関して)我が派で、企業の財務諸表を読めるのは全金のOさんだけだ。そんなんでどうする」と発言して、みんなが下を向いて黙っていたことがありました。変な記憶なのですが、財務諸表が一応読めるようになり、決算も自分でやるようになって、妙にその光景を思い出すのです。
「はったり」。全くその通り。私が「社会復帰」して役だったのは、「はったり」と「レジュメ書き」「情勢−任務−方針で物を考える習慣」です。企業社会は結果を出さなくてはいけないので、「はったり」も真剣ですね。本当は左翼の世界も「結果を出す」ことが必要だったと思いますが。「大言壮語」にしかならないのでは、綱領と任務が間違っているのではないかと現実をベースに疑ってみる必要があった。本当は綱領と任務の再検討が必要だったのに、問題はそれが「神聖・不可侵」のままだったことではないでしょうか。
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青葉城址会戦問題(2) 投稿者:土日のトロツキスト 投稿日: 1月26日(土)04時14分17秒
76年2月の青葉城址会戦については、すでに青葉城址さん菊さんらが書いておられますが、私は日本支部の内ゲバ主義克服を実践できえなかった負の象徴と考えています。お二人の記述はなかったのですが、重大な点はあの内ゲバが、機動隊の目の前で実践され、機動隊の放水によって終結した点です。さらに、インターの教養部「登場」は、6大学8自治会の学費値上げ粉砕闘争の延長戦として闘われたと記憶しています。多くの「シンパ」も巻き込んであの衝突が引き起こされた点です。
「指導部」は、東北大の学友に応えた全国の大衆的自治会運動家が合流しようとするのを解放派が暴力的に妨害しようとしたという図式をとりたかったのかもしれません。したがって、インター側の武装は弱く、牛乳瓶を持った密集陣形の竹竿部隊とジグザグデモ部隊というチグハグな陣形でした。解放派は少数の精鋭部隊が散開体制をとり、坂上からこぶし大の投石を密集陣形めがけて浴びせ掛け、陣形を崩してから鉄パイプを振り下ろして来ました。この投石で1名が頭蓋骨骨折の重傷を負いました。
インター側の思惑としては、第一に解放派との緊張関係が全国的に高まり、襲撃や拉致監禁が続いているので、牽制をしておこうということ(中核派による襲撃後にも、前進社に奇襲をかけ牽制するのだという人もいたようですが、軍事に溺れるとろくなことないです。)、第二には東北大を含む東北「拠点」大学のシンパがためを戦術的に行うというような考えもあったのではないかと推測しています。
むしろ、事態はこうした思惑とは正反対で、戦略的戦術的失敗の極地ではなかったかと思います。背景にあったのは、「全人民の急進化」=「戦闘的民主的自治会-全学連の再建」というポツダム的自治会の算術的積算路線と、党派カンパニアとの間のブレ、組織論上の混乱ではなかったかと思います。のちに青年共闘・学生共闘という党派軍団を青年組織論としてしまう初歩的なあやまりを繰り返し続けてしまいます。
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青葉城址会戦問題(1) 投稿者:土日のトロツキスト 投稿日: 1月26日(土)04時12分41秒
しばらく留守をしていました。また、突然書き込ませていただきます。
菊さん、まっぺんさんお元気ですか。青葉城址さん、貴重な証言ありがとうございました。
小西さんの内ゲバ批判は興味深く拝見させていただきました。
社会批評社のホームページでの第4インターの反内ゲバ論に
対する規定はほんとうに同感します。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/netmagagin2.htm
からの引用です
『●第4インターの役割
・一貫した内ゲバ否定論を打ち出す。その限りでは正しいが、その内ゲバ否定論が「党派的正当性」という政治主義的にゆがめられていない
か。「文庫」でもフランスの例が上げられているように、本来、内ゲバをなくすための政治的・組織的行動を伴っていないところに問題があるのではないか。』
これは、私も常々考えていたことでした。原則を主張している点では正しいが、力を持ち得なかったことを率直に認め、問題点を総括することが必要ではないかと思います。
