四トロ同窓会二次会 2001年11月11日〜15日
まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」に掲載される場合もあります。
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その昔… 投稿者:イレギュラーず 投稿日:11月15日(木)22時34分14秒
むか〜し、むか〜しあったずもな
北方領土はアイヌのもの、旧JRCL機関紙「世界革命」で75〜76年頃いっていましたね。たった一回だったと思いますが。そんな世代です。樺太か千島アイヌかは主張していなかったでしたが。
ところで、インター系の学生では当時解放研・朝鮮史研というのがあったと思いますが、山辺健太郎氏の「日本統治下の朝鮮」(岩波新書)は、私のところでは必読文献でした。所有関係が明確でない当時の朝鮮で、これを理由に土地の強奪が日本によって行われたという記述が印象的でした。
しかし領有問題は、むずかしい。黒パンさんのように思うところもあるし…
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独島のアシカ 投稿者:アラブ復興車界党 投稿日:11月15日(木)21時33分38秒
戦前、アシカを取っていた人もいたようです。 (もう、ずいぶん昔独島が日本領である主張をするために、そこでのアシカ狩の写真を「証拠」として新聞社に提供した人がいて、結構大きく載ったのを見た記憶があります。)
さて、本題はといえば、もし現在でも野生のアシカがいるのであれば、とても貴重なものです。
明治までは日本近海にもアシカ(ニホンアシカ)がたくさんいました。(千葉県のアシカ島はその名残。 江戸中期には瀬戸内海にもいたようです。) 日本海側では比較的生き残っていましたが、日本領海内での確実な記録は1950年頃が最後のようで、日本の学会も絶滅宣言(つまりニホンオオカミと同じ扱い)をしているようです。 もし、独島にアシカがいるのであれば、それと同種の可能性がとても高く生物学的に大変貴重です。
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板違いを承知で投稿いたします。 投稿者:北(仙台) 投稿日:11月15日(木)17時36分59秒
「私達の仲間を殺すな!」(パレスチナの皆さん。キャッチぱくってごめんなさい)
公明党の横やりで「ホームレス自立支援法」の成立が危ぶまれています。
公明党に抗議のメールまたはファックスをお願い致します。
以下http://www.tokyohomeless.com/body2-29.htmlより転載です。
ホームレス自立支援法をめぐる民主、自民の協議は公明党のよこしまな態度で中断。臨時国会制定への動きが急きょピンチへ。この情勢を受け、全都第四次キャンペーンは「法案を政争の具にするな!」と12日より公明党本部のある信濃町頭情宣を開始。そして、16日に釜が崎反失業連絡会の仲間と共に緊急の全国国会行動を行なう事を決定しました。以下、16日の呼びかけ文。
「ホームレス自立支援法」を臨時国会で制定しろ!
11・16 全国緊急国会行動の呼びかけ
「ホームレス自立支援法」を臨時国会で制定しろ!11・16 全国緊急国会行動の呼びかけ
私達は東京、大坂など全国の都市部において急増している野宿を余儀なくされた人々の諸問題を国が責任をもって対応するよう国会に対して「ホームレス自立支援法」の制定を求めています。私達は去る10月5-6日と全国の野宿の仲間、野宿者の支援活動をしているNGO、NPO団体9団体が全国結集しながら、国会や厚生労働省に対する大規模な請願行動を行なってきました。全国の野宿当事者、私達野宿当事者に深くかかわる民間団体、また、連合、自治労など自治体労働者からの要望、また大坂市や新宿区、台東区など自治体からの要望が相次いだことなどにより、ようやく「ホームレス自立支援法」は、一部修正の元、臨時国会で制定させる「合意」が厚生労働委員会担当者レベルで取り付けられるに至りました。
ところが、先走りの報道を受け、与党公明党は、自民、民主の協議を快く思わず、まさに党利党略とも言うべき理不尽な理由をつけ、「法案」の臨時国会制定に「待った」をかけたとの事のです(一連の動向はマスコミによって報道されています)。現在、「法案」の取り扱いは与党三党が急きょ作った「ワーキングチーム」に委ねられていますが、報道によれば、公明党は「ホームレスの強制排除のあり方」などについて「改めて3党で法案化作業をする」などと主張しているようです。
