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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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★  一〇 帝国主義の歴史的地位

 すでに見たように、その経済的本質からすれば、帝国主義は独占資本主義である。すでにこのことによって、帝国主義の歴史的地位が規定されている。なぜなら、自由競争を基盤として、ほかならぬその自由競争から成長する独占は、資本主義制度からより高度の社会経済制度への過渡だからである。ここでとくに、いま考察している時代にとって特徴的な独占の、あるいは独占資本主義の主要な現れの、四つの主要な種類を指摘しなければならない。
 第一に、独占は、生産の集積の非常に高度の発展段階で、生産の集積から生じた。これは資本家の独占団体、すなわちカルテル、シンジケート、トラストである。それらが現代の経済生活でどんなに巨大な役割を演じているかは、すでに見たところである。二〇世紀の初めにそれらは先進諸国で完全な優位を占めるようになった。カルテル化の最初の歩みをまっさきに踏みだしたのは高率関税の国(ドイツ、アメリカ)であったが、自由貿易制度のイギリスも、わずかばかりおくれただけで、生産の集積からの独占体の発生という同じ基本的事実をしめした。
 第二に、独占体は、最も重要な原料資源の、それもとくに、資本主義社会の基本的な、そして最もカルテル化された産業、すなわち石炭業と製鉄業のための原料資源の、略取を強化させた。最も重要な原料資源の独占的領有は、大資本の力をおそろしく増大させ、カルテル化された産業とカルテル化されていない産業との矛盾を激化させた。
 第三に、独占は銀行から生じた。銀行は控えめな仲介者的企業から金融資本の独占者に転化した。最もすすんだ資本主義的民族のどれ一つをとってみても、三つか五つほどの巨大銀行が産業資本と銀行資本との「人的結合」を実現し、全国の資本と貨幣収入との大部分をなす幾十億の金(かね)の処理権をその手に集中した。現代ブルジョア社会の例外なくすべての経済機関と政治機関のうえに、従属関係の細かな網の目を張りめぐらしている金融寡頭制――これがこの独占の最もきわだった現れである。
 第四に、独占は植民政策から生じた。金融資本は、植民政策の多数の「古い」動機に、原料資源のための、資本輸出のための、「勢力範囲」――すなわち、有利な取引、利権、独占利潤その他を得る範囲――のための、さらに経済的領土一般のための、闘争をつけくわえた。一八七六年にまだそうであったように、ヨーロッパの列強がたとえばアフリカの一〇分の一をその植民地として占取していたにすぎないときには、植民政策は、土地をいわば「早いもの勝ち」に占取するという形で、非独占的に発展することができた。しかしアフリカの一〇分の九が奪取され(一九〇〇年ごろに)、全世界が分割されてしまうと、不可避的に、植民地の独占的領有の時代が、したがってまた世界の分割と再分割のためのとくに激化した闘争の時代が、到来した。
 独占資本主義が資本主義のあらゆる矛盾をどれほど激化させたかは、周知のとおりである。物価騰貴とカルテルの圧迫を指摘すれば十分であろう。諸矛盾のこのような激化は、世界金融資本が最終的に勝利したときからはじまった歴史的過渡期の、最も強力な推進力である。
 独占、寡頭制、自由への志向にかわる支配への志向、ごく少数の最も富裕なあるいは強大な民族によるますます多数の弱小民族の搾取、――これらすべてのことは、帝国主義を寄生的なあるいは腐朽しつつある資本主義として特徴づけさせる、帝国主義のあのきわだった諸特徴を生みだした。「金利生活者国家」、高利貸国家の形成が、帝国主義の傾向の一つとしてますます明瞭に現われてきて、その国のブルジョアジーはますます資本の輸出と「利札切り」で生活するようになる。この腐朽の傾向が資本主義の急速な発達を排除すると考えたら、それは誤りである。いや、個々の産業部門、ブルジョアジーの個々の層、個々の国は、帝国主義の時代に、程度の差はあれ、この二つの傾向のうち、あるときは一方を、あるときは他方をあらわすのである。そして全体として、資本主義は以前よりもはるかに急速に発達する。だがこの発達は総じてより不均等になるばかりでなく、不均等はまたとくに資本力の最も強大な国(イギリス)の腐朽のうちに現われるのである。
 ドイツの急速な経済的発展については、ドイツの大銀行の研究をおこなった著者リーサーがつぎのようにいっている。「まえの時代(一八四八―一八七〇年)のそれほどゆっくりでなかった進歩と、この時代(一八七〇―一九〇五年)にドイツの全経済およびとくに銀行が進歩した速度との関係は、ほぼ、在りし良かりし昔の郵便馬車の速度と、今日の自動車の速度――のんびり歩いている歩行者にとっても、自動車に乗っている人目身にとっても、危険となっているほどの――との関係のようなものである」。ところで、この異常に急速に成長した金融資本は、まさにこれほども急速に成長したため、より富んだ国民からかならずしも平和的手段だけによらずに奪取すべき植民地を、むしろ「平穏に」領有する方向にうつるのをいとわないのである。合衆国では、最近の数十年の経済発展はドイツよりも急速であった。そしてまさにそのため、最近のアメリカ資本主義の寄生的特徴がとくに明白に現われた。他方では、共和国アメリカのブルジョアジーと君主国日本あるいはドイツのブルジョアジーとをくらべてみると、きわめて大きな政治上の相違も帝国主義の時代には極度に減殺されることがわかる。――もっともそれは、その相違が一般に重要でないからではなく、これらすべての場合に、問題になるのが寄生性の一定の特徴をもつブルジョアジーだからである。
 多くの産業部門のうちの一つ、多くの国のうちの一国、等々で資本家たちが独占的高利潤を獲得することは、彼らに、労働者の個々の層を――一時的に、しかもかなり少数の者にすぎないが――買収し、彼らを残りのすべての労働者に対抗して、その部門あるいはその国のブルジョアジーの側に引きつける経済的可能性をあたえる。そして世界の分割のための帝国主義諸国民の敵対の激化は、この志向を強める。こうして帝国主義と日和見主義との結びつきがつくりだされる。この結びつきは、他のどこよりも早く、どこよりも明瞭にイギリスで現われたが、それは発展のいくつかの帝国主義的特徴がここでは他の国よりもずっと早く見うけられたからである。一部の著述家、たとえばエリ・マルトフは、帝国主義と労働運動における日和見主義との結びつきの事実を――いまではとくに強く目につく事実を――つとめて見まいとして、つぎのような種類の「お役所ふうに楽観的な」(カウツキーやユイスマン流の)議論をその手段につかっている。すなわち、もしほかならぬ先進資本主義が日和見主義を強化させ、あるいはほかならぬ最も高給を得ている労働者が日和見主義に傾くのなら、資本主義反対者の事業は望みないものとなろう、うんぬん。この種の「楽観論」の意義について、思い違いをしてはならない。これは日和見主義についての楽観論であり、日和見主義の隠蔽に役だつ楽観論である。実際には、日和見主義の発展がとくに早くとくに醜いものであることは、けっしてそれの恒久的勝利の保障となるものではないのであって、それはちょうど、健康な肉体にできた悪性の腫(は)れ物が早く大きくなることが、その腫れ物が早くつぶれて治癒が早くなるだけであるのとおなじである。この点で最も危険なのは、帝国主義との闘争は、もし日和見主義にたいする闘争と不可分に結合されないなら、空虚で偽りの言辞にすぎないことを、理解しようとのぞまない人々である。
 帝国主義の経済的本質について以上に述べたすべてのことから、帝国主義は過渡的な、あるいはより正確にいえば、死滅しつつある資本主義として特徴づけられなければならない、という結論が出てくる。この点できわめて教訓的なのは、最新の資本主義について記述するブルジョア経済学者のあいだで、「絡みあい」とか、「孤立性の欠如」等々ということばが常用されていることである。いわく、銀行は、「その任務からしても、その発展からしても、純然たる私経済的な性格をもつものではなく、純然たる私経済的〔78〕な規制の範囲を越えてますます成長しつつある企業である」と。しかもこれらのことを書いているリーサーその人は、大まじめな顔つきで、「社会化」にかんするマルクス主義者の「予言」は「実現されなかった」と言明しているのだ!
 この「絡みあい」ということばはいったいなにをあらわすか? それは、われわれの目のまえで進行している過程の、最も目につく特徴をとらえているにすぎない。それは、観察者が木を見て森を見ないことをしめしている。それは表面の、偶然的な、混沌としたものを、ただそのまま書きうつしているだけである。それは、観察者が、素材に圧倒されてその意味も重要性もまったく理解できない人間であることを証明している。株式の所有、私的所有者の関係が「偶然に絡みあっている」。だが、この絡みあいの裏面にあるもの、その基礎をなすものは、変化しつつある社会的生産関係である。大企業が巨大企業になり、大量の資料の精密な計算にもとづいて、第一次原料の供給を、幾千万の住民にとって必要な総量の三分の二とか四分の三までも計画的に組織化するとき、またときには幾百あるいは幾千ヴェルスタもはなれている最も便利な生産地点へのこの原料の輸送が系統的に組織されるとき、幾多の種類の完成品が得られるまでの一貫した原料加工のすべての段階が一個の中心から管理されるとき、またこれらの生産物の分配が幾千万、幾億人の消費者のあいだに単一の計画にしたがっておこなわれるとき(アメリカの「石油トラスト」によるアメリカとドイツでの石油の販売)――そのときには、われわれの目のまえにあるのはけっして単純な「絡みあい」ではなく、生産の社会化であること、私経済的関係と私的所有の関係は、もはやその内容にふさわしくない外皮をなすこと、そしてこの外皮は、その除去を人為的に引きのばされても、不可避的に腐敗せざるをえないこと、(最悪の場合に日和見主義の腫れ物の治癒が長びくと)その外皮も比較的長いあいだ腐敗したままの状態にとどまりかねないが、しかしそれでもやはり不可避的に除去されるであろうことが、明白になるのである。
 ドイツ帝国主義の熱狂的な崇拝著シュルツェ―ゲーヴァニッツはさけんでいる。
 「もしドイツの銀行にたいする指導が結局において一ダースほどの人の手にゆだねられているとすれば、彼らの活動は、すでに今日、国民の福祉にとって大多数の国務大臣の活動よりも重要である」。(銀行家と大臣と実業家と金利生活者の「絡みあい」については、このさいわすれたほうが有利である・・・・)・・・・「すでに見た発展傾向を最後までつきつめて考えてみると、国民の貨幣資本は銀行に統合され、その銀行はカルテルを結成し、国民の投下資本は有価証券の形に鋳こまれることになる。そのときには、サン―シモンのつぎの天才的なことばが実現される。『経済関係が統一的な規制なしに展開されるという事実に照応する、生産における今日の無政府状態は、生産の組織化に席をゆずるにちがいない。生産を指導するのは、相互に独立していて人々の経済的欲求を知らない孤立した企業家ではない。この仕事はある社会機関の手に帰するであろう。より高い見地から社会経済の広い領域を見わたすことのできる中央の管理委員会が、社会経済を全社会にとって役だつように規制し、生産手段を最も適当な人の手にゆだね、とくに生産と消費とがいつも調和をたもつように配慮するであろう。経済活動の一定の組織化をすでにその任務にとりいれている機関がある。それは銀行である』。われわれはまだサン―シモンのこのことばを実現するにはほど遠い。しかしわれわれはすでにその実現途上にある。これは、マルクス自身が考えていたのとは異なる、だが形態の点だけで異なる、マルクス主義である(*)」。
 (*) 『社会経済学大綱』、一四六ページ。

 たしかに、これはみごとなマルクス「反駁」であるが、マルクスの正確な科学的分析から、天才的ではあったがやはり推測にすぎなかったサン―シモンの推測への、一歩後退である。

 一九一六年・一―六月に執筆
 はじめ一九一七年なかごろに、ベトログラードの出版社『ジーズニ・イ・ズナーニエ』から、単行の小冊子として発行「フランス語とドイツ語版の序文」は、一九二一年に雑誌『コムニスチーチェスキー・インテルナツィオナール』、第一八号に発表
 全集第五版、第二七巻、二九九―四二六ページ所収
 邦訳全集、第二二巻、二一三―三五二ページ所収


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