四トロ同窓会二次会 2000年1月18日〜22日

RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB

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おさわがっせ!(*^^*) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月22日(土)11時28分09秒

なんとかうまくいったようです。
一応、“争点”となっているページをリンクしておきます↓

トロスキーさん。
「ブルジョア独裁」の言葉を使用するべき積極的理由ですね?
すいません、わたしの能力と知識ではここまでです。

トロスキーさんの言われるとおり「強制とヘゲモニー」でもいいと思います。

http://www1.neweb.ne.jp/wa/redmole/web/sosialism0.html

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一次会の結論部分を再掲(^^;;;) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月22日(土)11時15分41秒

なにかよけいなタグがまざっていたようなので、こちらで掲載し直します。
こちらなら、まっぺんの権限で削除できるので。
朝倉さん、掲示板をよごしてしまってすみませ〜ん。m(__)m 陳謝。

当該個所の検討

では具体的に「一党独裁」の表記がある箇所を検討してみましょう。以下は「社会主
義のおはなし」に「一党独裁」の語句が使用されているところ(3ヵ所)です。
……………………………………………………………………………………………………
 「党内民主主義や複数政党制にもとづいているトロツキズムはスターリンの一党独 
 裁と『一枚岩』の党組織とにも対立しているのです。」
 (●「トロツキズムとスターリニズム」より)

 「●党内民主主義・複数政党制さ党内反対派禁止・一党独裁か」
 「『暴力』と『独裁』の言葉を曲解させるための材料を提供したのはスターリンで
 した。階級暴力と階級独裁はスターリンにより私物化され、反対意見の表明さえ禁
 止されてしまいました。『暴力』と『独裁』は本来の意味を失ってしまったので
 す。
 (●共産党が暴力革命と階級独裁を放棄したのは正しい政策か)
……………………………………………………………………………………………………
以上については誤解されないように事前に十分考慮したつもりでしたが、そのような
批判があった事を重視し、ぽ同志の批判を受け入れて修正し、更に有用な文章にしよ
うと思います。ついては読者諸氏、とりわけぽ同志には、どのように変更するのが良
いか提案をいただきたいと思いますが、どうでしょうか?

さて、うまくかきこめたかな?

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ブルジョアジーの階級支配ではなぜダメか 投稿者:トロスキー  投稿日:01月22日(土)01時46分22秒

 まっぺんさんのレスに関してですが、その中身については全面的に同意で
きますが、だから「ブルジョア独裁なのだ」という結論部分に飛躍を感じます。
まっぺんさんが、現在のブルジョア独裁として言っている中身は、要するに、
現在でもブルジョアジーの支配が貫徹されており、その支配の背景には最終的には
組織された暴力が控えているということです。これはその通り。しかし、
それを「独裁」という言葉で表現する積極的な意義が見えてこない。「支配」という
概念、あるいは、「強制とヘゲモニー」というグラムシ的用語でもいいと思うんですが、
なぜそれだとだめで、「独裁」なのか。
最終的に控えている「組織的暴力」の側面を強調する必要性、
そして、そうすることで、階級的警戒心を絶えず喚起する必要性、ということでしょうか?
それなら、何となくわかるような気もする。

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一党独裁論争の横レス 投稿者:ザーカイ  投稿日:01月21日(金)23時00分43秒

 いやぁ、まっぺんさんとぽさんの独裁論争は言葉の厳密さを求める議
論なんで、目が点ですよ。「一党独裁」なんてよく使っていたし、ソ連共産
党がプロレタリアと、国家を一手に代行していて、その上民主的手続きも
あったかどうかも知れない官僚制。そして、KGBの存在。
 それゆえ批判してきた。そして、全体主義の「悪夢」とみていた。
 私のように社会科学的な厳密さとほど遠く、ましてやマルクス主義論に
ついては地球からM78星雲ほども距離があるんで両者どちらが“正しい”
かはわかりません。
 ただどうなんでしょう。反共主義者がマルクス主義・ソ連批判に使った
言葉=反共用語となるんでしょうか?例えば収容列島とか。
 ぼくは説明するのにピッタリな言葉って、社会科学的.マルクス主義的に
正しくなくともあるように思う。そして、それが定着するのはマスコミの扇動
や、反共宣伝に限らず、大衆が「住みたくない社会像」を表現しているから
だと思う。
 その声はぼくは正しいと思う。資本主義という名であろうと、社会主義とい
う名の下だろうとみんな抑圧されて生きていきたくはないという事なんだか
ら。
 その部分をヴィヴィットにつかまないと「危ない」って気がする。(よって詳
しくはわからないがまっぺんさんのカキコには同調できる部分あり。)

<ソ連を語ると言う事>
 (自分もそうだが)自らの思想に基づく行動を正当化する為に否定すべ
きことまで結果として擁護しないといけなくなることがある。
言葉を共有していないから。
 とくにマルクスについて。組合をしていると「マルクスってどう思う?」組合
員に聞かれる。私は「読んでいないので知らない」と逃げることにしているん
ですが(笑)
 これは正直な答えであり、逃げです。擁護すべきところは山ほどある。
マル共連でジョークとして書いたが、いまどきの経営本に負けないくらい元
気になる言葉も多いしね。
 でも、その思想の末(担い手に問題があったとしても)ソ連のような悪夢が
あったわけで。どうもマルクスを語ると、結果ソ連も擁護することに(質問
者には聞こえる)。
 これをマルクスから社会主義や共産主義に取り換えても同じ。
 例えると、団体規制法に反対しようとすると、結果オウムを擁護する形に
なるように・・・。
 笑えるエピソードとして、ココで「社会主義懐疑派」のぼくが、同僚と飲ん
だ席で社会主義を思いっきり擁護してしまった事もある。経緯は忘れた(笑)
ただ、まとめとしてホンダの生産システム(ボトムアップ)を例に課内の協力
体制を改善できると誤魔化したような・・・。

 しかし、うまくまとめられないが「一党独裁」が反共用語となると、ますます
説明が大変になりそうですね。この言葉を使うことで反共と言われるなら、
ぼくが反共的とか場合によってはスターリン主義的といわれても仕方ない
と思いました。

 私の一番の不安はそれ以上に今民主主義を語る事自体が難しい、もっ
と言うと「危うい」と思う。正直怖いと思うこともある。とくに破防法のオウム
適用されそうな時などはそう感じたし、事実「奴はオウムでは・・」とささやか
れた。
 学生時代では原理研に対する対応の時。当時は左派学生では原理=フ
ァシスト規定で、サークルの連盟の糾弾決議(案)にぼくは反対(「言論の場
を与えて、批判せよ」と)したら、原理擁護派となってしまった。みんなは露
骨に非難しなかったが。原理はさほど差し迫った問題ではなかったしね。
 両方とも宗教ガラミですね(爆)
 #今は民主主義も語りにくい世の中ですよ、本当に。

まっぺんさん、ぽさん議論がんばってください。以上。

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「ブルジョア独裁」つづき 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)22時13分39秒

戦後のあたらしい世界

戦後、資本主義世界は技術革新がすすみ、生産力が飛躍的に高まります。そのおか
げで50年代〜60年代には先進国の労働者階級の生活はかなり改善され、政治的権
利も大幅に獲得されていきました。これにはもうひとつの意図があって、冷戦構造
の中で社会主義諸国に対抗し、先進国の労働者階級のこころを資本主義につなぎ留
めておくための資本家側の譲歩でもあったのではないでしょうか。しかし、その分
だけ旧植民地諸国の方に矛盾が集中していました。旧植民地諸国ではアメリカの国
際的反共戦略のもとに軍事独裁政権が擁立され、民族解放闘争が激しくおこなわれ
ていました。

あたらしい「ブルジョア独裁」(1)

「ブルジョア独裁」について語る時には、こうした情勢全体を総合的に見るべきな
のではないでしょうか? 先進諸国労働者が今日かろうじて享受している「独裁と
は言い難い、ある程度民主的な政治形態」と「物質的ゆたかさ」を一国単位で見る
のではなく、それが許されてきた条件として、犠牲になっている他の諸国との関係
で見ることが重要ではないか、ということです。

あたらしい「ブルジョア独裁」(2)

同じく、先進国労働者が享受できた豊かさと自由とは「共産圏に対抗し資本主義の
優位さを納得させるために」資本家階級とその政党が譲歩してきたこともおさえて
おくべきではないでしょうか。ということは、遠回りな関係ではあるが「共産圏」
の存在は我々にも間接的に恩恵を与えていた、ということです。
その証拠に、ソ連・東欧圏の崩壊とともに“グローバリゼーション”が進行し、世
界資本主義体制は無慈悲で激烈な資本主義的競争の時代に入りました。今のところ
圧倒的にアメリカ資本が優位に立ち、他の帝国主義諸国はアメリカを手本に、追撃
しようとしています。庶民の生活は危機に瀕し、労働者も小規模経営主も経済的に
追いつめられ、失業が深刻化しています。いわば資本主義が“本来の姿”にもどり
つつあるのではないでしょうか?

あたらしい「ブルジョア独裁」(3)

「政治的民主主義」や人権、労働者が獲得した権利を理由に「現在は独裁とはいえ
ない」という事は可能です。しかし、実際には政治的行為もふくめてすべてが巨大
な資本によって動かされています。資本家階級は「金のちからさえあれば」労働者
階級をしばっておける、と考えているのではないでしょうか? また「共産主義的
意識」=「共同の社会を作ろう」という方向ではなく「自分が生き残るためには他
社をけ落としてもよい」社会(グローバリゼーションはまさしくその典型)を維
持・発展することにより“実物教育”によって労働者階級を分断・支配しておける
と考えているのえはないでしょうか?
「チャンスはあげるよ。でもお金がなきゃ、できないけどね」という社会は「タテ
マエ」は民主主義でも実質は「独裁」と表現してもいいんではないでしょうか?

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Re:冬眠中 (^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)14時15分49秒

なおちゃん、おひさしぶりです。
ちょっと心配してました。

「芸風に自信なくした」なんていわれたら困るひとがきっといっぱいいますよ〜。
そんな事はぜんぜん気にしないで、またかきこんで下さいね。(^^)
ではゆっくりご冬眠ください。またね〜(^^)/

そういえば・・・・草野心平の「かえる」にも“冬眠”というのがある。

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「ブルジョア独裁」(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月21日(金)14時04分06秒

実はまっぺんも「独裁」の概念について、トロスキーさんのような角度で以前考え
たことがありました。私の思想の重要部分は、主に共青同現役時代に学んだものに
よっていて当時の四トロの水準を反映しているので、現在では通用しない部分もあ
るかもしれませんが、簡単にいってマルクスによる概念としての「階級独裁」は現
代でもその本質においては全くかわらない、つまり現代はブルジョア独裁の時代で
ある、と規定できるとまっぺんは思っていますが、・・・・さて(^^)。

単純に整理すると・・・・

封建時代=貴族階級による独裁。資本主義時代=資本家階級の独裁。
社会主義へむかう過渡期=労働者階級の独裁。
階級が消滅した社会主義段階にいたって独裁という政治形態も消滅し、
人類史の前史が終了する。という風に理解しています。
「独裁」とは他の階級を弾圧する事を前提とした言葉です。プロレタリア独裁では
資本家政府の復活は禁止される、という事です。では具体的にそれをどういう風に
おこなうのか? そこまでの事はよく考えていない。

19世紀・マルクスの時代の労働者の生活

当時の労働者階級はわずかな賃金のために一日14時間も働かされ、家にも帰れず
職場で仮眠する状態だったり、暮らしを支えるために夫婦が働き、それでも足りな
くてこどもも働くのがあたりまえ。当然まともに教育などは受けられません。統計
の数字までは知りませんが、当時「識字率」をはじめ初等教育の普及率が世界で一
番高かったのは江戸時代の日本で、欧米はそれよりも低かったそうです。もちろん
医療・衛生や生活保障なんて望むべくもありません。そうした意識は労働者どうし
の生活防衛に基づく連帯意識と教育・医療・社会学・人権など各方面の専門分野の
多少とも良心的な人々の努力とによって普及してきたものでしょう。

当時の労働運動

当時の労働者には争議権はおろか団結権さえもなく、デモやストライキなど今日で
は当然の権利とみなされている諸権利の一切が「反社会的」として弾圧の対象でし
た。デモのためにちょっと路上に集合しただけで警察の棍棒が打ち下ろされ、首謀
者はただちに投獄・解雇。小林多喜二なんかを読むと小さな紙切れを職場でこっそ
りまわす非合法組合活動の様子が描かれています。だから“組合運動”をすること
自体が解雇覚悟、命がけだった。それに比べたらわれわれのデモ行進はなんて平和
的だったんでしょうか。もちろん当時は機動隊と激しく衝突しながらのヘルメット
デモでしたが、事前にはちゃんと「道路使用許可」をとるんですからね〜。

当時の参政権

現在、世界のほとんどの国家は“二院制”をとっていますが、これは「貴族会議」
(貴族院・参議院あるいは上院へ改変)と「平民会議」(衆議院あるいは下院へ改
変)を起源とするものであることは説明の必要もないでしょう。二院制による国会
制度とは、ブルジョア革命によって貴族から平民が権力を奪取するに到る歴史の名
残りです。だからまっぺんは将来の議会は一院制でいいと思っている。しかし「自
由・平等・連帯」を旗印としたはずの市民革命も、結局はブルジョア市民による権
利の独占へと帰着しました。革命を共に担った“下層市民”=労働者人民はこのあ
らたな権力機構から排除されました。それは“制限選挙”という方法によって。

「国家」は「会社」?

古典的資本主義社会では国家への参政権は納税額によって制限されました。これは
結局「国家への貢献度・忠誠度」を国家への「納税」=献金額によって測る、とい
うことです。資本主義の論理は「国会」を「株主総会」のように解釈したというこ
とでしょうか。確かに資本家にとってみれば「国家」は「投資対象」でしょう。戦
争手段に訴えてでも植民地拡張と利潤の奪い合いをおこない、その結果うまくいけ
ば「国力の拡大」と共に自分の懐にも大金が転がり込んでくるわけですから。もち
ろん戦争で大量に流される血は労働者と貧農の血ですけど。

だから当時「独裁」のことばはリアルだった

以上に見てきたようにマルクスが生きていた19世紀という時代は今よりも政治的に
も経済的にも“階級”の区別がはっきりしていて、労働者や貧農の生活は非常に苦
しく、政治的権利どころか今じゃ人間としてあたりまえの権利さえもあたえられず
にいたわけです。「ブルジョア独裁」は、単に「概念」として規定されるだけでな
く、非常にリアルな響きをもって解釈されていたんではないでしょうか? こうい
う体制はほんの数十年前まであったわけです。

次は現代をどう考えるかを考察してみます。でも忙しいのでちょっと時間ください。

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ああ、いそがし 投稿者:まっぺん  投稿日:01月19日(水)00時47分30秒

今週のまっぺんは仕事に忙殺モードです。
なかなかレスできませんけど、少しまってね(^^)/

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おお!ありがたいです。 投稿者:まっぺん  投稿日:01月19日(水)00時46分06秒

「はずかしい」もの、楽しみにしています。(^O^)

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宅急便にて 投稿者:(^0_0^)  投稿日:01月18日(火)15時26分03秒

 まっぺんさん、今日は。
明日には届くと想います。
「×××」を送るのって、なんか恥ずかしいです。
お楽しみください。

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ブル独??? 投稿者:ザーカイ  投稿日:01月18日(火)14時53分16秒

>しかし、先進資本主義国では、支配階級としての。労働者階級や反対政党の反対にあって挫折したり、制限されたり、
>修正されたりする事態が規則的に見られます。資本主義国家における
>民主主義は、実は、中立的な民主主義ではなく、ブルジョア的限界とブ
>ルジョアジーの支配をともなったブルジョア民主主義にすぎない、という
>のなら100%納得できますが、それを「ブルジョア独裁」と表現すると、
>どのように理解が正確になり、発展することになるのか?

うーん、それ以前にブルジョアジー独裁って言葉があったことを知らなか
った(^^;;)
 少なくともブント系ではこういう表現は聞いたことがない。

>ブルジョアジーを含めて、特定の階級意志がストレートに国家意志に
>転化することはありません
ので、資本という敵が見えにくくなってしまいますねぇ。また、国家も。
ブルジョア民主主義は国家幻想と資本制を繋ぐ「白い糸」という感じでしか
わからない。まして「ブルジョア独裁」なんて。プロパガンダとしての強調だ
ったりして・・・・^^;;)

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いま冬眠中です 投稿者:なおちゃん  投稿日:01月18日(火)14時25分55秒

 まっぺん書記長、
 お久しぶりです。あいかわらず、コミュニズムをめぐる
 本質的な議論が たたかわされていて、ほっとします(笑い)。
 ああ、ココは ゆたかだなあ(荒れていてもそれなりに)と おもうのですよ。
 
 勝手ながら 今月いっぱい冬眠します。
 なんだか 自分の芸風に 自信がなくなってしまって。。。
 こもりつつ 地道に 学習してこようとおもいます。
 
 ザーカイさん、
 気になさらないで いーですよ。
 ただちょっと 自分のオルグをめぐる 不快な記憶がよみがえって
 しんどくなっちゃっただけなのです。
 あなたのせいじゃ ないですよ。 ------------------------------------------------------------------------
独裁についての質問 投稿者:トロスキー  投稿日:01月18日(火)02時17分52秒

 一次会掲示版とは違った角度で「階級独裁」について
みなさんにききたいことがあるんですが。
よく、ブルジョア国家はみなブルジョア独裁であり、
労働者国家はプロレタリア独裁である、という説明がされますね。
グラムシもはっきりと獄中ノートでそう書いているし、
レーニンやトロツキーもそう言っていたような気がします。
ここで質問なんですが、まず、1つ目。これはマルクスとエンゲルスの
説明に合致しているのかどうか? マルクスないしエンゲルスが、
はっきりと、ブルジョア国家はすべてブルジョアジーの独裁であると
規定した文章があるのかどうか、それが知りたい。
2つ目の質問。もし、ブルジョア国家がすべてブルジョアジーの独裁だとすると、
あえて「独裁」と表現することにいかなる意味があるのか?
別にそれならブルジョアジーの支配でもいいではないか、「独裁」という
とくに強い言葉を使うのはなぜか? 「独裁」というのは普通、
民主主義の正反対物として使われます。そして、頂点に立つ個人(この場合は階級)
の意志(この場合は階級意志)がストレートに集団意志(この場合は国家意志)に
転化する事態を指すと理解できます。
集団内の誰かの反対にあって挫折したり、制限されたり、修正されたりする事態が
しょっちゅうあったなら、それは「独裁」とは言えないでしょう。
しかし、先進資本主義国では、支配階級としてのブルジョアジーを含めて、
特定の階級意志がストレートに国家意志に転化することはありません。
労働者階級や反対政党の反対にあって挫折したり、制限されたり、修正されたり
する事態が規則的に見られます。資本主義国家における民主主義は、
実は、中立的な民主主義ではなく、ブルジョア的限界とブルジョアジーの支配を
ともなったブルジョア民主主義にすぎない、というのなら100%納得できますが、
それを「ブルジョア独裁」と表現すると、どのように理解が正確になり、
発展することになるのか?
何か、突然、初歩的な質問をしているようで恐縮なのですが、
みなさんのお考えを教えていただければ幸いです。

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