私達は私達のためになる「法案」が政争の具になる事を危惧しております。私達の理屈ではまったく理解できない「理由」をつけて早期制定に「待った」をかけるのではなく、超党派で臨時国会中に「法案」の制定がなされる事を期待しております。さまざまな人々の努力でようやく法案提出にまで至った「ホームレス自立支援法案」を、臨時国会の場において早期に制定させるため、私達は来る11月16日(金)全国緊急行動を国会前において行ないます。今年の冬も国が野宿の仲間を無責任に放置するのか否か?これは、公明党の決断、そして与党三党がどのような「結論」を導くかにかかっています。
「法案」の臨時国会での制定を求める行動に多くの人々の結集を訴えます。
日時場所・2001年11月16日(金)
午前10時 衆議院第2議員会館前集合
「ホームレス自立支援法」を臨時国会で制定しろ!11・16全国緊急国会行動実行委員会
<呼び掛け団体> 新宿連絡会/池袋野宿者連絡会/三多摩野宿者・人権ネットワーク/釜ヶ崎反失業連絡会
問い合わせ先 090-3818-3450 (新宿連絡会・笠井)shinjuku@tokyohomeless.com
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いつもいつも 投稿者:臨夏 投稿日:11月15日(木)15時31分48秒
ミスが多くすみません、一回しか押してないはずなんですが、下のほう、消しておいてください。
まっぺんさま>--------------------------------------------------------------------------------
北方民族 投稿者:臨夏 投稿日:11月15日(木)15時30分18秒
北方領土=千島は、アイヌの支族、千島アイヌのもののはずですが。
彼等は、もう「滅びた」ことになっています。
私見では、言葉は消滅したが、子孫は生きてるはずです。いっぺん、樺太アイヌ専門の村崎恭子師に聞いたことがあります。
樺太は、複雑です。
13世紀のモンゴル敗退のあと、樺太アイヌ(アイヌの一支族)が真ん中の北緯50度のへんまで進出してきて、北部には、8世紀〜15世紀にオホーツク沿岸まで進出していたニヴフ(ギリヤーク)と、16世紀ごろ(?忘れたし、いま手許に史料がないです)大陸から入ってきたウイルタ(オロッコ)がいます。
黒パンさん、現在では、あまり「オロッコ」とは言わないようです。「ギリヤーク」は、個人的によう使います。
ニブフは、間宮海峡を挟んで存在する民族で、大陸のは、特に、ニクブンといいます。尚、ニヴフとニクブンには、もうあまり繋がりないみたいです。
ニクブンのチュ−ネル=ミハイル=タクサミ師を囲んで、日本のアイヌ、シベリア研究者が一堂に会したことがあって、わたしも記念写真にうつってます。
ウイルタは、トナカイ遊牧民ですから、遊牧ができるとこに散在しています。
ニヴフと樺太アイヌは、簡単にいうて漁労民です。
戦前、敷香=現ポロナイスク、に「オタスの杜=土人村」というとこがあって、政府の同化、皇民化政策のもとで、観光対象になってました。
戦後は、網走に、ニヴフのかたがわずかにいてはりましたが、もう絶えたと聞きます。
ウイルタは、網走にいまもコミュニティーがあって、民族博物館「ジャッカドフニ」
をつくっています。両民族とも、樺太では元気で、土地返還運動なんかが結構功を奏しているのかな。
樺太アイヌは、宗谷の豊富村近辺に住んではるはずです。
樺太では、樺太アイヌは、少数の例外を残し、戦後、何故か「消えた」。
あと、オタスの杜(土人村)では、よく覚えてませんが、キリン=サンダーや、エヴェンキ?が、わずかながらいた。これは、たまたま日本におるドイツ人、くらいの存在とおもいます。後者は、ロシア革命で逃げてきた人のはず、両方とも数人程度です。
彼等のことを知りたければ、網走の前述ジャッカドフニのほか、網走の天都山に、「北方民族博物館」(やったと思います)があります。
下、ジャッカドフニのリンク
http://homepage2.nifty.com/jakka_duxuni/
陸軍中野学校に徴兵された、戦後ウイルタ運動のリーダー、ダーヒンニェニ=ゲンダーヌ(北川源太郎)氏についての本、『ゲンダーヌ』と、その続刊もあります。
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離島の領土争いは「資源」争奪のため 投稿者:黒パン 投稿日:11月15日(木)09時29分21秒
本来、人が年間を通して生活できない島を争うのは、漁場と海底資源の可能性がある場合でしょう。漁場なら漁民どおし話せばいいのだが、現実問題としては共通の魚場として漁獲を制限していくしかないのでは。
「北方領土」はロシアのでも日本のでもアイヌのでもない、さらなる小数民族のだという主張もかつてありましたが、アイヌも含めて土地所有の概念を持たないグループが侵略されたのは確かです。
「北海道」はアイヌ、ギリヤーク、オロッコの「自治」領土として行くプロセスの中で戻すしかないだろう。
カナダ、オーストラリアは現実にそうしている。
現実化できないところは争うだけです。
クルド、バスク、「北」アイルランド
梶村論文のほんの一部なら、ここに引用されています。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~koukokutenbo/takesima_monndai.htm
梶村秀樹氏が韓国側から「良心的」と称されるのは、堀氏自身、「日本人にとって、竹島=獨島問題は、まず第一に膨張主義、植民地主義の後始末である」とする梶村秀樹氏の「歴史認識」を前提に、竹島問題を論じたからである。さらに梶村秀樹自身も、山辺健太郎氏の論文「竹島問題の歴史的展望」(注14)を、「特に1905年の日本編入過程の帝国主義的侵略を糊塗しようとする日本政府の観点を強く批判されている」と評価し、自らは「私はその視点を継承・発展させなければならないと考えてい」たのである。
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あ! 投稿者:大和 士魂 投稿日:11月15日(木)06時11分05秒
牧田氏は、全学連の元リーダーだった・・・
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全共闘世代の 投稿者:大和 士魂 投稿日:11月15日(木)06時10分21秒
ピース缶爆弾事件の牧田氏がゲストとして
おこしになって、「左翼くずれ」と「くずれ左翼」の違いの話しは面白かった。
一番印象にある事は、国を憂る。世の中を良くしたい。
という想いに「右も左もない」ということ。手法や理想は違えど・・・
http://tetsusenkai.net/general_meeting_report_page/131007/
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ゴミ2 投稿者:臨夏 投稿日:11月14日(水)22時52分52秒
失敗しました、あい済みません。
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ゴミ 投稿者:臨夏 投稿日:11月14日(水)22時49分04秒
機械不良につき、失礼します。なんか投稿しないと、13日20時以降の記事が読めないのです。この不調は、多分、あと1〜2日で治ると思うのですが。
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修士論文のための調査へのご協力お願い 投稿者:金鐵鎔 投稿日:11月14日(水)20時33分36秒
こんにちは。初めまして。
私は慶應義塾大学大学院社会学研究科修士2年生の金鐵鎔と申します。
私は、修士論文で、インターネット、特にその中でも電子掲示板の利用行動に関して研究しております。それで、実際にインターネット電子掲示板を使っていらっしゃる方々に掲示板利用実態についてお尋ねしたいと思います。調査はあくまでも、インターネット掲示板利用行動に関するものであり、調査項目の中に特定社会問題に対する皆様のご意見をお尋ねすることもありますが、その問題に関する皆様の賛否が調査目的ではありません。調査結果は全て統計的に処理され、研究結果として修士論文に載せる以外の目的には絶対に利用しません。
もし、私の修士論文のための調査にご協力してくださる方は私にメールをお送りください。(私のメール・アドレスはcheol_yong_kim@hotmail.com
あるいは cheol_yong_kim@yahoo.co.jp どちらでも結構です) 私にメールを送ってくださった方にはそのメールを通じて質問紙をお送りいたします。皆様は、その添付された質問紙をご覧になりながら、該当する項目に数字を入れ、お答えになった質問紙を、またメールを通じて私にお送りください。皆様がお答えになった質問紙が、私に届いたら、その時点で、その方のメール・アドレスは自主的に削除します。くれぐれも、皆様のプライバシーを侵害しないように注意いたしますので、ぜひ、皆様のご協力をお願い申し上げます。 --------------------------------------------------------------------------------
re:独島=竹島 投稿者:イレギュラーず 投稿日:11月14日(水)16時59分23秒
臨夏さんへ
有難うございます。梶村秀樹さんの、↑についての記述は最近ネット上で読んだことがあったと思いましたが、再検索してみるとどうも合致するものが見当たりませんでした。
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またドキュソ霧島がクロスポストしてるな… 投稿者:いずみ 投稿日:11月14日(水)09時48分48秒
こいつ出禁でいいよもう…--------------------------------------------------------------------------------
総会ウェブURL 投稿者:霧島錬太郎 投稿日:11月14日(水)07時10分54秒
失礼いたしましたURLをいれてませんでした
http://tetsusenkai.net/general_meeting_report_page/131007/
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というか 投稿者:故あって匿名 投稿日:11月14日(水)02時51分28秒
>「あの当時は内部から変革できると思っていた」のかもしれませんが
ジェ君がマル共連で指摘したのはまさに「中核派の内部変革はムリだ」という小西さんの著書への感想。って、その序章に出ていますが。(^_^;)
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上からの「指令」でしかやめられないようでは 投稿者:H.H 投稿日:11月14日(水)02時35分04秒
「検証 内ゲバ」の序章を読ませてもらいました。
なんでインターへのテロルと対革マル戦内ゲバを分けるのか解りませんが・・・
ボス交でしか内ゲバをやめられないようでは、自浄能力がないことを明かにしたようなもの。実質的には内ゲバがとまっても、それ以上の思想的反省、自己批判などは出ないでしょう。
「あの当時は内部から変革できると思っていた」のかもしれませんが、いよいよこれで現内ゲバ党派の変革が無理であることが明らかになったのではないでしょうか。
なお内部変革ということでは左翼反対派を想起させますが、左翼反対派は徹底して闘って除名、投獄、処刑されいきました。第3インターからの決別は、自分たちがそれによってどれだけ小さくなっても「逃避」であるとは考えませんでした。むしろ内部に残ることこそが「逃避」だと考えられたのだと思います。
インターの女性差別問題でもそう言えるのかもしれません
なお、わたしはジェ君ではありません
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鐵扇會にて総会が行われました 投稿者:霧島錬太郎 投稿日:11月14日(水)02時09分13秒
だいぶ日がすぎましたが10月7日に第三回となる鐵扇會の総会を
東京・北の丸科学技術館6階第一大会議室にておこないました
総勢50名ゲスト5名にて,毎日新聞東京本社最上階スカイ
ラウンジを貸し切って懇親会をおこないました模様をウェブとして
みなさまに公開させていただきますので御覧下さいませ。
かなり盛大にに行われましたが来年のゲストに是非趣味者を代表される
方々をお迎えしたいと私は考えてるんですよね,どうです?