第4インター日本支部の内ゲバ主義批判の問題点は1.理論的問題 2.実践上の問題の二つの側面があると考えます。1.の問題は長くなりそうなので後に機会があれば述べさせていただきます。実践的に内ゲバを克服するためには、日本支部が大きく強固になるということではなく、内ゲバ党派に所属する人々、その党派をとりまき許容する人々に「ひょっとしたら自分は間違っているのではないか」という考えにいきつくような、真摯な理論的批判を行うことだと思います。この点で日本支部の内ゲバ批判は、自衛武装論の再確認にとどまり、「テロや内ゲバが運動をだめにした」というヒューマニズム的直情に訴える宣伝活動しか行い得なかった問題点があったと思います。日本型の内ゲバの論理的支柱をなした黒田組織論や本多暴力論、清水先制的内戦戦略論に対するちゃんとした批判はなされてこなかったと思います。
より重要なのは、第二の実践上の側面だと思います。この点について、明確な総括視点を持っているわけではないのですが、少なくとも内ゲバ主義の克服のための重要な二つの契機があったと考えています。第1は早大川口君虐殺糾弾闘争です。早稲田の革マル派活動家の多くが、大衆的糾弾を契機に消耗していったこと、全国動員の全学連行動隊の暴力でしか学内支配を維持できなかったことなどを考えれば、この闘いの帰趨がきわめて重要であったことを示唆していると考えます。第2は、3.26以降三里塚の反対同盟分裂までの三里塚闘争です。極端に言えば私は、反対同盟分裂は誤りであると思っています。この分裂により、3.26以降大衆運動に復帰しようとした中核派が、再び革命軍による代行路線に回帰していく道筋がとられていったと考えます。多分この二つの契機が内ゲバ党派を解体、弱体化、路線変更を余儀なくさせるチャンスがあったと思います。第4インター日本支部はこの二つの大きな契機に、微力であったかもしれないが、存在し、係わって来ました。多分に直感的ではありますが、この二つの事件に対する日本支部の関わり方に本質的な総括点が存在するのではないかと考えています。(つづく)
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考えすぎ。 投稿者:いずみ 投稿日: 1月26日(土)01時39分15秒
差別語とはずいぶんちがうでしょそれは。
いずみがかつて「学生運動」やってたとき、差別の問題についてものすごぉくエキセントリックに捉えてた頃は、すべてが差別に見えたのよ。
そして今,自分を「被差別」なカテゴリに身を投じせしめて思うのは、まさにその当時の意識が、ロジックとしては200%正当、かつ、実際に差別されている人間がそのロジックで当面の「いのち」を確保するためにはマイナス2000%・なーーーーーーーーーーーーーーーーんの役にもたたない、ってことをイタいほど理解させられた、ってことです。
差別語が差別語であることの論拠の1つとして、著名な国語辞典を引用することは正当でしょう。
しかそれはあくまでも「有力な1つ」に過ぎない。
出版物はよくも悪くも紙媒体。すぐに古くなりますよね。
そしてこの文脈、今[出来そこない」といったとき、そこまでの意味は存在していないと思いますよ。
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(無題) 投稿者:坊主 投稿日: 1月26日(土)01時17分32秒
> 登場の仕方ですよ。特に、活動家もしくは元活動家という人に多く見られるのですが、
>不躾かつ失礼な登場が多いので。
そんなんどこでもあるじゃん。活動家、元活動家だけではなくサヨ板にもよく荒らしで出てきますよ。
>ただ、「出来損ない」が差別語である、と断定される根拠がやっぱりわかりません。
【出来損ない】身体的欠陥などが有って、普通の人のような生活の出来ない人。(新明解 国語辞典)
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noizさん 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛 投稿日: 1月26日(土)00時47分52秒
>>こないだnoizさんが単純化させて言った「私的所有」の話を
すみません。単純化,という言い方は適切ではなかったです。
ただ,それぞれの言葉の概念が必ずしも明確でない(『専門家』にあっても,引用箇所にかくも表れているが如し)中で,私有と占有,とりわけ,今回書いたような「国家による所有」などが,あのときの本題であった「暴力革命の手法」(!)とも相まって,やや混然と議論された印象を持ったのは事実です。
