四トロ同窓会二次会 2000年1月12日〜13日
RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB
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左・左にかかわらず、だって(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:01月13日(木)20時42分04秒
訂正します。
「右・左にかかわらず」です。
右のひとー、怖くないからきてね。(^^) ------------------------------------------------------------------------
(無題) 投稿者:ザーカイ 投稿日:01月13日(木)20時09分34秒
>なんかやってる人、思想的に同質な人しか楽しめない掲示板には
>したくない。これはここの掲示板の基本的姿勢です。
オッケーです。おわり。
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(無題) 投稿者:まっぺん 投稿日:01月13日(木)20時06分18秒
>まっぺんさん等がやっていないとか、やってないかを書くためにカキコして
>いるんじゃなく、次元の違いはあるが、いくらでもやれることがあるでしょって
>こと。
やっぱり何かやらなくちゃいけないわけ?
だれが何をやるか、なんて人のことはいいじゃないですか?
人によっていろいろ立場というものがあります。
前にもいいましたが
ここは左・左にかかわらず、主義者、趣味者、だれでも
受け入れるところです。「やる人」も「やらない人」も。
なんかやってる人、思想的に同質な人しか楽しめない掲示板には
したくない。これはここの掲示板の基本的姿勢です。
ザーカイさん、どしたの? あれてるじゃん。(^^;;;)
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あ、テレビに「爆笑問題」がでてる(内容に関係なし) 投稿者:ザーカイ 投稿日:01月13日(木)19時16分02秒
>それから「労働運動や、三里塚闘争などだけが闘いのように」は
>ぜんぜん思ってませんが。
では何を「やってない」んですか?
僕のレスをよく読んでくれないと困ります。わたしも自分の考えを書
いているだけですけどね。まあ、平行線なんで、どうでもいいです。
「収穫は多いが、働き手は少ない」マタイ伝9・37
<余談>
うちの共産党は私が組合主催のレクリエーションに、スキーを企画したら
、駄目!というんで、「団結スキー」と命名したらokだって。左翼用語でない
と、何をせんとしているか理解できないのって党派出身者に多い傾向です。
それに簡単な話を社会科学的に左翼的に言う/書かないとわからないひと
って結構いるしね。それと工学的にしか理解できない人、当局が暗に「参っ
た、撤回します」といっているのに深追いして二年かかって到達した地平を
台無しにする馬鹿執行部。
困ったもんです。同質性社会・党派にいると、思想も同質の物のみしか
理解できんらしい。思想の党派性から脱せないこんな人は闘わない方が
いいのかも。
「やれることは多い」って考え方を改めようかな。「やれることは多い。でも、
やらないほうがいい人も多い」と。
いや、いやそんな考えは革命が全人民の事業でなくなり、一部の者の陰
謀になってしまう。馬鹿執行部のために祈ろう。
「神よ、彼らを許し給え、彼らは何を自分がしているのかわからずやってい
るのですから。」新約聖書より
お終い、チャンチャン。
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だんだんザーカイさんの論旨が? 投稿者:まっぺん 投稿日:01月13日(木)16時54分29秒
わからなくなってきました。
「決意主義」をわたしがだれかにせまっている、というのですか?
はて?????身に覚えがないけど。
私は自分の考えをここで述べているだけですが・・・・
それから「労働運動や、三里塚闘争などだけが闘いのように」は
ぜんぜん思ってませんが。
相手の主張を正確に把握しないと的確な反論はできないと思いますよ。
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まっぺんさんへ 投稿者:ザーカイ 投稿日:01月13日(木)14時30分17秒
>認めないということですね?そうするとすべての“趣味者”は否定され
>るべきである、と
え?どう読んだらそういう結論になるの?趣味者は趣味したいからやって
いているんでしょ?どうして否定されるの?僕も趣味者です、そしてそれ
さえも闘いの一部に取り込んでいるからカキコしているんです。
随分趣味者からはアイデアなどパクらせてもらってますよ。
>だんだん論旨が「決意主義」をめぐる方向に向かっているようで、
>そういうところではザーカイさんに反論する気はありませんが・・・・
>ただ、「やる・やらない」の基準はどこにおくべきなんだろうか?
