四トロ同窓会二次会 2002年1月12日〜15日
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基軸通貨国の特異性 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月15日(火)23時46分59秒
> だが、双子の赤字の時代から(バブルの化粧の下に今は隠されてはいるが)の世
>界第一の国債収支の大赤字を抱えるアメリカは、国家としての力はかなり没落し、
それを言うなら「世界最大の債務国に転落したアメリカ」ではございませんか? フローの赤字よりストックの赤字のほうがよほど大きいはすと思うのですが。でも、それが「国家の力」の低下につながるという通常の法則は、ことアメリカについては成り立たぬと存じます。対外債務の累積は、長期・短期の資本がアメリカに流入し続けた結果にほかならず、それが「ニュー・エコノミー」なる幻想を肥大させたのでしょう。ご指摘のバブルでございます。対外債務が長期成長の源泉となる、これはアメリカが唯一の基軸通貨国なればこその特異な結果と存じます。
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「不審船」問題補足 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月15日(火)23時35分22秒
>その意味で、今回の論評が純国内的な射程に自己規制しているという印象は否めません。
と書きましたのは言葉不足。「今回の」の前に「問題が国境を超えた領域にあるのに」と補足させていただきます。
それで、あらためて考えますと、「世界革命」を綱領的に掲げておられるのであれば、これはある意味致命的ではないのでしょうか。立派な党派にケチをつけるつもりではございませんが、少々気になる点ではございます。
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資本論電子化粗入力完了! 投稿者:TAMO2@サヨ 投稿日: 1月15日(火)22時08分52秒
一部の人にはわかることですが・・・広く大衆に公開できるのは
何時の日なんでしょうか・・・。俺にもわからん。誰にもわからん。
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国家主権と矛盾する憲法9条 投稿者:TAMO2@若干ウヨ厨 投稿日: 1月15日(火)22時03分04秒
小生思うに、元々米帝の意図で作られた日本国憲法は、米軍の軍事力とセットの
平和憲法であると思っています。軍事力なき国家主権は、武装と暴力に溢れた現状
にあっては、片肺の、保障なき主権であると思います。
米・ソ冷戦時代はそれでも日本が表立って世界政治の舞台に立たされることはあ
りませんでしたので、アメリカ軍の補給部隊としての自衛隊で十分であった、とエ
スタブリッシュメントの主流は考えていたと思います。特に、政治のみならず経済
的にも圧倒的にアメリカが強かった時代は。
だが、双子の赤字の時代から(バブルの化粧の下に今は隠されてはいるが)の世
界第一の国債収支の大赤字を抱えるアメリカは、国家としての力はかなり没落し、
また一方経済力がかなり上がった日本は#分相応の、主権国家に相応しい#武装を
要求するようになっています。これは、国家の本能のようなものであると思います。
信じられるものは己のみ、己の力のみ。その意味で、不審船撃沈は他の国の事例と
も合わせ(ソ連に銃撃された日本漁船など)、わからないでもないです。
「憲法9条を守れ」という訴えは、心情的には判りますが、それは論理的には国
家主権の否定を内包する故、今の保守化している大衆にはなかなか受け入れられな
い「理想」であると思います。これは護憲派も自覚しておいた方がいいかと。
(大体、革命をやるとして、武装なしで帝国主義の介入をどうやって防ぐのだろう
か。自衛隊は大衆の獲得対象だと本気で思っています。その点、中核派は若干偉い。)
では、憲法9条を守る運動は意味がないかと言えば、決してそうではないと思い
ます。(詳細はいずれ。)
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不審船と東アジア政治構造 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月15日(火)18時30分09秒
『かけはし』高島論文拝読いたしました。詳細にわたる分析は貴重なものと存じます。ただ、あえて不満をのべさせていただくなら、これだけの紙面を費やしながら、東アジアの政治関係についての鳥瞰的な視点が示されていないのが残念でございました。中国・韓国・北共和国・日本、というこの地域の政治力学、それに関るアメリカの極東政策、こうしたものの見取り図があったなら、今回の警察軍事行動の意味もよりリアルに浮かび上がったと思うのでございます。
北共和国が挑発的な外交政策を採ってきたことはひとつの政治的現実でございましょう。それが日米の軍事行動を正当化する理由となっていることも否定できぬところと思われます。
その意味で、今回の論評が純国内的な射程に自己規制しているという印象は否めません。
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でも内ゲバ論に多少つなげるとすれば 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月15日(火)17時38分12秒
「かけはし」の共産党批判は「統一戦線論」観点から
「しんぶん赤旗」の「不審船」報道がまったく論評抜きの「政府広報」と
化している事を批判し
不審船撃沈批判を唯一社民党だけがおこなっている事を紹介しながら
社共共闘によって政府に抗議していくように共産党に要求しています。
http://www.jrcl.net/web/frame0114c.html
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不審船問題ぎろん 投稿者:まっぺん 投稿日: 1月15日(火)17時08分55秒
また脱線してすいません。
某所(?)で有名な村岡到氏の「不審船」問題をめぐる議論がaml 上であり、
それがなかなかおもしろかったので紹介します。
村岡氏は「北朝鮮の行動の問題性を明確にする必要」を述べ、さらに
「かけはし」が北朝鮮に対して何の批判もしていない事に不満を述べたうえで
> ともかく、この1点――「不審船=北朝鮮」――に関しては、私と同じような認識
>が示されていますから、個人紙「稲妻」よりは影響があるだろう「かけはし」紙と、
>「不審船」が何者かについて論議を深めてください。
と書いています。はて?「かけはし」高島論文がそういう認識をしめしたんだっけ?
