四トロ同窓会二次会 1999年10月7日〜9日
RED MOLE PARTY/THE FOURTH INTERNATIONAL FAN CLUB
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いい議論になってきたけど・・・ 投稿者:ザーカイ 投稿日:10月09日(土)23時
34分10秒
まっぺんさんへ
レスありがとう。東北大の件了解しました。
まずもう一度ぼくの内ゲバ論に発言するスタンスを言いますと、4ター
については、『内ゲバ反対』論をはっきり発言していることを評価し
つつも、「防衛ゲバやむなし」では『人民の権力』や『学生の自治』
を守るという大義の下で内ゲバが起き得るといっているのです。
防衛ゲバも地獄への入り口です。もちろん4ターがそんな防衛ゲ
バしているとは言っていない。
もしそう読めたら、わたしの文章力不足です。
そしてわたしの内ゲバ論は、自分の(防衛)内ゲバノンセクトへ向け
ていると共にできるだけ普遍性ある批評として語りたいとの思いです。
だから正直な話し『内ゲバ反対!』支持だけど、簡単に『内ゲバ反
対!』というと、『防衛ゲバやむなし』となり、上に書いた危険があるこ
とを恐れています。
たとえば↓のトロスキー氏(この場では紛らわしいHN 笑)が書いて
いるが
>ザーカイさんが革命政権の一員だったとしたら、(略)戦略的軍港
>であったクロンシタットで武装反乱が起こり、それに対していっせ
>いに白軍と帝国主義国からの(略)>支持が集まり、氷が溶けたら
>、そこを拠点にもう一度国外からの軍事干渉が(略)始まる可能性
>があるときにどうしたのでしょうか?
>(略)もちろん、そのようなさらなる干渉にソヴィエト政権はもたない
>でしょうから、崩壊したでしょう。(略) こういう現実性が存在すると
>きに、いったいザーカイさんなら、どうしたのでしょう? 革命政権
>の一員として、いったい、どうしたんですか?
これほどではないが、中野一派とのゲバはこれと似ていて、彼らが
当局と裏取引して、『仮執行』体制の当局責任を隠蔽してサークル室
確保と当局主導の中央委員会を開こうとしたのです。これを粉砕し、
反対運動を立てなおす我々側の文連会議を開いたときに中野一派が
テロ襲撃してきたのです。これ以降防衛と称し我々は内ゲバを開始し
たのです。クロンシュタット弾圧と同じコトしました。
ですから当時のボル(トロツキーも)批判できる資格はないのです。
むしろ、『防衛ゲバやむなし』は我々を擁護する都合のいい論でありま
す。「裏ブントの革命的掲示板」に書いたけどそれで良かったのか?
当時のボルや自分らを良しとしたら、その後のスターリン圧政を批判
できないと思う。コミンテルンが革命輸出の国際舞台でしたが、莫大な
資金は唯一ロマノフの財宝のみ。ロシア革命当時ロシアの国民所得は
ドイツの1/3・アメリカの1/6程度。戦時共産体制が’18、コミンテルン結
成が’19、ネップが’21。レーニン死亡が’24、そしてスターリンの一国
社会主義採択しています。こんな短期間でロシアが『永久革命』を担え
るとお思いですか。トロツキーは「永久革命論」で『内部的には内乱、外
部的には革命戦争を導く』と主張してます。これでは帝国主義からの干
渉をうけ、ソヴィエトはこれに耐えられません。スターリンは事務方の人
間で、その一派は当然ソビエト国家を守ろうとしてトロツキーを弾圧し、
国外に追放したと考えられます。実際’26年国際連盟に加盟してソヴィ
エト国家防衛、軍事干渉されないよう奔走してます。ています。
ですからスターリンのトロツキー弾圧はボル(トロもスタもいた)が
>(初期ロシア)少数派となった党派は議会の中で主張するかわり
>にレーニンなどの主要.閣僚暗殺をねらったり爆弾テロなどの手
>段をとりました。その結果として非合法化が決定(した)。
(byまっぺんさん)
と同じ手法です。トロツキー創設の赤軍がボル(レーニンもトロもス
タもいた!)の指示でクロンシュタットの反乱を弾圧したのもそう。
結局は、左翼の内ゲバもボルの伝統を受け継いでいる。
何度も言うけど、内ゲバするほどの守るものはあるのか?
