四トロ同窓会二次会 2001年12月22日〜23日
まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」に掲載される場合もあります。
----------------------------------------------------------------------------
自衛武装の限界 投稿者:すえいどん 投稿日:12月23日(日)19時36分04秒
他党派の事務所やメンバーなどを襲撃しその組織自体を「暴力的に解体する」ことが「善」であると公言したのは、おそらく革マル派が最初だったのだろうと思います。内ゲバ「革マル派起動力」説が、一定の支持を得ている所以でしょう。内ゲバに反対することは自らの武装防衛を否定することではないことは自明ではあるけれども、しかし、その軍事行動が「防衛」か「攻撃」かが第三者からはわからないこともしばしばです(敵の本拠を叩くことも防衛という米帝の論理もあります)。論理として「内ゲバ」を肯定することは、いま、誰もなしえないことは明らかですが、ではその内ゲバ否定の「正論」が、力を持ちうるかは、また別のことのような気がします。正直言えば、今なお、革マル派に対する「ジハード」を否定する気分にはなれません。
----------------------------------------------------------------------------
海上保安庁警備艇による不明船撃沈糾弾! 投稿者:まっぺん 投稿日:12月23日(日)19時22分13秒
海上保安庁の銃撃はひどいねー!
現場は「領海」ではなく公海上であり、一般的には軍事行動などできないはずです。
ただ「排他的漁業区域」ということで、日本だけが優先的に漁業をできる場所なので
「密漁をおこなっている」と疑う理由がある場合には臨検などする事ができる。
しかし、巡視艇側では「漁船のはずなのに漁網がみえないのがおかしい」
という事で追跡をおこなっているわけで、
これは自ら「密漁なんてやってない」事をはっきり認識しているわけです。
だから海上保安庁による「不明船」に対する軍事行動は明らかに「行き過ぎ」であり、
極めて政治的な意図にもとづく凶暴な違法行為と断定されます。
したがって、むしろ海上保安庁の行為は「不明船」が「北朝鮮」のものである事をわかっていて
意図的に挑発したものと思われます。アフガン派兵に続いて、「有事の危険」をアピールし
国防意識を国民に植え付けようとする危険なたくらみを糾弾しよう!
※もしも北朝鮮側からの抗議があった場合、日本はどう弁明するんでしょう?
----------------------------------------------------------------------------
自衛武装は当然です。 投稿者:まっぺん 投稿日:12月23日(日)18時38分41秒
わたしがJCYに在籍中、組織的「内ゲバ」襲撃を2度受けています。
ひとつは東北大学における解放派からの襲撃。
もうひとつは革マル派からの襲撃です。両方とも武装防衛をしていました。
解放派に対しては完全撃退しましたが
革マル派は芝浦工大周辺で警備をしていた学生を襲撃して退散しました。
ほかにも、個人的なテロによって瀕死の重傷を負わされ、
新時代社周辺に車で運ばれて置き去りにされた例があると聞いています。
「内ゲバ」は自衛武装とは言えません。他党派の事務所やメンバーなどを襲撃し
その組織自体を「暴力的に解体する」ことです。内ゲバ主義者はいずれもその事を機関紙で公言しています。
内ゲバに反対することは自らの武装防衛を否定することではありません。
相手が「左翼党派」であろうと、こちらを襲撃してくる者には自衛武装するのはあたりまえです。
そこのところを理解できなかった東北解放派は「おまえら内ゲバ反対じゃなかったのかよ!」と言ったそうです。
----------------------------------------------------------------------------
外ゲバに対しては正当防衛 投稿者:すえいどん 投稿日:12月23日(日)18時13分22秒
>そこでこれは仮定のはなしなんですけど、第四インターという党派がある特定の右翼団体から執拗なテロルを受けて組織の危機を迎えるとしますよね。もちろん警察も見て見ぬふり。反テロルの大衆運動を組織してもその右翼団体がそもそも大衆になど全く依拠しておらず、効果がない。となってしまったら、白色テロルから組織をまもるために彼らはどうするのだろう。単純な疑問です。
当然の疑問と思います。それはもう正当防衛の問題では、つまり実力行使は許される(そこで、かの悪名高き日本共産党の「正当防衛権行使」論のどこが間違いなのかということにはなりますが)。現行刑法も、これを違法とはしえないのでは(凶器準備集合にはなるようですが)。政治の問題としていえば、うろ覚えですが、毛沢東の限定戦争3原則と言うのがあって@軍事力の行使は防衛の必要の限度で最小限にA常に道義性を確保するB必ず妥協の道を探る、というものではなかったかと・・・
