四トロ同窓会二次会 1999年12月27日〜31日
RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB
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謝っていただくいわれはないんですが...(笑) 投稿者:いずみ 投稿日:12月31日(金)20時33分19秒
もうお気づきかと思いますが、マル共連から最後に撤退した理由も
それです(笑)。
ただ、いずみの芸風に賛否両論あるのと一緒で、ザーカイさんの芸
風にも賛否両論なのが当然。いずみは掲示版を自由にほぼ無制限に
開設できる環境にいるのに対して、ザーカイさんは自身のサイトも
ない。ってことは、いずみはいずみの芸風に見合う場を作って、そ
ちらにひっこむ方が「全体の利益になる」んだなぁ、と判断したわ
けです。
もちろん、このようなやり方は「分散主義」との批判をまぬがれま
せん。マル共連は、最も幅広に情報を情報として収集する/集約す
る場として機能してきたわけで、いずみがそこに敢えて書かずに自
分のところに書いたりすれば、それだけ情報が分散することになる
わけですから。
ただ、既に現役を退いて久しいいずみとしては、もう「あそこに書
ける」レベルの過去ネタはほぼ書き尽くした感もあるんですよ。事
実、うちの掲示板にはこれまで、「マル共連に書いた方がよろしい」
よーな内容はあまり出ていないと思います。
だからザーカイさんは、いずみに謝るなんてバカげたことをする暇
があったら、もっともっとマル共連で暴れてほしいのです(まじめ)。
(さらに、いずみのことを必要以上にとりあげないでいただけると
よりよい(笑))
そしてお互いが「趣味者の提携、共働、でも分散の試み」のために
それぞれの「場」でがんばりましょう。
#いずみがここで比較的ザーカイさんにリプライしているのは、もち
#ろん「今の自分がある程度以上の自信を持って発言できるテーマ」
#がここで割と登場していることもありますが、それ以上に、ここの
#管理者であるまっぺんさんを(ここの管理人として)絶対的に信頼し
#ているからです。「万が一」のときにちゃんと捌いてくださるだろ
#う、と一方的に甘えてるだけ、とも言いますが...^^;;;
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はじめまして 投稿者:阿佐ヶ谷北 投稿日:12月31日(金)00時46分29秒
前から来よう来ようと思いつつ、来ぬまま今日にいたり、ミレニアム最後の日の
今日やっと来ました。
BBSの過去ログ読むと、みなさん非常に真面目な議論をされておられるようで、
私のような単なるサイコ系の「カンチ君」はマル共連以上に顰蹙を買いそうな気が
します。
とりあえず、お勉強しなおして、また来ます。
よいお年を。
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訂正 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月30日(木)22時07分04秒
誤<いずみさんは>
正<いずみさんへ>・・・・・・・・・・・・・m(_)m
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今年最後のカキコです 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月30日(木)22時05分08秒
<いずみさんは>
読みなおしたらおっしゃる通り、順番が違いましたね。ごめんね。
ただ「転向」は重すぎる言葉なんで、まっぺんさんへのレスする
前に確認として読んでも、使わなかったと思いますが・・・・。
>ザーカイさんの切り口は、まず自分の感性でとらえて声を上げてみ
>て、そこに対して異論があればそこから自分の論理を調整してく、っ
>てゆー、「現場の皮膚感覚」的なもののよーに見えます。
ええ、まったくその通りで、それだけがぼくの運動へのモチベーションを
拡大再生産してくれています。ただ、その「感覚」が優れていれば自慢も
できるんですけどね・・・。
>でもいずみは、異論を上げる前にその最初の「声」でダメージを受け
>て、発言する気力をなくしてしまうんですな(笑)。
某BBSでは(でも?)御迷惑をおかけした一年でした。
ごめんなさいm(_)m
年の最後になってやっとキチンと謝れました。ホッ
ついでに最近カキコのない、なおちゃんにもこの期におわびしますね。
<なおちゃんへ>
不快な目に会わせて済みませんでした。ごめんなさい。
京都の講演会でお会いできなくて残念です。来年もヨロシクね。
<HHさんトロスキーさん入谷さんまっぺんさんアングラさんへ >
トンチキな議論に関わらせてごめんね。一応はおおマジで書いてたんで
すよ、これでも(爆)まぁ、年越したぐらいで、お利口さんには成れません
が自分成りに誠意を尽くした議論、時には激論を交わしたいと思ってます
ので来年もお手柔らかに、よろしくお願いします。
特にまっぺんさんのこのHP・BBS設置に感謝します。おかげで、少し
やりたい事、したくない事が鮮明になりつつあります。
<黎さんへ>
お礼を書かずに今日まで来てますが、本当に労働運動の上で、励みにな
りました。ありがとうございます。非共産党系活動家が、職場に少なく(共
産党系もだが)「活動教育」を受けられず、無手勝流に彼らに負けたくない
という意地で最近までやってきました。また新左翼系の数年前の大合理
化を期に敗北→逃亡で、孤立無援でしたがネットの上だけでも闘う活動
家にお会いでき、少し孤立感から解放されました。
またWTOネタで、改めて全世界の労働者人民が深いところで通底して
いる事が確認でき、黎さんの闘いと根底で連帯していると実感しました。
今後も御指導、近況報告よろしくお願いします。
<ちゅんたさんへ>
非共産党系のぼくなんで、カキコを読んで、不快に思った点もありましょ
うが、小さい「村」の政治状況としてお許しください。情況はハッキリしつつ
あります。30年以上も前の左翼業界の枠組も変わっていくでしょうね。
理論展開を楽しみにしています。
<THX1138 さんへ>
あまり意見を交わすことがありませんでしたが、来年こそヨロシク。
<とみたさんへ>
来年「あかね」楽しみにしてます。とみたさんの「人間解放の事業が楽しい
ものでありますように」
#今年共産趣味デビューして、実活動の楽しみが増えました。
ここに挙げきれなかった皆さん、来年もよろしくお願いします。
☆☆☆☆☆☆みなさん、よいお年をお迎えください(^。^)/~~☆☆☆☆☆☆
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読み落としてました(笑) 投稿者:いずみ 投稿日:12月29日(水)22時39分10秒
ザーカイさんのは「どう読んだらそーなる?」ってレベルの誤読で、正確には
宗教→新左翼(広義)→転向者、と読めるはずです。
うちの自己紹介↓を要約すれば、まず宗教やってる者として反原理に合流して、
そのままソレ系の活動家になって、その流れで介護はじめてそこで仏教への限
界/MLへの共感(あくまでも「共感」)を感じた次第でして。
ザーカイさんの切り口は、まず自分の感性でとらえて声を上げてみて、そこに
対して異論があればそこから自分の論理を調整してく、ってゆー、「現場の皮
膚感覚」的なもののよーに見えます。でもいずみは、異論を上げる前にその最
初の「声」でダメージを受けて、発言する気力をなくしてしまうんですな(笑)。
http://www.izumichan.com/ACL/me.html
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イチジクの葉2 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月29日(水)22時15分33秒
<博愛主義(精神)>
まっぺんさんはこの言葉を易々と使っているように見えますが、まぁそ
れは脇においておいて。
博愛精神って、キリスト教では「汝の隣人を愛せ!」「我が人を許すが如
くわれの罪を許し給え(主の祈り)」ってやつで、できそうでできない事(例:
ペテロの三度の裏切り)だから、キリスト・イエスは十字架で「主よ、彼らは
自分が何をしているのかがわからないのです」と許しをとりなし、ペテロや
12使徒の逃亡、ローマ刑吏の罪(そして全人類の罪)をも、引き受け、そ
の血潮で生贄となったのです。
ですから、我々には到底できない事(奇跡)なのです。根本的思想です。
それゆえに尊い訳だし、凡人は懺悔し許しを乞うわけです(結果許され
るわけだけど=許しの秘蹟・カトリック)。
まぁ、これは教義だから脇に置いたんだけど、(←全然脇においてないぞ!)
ぼくの理解ではフランス革命での博愛は適切に訳すと「団結」でしょ。
たぶんまっぺんさんのいう博愛精神はこの事だと思うが、キリスト教では
博愛精神は生贄(自己犠牲)の上に成り立っていて、原点が違うし、「働き」
も違うと思う。
まぁ、「優しさ」という点では共通しているかも。それゆえ2つが似ていると
いうなら否定も肯定もしない。事実海外の活動家(社会主義)を例に取ら
ずとも、常連の黎さんはカウンセリングマインドを学ぼうと、インターネット
をはじめたと書いてあった気が(職場の精神保健といっていたか?)する。
また、ぼくも職場精神衛生と組織運営のため心理学というかカウンセリン
グを学んだ。
ただし、その相手を理解しようということ(=優しさ)は肩書き、職など関係
なく必要な事で、社会主義や宗教の専売特許じゃない。この点の共通項
は人間の営みすべてに当てはまってしまうので、ここで話題にするのは
逸脱かも。
結論を言うと、宗教という阿片ならぬ睡眠薬やアスピリンを「今、ここ」で
必要とするものから奪うというような言質は許せんって事です。ぼくはイチ
ジクの葉である事も認めたうえでね。ただ、個人が何に幸せを求めよう
と、役に立ちゃそれでいいでしょう。社会主義者が心を扱うようになったか
らといって、宗教も引き続き扱っていいわけだし。
自分をキチンと愛せてはじめて他者や、全体を愛せるんだと思う。それ
が社会主義理論・精神に通じていて、社会主義が実現するならそれもま
たヨシ。
まぁ、まっぺんさんがそういう点を理解してくれた事は既にはじめのレス
で感じていたがその後「目をそらす云々」というんで反論的なった訳です。
んで、これでジ・エンドに・・・。
*これ以上ぼくを宗教全面擁護者にはせんでくれー!
殉教《爆》はしたくないよ−。
PS:宮沢賢治は国柱会(日蓮法華経系の愛国的団体)です。
美智子は皇后でした。ミッちゃんごめんね!フランクルも・・。
あ、いずみさん(^^;)勝手にいずみさんのHPを話題にしました。
憶測含めて書いて済まんスm(_)m
みなさんへ、憶測で紹介した例なんで、実際彼女のHPを読んで補正
してね。・・・こんな訂正が多いカキコも珍しい(^^;)・・・・
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(無題) 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月29日(水)22時11分47秒
>「社会主義革命」について考えるのは「科学的社会主義理論」
>を身につけた人、渝物論弁証法をすっかり体得した強くて“立派
>な”人だけの特権なんだろうか?
社会主義にはトンと縁がありませんようなんで、それについてはどん
な人がやろうと、ぼくはOKです。社会主義者が考えればいいと思う。
だいたい社会主義については↓の#以下しか書いてないです。持論で
「社会主義と宗教」を語ると、みんなの気分を害すことになる結果になる
んで、勘弁してください。
>社会主義者は科学や唯物論弁証法ですべて解決がつくとおもってい
>るか、根本問題を語るのが宗教者の任務なのか
社会主義云々はまっぺんさんに任せます。ただ、科学的でないほうが、
当然範疇が広いといった程度ですよ。思考が堂々巡りした時は、非論
理的な解決手段(逆説的アプローチ)が「あり」ってこと。例えは「カーッ!」
とか・・・ね?
また、心=宗教者、社会=政治(社会主義者等)の分業なんていって
ないですよ。宗教がいつ根本的解決と関係ないといいましたでしょうか。
第一のミッションではないと書いたんです。数少ない任務とはいえ、第二
第三のミッションがあります。政治等が何番目かなんて事は知りません。
ただ、非科学的な宗教が幅を利かせた政治体制には想像しただけでウ
ンザリします。
私が宗教について狭く理解していてもいいんです。全部を理解するため
に書いたんじゃなく、議論の原点の資本主義の残酷さを隠すイチジクの葉
という解釈について論じたのみです。
元々ぼくは宗教を全面擁護する気はないし、宗教(今回はキリスト教)の
「働き」について述べているだけです。その一部の癒しと精神共同体につい
て、評価しているのみですよ。
>キリスト教精神につながる西洋思想からは近代的個人主義思想と近代
>民主主義につながる思想がうまれ、東洋思想からは人間を特別視しな
>い自然主義の精神が生まれた。
東洋思想って仏教をいうが、本当に東洋思想なんだろうか?そうとしても
仏教は人間だから修行ができる=悟れるといっているよ。人間がいるか
ら、思考があるから世界があるって感じの事もあって、宇宙物理学「人間
原理」に似た思想の唯心論も仏教哲学なんですけど・・・。ただそれだけ。
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再度の新時代社批判(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:12月29日(水)19時41分06秒
私もしつこいヤツですが、再度、新時代社にご意見を申し上げる!
「書記局声明」を読んでほしい。
なお、いずれ「宣伝戦線」を掲載する決意をさらに固めたまっぺんであった!
「宣伝戦線」表紙は↓「千代田総班」同志のサイトを参照してね(^-^)
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/1330/fi/jca_chiyoda.html
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宗教と社会主義 投稿者:まっぺん 投稿日:12月29日(水)17時12分19秒
再度、宗教的世界観の比較
東洋と西洋の宗教的世界観の違いはたしかにあります。比較するべきなのはキ
リストと仏陀であるべきです。親鸞はすでに仏教のバリエーションの一つです
から。端的にいえば、キリスト教は一つの真理=神のもとに全てを統制する思
想であり、仏教は“無常観”によって全てを放棄する思想、という風に感じて
います。これはどちらが優れている、という風にはいえない。キリスト教精神
につながる西洋思想からは近代的個人主義思想と近代民主主義につながる思想
がうまれ、東洋思想からは人間を特別視しない自然主義の精神が生まれた。
社会主義者は科学や唯物論弁証法ですべて解決がつくとおもっているか、根本
問題を語るのが宗教者の任務なのか、とザーカイさんは言いますが、これらの
表現からザーカイさんの思考がある程度理解できます。「社会主義」というも
のをずいぶん狭く解釈しているように思うなぁ。また、宗教についても。
「科学的社会主義」ってなに?
ザーカイさんは「心の問題は宗教で」「社会の問題は政治で」という風に分業
的に考えているように見えます。それでいいのだろうか? 宗教だけが「個人
の心の問題」に的確に応えられるのだろうか? 逆にザーカイさんに問いた
い。「社会主義革命」について考えるのは「科学的社会主義理論」を身につけ
た人、渝物論弁証法をすっかり体得した強くて“立派な”人だけの特権なんだ
ろうか?そういう人達があつまって「党」を形成し世界を掌握する。そうなる
と当然「マルクス主義」以外のあらゆる思想・宗教は非科学的でまちがったも
のとして排除されることになるでしょう。そうしてできあがった世界とはなん
でしょうか? まるで宗教みたいじゃないですか?「マルクス教」という。あ
れ?なんかヘンだぞ?・・・・これは「マルクス主義」「科学的社会主義」と
いうものに対する解釈の仕方のちがいだと思います。
(宗教に、ではなく)宗教家に学ぶべきこと
「心の中」についてのまっぺん説について、ザーカイさんが「問題に目を背か
せるイデオロギー装置と非難している」と言うのは大きな誤解です。私は宗教
そのものの教義を否定する材料として述べたのではありません。むしろ宗教の
教義についてのより「正しい解釈」から多くの宗教者が目を背けている、と
言っているのです。宗教の正しい解釈とは「博愛精神」についての解釈です。
実は宗教家と社会主義者とは非常に近いところにいるのではないか、とまっぺ
んは思っています。「心の問題」に宗教家たちが熱心に取り組み、人々の支え
となってきたのはなぜだろうか? それは他人のいたみを自分のいたみとして
感じること、つまり博愛精神をもっているからでしょう。博愛精神は人間がも
つ優れた資質であり、社会主義の出発点にもなったのではないでしょうか?
ロバート・オーウェンの実験がそれを証明しているように思います。またクリ
スチャンであった宮沢賢治はこういいました「みんなが幸せでなければ自分は
幸せでない」と。これこそ社会主義の精神そのものじゃないですか。これこそ
が、宗教がもつ優れた面であり、多くの人々を魅きつけてきた側面ではないで
しょうか? 社会主義の事業とは価値観を異にする多種多様な人々が共同の利
益を確信し共同の事業としておこなう事ができるのでなければ本物ではないと
思うのです。また同様に、まったく同じ理由によって社会主義者こそ人々の心
の問題に真剣に取り組むべきだとも思います。そうでなければ「あんたが目指
す“社会主義”っていったいなに?」といわれるでしょうね。
イスラム教(^^;;;)
すいませ〜ん、よくわかりません。教科書的な解釈をすると“世界三大宗教”
などと分類されるけど、あれは単純に推定信者数の上位三者をあげているだけ
にすぎない。しかし宗教の系統からみれば、ユダヤ教・キリスト教・イスラム
教は兄弟です。同じ一神教だし。神の命令に従っておれば天国にいける、とい
う原理もよく似ていると思います。だれか教えて・・・・(^^;;;)
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なぜイスラムが無視されている?(笑) 投稿者:いずみ 投稿日:12月29日(水)13時29分12秒
なんか下の議論でイスラムが出てこないのはなぜかなぁ、と。
いちお、信者の数では世界規模だし、政治志向強いし、ある意味これからの
「宗教」戦争の「核」な気もするし...
「主義者」的立場としても、現実の革命をたくさん指導してるわけだから、
その研究って大切な気がします。
それから、現代の日本の仏教に政治志向がない、とゆーのはあまりに単純
すぎ。いずみが昔やってたとこみたいな極端なのは別にして(笑)、現在の
創価学会の政治志向を他宗派と比べて「強い」と言うのはおかしいと思い
ます。
他の国でも、例えばタイとかでは強力な国民統合イデオロギーになってま
すよ。
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いいんだよ 投稿者:入谷 投稿日:12月29日(水)12時24分39秒
まだ皇后だし、皇太后は老人特有の症状を・・・・
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フランクル 投稿者:アングラ 投稿日:12月29日(水)11時26分53秒
「夜と霧」ですね。
みすず書房から出ています。
私は中学生の頃国語の授業で副読本として
読まされました。
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RE:再び宗教について−2 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月28日(火)22時52分25秒
<雑談>
皇太后美智子が、読書についてテレビで語ったときだと思うが、実存
心理学者フランクルの「夜と闇」を読んだといっていた。感想は言わず、
ただ彼女はその書名を言っただけなのに、ぼくは嗚咽するほどの涙が
出て止まらなかった。
「美智子は女性週刊誌が書いているように相当皇族の女性たちや宮
内庁にイジメられ、死にたいほど孤独だったのだろうなあ」と感じたから
だと思う。
確か「夜と闇」にこんなエピソードがあったと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ナチスの収容所に詰め込まれたユダヤ人たち。次々と気が狂い死んで
いく。
ある時誰かが、男性収容室に「女性」がいるといい始めた。すると、その
幻覚はみんなに波及した。その後収容室で発狂するものはいなくなった。
そして、皆極めて理性的紳士的に過ごすようになった。
理由は、その「女性」に恥ずかしいところは見せられない、と皆が思ったか
らだ・・・。そして彼らは発狂と死から救われた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その「女性」を「神」と置きかえると、宗教の本質が垣間見れるのではな
いか?
また美智子にしても皇室に嫁ぎたくなくても助け出すものもなく、シガラ
ミから逃げ出せず、結婚。その後のイジメ・・・。
「夜と闇」を読まざるを得なかった心況を鑑みた時、敵対する立場にあり
つつも、同情の念を抑えきれなかった。
また苦しみを分かち合える者を求めての無意識のサインだったのでしょ
う。私はキチンとそのメッセージを受け取ったつもりです。おそらく彼女の
主観では、死にたいほど「悲しい/悲しかった」のだろうから・・・。
あ、これを天皇制打倒のスローガンとは結び付けないでくださいよ、全然
違う位相の話なんですから。結びつけると、極めて俗物的下品な天皇制
批判になりますから。
私の憶測です、全部・・・・(^^;)ゞ。ただ、客観(科学)性を重視しすぎて人
類が失いつつある想像力=感受性は、人間解放の道にも大きな躓きの石
として存在していると思うが、いかがなものか。
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RE:再び宗教について−1 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月28日(火)22時48分12秒
>宗教が資本主義の「イチジクの葉」となりうるのは、宗教者が問題
>の根本的解決から目を反らし、もっぱら信者ひとりひとりの「心の
>中」だけで問題を解決させるようにしむけているからなのだと思いま
>すが・・・・どうでしょうか?
いつも「世界を語る」人と話して違和感を感じるのは、解決するのに
自分が死んだあと何100年かかるかわからない大きな問題と、時空間
的有限性の中に生きる個人の問題を同次元で考える点です。
私はどんな世でも、誰もが幸せ(束の間でも)を感じるために生きて
いいはずだと思っています。そのために根本的な解決がなされなくとも。
たとえば科学的医学も根治療法ではなく、対処療法ですよ。このネット
にも、夜な夜な眠れず、根治しない睡眠剤を飲んでいる人がいますでしょ
?そんな人にも「不眠症と闘い、根治して寝られる様にしなさい。それま
で睡眠薬はお預け!」というのでしょうか?そんなぁ・・・。
だいたい物質的に得られぬ幸せ(身体の欠損や金銭、身分)を「心の
中」に求めて何が悪いのでしょうか?「心の中」の幸せをも奪ってこそ資
本主義の本質が見えるというのでしょうか?また見えたら個人のやむに
やまれぬ苦しみが解決するのでしょうか?
それでは、恐慌→革命という極左冒険主義(トロツキスト用語か?)の
窮乏革命路線と同じだと思う。トロツキーが嘆きますよ(^^)
まぁ、心の中にでも平安が得られれば、余裕ができてボランティアなど
に参加して、資本主義の残酷さを目の当たりに「できる」ようになる人もい
ますよ。まさに「神のみぞ知る」ですが(爆)
*いずみさんのHPみたら、そんな体験談的自分史[宗教→「障害」者介
護→左翼]が書いてあった。ぼくはこの部分は読んでいてグッときた。
ただし、「心の平安」を得たあとだからどうかはわからないが・・・。
わたしは宗教を全面擁護する気は全然ないし、↑のまっぺんさんの
カキコ以外にも問題は大きいです(例:チリでは離婚が非合法=カトリック
信者の社会的影響力が大きいため)
しかし、根本的解決を語るのがなぜ宗教者の任務なのでしょうか?
宗教者であり、そして根本的解決を模索する人はいます。しかし、それ
は宗教者に架けられた第一のミッションではありません。
また、まっぺんさん理論では、中世のように宗教が政治に参加しな
いといけませんよ。でないと、「問題に目を背かせるイデオロギー装置
だ」と非難されるわけですから。
宗教は創価学会等のような権力志向のものを除くと、せいぜい遺伝
子組換え等生命倫理や、家族問題の審議委員会で意見する程度でし
ょう。宗教もそれ以上を望んでいませんよ。そしてそれでいいんだと思う。
道徳・伝統・儀式の継承こそが人類の叡智を保存する事だし、非科学
的な文脈(無限の意味付けが可能でしょ?ファンタジーだから<爆>)で悩
める者を覆い包み、癒す事が今の宗教の残された数少ない使命なんで
す。
宗教ファンタジーの命は、「夢」の中にあって、現実政治の中にはない。
#社会主義だってある部分をファンタジーで人々を勇気付けてる面があ
るでしょ?それを取り除いて啓蒙できるなら、宗教(性)=イチジクの葉
を批判できる資格があると思うよ。
西洋と東洋の宗教観の「違い」は、ぼくは単に絶望感への対処のバリエ
ーションと思っている。親鸞は全部阿弥陀仏に投げだすことで救いを得よ
うとした点で、キリスト教的です。持論では「違い」ではなく「豊富さ」です。
また教義の違いに眼が行くのはまさに現代的です。宗教の「働き」に
眼が行かないことと、左翼がスターリニズムをも乗り越えられないことは
案外通じるものがあるように思う。
<つづく>
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反WTO情報続々と! 投稿者:まっぺん 投稿日:12月28日(火)16時35分36秒
武藤一羊氏から「かけはし」へ届いた「シアトルの闘い」への分析が
掲載されています。これは新聞の方には載っていないようです。
見てね(^^)
http://www.jrcl.net/web/pk189.html
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「かけはし」最新号 投稿者:まっぺん 投稿日:12月27日(月)23時00分28秒
新聞「かけはし」新年号がゆうべ届きました。一面トップはやはり「シアトル」!
本文が全くなく大見出しとどでかい写真だけです。新時代社の“意気込み”が伝
わってきます。(^^)
私が非常に惹かれたのは「書評」のページです。ミシェル・レヴィの「世界変革の
政治哲学」というのが紹介されている。タイトルは「単線的『進歩主義』を拒絶す
る革命的ロマン主義復権への試み」
読んでみると、以前ザーカイさんやトロスキーさんがここで書いていた内容にも非
常に共通するないようです。これ、ぜったい買って読もう、と思う(^^)
終電が近いので、またあした・・・・(^^)/
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再び宗教について 投稿者:まっぺん 投稿日:12月27日(月)22時49分01秒
「世の中への絶望」
自分のことで恐縮ですが。「世の中への絶望」をわたしも経験した事はあります。
その時には宗教の方へはいかず、結局カミュとか、サルトルとか高橋和己などを読
んでいました。「シーシュポスの神話」は愛読書でした。草野心平も。だから、宗
教にむかう気持ちはわかるつもりですが、私はおそらく一生どの宗教にも行くこと
はないと思います。
今だったら“悩める若者”には漫画「ブッタとシッタカブッタ」をすすめますね。
断然! 読むと、とっても気持ちが楽になるでしょう。仏教のプリミティブな教義
を「ブタのまんが」に仕立てたものです。一度よんで飽きる人もいるけど、私は同
じところを何度も読んでしまう。
THX1138さん(^_^)だまされたと思って彼女に読ませてみたらどおでしょーか?
宗教的世界観のちがい
同じ宗教といっても、西洋の宗教(特にキリスト教)と仏教とはずいぶん違います
ね。キリスト教の場合は「ひたすら信じて神にしたがっておれば心配ないんだよ」
と、「絶望観」の解決をすべて神に預けてしまう。また人間が他の動物よりえらい
存在であることの意味を「神が自分に似せてつくったから」なんだとして納得させ
るわけです。それに対して仏教は「絶望するのは自分がなにか特別な存在であると
思うからなので、人間も他の動物とちっとも変わらないんだよ」という納得のさせ
方をします。絶望すること自体、高慢な証拠なのだ。
もちろん以上の比較はごく原理的な説明。実際は各宗派によっていろんなバリエー
ションがあるわけですね。
再び「阿片」の意味を考えてみる
宗教は社会主義と敵対するものなのでしょうか? 「解放の神学」が一部の宗教者
に強い影響を与えたのはキリスト教が本来的に持っている博愛精神がニカラグアや
南アフリカの闘う人民に同調したからでしょう。社会主義の本来の目的(つまり過
去にスターリン主義によって汚れてしまった「社会主義」ではなく)について考え
るなら、むしろ多くの宗教者にとっても社会主義は同調できるもののはずです。む
しろ資本主義以前の時代には、平等精神は宗教者たちの中にあったんではないだろ
うか? 宗教が資本主義の「イチジクの葉」となりうるのは、宗教者が問題の根本
的解決から目を反らし、もっぱら信者ひとりひとりの「心の中」だけで問題を解決
させるようにしむけているからなのだと思いますが・・・・どうでしょうか?
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感謝のレスポンス・・・・・とでも。 投稿者:THX1138 投稿日:12月27日(月)19時47分19秒
まっぺん党首、ザーカイ同志はじめ、同志の皆様、今回は本当に有難う御座いました。
取敢えず宗教論的な事は兎も角としまして、彼女自信も“宗教は阿片”と言う考えに
対しては、肯定的な立場をとってはいるのですが、阿片の虜になっている部分も少なか
らずあるようで、その事については彼女自身もかなり悩んでいるようです。私は単に傍
観しているだけではなく、出来る限りカウンセリング(そっち方面にも色々と詳しいも
ので・・・・・)をしたりしているのですが、彼女の少女期における体験がかなりの影
響力を持っているようでして、根深い問題です。
しかし、少しづつではありますが、彼女自身も変わり始めていますので、もう長い眼
で見守っていてあげたいと思っています。
皆さん本当に有難うございます。
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「宗教は阿片」という事の意味 投稿者:まっぺん 投稿日:12月27日(月)09時27分26秒
ザーカイさんにはいろいろ教えられる事多いです。(^^)
でも、私は一般論としてはそんなに宗教を拒否している訳ではありません。
宗教がその役割を終えた時、自然に消滅するんじゃないか、
とばくぜんと考えている。
たとえば二人の人物を比べてみましょう。
「マザー・テレサ」と「デズデモンド・ツツ司教」
この二人は同じく世界的に有名なクリスチャンですが
両者の善意を全面的に信じつつも、
私はやっぱり「解放の神学」の方を支持したい。
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朝倉さん四トロ同窓会BBSの続き 投稿者:ザーカイ 投稿日:12月27日(月)00時49分23秒
まっぺんさんへ
>ま、宗派の教義内容はともかく、宗教団体が貧者のために施し
>をおこなうのはおおいに善いことです。
>しかし、"善意"が資本主義の残酷さをおおいかくす「イチジクの葉」
>として機能するのにはハンターイ!
こりゃ、ダブルバインド(二重拘束)ですよ。
「宗教は阿片」であり「イチジクの葉」ですよ。でもそれを否定・反対しつつ、
他方で「貧者のための施しは賛成」では、それこそ「"善意"の搾取」です。
なぜ、宗教がいまも「イチジクの葉」たり得るのか?まっぺんさんはどう
思いますか?
ぼくは、それだけの理由や意味があると思うんです。
基本的に宗教(今回はキリスト教に限る)は、基本的に「世の中への絶
望」から始まる思考体系です。人間の努力は尊い、だからボランティアも
する。戦争にも反対する(できなかったときも多いが)。しかし、究極的に
は「虚しさ」や「絶望感」が消えない。だから宗教の語る「救済の物語」をか
りそめにでも信じるのです。
でも、親鸞が唯円に「浄土ってそんなにすばらしい境地なんですか?」
と聞かれ、親鸞が「わしも知らんのじゃ」て答える話があるけど、キリスト
教(とくにカトリック)にはそんな話がゴロゴロしている。
つまり、「絶対正しい」と正直に信じられる人は極めて少ないんですよ。
ではなぜ「(かりそめに)信じるゲーム」に参加する人がいるのか?
宗教にはいる人って、直感的に時代時代の矛盾、今なら資本主義の残
酷さを理屈抜きで感じているのです。アレルゲンに過敏・過剰な反応する
アトピーの人みたいな感じの感受性をしている訳。ああいう人は。
中には、社会主義というところに心の安定を求めて、かりそめに「虚しさ」
を解消できる人もいます。ただ、相性の問題で、宗教を選択する人もい
る訳。(言っておくと、基本的にフツーの人ですよ、世間的には。)
そしてこの「世の中に対する絶望感」とは、脳の問題でも、生活苦でも
ない「何か」なんです。
ですからきっとどんな世になってもなくなりませんよ。
物質(セロトニン等)に還元できない気持ちってもんがあるんです。人間
には。
こういう気持ちを持つ人が身近にいて、皆さんはすべて、科学や、唯物
論的弁証法で解決つく」なんて言っちゃうのだろうか?
そんなことを言えばいうほど、彼ら彼女らは「絶望的な」気分になるん
ですよ。「自分だけなんだ」って。本人も知っているから相談なんかしない。
かといって、ほうっておいても埋められない「虚しさ」「絶望感」・・。
そんな彼ら彼女らが安らげるのが、同じ気持ちを持つ人と、その集まり
なんです。教会です。
こう書くと、宗教でなくても、カウンセリングでも「若い根っこの会」でもい
いジャンといわれそうだが、それで済む人はおおいが、ある人には宗教じ
ゃないとダメなんです。どういうわけか。
なぜなら躁鬱や、神経症などの病気以上の根源的病=「罪」に気づいて
いる/傷ついているんです。
その時、罪を赦せるのは実在の有無を越えた「神」って事になるんで
す。
だから宗教って、逆説的な表現が多いでしょ、「貧しき者は幸いだ」とか
「弱いからこそ強い」とか。非論理的…。これが、「神」の実在の有無とま
ったく関係ないところなんです。
キリスト教では、「自分の弱さを認める事」が重要な鍵です。
「自分の弱さを認める事」は一般人にも効用があるため、心理セラピー
のエッセンスにもなっているけど、特にそういう人には考えも及ばないほ
どの効用になっているんです。
この文も全然論理的になってないから理解できないと思いますが、テ
ーマがテーマだけに御勘弁を。
「イチジクの葉」で恐ろしいものを隠し、「阿片」というか「アスピリン」で痛
みを和らげつつ、「弱い自分」を受け入れて「自分も生きていっていいん
だ」という認識に到り、奉仕活動でリハビリとでも思っておいてくださいな。
その途上で、イチジクの葉を取り去ったり、アスピリンを奪ったりとした
行為の残酷さは、その人の主観ではきっとぼくらが感じる資本主義の残
酷さ以上のものだということに気づいてほしいもんです。
社会に意見する人は。
#もっとも、この辺に気づいていない神父・牧師が多い事も頭が痛い。
また、「カルチャーセンター」ノリの信者なんかは↑のような人の居場所
=教会の維持費のためにいるようなもんだって事にも気づいていない聖
職者がいかに多いことか・・・。もちろん、「カルチャーセンターのり」の人に
も見返り(キリスト教的に言うと「祝福」))がある。
↑のような人の成長(「奇跡」)を間近で立ち会える事(これ自体も「奇跡」)
です。
PS:あんまりこういう話は書きたくなかったんですが、THX1138さんの元
同志(女性)の件があったんで、THX1138さんのサポートのタシにでもなれ
ばと思い、書きました。四トロ同窓会ネタじゃなくてまたまたごめんね。
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