違うんじゃないかなー? ともかく眺めてみてください。\(^o^)
http://www1.jca.apc.org/aml/200201/25890.html
http://www1.jca.apc.org/aml/200201/25891.html
http://www1.jca.apc.org/aml/200201/25917.html
http://www1.jca.apc.org/aml/200201/25923.html
http://www1.jca.apc.org/aml/200201/25998.html
http://www1.jca.apc.org/aml/200201/26033.html
http://www.jrcl.net/web/p01b.html
http://www.jrcl.net/web/frame0114a.html
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所感派と第1次ブントの補足 投稿者:すえいどん 投稿日: 1月15日(火)15時03分12秒
「日本共産党史<私の証言>」(日本出版センター昭和45年刊、第三章全学連六・一事件、島成郎)もう少し詳しく引用しますと
「いわゆる国際派がでてきたのは、ぼくとか、高野とか、そのぐらいのものです。むしろ、所感派のゴリゴリだった奴が中心になったという感じですね。森田にしても、死んだ生田にしても、所感派だったわけですからね。それに、50年分裂を知っている六全協後の全学連の活動家と言うのはぼくぐらいまでです」121頁
「当時は・・中国派という言葉はありませんけれども、今考えてみると中国派みたいな主張が全学連のなかにあったと思います。だから高野なんかが『あの頃の全学連主流派は中国派だ』と非難した。そういう意味ではむしろ、頑固派スターリン主義というかたちでいわれたことがあった。」119頁
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山口さんと加瀬さん 投稿者:藪ちゃん 投稿日: 1月15日(火)01時33分38秒
ご無沙汰しております。
山口さんは『情況誌』でパルチの滝田さんと対談してましたね。加瀬さんはとある地区の交流会
で「3,26の時は三里塚闘争の勝利のために全党派を潰す気でいた」と発言されておりました。
連帯する会・調整委が戦闘を繰り返している間、中核派・解放派へも戦闘への合流を説得されて
いたそうです。みんな逮捕・投獄されるのを覚悟しての闘争への参加でしたから、菱田ブロック
は。その後、2次決戦は何時かの指令を待っておりました。私としては。
北原さんに対しての意識は同盟の方々は色々でしたね。これ以上はって、ところですか。
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第1次ブンドと所感派、三里塚など 投稿者:菊 投稿日: 1月14日(月)21時41分41秒
すえいどんさん、初めまして。鬼薔薇さんとすえいどんさん、そしてわかもの社さんのやりとり、興味深く読ませて頂きました。私は70年代前半からの「同窓生」ですが、関連していくつか気になったことがありますので少し書きます。
実は先年亡くなった島成郎さんの晩年の7−8年、個人的におつきあいがありました。そんなこともあって、島さんの遺稿やさまざまな通信などはざっと目を通していますが、第1次ブンドが所感派主体というのは、違うのではないでしょうか。
安保ブンドの中では島さんがひとり年長で国際派経験者、あとは皆1956−7年以降に学生になった年代の人たちで、6全協前後の経験者はいないように思うのですが。そう考えないと、年齢的に合わない。
島さんは「あいつは、まるで何々みたいだよな」と、あっけらかんと明るくいう人でした。ですから、すえいどんさんが引用された文章も「それじゃ、まるで所感派じゃないか」と、「たとえのように」いったという印象をうけます。
島さんを追悼する武井昭夫さんのコメントに、安保ブンド結成に至る流れが詳しく書いてあります。この文章を読むと、国際派から安保ブンドへの流れがわかります。ここには、大屋史郎氏や塩川喜信氏のことも「陰謀家集団的イメージ」で出ています。
http://www.bund.ne.jp/shima/takei.htm
それから三里塚は、戦後直後の常東農民組合の指導者・山口武秀さんが早い時期からずっと関係を持っています。彼と日農のオルグだった加瀬勉さんが色々な局面での戦略・戦術の立案と闘争展開の上で大いに力を発揮しています。三里塚闘争の歴史の中で、山口武秀さんと加瀬勉さんはもっとスポットをあて、評価されるべきだろうと思います。二人とも、野武士のような人でした。特に山口武秀さんは長いオーバーを肩からかけて軍師のように立っていた姿を今でも思い出します。
北原鉱二さんは呉服屋の親父さん(いかにもそんな感じですよね)で、戦略的な考えで政治勢力を結びつけるような動きをする人ではないと思います。
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「ふつうの人」トロツキー 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月14日(月)19時39分42秒
>せみまるさま いささか趣味に走りますこと、お許し下さいませ。
>現在の共産党は、以前よりはいくらかましになり、すくなくともトロツキーに対して(た
>ぶん、いやいやながら)再評価していますね。
昔の「トロツキー・アレルギー」など現役党員からもなくなり、党の公式用語(?)からも「トロツキスト」は消えて「ニセ『左翼』」とかに変わっているようですね。共産党の影響が強いと噂の岩波でも、続々とトロツキーの著作が文庫に入っております。では何が変わったのかと考えるのですが、要するに「トロツキー」という存在からかつてのあの魔力が消え、「歴史上の人物」、衛生無害な研究対象になったということではございませんか?
40年以上前、まだ「トロツキー」は悪魔の代名詞、「トロツキスト」といえば「反革命・挑発者」の呪われたイメージでございました。そんな雰囲気の中でトロツキーの著作を手にするのは、ちょっと、いえ、かなりスリリングな経験だったものでございます。市販本といえば角川書店(その前に弘文堂から出たとのことですが)の『ロシア革命史』(山西英一訳、最初単行本、そのうち文庫化)と、論争社という怪しげな(笑)出版社から出ていた『裏切られた革命』(やはり山西訳)くらいなもので、あとは古本屋の戦前版か第四インターの自費出版物しかなく、入手もむつかしゅうございました。
現代思潮社から『トロツキー選集』が斬新な装丁で刊行され始めたとき、ようやく全貌がみえるようになりました。最初の配本が「中国革命論」というのも意外でございました。でも、あの『選集』けっこうお高く、セミ・ルンペン・プロレタリアの身にはなかなか手が届きませんでした。そのうち『わが生涯』が瀟洒なデザインの3巻本で出たときはどうしても欲しくて、共産党本部近くの古本屋さんで1割引のセットを見つけたとき、後先顧みずに買ってしまいました。その後同じ紙型で並製本2分冊になりましたが、やはりこの函入り3巻本は別格、今も大切にしております。
トロツキーの評伝としては、ドイッチャーの「預言者」3部作がつとに有名でしたが翻訳はなし(新潮社から完訳が出るのはかなり後になります)、原書(英語)は目の玉が飛び出るほどのお値段(1ドル360円の時代でしたし)、指を咥えているほかございませんでした。さすがの第四インターも「海賊版」までは出してくれませんでしたしね(笑)。
岩波文庫版は、きわめて良質の訳だと思います。現代思潮社版の『わが生涯』はフランス語版からの重訳で、訳者たちは専門外の文学畑の方々、それもかなりいそぎの仕事ではないかと思われる訳文でございました。岩波版はロシア語原典からの直訳で、テキスト・クリティークもきちんとされたものとのこと、訳者の解説からわかります。
学問研究恐るべきと感じましたのは『ロシア革命史』。訳者は3種のロシア語版と英独仏日語訳、そしてオリジナル原稿を一字一句比較対照し、ついにもっとも正確な「ロシア語原版」をまず自力で編集した上での訳業なのですね。そのオリジナル原稿を北大の研究所で(判読不可能な部分を含む)マイクロフィルムで発見したというのも驚きでございます。第一分冊巻末にその経緯を記した「底本をめぐって----『ロシア革命史』各国語版の問題点と本訳書のテキストについて」という文章は、訳者藤井一行さんがこの訳業にかけた学問的良心と情熱をすさまじい迫力で伝えております。これは『ドイツ・イデオロギー』の広松訳に匹敵する仕事ではないでしょうか。なお、“藤井編ロシア語テキスト決定版”はCD−ROMで提供されるとのことでございます。
「トロツキー」が“ふつうの人”として市民権を得、優れた訳文でその著作を読めるようになったのはもちろんよいこと。同時にそれは、「トロツキー」と「トロツキズム」の革命性が蒸発したことをも意味いたしましょう。残るのは、研究者にとっては「仕事」、一般読者にとっては「趣味」。ということで、しごく「趣味者」的な発言となりましてございます(笑)。
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人物論 求む! 投稿者:佐々田 格 投稿日: 1月14日(月)17時54分46秒
私は人物論に興味があるので、次のような方の人物論を、どなたか書いて頂けないでしょうか。
[社会党]
●西尾 末広
●平野 力三
●和田 博雄
●森戸 辰男
[共産党]
●徳田 球一
●野坂 参三
●宮本 顕治
●袴田 里見
どうぞ、よろしくお願いします。
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共産党との共闘は可能か? 投稿者:せみまる 投稿日: 1月14日(月)15時56分31秒
わたしが学生運動に関わっていたころ、「代々木系」対「反代々木系」のゲバがどこでもありました。共産党は新左翼を古典的・スターリン主義的な意味で「トロツキスト」と呼び、かれらがいかに「権力に泳がされた暴力的破壊者集団か」を宣伝していたわけです。しかし、現在の共産党は、以前よりはいくらかましになり、すくなくともトロツキーに対して(たぶん、いやいやながら)再評価していますね。また、党自身、革命戦略をおおきく右に転回させ、「スターリニスト」よりは「ポストスターリニスト」という呼び方の方がふさわしい。
それにしても、日本の共産党は世界の多くの共産党と比較しても、いまだにセクト主義です。他の多くの国々で、スターリニストの系譜に連なる党派は社民化するとともに、他の政党と左翼統一戦線を組んで共闘しています。日本共産党をそのような「外部にも開かれた」政党にするには、大衆運動の発展が必要でしょう。運動を発展させ、そこに共産党を巻き込んで行くことで統一戦線がつくられていくと思います。
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スターリニズムのどこを批判するべきか 投稿者:せみまる 投稿日: 1月14日(月)15時40分04秒
中核派が、「世界革命戦略」として一国社会主義を批判したのは小西さんの説明でわかりました。それに対して小西さんは(内ゲバ克服のためにも)スターリニズムが持つプロレタリア民主主義の欠如を批判するべきであるという事ですね。
●一国社会主義について
スターリニズムを真に理解するためには、一個の完成された「体系」であると考えるべきです。私はロシア革命の歴史を「ヨーロッパ社会主義革命」の挫折の歴史の一部分として捉えています。もしもスターリンが権力を簒奪しなかったら、あるいは、レーニンがもうちょっと長生きしていたら、ロシア革命は「一国社会主義」に押しとどめられることなく、帝国主義諸国労働者階級の「共同事業」としてのヨーロッパ革命が20世紀の歴史をまるでちがったものにしたでしょう。レーニンもトロツキーも、また多くの当時のロシア共産党員も、「一国社会主義」などとは考えていませんでした。遅れたロシアの社会主義事業を前進させるためにはドイツの工業力が必要であると考えていたわけです。
●スターリンが勝利したのはなぜか?
革命ロシアにおいてなぜトロツキーが敗北しスターリンが勝利したのかを、「技術的・戦術的」にとらえ、「スターリンの側が積極的にあらゆる手段を講じて党派闘争をやったから勝てたのだ」とする分析の方法が、これまで唯一トロツキストをのぞいて一般的に行われてきました。それを「レーニンの組織論の勝利」と考えるものは「トロツキーには組織論がなかった」と考え、スターリン主義者によって宣伝されてきた「レーニン主義組織論」なるものが共産党にも、また「反スターリン主義」を自認する反スタ主義者にも無批判に受け入れられてきた。それどころかトロツキストさえも、この「レーニン主義組織論」の魔術にひっかかっていた面があったといえるでしょう。
しかし、それでもトロツキストは「スターリンの勝利・トロツキーの敗北」をまったく違った観点から分析してきました。それは「革命情勢」との関係において分析されてきたものです。ロシアの革命情勢が成熟していた時期には、労農大衆が活性化し、闘いの勝利を確信し、あらゆる問題について積極的に議論し、行動していきました。労農兵ソヴィエトにおける大衆の積極性こそがなによりも革命のエネルギーの源泉であり、そこには「官僚的操作」なども入り込むスキはなかったでしょう。しかし、革命闘争の敗北がはじまった時、大衆の意識は防衛的になります。積極性よりも、懐疑性、消極性が優勢になる。スターリンが台頭し、党の権力を通じて大衆を官僚主義的に掌握していったのは、なによりも、このような情勢の変化によるものだと思います。また、レーニン死去の直後、共産党は一挙に大量の党員を募集しました。これも革命政府の行政的な防衛を意識していたんだと思いますが、すでに革命が勝利し、共産党が権力の座を占めたあとで入党してきた者の中には時期的に見て「出世主義者」も大量にいたでしょう。また、新入党員は「党員」としての訓練を積んではいなかったわけです。それが20数万にふくれあがる。24年以降のロシア共産党は、したがって「革命の党」としての成果を失っていき「官僚の党」に変化したのではないでしょうか?スターリン主義は、こうした党の体制の中で「官僚主義体制」として成長していった、と見るべきです。
●官僚主義との対決の決め手は民主主義
官僚の特徴は、自己保身意識が強いことですね。これは例えば田中麻紀子外務大臣と外務省官僚のやりとりをみてもよくわかります。官僚は自分の地位の保全のためなら国益に反していようと何であろうと関係ない。結果的に「責任がひとにふりかかれば良い」とおいう事です。この偏狭な官僚意識は、ロシア国家の行政と産業の末端まで浸透し、官僚に支配された人民にはもはやプロレタリア民主主義など消滅してしまった。私も、小西さんと同じく、スターリン主義打破の決め手はプロレタリア民主主義を復権させる事だと思います。そして、その闘争はただちに「官僚主義」の壁に突き当たるでしょう。さざなみ通信に結集する共産党員の人々も、まさしく共産党内部で、この壁につきあたっている。
民主主義への要求は官僚主義にするどく対決し、官僚組織そのものを破壊しかねない「ネック」です。組織や運動内部で民主主義を追求していく事が、スターリン主義の克服につながり、内ゲバの克服につながり、大衆的社会運動を拡大してゆくために重要であると思います。
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RE:旧所感派と第1次ブント 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月14日(月)12時01分14秒
>すえいどんさま
>戦後学生運動「第2期黄金時代」を指導したのは国際派系とは単純にはいえないようです。
>むしろ旧所感派の方が力があったと思われます。----中略----
>旧所感派的パトスが第1次ブントをつくるのに力があり、旧国際派はむしろ高野・安東のよ
>うに党忠誠派として、ブント弾圧の尖兵になったのでは。
わたしの「歴史認識」に重大な修正を迫るご指摘。ご紹介の文献を含め、再検討してみたく思います。大事な契機を与えていただき、お礼申し上げます。
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思いつくまま 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月14日(月)11時43分00秒
>わかもの社さま さっそくのコメント、とても興味深く読ませていただきました。「ご教示」お願いしたのは間違っていなかったと、嬉しく存じます。
「赤ランプ闘争」のこと、たぶん北海道ならではの活動形態だったことと存じます。全体に北海道党の気風のようなものを感じ取れたのは貴重な経験と新しい知見でございます。ありがとうございました。
「朝鮮人党員」のこと、これは戦後党史の暗部に属する重要問題のひとつでございましょう。新左翼にもっとも継承されなかった点でもございます。「民戦」と「祖防」のこと、「金」名のふたりの朝鮮人中央委員のことなど。あらためて主題的に取り上げられたらと存じます。あわせて、北海道の炭坑労働組合の結成が、捕虜として連れてこられた中国人グループによって防衛され実現したこと、かつて平岡正明『中国人は日本で何をされたか』という詳細なレポートがございましたが、関係者の方から何かお聞き及びでしょうか?
戦後革命(という用語法は共産党にはないかもしれませんけど)に対する中国共産党の関わりはきわめて組織的で、戦時中は強制連行される「捕虜」の中に党員を意識的に潜入させ、敗戦直後にはGHQ要員として来日したアメリカ党員と連携して日本の党再建に関わったこと、松本健二『戦後革命の内幕』というレポートにございます。そこでは、「大東亜戦争」を「大東亜革命」に転化することが構想されていたにちがいございません。でも「獄中18年」の出所組にとって、この構想はアタマもカラダもついていかぬものだったのでしょう。5年後の「軍事路線」は、その観念的な反動だったのかもしれません。
>旧所感派は私党・私兵の集まりであって決して近代政党とは言えなかったが、
それに対して「宮本体制」が“近代的”であったことはたしかでございますね(苦笑)。
>武闘路線のゲバルトで傷ついた末端の「組員」をそれなりにケアして
>いた ---これは当時の在北海道共産党員の多くが述懐しています。
新左翼もまた同じ問題に深刻に直面しておりましょう。共産党より深くかつ広いかと思います。中国の「文革」ほどではないにしても。
>異文化ともいえる作風の違い、議論を忘れて立ち枯れていく左翼・・・こうした障害を乗
>り越えて、われわれの個人レベルの協同が何よりも重要だと思います。
わたしも同じように考えております。「乗り越えて」というのは、それぞれの経緯と立場を突き合わせながら各々それを相対化していく困難な作業となるでしょう。でも、通信技術の発達と篤志の方のご努力でこうした場が現に提供されていること、とても貴重なことと存じます。ここの管理者まっぺんさんにはお礼の申しようもございません(礼)。
>私もまもなく3時から日刊赤旗の配達です(笑)。
お寒いのにご苦労様です。配達を終えられたら少しはお休みになれるのですか? 今日はたまたま休日ですけど、普段の日はお仕事もございましょう。若さにまかせての無理はなさいませぬよう、歳とってから響きますよ。知り合いの党員の方々、皆さんお歳を召して身体の不調をかこちながら、それでも「終りなき日常」の活動に黙々と従事しておられる姿には、やはり敬意を禁じ得ません。組織というのはそういう現場メンバーの目立たぬ日常活動に支えられていること、わたしもいくつかの場所で経験してまいりましたから。
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「スターリン主義」の問題構成 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月14日(月)11時41分27秒
>小西さま コメントありがとうございました。
「一国社会主義」論批判だけでは「スターリン主義」批判として不充分とのお説、『再生への道』5章でも展開されておりますね。前回発言では、運動思想の過程として「一周回ってしまった」感じを書き留めた次第ですが、ご指摘を受けて問題の枠組を少し考えてまいりたく存じます。
※『再生への道』の関係個所、203ページ末尾で文章が途切れているのですが、失われた続き(つなぎ)の部分----たぶん1行----補足をいただけないでしょうか?(204〜205ページでは1行ダブっておりますね。)
「スターリン主義」というとき、「制度」と「イデオロギー」と、大きく二つの論点があるかと思います。「一国社会主義」論は主に50年代末、前者に関連しては「ソ連論」、後者に関しては「革命路線」の問題として議論されたかと存じます。小西さんご指摘の「官僚的独裁主義が党と国家のすべてに貫かれた社会的・政治的体制」とは主に前者にかかわることとここでは仮に理解しておきますね(取り違えておりましたらご指摘を)。
とりあえず結論めいたことだけ書き留めておきますと、「一国社会主義論批判」だけだったから問題を残したというより、その「一国社会主義論批判」がいかにも手薄だったとわたし思うのです。他方、「官僚的独裁主義が党と国家のすべてに貫かれた社会的・政治的体制」をスターリン主義の「本質」と考えてよいのかどうか。たしかにスターリン権力が作り上げた旧ソ連国家の特徴付けにはなるでしょうけれど、それだけで「本質」規定になるだろうかという疑問が残るのでございます。
これに関連して「ロシアマルクス主義」という言い方がございますね(たとえば吉本隆明さん)。たしかにレーニンやスターリンの政治思想や政策が、“遅れたロシア”の政治条件や社会風土に強く規定されていたことは間違いありません。それだけに、民主主義がそれなりに成熟した西欧や日本の運動でスターリン主義が蔓延したのはなぜだったのか、重たい問いになります。これはある種の普遍的な思想因子を考えねば理解できぬことと思うのでございます。
そういたしますと、「官僚的独裁主義が党と国家のすべてに貫かれた社会的・政治的体制」そのものに「本質」があるのというより、そのような体制を不可避に導くようなイデオロギーとして「スターリン主義」を把握することが必要と思います。この点で、『検証内ゲバ』第2章の「国家・党(癒着・一体化)中心の革命構想」という指摘は、きわめて重要と思われ、それだけに未展開がとても残念に思われました。ここは、断片的に触れられる「民主主義」問題を革命構想の筋道に位置付ける端緒となるはずのところ。ここでマルクスの「自立した生産者たちの協同社会」といった未来像を「オルタナティブ」として対置するだけでは、もうひとつのイデオロギーや党派性の提起に流れかねません。むしろ『再生への道』第4章でご紹介のイタリアの経験などの意味を踏まえた議論が必要ではないでしょうか。具体的な展開はまた別に書かせていただきたく存じます。
連合赤軍「軍の共産主義化」と黒田哲学「プロレタリア的人間」の親近性は疑う余地ございません。ただ、前者が後者の影響の産物とは考えにくく、自己運動的にそこへ達してしまったところに問題の根深さ・恐ろしさを感じる次第でございます。これまた未展開で申し訳ないのですが、スターリン主義の含む思想因子に関わって重要な点と考えております。
新左翼の「一国社会主義論」批判の浅薄さの問題も残りました。宿題とさせていただきたく存じます。
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旧所感派と第1次ブント 投稿者:すえいどん 投稿日: 1月14日(月)11時10分51秒
>さらに、所感派の影響と言うことでいえば、第1次ブント自体「所感派のゴリゴリだった
>奴が中心になったという感じ」(島成郎)で「当時は・・中国派という言葉はありません
>けれども、今考えてみると中国派みたいな」(島成郎)ものであったと思われます。
>ここはちょっと理解に苦しみますね。第1次ブント結成の中心は、全学連8回大会に象徴さる
>戦後学生運動「第2期黄金時代」を指導した国際派系の活動家だったのではございませんか?
> 当事者の島さ>んがこのようにおっしゃるとは....。典拠は『ブンド私記』でしょうか?
出典は「日本共産党史<私の証言>」(日本出版センター昭和45年刊)第三章全学連六・一事件。戦後学生運動「第2期黄金時代」を指導したのは国際派系とは単純にはいえないようです。むしろ旧所感派の方が力があったと思われます。なお、陶山健一の回想には「(生田浩二の)『所感派スタイル』とわれわれが呼んだこの実践性は、言い知れぬ倫理的力で活動家を引きつけていた。・・・彼はよく冗談に『銃殺だ』と引金をひくかっこうをしてみせた。腕をまっすぐのばし、時に左の指を耳の穴に入れる仕草は『所感派』の実感をみせつけるに十分だった」とあります(生田夫妻追悼113頁)。旧所感派的パトスが第1次ブントをつくるのに力があり、旧国際派はむしろ高野・安東のように党忠誠派として、ブント弾圧の尖兵になったのでは。
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RE:新左翼と共産党 投稿者:鬼薔薇 投稿日: 1月14日(月)08時42分45秒
>すえいどんさま コメントありがとうございました。以下、論点ごとの応答となります。
7回大会前後の日本共産党は、おそらく党史上に例をみない民主的な空気(党中央の統制が効かない状態)だったと存じます(全党あげての綱領論争にわざわざ特別の討論誌『団結と前進』が出されたり)。ですから“沈黙させられ”というのはいかがでしょう。ただ、「六全協ノイローゼ」は党内に根強く、「軍事路線」の責任者は行方不明、実行者たちの多くは党に残っても深く傷つき、意気消沈し、あるいは“青春を返せ”ふうの被害者意識に内向していたことと思います。「党の再生」を第一義に、暗い経験は墓場まで持っていくつもりの沈黙ももちろんあったことでしょう。その結果「まともな総括」よりも一方的な責任追及や、それに対する「前向きの建設的議論」要求の雰囲気が強かったことは事実でございましょう。「禁断」のトロツキズムが一部に新鮮な感じで受け入れられたのも、そんな空気の中でのことだったのではないでしょうか。
70年代新左翼について申しますと、各派に「50年」の経験者がほとんどいなくて「経験」の伝承がなされず、その結果無自覚・無意識に「所感派路線(および政治体質)への回帰」が進んだという面が大きいように思うのです。そして、無自覚・無意識に進んだことそのものが深刻と考えております。この点、革共同系には(インターも全国委員会両派も)経験ある幹部がまだしも残っておられたはずで、それだけにその後の事態が残念でございます。
>さらに、所感派の影響と言うことでいえば、第1次ブント自体「所感派のゴリゴリだった
>奴が中心になったという感じ」(島成郎)で「当時は・・中国派という言葉はありません
>けれども、今考えてみると中国派みたいな」(島成郎)ものであったと思われます。
ここはちょっと理解に苦しみますね。第1次ブント結成の中心は、全学連8回大会に象徴される戦後学生運動「第2期黄金時代」を指導した国際派系の活動家だったのではございませんか? 当事者の島さんがこのようにおっしゃるとは....。典拠は『ブンド私記』でしょうか?
>三里塚での北原派と中核派との連携にも、旧「所感派」人脈が働いていた、本多と北原が
>50年当時の所感派軍事組織で関係があったという話は初見です。典拠があればご教示く
>ださい。
申し訳ございません。ここはまったくの伝聞。旧所感派系の方と関東農民運動の関係者の話として伝え聞いたものですので、「典拠」と呼べる文献は確認しておりません(あるいはどこかに存在するかもわかりませんが)。50年当時に直接のご関係だったかどうかも含め(別々に「Y」関係だったお二人がたまたま三里塚で会われたということかも知れず)、前発言で断定的な言いかたを避けたゆえんでございます。本多さんすでにご他界の今、北原さんにお話うかがえたら一番よろしいのでしょうけど。
ただ、繰り返しになりますけれどわたしの主要な関心は、「所感派」的(と仮に言っておきますが)路線と体質が無意識・無自覚に新左翼の中に再生産されたことそのものの深刻さにございます。直接経験の伝承がむつかしい問題は、思想的に継承し総括する以外、道はないと思うのでございます。共産党からの「別党コース」選択から40数年、革共同第3次分裂からまもなく40年、赤軍派結成から30年、「殺し」の内ゲバが一般化してからも30年近く、という時間の重みは、日本の社会・経済と文化や生活様式の変転に重ね合わせてみますとき、おそろしい長さといわねばなりません。
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(無題) 投稿者:佐々田 格 投稿日: 1月14日(月)05時51分56秒
すみません。
眠くて、下の書き込み、途中で文体が変わっちゃいました。
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>鬼薔薇様 投稿者:佐々田 格 投稿日: 1月14日(月)05時47分45秒
確かに片山内閣は、戦後の占領下でしか出来なかった内閣でしょう。
第1党にはなったものの、議席数は140強。
自由党の大野幹事長は「民主党と連立する」とコメントしています。
また、当の西尾書記長でさえ「社会、自由、民主、国協(=共産以外)で、連立を組み、吉田首班で」と思っていたようです(これがポシャったのは、自由党が、共産容認の社会党左派を嫌ったため)。
また、結局、片山が首相になったのは、GHQ、特に民政局の意向が大きかったでしょう。これは、その後の芦田内閣の成立や、幻の山崎首班、民自党大勝が見込まれる解散→選挙の妨害を見れば分かります。
しかし、この一連の行動パターンを見てください。
民政局は、保守政党に政権を渡したくない一念で動いているではありませんか。
大体、彼らは、アメリカで左がかってるとレッテルを貼られ、日本に追いやられた側面があるのです。
だから、日本で「穏健な民主社会主義」を実現することに飢えていたはずです。
農地改革や、異例に高い相続税は、その表れでしょう。
さて、日本側はどうでしょう?
西尾官房長官は、労働者あがりの叩き上げ。
平野農相は、農民運動の闘士。
片山首相は、東京帝大出の弁護士というエリートだが、貧しい者のために、ボランティア同然で法律相談をやっていた。
このようなメンバーで内閣を \轤ホ、他の党派は「大衆諸団体」と考えられるわけで、他党派 のそれとは、「内ゲバ」の当事者たちとの位置関係についてきれいなコントラストをすでに示してございます。 v