----------------------------------------------------------------------------
25日の件、繰り返しで恐縮ですがよろしく。 投稿者:黒パン 投稿日:12月23日(日)10時45分25秒
今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭上映作品 「アナキスト ドゥルーティ」<監督ジャン・ルイ・コモッリ>を上映し、映画の原案者、アベル・パスと交流する会です。
まっぺんさんデザインの「ドゥルーティTシャツ」も、まっぺんさんが「販売」に来ます。
頒価2000円ということです。生地は上質。
12月25日火曜日 午後6時
会場 世田谷文化生活情報センター 世田谷区太子堂 4-1-1 キャロット・タワー5階 駅真上の高いビルです。世田谷線三軒茶屋駅より徒歩0分。田園都市線三軒茶屋駅より徒歩3分。「セミナールームA・B」 非営利会員制・一般会費 1000円
アベル・パスは現在80歳。バルセロ−ナ在住。≪アベル・パスは1921年にアンダルシア東部のアルメリアの貧しい日雇い農の家に生まれ、バルセローナに育った。32年から35年にかけて、バルセローナのクロット地区にあった、フランシスコ・フェレールの流れを汲む合理主義の学校「ナトゥラ(自然)」に学ぶ。紡績工場の見習いとなった35年に、14歳でCNTと「リバタリアン青年団」に加入。若いリバタリアンにとって、36年7月に始まった内戦は、後の人生を大きく左右した決定的な体験だった。フランコ軍がカタルーニャを制圧する直前の39年1月、多くの同胞に混じって辛くもフランスへ脱出する。難民収容所へ。42年スペイン国内のリバタリアン運動への合流を決意し密かにピレネーを越えたが、同年末にバルセローナで逮捕され、以後のおよそ10年間をフランコ体制下の獄中に失った。53年に出獄を認められると再びフランス亡命に活路を求める。 「アナキスト ドゥルテーィ」<監督ジャン・ルイ・コモッリ>も、プロレタリアの衿持を感じさせる出来栄えに仕上がっていた。この映画はパスの『ドゥルーティ』伝をかなり自由に脚色した内容で、実写も織りまぜながら、バルセローナのある演劇集団が、残されたささやかな遺品や断片的な生前の発言を手がかりにペペ・ブエナベントゥーラの実像を求めてのたうつさまをそっくりカメラに収めた野心作。パス自身、いくぶん緊張の面持ちで登場する。≫渡辺雅哉 『スペイン革命のなかの ドゥルーティ』より
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/ABEL%20PAZ1.html
アベル・パスへのインタビュー
http://mypage.naver.co.jp/durruti/movie2001D25/info.html
情宣のためのサイト
----------------------------------------------------------------------------
鬼薔薇 さん、雑駁に展開しているところわもう少し説明してもらえます。 投稿者:黒パン 投稿日:12月23日(日)10時42分52秒
小西さん他が書かれた、本そのものはまだ読んでいないので意見はさし控えていましたが、
鬼薔薇さんの本論ではないのですが、註あるいは補足的な形で触れられている点で気にかかることがあるので、一言。
<※戦前アナ系の爆弾テロ戦術はむしろ右翼系「一人一殺」型と心理的
親近性をもつのかと思われます。「東アジア反日武装戦線」グループの行
動も、どちらかといえばこの系譜に属しましょう。革命闘争の戦術として
選ばれるこの種の「テロ」を「内ゲバ」と重ねることはできぬと存じます。>
特に<※戦前アナ系の爆弾テロ戦術>というのは具体的にどのようなケ−スを念頭に置いているのですか?>
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/A.html
私がまとめた、クロニクルがありますので指摘して頂ければ判りやすいのですが。
もう一点<「東アジア反日武装戦線」グループの行動も>という形で一括りにするのは、少し乱暴すぎませんか。
「狼」部隊の死者を出した三菱重工ビル前で爆弾の設置は、主観的には「予告電話」をして避難時間を「考慮」していたプロセスがあります。ある時機のIRA的なスタイル。
「さそり」グループは怪我人を出さないという戦術で徹底していたと思います。
爆発物を使った「革命」闘争を実行する際に決して、死者が出る可能性というものに無頓着ではなかったはずです。
以上が、説明をしてもらえたらと思う点です。
以下は、「内ゲバ」に関して、これまで触れられていないケース
1930年代日帝の治安維持法下での非合法グループ、組織内でのスパイ規定しての「同志」殺しは日共だけの問題ではありません。
アナキズムの組織ではないという考え方もありますが、「無政府共産党」というアナキズムの運動内から結成された組織で一人をスパイ規定してピストルで射殺しています。
アナ・ボル論争の過程では各戦線で殴打・重傷というケースは双方から行使されたと思います。
対権力関係で双方は資料・文献としては残していないでしょうが。「外」ゲバになるのかな。
著名アナキストト系詩人がボルに「転向」した際には、ステッキで襲われて重傷を
負っているのは、エピソードとして残されています。
1970年代の内ゲバの問題は労線にまで波及し、印刷体制・党「官僚」と行き着きましたが何人かの方が指摘しているように本質は大学「自治」をめぐる利権が発端なのは確かです。
<当事者は主観的に革命的自治会運動と言いくるめるしかないでしょうが>
それは、以前にも別板にも書きましたが、「内ゲバ」党派だけではなく、非党派小数グループが自治会権力を把握した場合にも維持するため、規模の違いと死に至らないだけで暴力行為が不可欠な手段として存在していると思います。
----------------------------------------------------------------------------
外ゲバは? 投稿者:ロック・ザ・カスバ 投稿日:12月23日(日)04時28分26秒
中核派は革マル派のことを「ファシスト」と規定しており、
革マル派は中核派のことを「スパイ集団」と規定している。
したがって、「内ゲバ反対」なんてことをいくら唱えても彼らの耳に届くことはない。
彼らはそもそも「内ゲバ」ではなく「反革命とのたたかい」として確信もってやってるんだし。
そこでこれは仮定のはなしなんですけど、
第四インターという党派がある特定の右翼団体から執拗なテロルを受けて組織の危機を迎えるとしますよね。
もちろん警察も見て見ぬふり。反テロルの大衆運動を組織してもその右翼団体がそもそも大衆になど全く依拠しておらず、効果がない。
となってしまったら、白色テロルから組織をまもるために彼らはどうするのだろう。
単純な疑問です。
----------------------------------------------------------------------------
内ゲバの議論の追加 投稿者:小西 まこと 投稿日:12月23日(日)00時38分32秒
御無沙汰です。しばらくのうちに議論が様々な方向に錯綜
しているようなので簡単な問題提起だけしておきたいと思い
ます。
(1)いずみさんの「検証 内ゲバ」は、内ゲバの日本的原因を
明快に解明していない、と言う点について。
僕の論文では、この点を解明することに全力を挙げたのですが、
まだ不十分ですか。その不十分な点について御意見をいただければ。
小論では、まとめると内ゲバは、スターリン主義の「唯一前衛党論」
を媒介にした「党と国家を貫く官僚的独裁主義・中央集権主義」思想
を背景にしている。そしてその日本独特の思想とその発生は、革命党
をプロレタリア人間の論理ーコミューンの萌芽論で形成しようとする
黒田組織論・党派闘争論にある、しています。
プロ人間つまり黒田の言う「共産主義的人間」なるものを基礎とした
道徳主義的・一枚岩的同質集団が、コミューンの萌芽と言うのですから
その前衛党の「絶対性・唯一性」は徹底して純化するということになり
ます。
さらに、この「唯一前衛党論」「プロ人間論」の思想は、レーニン、
さらにはマルクスの民主主義論・人権論の誤りや不十分性を引き継いで
いる、としています。
ここでは黒田の党派闘争論は繰り返しませんが、内ゲバの発生史的根
源は、30年代ー50年代から引き継ぐ日本共産党の内ゲバにあるとし
ても、学生運動内でその「利権」をめぐる争いから始まった、としてい
ます。
この黒田組織論については、中核派の場合、黒田「組織現実論」につ
いては批判していても、この核心点について全く批判したことはあり
ません。ということは、黒田的に理論化していなくてもそれを相当実際
には引きずっているわけです。ー現実的には同質に近い!といえます。
(2)まっぺんさんの以下の論について
「(1)内ゲバと強姦とは共通点をもつ
同感です。社会批評社刊『検証・内ゲバ』の生田あい氏の体験を
読めば、組織のモラルの腐敗 と いう点では同じであり、
内ゲバ党派は往々にして女性差別的でもありました。
また、第四インター(日本支部)がこれを克服できず、
むしろ官僚主義的に対応した事実は内ゲバと同じ重みを
もって受け止めなければなりません。」
「検証 内ゲバ」で生田さんは、まっぺんさんと同じような
提起の仕方をしているのですが、僕はこの論については、生田
さんに対しては、相当批判しました。というのは、この議論は、
生田さんの「ブント体験だけ」に基づいて書いているからです。
確かにモラルとしては同様にとらえられると思いますが、事実と
しては中核派・解放派については、女性差別・問題を克服してい
ないとしても、以前まっぺんさんの指摘されたとおり「血債主義
的」にとらえています。また、このような事件は、彼らの内部で
はほとんど起こっていないと思います(ゼロかどうかは別です)。
恐らく、中核派・解放派が血債主義的に70年代前半から女性差別
批判を始めたのに対して、ブント諸派は当時の「大衆運動」とは別
の位置にいたのではないでしようか?
この点は詳論は別の機会にしますが、内ゲバと「強姦問題」は、
モラルの問題としては同様ですが、もっと別のベクトルで考える
必要があると思います。
以上、簡単ですが。また。
いろいろな意見をお聞かせ下さい。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm
----------------------------------------------------------------------------
国労稚内闘争団 投稿者:アラブ復興車界党 投稿日:12月23日(日)00時01分35秒
引き続き、各種一夜干し(冷凍保存可、クール宅急便で発送されます。)も従来どおり売ってますが、するめ・昆布と乾物も売っています。(こちらのほうが保存に手間取らないし、するめは調理も不用。) 下記のページに写真が出ています。(ただし、新社のサイトで申しこみも新社経由の体裁になっていますので闘争団に直接申しこめるように住所と電話番号を書いておきます。)
〒097−0001 稚内市末広2丁目1−22 国労稚内闘争団(ユーズ・カンパニー)
TEL. 0162−24−2964
http://www.oak.dti.ne.jp/~ibaraki/kurasi-info.html
----------------------------------------------------------------------------
内ゲバと「強姦事件」 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月22日(土)22時53分51秒
これで終りといたします。
三里塚における「強姦(未遂)事件」とその波及について、このサイトで知りました。それを「内ゲバ」と同列に位置付けるお考えもここで複数拝見しました。でも、「内ゲバ」は党派観念の極端な発露でしょう。仲間内での「強姦」というのは、それとは逆に党派観念の弛緩から生まれた行為ではなかったのでしょうか?
「社会」に対して「絶対的」に対立する革命的存在、という自己意識は、ある種の強いストイシズムを生み出し構成員に「規律」として強制いたします。それはかなり不自然で無理なものなのですが、その不自然さや無理そのものが心理的な緊張を呼び起こし、「党派性」の心理を支えます。でも同時に、この不自然さや無理はどこかに「弱さ」の核を形成いたします。戦前日本共産党の「転向」というのは、これまた日本に独特のものと鶴見俊輔さんがどこかでご指摘でしたが(『近代日本の精神構造』でしたか)、この弱さの核に当たるところを権力に突かれたものだったように思います。そこを突かれれば脆くも崩れてしまうような弱さを、日本の共産主義運動の「党派性」は抱えていたのだと思います。
戦前の「転向」というのは権力との組織関係ですから、党派観念の弛緩は黒か白かに切り分けられますが、運動のなかで起こる党派意識の部分的な弛緩は、組織や運動という建前のなかに埋もれ包まれ赦され隠されてしまうこともありましょう。しかし、党派観念の弛緩としては同じ論理で捉えられようかと存じます。
党派観念の極度の緊張に支えられるはずの「内ゲバ」という組織行為と、党派観念の弛緩から生じる個々的な規律破綻としての「強姦」とを同列に扱うとしたら、それは「暴力」という抽象概念を持ち込む以外にございません。そこからすれば、「内ゲバ」に対しては「暴力反対」という言葉を対置できるだけでしょう。でも、「暴力はよくない」という抽象的な倫理テーゼで「内ゲバ」がなくなるでしょうか? そもそも「内ゲバ」がなぜ・どこから・どのように現れたか、その理由を抉り出せるでしょうか?
