四トロ同窓会二次会 2000年1月14日〜17日

RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB

------------------------------------------------------------------------
そんなに違いを明確にしなくても 投稿者:H.H  投稿日:01月17日(月)00時18分29秒

ザーカイさん

>どこを「闘い」の起点にするかってことです。
>情況や環境なのか?それとも思想なのか?それとも・・・。

ですが、わたしのザーカイさんに対する(勝手な)イメージは、
それぞれの生活の場で、労働の場で、創作の場で自分なりの
活動をしていることでも闘いはできるということを言っていたような気がします。
もしそうだったら、私もそのとおりだと思います。

わたしが、暴力革命論などを書きこんだ際に、
誰かに迫ったという覚えもありません(日本共産党にはせまったのかな?)。
純粋に理論的な水準で書きこんだつもりです。
それを、理論や思想を闘いの起点にしていると思われても困ります。
(別に本当に困っているわけではありませんが)

現実の状況とつながりのない理論や思想ばかりを
語っていても誰も聞かないよ、という思いは、
私も同じです。
(それを私の書き込みでは感じ取れないとはおもいますが)

この件に関しては、表現の仕方は違っても、
そんなに違うことを考えているとは思いません(と勝手に思いこんでいますが)。
あるいは、それいがいでどこか違いがあるのかもしれませんが、
それは重大な違いではないとおもうので
(もし私が思うような重大な違いがあれば、私のほうから反論していると思う)
そう違いを明確にすることもないと思うのですが。

>HHさんの「フランスの内乱」についてと、柄谷の言っていることとの差がわ
>かんないんで、おいおい読んでレスできそうなら、書いてみます。

わたしの説明不足ですかね。でも、わたしも柄谷の本を読んだわけではないので
(というとまた批判されそう)そう気になさらなくてもけっこうです。
でも「フランスの内乱」はおすすめ。

それから、ザーカイさんの言説は別に抑圧的ではないですよ、
すくなくとも私にとっては。
どれだけ言説で抑圧的になっても、現実の関係で上下、あるいは抑圧的な
関係でないと、「なんじゃこいつ」というむしろさげすみの対象にしか
ならないですよね。言葉的にも、もちろん現実の関係でも
そんなことはないですよ。

それと、今月末まで登場できません。
といっても、そう登場するつもりはなかったのですが・・・。

------------------------------------------------------------------------
HHさんへ 投稿者:ザーカイ  投稿日:01月16日(日)23時29分32秒

すんません。左翼的言説の抑圧性の例えです。
>女性差別だからと、風俗店はいけませんとか抑圧的にしか、発言でき
>ん左翼的なるものには、阿佐谷北さんのカキコの一部をよく読んでみると
>いいんじゃないかと思う。

これじゃ、HHさんがいったみたいになってますね。その点は訂正し
、お詫びします。

 まずズーと書いているのは、どこを「闘い」の起点にするかってことです。
情況や環境なのか?それとも思想なのか?それとも・・・。

 この違いで、「闘い」って意味が変わってくるんじゃないの?ってこと。
当然獲得目標も。それだけです。

私が書いていることも、抑圧的な言説となりかねないんで、この辺で。

#柄谷の本より今、「メソード演技」(スタニスラフスキーメソードの本)
のほうが面白く、なかなか「可能なるコミュニズム」に着手できていません。
HHさんの「フランスの内乱」についてと、柄谷の言っていることとの差がわ
かんないんで、おいおい読んでレスできそうなら、書いてみます。

------------------------------------------------------------------------
義理をかいていてすいませんね 投稿者:H.H  投稿日:01月16日(日)21時20分30秒

ザーカイさん
前回もそうですが、今回もお返事ありがとう。
ただ、どこにどう答えていいのやらよく分からないので、
内容についての返事や反論はいたしません。
ただ、お返事は見ていますよ、ということです。

特に
>女性差別だからと、風俗店はいけませんとか抑圧的にしか、発言でき
>ん左翼的なるものには、阿佐谷北さんのカキコの一部をよく読んでみると
>いいんじゃないかと思う。
がよく分かりません。私こんなこと言いましたっけ?

