四トロ同窓会二次会 2001年5月22日〜25日
まじめな議論・主張・あそび・ぐち・何でも!自由に投稿してください。投稿内容は過去ログに保存します。「赤色土竜新聞」に掲載される場合もあります。
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まっぺんさんへ 投稿者:AIT久我山支部(準) 投稿日: 5月24日(木)23時00分09秒
お騒がせでした(^^;;)。グチャグチャになって,ちゃんと話せなかったっす(^^;;)。
今度は,音楽ネタで(今,金管5重奏聴きながら書いてるんだな〜)。
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むずかしい問題だと思います 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 5月24日(木)22時30分48秒
北海人@政治野次馬 さん、はじめまして。挨拶が遅くなってすみません。「さま」などと付けられると恐縮します。「さん」づけでいいですよね?
>事実、パレスチナイスラエル闘争の根底にはユダヤとイスラムという宗教的対立点が
>存在しているわけですし。
これは、いろんな要因が絡んでいるとは思うけど。かつては、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教が共存していたと言うし。また、北アイルランドの街の壁に「IRA,PLO,一つのたたかい」と書いてある写真を雑誌で見たけど、カトリック・イスラム連合vsプロテスタント、ってことじゃないと思う。わたしも詳しくないけど。
で、私の書き込みも、「表現の自由」を曖昧に使ってたんだけど、まず、何かを主張したとき、それに国家は介入すべきでないという意味での、「表現の自由」というのがあり、これは相当程度広く認められるべきだし、何らかの制限があるときには、恣意的運用をさけるために、境目ははっきりさせた方がいい。
それとは別に、社会の常識としてやっていいかどうかと言うレベルの議論がある。たとえば、朝あいさつしたとき、無視するというのは、別に法に触れる訳じゃないし、そういう権利はあるけど、やっぱり、「おはよう」と言われたら「おはよう」て言うべきだとか、いやその必要はないとか、
で、今回の件だけど、国家権力としては、通常の窃盗として処理するしかないし、それは正しい。コーランを破いたという行為に対して、国家がどうこう言ってはならない。
それで、社会の常識としては、やるべきじゃないよね。これは挑発目的が明らかだもの。
ただね、「日の丸」燃やして右翼を挑発するのはかまないと思う。右翼って政治団体だよね。政治団体って、極左の静共闘もそうだけど、世間に対して、「俺らの考えはこうだ、社会はこうあるべきだ」って主張するでしょ。プライベートな存在じゃないよね。で、それに対してのリアクション、「その考えはおかしいんじゃないか」とかいうまともな批判だけじゃなく、罵倒や侮辱もあり得るんだと言う覚悟はすべきだよ。もちろん、罵倒や侮辱にはまたそれなりの対応する権利はあるけど。
「する権利」というのは「されるリスク」とセットだと思う。イデオロギーとしてのキリスト教を批判する自由はもちろんあるのだけど、キリスト教って布教してるんだから、世間一般不特定多数に対して、えらそうに「主を崇めよ」とかなんとか言ってんだから、それに対してこちらは不快に思ってるんだから、こちらが聖書を破り捨てて牧師や神父を不快にさせる権利はあるはずだ。
今回のは違うでしょ。イスラム圏から来た人たちが、自分たちで礼拝したりしてるだけでしょ。そこは本質的に違うと思うよ。
「日の丸」燃やされたくないなら右翼は街宣やめるべきだし、聖書破られたくないなら、布教をやめるべきだよ。大音響で「君が代」流したい、あわれな大衆・哀れな静共闘を愛の力で救いたい、だけど「日の丸」や聖書は汚さないで、なんて勝手すぎるよ。静共闘だって、「あほじゃないか」と罵られるのは覚悟の上で、メットかぶってるんだから。