「そんな簡単な話なのかな〜」ってことですよね。そしてそれは,とりわけ土地(農地)の問題に集約されるのでは,とも思いました。
無論,その辺を整理されている,とすればそれはそれでokですし,それを踏まえて,またゆっくり議論したいと思います。
もとより,大資本の生産手段独占にかかる古典的な理解と解釈において,何ら異議を挟む余地はないのですけど。
過去ログはまっぺんさんがお持ちなのでは?(僕も探してみますが,ここんとこ,内ゲバ〜立ち食いそばまで,広範囲に書き散らかしてるので,ファイルの整理も,書く中味の論理的なまとめも,ややワケワカになってます。すんません)。
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あくまで 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛 投稿日: 1月26日(土)00時31分48秒
『石川三四郎著』という限定付き資料で(^_^;;),かつ,出典も明示されて
いないものですが,以下のような記述があります。
『..赤軍中の一司令官の言によってトロツキィの対マフノ策は明白になった。
その意見は「マフノ運動の拡張を許すよりは,デニキンに全ウクライナを譲る
方がはるかにましだ。たぶん,デニキンの運動は公然反革命を標榜する故に,
階級心の宣伝によって容易に破壊する事ができるが,マフノ党は民衆の中に有
し,民衆の中に発達し,民衆をして吾々に正面衝突せしめるものである。」と
いうにあった。』
石川三四郎『マフノの農民運動』(黒色戦線社,1987復刊) P30』
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なるほど、自称革命家の内面性を重視するわけですね 投稿者:TAMO2 投稿日: 1月26日(土)00時16分10秒
大体、何に怒っておられるかはわかりました。ただ、「出来損ない」が
差別語である、と断定される根拠がやっぱりわかりません。
>なにか? 投稿者:坊主 投稿日: 1月25日(金)23時36分44秒
>
>>1/25 18:25 人間の屑:K-Y氏と、坊主氏、なんだかなあ。
>
> なんでしょう?
登場の仕方ですよ。特に、活動家もしくは元活動家という人に多く見られる
のですが、不躾かつ失礼な登場が多いので。
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単純化? 投稿者:noiz 投稿日: 1月26日(土)00時11分52秒
私有と占有について区別して書いた気がします。>久我山さん
私的所有については、大資本の生産手段独占について念頭に置いていました。占有については議論の余地ありとしたことについては、プルードンの占有についての示唆(肯定する)を念頭に置いています。まさにそれは生産手段の運用について、国有化と社会化について区別する意図があるからです。
もっと適切に概念規定して名称そのものを検討せよ、という批判なら受け入れます。財産私有に対する批判について、それが矮小化されているという批判ならもう少し根拠を明らかにしてくれないと?です。
うむ、過去ログ待ちですかね。>ぼくの当該発言
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??まっぺんさん??+α−2 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛 投稿日: 1月25日(金)23時57分34秒
ここで再度,経営関係から引用(意識を持って文献に当たると,不思議とこういうのが見つかるもんですな)。
ちょいと,全面的に頷くわけにも行かないフレーズもありやすが。
『..旧ソ連型マルクスレーニン主義における所有制変革万能論思考は,「所有」概念の皮相的理解と相まって,法的形式的所有関係の変革=国有化にもっぱら視点を向け,経済的(あるいは実態的,動態的)所有の分析や追求・改善をついに所有問題としてとりあげることはなかった。実際には,法的に生産手段の公有制をとるか否かという形式的な建前の話よりも,人々の日々の経済活動において意志決定への主体的参加や公平な分配が実際になされているかどうかという所有の内実=経済的所有のほうが,所有問題としては遙かに重要な要因であったにもかかわらず,である。この所有概念のすり替え=形骸化によって,社会主義はノメンクラトゥーラ(共産党官僚エリートたち)の支配するいびつな社会に転化してしまったのであった。』
(片岡信之ほか編『新しい時代と経営学』(ミネルヴァ書房,1998)p3より引用)
この引用部を僕なりに敷衍すれば,集産化が,非常に「分かりやすい」形で,土地はみんなのもの→みんなで決めて利用するもの,であったのに対し,『国有化』による『共同農場』は,土地は国有→農民はソ連邦国家の一員→だから土地はみんなのもの→決めごとは決める人が決める,という形で,どこにも,地域の,地域の農民の決定権がない。『所有の内実』どころか,選択肢としてあるのは,死ぬか,生きて従うかの2つだけ。究極の疎外がここにある。機械的な人間観による冷たい革命。
ついでに言えば,こないだnoizさんが単純化させて言った「私的所有」の話を,単純化できない,とする僕なりの根拠がこのへんにあるような気がしますが,それはまた。
以上は(前から言っているとおり)スターリンにその責任を集約して終わり,などというわけにはいかない,と考えます。なぜ,マフノを白軍のサイドに置く通説が,未だにトロツキストを含むマルクス主義者の側で罷り通っているのか。
ロシア語(ウクライナ語もか)が有能な若い研究者に,この辺を徹底して解明してもらいたいところですが。もっとも,ここにも,noizさんもいう「歴史の科学性」の難しさが在るんでしょうけど。
いずれにしても,こうした「分権」を如何に確保するか,地域(組織内?)の自主性を全体とどう調整すべきか,ってのが,言うところの『革命(組織)』の最も難しいところで,かつ内ゲバ問題と組織問題の総括にもつながる,最重要な話なんでしょうけども。ここを深化させることによって,マフノへの視点(分析視角)も,相当大きく変わるのではないか?..などと仮説的に位置づけたりしています。
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??まっぺんさん??+α−1 投稿者:AIT久我山支部(準)@後衛 投稿日: 1月25日(金)23時50分44秒
>>マフノの行動が実際どうだったかの評価は分かれていますが、現代のトロツキスト
>>はマフノの「反ボリシェビキ」行動にスターリンのカゲを見ているわけdす。
まっぺんさん,ここちゃんと説明して下さい。
「反ボリシェベキ」と,「スターリンの影」が何でイコールになるんですか?
最終的には,マフノへの弾圧はトロツキー(赤軍)に敵対させ貶めるための謀略だった?とか?(まさか?)
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で。歴史研究も経営研究も(!)耳学問の域ですから,素人の戯言なんですけど,要は,乱暴に要約すれば「オレの影響力のない革命なんぞ認めない」「おめぇらの好き勝手にはさせねぇ」って話なんでしょうと思います。なぜ「土地を農民へ」と集産化をしたマフノも,あるいはスペインCNT(POUMもですが)も,労農同盟の名の下に弾圧されなくちゃならんのか,全然理解できない。
要は,集産化ってのは,その地域の農民がその地域の主体となって行うもので,徹底して「中央」の制御が効かなくなる(生産も販売も)。それを恐れたわけでしょう。供出だ,とか言ってもそれがきかなくなる。モスクワの号令一下で,あれをつくれ,これを植えろ,とは絶対にならない。つまり,分権を与件とした生産方式であった,と。
だからこそ,スターリンは農民の自主性を徹底して潰していった。で,反対すると「あれは富農だ」とやるわけです。農民の自主性など「小ブルジョア的」で「反革命」なわけですね。ロシア革命初期には活躍の場があり,日本でも未だに評価されている小農論者(というと語弊があるが)の学者チャーヤノフも,最終的には殺され,農民は自主的に協同組合すらも形成できなかった。そのようになっていくワケです。
土地と,土地利用と,所有と,農民と,耕作権と。あるいは共同と協同と。ここら当たりが,何で「ソ連」があれほどの中央集権に突き進んだのか,スターリンのみならず,ボルシェビキが農民の集産化をなぜ認めなかったか(それは,農産物の自由な販売=市場形成を一元的に弾圧したことにもつながるわけで),すなわち分権を潰した要因の,重要なキーワードとなるのでしょう。(つづく)
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なにか? 投稿者:坊主 投稿日: 1月25日(金)23時36分44秒
>1/25 18:25 人間の屑:K-Y氏と、坊主氏、なんだかなあ。
なんでしょう?