「強姦」もまた、ことの善悪をいうのなら「よくない」に決まっておりましょう。では、そのような「よくない」ことがなぜ・どこからどうして生じたか、その理由を「差別観念」や「差別体質」などに求めるのは問題のすり替えのようにわたしには感じられます。そのようにすり替えてしまえば、後は「差別体質を持った自己」を観念的に否定してみせるほかございません。けれどもそのような「自己否定」が、問題の解明・回答と受け取られるとは考えにくいものがございます。第四インター内でも女性グループに納得されなかったとのこと、その理由の少なくとも一部はここにあったのではないかと、組織内事情に疎いままながら推察しております(納得されなかった理由がこれだけとも、またこれが主とも思いませんけれど)。
“あってはならないしありえない”と考えられ信じられていた「強姦事件」という事態が現実に生じたことの衝撃から発生した組織内の混迷は、察してあまりあるものがございます。わたしもまた当事者であったならどのように対処したのか、できたのか判りません。指導部の「官僚的対応」も、“どうしていいか判らない”事態を映していたのではないかと思います。「腐敗」「堕落」「差別」などなどの言葉は、ひとつひとつ正しいにはちがいないとも思います。でも、そこから「内ゲバ」の表象する暴力と「強姦」の暴力とを同列に置くのは、やはりある種の判断停止と申し上げねばならぬ気がいたしました。「組織規律の弛緩」だとすれば、その弛緩の論理と道筋をこそ、きちんと跡づけてみる作業が要るのではないでしょうか?
余所者の勝手な言い方とお叱りこうむること覚悟の上、あえて書かせていただきました。失礼や無理解の段、ご批判はいかようにも受ける心算でございます。
----------------------------------------------------------------------------
内ゲバと対「大衆」関係 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月22日(土)22時37分45秒
「○○派」という集団形成のうちに「党」と「大衆」をセットでくくり込んだのは、日本の新左翼「党派」の特徴的な組織形成でございました。「党」とはもともと意志した個々人がそれぞれの思想にもとづいて結集する私的な集団、それに対して「大衆」というのは社会的存在でございます。学生自治会にせよ労働組合にせよ、一般に「大衆組織」というのは、ある社会的規定を根拠に形成される「公的」な存在です。そのなかで各「党」は、「指導性」を競い、大衆の側からの「選択」に晒されて決定されるはずのものです。「党派」というのはこの「大衆」を分断し、「党」との関係を閉ざし、「選択」の自由を奪って成り立ったといってよろしいかと存じます。結果、「党」は大衆からの選択に直面して他「党」と競合し、切磋琢磨して自らを鍛える契機を直接には持ち得ぬこととなりました。
むろん社会が危機的状況にある状況では、「大衆」自身がイデオロギー的な分解を遂げることは必然と申すべく、大衆組織そのものが左派系や右派系に分解することも、その間で物理的な衝突を生むことさえ、別に不思議ではありません。けれどもそれは、大衆組織自身の利害と価値と意義を賭けた分裂と抗争であって、「党」組織相互の(路線や理論をめぐる)対立とは質を異にするはずでございます。
この観点から見ますと、新左翼諸党派の「党」というのは、私的に囲い込んだ自派「大衆」に依存し、それから自立しきれなかったとも評せましょう。かつて大私学の自治会が党派別の群雄割拠状態にあったとき、諸派はそれぞれ支配する自治会の財政に依存し、党派利害はその経済基盤の利害でもございました。党財政を大衆組織に異存せず、党員の拠出や機関誌の売上げなど自前で財政を維持してきた点、日本共産党が新左翼より勝っていた点のひとつかもしれません。
とはいえ日本共産党こそ、「党」と「大衆」を私的に囲い込んできた思想的・政治的な源流なのでした。そして「新左翼」諸派はこの日本共産党の負の遺産を清算する独自の努力を組織することに失敗いたしました。そのような努力の必要さえ自覚せずにきたところも少なくないと存じます。「スターリン主義反対」を綱領的スローガンに掲げればそれだけで共産党の母斑を拭い去れると思ったとしたら、それは革命運動とその思想が遺した負の遺産に対する、大いなる過小評価というべきでございましょう。それはまた、現実の日本共産党の存在を、その行動や政策の実相で判断するのではなく、「スターリン主義」というレッテル貼りですませてしまう傾向にもつながっていたかと存じます。
「内ゲバ」問題にはいろいろな角度から接近できようかと思いますが、革命思想の問題としえては、社会、大衆、国家に対する関係意識の質という面で検討を要するように思います。特に対「大衆」(あるいは社会階級)関係における自己規定は、革命の主体をどう捉えるかという点でその政治的成熟度が計られる点であり、なにより大事な問題かと思うのでございます。
----------------------------------------------------------------------------
内ゲバと対権力意識(修正再掲) 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月22日(土)22時20分01秒
続きでございます。
ひとたびこの「絶対性」の立場に立つとき、日常的世界を引きずることはすべて「堕落」とみなされます(その戯画的な事例が連合赤軍内部での「化粧」問題など)。「人民」や「大衆」が強調されればされるほど、それらは現実に生き、暮らす人々の実像ではなく、「立場」のなかで造形された理念的存在(黒田哲学の「プロレタリア的人間」とか)になってまいります。
この「絶対性」の感覚の緊張度を支えとして成り立つ「革命」思想というのは、特殊日本的なものというより、普遍的なものと存じます。同時にその現れ方や成り立ち、またその克服の道筋は、各国社会ごとにちがった条件を背景としてちがった経路をもっておりましょう。その意味で、「日本に特に顕著に見られた」事実に注目する意義は小さくないとわたし思います。
「内ゲバ」は、対権力の関係意識を抜きに考えることはできません。中核派と革マル派のあいだで「KK連合」とか「権力の謀略」とかの位置付けがなされたのも(「事実」はともかく)ゆえなきことではないはずでしょうし、日本共産党の内部粛清もまた、「分派」は「利敵行為」〜「スパイ」と連動して考えられておりました。それは、革命集団がもつ「外部世界」との関係意識の質を映し出しておりましょう。左翼政治集団同士の抗争をクザ組織のそれと区別して扱わねばならぬ理由はそこにあり、その点を抑えなければ「克服」への道筋は見出しがたいと考える次第でございます。
この対権力関係の意識の問題を脇においたままでは、「(プロレタリア)民主主義」の強調や「大衆への信頼を傷つけた」点の批判も内在的批判とは言えず、したがって「無力」なのもまたこの点にかかわっておろうかと考える次第でございます。
対権力の関係意識というのは、組織(「党」)が持つ対社会関係意識の集約されたものといってよろしいかと存じます。それは、何より「大衆」との関係をどのように作り上げているか、作り上げようとしているかという面で点検を要するはずの問題とわたし考えております(「加入戦術」の問題もまたこの観点から検討されていればと思ったのですが)。
まだ続きます。
----------------------------------------------------------------------------
内ゲバの社会学 投稿者:鬼薔薇 投稿日:12月22日(土)21時55分28秒
>いずみさま
横からで恐縮でございますが、次のところに関わって少々口出しお許し下さいませ。
>4)全般に言えることですが、「内ゲバ」が日本に顕著に見られた傾向だ、としているにも
>かかわらず、じゃ、なぜそうなのか?ということについては、どの文章も明快な説を提出
>していません。これは、ある意味この本にいちばん期待していた部分でもあります。非常
>に残念でしたねぇ、正直…
革命集団が意見を異にする者の並存を許容せず、肉体的な抹殺さえ正当な行為として公然と主張するのは、戦前以来の日本共産党の体質に属します。かつては党の組織内部で閉鎖的に陰湿に行なわれておりました「分派粛清」が、「別党コース」を選択する集団が登場して「外部化」されたものが左翼集団の「内ゲバ」とわたし捉えております。その意味では、自称「革命的左翼」の諸集団は、体質としては日本共産党の分派〜支族にすぎぬこととなります。これは「路線」や「理論」などに先立つ「組織体質」の問題であり、そして「組織体質」問題は「社会学的領域」に属しましょう。「明快な説」が提出されないのは、それに必要な理論的・思想的条件を欠いている結果でございましょう。それはわたし決して他人事とは思いません。
ソ連や中国の共産党の「粛清」を考えれば、スターリン主義的体質を新左翼も引きずってきたという説明もできましょう。そうした普遍的な理由付けも正当で必要かとは思います。
けれども、ご指摘にあるように「日本に顕著に見られた」点に注目するなら、特に日本の革命思想に固有の問題に視線を向ける必要もまたございましょう。「内ゲバ」を「革命」に関わるテロ行為としてみますと、「左翼」や「共産主義」に限定するわけにもまいりません。さかのぼればどうも日本近代の原点たる明治維新に行きつくように思います。維新の志士たちは、仲間同士で白刃を抜き合わせ多くの血を流しました。日本共産党の出自に、維新の「脱藩浪士」の思想体質が引き継がれていたように思われてなりません。