>たとえば「思索活動」だけに専念している人だっています。
思索活動を「やる・やらない」のどっちかというのは私が決めるんじゃなく
て、その人が決めるんです。「自立」をいっているんだから。
もちろん脳みその中だけで、お終いになるはずもなく、ここでカキコしたり、
ミニコミ出したりするでしょう。しなくとも、「やってる」と本人が思えばいいわ
けです。それがやっていたかどうかは歴史や他人の判断に任せるんじゃな
くて。
自分を貶めること=判断を人に委ねること以上に犯罪的なことってありま
すか?
みんな伸び伸びした社会を創りたいんじゃないの?なら、先取りして「今」
伸び伸びしてもいいんじゃない?出来る範囲で。資本主義の中でもできる
事、したいことして「俺は闘っている!」といえばいいジャン。
>そういう意味では、私が趣味的にたちあげたこのサイトだって
>「暴力革命宣伝サイト」「四トロ広報サイト」として“活動”と
>位置づけられるかもしれませんよ。
まったくそのとおりですよ「活動」=「闘い」と位置付けてくださいよ。
少なくとも内面では。自分でそう思わなきゃ、「闘い」の芳醇さを高められな
いじゃないですか?
「闘っていない」が謙虚さから来ていたとしても、メッセージの送り先に落胆・
不安を与えたら謙虚じゃなく、暴力ですよ。
その点僕のカキコが全然誰にも勇気付けにならずにいることも同レベル
です。
「自分のやっている事(日々の労働も)はけして自分の中にだけ収まらず、波及しているもんだ。」
と気づけば、世界性を持てるんじゃない?ありがたくも迷惑にも、資本主
義が世界を覆っていて、世界の同時性は日々高まっているんだから。
どんなところからでも一穴ぐらい開けれるって。革命とまでいかなくたっ
て。そう言う想像力を高めてよ。社会主義社会以前に。
極論言えば、全人類が、はっと気づけばいつだって革命なんて出来る。
世界は労働者人民が創っているんだから。資本家なんてもう要らないんで
す。差別なんて要らないんですよ。
ただ、手段や未来図等々がああだこうだで、当分時間がかかるなら、その
プロセスを楽しみましょう、ってこと。抑圧者は資本家連中で充分です。我
々が自分自身を抑圧する必要も根拠もありません。
「暴力革命」を題材にしたのが私の失敗であり、勇気付けと反対になってし
まった原因ですね。この点はお詫びします。
暴力革命の旗を下げろという気はないんで、また平和的移行でなきゃお
かしいという気はない(少し言ってたけどね)
ただ、僕はなにも「しない・気づかない」で理想や夢が実現できると思うほ
ど、唯心論・決意主義じゃありません。
労働運動や、三里塚闘争などだけが闘いのように思う、まっぺんさんの方
がずーッと決意主義者ですよ。だから、それらをやっていない=「やっていな
い・闘っていない」というんです。さぶいですよ、闘いの想像力が!
それだけが「闘い」なら俺は「闘い」を辞めたい気分になるね。
いずれ会社を辞めて独立したいとおもっている者=今の労働運動から離れ
る者として。
とにもかくにも、我々が自由や平和や平等を想像/創造しなけりゃ全然駄
目駄目です。労働運動など以外にも「闘い」の術、解放の術はありますって。
それこそが、革命的ロマン主義(爆)なんではないだろうか?
注:勇気=ありのまま見る事
勇気付け=それは自分でいくらでもコントロール、活用できると気づか
せる働きかけ・共同作業。労働者・人民が世界の主役・創造
者だと気づかせること。など(私の心の辞書より 笑)
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まいりましたm(_ _)m 投稿者:まっぺん 投稿日:01月13日(木)14時09分59秒
トロスキーさんの意見にはいつも私の一歩も二歩も先を行く
考えが含まれていて、勉強になります。
現在ヨーロッパの主要先進国はほとんどすべて社民党もしくは
社民党プラス緑の党(日本の「緑の党」じゃないからねー^^)が
政権をとっていることからも、民衆が現在の各国議会制度を
一応自分達の代表機関とみなしているものと考えられますね。
また権力が労働者階級がわに平和的に移行した後で、暴力的な
奪回が企てられる可能性が高いことも非常に納得できる
結論です。
私の主張の中で「暴力的衝突は必然である」については若干
訂正します。「必然かどうかわからないが、武装解除してはならない」
というふうに。
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暴力革命について 投稿者:トロスキー 投稿日:01月13日(木)01時14分33秒
暴力革命をめぐって議論が白熱していますね。
私は、トロスキスト(トロツキー好きな人)ですが、
トロツキーと意見の合わないところが2つあって(細かいところはもっとあるが)、
一つは、社会主義になっても市場がなくならないと考えていることと(市場社会主義派)、
言葉の狭い意味での暴力革命は先進国ではほとんど不可能だと考えていること、です。
言葉の狭い意味での暴力革命とは、その国において正統と社会的にみなされている代議機関
で革命派(単独ではなく複数の連合でよい)が多数を取ることなしに、
下からの人民の武装力で権力を転覆し革命を達成することを指すと定義しておくと、
これは、発達した議会制民主主義が機能している国では、不可能に近いと思います。
10月革命だって、ソヴィエトという、民衆が正統とみなした代議機関で
ボリシェヴィキ(および左派エスエル)が多数を取ったからこそ可能になりました。
憲法制定議会では少数だったけど、民衆(少なくとも都市労働者)は、
ソヴィエトの方を正統な代議機関だとみなしていました。
ソヴィエトが民衆によって正統だと認められたのは、それ以前に、
正統性を持った民主主義的な代議機関がロシアには存在していなかったからです。
ロシアの議会は何重もの不平等選挙で、そこに投票できた一般民衆は、
全体の数%でした。したがって、ソヴィエトというのは、ある面では、
ブルジョア議会より進んだ機関であるという側面を持つとともに、
他方では、ブルジョア議会の未成熟さの反映でもあったわけです。
先進的なものと後進的なものの弁証法的融合が、典型的にソヴィエトに見られます。
しかし、すでに民主主義的な(ブルジョア的とはいえ)議会制度が
何十年も定着し、ほとんどすべての国民がそれを正統な代議機関とみなしている
発達した資本主義国においては、ソヴィエト的なものが、ブルジョア議会に
簡単にとってかわるということは、非常に考えにくい。
とりあえず、ブルジョア議会において多数を獲得することで民衆からの正統性を
獲得した後でないかぎり、権力を革命派が握ることはありえないと思います。
問題は、そのような形で平和的に政権を奪取した後に、そのまま平和的
過程が続くかどうかであって、その点については、すべての歴史が
否定的回答を出しています。スペインしかり、チリしかりです。
したがって、平和的に推移した過程が、政権が社会主義派に移った時点で、
急速に暴力的な過程に転回する可能性はきわめて高いと考えます。
この意味では、言葉の広い意味で暴力革命となりますが、
暴力革命を目指しているのではなく、その回避の努力をしつつも、
そうはいかないという蓋然性を考慮すべきだということになるでしょう。
しかし、民衆の支持が強ければ強いほど、流血の事態はますます少なくなります。
ロシア10月革命でも、死者の数は、十数人でした。
東欧の変革でも、ルーマニア以外ではほとんど無血でした。そうした
無血革命を最大限めざすというのが、今の私の考えです。
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やはり行動者でないと(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:01月12日(水)22時37分17秒
認めないということですね?
そうするとすべての“趣味者”は否定されるべきである、と。
だんだん論旨が「決意主義」をめぐる方向に向かっているようで、
そういうところではザーカイさんに反論する気はありませんが・・・・
ただ、「やる・やらない」の基準はどこにおくべきなんだろうか?
たとえば「思索活動」だけに専念している人だっています。
そういう意味では、私が趣味的にたちあげたこのサイトだって
「暴力革命宣伝サイト」「四トロ広報サイト」として“活動”と
位置づけられるかもしれませんよ。
まあ、読んでくれている人の圧倒的多くが“趣味者”では
活動にもならないかも知れませんが・・・・ (^^;;)
ただね、このサイトを開設してみてしみじみと思ったのは、自分が
これまで不勉強だったなー、という事。痛切に実感しました。
「トロ研」もわりによく読むようになったし、毎日がおもしろいですよ。
ザーカイさんに感謝しなくっちゃ(^^)
あんまり自分を追いつめないで、気楽にいきましょ!