ソヴィエトも、大学自治会も、党も。ぼくはここから考えたい。
>晩年のトロツキーがクロンシタット弾圧を過剰なまでに擁護し、
>時には非常に感情的にさえなったのは、あの事件に対する良
>心の痛みを払拭できずに苦しんでいたからだと思います。
(byトロスキー氏)
こんなトロツキーがぼくら(元)左翼の心を捉えるんです。そして、
ここで、議論する価値があるんです。
内ゲバは苦しみしか残しません。書いていて、涙が出てきたよ、
ホント。
PS:トロスキーさん、これで回答になってますか?トロ=内ゲバ元祖
は事実誤認につき撤回し、同罪と変えます。
とみたさんへの回答は少し待っていてください。
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トロスキーさん、いらっしゃいませ 投稿者:まっぺん 投稿日:10月09日(土)18
時52分47秒
「ブルジョア議会」と私が表現したのは「憲法制定議会」のまちがいでしたね。
訂正、ありがとうございます。
それからクロンシュタット反乱についての詳しい説明、ありがとうございます。見事です。
ひえ〜、もっと勉強しなくちゃ。(@_@)自分のナマケモノぶりがつくづく身にしみる
今日このごろです。
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書き込みの長さにちゅうい d(-o-) 投稿者:まっぺん 投稿日:10月09日(土)18時
26分29秒
とみたさんはもう理解されたと思いますが、
この掲示板はあまり長い文章ははいりません。
女性差別問題について、別のページに掲載するつもりと
まっぺんが言った理由のひとつはそれです。
私もこれから書くつもりですが、とみたさん他皆さんも差し支えなかったらメールで
送っていただければ、懐古闘争ページに掲載します。
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(無題) 投稿者:とみた 投稿日:10月09日(土)17時50分27秒
私は女性問題に対し、うわっ面だけ考えているようなある党派を知っています。彼らと話
していて「差別発言」を二回聞きました。それに対し異論をとなえると「聞かなかったこと
にしてくれ」というのです。発言を撤回するのではなしに……。彼らは女性メンバーも少な
いから告発も少ない、あるいは過去にあったがうやむやになったようです。さらに差別事件
が起きても解決できませんでした。こういう党派を見ると「突きつけ(特に当時者の)」は
必要なのだと思ってしまいます。
>女性差別に理解ない人が、左翼やってたっていい。
これから学んでいけばいい、ということでしょう? やってたっていいわけありません。
左翼をはじめてもいいだけです。長い時間運動をやっている人が「理解ない」ようでは困り
ます(これ揚げ足取りかな?)。
> これじゃ人間の解放どころか牢獄です。自分が活き活き生きられるよう闘っているので
>あって、よりよい左翼になるためじゃない。
それが「伸びやかな運動を」なのでしょうか? 人間解放は楽しい事業ではありません。
しかし、差別問題に厳格であっても活き活きとした伸びやかな運動を創ることは可能ではな
いでしょうか? また別にブルジョア社会の中でも活き活き生きられる方法はあります。左
翼でなくてもそんな人は山ほどいます。人間の解放とは程遠いかもしれないですがね。
>そのうえで、利害がぶつかったらよく話し合えばいいんじゃないかなあ。
運動は矛盾の調停機構ではありません。シングルイシューだけやっていれば利害がぶつか
ることもありますが、その利害の対立するイシューに多くかかわればかかわるほど深く考ざ
るをえなくはずです。ただしすぐ解決するわけではありませんし、そんなに多くの問題にか
かわることは物理的に難しいですが……。さらにトータルな社会変革をめざせばすべてが解
決するということはないでしょう。
> たかだか「女性」だからとか「沖縄や被差別部落出身」だからといって揚げ足取的に同士
>討ちしていては(略)。
「たかだか」にはひっかかりますが、あえてここべは問題にしません。「揚げ足取的に同
士討ち」がどういう意味なのかは???です。
次にまっぺんさんの「言葉狩り」が差別をかえって隠蔽した、というのはその通りだとは
思いますが、私は差別語を聞くとびくっと反応してしまいます。まだまだ運動圏の中には差
別語を口にすることを開きなおる人もいるのです。かなしいことですが。
> 女性の身体は美しい。男にとっては非常に魅力的です。その意識を否定してポルノ論争を
>語ろうとしても限界があるんじゃないでしょうか。例えば「ワイセツ図画」か「ゲージツ」
>か。「ワイセツ図画」=いけない、「ゲージツ」=すばらしい? この図式自体が違うよう
>に思う。
まったくもってその通りだと思います。しかし「ポルノグラフィー」には慎重であるべき
です。わたしは「ポルノグラフィー」と売買春の問題は密接、どころか不可分一体なのでは
ないかと思うからです。
H.Hさんに賛同します。まっぺんさんが発言を「撤回」したので以下削除。
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あれー入らない??? 投稿者:とみた 投稿日:10月09日(土)17時36分37秒
続きです
わたしは女性差別問題に
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うーん、長いと全部入らんのか 投稿者:とみた@レッドモール党党員? 投稿
日:10月09日(土)17時32分33秒
続きです
わたしは女性差別問題に
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ザーカイさんとまっぺん同志へ 投稿者:とみた@レッドモール党党員?
投稿日:10月09日(土)17時27分28秒
金曜日の朝にフロッピーに入れて職場に持っていき書いてきて掲示板をみたら、まっぺん
さんは「ポルノ」に関する発言を撤回してるわ、内ゲバとボルの話でもりあがってるわ、で
割り込みというかたちになりますが書き込みます。
最初ザーカイさんが「差別」問題についてここに書き込んだとき、マル共連BBSでザーカイ
さんが元C大の女性活動家を「女史」と表現したことを私が批判したことを受けてのことと思
いました。違いますか? 一般社会では(マル共連BBSもそう)女性差別問題を論じはじめる
と、他の差別問題とは違って「それは差別ではない」といって熱くなり反発する人が多いの
でネット上でもひかえていました。働きかけるのは必要ですが「場」というものもあります
から……。ここでは「女性差別」についてきちんと考えているので発言しますね。
ザーカイさんは
> わたしが左翼という村に対して願うのは、党派や個人に対して、安直に「差別者」規定しな
>いことです。
> 禁止事項を増やして若い人、新しく目覚めた人を萎縮させることのない運動形態を作って
>ほしいもんです。
> あと活動家の自己批判的思考回路もほどほどにしてほしい。高度な倫理性を求める人は、
>得てして他人にも同様であるよう求めがちです。
と、言っておられますが、たしかに新しい人に対していきなり「差別者規定」し、人格的に
動揺させ「差別糾弾闘争の地平へ」とオルグする「血債の精神」の押しつけは最終的に息苦
しくなるだけでしょう。C派の中にも「血債がC派をダメにした」といっている人がいるよう
です。また若い人の表現を「おまえは差別者だー」と決めつけ、そしてその後なんの話もし
ないで突き放すのは話になりませんね。さらに意図的かつ政治的に利用されることもありま
すね。しかし女性当該からの告発に突っ張ってるのも見苦しいものです。こういう場合はぜ
ひまわりの活動家が反発するのではなしに、キチンとフォローし理解してもらうよう不断の
努力が必要なのではないでしょうか? さらになぜってもう永年運動しているのですから。
理由はこれだけで充分でしょう。
わたしは女性差別問題に
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議会解散について 投稿者:トロスキー 投稿日:10月09日(土)16時09分27秒
まっぺんさんへ。
ちゅんたさんが言っている「議会」というのは、ケレンスキー政権下のブルジョア議会ではなく
、革命後に召集された憲法制定議会のことでしょう。この場合は、どちらの代議機関が
革命的正当性を有していたかと問題を立てる必要があるでしょう。革命的人民は誰も
憲法制定議会の解散に反対しませんでした。ちなみに、憲法制定議会を実際に解散させた兵士は、
左翼エスエルの兵士です。
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クロンシタット事件について(2) 投稿者:トロスキー 投稿日:10月09日(土)16時08分21秒
文書容量が大きすぎたので、分割掲載します。さっきの続きです。
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私としては、あの反乱を未然に防ぐことはできたし、とりわけ、ネップの政策を
もっと早くに導入していたら回避できたと考えているので、あの反乱を回避する
きちんとした政策を取らなかった点で、ボリシェヴィキに罪があると考えています。
さらに、反乱勃発直後に、ジノヴィエフがとった傲慢な態度がさらに
クロンシタット水兵の怒りに火をつけて、取り返しのつかない事態にまで至った
責任ことも重大であり、この点に関してもジノヴィエフを始めとする
ボリシェヴィキ党指導部に責任があります。反乱が起こった直後に、
ただちに融和的態度を見せて、民主主義的な譲歩政策をとるべきだったと
私は思っています。しかし、それらの措置が結局は講じられず、結局、
クロンシタット側がいかなる犠牲を払ってでもボリシェヴィキ政権を
武力転覆するという立場になってしまった以上、いったい、
ボリシェヴィキ政権にどのような選択の余地があったのか、私にはわかりません。
武力鎮圧に向かう赤軍を直接指揮したのはトハチェフスキーですが、
赤軍兵士は涙しながら鎮圧に向かったと言われています。
あの事件は本当に悲劇的でした。良心的なボリシェヴィキ指導者は、永遠に
あの事件によって苛まれ続けることになりました。晩年のトロツキーが、
クロンシタット弾圧を過剰なまでに擁護し、時には非常に感情的にさえなったのは、
あの事件に対する良心の痛みを払拭できずに苦しんでいたからだと思います。
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クロンシタット事件について 投稿者:トロスキー 投稿日:10月09日(土)16時07
分04秒
どうも、突然お邪魔して申し訳ありません。あまりにも熱心な討論が行なわれているので
つい、ROMだけでは満足できなくなってしまいました。
まず、ザーカイさんへ。
クロンシタット事件で、蜂起者弾圧を指導したのは、トロツキーではなく、
当時のペテルブルク指導者であったジノヴィエフです。この点よく誤解されて、
トロツキーがあたかも血の弾圧の責任者かのように言われていますが、
これは本人も否定しているし、その後の綿密な歴史研究によっても
否定されています。このような伝説が成立したのは、トロツキーが
ユダヤ人で、当時の白軍が、徹底してトロツキーを、血も涙もない
悪魔のような存在にしたてあげて、それを大々的に宣伝し、それが
農民出身者にかなりの程度、浸透していたからです。
したがって、クロンシタット事件を理由に、
トロツキーを内ゲバの元祖にするのは、ちょっと無理があると思います。
むしろトロツキーは、1年前からネップの政策の導入を党内で主張していました。
しかし、この主張は、レーニンを含む当時の多数派から拒否され、1921年
まで実施されませんでした。クロンシタット反乱の直接の動機は、
穀物の強制徴発に対する農民の極端な不満でした。ほとんどが農民出身者であった
当時のクロンシタット水兵は、田舎の家族から残酷な強制徴発のことを知らされて
立ちあがったのです。もし、トロツキーの政策が1年前に実施されていたら、
クロンシタット水兵の反乱も、また、それ以外の無数の農民一揆も
起こらずにすんだでしょう。実際、ネップ導入後、ボリシェヴィキの独裁に変化はなかった
にもかかわらず、その種の反乱は一度も起きていません。
(スターリンが1920年代終わりに強制集団化しようとしたときに、再びその種の
反乱が全国で起きました)
トロツキーがネップの政策を1920年2月に提案したのはけっして偶然では
ありません。彼は赤軍の指導者として全国を飛び回り、そこで実際に
農民の状態を見、農民兵士の不満を知っていたからこそ、強制徴発をやめて
累進現物税(食料税)の導入を提唱したのです。
農村の窮状を直接目にしていなかったモスクワ在住の党指導部は、
トロツキーの提案をブルジョア自由主義への屈服として一蹴してしまいました。
第10回党大会で、レーニンの提案したネップが満場一致で採択されたとき、
トロツキーは、大会の場で演説し、この提案は1年前に私が提案したのと一字一句
変わらないではないか、なぜ1年前に採用しなかったのだ、そうしていれば、
国の状態ははるかに改善されていたのに、と悔しそうに発言しました。
実際、レーニンのネップの提案は、トロツキーが1年前に提案したものを明らかに
ネタ本にしています。
以上が、クロンシタット事件とトロツキーとの関係です。
トロツキーは、自分が弾圧を指導したわけでもないのに、政権の一員として、
クロンシタット弾圧に対する糾弾を自らに引きうけました。
次の問題は、クロンシタット弾圧そのものをどう見るか、です。
あれは単に、政権が人民を弾圧したものにすぎない、とみなすのかどうか。
ザーカイさんが革命政権の一員だったとしたら、首都ペテルブルクのすぐ近くの
戦略的軍港であったクロンシタットで武装反乱が起こり、それに対していっせいに
白軍と帝国主義国からの支持が集まり、氷が溶けたら、そこを拠点にもう一度
国外からの軍事干渉が(3年もかけて撃退したというのに)始まる可能性があるときに
どうしたのでしょうか? もしもう一度、軍事干渉が始まれば、それによる死者は
クロンシタット弾圧による死者の数の数千倍になったことでしょう。
もちろん、そのようなさらなる干渉にソヴィエト政権はもたないでしょうから、
崩壊したでしょう。ボリシェヴィキ党員はおそらく、1人残らず虐殺されたでしょう。
(白軍は、捕らえたボリシェヴィキを、必ず全員銃殺しました。また、
ボリシェヴィキに協力した人もすべて銃殺されました。ユダヤ人も皆殺しにされました。)
こういう現実性が存在するときに、いったいザーカイさんなら、
どうしたのでしょう? 革命政権の一員として、いったい、どうしたんですか?
あのときのボリシェヴィキがとった行動を簡単に断罪できるどのような
倫理的根拠があるのか、ぜひ教えてください。
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次にちゅんたさんへ 投稿者:まっぺん 投稿日:10月09日(土)10時08分53秒
昨日のちゅんたさんの主張のなかで
>議会で多数派を取れなかったと言う理由で議会を暴力的に解散させたのも
ボルシェビキでした。
というのが気になるのです。これはどの議会のことでしょうか?
ソビエト議会はスターリンによって換骨奪胎されたとはいえ、革命以来70年にわたって
続いてきたわけですから、ちがうでしょう。そうするとこの場合の「議会」とは
2月革命で登場したケレンスキー内閣が依拠していた、あのブルジョア議会の事ですね。
そうすると、ちゅんたさんは、ロシア革命というものについて、非常にまちがった理解を
している、と思いますよ。
1905年の革命時にすでに「ソヴィエト」というものが形成されています。1917年2月の時点
でも多くの労働者や兵士の各地区ソヴィエトが自然発生的につくられるのです。ロシア革命
の重要な点はそこです。人民がみずから創り出したソヴィエトを国家の権力機関にするように
「全権力をソヴィエトへ」というスローガンのもとで人民は行動したのです。
最初このスローガンが叫ばれた時ボリシェヴィキはソヴィエトの中では少数派でした。
多数派は メンシェヴィキ。
ボリシェヴィキは先頭にたってこのスローガンを宣伝したのです。
つまりボリシェヴィキはメンシェヴィキに「権力をとれ」と要求していたのです。しかし
メンシェヴィキは躊躇していました。やがてソヴィエト内でボリシェヴィキが支持を獲得し
多数派になった時、トロツキーの指導のもとに10月武装蜂起をおこなったのです。
もはやブルジョア議会は必要ありません。それは人民弾圧のイチジクの葉でしかない。
ソヴィエトこそが人民の権力となったのです。
「他党派弾圧」という解釈にも反論しておきましょう。
初期ソヴィエトはロシア人民により自然発生的にできたものでした。そこでは民主的に
議論がすすめられ、やがてはボリシェヴィキが多数派となるけれども、弾圧した訳では
ありません。しかし少数派となった党派は議会の中で主張するかわりにレーニンなどの主要
閣僚暗殺をねらったり爆弾テロなどの手段をとりました。その結果として非合法化が決定
されたのです。
これはLSSPによるJVP弾圧とは全く意味がちがいます。
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まず簡単に、ザーカイさんへ(^^) 投稿者:まっぺん 投稿日:10月09日(土)09時
32分39秒
再度、殺らなければ殺られるか、について。
>すぐ後で
述べている内容は国際的共産主義の権威を獲得したスターリニストによってトロツキストが
こうむった凄まじい弾圧の事実を述べているだけであって、
「だから対抗してやり返すべき」根拠にはなりませんよ。
逆です。
それほど凄まじく弾圧されたにもかかわらず、当時の勢力のなかで組織的に残っているのは
トロツキストだけなのです。ジノヴィエフ、カーメネフ、その他多くの理論家が当時は
いましたが、スターリンに粛正されて後、現在かれらの影響力は何も残っていません。
なおロシア以外ならローザ・ルクセンブルグなどをあげることができるでしょうが
内ゲバの問題については彼女もほぼ同じ立場と理解していいでしょう。
次に東北大学の問題について。
自治会の争奪戦と解釈し、そこに内ゲバを関係づけることには意味がありません。
自治会の主導権をどの勢力がにぎるのか、それは自治会員である学生が自らの意志で
きめることです。言論によって自派の正当性を説得するべきであってそこに暴力を介在
させること自体が問題です。
内ゲバの「方法論」についてこのような「公式」を設定する必要はなにもありません。
当時、私が受けた説明では「明らかに解放派が襲撃してくる」という情報があったので
それに対して自衛武装していただけです。解放派がおそってこなければ彼らもケガをする
ことはなかったでしょう。こちらからは決して出かけていってゲバなどはやりませんから。
余談ですが、その時びっくりした解放派が「おまえら内ゲバ反対じゃなかったのかよぉ」
といったとか。内ゲバについて何も理解していない証拠です。
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防衛的内ゲバ批判 投稿者:ザーカイ 投稿日:10月09日(土)00時31分55秒
クロンシュタットの反乱を切り口に、と思ってここにきたら、もうす
でに花盛り。重複しないよう論旨をまとめ、まっぺんさんへのレス
とします。
@殺らねば殺られるか?
内ゲバの論理・心理はやはりここにあると思う。
まっぺんさんは
>それは現実の運動を見れば否定できます。スターリン支配下の(略)
>あらゆるデマゴギーと肉体的抹殺によって迫害されてきたトロツキ
>ズムの運動は消滅しただろうか?まだまだ少数勢力であるとはいえ、
>彼らは世界50カ国に支部組織を持ち、現実の影響力を持っています。
>第四インターナショナルの存在の継続自体がトロツキズムの組織論
>・党派闘争論の有効性を示しています。
といって「殺らねば殺られる」内ゲバの論理を否定してますが、
すぐ後で
>インドネシアに大きな勢力を持っていたトロツキスト勢力は根こ
>そぎ抹殺されたし、中国にもベトナムにもいたトロツキストたち
>は殺されていきました。スターリン主義者によって。
といっています。つまり、トロツキーの党派闘争論組織論では、
少数勢力として残っているが、スターリニストや、権力の暴力に
は弱いということになってしまい、結局「殺らねば殺られる」内ゲ
バの論理を否定しきれず、またトロツキーの組織論有効性を肯
定しきれずに締めくくってます。
討論としては論理破綻です。
A防衛ゲバやむなし路線の限界
クロンシュタット弾圧は、赤軍指導者トロツキーにとって革命政府擁
護・防衛ゲバです。しかしよく見ると、政権担当者が共産党という点を
除けば、反政府=クロンシュタットを、政府が国家権力で弾圧しただ
けの話。政府VS全学連の構図と同じだ。これが共産党政権だと「や
むなし」では、防衛ゲバは党派利害での暴力というしかないでしょう。
まして選挙で選ばれてない共産党政権にどんな正当性があるの?
> 党派利害のための自衛ではなく、大衆運動における労働者民主主
>義の自衛のための闘いとしてのみ
と黎さんの文を引用して防衛のための内ゲバをやむなしとの路線は破
綻しています。トロツキーは内ゲバ主義の元祖です。
B4ター防衛内ゲバ論
実際どんな状況下で起こったなハッキリしないので、仮にAという党
派が大学自治会を握っていてたとする。A派は内ゲバ反対してる。
そこにB派が暴力で自治会を乗っ取ろうと攻めてきたきた。A派は自
治会を守るべく暴力で返した。
つまりはB派が民主的手続きを踏まず自治会を乗っ取ろうとした非民
主主義者 よってA派の防衛ゲバは肯定/やむなしとする。
わかりやすい話しだが反論したい。
まずA派が自治会を執行しないといけないなんて理屈はない。ただ執
行委員がA派党員で多数占められているだけ。自治会を守るというの
が学生多数意見で防衛ゲバが可決されているなら学生総数の半分以
上がA派執行委側に決起してるはず。これなら「防衛ゲバやむなし」と
いうのも同情できる。しかし今は支持しない。
たとえ、B派に自治会とられても。
しかし、A派とそのシンパが、自治会の議決を経ずB派と暴力を交
わせば、只の縄張り争いです。党派利害を学生自治の上において
いるし、自治に関係ないのでやむなしではなくただの内ゲバです。
もちろんいずれにせよB派は内ゲバ主義者と理解、非難されて当然
です。
新左翼党派は体制内組織(自治会)を党派の資金源・人的資源とし
か考えていない。学内で、反体制運動をするなら当然全共闘のよ
うに自治会枠とは別に運動体を立ち上げねばならない。それをサ
ボって体制内組織に反体制的役割を当て込もうとすることに限界
がある。自治会が革命的なはずがないじゃないか!
4ターの内ゲバ事件がどんな経緯か興味がある、それまでは、防
衛的ゲバか否かは断定できないでしょう。
しかし、基本的には、防衛的ゲバなんて階級内では成立しない
のだ。トロツキーが身を持って示したとおり。
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ちゅんた同志への反論 投稿者:まっぺん 投稿日:10月08日(金)22時59分48秒
セイロン・トロツキストはJVPを弾圧したのか
これまでの論争によって、互いに合意できるのは、
「旧セイロン支部であったLSSPは政府に入閣し、JVPを弾圧した」
「しかし第四インター・セイロン支部はJVP救援運動を組織した」
以上の2点です。
ちゅんたさんは、弾圧の責任をどこに求めるのでしょうか?
「トロツキズム」にその責任があると、どうしていえるのでしょうか?
LSSPを「トロツキスト」と呼ぶべきかどうかの基準はどこにあるでしょうか?
第四インター派は比較的「セクト主義ではない」と自負していますし、自分以外にも
トロツキスト組織が存在している事をわかっているつもりです。
第四インターナショナル統一書記局に結集するトロツキスト以外にも自称「トロツキスト」
はたくさんいます。フランスにもランベール派という(革マルよりはいくらかましな)
セクト主義者がいます。また、パブロ派、ポサダス派(太田竜ご推薦)などという潮流も
かつて存在しましたね。
最近話題になったところでは「スパルタシスト」がありますね。
しかし自称「トロツキスト」は全てトロツキストなのでしょうか?
これはトロツキストとしてのアイデンティティに属する問題になりますが、
少なくともブルジョワ改良主義政府の立場に立って他のセクトを弾圧するような潮流は、
いくら元同志であっても「トロツキー主義者」と認めることはできません。
明らかにトロツキズムの綱領・原則から逸脱しているからです。
従ってもしセイロンの事態について“自己批判”する事があるとしても
「我々の指導が足りなかったためにセイロン支部が脱落してしまった」というような形で
自己批判するのであって、決して「セイロン人民をわれわれの同志が弾圧したのは
トロツキズムに問題があるからだ」などというような立場はもたない、という事です。
したがって「トロツキー派がJVPを弾圧した」というのは、事実に反していると言えるのです。
なお、当選した途端に政府の側へ寝返った人については、組織の問題ではなく、個人の
人格的弱さにあるのではないでしょうか。個人の問題と組織・綱領の問題を混同してはいけ
ません。そのような人格的弱さをもつ人なら我が国の社共の議員や左翼系知識人のなかにも
山ほど見いだす事ができるでしょう。
日本とフランスの比較
ちゅんたさんは私の発言の文脈を読み違えています。「フランス左翼の中で共産党が多数派
であったかどうか」を問題にしているのではありません。
ちゅんたさんがまだ生まれていない頃の話なので想像してもらうしかないのですが、
日本の60年代後期〜70年代初期にかけての極左派の運動は断然、中核派がしきっていました。
他のセクトも非常に多く、赤や青のヘルメットのデモの波は壮観でした。しかし中核派はそれらの
どのセクトにも増して圧倒的な人員と力量とを持っていたのです。歴代中核派全学連委員長は
世間でも有名で人気もありました。
ご存じのように日本の左翼運動では「内ゲバ」は当たり前のことであり、学生運動が高揚
していた時にはおおめに見られることもありました。しかし、今日のように左翼にとって
厳しい時代にはいるや、左翼勢力全体が退潮期を迎え、ほとんどの組織・運動が沈滞して
いきました。
1968年、パリ5月頃のフランスの極左派の運動も又内ゲバ主義者を生みだしました。
例えば上に紹介したランベール派などはややそのような傾向をもっていました。
しかし、極左派をしきっていたのはダニエル・コーンバンディ率いるノンセクト的グループと
アラン・クリヴィンヌを代表とする「革命的共産青年」(第四系青年組織)でした。
とりわけJCRは過激で、ファシストの集会を大挙して襲撃し、破防法により解散命令を
うけるようなこともありましたが、内ゲバにたいしては絶対これを許さず、そのためフランス
極左派の運動はその後も継続しているのです。現在経済的にも政治的にも極左派にとって
困難な状況が世界的規模で続いていますが、革命派にとって日仏のこの差はどこから来てい
るのでしょうか?
内ゲバ反対派が少数であった日本では左翼運動が生き残れなかった
内ゲバ反対派が多数であったフランスでは大きな前進を勝ち取っている
これが、まっぺんの結論です。
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雑感 投稿者:人民K 投稿日:10月08日(金)22時45分23秒
歴史に傷つけられるのはいつもアナキストでしょう(又、それは避けられない)。
「迷わない兄弟」になるよりも、「迷える兄弟」になる方を、私は選びますなぁ。
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クロンシュタット雑談 投稿者:H.H 投稿日:10月08日(金)22時06分15秒
クロンシュタットの弾圧についてのお手軽な(短いという意味)文献は
「トロツキー著作集1937・38下」の三つの論文
「トロツキー 1」(柘植書房)の「18章、革命の危機」
その他トロツキーのテロリズム論については「トロツキー研究」NO.17の
「トロツキーのテロリズム論」(これはおすすめ)
他党派弾圧については、ぱっとは思い浮かびませんが「トロツキー 1」の関係する章
手に入りにくいかもしれませんが「第二期トロツキー選集10巻 革命はいかに武装されたか」の
「左派エスエルの叛乱」ですかね。
憲法制定議会についてはトロツキー著「レーニン」のなかに憲法制定議会についての
章があります。形式民主主義批判というような内容です。
黎さん
たしかにクロンシュタットについては黎さんのいうような状況認識の前提が必要です
(「トロツキー 1」で著者のブルーエは努めてそうしようとしています)。
でも、「クロンシュタットが白色を帯びていたと誰が言っているのか。そうではない。われわれの
考えのために、われわれの任務のために、われわれは迷える兄弟の叛乱を抑圧せざるを得なかった
のだ。クロンシュタットの水兵を敵とはみなせない。われわれはかれらを真の兄弟(男主義かも
しれませんが、水兵はきっと男ばかりだったのかもしれませんね。H.H)、すなわちわれわれの血と
肉を愛しているのである」というブハーリンの言葉は心に響きますね。
それに引き換えトロツキーの反論(「トロツキー著作集1937・38下」の三つの論文)は少し冷たい
イメージを受けます。でも、きわめて的確に「裏のある道徳者」たちへの反論をしているという
所で必読かな。
なお、文献紹介や「トロツキーはこう言った」というような言い方だけではなく、なるべく自分の
言葉で語りたいと思ってはいるのですが、まとまった時間が取れなくてすいません。
ロシア革命には「苦渋の選択」というものが多々あります。それを心に刻みつつ。
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クロンシュタット 投稿者:黎 投稿日:10月08日(金)19時19分59秒
1921年のクロンシュッタトの水兵は、1917年のそれとは違い南部ウクライナの農民の息子たちでした。
故郷での休暇に際し彼らは、戦時共産主義の厳しい制度とその制度を指導した共産党に対する農民の不平に強く影響されたのです。
彼らの反乱の要求は、「共産党なしのソビエトを!」で、その点において彼らは非妥協的でした。
平和的交渉での解決の試みは、水兵自身によって拒否されました。
反革命からの防衛拠点としてのクロンシュタットの重要性から、鎮圧はわずか2日後に行われました。
しかし、クロンシュタットの反乱は、
反革命からの防衛戦争を遂行するための戦時共産主義に終止符を打つ契機となりました。
農民への問題については、レーニンは1919年に次のような文書を残しています。
「同志トロツキーは彼の手紙において、なぜ共産主義の党とソビエト及びその党のメンバーによって選ばれた
労働者農民の政府は中農を彼らの敵と考えないかと言う理由を明白かつ詳細に説明した。
私は、同志トロツキーにもろ手を上げて賛成する。」
当時の多数派であったレーニンは農民を殺せと言ったのでしょうか?
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おこんないでね 投稿者:H.H 投稿日:10月08日(金)18時22分10秒
黎さん
ちゅんたさんの(少なくとも)僕に対する反論は「理論的」とは思いませんが。
ちゅんたさん
おこんないでね。非難しているわけではないんですよ。こういった論争は好いことです。
新しい社会主義革命像をみいだすうえでは。
だから、おこんないでね。
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ゆっくり休みたかったのですが 投稿者:H.H 投稿日:10月08日(金)18時17分19秒
ちゅんたさん
三連休なので、ゆっくり休みたかったのですが、とりあえずは質問。
レーニンの「富農を殺せ」という発言は、いつ、どの時点のことでしょうか。
引用文献を挙げていただけるとありがたいです。
(というか挙げないとどこかのボルコゴーノフとおなじですよ)
その他、革命当時(これもいつのことかはっきりしません)の他党派弾圧や
「党外民主主義」、についてもいつのことなのかを踏まえた上でお返 、損したのかな?
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