ここで「革命」をめざす主体の側の思想の質が問題となります。維新の志士たちを規定していた「脱藩」という思想と、戦前講座派マルクス主義の綱領的認識(天皇制権力規定)とを通底するものがあると思うのでございます。ひとことで申せば、日常的世界から自己を遮断して初めて獲得される「主体」意識ということになりましょうか。「藩」という日常世界から身をもぎ離して初めて「維新回天の偉業」という立場を獲得した志士たち、世界世界のこまごました対立ではなく、「天皇制絶対権力」と直接に対峙する革命的位置を確定した戦前講座派マルクス主義、いずれも固有の思想的緊張と「絶対性」の地平を確保したことと思います。そしてこの「絶対性」の意識こそ、他者の併存を許容しない体質の根拠となったのではないでしょうか。「唯一の前衛党」というのは、まさにその存在の「絶対性」を指示しておりましょう。これに対していくら「独善性」を指摘してみたところで、この「絶対性」の根拠を撃たぬかぎり外在的な批判にしかならず、そこから克服の道を開くことはできぬかと思います。
※戦前アナ系の爆弾テロ戦術はむしろ右翼系「一人一殺」型と心理的親近性をもつのかと思われます。「東アジア反日武装戦線」グループの行動も、どちらかといえばこの系譜に属しましょう。革命闘争の戦術として選ばれるこの種の「テロ」を「内ゲバ」と重ねることはできぬと存じます。
※※「内ゲバ」と組織内の「強姦事件」とを同じ範疇で捉えようとするご意見が複数出されているのには驚きました。これにつきましては、後に触れるつもりでおります。
----------------------------------------------------------------------------
学生が学生を殺した? 投稿者:すえいどん 投稿日:12月22日(土)21時52分25秒
村岡到「連帯社会主義への政治理論」(五月書房2001年7月)というのを読みました。その中の「私のトロツキズム体験」は第四インターのなかでの自分の分派闘争の話で、それはそれでいいのですが、その末尾(219頁)に67年10・8羽田闘争についての唖然とする記述があります。学生が奪取して運転していた警備車にひかれて学生が死んだというのです。「警察の側に立てば、学生が1人死ぬことよりも、警備車を奪い取られた事実の公認とその責任のほうが意味が大きいから(1人逮捕したが)立件しなかったのではないであろうか」とあるのです。そんなのありかという趣旨不明の解説ですが、それよりも事実としても、奪取した警備車を、阻止線の警備車に何度も体当たりさせていても、そこで学生が轢かれるような状況は全く無く、当時の「轢殺」説が責任回避のための権力のキャンペーンであったというのは自明のことと思っていたのですが、こんなところで、甦っているなんて・・・
----------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月22日(土)20時28分34秒
んだから「内ゲバ党派」は自覚的にやっているわけです。その自覚とは運動の妨げと批判されることです。ただ、「反革命」をそのまま運動圏に残すことと、「内ゲバ」により運動が妨げられることを秤にかけて「反革命」を殲滅するほうが重要だと選択したと理解しないと、単に運動破壊を目的にして始めたみたいになっちゃうでしょ?
そうだとしたら「内ゲバ党派」は運動破壊者で、左派のカテゴリー外に位置付けられ,4トロなどが憂慮する必要はないとおもいますが??単に運動破壊者は出て行け!といえば済む話ですから。
----------------------------------------------------------------------------
では言い直しましょう\(^o^)/ 投稿者:まっぺん 投稿日:12月22日(土)19時41分37秒
内ゲバ党派は自分の犯罪について自覚していないが、四トロは自覚している。
それからトロツキーの行為(とりわけクロンシュタット弾圧)については今でも議論があるところで、全面的に擁護する声もあるが、あやまりであったとする意見もあります。また当時の地理的状況から、クロンシュタットが反革命軍に利用される危険性も考慮しつつ議論するのでなければそのような言い方はできないと思います。そのあたりの議論は2年前に「トロスキスト」さんとおこなったと思いますが?また「トロツキーの行為だから全面的に正しい」と言っているわけではありません。
「共同行動の原則」が「売名行為」かどうかは、もう一度よく読んでください。
なぜ、中核派を糾弾する声明に358人もの人々が名を連ねたのでしょうか?
ほんの一部を紹介すると、
青地震、いいだもも、石坂啓、上坂喜美、内田雅敏、鎌田慧、北沢洋子、高木仁三郎、富山妙子、中山千夏、新島淳良、竹内芳郎、田島義夫、針生一郎、もののべながおき、山川暁夫、山口武秀、吉岡忍、吉川勇一、吉武輝子、真継伸彦、そのほか婦人民主クラブ、ウニタ書舗、ゼネラル石油労組、パルク、シェル石油労組、統一労働者党、反戦市民社、人民新聞社、などの労組や団体、党派の要職にある人々の名前も連なっています。これらの人々は「四トロの売名行為」に手を貸しているんでしょうか?