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その3 投稿者:ザーカイ 投稿日:01月12日(水)22時27分42秒
HHさんへ
ほとんど、まっぺんさんへのレスで説明しきったが、いくつかを。
>また、労働者階級のたたかいが高揚するにつれて、ブルジョアジーは
>どんなことでもします。戒厳令、米軍出動、議会停止、労働組合の禁
>止から大虐殺などなど。それはフランス、ロシアだけでなく、全世界で
>起こっていることです
いいジャンいいジャン。ブルジョアジーがそこまでしてくるような状態にまで
しようジャン。日本では「もういい加減怒れよ」って状態でも人民が眠りきっ
ている。もちろんそれで済んでいるならそれでいいんだけど、ブルジョア民
主主義枠でさえ、てめ-が今主役なんだってことをみんな気づかないという
か、自治能力を発揮していないというかなんというか・・・。だから
>もちろん、そのような訓練はブルジョア民主主義でも多いに可能ですし、
>その延長線上(きわめて困難な道のりですが)に新しい社会を展望しな
>ければならないとおもいます。でも、民衆においては、訓練は革命的危
>機の時期には、加速度的に達成されるというのも歴史が物語る事実で
>すね(暴力革命派を乗り越えて)。
じゃ駄目だと思うんだよね。新しい社会の展望云々は置いておくとして、
革命的危機を待ってちゃ民主主義の成熟なんて永遠にその原型さえみん
なの目の前に提示できない。何十年も前の歴史を提示するなんて書生さん
みたいな根拠じゃなく、もっと見える形のものでないと勇気付けられないっ
て。もちろん待ってるつもりはない旨集団的闘争のところにあったね。ただ
歴史的にその訓練も革命後はお寒いものでしたでしょ?やはり、平時の訓
練と習慣化が大事でしょ。
敵の暴露が革命党の使命とレーニンが言ってたと思うけど、まさにそれを
成す事がいい訓練になると思うね。武装まで射程に入れた革命党で、キチ
ンと敵の暴露を大衆にしているところってないね。期待は全然していないの
で、身近な人には自分で気づかせていこーと。
少々馬鹿でも、闘わないといけない時は闘えるような人を増やしたいよ。
全共闘世代でリストラされても泣き寝入りしている本物の馬鹿でさえなけ
りゃあ、小さな勝利でも体験すれば自己権威を回復してくれると思うんだ
けどなあ。僕は暴力には期待しないが、それぞれが自己権威回復するな
ら、少々の逸脱は目をつぶって支持しまっせ。
とにかくみんな難しく難しく考えたいみたいで頭いて-よ。勝ち負けにこだ
わらなきゃいいだけだって。
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その2 投稿者:ザーカイ 投稿日:01月12日(水)21時46分46秒
(つづき)
僕は暴力革命なんて展望しないし、必ずしも必要不可欠な事とは思わな
い。でも、
まっぺんさんは暴力革命は避けられないと思っている。では、暴力革命に
向けて今できる事はなんですか?その中で、楽しめる事はどれですか?
例えば、このHPで、暴力革命の不可避性を宣伝して、他のHPとのリンクを
増やすって手もアリかも。いや、それが難しきゃ同趣旨のHPとリンクしておく
とか・・・。そう、もうやっているでしょ?
まっぺんさん等がやっていないとか、やってないかを書くためにカキコして
いるんじゃなく、次元の違いはあるが、いくらでもやれることがあるでしょって
こと。
まっぺんさんに敢えて言うとすれば、「やってない」と言う事。ぼくには
不快感がある訳、その言葉。
暴力革命を取り出して暗にそう書いたつもりなんだけど、「やってない」と公言
することで、ROMも常連も「ああ、変革って大変なことなんだなあ」とおも
っちゃう訳。これって後ろの味方から撃たれるようなもんですよ。
「昔やっていた」なんて表現はなおさら・・・。
たとえまっぺんさんにとって今の自分が闘いの本流と感じれなくても、「や
ってない」というのは辞めて欲しいなあ。全身をかけて闘う者に済まないとい
う気持ちは僕にもあるが、それに思い悩む事も羞じる事もない、”いま”必要
なことのみしてりゃあいいわけです。その中に変革の因子が含まれている
事に気づきさえすれば(つまり楽しめば)。
「新社会の要素のほとんどはすでに旧社会の胎内で成熟している」
byマンデル(まっぺんさんのカキコより)
もう一回同じ例えを出すと、
>>種植えて、芽しか出ていないから「これは不完全な樹だ」なんて言わな
>>いのと同じで。既に完全性を有しているんです。
というわけで、
>ザーカイさんは私に「そんなにいうなら第四インター派にもどって活動し
>なさい」と言っているのでしょうか、それとも「やる気がないなら発言する
>な」と言っているんでしょうか?
とは言っていません。この論旨を煮詰めると、暴力革命vs平和的移行で、
平和的移行がおかしいと僕が思ったら、僕は運動を止めないといけません。
ここでどっちが正しいか結論付けてもしょうがないでしょ?
変革にどんな道筋があるかなんて誰も分からない。
可能性を狭めて、さぁ闘えっていうのが暴力革命派と私が呼ぶもののダメな
ところ。個人的にはそれに加えて、可能性が少ないチョイスだと思うよ、暴力革命は。
なぜなら多くの場合自己欺瞞を強いると思うからです。
それと同様に必ずしも、僕自身の考えも固定的ではありません。いつ何
時方向転換をするかもしれません。「神」でもないのに変わらず同じ考え
でいられるわけがないんですから。ただ、できるだけ自己欺瞞のない考え
、融通の聞く考えを持とうと考えてます。そのためには社会主義などという
手垢のついた言葉ではダメなんです。既存の枠にからめとられてしまう。
無駄な労力はなるべく避けたい。
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その1 投稿者:ザーカイ 投稿日:01月12日(水)21時34分40秒
とりあえず論旨を整理すると
1・今やれること、やらざるを得ない事って多いんじゃない?HHさんが[自立]
できない理由を書いているように。
2・闘うの定義は、階級対立に絞られません。私は「よりよく生きる」ことの営みと
して使っています。人を辱めようとするものへの抵抗も含みめば、イヤな会社をやめて
転職したり、職能トレーニングを受けたりする事までも含む。政治、経済に限らない。
3・自立している人とは、闘っている人です。そしてどんな環境でもしぶとく生き
ぬく人です。
4・新しい共同体の創出とは既存の共同体ルールで漏れ落ちる人との共生(の模索)
です。ここで「弱者」(大嫌いで、使いたくない失礼な言葉)の問題がテーマになりますね、
ここで。
5・暴力革命は批判でおもな批判点は、暴力革命を口にして実際それが暴力革命へ
の糸口となるようなことしてんの?ってことで、赤軍派のようなことをしろって言って
んじゃない。
まぁこんなところでしょうか?
正直な話、これが現実的かどうかなんてどうでもいいわけで、ぼくはこれにワクワク
する感じがして、いまやっているすべての事が楽しい。客観的にはほんの少しでも解放
スペースが広がるだけで、ドカーンとした解放感がある。
つまりぼくは現実的と思っている。
それは遠い未来を空想するんじゃなく、またそのために我慢するんじゃなく、基本的な
ことを噛み締めているからで、労働運動という階級対立をしているからではない。問題
社員のところでも書いたが、傍目からつらく思うことでも、視点を変えりゃ「シメシメ、
カキコのネタができた」と思い、思わす張りきってしまう(笑)。つらいコトならしなきゃ
いい。やれない事なら言わなきゃいい、やっているのに「やってない」なんて言わなきゃ
いい、と思う。でないと、民主主義の成熟は実現しませんよ。どうしてかといえば自分
に「嘘」をついているからです。
そんな人が正直に対等に他人と付き合えますか?決起の日にその人は前線にいますか?
そんなことで暴力革命なんてできませんよ。平和革命も。
まず民主主義は自分自身への民主主義でないといけないと考えます。勝手に名付けると、
深層心理民主主義(爆)。余談ですがぼくは自分をかりそめに肉体・精神・理性にわけて、
三権分立をしています。
肉体=行政・軍隊、深層意識=議会、理性=司法といった具合に。まぁ、こん
なにきれいには分かれないが。得てして肉体の独擅場となることが多い(笑)
まぁ、脱線はこの辺にして、
>さて、口先だけで何の運動もしていないまっぺんに対するザーカイさん
>の批判ですが、それに対して応えることはできません。そのとおりです
>から。自分では何もしていないくせに新時代社に小言ばっかり言ってま
>す。byまッぺん
というカキコを題材にレスすると、まっぺんさん、それでいいんですよ、
僕的には!この場合は読者として新時代社のよりよいサービスを求めて
のことでしょ?それですよ!そして、クレームというか要望している。
たぶん社会主義も、過渡的社会も当分は来ないでしょう。だったら、その
ための暴力革命何てこといっている暇に一歩でも前進していけばいいんじ
ゃない?(つづく)
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ブランド 投稿者:まっぺん 投稿日:01月12日(水)21時25分40秒
>ぼくは生き方自体がスキマ産業的なんで、ブランドみたいなものがあっ
>てくれた方がいいんだけど、社会主義支持者がそれでいいのかなあ。
いいんですっっっっっ! (-.-+)
>たぶん機能や格好の良さみたいなものにあこがれる事と、ブランドっても
>のをゴッチャにしているんだと思うけどなあ。
機能・格好とブランドとが無関係か、それとも関係あるのか、
まっぺんもわからん。しかし、社会主義支持者が夢をみるのは悪い事なの?