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ジェ君 投稿者:故あって匿名 投稿日:11月14日(水)01時43分43秒
>ところが、この私の論考については、おそらく第四インターの関係者と思われる読者から、その内容の全体については肯定しながらも、八三年の第四インターに対するテロ事件について、私自身の反省が弱いのではないか、という指摘があった。この八三年の事件については、第1章で触れているので、詳細は省く。
ということで以下にジェ君への返信があるざんす。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/47-6.htm
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あ、 投稿者:臨夏 投稿日:11月13日(火)22時40分52秒
菊さん>
おおきにさんです。
ちょっとずつ書くつもりになってきました。
竹島>
日本の国立公園になったとはおもろい話しですねえ〜〜!(笑)
こんな愉快なニュースはキム=ジョンナム氏来日以来です。
でも、決めたん誰でしょう(^^;
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独島=竹島 投稿者:臨夏 投稿日:11月13日(火)22時38分34秒
トンヌラさん、イレギュラーずさん>>
朝鮮の独島に関しては、『梶村秀樹著作集』で論じられています。
たしか、日本から竹島に一番近い隠岐からでは、竹島は見えないが、
朝鮮から一番近い鬱陵島からは見える=行ける、というようにありました。
因みに、竹島とは、鬱陵島=松島に対する呼び名みたいですね、
いや、維新後、松・竹の名称が、両島で、入れ代わったんやったかな。
江戸時代は、日本の漁民が鬱陵島まで出向くこともようあったみたいです。
朝鮮の漁民がこっちに来ることもあったでしょうね。
また、独島は、アシカがおるほか、なんの価値もない岩山らしいです。
いや、燐鉱山みたいなんがあって、そこの「地主」も日本におるのですが、
採算はあわんようで。
いまは、韓国軍が常駐してると聞いています。
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re:誰のモノ? 投稿者:イレギュラーず 投稿日:11月13日(火)20時38分18秒
トンヌラさん、初めまして。
1つは、まっぺんさんのリンク集から「半月城通信」を辿れば、そこに記述があります。
お勧めです。
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re:誰のモノ? 投稿者:北(仙台) 投稿日:11月13日(火)10時36分43秒
太古の昔から、未来にわたるまで、この地球上に生息した・する・するであろう
すべての生物のもの・・・・(おっ、模範的回答 藁)
ところで、やっぱり人とのつながりは、リアルでやらなきゃ出来ませんよね。
ちょっと、インターネットを過剰に評価しすぎていました。
やっぱり、足で稼ぐことが一番だと再認識。(ネットの有用性を否定はしませんが)
以上 ひとりごと・・・・
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臨夏さん、無理せず書いてみたら。 投稿者:菊 投稿日:11月13日(火)07時06分02秒
少しずつでも、書いてみたらどうでしょう。結構、若い人も読んでいるかもしれないし。私も自分の個人史と重ね合わせられて、そこでまたやりとりできる。
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飛行機はドミニカの移民がほとんどだったって 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:11月13日(火)01時46分36秒
もし事故にしてもさ。何で,こういう連中ばかり,死ななくちゃなんないんだ?
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誰のモノ? 投稿者:トンヌラ 投稿日:11月13日(火)01時18分24秒
竹島が国立公園になると週間新潮に掲載されていました 正しくはどの国の領土なんですか? 誰か教えて下さい
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ニューヨークで又! 投稿者:柔道垂直線 投稿日:11月12日(月)23時57分11秒
ニューヨークで又飛行機が墜落です。ケネディ空港発のボーイング767型、もしくは300型の旅客機が、クイーンズ地区に墜落したというニュースを今やっています。
テロ関連かどうかは、まだ判らないと言っています。
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本編未ダ也ズ 投稿者:臨夏 投稿日:11月12日(月)23時10分15秒
菊さん、みなさま>
わたしが左翼になったのは1983年ごろですから、ちょうど日本で左翼運動が退潮していったころですね。
数が少ないなかで孤高を保っているつもりで、誇らし気にやってました(笑)
朝日ジャーナルがなくなったのが高校のころですねえ、、
記録を書きたいけど、わたしはセクト入りはしてないので、書いても、個人の自伝みたいになってもうて、あんまり社会的な歴史にならんのですよ〜、、
表研のやつらの話題くらいですね〜、、
あと吉田寮の話しとか(笑)(官憲さん、見てますか、おとなしくしてるから追求せんといてね)
ちょびっとずつでええんやったら、ちょこちょこ書かせていただこうかな〜。。
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う〜ん 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日:11月12日(月)21時50分35秒
某党派にカンパした私は、これでだまされる人を笑えない。
鼠講よりずっと怪しげな理論だったりする。
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本当にだまされたと思って今すぐ.... 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日:11月12日(月)20時11分55秒
これで本当にだまされる人は何人いるのだろふ。(^_^;;)
おっさん,少なくとも書く場所くらい間違えないでね。
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匿名さん、 投稿者:梅田のんきち@のほほ団 投稿日:11月12日(月)19時33分32秒
どの新聞ですか?弁護士の名前おしえてください。
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(無題) 投稿者:黒目 投稿日:11月12日(月)17時12分27秒
すげえ即物的なネズミ講やね(爆
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ゲーム参加でお小遣いをゲット!! 投稿者:匿名 投稿日:11月12日(月)17時00分00秒
ぜひ、ざっとでいいのでお読みになって、お小遣いを稼いでください!!