ついでに『検証・内ゲバ』への「せみまる反論」も読みなおしてほしいと思います。はたして「自分の意見だけ」なのかどうか。
----------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月22日(土)18時58分23秒
>まっぺんさん
>内ゲバ党派は自分たちの内ゲバを今でも「正当なもの」と主張し、対立党派の暴力的解体をいま
>でも方針としています
これは誰かサンが先にいっていたことだが,内ゲバ党派(これは不適切な用語だと思うがとりあえずココでは使う)は敵対党派だからということで暴力、解体を認めているわけではなく,反革命だからということなんで彼らの立場では内ゲバではなく外ゲバなんですよ。つまりトロツキー創設の赤軍がエスエルやメンシェビキ、アナを鎮圧したようなものと考えていると観たほうがよさそうです。でもそれを是とするかは議論が分かれますし,反革命規定したもの以外への暴力もあり脱線しまくりなわけで、わたしは是とすることはできません。
ただし、運動の破壊者とどう対峙するか?これに前衛という立場から批判覚悟で「○○殲滅」と決意したものであれば、歯止めを掛ける術はないと思いますよ。
例は悪いが人殺しだって,大抵はそれが犯罪と知ってやるわけで,それを「それは犯罪だから止めろ!」といっても無駄だし,飛び降り自殺する人に「そんなことしたら死んじゃうョ」といっても無駄なわけですしね。
だから、運動の妨げだと批判しても無駄ですよ。それでも妨げを取り除こうというのであれば,組織を賭けて割って入るくらいの決意しなきゃ。相手(対峙する両者)を理解せず、口先だけで暴走を止めようなんて言うのは政治に限らずどこだってうまく行きません。まして一方だけの意見を信じるなどはもってのほか。それゆえ私は以前「共同行動の原則」は4トロの売名行為とも取れるといったわけです。それはいい過ぎかもしれないが、自分とこの意見だけ言ってりゃいいなら政治なんて楽な家業ですよ。政治とはそういうもんなんでしょうかね?というのが根源的な疑問です。
少しずれますが、スウェーデンあたりにある「平和学」という国際的紛争の調停者を育てる機関があります。革命派(藁)にとってはブルジョア体制の無花果の葉でしかないでしょうが、そこ関係の本がアルクから出ています。仲裁する時の心得がよくまとまっていて仕事や組合活動、それから自分の失敗の尻拭い(^^;)といろんなところで役立っています。今手元になくタイトルが思い出せません。本が見つかったら後日にでも紹介します。
----------------------------------------------------------------------------
名称は変えない方が 投稿者:すえいどん 投稿日:12月22日(土)17時49分30秒
きっかけつくっておいていうのも、なんなんですが、由緒ある名称は残された方がよいのではと思います。
情報交換と意見交換の微妙な差を「しきい」と思ったので、名称の問題ではないと思っています。
ご迷惑のかけついでで、今後はすこし投稿(書き込みと言うべきなのでしょうか、当方初心者なもので〉させて頂きます。よろしくお願いいたします。
----------------------------------------------------------------------------
ザーカイさんへ 投稿者:まっぺん 投稿日:12月22日(土)14時09分26秒
「核心をつく」ご意見、ありがとうございます。三点についてレスします。
(1)内ゲバと強姦とは共通点をもつ
同感です。社会批評社刊『検証・内ゲバ』の生田あい氏の体験を読めば、組織のモラルの腐敗という点では同じであり、内ゲバ党派は往々にして女性差別的でもありました。また、第四インター(日本支部)がこれを克服できず、むしろ官僚主義的に対応した事実は内ゲバと同じ重みをもって受け止めなければなりません。
(2)しかし、内ゲバ党派と第四インターとは決定的にちがう
内ゲバ党派は自分たちの内ゲバを今でも「正当なもの」と主張し、対立党派の暴力的解体をいまでも方針としています。革マル派は機関紙の中央見開き2ページに「ブクロ派解体」をかかげ、解放派は機関紙トップ見出しに「木元派粉砕」を掲げています。しかし、第四インター派は「女性差別」を組織の方針として掲げたこともないし、当時の対応についても組織的自己批判を明らかにしています。
(3)旧第4インター日本支部人脈以外から日本支部を!
おお!いーですね〜(^^) わたしも実はそういう 磨Aそれ自体がより広い時空間での検証に強制的にかけられることを絶対前提とした上で「行動の拡散の抑止」というものは必要不可欠だと考えています(共産主義者的な民主集中制は、それを机上の空論的に実装し スターンやそのマニにおける戦術 Trotsky/29/syohyou.html
陳独秀に対す 驍ウによれば、コムスンは「介護」の美名にかくれて相当ひど
い事をやっているようですね。
社会保険行政が破綻の危機に瀕 +ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP