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☆  解説

 『空想から科学への社会主義の発展』は、『オイゲン・デューリング氏の科学の変革』(『反デューリング論』とよびならわされている)から三つの章を抜粋して、宣伝用のパンフレットとして編集されたものである。最初に一八八〇年に、ポール・ラファルグが翻訳したフランス語版が出版され、一八八二年に、つまり二年あとに、ドイツ語版が出版された。その事情については、「一八八二年ドイツ語第一版序文」に述べられている。
 それから一〇年後の一八九二年までに、ドイツ語版は四版をかさね、全部で二万部出版された。一〇年間に二万部という部数は、今日のいわゆるベスト・セラーをみる目でみれば、たいした数ではないと思われようが、当時としては非常に多い数である。さらにこの一〇年間に、ポーランド語訳、スペイン語訳、イタリア語訳、ロシア語訳、デンマーク語訳、オランダ語訳、ルーマニア語訳、英語版が出版された。「ほかのどんな社会主義の著作でも、一八四八年のわれわれの『共産党宣言』やマルクスの『資本論』でさえも、私の知るかぎりでは、こんなにたびたび翻訳されたことはないであろう」と、エンゲルスは「一八九二年英語版序文」で述べている。――なお、『空想から科学へ』の日本語訳が最初に出たのは、一九〇六年(明治三九年)であった。
 『空想から科学へ』が一二年間に一〇カ国語で出版されたという事実は、この本が非常に大きな普及力をもっていることを示している。それはこの本が、宣伝用パンフレットとして編集されていて、わかりやすいばかりでなく、マルクス主義思想の最も根本的な事柄を厳密に叙述していて、通俗的解説書にしばしばみられるように、わかりやすくするために科学的厳密さを犠牲にするということが、まったくないからである。
 われわれはここで、一八八〇―九二年という時期が、マルクス主義思想の歴史にとってどのような時期であったかに注目したい。「一八四七年には、社会主義者とは、一方では、種々の空想的体系の支持者たち、すなわちイギリスのオーウェン主義者とフランスのフーリエ主義者とを意味した」とエンゲルスは書いている(『共産党宣言』の「一八八八年英語版序文」)。フランスではその後、プルードン主義が社会主義者のなかで最大の影響力をもつようになった。パリ・コンミューン(一八七一年)の時期にそうだったし、一八八〇年にもこの状態はまだあまり変わっていなかった。ポール・ラファルグが、フランスの人民大衆のなかにマルクス主義の影響力を強めるために、適当な宣伝・啓蒙用の本がほしいと痛切にねがったのは、まさにこのような情勢のなかにおいてであった。
 ドイツには、マルクス主義の立場にたつ社会主義の政党(アイゼナッハ派)が存在した。しかし、一八七五年五月にアイゼナッハ派とラサール派(ドイツにおける労働運動の右翼的流派)とがゴータ市で合同大会をひらいたときに採択されたいわゆる『ゴータ綱領』には、マルクスが『ゴータ綱領批判』で指摘したように多くの理論上の誤りがふくまれていた。また同じころ、小ブルジョア的社会主義者であるデューリングの学説が人気をえたとき、ドイツ社会主義労働者党の内部にもこれを支持する人々がふえた。『反デューリング論』を書いてエンゲルスがこの小ブルジョア思想とたたかったのはこの時であり、この間の事情は「一八九二年英語版序文」のはじめのところに述べられている。いずれにせよ、マルクスとエンゲルスが『ゴータ綱領批判』や『反デューリング論』を書かなければならなかったという事実そのものが、ドイツの労働運動のなかでこの当時まだマルクス主義思想の力が確実なものになっていなかった、ということを示している。
 一八八〇年以前には、フランスでもドイツでも、このような状態であった。だが、一八九〇年代になると、事態はすでに変わっていた。レーニンは『マルクス主義と修正主義』でこう書いている。「前世紀の九〇年代には、この勝利〔労働運動の他のいっさいのイデオロギーにたいするマルクス主義の勝利〕はもはや基本的には完成されていた。プルードン主義の伝統がどこよりも長くのこっていたラテン系諸国でさえ、労働者党はその綱領と戦術を、事実上マルクス主義に立脚して立てていた。復活した労働運動の国際組織――定期の国際会議というかたちで――は、はじめから、そしてほとんど闘争なしに、すべての本質的な点で、マルクス主義の基礎のうえに立っていた」と。一八八〇年から一八九〇年代にかけての十数年間に、国際的労働運動におけるマルクス主義の指導権が確立されていったことがわかるのであるが、ちょうどその時期が、『空想から科学へ』がヨーロッパの一〇カ国で普及した時期に一致するということは、きわめて興味ぶかいのである。
 さて、『空想から科学へ』の第一章は、マルクス主義以前の社会主義思想、すなわち、空想的社会主義について述べている。第二章は、ドイツ古典哲学を中心にして、弁証法的な考え方がどのように発展してきたかを述べている。さらに第三章は、資本主義の発展と科学的社会主義について述べている。本書を読む人の便宜のために、各賞の内容についての簡単な概観を以下に述べておこう。
 第一章では、まず、社会主義の思想(理論)をどのような見地からとらえるか、という一般方針について、(一)現代の社会主義は、今日の社会(資本主義社会)における「資本家と労働者との階級対立」および「生産の無政府性」という社会的現実を認識し、この社会的現実が提起するさまざまの社会問題に答えて、これをどう解決するか、という要求から生まれたものである、という見地と、(二)それは前の時代のどのような思想上の遺産をうけつぎ、どのような思想上の準備をもって前述の社会的現実をとらえているか、という見地との二つの見地からとらえなければならない、ということが指摘されている。そして、ただちにまず第二の見地から、現代の社会主義は「一八世紀のフランスの偉大な啓蒙思想家たちがたてた諸原則を、うけついでさらにおし進め」たものである、として、啓蒙思想とはどのようなものであったか、啓蒙思想家たちが考えたことと、実際に歴史上で実現されたものとが、どのようにくいちがっていたか、について述べられている。啓蒙思想家たちは、ブルジョアジーの国を理想化して描きだしたが、実際に実現されたものは、貧富の対立がいっそうするどくなった社会であった。
 つづいてエンゲルスは、ブルジョアジーが封建貴族と階級闘争をおこない、自己の勝利を確立していった時代に、これとならんですでに、プロレタリアートの先駆者である階級の「自主的な動き」と、その「理論的表明」が存在したが、しかし、資本主義がまだ発展していなかった時代にはプロレタリアートも「まだ一人前になっていなかった階級」であり、その理論的表明も未熟なものであらざるをえなかったことを述べている。
 さて、啓蒙思想家が理想的に描きだしたものと、歴史上で実際に実現されたものとのくいちがいを認めることから社会主義思想が生まれたのであるが、この社会主義は「空想的」社会主義にならざるをえなかった。エンゲルスは、先行する思想の継承発展という見地からみて、それが「空想的」であった理由として、(一)まずある特定の階級を解放するのではなく、いきなり全人類を解放したいと考える、(二)将来の社会の建設を「理性と永遠の正義との国」の実現だと考える、(三)過去に理性と永遠の正義が実現されなかったのは、ただそれが認識されていなかったからだと考える、(四)したがって、将来それが実現されるためには、天才が出現してそれを認識しさえすればよいと考える、という四点をあげている。
 次にこんどは、現代社会主義思想の現実的な基礎に目をむけて、この見地からみてそれが「空想的」であった理由として、(一)プロレタリアートがまだ未成熟な階級であり、したがって現実の社会問題を解決する力をもたなかった、(二)したがって、解決は頭の中で考えださなければならないとされた、という二点をあげている。
 第一章の後半では、サン−シモン、フーリエ、オーウェンの三人の空想的社会主義者について、その思想の特徴を個別的に述べ、最後に第一章を要約した結論として「社会主義を科学にするためには、まずそれを実在的な基礎の上にすえなければならなかった」といっている。
 現在の社会はけしからん、非人間的である、改革しなければならぬ、等々の道徳的感情から出発する限り、たとえばオーウェンにみられるように、ゆきつくところは空想的社会主義でしかなかった。これではだめなのである。そうだとすれば、ではどうすればよいのか。社会主義を科学にするとか、それを実在的な基盤の上にすえるとかいうのは、どういうことなのか。――この問いにたいする答えは、第三章に述べられている。そしてそれにさきだった、第二章では、弁証法的な考え方がどのようにして成立したかが述べられている。
 ちょっと考えると、空想的社会主義から科学的社会主義への社会主義思想の発展について述べる本書では、空想的社会主義について述べている第一章と、科学的社会主義について述べている第三章とがあればよく、第二章はいらないように思える。だが、けっしてそうではない。社会主義思想が空想的社会主義から科学的社会主義へと発展するためには、さきに指摘されたように、現実の社会的基盤が必要であった。すなわち、資本主義的大工業が発展し、プロレタリアートが成熟した階級になり、現実の社会的課題を解決する力量をもった階級になることが必要であった。だが、これだけではまだたりない。かりにこのような歴史的現実の発展があったとしても、この現実を、かつての啓蒙思想家たちと同じような見方でとらえることしかできないとしたら、やはり、社会主義思想は科学的社会主義になることはできなかったのである。社会主義思想が、「科学的」になるためには、発展した歴史的・社会的現実を弁証法的な見方でとらえることが必要不可欠であった。この点を強調してエンゲルスは、「ドイツ語第一版序文」で、「その古典哲学が意識的な弁証法の伝統をいきいきと保持していた国民のもとでのみ、すなわちただドイツでのみ」科学的社会主義は成立することができた、と強調したのである。だから、科学的社会主義を学ぼうとするものにとって、第二章の学習は欠かすことができない。
 さて第二章では、弁証法的な考え方と、これとは正反対の形而上学的な考え方との違い、それらが歴史的にどのように発展してきたかが、わかりやすく述べられている。そして、ドイツ古典哲学の完成者であるヘーゲルによって、はじめて全世界を一つの発展する過程として弁証法的にとられる試みがなされたが、しかし彼は観念論者であったので、みずから提起したこの課題を彼は解決することができなかった、ということ、そこで唯物論への復帰がおこなわれ、弁証法的唯物論が成立したことが述べられている。このようにして、歴史観から形而上学と観念論とを追い出して、歴史を弁証法的にかつ唯物論的にとらえることができるようになった。すなわち、唯物史観がうちたてられたのである。
 このようにして、社会主義思想が「科学的」になるために必要な二つの前提、すなわち、現実の社会的な基盤と、これを弁証法的かつ唯物論的にとらえる考え方とがととのったことを述べたのちに、エンゲルスは第二章のおわりで、社会主義思想(理論)の課題は、「できるだけ完全な社会体制を完成することではなくて、これらの階級〔プロレタリアートとブルジョアジー〕とその対立抗争を必然的に発生させた歴史的な経済的な過程を研究し、この経過によってつくりだされた経済状態のうちにこの衝突を解決する手段を発見すること」である、と書いている。
 第三章の最初には、この課題を具体的に遂行されることにあてられている。
 第三章の最初には、唯物史観の概要が述べられている。つづいてエンゲルスは、この概要で一般的に述べたことを、資本主義社会について具体的に展開して述べてゆく。まず、生産力の発展の二つの段階が、「マニュファクチュアとその影響をうけていっそうの発展をとげた手工業」と、「蒸気と新しい作業機」の採用による「大工業」という二つの表現で特徴づけられる。生産力の発展は資本主義的生産関係をつくりだしたが、ますます発展した大工業は、いまやこの資本主義的生産関係と衝突するにいたった。だが、資本主義社会における生産力と生産関係とのこの衝突は、生産が社会的生産になったにもかかわらず、生産物の取得の形態は、個人の私的生産を前提としていた時代の取得形態がそのまま存続しつづけたということ、すなわち、生産の社会的性格と取得の私的資本主義的形態との矛盾のなかにすでに萌芽としてふくまれていたのである。
 つづいてエンゲルスは、この矛盾が、プロレタリアートとブルジョアジーとの対立として現われ、また、個々の工場内における生産の組織性と全社会における生産の無政府性との対立として現われることを述べ、その結果、一方の極には資本が蓄積され、他方の極には貧困が蓄積されることを指摘する。さらに恐慌について述べ、これらの運動をつうじて、資本主義社会の根本矛盾は自己の揚棄にむかってすすむ、ということを述べている。資本主義社会の根本矛盾が揚棄されるということは、社会的な性格をもつにいたっている生産力が「その性格を現実に認めさせること」であり、生産手段が資本としての性質をとらなくても機能できる社会状態がつくりだされることである。
 資本主義社会の根本矛盾の激化、その現われである恐慌をつうじて、資本主義的生産様式はその終局へと近づいてゆく。だがそうはいっても、資本主義は一直線にその終局へとつきすすむわけではない。資本家階級は、「およそ資本関係の内部で可能なかぎり、この生産力を社会的生産力として取り扱う」ことによって、資本主義そのものの破局を避けようと試みる。エンゲルスは、このような試みの現われとして、「トラスト」と「ブルジョア的国有」について述べている。そして、これらの試みも、けっして、社会的生産と資本主義的取得との矛盾を解決するものではなく、逆に、この矛盾をいっそう鋭くするものであることを明らかにしている。
 この矛盾の解決は、社会主義革命によってのみ、すなわち、「社会の手によるよりほかには管理できないまでに成長した生産力を、社会が公然と直接に掌握すること」によってのみあたえられる。それでは、このことはどのようにして実現されるのであろうか。それは、「プロレタリアートが国家権力を掌握し、生産手段をまず国有に転化させる」ことによっておこなわれるのである。
 ここで重要なことは、この解決の仕方は、空想的社会主義の場合のように、頭のなかで考えだされたものではない、ということである。科学的社会主義は、解決の手段をも「眼前の物質的な生産事実のなかに発見」しなければならない。実際に、資本主義の発展こそが、資本主義的生産様式を廃止することなしには解放されることのできない階級、すなわちプロレタリアートをつくりだしたのであり、また、この階級を成長させたのである。プロレタリアートが国家権力を掌握するということも、けっして頭のなかで考えだされたことではなく、一八七一年にフランスのプロレタリアートが「パリ・コンミューン」という世界史上で最初の労働者階級の政治権力を樹立した、という歴史的事実から学びとられたものである。この点をよく理解しないと、科学的社会主義を空想的社会主義から区別している特徴があいまいになってしまう。
 さて、エンゲルスはつづいて、国家の死滅と階級の消滅について述べている。この部分は、理論的にとくに重要なことが述べられているから、念を入れて読む必要がある。最後にエンゲルスは、社会が全生産手段を掌握する社会、すなわち共産主義社会の展望をあたえ、「必然の国から自由の国への人類の飛躍」ということばで、第三章の本文を結んでいるのである。
 以上が、『空想から科学へ』の本文の概観である。エンゲルスがこれを書いたのは、プルードンやデューリングのような、小ブルジョア的な社会主義者の思想との闘争が必要な時期にであった。だが、この解説のはじめに述べたように、一八九〇年代に、ヨーロッパ諸国の労働運動のなかで、マルクス主義は指導的な理論としてのその地位を確立した。そしてこの時期以後には、マルクス主義にたいする思想攻撃が、修正主義というかたちでおこなわれることが多くなった。修正主義とは、マルクス主義であるような外観をとりながら、あるいは、これこそがほんとうのマルクス主義であると名のりながら、実際にはマルクス主義をゆがめ、骨ぬきにしているブルジョア思想、小ブルジョア思想のことである。だから、各種の修正主義思想は、本質的には、本書で批判されている空想的社会主義と共通点をもっている。今日のわれわれは、『空想から科学へ』を学習することによって、科学的社会主義がどのようなものであるかを学ぶと同時に、修正主義のごまかしを見ぬく基本的な観点をも学びとることができるのである。
 最後に、「一八九二年英語版序文」について一言しておく。この序文の前半では、唯物論について述べられており、ことに不可知論にたいして鋭い批判がくわえられている。『空想から科学へ』の第二章では、主として弁証法的な考え方について述べられていて、哲学の根本問題である「唯物論か、観念論か」という問題があまり取り扱われていない。それを補う意味で、この序文は重要である。また、この序文の後半では、イギリスの歴史を例にとって、封建制とブルジョアジーとの闘争、さらに、ブルジョアジーとプロレタリアートとの闘争の歴史が、史的唯物論の具体的適用として述べられている。この序文は、本文を読んだあとで読むのが適当であろう。


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