------------------------------------------------------------------------
鋼鉄は如何に鍛えられたか、あるいは自立派は如何に風俗店に到達し得るか? 投稿者:阿佐ヶ谷北  投稿日:01月16日(日)07時03分23秒

自立小僧としては、両者合意の上での売春行為は、認めざるをえんわな。
そもそも売春は、はたして悪なのか?
フェミ系のヒトには怒られそうだけど・・・。
私には酒や煙草やSSRI程度の必要悪にしか感じられないんですよね。

ちなみに暴力革命や前衛党・・・・
自立小僧は個のカクメーに拘泥しつつけるため、
肯定、否定以前に、興味自体がわかないのでえありました。

------------------------------------------------------------------------
HHさんへ 投稿者:ザーカイ  投稿日:01月16日(日)00時36分12秒

>わたしは暴力革命を「武力で政権を奪取する」が目指すべき形の革命
だとは思いません(それが含まれる場合もあるが)。できるだけスムースに
平和裏に労働者への政権移行が行われれば、かつそうなるように努力を
するということが左翼には求められるとおもいます。その条件、民衆の圧
倒的あるいは大多数の支持、それまでの支配階級とその機構の空洞化
などなどが整えられる過程とその到達状況はさまざまなものが考えられ、
それについて深く議論してもモニター上の空論になるとおもいますが。
(以上HHさん)

 共産党が歴史的改竄することには私も怒りがこみ上げてきます。
で、↑の引用について。

いつも順番が違うんでないかいと思う。それゆえ空論になるんですよ。
もちろん基本的な部分は共鳴するカキコなんですけど。
どこが逆かと思うかといえば、HHさんの党からみた革命戦略ではあり
ませんか?
 前衛党の存在は否定しませんが、党以前のことがあるんでないかい?
もっというと左翼以前に。

 目の前にあるのは活字かモニターでは空論になるはな−。ぼくはその
逆だけど・・・。

 あなたも私も民衆ですよ。自分以外の民衆も「こずるく、かつ逞しく弱い
存在」ですよ。ナロードニキの失敗に見て取れるように、「オメ−らにどうし
てもらおうとは思ってね−。それよりオメー自身メシ食えてるのか?」で、
はい終わり。
 自分のことをやって、そして協同できることは協同する。それで充分。
政治的にいえば、民衆が納得したものがいまの政治体制。それに反抗
するのが反体制。反民衆であるものが民衆の支持を求めている逆説を
どう考えるか。体制と民衆は違うとはなるほどだが、それなりに一体感
があるからこんなに失業率が高く、政局がねじれていても暴動さえない。

 女性差別だからと、風俗店はいけませんとか抑圧的にしか、発言でき
ん左翼的なるものには、阿佐谷北さんのカキコの一部をよく読んでみると
いいんじゃないかと思う。
 それ以外は賛同します。

ps:以前の柄谷行人みたいな意見云々に対してもレス書いたんですが、
  消えてしまった・・・^^;;)んで、さらにカキコする元気ないんで短くだ
  け。柄谷の本(*1)はまだ読んでないけど、帯の「フランスの内乱」の
  引用は心揺さぶるものがありました。読んでいないので、影響は受け
  ていません。ただ、彼は初期自立派なんで、類似した問題の立て方
  をするのかも。まあ、大先生と一緒のはずもありませんは、考えが。
  でもマル共連で協同組合主義の事は書きましたし、アケミさんのログ
  も読んでいますが、全然よくわかっていません。
   ただ、暴力は資本側からあるのはわかるが、我々が暴力をもって新
  しい世界を作るってのは敵に対応しているということです。
  つまりは敵に指導されているってことですよ。そんなことでは、単に権
  力者が変わるだけですよ.、ってこと。哲学の貧困はアナーキストだけ
  に掛けられる言葉じゃないと思うよ。
*1:太田出版「可能なるコミュニズム」柄谷編¥1600+税
でしょう。「とある所で」きいた、話の本は。読んでみようかなあ。

------------------------------------------------------------------------
先行して討論! 投稿者:H.H  投稿日:01月15日(土)22時08分51秒

ちょっと前にここで盛り上がっていた暴力革命論争、
「本家」日本共産党でも話題になっているようです。
私は日刊紙は朝日新聞しか取っておらず、15日朝刊の紹介記事で見ただけなのですが、
「しんぶん赤旗」の「レーニンはどこで道を踏み誤ったのか」
という不破へのインタビューで、不破が
「不破氏はマルクス、エンゲルスが議会を通じての革命を追求したと強調。
レーニンの暴力革命論をマルクスらの立場と相入れないと批判」したそうです。
現物を見てみないとなんともいえないのですが、
順調に議会主義の王道を歩んでいるようです。

トロ研の18号にある「議会主義と労働者階級」で
革命政党の議会戦術の各段階で立ち現れる危険性で
第三段階(「労働者大衆が直接的闘争を遂行している当面の諸要求を
国会の演壇に持ち込む」段階)で現れる改良主義的日和見主義を指摘していますが、
ほぼそのままを私立ちの目の前で演じつつあるようです。
「ブルジョア政党に頼ろうとする試み、「統一」行動の人為的な追求、
そして、スローガンとその宣伝とを自由主義的「世論」に順応させること」が
改良主義的日和見主義であるとトロツキーは言っています。
今度はトロ研で人民戦線批判とかで特集してもらいたいですね。

トロスキーさんが狭義の暴力革命と広義の暴力革命を
きれいに整理してくれていました。
わたしは暴力革命を「武力で政権を奪取する」が
目指すべき形の革命だとは思いません(それが含まれる場合もあるが)。
できるだけスムースに平和裏に労働者への政権移行が行われれば、
かつそうなるように努力をするということが
左翼には求められるとおもいます。
その条件、民衆の圧倒的あるいは大多数の支持、
それまでの支配階級とその機構の空洞化などなどが
整えられる過程とその到達状況はさまざまなものが考えられ、
それについて深く議論してもモニター上の空論になるとおもいますが。
日本あるいは議会制度の定着した帝国主義での革命が、
トロスキーさんの考えるようになるかどうかまでは、
深く考えたことがなかったので、これからはそれについても考えていきたいと思います。

ともあれ、不破が言う「レーニンの暴力革命論」が、具体的に何をさすのかを知らないと。
いまのところさざなみ通信でも、この問題は取り上げられてはいなようです。
人民戦線戦術ってやっぱりあらためて批判されなければならないですね。

------------------------------------------------------------------------
阿佐ヶ谷北さん、いらっしゃい(^^) 投稿者:まっぺん  投稿日:01月15日(土)20時05分53秒

気楽になんでも書いてくださいませ〜(^o^)

ここはわりに真面目な人達が、真剣な議論をしてくれて、
多いに興奮するところもあり、まっぺんも楽しんでおりますが
それはそれとして「ふまじめ」書き込みも歓迎ですよ。
いろいろな人がいろいろな「ネタ」を持ち込み、各々のとくいな
「芸風」を披露してくれることで、掲示板は活気があがるんだとおもいます。

アクセス数は毎日およそ100〜150くらいありますから、見てくれている
人は千差万別でしょう、きっと。
だから、だれがどんな書き込みをしても「みんなが」賛同したり
気に入ってくれているわけではないだろうと思いますよ。

だから臆せずにどんどん自分の“持ちネタ”を披露してくださいね。
同志的あいさつをもって・・・・(^^)/

------------------------------------------------------------------------
なるほど・・・。ちょっとした自信がでてきた。 投稿者:阿佐ヶ谷北@休日出勤 投稿日:01月15日(土)16時29分53秒

>いずみさん,>ザーカイ氏
ご忠告,ありがとうございます。
いったん,妄想にとらわれると,それこそ妄想幻魔対戦モードに暴走してしまう傾向に在るようです。
「きらわれている」と思いこむことで,きらわれては,やはりしゃれになりません。
まぁ,気楽にやります。

------------------------------------------------------------------------
映画「マトリックス」のモーフィアス風に・・・ 投稿者:ザーカイ  投稿日:01月15日(土)01時59分14秒

>しかし最大の問題は、あなたが「自分が書き込みの内容で嫌われてい
>る」と誤解していることです。本題では、誰も嫌ってないし、いやがっても
>いない。

阿佐谷北さんよかったね(^^)殆ど意見はないのですが、部分的に.
>具体の社会変革の理念像や絶対的な弱者の救済には,なんら言及で
>きないではないかと言われてしまえばそれまでですが,

 そうでしょうか?既に宗教論議でも出た点ですが、絶対的な弱者の救済
がいつ左翼の専売特許になったんですか?そんなこと右翼だって言って
ます。宗教だって彼岸での救済ばかりしているわけではありません。それ
を「イチジクの葉」と見るかは別として。ぼくはそうは見ていない。
 次に
 具体の社会変革の理念像はいらない。あっても、「この世には働き手が
少ない」。よってどちらにしても意味がない。
 あえて自立派くずれ的に言えば民衆の空間的(地域・会社等)時間的(労
働時間等)からの限りない彼方への解放の闘いでしょうね。
 もちろんそのプロセスこそが自立派の真骨頂で、「自意識の延長、浮き足
立った左翼」を叩きつつ、民衆の「今」とヴィヴィットに連動して飛び立つこと
です。より遠くへ.。
 そのためには
(1)未来を○○社会とか、なんとかに固定しない.。
(2)そして未来図から逆算した行動決定をしない。
の2つが最低限のたしなみ。
 よって資本主義という加速器に乗りつつ、資本主義が管理できないほどの
スピードで「今」突っ走ることです。
>「左翼」という言葉にどうしても傲慢な響きを感じてしまい,昔から好きに
>なれない私なのでありました
 私は「左翼」という自称を放棄してもかまわない。単にイメージが貧困とい
うか、豊かなというかわからないが、そんな「幻想の囚人」達に「悪夢」を見
せるには、まだ「妖怪」イメージを有している「左翼」が今の私には便利です。
 もちろん間借りしているサヨクな業界に賃料代わりの活動はしてますよ。
自分にとって切実なもの、またはそれ以前に必要なことは。労働運動もそ
うです。
 ただ、このままのスタイルでいけるはずもない(ということは「決別」まで身
辺情況を追い詰めた!?)。過去という資源は有限なのだ。

 どこでも闘えるし、どこでも闘えないときは闘えない。切実でない闘いなら
しなきゃいい。未来のために今を犠牲にすることも必要ない、そう思う。
 
 むしろ未来を「今」奪いとりゃあいい.。

 私はそんな風にしている奴をこのネット上でも知っている。ここのみんなも
知っている。切実な問題内容は私とは違うが。よって私達に出来ないはずも
ない。
 というのが私の自立派崩れで、情況派崩れな、つまりは「何者でもない」
所似です。
 「何者か」になろうとすれば、そう自分で決めればいいだけ。
 「私は何々である」と。
 もし自分が居心地の悪い「何者か」になっているなら、その時には
「神の御名において、一瞬手をとどめ、仕事をやめて、身の周りをよく見よ。」
byトルストイ
というコトバを思い出し、実践てみては?
 また、そんなお上品な言葉が出てこない時は、そんな気分をありありと感
じながら
    「くそ!やってられるか!!」
という呪文を唱えるだけで充分です。少なくとも「何者か」からは離れられま
すよ(^^)。
 そのあとは「私は○○だ」と決めりゃあいいだけ。
 吉本はいとも簡単に「左翼」という彼にとって居心地の悪いレッテルを自ら
剥がしました。阿佐ヶ谷北さんはまず、「私はカンチ君かも」というレッテルを
自ら剥がしてみたら。
 では、よい週末を!

------------------------------------------------------------------------
ほんとうにカンチくんですね。 投稿者:いずみ  投稿日:01月14日(金)23時03分48秒

我慢できないのでひとこと。

阿佐ヶ谷北さんの書き込み自体、まったくもって共産趣味系掲示板の趣旨に反しない
ものですし、内容もおもしろいんですが、ただ1つ、しかし最大の問題は、あなたが
「自分が書き込みの内容で嫌われている」と誤解していることです。

本題では、誰も嫌ってないし、いやがってもいない。

本心でそれが理解できていないのだとすれば、かなりの問題じゃないですか?

------------------------------------------------------------------------
追加 投稿者:阿佐ヶ谷北@職場  投稿日:01月14日(金)22時43分16秒

>まっぺんさんへ

「左翼」でない,なおかつサイコ系の私が,ここへ出入りするのは,やっぱ「カンチくん」ってことになりますかね?
「左翼」じゃないし,ほとんどROMだけなんで,○共連と同様,かなり嫌われそうな気が・・・。

------------------------------------------------------------------------
右・左にかかわるか? 投稿者:阿佐ヶ谷北@職場  投稿日:01月14日(金)22時32分46秒

後期吉本の自立思想の純化,すなわち「反核異論」「重層的非決定へ」,特に後者におけるチャプター「政治なんてない」
において,彼のソフトスターリニズム批判,左翼=知識人批判は,すでに通念的な左翼概念のリミットを突破し,市場社会の
容認にまで到達しています。
(隠れ自立派,笠井潔が最近いいだした「国家民営化論」=アナルコ・キャピタリズムも,この延長上にあるといえるかもしれません。)
この地平を用意した時点で,彼は新たなネオ自立派(私なんかその典型)の獲得に成功し,逆に関係の絶対性や「共同幻想論」等
における前期吉本の可能性にのみ拘泥する,古い左翼理念の延命を図りたいオールドジェネレーションからは,完全な「転向」とみなされ,
大量の自立派からの離脱を招きました。
左翼性,悪く言えば大衆を理念的に恫喝し続けるインテリゲンティアの傲慢で肥大しきった自意識,の解体こそが左翼性のぎりぎりの
延命の道であり,唯一の今日的課題だと示しているわけです。
このような場合,右・左というポジショニングにはたして意味があるのでしょうか。
左翼が自らを左翼だと規定し,COME OUTし続けることに,何か意味が残っているのでしょうか。
お前の言っていることは,禅問答であり,具体の社会変革の理念像や絶対的な弱者の救済には,なんら言及できないではないか,
と言われてしまえばそれまでですが,「左翼」という言葉にどうしても傲慢な響きを感じてしまい,昔から好きになれない
私なのでありました。

ところで,この時間にサービス残業を続け,明日も休日出勤の私は,純トロ的にみて,やはり「右」?あるいは「資本主義の豚」?

>ザーカイ氏へ 毎日の白熱した議論,エネルギーにシニカルな意味でなく感服します。

------------------------------------------------------------------------