【参加方法】
明らかなネズミ講なので文書内容削除しました。(管理人)
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比タング 投稿者:梅田のんきち@のほほ団 投稿日:11月12日(月)14時47分42秒
はは、タングになってまひゅー(笑)。
まあ、いいや。
なにか商品をあげるのですか?
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げー 投稿者:梅田のんきち@のほほ団 投稿日:11月12日(月)14時46分03秒
まっぺんさんが、のほほ団を名乗っていてびっくら。
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残念だなあ。本編期待していたのに。。。 投稿者:菊 投稿日:11月11日(日)21時08分04秒
「触発されて」とあるから、楽しみに読み進んでいったんだけど、本文がないじゃない。おかしいなあともう一度見直したら、乞うご期待と。。
しかし一人だけでは、なかなか書けないと思います。私も「土日」さんや「まっぺん」さんなど当時の同窓生がいて、「それ、違うんじゃない」と言われたり、逆に「それは違うよ」と考えるから、書く気になるというところがある。
その意味でも、掲示板の意味とかなりの人が見たり書いたりしている注目度の高い「まっぺんさんのサイト」の意義は大きいと思う。
臨夏さん、そういう制約はあるかもしれないけれど、ぜひ書いてください。私にとっても左翼空白期なので、興味があります。
変換はATOKだったら、一発変換大丈夫ですよ。推敲。。。ほらね。日本語を書くのに、「MS。それは世界だ」とか平気で言う変な会社の日本語辞書使っているんでしょ、きっと。あ、違うか。Macか。いずれもしても似たようなもんだ。
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えへへ、 投稿者:臨夏 投稿日:11月11日(日)20時54分23秒
>そうですね。「推敲」したほうがよかったですね・・・・・こんじょわるなσ(^^;;)
推スがええか、敲クがええか、という話しやったと記憶してたので、あれ?とは思たんですけどね(笑)
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(無題) 投稿者:まっぺん@カクレのほほ団 投稿日:11月11日(日)20時44分18秒
>>推考したほうがよかったです
そうですね。「推敲」したほうがよかったですね・・・・・こんじょわるなσ(^^;;)
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遅れてきた青年です 投稿者:臨夏 投稿日:11月11日(日)20時18分54秒
下の書き込み、やっぱり、よう推考したほうがよかったです、文がわかりにくうて、すいませんです。。
//
菊さんに触発されました。
わたしは、80年代少年で、ポートピアの年に街にデビューしたという世代です。
中学3年のころから左傾して、いままでずうっとそうですが、
まあ、斗いたくても場所がなかったですよ〜。。
80年安保とかないですからね。
当時、オカシイなと思ってたら、70年以降は、自動延長するんですてね(^^;
中核にはいろうとしたことは何度もありますが、師匠の表三郎とそのグループの関係で、いつも流れました。
キとも、いっぺんなぐりあいしただけ。
大先輩のみなさまがたにくらべ、書くことは少ないのですが、
80年代、90年代の左翼というもん自身、「人数が少ない(笑)」ですから、
歴史の空所として、記録も貴重かな、
なにか書いておこうかな〜、とか思えてきました。
少ないなりに、仲間といろいろ騒いで楽しかったですよ(^^)。
で、まえおきが長くなりましたが、本編は、いずれまた、ということでお許しください。
あまり個人を同定できることも書けないという革命的警戒心もあります。
何年かのうちには、『左翼後記』みたいなかたちでちゃんと書き残したいなあ。
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右翼教科書見ました 投稿者:臨夏 投稿日:11月11日(日)20時07分57秒
きょう、扶桑社からでてる、「右翼教科書を作る会」の教科書、一般むけ、みました。
全部は読んでなく、とばしとばしです。
感想は、「あんまりひどいことなかった」。
正直、驚きつつ、ホッとしてます。
ただ、歴史にくびを突っ込んでるものとして、単純な事実や史観が、主義の違いに至る前に間違うてる場合が多いようで、マア、「素人のかたがたやけど、一生懸命作ったんヤナ」と苦笑いしてます(笑)
ところどころ、新しい事実や史観もとりいれられていて、それは「ほほえましい」。ちょっとえらそうな書き方ですが、外国におって、形容詞を忘れてきました。
状況としては、やはりこの教科書の主義主張自体、「間違うている」とは思います。ミギという忌み、日本帝国主義擁護という忌みで。
しかし、間違うててもええかなあ、、と。許容範囲かな、と。だって、いまとなれば、スターリンもレーニンも、エンゲルスもマルクスも、み〜んな多かれ少なかれ間違うてたやないですか。歴史の一段階で、結果としての真理はあわてて求めるべきではない。
学問にくびつっこんできてわかってきたように思うんですが、真理は、つかみとるべき不動居のモノでなく、真理の方角にむかって、みんなとなかよくし、戦争もしながらよじのぼっていくコトなんかな、と。
その意味で、いままで、教科書なんて、上からわたされて、なんの疑問もなく、読むだけのもんやったでしょ。
あるいは読まないか。
わたしは、数学や英語はよく0点をとってた(冗談ではなく(笑))けど、歴史の教科書だけはしらみつぶしに読んでましたが、まあ、少ないほうでせう。
また、読むは読むが、受験のため、受かるかすべるかしたあとは忘れてまう。
それにくらべたら、新聞や雑誌で、とりわけマンガみたいな身近な形式、ドタバタ騒ぎがあることを知って、その騒動=斗争の当事者のひとりとして、見物したほうが、「対話」=「弁証法」的と思うわけです。
いまの子供達はめぐまれている、と思いました。世界史は大きな「試合」ですから、おもしろく観戦したほうがええ。
で、最近でたらしい、小林某のえらい力の入った分厚い、『戦争論2』見て、またイヤ〜ンな気持ちになりました、やっぱり(笑)
そんなことより、早く、『気分はもう戦争2』『攻殻機動隊2』を世見たい。
まんがは大好きでしてね〜(^^)
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土日のトロツキストさん、まっぺんさんに触発されて(3−4) 投稿者:菊 投稿日:11月11日(日)10時36分13秒
2.戦後共産党的手法は何に繋がっているのか
前回、70年代以降の「戦後共産党的手法」「戦後労働組合運動的手法」が凝縮していたと書きました。その2つは歴史をたぐり寄せていくと、タマネギの皮をむくように「戦前の共産党の活動と手法」に行き着いてしまうような感じがしています。
「敗北を抱きしめて」に取り上げられていますが、敗戦直後の状況の中で共産党は政治情勢に対する真の意味での主導力を持っていたわけではなかったようです。民衆に押し上げられて、平たく言えば「英雄・ヒーロー」となった時に、発揮しようとした指導力はなんだったのか?
「教条主義的な左翼は、民主主義革命を実現するためには、日本国民全体が優れた人々によって導かれなければならないという心理を広める役割を果たした。左翼あるいは共産主義者が考える前衛という発想自体が、まさに、大衆は後ろ向きで、上からの指導が必要であるという全体に立っていた。この点において、左翼のエリート意識は、天皇の庇護と威光の下で権力を保持しようとした保守主義者や占領軍と大きな違いはなかったのである。(中略)日本の進歩的知識人や日本共産党はそれぞれ形はことなっていたものの、ともに天皇制民主主義の実践者であった」(敗北を抱きしめて、上巻P318−319)
私たちはこの末裔だったというわけです。主観においては。
話がそれましたが、では戦前の共産党の活動や方法論を、他人事ではなく、どう主体的に総括するのか?そのための格好の材料が、この9月に亡くなった石堂清倫さんの著作にあると考えています(戦前の活動を経験し、きちんと書き残している生き証人であったという意味も含めて)。遺著となった「20世紀の意味」最近復刊された「わが異端の昭和史」(共に平凡社)。ここで展開されている内容は、構造改革派かどうかというレベルを超えて、私には自分の政治活動の在り方の総括の視点を与えてくれているように考えています。
3.「情勢に主体が乗り越えられる」という方法論についての疑問
それから、もうひとつヨーロッパの組織の情勢に対する認識とそれを組織活動の援用していく際の方法論を私は知らないのですが、役に立つのではないかと考えています。おそらくそれは私がかつて慣れ親しんでいた「日本支部の方法論」とは、大分違うのではないでしょうか。そこでは土日のトロツキストさんが延べていた「情勢に主体が乗り越えられる」という方法論(懐かしいですね。大変慣れ親しんでいたので)についても、違った考え方があるのではないかという気がしています。
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土日のトロツキストさん、まっぺんさんに触発されて(3−3) 投稿者:菊 投稿日:11月11日(日)10時34分47秒
きのう書き込んだ内容が、「前提」的な問題意識のような形で終わってしまっているので、組織総括的な部分にフォーカスして少し追加してみたいと思います。
1.「日本労働者階級の歴史的敗北か否か」という無意味な議論
きのうの書き込みで最後に「捨てぜりふ」的に書きました。「歴史的敗北と考える」「考えない」、どちらも全く無意味で、陳腐きわまりない議論だと思いませんか?今はもう、どのグループもこんなことは言っていないのかもしれないけれど、土日のトロツキストさんの書き込みで思い出し、組織活動の最後の頃、そんなことが議論されていたなあと思うので、しつこく書いてみます。
私はこのどちらの立場にも、「歴史と世界」の捉え返しがないと思う。「歴史的敗北論」には、戦後直後を革命期と見る意識が色濃く存在しているのではないか、と思うのです。おそらく、これは無自覚的になのでしょうが。だって当時の政治局は誰もそのただ中で政治活動をやっているわけではないのだから。それから、ずっと時代を下ってきて、70年代、さらには80年代。さらに私と同世代、前後する人たちの間には、昨日引用したような自分自身の経験を全てと見てしまう70年代の運動状況の中での、経験があった。その運動状況が終束してしまうわけだから、それに対する「絶望感」もあった。だから、「歴史的敗北論」が感覚的に受け入れられる余地があった。
ここで、本当に政治指導部であるならば、戦後から70年代に至る時代と運動状況を客観的に総括し、世界の状況と比較しながら「自分たちの立っている位置」を明らかにしようとするべきだったと思います。しかし当時の第4インターは、政治局・中央委員会、組織全体に至るまでそれができなかった。しなかったのでは、ないのです。する能力を持っていなかった。何故か?は前回の書き込みに戻ります。
そこで、「戦後直後日本の左翼は極端過ぎる位、強かった」という所に帰ります。しかもそれは自分たちの力で作り上げたものではなかった。GHQの政策と草の根の民衆の自主性の息吹の中でひょいと押し出されたものだった。
敗戦直後から70年代まで30年以上続いた左翼運動の歴史は、そうした流れの中でもう一度位置付け直される必要があるのではないか、と思います。私が参加し、第4インターのメンバー以外でも「革命に向かうのでは」と思いこんだ70年代は、その極端に強かった戦後左翼運動終末期の「光芒」だったのでしょう。これは今だからいえるということもあって、80年代初頭の政治組織にそこまで分析して結論をだせというのは、酷な側面もあります。ですから、私が今どこから「捉え直し」をするかという個人的意見の要素が強いとは思っています
(3−4に続く)
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