なーんか、ザーカイさんの「社会主義社会」像は“さむい”よ。
ベスパを買って、後ろにオードリー・ヘップバーンのごとき美女を乗せ
グレゴリー・ペックになりきって走るのが、まっぺんの夢だったぞー。
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自衛武装について 投稿者:まっぺん 投稿日:01月12日(水)15時01分37秒
ナチスが民主的に労働者階級によって政権を取得した、というのはナチス支持者
側の宣伝にすぎません。彼らは「労働者のストライキも支援した」などと言いま
す。ナチスが政権を握る過程ではどれほど多くの労働者が彼らのテロ・リンチに
やられたか知れません。ブルジョアジーの援助と軍の訓練により大量の武装「突
撃隊」を組織し、徹底的で容赦ないテロを強行した事をわすれるべきではない。
H.Hさんも言うように、ファシズムはブルジョアジーが通常の合法的な方法で政
権を維持できなくなった時に採用する手段です。
「国家」が「国家」として存続しているのは、そこに権力を支えるいろいろな法
律と権力機構、暴力装置が備わっているからですね。だからザーカイさんがめざ
す社会をつくるためには地方自治組織の民主的改良では実現しないでしょう。や
はり最終的には「国家権力」の獲得が問題となるでしょう。そうすると具体的手
段としては「議会による多数派獲得」→「労働者政府樹立」ということになるで
しょうか? これは日本共産党の路線と同じ方向ではないでしょうか。
こうした「平和的に社会主義(もしくは理想的社会)建設」というのは過去の歴
史から見てやはり無理でしょう。すでに前回説明したように保守勢力は「代行主
義」的議会制度をもってこの社会を存続させようとしています。また最終的手段
としてはファシズムの出現も想定しておくべきだと思うし。
だからまっぺんは「民主連合政府」路線もSENKIの「パラチェン」路線もグロー
カルの政治的ビジョンも、賛成はできません。彼らと労働者の共同の闘いをきず
いていくことについては多いに賛成ですが。
さて、口先だけで何の運動もしていないまっぺんに対するザーカイさんの批判で
すが、それに対して応えることはできません。そのとおりですから。自分では何
もしていないくせに新時代社に小言ばっかり言ってます。
>行動と言動が一致しない事を非革命的人民の間では『嘘』といいます
言行が一致しているザーカイさんを、その点では尊敬します。ザーカイさんは私
に「そんなにいうなら第四インター派にもどって活動しなさい」と言っているの
でしょうか、それとも「やる気がないなら発言するな」と言っているんでしょう
か? 申し訳ないがどちらも私は受け入れることはできません。(;_;)
余談ですが、日本国籍の場合はいつでも自由に離脱できるわけではありません。
外国籍を取得した時にかぎられます。
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暴力革命論 投稿者:まっぺん 投稿日:01月12日(水)15時00分46秒
ありゃ!一生懸命さくぶんしてたら、いつのまにかH.Hさんが書き込んでいた。
今年もよろしくお願いします。 すこしダブるかもしれませんが・・・(^^;;;)
到達すべき未来社会について、ザーカイさんとのあいだにそんなに違和感は感じ
ません。「社会主義」と呼ぶかどうか、呼称の問題は別として。
やはり我々のあいだの重要な相違は、そこへ到るプロセスでしょうね。その部分
についてのザーカイさんの主張は、だいぶ偏見のまざった文章になってきてるよ
うに思いますが・・・・(^^)
>ブルジョアジーなんて人間はいない
これは又ずいぶん乱暴な意見ですねー。現代資本主義世界はもちろん、マルクス
やレーニンの時代よりはずっと高度に複雑になってきましたが、「階級社会」で
あることは変わりないでしょう。また「ブルジョアジー=生産手段の独占者」と
いう定義は今でも有効だと思います。
>暴力革命でないといけない理由はありますでしょうか?
偏見のまざった文章というのはこの部分です。問題の立て方がまるでちがってい
る。「暴力革命でないといけない」という主張は例えば連合赤軍や一揆主義に行
き着きます。トロツキストはそんな主張をしているわけではありません。
こういう風にザーカイさんが主張する理由は、やはりブルジョアジーに対して、
そして資本主義に対して甘い見方をしているからじゃないでしょうか。「国家=
共同幻想論」(うう〜懐かしいことばです。情況派の面目躍如たるものがありま
すね^^)により共同幻想を捨てようという事にはあまり実践的な意味はないと思
う。なぜならブルジョアジーは「幻想」ではなく現実にこの世界で莫大な恩恵を
受けているからです。資本主義が最高の経済システムだと思っており、この利益
を自分から手放すなんでことは絶対にしないでしょう。だから、その体制が危機
におちいった時には、あらゆる暴力的手段をもって対抗勢力(それは搾取されて
きた側、つまり労働者階級以外にはないでしょう)をつぶしにかかります。つま
り暴力的衝突は「必然だ」と言っているのです。ザーカイさん以前「やらなきゃ
やられる」と言ったでしょ? あれは階級闘争、それも決定的局面について言う
のであれば正しい、とまっぺんは思っている。だから、その時がきたら躊躇なく
こちら側の勝利のためには武装するべきである、と思います。でも、だからと
いってそのような情勢でもない時に「いますぐ武装し暴力革命に邁進せよ」と宣
伝したらどうですか? まんがですね。むかしの「マル青同」みたい。
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おしまい 投稿者:H.H 投稿日:01月12日(水)11時02分27秒
ザーカイさんの暴力革命派批判で思ったこと。
暴力革命派への苛立ちや批判は、
暴力革命派が注意しなければならないことではあると思います。
「自立した個人と、新たなる共同体の創生」、いいですねその理想。
しかし、現実に「自立」ができなくなるような経済的条件が、
労基法改悪、派遣法改悪などで作られていき、労働者の自立のための組織でもある
労働組合の組織率が低下し、その歴史的役割を放棄するナショナルセンターが
幅をきかせている。
いつか、どこかで見た論争ですが、日本において「自立した個人」というのは、
やっぱり強者の論理、一国的論理、新自由主義的な論理に絡め取られる可能性を
多分に持っています。
もちろん、そのような訓練はブルジョア民主主義でも多いに可能ですし、
その延長線上(きわめて困難な道のりですが)に新しい社会を展望しなければ
ならないとおもいます。
でも、民衆においては、訓練は革命的危機の時期には、加速度的に達成されるというのも
歴史が物語る事実ですね(暴力革命派を乗り越えて)。
現代日本では資本との集団的闘争の復権を通じて、
さまざまな訓練がなされるとおもいます。
もちろんその過程で、かつて日本の労働運動が軽視していた
国際主義やマイノリティへの連帯、ジェンダーなども取り入れなければならないと思います。
ザーカイさんの投稿で、ますます資本の論理に翻弄されようとする自分に
あらためて警鐘をならしています。謝々。今年もよろしく(一方的に)
まっぺんさん、みなさん
新年明けてしまいました。またたまに書きこませてもらいます。
2000年を生きぬきましょう。
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つづき 投稿者:H.H 投稿日:01月12日(水)11時00分13秒
その上で、ザーカイさんの持論への私の考えです。
>1.ブルジョアジーなんて人間はいない。それは、僕がいうまでもない
>が、資本主義の中では、「収奪者が収奪される」わけで、絶え間ない闘
>いがあり、昨日の資本家は今日の労働者かルンプロ。(ロックフェラー
>ほどの資本家はどうか不明。)と言う事は「確かに資本家は存在するが、
>特定の個人や、一族ではない」つまりは資本原理という経済(政治)システムが、
>人民の心を支配している。
残念ながら、これまでの資本主義(大戦前、戦後帝国主義をふくめて)マルクスが
述べたような資本家と労働者階級の二極分化はおきませんでした。
というと語弊があるな。
資本主義がもっともすすんだ帝国主義では、
労働者階級のなかに中産階級という、新しい社会に向かって
進もうとする動きにブレーキをかける非常に大きな集団が生まれました。
新自由主義的政策で、中産階級の解体が進んでいるようですが、その規模はまだまだ
ブレーキをいえるでしょう。第1次大戦直前のドイツ社会民主党や日本の連合が
その組織的表現ですね。
>2.国家なんて実在しない。共同幻想でしかありません。だから、建国神話
>や、天皇制、民族がその支柱として外せない訳。トロスキーさんの中央政
>府は残るというのも、国家=共同幻想だからだと思う。たぶん必要なのは、
>キーステ-ションという役目で、イデオロギー(虚偽意識)を排した単なるイン
>ターネットのプロバイダーぐらいの意味と読んだ。
支配者はありもしない幻想を維持するのに膨大な金はかけません。
天皇制、金融機関、国会、国境、「北朝鮮」などなど、すべて
現実に存在する支配者のための富の分配機関である国家に惜しげもなく
金をかけ、それを維持しています。
私たちが支配者の振りまく幻想にとらわれないようにするという意味での
「国家幻想」説はとくに否定することもないと思いますが、ザーカイさんは
どうもそういう意味で言っているのではなさそうなので。
>3.ならば既にある民主主義枠内で、労働者政権をとって軍隊含めて支配
>し、憲法も改正して天皇制をなくし、直接民主制・自主管理社会にしたって
>OKジャン。
すでにある民主主義の枠内で労働者民衆の権利を拡大・防衛するために闘うことと
出来合いの支配者階級の装置をそのまま使って新しい社会にあてはめることはできない
という確信を持って資本主義の打倒をめざすことは矛盾はしないですよね?
階級闘争とそのピークにむかう過程は、1、2、3というような
ゲームをやるようにはいかないようです。また、労働者階級のたたかいが
高揚するにつれて、ブルジョアジーはどんなことでもします。
戒厳令、米軍出動、議会停止、労働組合の禁止から大虐殺などなど。
それはフランス、ロシアだけでなく、全世界で起こっていることです。
>ナチスでさえブルジョア民主主義で生まれた、ある種の労働者政権であ
>った事をお忘れなく(あくまで政権取るまでの「プロセス」の事)。
>なのになぜ民主主義を説く革命党が選挙支持されず、ブルジョア民主主
>義で政権を取れないといえるのでしょうか?(確かに今は無理だが、暴力革
>命はそれ以下の可能性)
ナチスの時代、それはブルジョア民主主義が非常に危機に陥っていた時代です。
それは革命的危機ともいえる時代です。結果としてナチスが政権を握ったという
歴史的事実から引き出す教訓は、
1.ブルジョア民主主義でも変革が可能というものではなく、
ブルジョア民主主義で支配できなくなれば、支配者階級は簡単にファシズムを支持する。
2.その際、労働者階級の革命的指導部の誤りは、労働者階級をどん底に追い落とす、
(だいぶ前に、トロスキーさんが当時のドイツ共産党とコミンテルンの方針の誤りについて
書いていましたよね)
というものです。
ましてそのときにあっては暴力革命の可能性が極めて低かったとは思えません。
今の可能性をいっているのであれば、わざわざナチスを引き合いに出すこともありません。
現在、日本でナチスが出現する状況にはありませんから。
(でもその方向にすすんでいることはまちがいない)
(すいません、また続きます)
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最近とある場所で 投稿者:H.H 投稿日:01月12日(水)10時18分00秒
ザーカイさん
暴力革命派への批判、なるほど日本で生まれて生活して、
まじめに階級闘争を闘っている活動家の批判としては、
まったく理解できるものかもしれません。
わたしも「そうだよなぁ」と思う個所もありました。
最近、とある学習会で柄谷ナニガシさんの最近の本(名前忘れた)が
ちょっと話題になり、その序文で「フランスの内乱」を例に出して
国家権力を目指すたたかいと比較して、協同組合の連合がきわめて重要だというような
(うろ覚えなので不正確かもしれませんが)記述を紹介した友人がいました。
それを聞いていると、なんだか国家権力や暴力革命をする必要は全くなく
自分たちが協同組合をたくさん作っていき、それを連合することによって
新しい社会システムが作れるようなことをいっているなぁと感じたのです。
ザーカイさんの意見もなんだかそんな感じがします。
でもね、よくよく「フランスの内乱」を考えたら、それとは全く正反対のこと、
上り詰めた階級闘争は、望まなくても支配者側からの暴力的挑戦を受ける、
それを打ち破るためには自衛のための武装、ソビエト、社会主義的政策、
主要金融機関の奪取などが必要になるということを書いて 言い キ奥歯で噛み締めて新しい ヲながらも活動する血の通 チして会話してたので、内容は >
こいつは、トロツキストだ ニハテt;畠n-+ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP