四トロ同窓会二次会 1999年11月24日〜27日
RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB
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ロシア革命勉強報告 投稿者:ザーカイ 投稿日:11月27日(土)17時40分41秒
>まっぺんさんへ
>「トロツキー研究」No.24の西山克典氏の論文「ロシア革命の『鏡』
>としてのトロツキー」中に「一党独裁」についての解説がでてきます。
良い資料をありがとう。以前のトロスキーさんH・Hさんらからの情報
を下に「ロシア革命」を再勉強中。相も変わらず、ボルシェビキ・トロツ
キーのどこに問題があったのかを中心に調べています。
まずはロシアの革命の系譜として「ロシアの革命」松田道雄をやっと
読み終えました。誤読かもしれないけど、「ボルシェビキーレーニン」は
献身的職業革命家集団として客観情勢の分析や、今回の革命の意義
を明確に持っていた点で、明らかに他党と違うけど、二月革命前の「徴
発」といい、10月革命同日第2回全ロシア・ソヴィエト大会で「憲法制定
会議の適宜召集を保証する」といた大会宣言が結果召集したが社会革
命党チェルノフ憲制会議・議長が「自由に選ばれた人民の権威である憲
制会議にソビエトが協調しないと内乱になる」との警告を聞き入れず、翌
日人民委員会が憲制会議の解散を命じている。そしてクロンシュタットの
あまりにも当たり前の要求(ソヴィエト改選、全国的な選挙の要求など)
とツァリー時代の将校に攻撃をそそのかされても武装蜂起しなかった彼
らをどうして…。という思いは相も変わらずあります。
10月革命の正統性はどこで保証されているのか?わたしは人民の自発
的主権奪取としての決起であるという点で、やはり革命であり、マルトフ
のいう陰謀ではないと思う。その意味で、10月革命は決してボルシェビキ
のみのものと思う。ただ、人民の決起をうまく位置付けたのがボルシェビ
キ(いやトロツキーの弁舌?)ということであろう。
そして、なぜソビエトでは多数派でも選挙では1/4しか取れないボルシェ
ビキが政権担当なのか?メンシェビキの支持基盤の鉄道労組を解散したり。
どうも実態的力を持つソヴィエト(ー赤衛隊の軍事力)の多数派ボルシェ
ビキが恣意的にレーニン理論に強引に近づけていく過程こそが官僚化、
非民主主義的になった原因かと思う。そこでのトロツキーの役割はどうか。
彼は経済建設も軍隊式にすれば効率化する、労組をその地盤として軍
隊化=国家装置の一部にしていこう(レーニンは反対)として上からの統制
をしている。それに対し第9回党大会でも中央集権に反対が起き、左翼
反対派(デツィスト)らをの意見を尊重する、意見の自由が宣言されるまで
になった。しかし第10回党大会ではクロンシュタットの反乱の最中で、分
派の禁止される。
この中央集権化と分派の禁止はその後のトロツキー自身にどういう影
響を与えたのだろうか?憲制会議を解散した中央集権的革命党への大衆
の自然発生的反抗としてのクロンシュタットの反乱や、左翼反対派(デツ
ィスト)への圧迫。1921〜23年の一党制に対してトロツキーは「新しい路
線」で「党は本来デモクラティックなもの」といっている。がしかし、これま
でにトロツキー自身も進めてきた党内外の中央集権化が、1921〜23年
の一党制・党内統制を勢いづけたのではないか?
もちろんまっぺんさんが紹介しているようにスタの一党独裁と内戦期と
1921〜23年の一党制をゴッチャにするのはまずいが、官僚化とは「前例
踏襲」悪しき物も一度決めたら相当なカリスマでないと覆せない集団無責
任体制です。それに馬鹿(例:トロイカ)でも運営できる方法です。憲制会
議後・(内戦期)に官僚化に突き進んだボルシェビキ、関わったトロツキー
は官僚制→集団主義の怖さを「激動を切りぬけた自信」のため見逃して
いたのかも。誰がどこでどう言ったから免罪されるといった議論ではなく
、集団力学的な10月革命の力が反ボルシェビキ・反中央集権にへ流れ、
ボルシェビキはその時官僚的圧制者の役割をしていたことの妥当性の有
無を歴史に問いたい。トロスキーさんがいうように国際環境にも眼を向けて
よくよく考えてみたい。悩みは今回もだが、党・ソヴィエト・(党外)大衆をう
まく切り離せない事です。ソヴィエトがしたことが=ボルシェビキのしたこと
といえる場合とそうでない場合があるように思う。ソヴィエトに全大衆人民
が結集していたわけでもないようだしね。
このようにまだラフなロシア革命史しかわかっていないので、まっぺん
さん同様、「トロツキー研究」はじめ色々読み漁ってみるつもり。
#以前の議論に関する一応の勉強報告です。
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おひさです 投稿者:ザーカイ 投稿日:11月27日(土)15時51分28秒
>黎さんへ
一時金の闘い御苦労さんです。東京では平均0.5%ダウンと厳しい
状況で、けっこうきついもんがあります。地方はそれ以上に厳しい
のかも。
健康状態も小康と言う事で、安心しました。そちらはどうか解りま
せんが、こちらでは組合幹部に霊感というか、全体にピーンとした
緊張感を生み出す力がないので、現場の活動家の力量毎にバラ
ツキがあり、会社当局に舐められっぱなし。黎さんも職場でかなり
重要な立場にあるとおもいます。くれぐれも無理しないでください。
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(無題) 投稿者:H.H 投稿日:11月27日(土)12時56分30秒
黎(小康)さん
>それから私は、子供が自分の意志で選択する年頃になるまでは
>必要と思えば、集会・デモ・抗議行動・・etc
>子供を何処へでも連れて行くことにしています
わたしもできるだけそうしようと心がけています。
ただ、それがいいことか悪いことなのかを判断する
力はまだ私の子供にはないですが。
しかし、いま子供が少しカゼ気味で、あすは寒いそうなので
彼女と子供はいかないことになりそうです。
たまには「私と子供はいかないことになりそうです」
というパターンもあっていいと思っているのですが。
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草野心平「かえる」 投稿者:まっぺん 投稿日:11月27日(土)10時12分52秒
合唱曲で有名なのは「富士山」と「かえる」ですが
高校時代、「かえる」はいつもわたしのかばんの中にありました。
あの詩は権力者がちょっと真面目に読めば、その中に
“危険なメッセージ”を読みとることができるんですが
どうやら校歌にはそういう“毒”は含まれていないようですね。
彼の詩において“かえる”は全人類あるいはプロレタリア全体と
解釈してよいかな、と思います。
本人がはっきり意識していたかどうかは解りませんが、
かえるだけの独特な“言葉”による交流の中に
孤独な者たち同士が連帯を求める強い意志を感じます。
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怒り 投稿者:黎(小康) 投稿日:11月27日(土)01時45分48秒
>HHさん
そうですね、怒れる気持ちは同じです。
ただ、嫁が足が悪い者で、
「仲間とだけで行こうか」とか考えただけです。
それから私は、子供が自分の意志で選択する年頃になるまでは
必要と思えば、集会・デモ・抗議行動・・etc
子供を何処へでも連れて行くことにしています。
以前は、街で障碍者を見るたびに指をさして
「お父さんあれあれ」と話す子供に問題を感じて、
障碍者への虐待を繰り返していた施設に対する、
障害者自身の抗議行動に参加させました。
逃亡しようとする施設の理事長を、
障害者たちが取り囲み、全身で抗議の意思表示をする姿は、
子供に何かを感じさせたと信じています。
三里塚でも何かつかんでくれると良いのですけど。
>まっぺんさん
草野心平、今度読んでみます。
彼について、私は食わず嫌いでした。
何故って?
彼は、郷土の生んだ数少ない文化人の一人で、
幼稚園から大学までほとんどの校歌が、彼の作詞だからです。
学校制度や、労働者である教師まで、
抑圧の先兵として敵視した私にとって、
草野心平はその補完物として写っていたのです。
今度読んで、感想でも書き込みしてみます。
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私もピクニックですが 投稿者:H.H 投稿日:11月27日(土)00時33分21秒
>黎(小康)さん
私も家族と連れ立ってピクニック気分ですが。
でも怒れる気持ちはいつでも持っていますけど。
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EL CHE 投稿者:黒ぶた 投稿日:11月26日(金)23時05分46秒
チェ・ゲバラのビデオは簡単に言うとNHKの
ドキュメンタリー風の作りで、アメリカの製作ですが
とくにカストロを悪者に仕立て上げる事もなく、ゲバラだけに焦点をあてて
とても見やすい作品です。
以前キューバに行った時に、ショップにはゲバラやカストロのビデオが
たくさんありましたが、その時はそれよりも、キューバの音楽に興味があったので
CDやカセットなどを買いまくっていました。今思えば非常に残念でなりません・・。
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(無題) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月26日(金)17時04分25秒
まっぺんは同志諸君の書き込みにいちいち感動し、ショックを受け
おのれの不勉強をつくづく思い知るにいたり、最近は「トロツキー研究」
バックナンバーなどを読み漁っております。その中でもしかしたら
ちゅんたさんが喜ぶような記事を発見し、考え込んでおります。
「トロツキー研究」No.24の西山克典氏の論文「ロシア革命の『鏡』
としてのトロツキー」中に「一党独裁」についての解説がでてきます。
またテロリズムについての解説も。以下は引用です。
……………………………………………………………
だが、トロツキーを含め、ボリシェビキの誰にあっても、この現実
に一党制政治システムとして形成された革命「独裁」としての、その
存在の根底まで問う批判はなかった。内戦が終了に向かう段階で、す
でに、1920年4月の第9回党大会で、デツィスト(民主的中央集権派)
によって、「領袖の独裁」、「寡頭制」への批判がなされ、その矛盾
が感じられていたが、1921年春の第10回党大会では、党内での「分派」
が禁止され、1922〜23年には党の書記局位階制が成立をみる中で、党
の分裂を回避し、この「独裁」を維持することが目指された。第12回
大会へ向けてのレーニンの対応は、とう分裂を回避するため中央委員
会を100人まで増員し、労農監察部の活動を強化することである、
ジノヴィエフの政治報告は、プロレタリアートの独裁は共産党の独裁
以外にありえないと述べた。トロツキー自身、大会へ向けたウクライナ
の党協議会で、「党の独裁」という問題は、「再検討という考えその
ものが許しがたい」と訴え、党分裂の危機への対応として、党中央委
員会の拡大ではなく、「党協議会」の設置を構想していたのである。
結局、党によるプロレタリアートの「代行」を述べた政治報告は誰か
らも反論されず、採択され、「党の独裁」はトロツキーを含め全党で
確認されたのである。
……………………………………………………………(64〜65ページ)
ただ、そのすぐあとにスターリン時代の一党独裁と内戦の中で「プロ
レタリア独裁」として形成された一党制システムと1921〜23年の一党
制とを一括するのは生産的ではないとも書いてあります。
なお、これまで読んできた内容によると「一党」といっても、各党派
の中からボリシェビキに入党したものが10パーセントほどいた、とも
書いてあり、革命が現在進行状態の時には、ボリシェビキをのぞく多
くの党派が反革命に移行し脱落してゆく中で、各党派中の最良の分子
はボリシェビキに合流していった事が想像されます。
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叛旗と情況(^^;;;) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月26日(金)17時00分15秒
Re:ザーカイさん
昔ほんの一時期“情況派”にいたことがあるまっぺんは
「叛旗」と「情況」の理論的違いが全然わかりませんでしたが
ザーカイさんの説明で納得(?)した・・・・ような・・・・?
神津さんとはもうず〜っと会っていませんねー。
お元気そうですね。
Re:なおちゃん
>我は如何にして・・・・
某宗教系のD大学男声合唱部はむかし非常にうまかった。
わたしの高校の先輩が入部していたことがありました。
この演奏がすごかった!
曲目の中に草野心平の詩による「かえる」というのがあります。
曲はもちろんすばらしいのだけど、この詩はわたしのお気に入りです。
草野心平がアナーキスト詩人といわれる所以がとてもよくわかる。
すべての同志諸君!草野心平の詩、だんぜん推薦します。
あ、推薦図書にいれよっかな。
>たいへん うれしいですー
それは良かった。結構めんどうな作業だった(いっぱいたまって
いたからであって、よーするにオノレの怠慢のせいなんだけど)
ので報われた気分です(^o^)
チェ=ゲバラの写真、豚産同盟サイトにいろいろ出てますよ。
http://www1.ttcn.ne.jp/~pig-world/chefoto.htm
ゲバラはつくづくかっこええのー。
昔「ゲバラ」という映画がやってきて、どんな映画かとわくわく
して見にいったら、とんでもない反共映画でした。(=.=;;)
まんまとダマサれた。
というわけで、黒ぶた同志
ゲバラのビデオをピッグワールドで紹介していますが、
内容を読むと私が観た映画と内容的にはよく似ているけど、
“あの”反共映画ではないよね。だったら観たいなぁ〜。
まっぺんは、あの不愉快な映画を観てから、“まともな”ゲバラ映画
を観たくてたまらんかったんですよー。
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よた話をひとつ(^^;;) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月26日(金)10時17分25秒
マグロは“凶器”
昨日のニュースより。“魚屋の前で男女がけんかとなり
男がマグロをつかんで女をなぐった。
60センチ・9キロの物体は裁判所で「凶器」と判定された”
ぶっそうなのは「トロ」の部分だけかと思っていたが・・・
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勘違い 投稿者:ザーカイ 投稿日:11月26日(金)05時41分57秒
>釜日労、釜合同ともにおなじ釜ヶ崎解放会館の一階(釜合同)と
>二階(釜日労)にあります。ですから勘違いしたんでしょうね。両
>組合は日常の共闘関係はありません。釜日労は解放派では
>ありません。
ア、そうそう、現地の人が「解放会館」といっていたところ(解放会館
という表示は見当たらず)の二階をうかがったら「釜日労」とありまし
たが留守。1階が釜合同でしたか?釜日労が日雇全協のことですか。
詳しいレスありがとう!
11・12の解放派の集会に釜ヶ崎の旗があったのと、おっしゃるとおり
山日労と名前が似てたので勘違いしました。Xディ前後の集会によ
く日雇全協の人が大量に参加していて凄かったなあ。赤軍プロ革派
は山統労というのを組織していたように思う(カラオケ大会をしていた
笑)。蜂起派はなんという組織だったっけ?山谷支援といっても一度行
ったきりなのでえらそうに言えません。ただ、それだけでも大きな影
響を与えるにたる好況期の日雇労働者の姿でした。
今や、我々サラリーマンへの資本の恫喝として、寄せ場を残してい
るようにしか思えない。
12月18日(土)pm7より中野plan―B(丸の内線中野富士見駅下車)
で「山谷ーやられたらやりかえせー」上映会とミニトーク(天野恵一!
神津氏の天敵!!)があるそうです。僕は行けたらいくつもりです。
> もし なおちゃんが ここで暮らしていなければ、
>「貧しい」とは どういう状態か、「差別」とは どういう物言いかが
>ほんとには わからないまま 生きてったかもしれません。
>戦おう!という意識も 育っていかなかったでしょう。
>ちょっと こわいことです。
なおちゃん久しぶり、京大での神津VS塩見にはいらっしゃいました
か?最前列に座っていた2人組かな?と思ったのですが声をかけるこ
とができませんでした。お話できず、残念です。マル共連チャットに
来ていたポットさんとはお会いできて、神津氏や塩見氏と3次会(高
瀬泰司の妻の店「白樺」)まで一緒して、おうちに泊めてもらいました。
京都に住んでいたことがあるとは知りませんでしたが、多感な時代
にどんな景色を見るかで、意識も変わってきますよね。釜ヶ崎には朝
と夕方に行ったのですが、疲れる一面と、ある種の解放感もありまし
た。きっと、貧しさや資本の残酷さの象徴=寄せ場であっても、彼ら
には第二の故郷であり、生き易い空間なのかもしれません。もちろん、
継続的安定をあきらめた上でしょうが…。
脱線しますが、神津氏らと飲んだ席で、マル共連のことがでて、なお
ちゃんのことも出てきましたよ。どういう流れで出てきたかは酔っ払って
いたので失念しました。神津氏は趣味者ネットをたまにチェックしている
みたいですよ。
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悲願の(?)過去ログ公開万歳! 投稿者:なおちゃん 投稿日:11月26日(金)01
時38分39秒
おお、ひさびさに党に戻ったら(笑)・・・
過去ログが 戻らなくても読めるよーになった!(感涙)
たいへん うれしいですー>まっぺんさん。
#チェ=ゲバラの お写真も カーッコよいっ。
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ディープな関西といえば・・・(我は如何にして馬克思主義者となりしか) 投稿
者:なおちゃん 投稿日:11月26日(金)01時26分45秒
えっと、なおちゃんが京都時代に住んでいたのは、朝鮮学校や
いわゆる「在所」(被差別部落)の すぐそばだったのですね。
生まれ育った地元で のほほんとそだったわたしには
はじめて 目の当たりにする「貧困」や「差別」というものが
割り増しで感じられ「ゆるせんのう」と つよくおもうようになりました。
なんせ コンビニエンスのゴミ箱に 手形や借用書(べらぼうな金利)の
コピーがすててあったり、差別発言にたいして「日本は法治国家だっ」と
原則論で抗議するおじさんに遭遇したりが 日常茶飯事だったもので、
じき 大学の掲げてる宗教に さめた視線を投げるようになり、
急速に左傾化したのも 当然なわけです(爆)。
もし なおちゃんが ここで暮らしていなければ、
「貧しい」とは どういう状態か、「差別」とは どういう物言いかが
ほんとには わからないまま 生きてったかもしれません。
戦おう!という意識も 育っていかなかったでしょう。
ちょっと こわいことです。
すごーく 疲れる街でしたが ここで学んだことは
なおちゃんが 一生もっていける 宝であるなあ・・・
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久しぶりに三里塚 投稿者:黎(小康) 投稿日:11月25日(木)22時28分38秒
>HHさん
東峰に行かれるんですか?怒りをぶつける?
私、久しぶりにピクニック気分で、
家族連れで行こうと思っているんですけど・・・荒れるのかな?
>ジョージ・オーウェル
彼の行動を共にした組織は、「POUM市民軍」と言ったと思います。
トロツキーとスターリンをモチーフにした関係は、
「1984」にも出てきますよね。
動物農場では、スノーボールとナポレオン。
1984では、ゴールドスタインと偉大な兄弟というふうに。
>田舎の住所不定野宿労働者に起きたこと
陸橋の下に有った彼の小屋が、放火されてきれいに無くなってしまいました。
彼は何処に行ってしまったのでしょう。
あれから姿を見かけません。
アメリカのホームレスの女性が、TVのインタビューに、
「いつか良くなる。きっと政府が何とかしてくれると思ってたけど、
結局最後まで、何にもしてくれなかった。」
と答えていたのを印象深く覚えています。
確かに、私たちは資本主義を生きのばせすぎたのですね。
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補足の釜ヶ崎 投稿者:H.H 投稿日:11月25日(木)19時45分12秒
釜日労、釜合同ともにおなじ釜ヶ崎解放会館の一階(釜合同)と二階(釜日労)に
あります。ですから勘違いしたんでしょうね。
両組合は日常の共闘関係はありません。
なお、釜日労は解放派ではありません。同じにするとそれはあまりにかわいそう。
解放派系は、山谷では山谷争議団をのっとろうとして内ゲバを行使して、
結局のっとりに失敗して単独で山日労という名前で山谷で活動していることは
ご存知かと思います。
釜ヶ崎では、支援団体をでっち上げて独自でやっていたようですが、
いまはどうしてることやら。
とっとと消えてなくなってほしい連中です。
でも、権力の弾圧ではなくならないんですね、ああ言う連中は。
もちろん内ゲバでもなくなりません。おっと、二次会の雰囲気が悪くなるような
話題はこの辺にしておいて。
釜日労は、日雇全協という日雇労働者組合の全国組織の釜ヶ崎の代表のような存在です。
なお、「かけはし」によく登場するのもこの日雇全協に結集する諸団体です。
釜日労はとりあえずは「熱田派」系といっておけばいいでしょう。
そうそう、「労務者」とはいいません。「日雇労働者」です。
ホームレスも野宿者か野宿労働者という風に言うほうがいいような感じがします。
釜ヶ崎の近くに警察署があるのではなく、もろど真ん中に悪名高い西成警察署が
あります。解放会館のうらの通りです。
90年初めに釜ヶ崎暴動があった後、改装されて
さらに武装された警察署になりました。
もちろん、釜ヶ崎の労働者を弾圧し、
威圧感を与えるために。
それと、仕事を要求する運動はもちろん根幹になります。
しかし、釜ヶ崎にある職安は一貫して仕事の紹介をしません。
職安の唯一の仕事はその日仕事にあぶれた労働者(それを手にできる労働者も
ますます減ってきている)に失業手当を渡すだけ。
しかし、日本資本主義を支えた労働者たちは、
つねに、経済・雇用の調整弁として資本に利用されてきました。
しかし、いまはその調整弁としての利用価値すらも資本は必要としていないようです。
というのも、仕事を作り出せないからです。
かつては、本当に活気があった(そうです)。
グローバリゼーションという貧富の二極分化が猛烈に進むこの時代に、
日雇労働者の町は労働力のストックという役割ではなく、
極の一方側を赤裸々に体現する場所でしかなくなっています。
この出口のない、残酷な支配的体制を変えなければ・・・。
もちろん、ここのさまざまな活動(仕事を要求する運動、支配体制に金を出させる運動
相互扶助的な活動など)が必要でないということを言っているのではありませんので。
むしろそれは、労働者とともに歩むための大きな武器になります。
長い補足でした。
米軍基地の建設に対する怒り、日本政府のやり方に対する怒りを
週末は三里塚でぶつけてやるつもり。2期工事はやっぱりフンサイね。
みなさんはどこで、怒りをぶつけるのでしょうか。
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Re:動物農場 投稿者:まっぺん 投稿日:11月25日(木)18時17分30秒
アングラさん、どうもありがとう。
角川書店のほかに旺史社、美誠社から出てますね。
推薦図書にいれます。(^^)
ほかにビデオもあるんだ。
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動物農場 投稿者:アングラ 投稿日:11月25日(木)13時03分17秒
横レスですいません。
いくつかのサイトで調べたところ、角川文庫から出ていることが判りました。
教えてくれたのは「JBOOK」というサイトで、ご参考までにリンクを張って
おきます。
ジョージ・オーウェルはスペイン市民戦争に行って小さなトロツキストの
党派と行動を共にしたのでしたよね。
その辺の話は確か「水晶の精神」(平凡社ライブラリー)に詳らかだった
かと思います。この本もオススメですよ。
http://www.jbook.co.jp
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おっと、補足 投稿者:まっぺん 投稿日:11月25日(木)11時16分32秒
私の経験というのは釜ヶ崎じゃなく山谷。
釜ヶ崎は行ったことがないです。
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Re:H.Hさん(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月25日(木)11時14分41秒
訂正をどうも。釜ヶ崎のこと詳しいのですか?
わたしの場合は「学生バイト」経験のほかには
インター時代に上からの指示で泊まり込み要員でかりだされた
経験があるくらいです。
しかし、ほんとに路上で凍死するところですから深刻です。
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山谷の思い出・・・ 投稿者:まっぺん 投稿日:11月25日(木)10時04分00秒
むかし登山靴がほしくてアルバイトのつもりで通ったことがあります。
しかし「学生さん」の登場は一部ではあまり歓迎されませんね。
「こっちは生活がかかってんのに遊びはんぶんの学生に
仕事よこどりされるのはたまらん」ということでしょう。
きっと今はもっと深刻だろうな。
釜ヶ崎もそばに警察署があるんですか?
山谷はマンモス交番というのが有名ですね。
権力は日雇い労働者を潜在的には恐れているってことか。
あるいははじめっから「潜在的犯罪者」と見てるんでしょうね。
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おお!動物農場 投稿者:まっぺん 投稿日:11月25日(木)09時54分14秒
そうです、そうです。私も気づいていたんだけど、先に言われてしまった。(^^)
黎さん、どうもありがとう。では、さっそく・・・・・
ところで、どこの出版社から出ているかわかりますか?
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釜ヶ崎 投稿者:ザーカイ 投稿日:11月25日(木)02時27分53秒
H・Hさんまっぺんさんレスありがとう。
>釜ヶ崎で、選挙に出ていたのは釜日労(釜ヶ崎日雇労働組合)ではな
>く、釜合同(釜ヶ崎地域合同労働組合)です。
そうでしたか。私が伺ったところは西成警察近くの「釜日労」のポストがあ
るところで、そこに選挙カーがありました。そこで焚き火する「ホームレス
(今は労務者とは言わないのか?)」に聞くと、「そこ(釜日労)の組合の選
挙カー」と言っていたもんで…。たしかに釜日労(解放派系?)単立では選
挙は無理ですね。
>私が絶対に資本主義をぶっ潰してやると思ったきっかけは釜ヶ崎でした。
ホントにあれを見ると私の山谷での経験(バブル期)も、かすんできます。
一緒に行った上司(山谷近くの出身)が朝方に覗いた時「こりゃ凄い」と驚
いていました。昭和40年代の山谷でもこんなにじゃなかったといってまし
た。当時、昼は彼らも仕事で、山谷も人影がなかったとのこと。
大阪は同和、在日韓国朝鮮人それに沖縄、北陸からの季節工など、多
岐にわたっているようです。どうしても現状を抜け出せないみたい。
ソコにいる人は少なくとも資本主義では救われない人だと思う。しかし一
方で、この不景気に彼らが革命的主体たる以前に衣食住を確保するこ
とが先決。労働組合に組織されたプロレタリア→党=革命的プロレタリア
という図式ではない変革=資本制の廃絶の道はあるのだろうか?
講演会でも色々と考えさせられ、神津陽の言う「必要な時、必要な組織
を作り、生活思想に基づく闘い」が基本と思いつつも、釜ヶ崎の人たちは
サラリーマン主流の日本では漏れ落ち、彼ら自身も生活で勢いっぱい。
暴動と言う形態を除けば闘いの拠点も武器もない。アソシエ21榎原らの
協働組合運動も、消費から排除される彼らにはあまり関係ない。塩見の
いう民族主義=原郷=パトリもすでに本当の故郷さえない彼らには「しみじ
み思い出す」望郷であっても救いの手ではない。外部からの思想注入と
、生活支援が左翼に出きる精一杯のことかもしてない。実際は生活支援
の部分しか彼らには響かず、資本制の残酷さは彼ら自身が一番良く知っ
ている。しかし、まずは働いて金を手にするまではそれどころじゃない。
左翼はキリスト団体と同等かそれ以下のことしかできないのか?突き
詰めて考えたが、慈善心から以外彼らを助けようという思いが沸いてこ
ない。私の生活に直接関わってこないからだ。理論的に賃労働→資本
と解っていても、実践化されない現実。「当たり前の組合活動」すれば、
共産党が「賢く」も言う様に支持されない現実。世が不景気であればあ
るほどだ。
変革のチャンスは景気回復して社会再編されたのちの次期不況対策
準備かもしれない。いまはボランティアとして支援して生かし、アソシエ21
・榎原のいう協働組合などの下地を作りをして次期不況期に資本の世話
にならない土俵をもって望むしかない、そう思う。
私はどこに立てばいいのだろう…。まず自分が資本に殺されないようにだ
けはしておこう。
独り言でした。
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豚産主義者といえば 投稿者:黎(小康) 投稿日:11月25日(木)01時27分46秒
ジョージオウエルの本に
動物農場というのがありましたね。
農場での革命と裏切りと追放
スターリンとトロツキーをモデルにした
革命の指導部は、確か豚だったと思います。
豚産主義者同盟に敬意を表して、
推薦図書にしては?
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泥沼 投稿者:黎(小康) 投稿日:11月25日(木)01時20分20秒
年末一時金が、まだ決まりません。
この分では年を越しそうで、まさに泥沼です。
ローンに喘ぐ組合員の悲鳴が聞こえてきそうです。
関西だけでなく、田舎もひどいですよ。
地域の大手の電機メーカーが突然、主力製品の
海外シフトを発表し、
多くの下請けで大量の首切りがありました。
学生アルバイトを念頭に置いた、
年内いっぱいのアルバイトの募集に、
20代から40代の労働者が飛びついてきます。
それほど地域に仕事がないのです。
年末一時金の泥沼の原因は、三つあります。
一つは、円高による為替差損であり、
二つには、運転資金をも回収しようとする銀行資本の方針であり、
三つには、人員整理を認めない組合の方針です。
特に、三つ目はあらゆる意味でペナルティの対象になります。
何しろ、間接的な退職強要に繋がるとして、
出向・転勤・応援派遣による
労務費削減策にも応じないでいますから・・・。
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釜日労ではありません 投稿者:H.H 投稿日:11月24日(水)23時44分24秒
ザーカイさんの関西報告、興味深く読ませていただきました。
一つだけ間違いを指摘。
釜ヶ崎で、選挙に出ていたのは釜日労(釜ヶ崎日雇労働組合)ではなく、
釜合同(釜ヶ崎地域合同労働組合)です。
釜ヶ崎の状況は深刻です。各団体の炊き出しに並ぶ日雇労働者の列は、
どこまでも続き、
最近では労働者の自殺が多発しているそうです。
冬の冷たいアスファルトの上で今年も何百人の労働者が凍え死ぬのかと思うと、
私たちの力のなさをつくづく感じます。
私が絶対に資本主義をぶっ潰してやると思ったきっかけは釜ヶ崎でした。
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30号はユダヤ人問題特集 投稿者:まっぺん 投稿日:11月24日(水)19時43分23秒
トロツキー研究所サイトをながめてきました。
次の号(30号)はユダヤ人問題特集だそうです。(@_@ )
われわれの議論は結構トロ研を先取りしてたんですねー(^^)
ゴ・キ・ゲ・ン!!
以下はトロ研「お知らせ」からの無断転載です。(勝手に改行)
『トロツキー研究』第30号予告 特集 ユダヤ人問題
次号、第30号の特集は「ユダヤ人問題」です。トロツキーは、
ユダヤ人の家庭に生まれ、さまざまなユダヤ人差別を受けてきま
したが、彼の中でユダヤ人問題が主要な位置を占めることはあり
ませんでした。彼はユダヤ人としてではなく、常に革命的マルク
ス主義者として発言することを選択してきました。とりわけ、初
期においては、ユダヤ人ブントとの党内闘争の先頭に立ち、統一
した革命党という理念を擁護しました。
しかし、だからといって彼は、自分の身に降りかかるユダヤ人差
別を免れることはできませんでした。革命後の内戦において、
赤軍の長たるトロツキーは、常にユダヤ人という出自が白軍側に
よって利用され、ユダヤ人シャイロックよろしく、血に飢えた
残酷なイメージが繰り返し流布されました。
また、スターリンとの闘争においても、スターリニスト側は民
衆の中の反ユダヤ主義的感情を利用し、反対派の指導者がユダヤ
人であることを執拗に流布しました。
晩年においては、ドイツにおけるナチズムの台頭とユダヤ人迫
害を目の当たりにし、ユダヤ人問題に関するトロツキーの考えに、
ある変化が見られるようになります。
このように、今回の特集では、トロツキーとユダヤ人問題との
関係を取り上げ、トロツキーの生涯と思想に新しい光を与えます。
また、『トロツキー研究』発刊30号を記念して、エルネスト・
マンデルの最後の演説である、「今日の世界社会主義革命」を全
訳します。さらに、 様
々な悩みを抱えながらも活動する血の通 チして会話してたので、内容は >
こいつは、トロツキストだ ニハテt;畠n-+ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP