四トロ同窓会二次会 1999年11月16日〜11月22日
RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB
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Re:レス(^^;;) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月22日(月)18時31分20秒
村岡氏を部分をもって全体を評価することは不可能かどうか、ですが
わたしにとっては充分に評価に値する部分を提出したつもりです
ので、あらためてさらに村岡論を掘り下げて考えても時間の無駄で
あると思っております。
なぜならば、たとえ“全体”ではなくとも、私が指摘した「部分」
は活動家として判断する際に極めて重要な部分であり、その部分が
改善されないかぎり、口先でなにを言っても信用できないからです。
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補 投稿者:chunta 投稿日:11月22日(月)15時04分42秒
時間ができしだい、少しずつレスを打ちたいと思います。
一度にはちょっと。
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レス 投稿者:chunta 投稿日:11月22日(月)15時01分24秒
レーニンと村岡氏を対比した覚えはありませんが?
あくまでも、村岡氏を部分をもって全体を評価することは不可能である
として、それは以前話題として出たレーニンの場合でもそうだったでしょう
ということを言ったのですが。
比喩ではないか、ということに関してですが
少なくともこの言葉が含まれた論文を見ている限りは
そのようなものとして考えることは不可能です。
(全集26巻「競争をどう組織するか」を見てください)
確かに直接の指示として書かれているわけではありませんが
実践として、取りうる方法の一つとして例示されています。
単なる比喩ではありません。
安易に「比喩である」と推測するのはいかがなものでしょうか?
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二次会掲示板の過去ログについて 投稿者:まっぺん 投稿日:11月21日(日)19時48分26秒
業務れんらくです。(^^)
これまでの掲示板過去ログですが、以前に一度マシンがクラッシュ
してしまったために途中まで失ってしまったのですが、9月18日から
の分は保管してあります。もったいないので、これを閲覧できる
ようにしたいと思います。
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豚産主義者同志、いらっしゃい(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月21日(日)19時10分36秒
「豚産党宣言」とっても楽しませてもらいました。ああいうセンスは
高く評価いたします。わたしは!こちらこそよろしく。(^0^)/
思えばむかしは共産主義とかアナーキズムとか「シエラ・マエストラ」
「ディエンビエンフー」「光州蜂起」等の言葉、何の恥じることもなく
フツーの会話の中に使われていて、それほど不自然ではありませんでした。
急進主義的な感覚が心地よいものでしたけど、今はそういうのが
通じませんねー・・・・(^^;;;)
「時代錯誤」「レトロ」といわれてしまう。めげないぞ!
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はじめまして 投稿者:ozasa column 投稿日:11月20日(土)23時34分43秒
まっぺんさん、リンク貼ってもらって感謝しています。
うちはまだまだ貧弱な内容ですが、今後少しづつ充実させて
いくつもりなので、これからもよろしくお願いしますm(__)m。
http://www1.ttcn.ne.jp/~pig-world/
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レーニンの暴言 投稿者:まっぺん 投稿日:11月20日(土)10時20分46秒
トロスキーさん、フォローありがとうございます。
私もレーニンが言葉でそう言ったからといって、それを命令し
実行させたとは到底思えませんでした。
そんな恐怖政治をあの時点で実行していたら革命そのものが
崩壊してしまうんではないでしょうか?