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倫理主義について 投稿者:坊主 投稿日: 1月25日(金)23時00分52秒
>小生は活動家と雖も「大衆」の一員であると思っているので、活動家だから#特に#差別
>語云々で批判されるべきだ、とは考えません。まさに貴方がおっしゃる通り社会総体の問
>題であり、反差別闘争については、全ての大衆が平等であるべき、と考えます。「共産主
>義者も、一皮剥けば俗物だ」(レーニンだったかな?)
> 左翼内部の差別の酷さが女性差別として表われた例が、「検証 内ゲバ」にもありま
>す。この本は、女性差別に留まらない、左翼の論理のもつ差別性が抉られていると思いま
>すよ。特に、少数派無視・抑圧をしてきた点から。
組織論にも踏み込んでいるようなのでそこまで展開します。
もちろん活動家は「大衆」の一員でなくてはなりません。当然、差別問題も社会総体で解決すべきとおもいます。しかし活動家に対しては「考えてきたんだろが? 動いてきたんだろが?」というのが私の中にはあるのです。
が、一方でもちろん私は、活動家(およびその組織と)と民衆を峻別するような思想(組織論)には反対です。ここで私がいうのは「前衛」意識のことであり、転倒した倫理主義です。
例えば、68-69年の運動は社会・政治闘争であったと同時に、活動家に「自己否定」を迫るある意味で思想運動でもあったと思います。当初の倫理性や背景は「純粋」だったでしょう。しかしマイナスのベクトルにその極端な倫理性が発揮されたとき、民衆不在の内ゲバや「総括死」という名のリンチ殺人になった。爆弾闘争と自死になった。
つまるところ党組織論と倫理主義を乗り越えることができなかっと思うのです。内ゲバの問題は一国一前衛党主義による覇権争いが源流という面が大きいとは思いますが、解放思想から派生する倫理的理念の「歪曲」も大いに関係あると思います。
80年終わり頃から90年代を運動の現場で過ごしてきた私の環境は後退局面どころではありませんでした。時には絶望的になりながらも、組織問題を考え、倫理主義から自由でありたいと思う一方、活動家の「差別」問題に怒りをあらわにしてきたのです。
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また日向一派の呪縛から逃れられない人が 投稿者:いずみ 投稿日: 1月25日(金)22時39分17秒
ウチの掲示板でなにやらわめきちらしています。
本当にこのカルト問題、なんとかしなくちゃいけないものですね。
私め、2・3の「検証・内ゲバ」シンポジウムでは呼びかけ人の末席を汚していますが、私としては一連の襲撃事件など含め、未だに内ゲバ体質が全く抜けない日向一派をきっちり断罪していく一歩とも位置付けたいと考えています。
掲示板はここです。↓
http://www.nurs.or.jp/~izumi/senki/bbs.cgi?t=21
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ここにもスターリンのカゲが!(^^;;) 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月25日(金)22時25分02秒
マフノについては他の人から説明を聞いた事がありますが、この文章だったんですね。ちょうどnoizさんが引用した部分の後に注目です。
「アレクセイの説明は続く。スターリンの協力者、クリメント・ヴォロシーロフがこの地域で自己の指揮権を拡大しようと試みてマフノに対して計略をめぐらせ始めてから、状況が悪化した。それでマフノは赤軍から寝返り、ボリシェヴィキを自己の支配地域から追い出し、最後にはデニーキンの白衛軍と同盟し、それによって白衛軍はマフノのパルチザン部隊が占領している地域を使って赤軍に対して攻撃をしかけることができるようになった。」
マフノの行動が実際どうだったかの評価は分かれていますが、現代のトロツキストはマフノの「反ボリシェビキ」行動にスターリンのカゲを見ているわけdす。
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赤軍に反対、はともかく 投稿者:noiz 投稿日: 1月25日(金)21時38分01秒
革命をめぐつて農民の間でいろいろと対応が別れていたことを捨象して、すべて「反革命」というのはいかにも乱暴な話で、評価云々以前の問題です。歴史に対する非常にいい加減な対応といえるでしょう。
まず、基本的に「反革命」と「反赤軍」をイコールで考えることから検証すべきだと思います。「反ボルシェヴィキ革命」と表現するならイコールでも構わないかもしれませんが。というのも、ロシア革命以降にウクライナにおいて農地接収・解放=集産化による社会革命を行っていたのは、南部農村の大部分で支持を得ていたマフノらの貧農軍団だったからです。マフノは赤軍には最後まで同化しませんでしたが、反革命だったという評価はいかにもプロパガンダである、というのがアナキスト側の反論としてあります。
ボルシェヴィキの多くは、マフノについて富農の利益を代弁していたと言いますが、富農軍団は別個に存在していました。それに、当時のウクライナ農民の大多数は貧農だったいう評価がありますが、仮にそれを正しいとすれば、複数の富農軍団が形成される必要があったかどうかという評価基準も当然出てきます。そのうえで、なおマフノが富農の軍団だったと言うならば、それなりの根拠を示す必要があるでしょう。なお、マフノ軍は黒旗を掲げ、「農民へ土地を、労働者に工場を」と大書していたといいます。そんなところに果たして地主階級や「富農」が来るのかどうか甚だ疑問です。さらに、「富農(クラーク)」という言葉の使われ方は、スターリンの「クラーク一掃」政策との連関を見る必要もあると感じます。
マフノ軍はウクライナ南部を中心に生産手段の社会化を行う「革命」軍でもあったとする評価からすれば、ペトルーラなどのウクライナ民族主義+富農軍やデニキン白軍、ウランゲリ白軍、ピウスツキ軍(ポーランドから侵入)の反革命と、マフノらの集産化運動とを弁別しない歴史というものが「正史」として長く語られてきたということは興味深いですね。
アレクセイというトロツキストの報告では「ウクライナのパルチザンの指導者であるネストル・マフノは、圧倒的に比較的裕福な農民で構成されていたパルチザン軍を率いていた」として、結局は「マフノは赤軍から寝返り、ボリシェヴィキを自己の支配地域から追い出し、最後にはデニーキンの白衛軍と同盟し」云々となっていますが、アナキストはそれとは異なる報告をしています。そのほとんどの基調はウランゲリ白軍に対する闘争に勝利した直後、赤軍がマフノ軍をだましうちにしてその指揮官多数を捕らえて射殺し、それ以降マフノ軍が徹底して反赤軍となった、というものです。そのため後のマフノ軍が白軍をも含む反赤軍勢力と合従連衡したという可能性も当然考えられます。しかしそれにしてもこの明らかに相反する評価が、両方とも「歴史」として語られてきたわけですから(圧倒的にボル史しか知られていないのですが)、何とも不思議な気持ちにさせられます。当事者を笑うつもりはありませんが…
■「第5回トロツキー国際会議」中にトロツキストのマフノ評価が出てきます
http://www2u.biglobe.ne.jp/~Trotsky/32-33/5kokusai.html)
■あるいはトロツキー自身の描写にも。「中国における農民戦争とプロレタリアート」
http://www.top.or.jp/~trotsky/1930-1/ch-nouminsensou.htm
基本的に歴史研究というものは、いくら実証研究の顔をしていても書き手の主観からは逃れられないものです。アナキストにしたって誇張して描く可能性は否定できません。もちろん主義者如何に関係なく人間なら誰でもそうですけどね。その意味で歴史という社会科学は「科学的」ではありえないとぼくは思っています。だからこそ、異なる利益を代弁する相反する歴史というものをつきあわせる作業というのは、いつになっても終わらないし、完成しないものだろうと考えています。永久革命ならぬ永久研究ですね。
------------------------------ 塔eイコクシュギの真摯なシンジャが,アメリカ帝国主義軍 牴と、宗教が数多存在するこの世界に於いて戦争はなくなりません。
「新左翼」は最早歴史の瓦礫 フマニにおける戦術 Trotsky/29/syohyou.html
陳独秀に対す 驍ウによれば、コムスンは「介護」の美名にかくれて相当ひど
い事をやっているようですね。
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