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三多摩社青同消滅のとき 投稿者:まっぺん 投稿日: 5月24日(木)22時03分08秒
チャットで質問されたので、あらためて「三多摩社青同闘争史」の最後の部分を読んでたら、ここに転載したくなりました。最後の崩壊するころの三多摩社青同の様子がよくわかります。読んで下さい。浪花節きいてるみたいだけど、この文書は好きです。
…………………………………………………………………
(「B三多摩社青同の崩壊」最後の部分より)
急進主義運動の最初の高揚の中で、三多摩社青同はML研グループだけを残してもはや消滅していった。六七年一〇・八闘争、一一・一二闘争には、こういう時にだけ駆けつけてくる数十名の活動家が、ボロボロになりすっかり色のあせた「社青同三多摩分室」の旗のもとで羽田でたたかった。大衆闘争のなかにこの歴戦の旗が登場した最後であった。六八年一月佐世保闘争では、未だ「社青同東京地本副委員長」の肩書きのついたSが、一人の「手兵」もなしに、解放派だけの東京社青同部隊の行動隊長として果敢にたたかった。三月三里塚闘争では、中核派と解放派だけの三多摩反戦部隊を責任者として、SとTがひきつれた。
六八年四月、三多摩社青同の事実上の消滅を確認したML研は、七年にわたった三多摩社青同の歴史を閉じることを決めた。この決定にあたって、機関の会議は必要ではなかった。すでにすべての機関は、その参加者を失なっていたからである。SとIが、解放派にその旨を告げ、Sは東京地本副委員長、Kは同組織部長の職を辞し、「われわれは新しい、独立した青年同盟をつくるために活動をはじめる」と宣言した。解放派の諸君は残念がった。
それとともに、Sは三多摩反戦の事務局長の位置からも退いた。極少派であるML研が事務局長をつづけることは個人としてのSの役割がどれだけ重要であっても、“党”をつくろうとするものの立場において堪えがたい不均衡であった。Sの辞任の後、三多摩反戦は多数派である中核派と、少数派としての解放派に分裂して、やがて消滅した。
ここに、三多摩社青同の、その名のもとでのたたかいの幕は降りたのである。
(略)(「C総括に代えて」より)
三多摩社青同には、二名の中核派のメンバーかいた。この二名は、われわれが当時の革共同全国委員会に要請して、派遣してもらったメンバーである。当時、新しく生れた社会党の地区専従のポストに充当する人材を確保することがむずかしくなっていたわれわれは、“共産党より左”であることを条件に、他のセクトとの加入活動上の統一戦線を組んだのであった。
かれらは、実に献身的に活動したが最後には訣別した。六五年に、かれらがマル青労同の組織拡大を三多摩社青同内部でこころみたときである。われわれはこれを禁止し、かれらを社青同から除名してしまった。このとき、かれらのビラまきを実力で阻止したことがあった。このことについては、すぐに組織内で討論され、“内ゲバ”の問題として、われわれの基本的原則を再確認し、自己批判した。われわれの自己批判はかれらに伝えられ、以後、かれらのビラまきや政治活動は自由であること、われわれは正々堂々と反論していくこと、暴力的禁止のような手段はとらないことを明らかにした。
三多摩社青同の分解とともに、多くのセクトが三多摩で活動を開始したが、中核派の影響力は非常に早く浸透した。だが、三多摩社青同のなかから中核派にうつった活動家は、ほとんどいない。われわれとともに加入活動の経験をつんだ二人のメンバーの指導力が、大きな役割を果したのであろうと思われる。
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雑感 投稿者:ザーカイ 投稿日: 5月24日(木)21時51分06秒
なんとなく過剰な意味付けが先行していると思うな〜〜。
コーランが盗まれ、破かれて撒かれてあった。そしてムスリムたちが怒った。
事実はここまでで、それ以上は全部憶測でしょ?
本当にどういう背景があって起きたことかはわからないのですから、ムスリム以外の人が妄想を膨らまして何か意味があるのでしょうか?ミステリー小説読んでいるわけじゃないんだし。
ムスリムがコーラン(馬でもよい)を大事にするのは理解できる。
でも(個人所有物ではない)それが破壊されたことに大騒ぎするのは明らかにフェティシズム。
仕組みは(広い意味での)偶像崇拝と変わらないです。
イスラムはイスラムでどこまで偶像崇拝=フェティシズムを認め、キリスト教はどこまでとそれぞれが勝手に定義づけしているだけです。それぞれ自由ですから、イスラムの外部にいる私(たち)が、「教義に反している」といっても無効。
ただし、内輪のルールをかってに部外者にも適用しようとすることがあれば、それは大問題。
オウムのサリンはまさにそれ。ジョハルさんの話しでは基本的にはイスラム法はムスリムにのみ適用されるようです。それなら問題はない。
根拠なくあの出来事を排外主義の現れと不安に思うムスリムがいるのであれば、それはそれで行政機関に陳情があっても驚くに足りないでしょ。行政も治安維持の見地から、取締りではなく日本の文化と違うものが存在していることを知らせる動きがあってもよいでしょう。これはムスリム以外にとっても不要なトラブルを避けれる利益がありますしね。
そう考えるとムスリムの行動は部外者にとって右翼左翼、市民団体の街宣、デモと変わらないわけで、そう驚くこともない日常風景です。
まだムスリムが日本で珍しいから、マスコミが騒いでいるだけなのでは?
こういうときのみムスリムを取り上げる政治思想周辺の人やマスコミにも「?」があります。
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「信仰の自由」と「表現の自由」についての私見 投稿者:まっぺん 投稿日: 5月24日(木)21時18分59秒
ジョハルさん、ありがとうございました。やはりイスラームの「無国籍性」というのか、限定的な意味での「国際主義」を感じます。「悪魔の詩」の作家がムスリムであった事が死刑判決の理由であったというのもわかりました。
しかし、私はもっと別な切り口から考えてみたいと思います。「自由民権思想」の観点からです。現在「自由主義」とか「自由民権思想」はほぼ人類に普遍的な「正しい概念」として受け止められていますよね。個人の自由な活動を何よりも優先し、思想・表現・結社の自由を保証する思想は「絶対的に正しい」と。しかし、これはヨーロッパ資本主義の発達とともに歩んできた思想であり、資本主義発達にとって妨げとなるもの…封建的階級制度や、さまざまな地域的・土俗的な因習などを破壊するのに絶大な威力を発揮してきました。
とりわけ欧米人はこの「絶対正しい思想」を基準として、文化圏の違う諸地域にたいして自分たちの「正しい価値観」を押しつける傾向にあったのではないでしょうか。それはアジア・アフリカなどの後進地域を覚醒させ、封建的支配から人々を解放する思想を広め、結果的に植民地から解放してゆくという皮肉な結果ももたらしました。しかしこの「自由思想」は果たして万能な「絶対正しい」思想なんだろうか?
この思想が無意識に他の文化を傷つけているのを感じる事があります。いくつかのハリウッド映画を観て。たとえば「王様と私」は名作といわれ、今もたまにテレビで放映されますが、タイでは現在も上映されないそうです。観る人によってはあの映画はタイの封建思想を侮辱することによってヨーロッパの優越観を満足させるものですね。「正しい概念である」という事は他の(遅れた)文化を侮辱しても良い、という理由にはなりません。イスラム文化の中で「自由思想」からは受け入れられないものもあるでしょう。しかし、それを理解できないからといって直ちに否定したり破壊する事はどうなのでしょうか?
「悪魔の詩」作者を擁護する欧米世論に対して、反対ではないが割り切れないものを感じたのは、このような欧米人の「イスラムへの無理解」による一方的な断定の態度だったからだと思います。「自由思想」は確かに優れた思想であり、それによってあらゆる束縛からの解放と自由な個人を求める意識は、社会主義社会実現にも貢献するだろうと考えています。しかし、自分に理解できないものをこの「万能薬」によって切り捨てるのはやっぱりおかしい。
今回の「コーラン破棄事件」の場合にはさらに最悪で、「理解できないものを受け付けない」偏狭な意識によるもののようですね。「オウム」が理解できないと、「オウム」関係者はことごとく排除の対象になるみたいなものでしょうか。ジョハルさん。6月3日のデモ予定は、ここの掲示板でどんどん宣伝してください。
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偶像崇拝のこと 投稿者:ジョハル 投稿日: 5月24日(木)14時43分16秒
クルアーンはただの物だから、破壊されてもいっこうにかまわないのではないかという指摘はあたりません。ムスリムにだって大事なものくらいあります。たとえば、アラブ人の馬に対する偏愛は尋常なものではなく、馬を傷つけられるのは、ほかの物を破壊されるよりはるかに深刻なことです。
偶像崇拝の禁止というのは、
・物を神として崇拝すること
・画像を物そのものととらえること
の禁止です。
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富山の件 投稿者:ジョハル 投稿日: 5月24日(木)14時32分57秒
おひさしぶりです。正直言って、えらいことになったと頭を抱えこんでいます。日本人の多くが自分たちと異なる社会と共生する準備がないのはわかっていましたから、こういう問題はどんどん増えていく一方だろうとは思っていましたが、こういった事態がこんなに早く起こるとは思っていませんでした。いらぬ衝突が起こる前に円満な解決ができればいいと思いますが、犯人がわからないだけに難しいと思います。
みなさんの書き込みに、いくつか誤解があると思われるので、それだけ指摘しておきたいと思います。いずれも、イスラーム法が日本ではまったく理解されていないことからくる誤解だと思います。
まず、イスラーム法は徹底した属人主義をとります。これはつまり、シャリーア(イスラーム法)は国籍を問わず、基本的にムスリムにのみ適用されるということです。下に出ていたサルマン・ラシュディに死刑判決が出たのも、彼がイギリス国籍を持っていても、ムスリムであると彼が明言したからです。キリスト教徒のイギリス人が同じ小説を書いても、刑法上の問題にはなりえません。とはいっても、ぼく個人としては、あの判決には賛成できかねるのですが。
犯人がパキスタン人で、同じ行為をしたとしたら、パキスタンの法律に基づいて処罰されるでしょう。パキスタンの法律は擬似的なイスラーム法ですから。もっとも、主権国家の法律は、イスラーム法ではありえないのですが。しかし、犯人がムスリムでなければ、クルアーンを破ったことについては、ぎりぎりで無罪だと思います。窃盗に関しては、非ムスリムに対しても何らかの処置がなされるはずですが。
イスラームの社会では、私刑は犯罪です。被害者、もしくは被害者の肉親に処罰の実行を許す規定があるので誤解されるかもしれませんが、判決をくだせるのは、しかるべき修養を積んだ法学者たちの会議であって、判決なく私刑を行えば、これは犯罪です。
報道や各種掲示板などでは、一部参加者の過激な発言やシュプレヒコールが過度に強調されているようですが、ほとんどの参加者は差別と偏見に抗議し、行政機関に代表が申し入れを行うという、日本社会の法、価値観からみてもなんら問題ない行為を行っただけです。犯人がみつかり、日本の法に基づいて処罰されればそれで満足するでしょう。
差別も偏見もその表明も、たしかに違法行為ではありませんし、それらに対する反対を表明する事も、また違法行為ではありません。ただ、ぼく個人はムスリムであるわりには西欧がかったいるので、ナチスは超法規的措置をとってでも殲滅せねばならないというのと同じ感覚で、人種差別主義者は社会から消滅してしかるべきだと思っています。
明日は金曜日なので、同胞たちとこの問題についてよく話し合ってみます。いらぬ衝突はなんとか防ぎたいです。これは、公安の方々ももう把握しているのでここにも書いてかまわないのですが、6月3日には、相当大規模なデモが準備されているようです。
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いけないと思うよ。 投稿者:アイランダー 投稿日: 5月24日(木)10時56分04秒
仮に、私が持っているコーランを「自分で破り捨てる」のは、勝手さ。誰かに、あれこれ言われる筋合いはないね。ただし、その破ったコーランを、それを信仰する人々の前にこれ見よがしに散らかすような真似をしなければね。それは、「嫌がらせ」という事と当該の人たちに対する「侮辱を意図」した行為ですよね。
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ハンセン病訴訟控訴断念に思う 投稿者:猛獣文士 投稿日: 5月24日(木)09時30分42秒
ハンセン病国家賠償訴訟について、国側が控訴を断念するとの報。何も反対する理由は
ありません。正しいことでしょう。
元患者への補償額500億円。補償の対象者は4千人から4千5百人ということです。
私は、どうしても花岡事件の和解条件と比較してしまう。ここでは5億円の基金を設立。
その他のいろいろな条件の差もあるが、まずは金額の差を見て、ハンセン病訴訟の
かたがたに、素直におめでとうと言う気になれなくなる。この私の心のわだかまりは
永遠に融けることなく、埋もれていくのだろうか。
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コーラン 投稿者:右翼推進會 投稿日: 5月24日(木)08時08分26秒
宗教や思想概念の前に『人として行なうべき行為か否か』の問題では?イスラムの方が怒るのは当たり前ですよ。我々右翼も『国旗日の丸』を破られたり、『皇室書物』を破られると同じ事をするでしょう。一般に例えれば、大事な宝物を捨てられるに似た行為ですよね。(コーランはずっーと価値が重いので、この例えは失礼ですが)
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とりあえず、暫定的考えですが 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 5月24日(木)00時53分20秒
もしこれが、コーランじゃなく聖書で、キリスト教徒、しかも、フィリピン人などでなく、日本人か白人の牧師か神父が「神への冒涜」と騒いでるんなら、「ウッルセー、馬鹿どもが!キリスト教自体が、唯物論への冒涜なんだよ!」と思ったでしょう。
教会の前の立看、「神を崇めよ」だかなんだかそういうの、は見るたびに不愉快だ。が、しかし、表現の自由が保障されている以上、不愉快な言論・不愉快な表現に出会うことは覚悟しなくてならない。もちろん、「不愉快だ」と表現する自由もある。だから、聖書を破るのも自由だし、それを「神への冒涜だ」と非難するのも自由だし、それを「馬鹿どもが!」と罵るのも自由、さらに・・・。
だから、「表現の自由」ていうのは、国家権力との関係の問題であって、宗教を批判するのを法律で禁じるとかなったら、問題になるんであって、権力が介入しない状況では、延々と罵り合いを続ければいいだけの話だ。
なんで今回の事件には憤りを感じ、聖書が破られたら大喜びするかと言えば、私がイスラム・シンパであり、アンチ・キリスト教だという理由しかない。私は国家権力じゃないから、そういう恣意的な判断は許される。
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ん?そんなにいけないことですか? 投稿者:F.F 投稿日: 5月24日(木)00時11分23秒
コーランを破り捨てた事件が話題に上っていますが、そんなにいけないことでしょうか。私は信仰の自由を否定しませんが、同時に宗教批判の自由も認められるべきだと思います。イスラム教徒をテロったならともかく、コーランを破り捨てたことは表現の自由の範囲内と思います。ちなみに私は、表現の自由は最大限尊重されるべきだと考えており、その意味では、カギ十字を禁止しているドイツより、ネオナチのデモを(表現の自由を理由に)認めているアメリカの方を評価します。もちろん、表現の自由を絶対的・普遍的なものとして認めてしまうことは、例えば人を殴っておいて「今のはオレの怒りの表現だ」などというのも認めざるを得ないことになるので、不可と思われますが。いずれにせよ、コーランを破り捨てることも、日の丸に火をつけることも、「裏切られた革命」を破り捨てることも等価と思います。
蛇足ですが、10年以上前、「突然変異」という雑誌があって、相当すさまじいことをやっていましたが、朝日新聞や椎名誠などから激しい攻撃に遭って、たしか廃刊になったと思うのですが、どなたかご存知ですか? 「何でも笑いの対象にする」という表現のスタイルについて、みなさんはどう思われますか?
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友人のモスレムによると 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月23日(水)22時55分55秒
本件とは直接関係ないですが、闘争的な印象を持たれてしまっているモスレムについて、
「本義は寛容だ」と言っていました。もし、北海人さんのおっしゃるような報復テロを起
こすモスレムがいるとしても、それは所謂原理主義者であり、その潮流は日本にはまずい
ない、とのことです。日本国内のモスレムが、報復テロを起こすような可能性はまずなさ
そうです。
さて、キリスト教はどの宗教よりも闘争的・虐殺的であると仏教徒としては見えてしま
います。まあ、こっち(浄土真宗=一向宗)も、命を賭けた闘いをご先祖様はしています
が。
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偶像崇拝 投稿者:末期社会主義研究会 投稿日: 5月23日(水)22時46分13秒
>その十倍返しを日本全体でこうむるのではないかと
排外主義的な感情からコーランを切り裂いた人たちを許すつもりはありません。
けれども、ムスリムにとって、こうした行為は信仰上の冒涜とは、写らない気がしますがいかがでしょう。
というのは、イスラム教は徹底的に偶像崇拝を嫌うからです。
タリバンによるバーミヤン破壊も、あれが仏教のものだったからというよりは「偶像」だったからですよね。
本になったコーランを信仰したとすれば、それは偶像崇拝です。
仮に、悪魔の詩編を訳した五十嵐氏を襲ったのがイスラム関係
者だとしたら、コーランの中身の侮辱としたと見えたのでしょう。
許すつもりはありませんが、論理として理解はできます。
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お邪魔します 投稿者:北海人@政治野次馬 投稿日: 5月23日(水)21時41分51秒
はじめましてお邪魔します
マル共連経由で辿りつきました。
とうほうHNどうり北のほうにすんでおります。
以後お見知りおきを
さてイスラム教徒の抗議について一言
すでにみなさまご存知のとおりイスラム教徒は強い闘争心を認めています。
信仰のために戦えという宗教だとおもいます。
キリスト教にも仏教にもない闘争心
日本人はあまり理解していないんじゃないかと(特にえせ右翼などわ)
事実、パレスチナイスラエル闘争の根底にはユダヤとイスラムという宗教的対立点が
存在しているわけですし。
下手するとイスラムの報復テロが日本で頻発することだって十分に考えられます
ですからぼくがこのニュースを聞いたとき第1感は「あぶないな」でした。
たしかにモスレムの神経を逆撫でした非道行為ですが、その十倍返しを
日本全体でこうむるのではないかと
いずみさまや赤い山女魚@静共闘さまなど成共同(笑)集会のレスで知っておりますが
ごあいさつは改めていたしたいと思います
それとこちらのへっぽこHPのアドレスをのっけておきます
でわでわ
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9613/index.html?
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「悪魔の詩」ですね 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 5月23日(水)19時38分54秒
「処刑宣言」したのは、イランの政府だか聖職者グループだったお思います。日本語訳した筑波大学の教授は、91年(だと思う)に、何者かに殺されています。
表現の自由の問題は微妙なのでとりあえず、客観的事実の記述のみ。
いずみ同志、お台場闘争ご苦労様でした。フォーカス見ながら仕事休んで行くべきだったと、後悔してます。6/23,スナック・バロンにて、三里塚・お台場の歴史的闘争をビデオで再現せよ!
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「外国人」排斥。 投稿者:アイランダー 投稿日: 5月23日(水)17時53分10秒
これは、やはり排外主義に基づく「嫌がらせ」なのでしょうね。
イスラム教徒に対するダメージとして、コーランの破棄は有功である事を知った上での攻撃ですよね。極めて、卑劣なやり方です。
信仰の自由に対する挑戦というより、排外的な外国人排斥攻撃だという感じ方をしています。「犯行」した側は、イスラム教徒だからやったというより、その当地に「アジア人」が居る事の方が「大きな動機」なのではないのでしょうか?
勿論、バーミヤンの石像破壊などに対する「反感」意識などがそれを後押ししているという事はあるのでしょうが、、。
異質な存在を排除・攻撃するという事件は、更に増えていくのでしょうね。この国は、「行政の長」などが先頭に立って、それを煽るような状態ですからね。
いずれにしても、このような卑劣な行為に対しては、強い憤りと怒りを押さえきれません。
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信仰の自由と表現の自由 投稿者:まっぺん 投稿日: 5月23日(水)17時19分26秒
う〜む。これは面白い問題提起ですね。
(1)天皇制・日の丸・君が代については特殊な条件がつくと思うのでイスラムと同列に並べて語れないところがあるんじゃないかと思います。つまり、それらの「ある意味で日本を象徴するもの」は同時に過去の侵略戦争の象徴でもあったという事実を無視して一般的にかたることはできない。
(2)何年かまえ発表された、ある小説が「イスラムを冒涜している」というので、イスラム過激派から作者に対する「処刑宣言」が出され、作者は身の危険を感じて隠れているというニュースがありましたね。具体的な中身について知らないのでコメントできませんが、「表現の自由はどこまでゆるされるべきなのか?」を考えるいい材料だと思います。
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刑法92条ですね 投稿者:いずみ 投稿日: 5月23日(水)17時04分22秒
(外国国章損壊等)
第92条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。
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う〜ん、どう考えるべきか 投稿者:赤い山女魚@静共闘 投稿日: 5月23日(水)16時52分49秒
私は唯物論者であり、かつ、イスラム勢力にはシンパシーを持ってるんです。それから、信教の自由なりそれを表現する自由というのは、ポジテイブとネガティブ、双方向だと思ってるのです。つまり、「キリスト教は素晴らしい」も「キリスト教はろくなもんじゃない」というのも、表現の自由というレベルでは、等価であると。
だから、今日、新聞でこのニュースを見たとき、ひどい事件だと思ったんですが、でも、「信仰心を踏みにじる行為だ」と言ったときに、じゃあ、我が静共闘は街頭宣伝の時に、「日の丸」を地面にしいて、それを踏みつけてアジッたり、最後は火を付けて燃やしたってことをするのだけど、それだって、同じ理由でしちゃいけないって事にもなりかねない。
あるいは、ドイツでカギ十字が禁止されてるように、「表現の自由」というのは、普遍的絶対的アプリオリなものではなく、表現される中身が問われるのか?
で、私が考えた暫定的な結論としては、イスラムを侮辱することも、天皇を侮辱することも、やはり、表現の自由であって、それ自体を法律で禁止するのは違憲であり、すべきでないと思う。ただし、表現には責任とリスクが伴うんだと、我々が「日の丸」を踏みつける時、それを取り締まることはできない、しかし、右翼に攻撃されたりする危険性はあり得るんだという覚悟は必要である。今回のことでも、イスラム教徒が大勢集まって抗議している。コーランを破いた人間は、謝罪するにしろ、なにが悪いんだと開き直るにしろ、自分がやったんだということを明らかにして、責任をとるべきだ。我々は、ビラには名前と住所・連絡先を明記した上で、「天皇制打倒!」なり「公明党粉砕!創価学会解体!」と書く。
ちなみに「日の丸」を燃やしても罪にならないけど、刑法だと、外国の国旗を燃やすと、当事国からの告発があった場合、罪になるそうです。国際問題に発展するのをさけるためだそうです。
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イスラムといえば 投稿者:つのじ 投稿日: 5月23日(水)14時56分45秒
週刊金曜日の編集委員の本多勝一もイスラム教徒だったような。「殺す側の論理」か「殺される
側の論理」の中に書いてあったような気がします。あまり関係が無い話ですみません。
むろん私もコーランへの冒涜には断固として反対します。
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コーランへの侮辱に抗議する! 投稿者:まっぺん 投稿日: 5月23日(水)10時11
分06秒
今朝のニュースによると日本のイスラム教徒が多数いる地域でコーランが盗まれ、それが引き裂かれて路上に捨ててあったそうです。
まっぺんはイスラム教徒ではないが、コーランをムスリムたちが非常に大切な「聖典」として特別な気持ちをもっている事は知っています。おそらくそれはキリスト教徒が聖書にもつ感情と同等かそれ以上のものでしょう。
犯人は分からないが、以前からイスラム教徒と衝突し街宣車などでたびたびいやがらせをしていた某民族派団体と目されています。
「国を愛する」「民族を愛する」という気持ちを持つのは「右翼である」ことの前提だと思いますが、自らに大切なものがあるように他の団体や人にも大切なものがある。自らの文化を誇るなら、同時に他の文化を尊重するべきである。他の文化を侮辱するのは自らの文化をも汚す行為である。かつてアジアを侵略しアジア諸民族に被害を与えた事がどんなに日本の文化をもいやしめたか、「ニセ愛国者」どもにはまだわからないのか!
一部のムスリムによるバーミヤン石仏の破壊にはとても腹がたったが、それに匹敵する怒りを「コーラン」への侮辱に感じています。
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ご苦労さまでした。 投稿者:アイランダー 投稿日: 5月22日(火)19時26分05秒
>とりあえず誉めてばっかのしょーもないオナニーレポートは書きました。^^;;
けっこう面白いですよ。^^;;
いいな〜、いいな〜。
私たちのデモでは、あのような「戦闘的姿」は見る事ができません。なにせ、全く統制できない連中ですから、、。私自身は、「丸太抱えて、防衛庁」は全く知らないし、2次ブントなるものへの浪漫的懐古もありませんが(これは、言っておかなくちゃあナー)、デモ終了後の打ち上げでは、「次回は、ペンチ用意してこいよ! 金網ぶち破って突っ込むぞ!」って、いつも威勢だけの提起だけは欠かした事がありません。10年以上、言い続けておって、未だに実現しておりませんが。
でも、今回(16日)には、メット部隊の登場もあったりして、いよいよ盛り上がってきたな、と喜んでおります。 皆に見せてやろうーっと、、。
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5・20レポート書きました 投稿者:いずみ 投稿日: 5月22日(火)12時37分58秒
とりあえず誉めてばっかのしょーもないオナニーレポートは書きました。^^;;
けっこう面白いですよ。^^;;
http://www.izumichan.com/ACL/current/ayamare/
ただ、当然ながらこれ、闘争テーマ自体はともかく、その背後に見え隠れする、いやミエミエの(笑)、「平野おじさんの野望」があるだけに、結集としては多くはなかったですね。
このあたりに、ちゃんと最近の「趣味者界」のセンスが物質化されてるなぁ、なんて思ったりもして。
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焚火派は 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月22日(火)08時46分08秒
日本で最初のポスト・モダンな闘争形態(組織)かも知れない。
(ポスト・モダニズムという思想は、食い足りなさを感じた。昔ですが。
再考の余地あり?)
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「資本論」に見るマルクスの資本主義観 投稿者:TAMO2 投稿日: 5月22日(火)08時37分52秒
掲題の件、大きすぎる内容ですが、「競争こそ資本主義の本質であり、これこそが旧い社会の紐帯を破壊した」という主張があり、資本主義の、封建制に対する進歩性をその点で評価しています。それに依拠して、レーニンはナロードニキを批判しています。
いずれにせよ、社会主義社会では競争が(すぐ)なくなる、とはご本尊たちは考えてもいなかったでしょう。
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