レーニンの暴言の例をもうひとつ紹介しておきましょう。
第10回党大会においてレーニンは批判者に対して度を越した
激しい攻撃をした後、ただちに自己批判をおこなっています。
「同志諸君、私が『機関銃』という言葉を使ったことを非常に
後悔しているので、たとえ比喩的であったとしてもこのような
言葉を二度と使わないことをここに厳粛に約束したい。・・・」
(「トロツキー研究」No.24・17P)
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ベトナム訪問団(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月20日(土)10時08分50秒
帰国報告パンフが発行されています。
8人の青年たちがバンコク→ビエンチャン経由でハノイと
ホーチミン市をまわり見聞きしたことをまとめています。
このパンフと数々の土産話を持って青年たちは
全国各地で報告集会をひらき、ベトナム支援を訴えつづけ
ました。
インターの人の中には自分の政治的覚醒の原点を
ベトナムに認め、その後ベトナムに住み着いた人も
いると聞いたことがありますが・・・・詳細は不明(^^)
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Re:アジ青と共産党との共闘 投稿者:田口 投稿日:11月20日(土)06時45分17秒
まっぺさん、ありがとう。
ベトナム友好訪問、その経緯は、これまで知らなかったです。
78、79年、三里塚には関心を寄せていましたが、国際主義は視野の外でした。
トロツキーの著書を読むようになって、80年光州蜂起に衝撃を受けて、
インターナショナルに目覚めました。
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レーニンと村岡理論について 投稿者:トロスキー 投稿日:11月20日(土)01時35分47秒
ちゅんたさんへ
またまた、レーニンについてですが。
座食者10人につき1人を銃殺、云々は、別にその通り実行されたわけではない
レーニン流のきつい表現ですが、革命指導者としてはあるまじき軽率な比喩
でしょうね。私はレーニンのこの種の軽率さには大いに批判的です。
しかしこのことと、村岡氏とは関係ないでしょう。
テーラーシステムについては、レーニンは革命前の論文で、その効率性の点で
評価しつつも、非人間的な搾取のシステムとして、当時にあってはかなり鋭く
批判しています。しかし革命後、生産力を増大させるため、テーラーシステムを
一部取り入れる必要があると考えたのは、そんなに深刻な問題なのか、
と私は思います。発達した資本主義を経ていない後進国の革命ロシアは、
ある程度、資本主義を代行せざるをえない立場にありました。
その一貫として、テーラーシステムを部分的に採用するのは、
何か問題でしょうか? トロツキーは、1926年に
フォーディズムを――社会主義的に改良した上で――取り入れるよう主張しています。
これは当然のことと思いますが?
いずれにしても、これも村岡氏とは関係ないですね。
まっぺんさんの村岡論は、その抽象的理論についての評価ではなく
人物評価だと思います。村岡氏はあくまでも、アカデミシャン
としてではなく、党を組織する運動家(革命家?)として自己規定している
わけですから、その面が決定的でしょう。
それに、村岡氏の社会主義理論が、そんなに別途検討を必要とするような
画期的なものでしょうか? それが彼の具体的な行動と何か関係している
のでしょうか? 「生活カード」制に協議経済?
空理空論の最たるものですね。「市場社会主義」のほうがよっぽど
リアリティがあると思いますが(ちなみに私は、市場社会主義派のトロスキスト)。
それよりも、ちゅんたさんはまっぺんさんのリクエストに答えて、
具体的に村岡氏の社会主義理論を説明してはいかがでしょう?
おそらく、その方が、議論がかみ合うと思いますが。
まっぺんさも、いちいち村岡氏の理論を知るために、
文献を漁るのは大変でしょうから。
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組織できない人の「組織論」 投稿者:まっぺん 投稿日:11月19日(金)16時32分19秒
以下はむかし私が村岡氏と直接会って、氏より拝聴した「レーニン
主義党組織論」についてのありがたいおことばです。
(1)レーニンによれば、革命の主体は「党」である。労働者はそ
のままの状態では階級意識をもたないが、その外部の独立した存在
である「党」が労働者に階級意識を教育・宣伝することによって階
級意識を持つようになる。
(2)その「党」とはなにか?「党」を形成する三つの契機があ
る。それは「綱領」「組織」「大衆運動」である。しかし、そのよ
うにみっつを並置しただけでは「党」を語ったことにはならない。
「党」の本体は「綱領」なのである。綱領こそが党の本体である。
簡単にいえば、以上のようなものです。これが村岡氏の「レーニン
主義党組織論」だそうです。(1)は別名「外部注入論」とか言っ
て、むかしブントが主張した「学生先駆性論」の同類でしょ?
「党」と「大衆」とを比較して「党」を前面に打ち出す時にはいつ
も使われる理論です。そして、こういう一面的な理解をもとに「第
四インターは党と大衆を同列においている。これは大衆迎合主義
だぁ」と主張するわけです。
このような図式的な理解の仕方で「党」がわかったつもりになって
いるところに村岡氏のスターリン主義的体質を感じてしまいます。
たしかに「なにをなすべきか」を読めばそのように理解できるで
しょう。しかし、「党」について理解するには帝政ロシアの非合法
時代から政権奪取後の時代にいたるまでの様々な局面から「党」と
いうものを理解していくべきじゃないでしょうか?
私の理解では「党」とは時代と状況によって自在に変化しうる要素
を持っています。その“核心部分”には原則性が必要ですが、全体
として見た場合、もっと情勢によって柔軟な対応をするべきものと
して位置づけるべきでしょう。村岡氏が語っているのは非合法時代
の極めて危険な情勢のなかでつくられていた秘密組織としてのボリ
シェビキの一面性しか見ていません。非合法と合法とは状況に応じ
て自在に使い分ける必要があります。
現実の第四インターの運動で見てみると、各国支部は時代により地
域によって様々な形態による運動を展開しています。戦後まず取り
組んだのが「加入戦術」でしたが、とくにパブロの提起した大胆な
方針によって1950年頃には全世界で全面的な加入戦術を採用して
います。次に1968年に始まった世界的な青年の急進化の波のなか
では第四インターは大きく成長しましたが、当時は各国支部のまわ
りに同心円的に勢力を拡大してゆく方針が一般的だったと思いま
す。ところが80年代中頃からは他の左翼組織と合同して新しい党
派を形成するような戦術もおこなわれています。他の組織との合同
についていえば、今や各国支部のレベルだけでなくインターナショ
ナル全体についても、そのような提起がされていて、事実としてト
ロツキスト以外の組織の世界大会への参加も増えてきています。村
岡氏の硬直した頭脳からはこういう方針は単に「解党主義」にしか
見えないでしょうね。
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村岡氏が人を組織できない理由 投稿者:まっぺん 投稿日:11月19日(金)16時29分03秒
村岡到については、私は彼が組織を去っていった直後のころ(新
聞「稲妻」の最初の何号か)までしか知りませんので、その後か
れが改心して何か素晴らしい“思想的境地”に達したのかどう
か、全然わかりません。そのあたりの解説はちゅんたさんにご教
授願いたいと思います。
私が知っているのは、すでに述べているように、「静岡事件」と
村岡流「組織論」だけです。しかし、実はもうひとつあります。
3・26をたたかった者たちにとって忘れられない大切な人物がい
ます。出獄後、彼は自殺しましたが、長い牢獄生活が彼の神経を
むしばみ、精神を不安定にしたのは明らかです。権力の弾圧が彼
を死に追いやったのです。それを悲しむ者たちを軽蔑する村岡氏
の無神経さは、到底人民のこころを理解することなどできませ
ん。ということは、人を組織する素質がないのだ、ということな
のです。これは「静岡事件」にも全く共通するものです。そうい
う人がどんなに“素晴らしい社会主義理論”を語ったところで、
私には口先だけの空しいものに聞こえるでしょうね、きっと。
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Re:レーニンの指導について 投稿者:まっぺん 投稿日:11月19日(金)16時27分06秒
ちゅんたさんとの議論は、どうも論旨がかみあわないなぁ(=.=;;)
この「違和感」は何なのでしょう?
ちゅんたさんが語っている「レーニンのあやまり」と、私が説明し
た「村岡到のあやまり」とは全然異質なものです。それを同列に並
べても論理的な議論を共有することはできないと思いますよ。
きりんの首とゾウの鼻の長さをくらべても生物学的な意味はありま
せん。きりんの首にはゾウの首を比較しましょう。
ちゅんたさんは、あちこちから「レーニンのあやまり」を自由自在
に引っぱり出してきていますが、
(1)工場において10人に1人を銃で撃ち殺したという事実がある
ということなのですか?もう少し詳しく説明してください。
(2)テーラーシステムについて、すみません。私は勉強不足で
「おばかさん」なのでよく知りません。「どれほど非人間的なのか」
ぜひ説明してください。
(3)労働の疎外は「社会主義社会の実現」まで解決しないのでは
ありませんか?レーニンは「経哲草稿」を読んでないでしょうか?
たしか「哲学ノート」という著作があったと思いますが。彼は現実
主義者です。革命直後のロシア経済が革命以前と比較しても疲弊し
餓死者まで出ている事実が報告されていますが、当時のさまざまな
事情を考慮した上で、レーニンがとった行動が「労働の疎外をきた
すもので否定するべきである」と現実的にそう思いますか?
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アジ青と共産党との共闘 投稿者:まっぺん 投稿日:11月19日(金)16時26分11秒
田口同志、Lが同同志へのレスです。(^^)
まず、私の事実誤認について訂正しておきます。
ベトナム人民がアメリカに完全勝利したのが75年で、村岡氏が
第4インターに入ったのが78年。ということは“静岡事件”の背
景となったベトナムへの支援闘争というのは、ベトナムのカンボ
ジア進攻の頃のことですね。完全な私の記憶ちがいでした。
あの頃、ベトナムは全世界的に孤立し、帝国主義陣営はもとよ
り、かつてベトナム連帯闘争をともに闘った者たちでさえ「反ベ
トナム」の大合唱に加わっていた時期でした。78年12月には中
国が“制裁”と称して北部国境地帯で大規模な衝突をおこし、
アメリカを中心に“経済制裁”なども行われました。このなかで
「ベトナム支援」をはっきり声明していたのはほとんど共産党と
うちらだけだったと思います。そこで、両者の共闘が現場レベル
で自然におこった、ということでしょうか。
当時、アジア青年会議はベトナム友好訪問団を組織して79年4月
に訪問しましたが、当時の日本はベトナムとの国交はなく、また
ベトナム旅行を企画してベトナム政府の許可が出るのは共産党系
の旅行社だけでした。この旅行には共産党系の人も同行しまし
た。共産党との共闘はこういう面でも行われていたのです。
村岡記事は我が派の活動を内部から破壊するものだったのです。
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村岡氏について 投稿者:ちゅんた 投稿日:11月18日(木)15時20分56秒
私は彼の理論全てを肯定しようとする意図はない。
彼の理論には見るべき物もある,と言う事である。
一部で彼が評価を得たの彼の理論ゆえであった。
生活カード制」論と「協議経済」論はそれなりに評価されているわけだから
そういった議論の評価はどうするのか?
ちなみにまっぺんさんの村岡批判自体は参考にしている。
昔からそうでしたか,と苦笑するよりほかはないのだが…。
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レーニンの指導について 投稿者:ちゅんた 投稿日:11月18日(木)15時16分25秒
まっぺんさんのレーニンの誤った行為に対する説明は
全てが外在的要因,つまり「革命当時、及び内戦の最中の緊張した状況のなかで
軍事的な対峙の状態にあった時代」でもって説明さえている。
果たしてそれでよいのだろうか?
そもそも誤った行為は,理論的な問題点があったからこそ
外在的要因により発動されたのではないだろうか?
そのことについて一例を挙げてみたい。
以前引用した「競争の方法について」でレーニンは
「工場において座食者十人につき一人を銃殺し」てでも働かせるよう
指導している。確かにこの時代の経済は非常事態にあった。
それゆえにやむを得ず出された指令なのだろうか?
もう一つ例を出してみよう。レーニンは
アメリカの「テーラーシステム」をかなり評価している。
テーラーシステムがどれほど非人間的なシステムであったかは
ここでは説明する必要はあるまい。しかしレーニンは生産性を飛躍的に
向上させる,と言う点においてこれを評価しているのである。
ここに共通しているのは,レーニンが労働のあり方について
あまり考えていない,と言う事である。元々マルクスが資本主義を
揚棄しなければならない必要性として重視していたのは
資本主義における労働者の労働が「疎外」されている,と言う事であった。
レーニンはこの「労働疎外」について,きわめて意識が希薄だったのではないか?
実際,疎外論の原典とされる「経哲草稿」をレーニンは見ていないので
やむを得ない,とされるかもしれないがしかし事実は事実である。
いくら非常事態であったからと言って,それで済ませられるわけではあるまい。
この場合はレーニンの思想的な欠落点が指摘されなくてはならない。
しかるにまっぺんさんはそのような手順を一切踏んでいない。
私が疑問に思うのはそこである。
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中越紛争? 投稿者:Lが同中央書記局 投稿日:11月18日(木)13時35分16秒
それはたしか、中越紛争のときのベトナム支援署名か何かでは。
署名の賛同団体に民青とともに日本革命的共産主義者同盟も
正式に入っていて、これを理由にインター側が学生大会などで
民青自治会に共闘しろと迫ったというような話は私も知って
います。
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田口さんへ(記憶違い) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月18日(木)12時35分14秒
けぱらさんの情報によると村岡氏は78年1月に
編集部に配属、80年春に脱退、と書いてありましたから
この三年間のことですね。私の完全な記憶違いだ。( ;;;)
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田口さんへ(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月18日(木)09時28分57秒
とりあえずレスです。
ベトナム支援の運動だったと記憶していますから、
ベトナム革命勝利の1975年より以前じゃないかと
おもいます。でも記憶は定かではない。
新時代社に問い合わせたらわかるかも・・・・(^^;;;)
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村岡氏の理論について 投稿者:トロスキー 投稿日:11月18日(木)02時15分50秒
私もかつては村岡氏の理論をそれなりに読んでいましたが、
最近はさっぱりです。ちゅんたさんの言う村岡氏の社会主義社会論というのは、
「生活カード制」論と「協議経済」論のことでしょうか?
それとも、最近また新しい「画期的」な理論でも提起されているのでしょうか?
ちゅんたさんがかつて村岡グループの支援者だったというのは
初耳です。彼はかつて、湾岸危機のとき、湾岸戦争は起こらないと
大予言して、湾岸戦争の危険性を言っていた新左翼を
せせら笑っていましたが、見事に空振ってしまいました。
「予言」は凡人には向かないようです。
彼はときおり、軽率にもトロツキーの「誤り」について
的外れな新理論を展開するので、私は一トロスキストとして
「おいおいそれは違うだろう」と一人突っ込みしていました。
最近はトロツキーについて何か言っているのかな?
まあ、彼によれば、トロツキーはすでに乗り越えられている
(村岡氏によって)そうですから、無視しているのかもしれませんが。
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「静岡事件」 投稿者:田口 投稿日:11月17日(水)22時45分48秒
まっぺんさん、お久しぶりです。
WRの静岡大に関した記事が問題になった、そのことでWR編集部か静岡の
組織が自己批判したと、耳にしたことがありました。
その出来事は、いつ頃のことでしょうか。1979年ですか。
民青と「共闘」と評価すること自体も、批判の対象になったと違いますか。
それとも民青と「トロツキスト」(インター系グループ)が、実際に共闘した
のでしょうか。ベトナム革命連帯って、アジア青年集会に関係したことなのですか。
静岡大は、たしか全国有数の民青の拠点校でしたよね。
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Re:けぱらさん(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月17日(水)21時52分15秒
村岡氏の情報ありがとうございました。参考にさせてもらいます。
ついでに現古研のサイト(掲示板いろいろ)眺めてきました。
リンクも充実してますねぃ。(^^)
だいぶ遅ればせながら、“我が党”へのリンク、ありがとう
ございましたあ。 (^_^) m(_ _)m (^_^)
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では、村岡論・理論編を(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月17日(水)15時43分59秒
理論は実践と結びついています。実践と結びつけて評価しないと
理論が正しいかどうか検証できません。社会科学が他の科学と
違うのはそこでしょう。
スターリンのコミンテルンがヨーロッパ革命に対して誤った
指導をおこなった結果、革命は全て破産してしまいましたが、
スターリンはそれでも「コミンテルンの方針は正しかった」と
総括しています。「そーじゃないでしょー」とトロツキーは
言うわけです。
村岡氏についても「理論は正しいけど実践はまちがっていた」
という風には思えません。理論がまちがっていたために
間違った方針が生み出された結果です、静岡事件は。
最初にちゅんたさんのほうから村岡氏をレーニンの「残虐行為」
と比較してどう評価するべきか?という書き込みがありました。
それには一応これまでの書き込みで回答できたと思います。
そこで、次に“あらたな質問”として村岡理論について考えて
みましょう。
ただし、私は村岡氏と会った時に「第4インターはまちがってる」
という“組織論”について彼の主張は聞いていますが、それ以後、
彼の主張全体を研究したこともありませんし興味を持ったことも
ありませんので「社会主義社会論」というのは全然知りません。
よって、村岡理論については氏の“組織論”だけに限定して私が
彼について知るかぎりで批判したいと思います。
でも今忙しいからちょっとまってね。明日夕方かあさってに
ならないと時間ができません。(^^)v ブイッ
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そんなに 投稿者:ちゅんた 投稿日:11月17日(水)13時12分55秒
僕が聞きたいのは彼の理論をどう考えるか?という一点に尽きます。
理論は理論でもって対するのが当然でしょう。
彼がいかに活動かとしてだめだったのか、ということを繰り返し主張しても
それで彼の理論全体を批判したことにはならない。
彼の理論を検討することなく、話を進めてもどうしようもないでしょう。
確かに行動は理論の帰着点だ、とすることができるでしょうが
それだけで結論をだしてしまっては、見落とすものが大きすぎます。
ところで、彼の理論で知られているものは「社会主義社会論」がありますが
それをどう「情勢」とあわせて議論しようというのでしょうか?
僕はやはり理論は純粋に理論として評価されるべきだと思いますが。
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了解です 投稿者:いずみ 投稿日:11月17日(水)00時47分37秒
いずみの早トチリですねこれわ^^;;
すみませんでした。
#やっぱり、党派相手にするのなら緊張感を持って臨もうよ〜(;_;)>こころあたり
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村岡氏は『世界革命』編集部員 投稿者:けぱら 投稿日:11月16日(火)22時15分05秒
村岡 到氏は1978年1月以降、『世界革命』編集部に配属されていたようです。
http://genko.system.to/bbs/log/n93a.html#n9323145915
マル共連BBSにおいて“村岡氏=平党員”説が提出されたのは、
“村岡氏=政治局員”説が否定される脈絡においてのことであって、
“末端の一細胞員”という意味合いのものではなかったのでは?
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なにのためになにをなすべきか 投稿者:ザーカイ 投稿日:11月16日(火)21時11分05秒
前後のちゅんたさんとまっぺんさんの対話(村岡到氏につい
て)は、さておき
まっぺんさんの
>私がそれまで青年同盟で学んだのはまず「情勢はどうか、
>大衆の動向はどうか、この大衆に対してどう組織してい
>くべきか」という問題の立て方だったと思います。
は断固支持します。これをしつこく大学の先輩たちから叩きこまれたか
らこそ、新左翼ノンセクトグループの仲間が召還し、共産党の牙城化す
る労組で、共産党に飲み込まれることなく一定の違いを保ち活動家とし
て当局に闘いを挑みつづけられるわけです。(注:共産党を批判してる
のではない。単に発想と目的の立て方が違うだけ)
これができない党や活動家・指導者など大衆(組織)を指導できず、
大衆に乗り越えられ、見捨てられて、「前衛」ではなくなります。レーニン
も「読者にたずねるが(略)口で『前衛』といっただけで我々を信用するほ
どアホゥだろうか?」といっていたと思う。
その上で、大衆に迎合せず、真の敵を暴露していくのが現代の左翼
の課題であり、厳しい問題でもあります。
現場のオッサンから若きちゅんたさんへのエールとして、
「呼吸を整え世をよく観て、大衆の流れを感じ、そして嘲笑と弾圧を恐
れず大胆に大衆の前に立て!」
これが左翼であり、活動家だと思います。「なにをなすべきか」が大
衆の声を通して明らかになってきます。
#村岡到氏とは関係ない横レスでスミマセン(^^;;)。
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いずみさんへ 投稿者:まっぺん 投稿日:11月16日(火)20時56分17秒
おひさです。(^^)
いちおーマル共連の過去ログをのぞいてみました。
「ひら」説の出どこはわかりませんし、私も
想像で言ってるだけなんで、確証はありません。
何しろ私は青年同盟だけで終わった人ですから。
ただ、むかし、村岡氏はよく「世界革命」編集室に
いるのを見かけました。それだけです(^^)
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村岡到氏について 投稿者:いずみ 投稿日:11月16日(火)20時31分50秒
すみません、初歩的なギモンなのですが、氏が第四インター内でどのよーな
位置にあったのかについて、マル共連BBSや現古研BBSでは、「ヒラの投稿マ
ニアである」とされていたんですよ。
しかし、まっぺんさんによると、どーもそーではないみたいで。
これ、事実関係は一体どうなってるのでしょうか?(とゆーか、かつてBBSでなぜ
「ヒラ」説が流れたのかしらん?と)
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Re:村岡到について(4) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月16日(火)18時42分46秒
chuntaさん。
>概して第4インターの方々は村岡氏を嫌悪しているので・・・
そーゆー言い方はやめてくんないかなぁ・・・・(^^;;;)
村岡到について、インター内部の他の人の意見を聞いた
ことはほとんど無いし、あくまでも彼に接して得た私
個人の“村岡観”です。
結果的に似た意見に落ち着くだろうとは思いますけどね。
村岡氏が第4インターを飛び出したばっかりのころ、
2回くらい会って話をしたことがあります。
主要には私が共産主義の正しい“組織論”をめぐって
彼のご意見を拝聴する、というものでした。
村岡氏はレーニンの「なにをなすべきか」を一生懸命
語ってくれましたが、その時まっぺんは「この人には
大衆がいないなぁ」という感想をもちました。また、
情勢もない。情勢と無関係なところに唐突に「党組織」
が出現するわけです。
私がそれまで青年同盟で学んだのはまず「情勢はどうか、
大衆の動向はどうか、この大衆に対してどう組織してい
くべきか」という問題の立て方だったと思います。
さて、最後にこれはchuntaさんへの批判でもあります。
議論は「情勢」との関係で行わなければ本当のことが
見えてこない、とまっぺんは思う。
トロスキーさんとのやりとりの中でも、私への村岡論
でもちゅんたさんに共通するのは、「一般論」としての
結論を時代やその時の状況を無視して比較しようとして
いるよう感じることです。
それぞれの革命家なり人民なりがとった行動や主張、
テーゼ等は、情勢あるいは現実に進行している事件を
めぐっての評価をもとにしているものです。だから
事実の検証は非常に重要です。
ちゅんたさんの12日の発言「トロスキーさんの批判点は
事実認識に関することばかりですね」ですが、
事実をどう認識するのか、こそが重要なんだと思いますよ。
(おしまい)
村岡論だけで結構長くなっちまったねー(^^)
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Re:村岡到について(3) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月16日(火)18時02分02秒
まとめ。
(1)レーニンの「残虐行為」は現実に利害が対立して
いる相手に対する行為です。
(2)村岡氏の記事は共闘関係にあって利害を共有して
いる勢力に対する「内ゲバ」です。
ところで次に疑問に思うのは、当時の「世界革命」紙は
なぜこんな記事を印刷・発行してしまったのか?
当時のJRCLの連帯責任を感じます。
大衆運動に責任のある政治党派なら自派の政治機関紙
にこんな内ゲバ的な記事を載せるべきではないのは
当たり前です。
ふたつの場合が考えられます。
(1)世界革命」編集長が怠慢であった
(2)村岡氏が編集長であった・・・・・・(@_@ )
(1)の場合、JRCL全体の責任は勿論ですが、
とくに編集長が一番責任がおもい!!
(2)まさか・・・とは思うけど、もしそうだったとしたら
こんな反スタ主義者を編集長にした同盟全体の感覚が
疑われてしまいます。
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Re:村岡到について(2) 投稿者:まっぺん 投稿日:11月16日(火)17時28分59秒
chuntaさんの
「残虐指令を行ったからといってすべてを否定しては
ならない」という「残虐指令 」と村岡氏の行動とは
同類のものなのでしょうか?
私には全然そうは思えません。
レーニンが「残虐指令」をおこなったのは革命当時、
及び内戦の最中の緊張した状況のなかで軍事的な対峙
の状態にあった時代です。
軍事行動および「残虐な行動」をおこなった対象は、
明らかに 反革命側にあった者か、いつでもそのような
立場に移行しかねない危険があるとみなされた者たち
への行為です。
その行為それ自身について肯定するべきかどうか、の
判断力は私にはありませんが、その結論はここでは重要
ではないでしょう。たとえ否定するべきであったとしても、
レーニンの行動全体をそれだけで評価してはいけない、
ということですから。
静岡大学の記事を村岡氏が書いたのはベトナム人民が
アメリカ帝国主義を追いつめ、最後の勝利に向かって
闘いを続けていた時でした。しかしアメリカの近代的
な大量殺傷兵器、その巨大な物量の前にベトナム側の
犠牲は非常に大きいものでした。
我々がやるべき事はベトナム人民と連帯し、全世界
いたるところでアメリカ帝国主義と闘うことでした。
そのためには、あらゆる勢力が連帯し統一した行動を
おこなう事によって、ベトナム革命連帯のおおきな
大衆運動のうねりを作り出すことが重要でした。
民青と共闘して学内でベトナム連帯の大きな運動を
作り出すことは、単にセクト的な利害ではなくベトナム
の勝利のための闘いとして重要なものだったのです。
その意味で当時まだ“トロツキスト”に強い偏見を
抱いていた民青との共同闘争を実現できたのはとても
大事ですばらしい事でした。
当時の状況から考えて共産党・民青中央はトロツキスト
との共闘など考えていなかったでしょう。
静岡大民青単独の自主的判断だったと考えられます。
村岡氏はその静岡大民青に対する悪意を込めた一片の
記事によって、この共闘関係を粉砕したのです。
これはいわば「文字による内ゲバ」です。共闘相手に
対する内ゲバは双方の勢力のみならず、それらの勢力
が追求してきた運動そのものにとってもマイナスです。
つまり、村岡記事は他ならぬベトナム人民に対して敵対
行動をおこなったということなのです。
(つづく)
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>>反共と反ボリシェヴィキ 投稿者:chunta 投稿日:11月16日(火)16時21分25秒
「共産主義観」と書きましたが、たとえば「共産主義は恐い」
と信じ込んでいるというだけでも、それは一つの「共産主義観」
と言えてしまいます。ですからこの場合は「思想(論理)的な裏付けを持った
共産主義観」というように考えていただきたいと思います。
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Re:村岡到について 投稿者:まっぺん 投稿日:11月16日(火)16時16分44秒
chuntaさんにおこたえします。ところで。
あのー、ただ私の方が早く生まれただけですから“大先輩”
という事はありませんよ。おそらく読書量・知識・意欲とも
chuntaさんの方が上だと思います。(^^;;)
まず、マル共連の私の書き込みを転載しておきましょう。(11月13日)
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ええ〜っっ・・・・ちょっとまっちくりー!冗談じゃない!!!(@_@ )
まっぺんは村岡氏が学者タイプの思想家だとも、だから活動が
苦手なんだとも全っ然、思いません。
彼の過去の変遷をたどると、中核派→第四インター→稲妻グループです。
私は彼が新時代社にいた時代を知っていますが、その頃からひどいもんでしたよ。
ベトナム人民が勝利に向かって進撃していた頃でした。その頃、
第四インター派は一部の民青とも共闘しつつ全国でベトナム革命闘争
支援運動を行なっていました。ある時、静岡の学生たちによる民青
との共同闘争が「世界革命」紙に掲載されました。しかし、それは
「我が派の介入によって 民青・共産党の分裂が促進された」という
ようなひどい反スタ的で主観主義的な記事だったのです。これは内部
でも問題になりました。なによりも、静岡で地道に活動をしていた
学生達への打撃は大きかった。民青は我々に不信を抱き、決別しました。
当然です。
この静岡の記事を書いたのが村岡到です。
彼は中核派時代にもそれなりの幹部的地位にあったようで、かなりの
自信家でした。第四インター派にオルグされて入党しましたが、
新時代社内での地位は私には解りません。しかし、身にしみついた
「反スタ精神」は払拭されていなかった、ということです。
また、組織論についての彼の考え方はレーニンの「なにをなすべ
きか」の語句を教条的に解釈する、中核派的な思考でした。結局
トロツキストになれなかった結果、ひとりで飛び出していきました。
彼には「人民」が見えない。「党」しかないのです。日常の中で様
々な悩みを抱えながらも活動する血の通 チして会話してたので、内容は >
こいつは、トロツキストだ ニハテt;畠n-+ヨ俘mJjァソ14t{+ヲチ3F棄キ~^ラ_#w%ョヒv<ニ;qhP