まえにもどる
なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
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☆  第一版 あとがき

 この小冊子は、一九一七年の八月と九月に書いたものである。私にはすでに、つぎの第七章『一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験』の腹案ができていた。しかし、私は表題のほかには、この章を一行も書けなかった。政治的危機、一九一七年の十月革命の前夜が、これを「妨害した」のである。このような「妨害」は、喜ぶよりほかはない。しかし、この小冊子の第二分冊(『一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験』にあてられるもの)は、おそらく長いあいだ延期しなければならないであろう。「革命の経験」をすることは、それについて書くよりも愉快であり、有益である。

      著者
  ペトログラード 一九一七年十一月三十日

§ 国家について
     スヴェルドロフ大学での講義〔*〕
      一九一九年七月十一日

 同志諸君、諸君が採用して私に知らせてくれた計画によると、本日の私の講話の主題は国家の問題である。諸君がすでにこの問題にどれだけ通じているか、私は知らない。私の思いちがいでなければ、諸君の課程はいま始まったばかりで、諸君がこの問題を系統的にとりあげるのは今回がはじめてであると思う。もしそうだとすれば、私がこのむずかしい問題についての第一回の講義で、多くの聴講生に十分はっきりわかるように話をし、理解してもらうことができないということも、大いにありそうである。そういうことになっても、諸君はそれを気にしないように、お願いしておく。というのは、国家の問題は、もっとも複雑な、むずかしい、おそらくブルジョア学者や文筆家や哲学者によってもっとも混乱させられている問題の一つだからである。だから、短い談話によっていっぺんにこの問題を完全に明らかにすることができるなどと、けっして期待してはならない。この問題についての第一回の談話がすんでから、わからなかった個所やはっきりしない個所に自分で印をつけて、二度も、三度も、四度もそれに立ちかえるようにし、わからずにしまった点を、あとで、読書やいろいろの講義や談話でさらに補い、解明するようにしなければならない。私は、われわれがもういちど会合をもつことができればよいと思っている。そうすれば、補足的な問題のすべてについて意見を交換し、どういう点がいちばんはっきりしなかったかを、確かめることができるであろう。私はまた、諸君が、談話や講義の補いに、マルクスとエンゲルスのもっとも主要な著作のせめていくつかを読むために、いくらかの時間をさくように希望する。諸君のところにある図書館でソヴェト学校と党学校の学生の利用に供されている文献目録と参考書のなかに、諸君がそれらの主要著作を見つけだすことは、疑いない。そして、このばあいも、はじめのうちは、叙述がむずかしいため恐れをなす人がいるかもしれないが、それを気にしないように、はじめて読んだときにわからなかったことも、繰りかえして読んだり、あるいはのちにいくぶん違った側面から問題をとりあげてみれば、わかるようになるということを、もういちどあらかじめ注意しておかなければならない。というのは、もういちど繰りかえすが、この問題はきわめて複雑で、ブルジョア学者や文筆家のためにひどく混乱させられているので、だれでもこれを真剣に考えぬき、自主的に把握したいと思う人は、なんどもこの問題をとりあげ、繰りかえしそれに立ちかえり、いろいろの側面から問題を考え、こうして、明瞭な、しっかりした理解をもたなければならないからである。そして、この問題は、政治全体のきわめて基本的な、根本的な問題であるから、現在のような、嵐のような革命期においてだけでなく、もっとも平和な時期でも、諸君は、どの新聞を見ても、どの経済問題または政治問題に関連しても、毎日、国家とはなにか、その本質はどこにあるか、その意義はどこにあるか、わが党、資本主義の打倒をめざしてたたかっている党、共産主義者の党の国家にたいする態度はどういうものか、という問題につねに突きあたるので、それだけに諸君がこの問題に立ちかえることは、容易であろう。諸君は、毎日、いろいろな機会に、この問題に立ちかえることであろう。そして、いちばん肝心なことは、諸君の読書や、国家について諸君が耳にする談話や講義の結果として、諸君がこの問題を自主的にとりあげる能力をもつようになることである。なぜなら、諸君は、種々さまざまな機会に、どんな小さい問題についても、もっとも思いがけない組合せでこの問題に突きあたり、さらに反対者との談話や論争のさいにも、この問題に突きあたるだろうからである。この問題を自主的に判断することができるようになったときにはじめて、諸君は、自分で十分に堅固な信念をもつようになったと考えてよく、また、相手がだれであろうと、どんなときであろうと、自分の信念を十分にうまく主張できるようになるのである。
 こういうささやかな注意をしておいて、これから私は本論に、すなわち、国家とはなにか、国家はどのようにして発生したか、資本主義の完全な打倒をめざしてたたかう労働者階級の党、共産主義者の党の国家にたいする態度は根本においてどういうものでなければならないかという問題に、とりかかることにする。
 国家の問題ほど、ブルジョア科学、哲学、法学、経済学、政論の代表者たちによって、あるいは故意に、あるいは気づかずに、混乱させられている問題は、おそらくほかにはないだろうと、私はすでに言っておいた。これまでのところ、この問題は宗教上の問題と混同されているばあいが非常に多い。宗教的教説の代表者たちだけでなく(彼らがそうするのはまったく当然であるが)、自分では宗教的な偏見から解放されているつもりでいる人々までが、国家の特殊的な問題を宗教の問題と混同して、国家とはある神的なもの、ある超自然的なものだとか、人類の生活を可能にしてきたある力、人間に由来しない、外部から人間にあたえられるあるものを、人々にあたえている、あるいはあたえるはずのある力、そうしたものをふくんでいるある力だとか、国家とは神的な起源をもつ力だとかいう学説をつくりあげようとしているばあいが、非常に多い――観念的な哲学的とりあげ方と基礎づけをもった複雑な学説となっていることも、少なくない。そして、この学説は、搾取階級――地主と資本家――の利益と密接に結びついており、彼らの利益に奉仕するものであり、ブルジョア代表者諸氏のあらゆる習慣、あらゆる見解、あらゆる科学にふかくしみとおっているので、諸君は、メンシェヴィキやエス・エルの国家観をもふくめて、いたるところでこの学説の名ごりに出くわすであろうと、言わなければならない。そのメンシェヴィキやエス・エルは、自分たちが宗教的偏見に支配されているという考えを憤然として否認しており、自分では国家を冷静に見ることができると信じている。この問題がこんなに混乱させられ、複雑になっているのは、それがほかのどんな問題にもまして支配階級の利害に触れるからである(この点では、経済科学の原則に一歩ゆずるだけである)。国家の学説は、社会的特権を正当化し、搾取の存在を正当化し、資本主義の存在を正当化することに、役だっている。――だからこそ、この問題で不偏不党を期待したり、科学性を誇称している人々がこの分野で純粋科学の立場を示すことができるかのように、この問題をとりあげたりするのは、このうえない誤りである。諸君が問題に通じて、十分に深くそれをきわめたときには、諸君はつねに国家の問題、国家の学説、国家の理論に、さまざまな階級の相互の闘争を見てとるであろう。この闘争が、さまざまな国家観の闘争や、国家の役割と意義についての評価に反映されるか、あるいは表現されているのである。
 この問題をできるだけ科学的にとりあげるために、国家がどのようにして発生し、どのように発展してきたかについて、大ざっぱにもせよ歴史的回顧をしてみなければならない。社会科学の問題でもっとも確かなこと、またこの問題を正しくとりあげる習慣をつけ、たくさんの小さいことやあいたたかう千差万別の意見のなかに迷いこんでしまわないために必要なこと――この問題を科学的な見地からとりあげるためにもっとも重要なこと――それは、基本的な歴史的関連を忘れないことであり、ある現象が歴史上にどのようにして発生したか、この現象はその発展においてどういう主要な段階をとおってきたかという見地から、どの問題をも考察することであり、その現象のこのような発展の見地からその事物が今日どうなっているかを考察することである。
 国家の問題については、諸君がエンゲルスの著作『家族、私有財産および国家の起源』を読むよう、私は希望する。これは、近代社会主義の基本的著作の一つであって、その一句一句があてずっぽうに言われたものではなく、膨大な歴史的および政治的材料にもとづいて書かれているという信頼をもって臨むことのできる著作である。この著作では、かならずしもすべての部分が同じようにはいりやすく、わかりやすく叙述されていないことは、確かである。ある部分は、すでにある程度の歴史的および経済的知識をもちあわせている読者を予定している。しかし、もういちど言うが、この著作を通読していっぺんでそれが理解できないからといって、気にしてはならない。それをいっぺんで理解できた人間は、まだひとりもなかったといってよいくらいである。だが、のちに、理解が呼びさまされてこの著作に立ちかえるときには、諸君は、その全部がすっかり理解できないまでも、大部分を理解するところまでいくであろう。私がこの本をあげるのは、この本が、さきほど述べたような意味で、問題の正しいとりあげ方を示しているからである。この本は、国家がどのようにして発生したかについての歴史的概説から始まっている。
 この問題にかぎらず、あらゆる問題、たとえば資本主義の発生、人々のあいだの搾取の発生の問題でも、社会主義の問題、社会主義がどのようにして出現したか、どういう条件がそれを生みだしたかという問題でも、それを正しくとりあげようと思えば――すべてこういう問題については、それの発展全体に歴史的な回顧をあたえてこそ、はじめてしっかりと、確信をもってとりあげることができるのである。この問題でまず注意しなければならないことは、国家はつねに存在していたわけではないということである。国家のなかった時代があった。国家は、諸階級への社会の分裂が生じるところで、また生じるときに、搾取者と被搾取者が出現するときに、出現する。
 人間による人間の搾取の最初の形態、諸階級への分裂の最初の形態――すなわち奴隷所有者と奴隷――が発生するまでは、まだ家父長制的家族、あるいは――ときとしてそう呼ばれている――クラン制的(クラン――同族、氏族。この時代には、人々は氏族、同族をつくって生活していた)家族が存在していた。そして、この原始時代の痕跡は、多くの原始民族の生活様式にかなりはっきり残っている。また、どれでもよいから原始文化を論じた著作をひもとくなら、社会が奴隷所有者と奴隷とに分裂していなかった、多少とも原始共産主義らしい時代があったことを、いくぶんでもはっきり記述し、指摘し、回顧している個所に、かならずゆきあたるであろう。そのころには国家はなかったし、組織的暴力を行使し、暴力によって人々を隷属させるための特殊な機関はなかった。このような機関こそ、国家と呼ばれるものである。
 人々が小さな氏族をつくって生活していて、まだもっとも低い発展段階に、野蛮に近い状態にあった原始社会では、現代の文明人から数千年の年月でへだてられている時代には、国家の存在を示す印はまだなにも見られない。われわれは、慣習の支配、氏族の長老がもっていた権威、尊敬、権力を見、この権力がときには婦人にあたえられていたことを見るが――その当時の婦人の地位は、今日の無権利な、抑圧された状態とは似てもつかないものであった――、しかし、他人を統治するために別に分離し、また統治のために、統治の目的で、ある種の強制機関、暴力機関を組織的に、恒常的に保持しているような人間の特殊な部類は、どこにも見られない。今日そういう機関をなしているのは、諸君がみな理解しているように、武装した軍隊や、監獄や、他人の意志を暴力に服従させるためのその他の諸手段である。――つまり、これらのものが国家の本質をなしているのである。
 ブルジョア学者がうちたてている、いわゆる宗教的な教説、精妙な所説、哲学的構成や、種々さまざまな意見はさておいて、問題の真の核心を求めるならば、国家とは、つまるところ、人間社会から分離されたこういう統治の機関にほかならないということが、わかるであろう。統治だけを仕事とし、統治のために特殊な強制機関、他人の意志を暴力に服従させるための機関――監獄、特殊な人間部隊、軍隊、その他――を必要とする特殊な人間集団が出現するときに、国家は出現するのである。
 しかし、国家がなかった時代、全体的な結びつきも、社会そのものも、規律も、労働の秩序も、慣習や伝統の力によって、氏族の長老や婦人――そのころには、婦人は、しばしば男子と同権の地位を占めていたばかりか、男子よりも高い地位を占めていたことさえまれではなかった――がもっている権威または尊敬によって、たもたれていた時代、そして統治を専門とする人間の特殊の部類がなかった時代があった。歴史の示すところでは、諸階級への社会の分裂――つまり、その一方が他方の労働をたえずわがものにすることができるような、そこでは一方が他方を搾取するような、人間集団への分裂――が生じたところで、生じたときにはじめて、人々を強制するための特殊な機関としての国家が出現したのであった。
 そして、歴史における諸階級への社会のこの分裂を、われわれは、基本的な事実として、つねに明瞭に念頭におかなければならない。例外なしにすべての国々における幾千年にわたるすべての人間社会の発展は、つぎのようにこの発展の一般的な合法則性、規則性、継起性をわれわれに示している。すなわち、はじめには階級のない社会――原初の家父長制的原始社会があり、そこには貴族はいなかった。ついで奴隷制度に基礎をおく社会、奴隷制社会がきた。現代の文明ヨーロッパ全体がこのような社会を経てきた。――二千年以前には奴隷制が完全に支配的であった。世界の他の部分の諸民族の圧倒的多数も、この制度を経てきた。もっとも発展のおくれた民族のあいだでは、いまでもまだ奴隷制の痕跡が残っており、諸君は、たとえばアフリカで、いまでも奴隷制の諸制度を見いだすであろう。奴隷所有者と奴隷、これが最初の大きな階級分裂であった。第一の集団は、すべての生産手段――土地、道具、たとえその道具がその当時にはどんなに貧弱で原始的なものであったにせよ――をもっていたばかりか、さらに人間まで所有していた。この集団は奴隷所有者と呼ばれていた。他方、労働し、他人に労働を提供していた人々は、奴隷と呼ばれていた。
 この形態のあとに歴史上別の一形態がつづいた。――農奴制度がそれである。圧倒的多数の国々で奴隷制は、その発展につれて農奴制度に転化した。社会の基本的な分裂は、農奴主的地主と農奴的農民とへの分裂であった。人間関係の形態は変化した。奴隷所有者は奴隷を自分の財産と見なしていたし、法律はこの見解を確認して、奴隷を完全に奴隷所有者の所有に属する物と見なしていた。農奴的農民について言えば、階級的な抑圧や隷属は依然として残っていたが、農奴主的地主は物としての農民の所有者とは見なされないで、農民の労働にたいする権利と、農民を強制してある種の義務負担をはたさせる権利とをもっていたにすぎなかった。実際には、諸君がみな知っているように、とくに、農奴制度がどこよりも長くたもたれ、もっとも粗野な形態をとったロシアでは、農奴制度は奴隷制となんら選ぶところがなかった。
 ついで、商業が発展し、世界市場が発生するにつれて、貨幣流通が発展するにつれて、農奴制社会のうちに新しい階級――資本家階級が発生した。商品から、商品交換から、貨幣の権力の発生から、資本の権力が発生した。十八世紀のあいだに、もっと正確に言えば、十八世紀のおわりから十九世紀のあいだに、全世界に革命が起こった。農奴制は西ヨーロッパのすべての国々から駆逐された。この駆逐はロシアではどこよりもおくれておこなわれた。ロシアでは、一八六一年にやはり変革が起こり、その結果、一つの社会形態が他の社会形態と入れかわった。すなわち、農奴制が資本主義と入れかわった。資本主義のもとでは、諸階級への分裂は依然として残っており、農奴制度のさまざまな痕跡と遺物も残っているが、基本的に言って階級分裂は別の形態をとった。
 資本の所有者、土地の所有者、工場の所有者は、すべての資本主義国家で住民中のとるにたりない少数を占めていたにすぎず、またいまでもそうであるが、この少数のものが国民労働全体をすっかり自由にしている。つまり、勤労大衆全体をその支配と抑圧と搾取のもとに引きとめているのである。勤労大衆の大多数は、プロレタリア、すなわち、生産過程においてもっぱら自分の労力、労働力を売ることによって生活手段を受け取る賃金労働者である。農民は、農奴制時代にすでに細分され圧迫されていたが、資本主義に移行するとともに、その一部(多数者)はプロレタリアに転化し、一部(少数者)は、自分で労働者を雇い、農村ブルジョアジーを構成する富裕な農民に転化した。
 この基本的事実――原始的な奴隷制の形態から農奴制への、最後に、資本主義への社会の移行――を、諸君はつねに念頭におかなければならない。なぜなら、この基本的事実を記憶していてこそ、すべての政治学説をこの基本的なわくにはめこむことによってはじめて、諸君はこれらの学説を正しく評価し、それがなんに関係するものであるかを明らかにすることができるからである。なぜなら、人類史のこれらの大きな時期――奴隷制時代、農奴制時代、資本主義時代――は、それぞれ何百年、何千年にわたっており、きわめて多数の政治形態、さまざまな政治学説、意見、革命を示しているので、諸階級への社会のこの分裂や、階級支配の形態の変化を、基本的なみちびきの糸としてしっかりとにぎり、すべての社会問題――経済的、政治的、精神的、宗教的、等等の――をこの見地から解明するばあいにだけ、このように異常に雑多な、はなはだしく多様な事柄――とくにブルジョア学者や政治家の政治上、哲学上、その他の学説に関連した――を明らかにすることができるからである。
 もし諸君がこの基本的な分裂の見地から国家を見るならば、私がすでに述べたように、社会が諸階級に分裂するまえには国家も存在していなかったことがわかるであろう。だが、諸階級への社会の分裂が発生し、固まっていくにつれて、階級社会が発生するにつれて、国家が発生し、固まっていく。人類の歴史上には、奴隷制、農奴制、資本主義を経てきた国々、またいま経ている国々が、何十、何百となくある。これらの国のどれをとってみても、巨大な歴史的変化が起こったにもかかわらず、人類のこの発展、すなわち奴隷制から農奴制を経て資本主義へ、さらに今日の資本主義反対の世界的闘争への移行に結びついたあらゆる政治的転変、あらゆる革命にもかかわらず、つねに国家が発生していることを見るのである。国家はつねに、社会から分離し、統治だけを、あるいはほとんどそれだけを、または主としてそれを仕事とした人間の集団からなる、ある種の機関であった。人々は、統治される人間と、統治の専門家、社会の上に立ち、統治者、国家の代表者と呼ばれる人間とにわかれる。この機関、他人を統治する人々のこの集団は、つねにある種の強制機関、物理的な力の機関をその手におさめる。人々にたいするこの暴力が、原始的な棍棒に表現されようと、あるいは奴隷制の時代にもっと完備した型の武器に表現されようと、または中世に出現した火器に表現されようと、あるいはまた、二十世紀に技術上の奇跡をなしとげ、近代技術の最新の成果に全的に基礎をおいている近代兵器に表現されようと、それはどうでもよいことである。暴力の方法はいろいろに変わったが、国家が存在していたかぎり、いつでも、どの社会にも、統治し指揮し支配し、その権力の維持のために物理的強制の機関、暴力の機関、それぞれの時代の技術水準に応じた武装の機関をその手ににぎっていた人間の集団が存在していた。そして、この普遍的な現象をよくしらべてみ、階級がなかったときには、搾取者と被搾取者がなかったときには、なぜ国家もなかったのか、またなぜ階級が発生したときには国家も発生したのか、という問題に取り組んでみて、――それではじめてわれわれは、国家の本質とその意義の問題にたいするはっきりした答えを見いだすのである。
 国家――それは一階級の他の階級にたいする支配を維持するための機構である。社会に階級がなかったころ、奴隷制時代の生活にさきだって、大きな平等が維持されていた原始的条件のもとで、まだきわめて低い労働生産性の条件のもとで人々が働いていたころ、原始人がもっとも粗野な原始生活をおくるのに必要な資料をかろうじて採取していたころ、そのころには、残りの社会全体を統治し支配するために専門的に分離した特殊な人間集団は発生しなかったし、また発生するはずもなかった。諸階級への社会の分裂の最初の形態が出現したとき、すなわち奴隷制が出現したとき、ある人間階級が、もっとも粗野な形態の農耕労働にもっぱら従事し、いくらかの余剰を生産できるようになったとき、この余剰が奴隷のこのうえないみじめな生活をささえるのに絶対に必要ではなくなって、奴隷所有者の手にはいるようになったとき、こうしてこの奴隷所有者の階級の存在が固まったとき、そのときにはじめて、この階級の存在を固めるために、国家の出現が必要となったのである。
 そして、国家は出現した――奴隷所有者の国家が――、奴隷所有者の手に権力をあたえ、すべての奴隷を統治する可能性をあたえた機関が。その当時には社会も国家も今日よりはるかに小さく、交通機関も比べものにならないほど貧弱なものしかもたなかった。――その当時には、今日のような通信手段はなかった。山や川や海は、今日にくらべて信じられないほど大きな障害となっていたし、国家の形成ははるかに狭い地理的境界の範囲内でおこなわれた。技術的に弱体な国家機関が、比較的に狭い境界と狭い活動範囲とをもつ国家に奉仕していた。だが、それでもやはり、奴隷を強制して奴隷制のもとにとどまらせ、社会の一部分を他の部分の強制と抑圧のもとに引きとめていた機関があった。社会の大部分を強制して、他の部分のために系統的に労働させることは、恒常的な強制機関がなければ不可能である。階級がないあいだは、こういう機関もなかった。階級が出現したときに、いつ、どこでも、この分裂が発展し強化するにともなって、特殊の施設――国家も出現した。国家の形態は種々さまざまであった。すでに奴隷制時代にも、その当時としてはもっとも先進的・文化的・文明的であった国々、たとえば完全に奴隷制に基礎をおいていた古代ギリシアやローマには、さまざまな国家の形態があった。すでにその当時に、君主制と共和制、貴族制と民主制の差異が生じる。すなわち、ひとりの人間の権力である君主制、選挙によらないような権力は存在しない共和制、比較的わずかな少数者の権力である貴族制、人民の権力である民主制(民主制とは、ギリシア語から直訳すれば、人民の権力ということである)がそれである。すべてこうした差異は奴隷制の時代に生じた。こういういろいろの差異はあっても、奴隷制時代の国家は、奴隷所有者の国家であった。それが君主制であったか、貴族的共和制であったか、それとも民主的共和制であったかは、これにはすこしもかかわりがない。
 およそ古代史の課程でこの題目についての講義を聞くときには、諸君は君主制国家と共和制国家のあいだでたたかわれた闘争のことを聞くだろう。しかし、根本的な点は、奴隷は人間とはみなされていなかったということである。公民とみなされていなかったばかりか、人間とさえみなされていなかったのである。ローマ法は奴隷を物とみなしていた。他の人格保護の諸法律はさておき、殺人についての法律さえも奴隷にはおよぼされなかった。法律は、ひとり完全な権利をもつ市民と認められていた奴隷所有者だけを保護していた。君主国がつくられれば、それは奴隷所有者の君主国であったし、共和国がつくられれば、それは奴隷所有者の共和国であった。そこでは奴隷所有者がすべての権利をもっており、奴隷は法律上は物であって、奴隷にたいしてはどんな暴力をくわえてもよかったばかりか、奴隷を殺しても犯罪とはみなされなかった。奴隷所有者の共和国の内部組織はさまざまであった。貴族的共和制も、民主的共和制もあった。貴族的共和制では、少数の特権者だけが選挙に参加していたし、民主的共和制では、全員がこれに参加していたが、しかしその全員というのは、またしても奴隷所有者だけであり、奴隷を除いた全員であった。この根本的な事情を念頭におかなければならない。なぜなら、このことは、なににもまして国家の問題を明らかにするものであり、国家の本質をはっきり示しているからである。
 国家とは、一階級が他の階級を抑圧するための機構、一階級に他の隷属させられた諸階級を服従させておくための機構である。この機構の形態はさまざまである。奴隷所有者の国家には、君主制も、貴族的共和制もあれば、民主的共和制さえもある。事実、統治形態は種々さまざまであったが、事の核心はつねに同じであった。奴隷にはなんの権利もなく、彼らはつねに被抑圧階級であって、人間とは認められなかった。これと同じことは、農奴制国家にも見られる。
 搾取の形態が変わった結果、奴隷制国家は農奴制国家に転化した。これは非常に重要な意味をもっていた。奴隷制社会では、奴隷は完全に無権利であって、人間とは認められていなかった。農奴制社会では、農民は土地にしばりつけられていた。農奴制度の基本的な標識は、農民が(そして、その当時は農民が大多数を占めており、都市住民の発達はきわめて弱かった)土地に緊縛された(プリクレプリヨンヌイ)ものとみなされていたことである。――ここからして、農奴制度(クレポストノエ・プラーヴオ)という概念そのものが出てきたのである。農民は、土地からあたえられた地所で、あるきまった日数だけ自分のために働くことができたが、その残りの日数を農奴的農民は、旦那(ダンナ)のために働いた。階級社会という本質には変わりがなかった。社会は階級的搾取のうえにたもたれていた。完全な権利をもつことができたのは地主だけであり、農民は無権利者とみなされていた。実際には、農民の地位は、奴隷制国家における奴隷の地位とほとんど違わなかった。だが、それでも、彼らの解放のためには、農民の解放のためには、いっそう広い道がひらけていた。というのは、農奴的農民は地主の直接の財産とは考えられていなかったからである。農奴的農民は、その時間の一部を自分の地所ですごすことができ、いわばある程度まで自分自身のからだとなることができた。また、交換や商業取引の発展の可能性がひろまるにつれて、農奴制度はますます分解していき、農民の解放の範囲はますますひろげられていった。農奴制社会は、奴隷制社会にくらべてつねに複雑であった。ここでは、商業や工業の発展の大きな要素があり、すでにそのころでさえ資本主義にみちびいていた。中世には農奴制度が優勢であった。ここでも国家の形態はさまざまであり、ここでも君主制もあれば共和制もあった。もっとも、共和制の現われははるかに弱かったが。しかし、支配者と認められていたのは、つねにただ農奴主的地主だけであった。農奴的農民はあらゆる政治的権利の分野で完全に排除されていた。
 奴隷制のもとでも農奴制度のもとでも、わずかな人数の人々が圧倒的多数の人々を支配するには、強制なしではやっていけない。歴史は、被抑圧諸階級が抑圧をくつがえそうとしたたえまない試みでいっぱいである。奴隷制の歴史には、奴隷制からの解放をめざした数十年にわたる戦争が知られている。ついでながら、今日ドイツの共産主義者――すなわち、真に資本主義のくびきに反対してたたかっているただ一つのドイツの党――が採用している「スパルタクス派」という名まえ、この名まえを彼らが採用したのは、スパルタクスが、約二千年以前の最大の奴隷蜂起の一つにおけるもっともすぐれた英雄のひとりであったからである。完全に奴隷制を基礎としており、一見全能のようであったローマ帝国は、スパルタクスの指揮下に武装し結束して巨大な軍隊をつくった奴隷の大蜂起のために、何年ものあいだゆるがせられ、打撃を受けた。奴隷は結局は打ち破られ、捕えられ、奴隷所有者の手で苛(カ)責を受けた。こういう内乱は、階級社会の存立の全歴史を貫いている。私はいま、奴隷制時代におけるこういう内乱の最大のものを例にとった。農奴制度の時代も、同様に、農民のたえまない蜂起でいっぱいである。たとえばドイツでは、中世に、二つの階級、すなわち地主と農民の闘争は広大な規模をとるようになり、地主にたいする農民の内乱に転化した。諸君がみな知っているように、ロシアでも、農民が農奴主的地主にたいして、いくたびもこれと同じような蜂起を起こした実例がある。
 自分の支配を維持するため、自分の権力をたもつためには、地主は、膨大な数の人間を地主の従属のもとに結合し、ある種の法律や規則――これらの法律はみな、根本において一つのことに、つまり農奴的農民にたいする地主の権力を維持することに、帰着した――に従わせるような機関をもたなければならなかった。これがすなわち農奴制国家であって、この国家の形態は、たとえばロシアとか、いまなお農奴制の支配のもとにある、まったくおくれたアジアの国々とかで、さまざまであり、あるものは共和制、あるものは君主制であった。君主制国家のばあいには、ひとりの人間の権力が認められていた。共和制国家のばあいには、地主社会から選挙された人々が多かれ少なかれこれに参加することが認められていた。これが農奴制社会の状態である。農奴制社会は、圧倒的多数者――農奴的農民――がとるにたりない少数者――土地を領有する地主――に完全に隷属していたような階級分裂を示していた。
 商業の発展、商品交換の発展は、新しい階級――資本家――を分離させた。資本は中世のおわりに発生した。その当時アメリカの発見につづいて世界貿易が大きな発展をとげ、貴金属の寮がふえ、銀と金が交換用具となり、貨幣流通が一部の人間の手に莫大な富をたくわえる可能性をあたえた。銀と金は全世界で富として承認された。地主階級の経済力は衰え、新しい階級――資本の代表者たち――の力が発展していった。社会は、すべての市民が表面上平等となり、奴隷所有者と奴隷というこれまでの分裂がなくなり、万人が法のまえに平等と認められるというふうに改造された。だれがどんな資本をもっていようと、それが私的所有権にもとづく土地であろうと、働く手をもつだけの極貧者であろうと、そのことにはかかわりなく、万人が法のまえに平等となった。法律は、すべての人を一律に保護し、財産をもたず、自分の手のほかにはなに一つもたず、しだいに貧困化し、零落し、プロレタリアになっていく大衆のために、財産をもつ人々の財産が侵害されることのないように保護する。これが資本主義社会である。
 私は、この点に詳しく立ちいって述べることはできない。諸君は、党綱領について話し合うさいに、もういちどこの問題に立ちかえるであろう。そのときには諸君は、資本主義社会の特徴づけを聞くであろう。この社会は、農奴制に反対し、古い農奴制度に反対して、自由のスローガンをかかげて立ち現われた。しかし、それは、財産をもつ人々にとっての自由であった。そして、農奴制度が破壊されたとき――この破壊は、十八世紀末から十九世紀のはじめにかけておこなわれ、ロシアでは他の国々におくれて一八六一年におこなわれた――、農奴制国家に入れ替わって資本主義国家が現われた。この国家は、そのスローガンとして全人民の自由を宣言しており、国家は全国民の意志を表明すると言い、階級国家であることを否認する。そこで、全人民の自由のためにたたかう社会主義者と資本主義国家とのあいだに闘争が発展する。この闘争は、いまではソヴェト社会主義共和国の創立にみちびき、全世界にひろがっている。
 世界資本とのあいだに始まった闘争を理解し、資本主義国家の本質を理解するためには、資本主義国家が農奴制国家に反対して立ち現われ、自由のスローガンをかかげてたたかったということを、記憶しておく必要がある。農奴制度の廃止は、資本主義国家の代表者たちにとって自由を意味していたし、また農奴制度が崩壊し、農民が土地を完全な財産として所有する可能性を得たかぎりで、これらの資本主義国家の代表者たちの役にたった。農民はこの土地を、買取りによるか、あるいは一部は年貢によって買った。それがどちらであろうと、国家は気にかけなかった。国家は、その財産がどういう方法で発生したかにかかわりなく、財産を保護した。というのは、この国家は私的所有の基礎のうえに立っていたからである。農民は、すべての近代的文明国で私的所有者に変わった。地主が土地の一部を農民に渡したばあいにさえ、国家は私的所有を保護し、買取り、すなわち金で売るという手段で、地主に補償した。これはいわば、国家が、われわれは私的所有権を完全に保護する、と声明したに等しく、国家は私的所有にあらゆる支持と庇(ひ)護をあたえてきた。国家は、ひとりひとりの商人、工業家、工場主に、この所有権を認めてきた。しかも、こういう社会が、――私的所有に、資本の権力に、すべての無産労働者と勤労農民大衆との完全な隷属に基礎をおくこの社会が、自由にもとづいて支配する社会であると、自称したのである。この社会は、農奴制度とたたかうさいに、財産は自由であると宣言し、国家がもはや階級国家ではなくなったかのように言って、そのことをとりわけ自慢にした。
 ところが、国家は依然として資本家が貧農と労働者階級を隷属させておくのを助ける機構であった。しかし、外見上では国家は自由であった。この国家は、普通選挙権を布告し、自分の擁護者、宣伝者、学者、哲学者の口を借りて、この国家は階級国家ではない、と称している。この国家にたいするソヴェト社会主義諸共和国の闘争が始まっている今日でさえ、彼らはわれわれを非難して、われわれが自由の侵害者であるかのように、強制や、一部の人々による他の人々の弾圧に基礎をおく国家をつくっているかのように言い、自分たちのほうは全人民的な民主主義国家を代表しているかのように言っている。そこで、こんにち、全世界で社会主義革命が始まっているとき、そしていくつかの国で革命が勝利し、世界資本との闘争がとくに激しくなっているまさにこの時代には、この問題――国家の問題は、非常に重要な意味をもち、もっとも切実な問題となり、現代のあらゆる政治問題とあらゆる政治的論争の焦点になっていると言える。
 ロシアでもよいし、どこであろうともっと文明的な国でもよいが、そこのどんな政党をとってみても、いまでは、ほとんどすべての政治的論争、異論、意見は、国家の概念をめぐってたたかわされている。資本主義国における国家は、民主的共和国――とくにスイスやアメリカのような――、もっとも自由な民主的共和国における国家は、人民の意志の表明、全人民的決定の総括、国民意志の表明、等々であるのか、それとも国家は、その国の資本家が労働者階級と農民にたいする権力を維持できるようにするための機構であるのか? これは、現在全世界の政治的論争の中心におかれている基本問題である。ボリシェヴィズムについて人々はなんと言っているか? ブルジョア新聞はボリシェヴィキを罵(ば)倒している。ボリシェヴィキにたいして、人民権力の侵害者だという流行の非難を繰りかえしていないような新聞は、ただの一つも見つかるまい。もしわがメンシェヴィキや社会革命派が、愚鈍なために(あるいはただの愚鈍のせいではなく、おそらくそれは、盗みよりもまだ悪いと言われるほどの愚鈍かもしれない)、ボリシェヴィキは自由と人民権力を侵害したという、ボリシェヴィキにたいする非難の発見者、発明者は自分であると考えるとすれば、それはこのうえなくこっけいな思いちがいである。いまでは、もっとも富んだ国々のどのもっとも富んだ新聞でも、――自紙の普及のために幾千万の金をつかい、幾千万の部数でブルジョア的な嘘や帝国主義的政策をばらまいているこれらの新聞のどれ一つでも、――ボリシェヴィズムに反対してこれらの基本的な議論や非難を繰りかえしていないものはない。すなわち、アメリカやイギリスやスイスは人民権力に基礎をおく先進国家だが、ボリシェヴィキの共和国は盗賊の国家だ、ボリシェヴィキの国家には自由がない、ボリシェヴィキは人民権力の理念の侵害者であって、憲法制定議会を解散することまでやってのけた、というのがそれである。ボリシェヴィキにたいするこれらの恐ろしい非難は、全世界で繰りかえされている。これらの非難は、われわれを国家とはなにかという問題にまっこうから突きあたらせる。これらの非難を理解するためには、――これらの非難をよくわきまえて、それにたい噤@  ∴

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 私はすでに諸君の参考書として、エンゲルスの著作『家族、私有財産および国家の起源』をあげておいた。同書ではまさにつぎのように言っている。土地と生産手段の私的所有が存在しており、資本が支配している国家は、どんなに民主的であろうと、すべて資本主義国家であり、労働者階級と貧農を隷属させておくための資本家の手中にある機構である。そして、普通選挙権、憲法制定議会、国会――これらは、ただの形式であって、一種の約束手形にすぎず、けっして事態を本質的に変えるものではない、と。
国家の支配形態はさまざまでありうる。ある形態があるところでは、資本はその力をある仕方で発揮し、それとは違った形態があるところでは、それとは違った仕方でその力を発揮する。だが、本質上権力はつねに資本の手にある。――制限選挙権があろうが、それとは違った選挙権があろうが、民主的共和国であろうがなかろうが、そのとおりである。――そして、民主的な共和国であればあるほど、資本主義のこの支配はそれだけ粗暴で、鉄面皮でさえある。世界でもっとも民主的な共和国の一つは北アメリカ合衆国である。しかも、資本の権力、全社会にたいするひとにぎりの億万長者の権力が、この国におけるほど(一九〇五年以後に同地をおとずれたものなら、きっと知っているだろう)粗暴な仕方で、アメリカにおけるほど公然たる買収を手段として発揮されているところは、ほかにどこにもない。いったん資本が存在するなら、それは全社会を支配する。そして、どんな民主的共和国も、どんな選挙権も、事の本質を変えはしない。
 民主的共和制と普通選挙権とは、農奴制度とくらべれば巨大な進歩であった。それらは、プロレタリアートに、いま彼らがもっているあの団結、あの結束に到達し、いま資本にたいする組織的闘争をおこなっているあの整然たる、規律ある隊列をつくる可能性をあたえた。奴隷はもちろんのこと、農奴的農民も、近似的にせよこれに類するものをもっていなかった。われわれが知っているように、奴隷は蜂起を起こし、一揆(き)をくわだて、内乱を始めたが、自覚した多数者、闘争を指導する政党をつくりだすことはけっしてできなかったし、自分がどういう目標にむかってすすんでいるのかはっきりと理解できず、歴史上もっとも革命的な瞬間にさえ、つねに支配階級の手中にある歩駒(ふごま)であった。ブルジョア共和制、議会、普通選挙権――これらすべては、社会の世界的発展の見地から見れば、巨大な進歩である。人類は資本主義にむかってすすんできた。そして、資本主義がはじめて、都市文化のおかげで、抑圧されたプロレタリア階級に自分自身を認識する可能性をあたえ、大衆の闘争を意識的に指導しているあの世界的労働運動を、全世界で党に組織されているあの幾百万の労働者を、あの社会主義諸党をつくりだす可能性をあたえたのである。議会制度がなかったなら、選挙制がなかったなら、労働者階級のこのような発展は不可能であったろう。だからこそ、すべてこうしたことは、もっとも広範な人民大衆の目にきわめて重要なものとして映じるようになったのである。だからこそ、急変ははなはだしく困難なものと思えるのである。国家は自由であり、万人の利益を擁護する使命をおびているという、このブルジョア的な嘘を支持し擁護しているのは、意識的な偽善者、学者、僧侶だけではない。昔ながらの偏見を本気で繰りかえし、古い資本主義社会から社会主義への移行を理解することのできない多くの人々もこれを擁護している。ブルジョアジーに直接に隷属している人々ばかりでなく、資本の抑圧下にある人々、あるいはこの資本に買収された人々(多数の、あらゆる種類の学者、芸術家、僧侶などが資本に奉仕している)ばかりでなく、ブルジョア的自由についての偏見の影響を受けているにすぎない人々までも、ソヴェト共和国がその創立にあたってこのブルジョア的な嘘を投げすてて、諸君は自分の国家を自由な国家と呼んでいるが、実際には、私的所有があるかぎり、諸君の国家は、たとえ民主的共和国であっても、資本家の手中にある労働者弾圧の機構にほかならないし、国家が自由であればあるほど、この事実はいっそう明瞭に現われてくる、と公然と声明したために、全世界でみんなボリシェヴィズムを敵視するにいたった。この例は、ヨーロッパではスイス、アメリカでは北アメリカ合衆国である。これらの国は民主的共和国であるが、たとえそれがどんなに優美にかざりたてていようと、勤労民主主義とかすべての市民の平等とかについてのどんな文句をかかげていようと、まさにこれらの国ほど、資本が鉄面皮に、無慈悲に支配しているところ、この支配がこれらの国ほど明瞭に見られるところは、ほかにどこにもない。実際には、スイスとアメリカでは資本が支配しており、労働者が自分の地位のいくぶんでもまともな改善をかちとろうと試みるごとに、かならずただちに内乱に当面するのである。これらの国々では、兵士、常備軍の人数は比較的少ない。スイスには民兵があって、スイス人はみな自分の家に小銃をもっている。アメリカでは最近まで常備軍はなかった。だから、ストライキが起こると、ブルジョアジーは自分で武装し、兵士を雇いいれてストライキを弾圧する。しかも、労働運動のこの弾圧がスイスやアメリカほど無慈悲な残虐さでおこなわれているところは、どこにもなく、また資本の影響がまさにこの両国ほどにつよく議会に反映しているところは、どこにもない。資本の力――これがすべてである。取引所――これがすべてである。だが、議会、選挙――これはあやつり人形であり、傀儡(かいらい)である。・・・・しかし、時とともに労働者はますます目覚めていき、ソヴェト権力の思想はますます広範にひろまっていく。とくに、われわれがさきごろ味わわされた流血の屠(と)殺のあとでは、なおさらそうである。労働者階級にとって、資本家との容赦ない闘争が必要だということは、ますます明らかになっていく。
 共和制がどのような形態につつまれているにせよ、たとえもっとも民主的な共和国であろうと、それがブルジョア共和国であるかぎり、そこに土地や工場の私的所有が残っていて、私的資本が全社会を賃金奴隷制のもとに引きとめているかぎり、つまり、そこでわが党の綱領とソヴェト憲法とが宣言しているような事柄がはたされていないかぎり、その国家は、一部の人々が他の人々を抑圧するための機構である。だから、われわれは、資本の権力を打倒するはずの階級の手にこの機構を掌握させるであろう。われわれは、国家とは普遍的な平等であるという古い偏見をすべて捨てさるであろう。これは欺瞞である。搾取があるかぎり、平等はありえない。地主は労働者と平等ではありえないし、飢えた人間は満腹した人間と平等ではありえない。国家と呼ばれ、人々が迷信的な尊敬をもってはばかっており、それが全人民的な権力であるという昔話を信じているその機構――その機構をプロレタリアートは投げ捨てて、こう言う。これはブルジョアの嘘だ。われわれはこの機構を資本家から取り上げて自分の手ににぎった。われわれはこの機構すなわち棍棒をつかって、あらゆる搾取を粉砕しよう。そして、この世にもはや搾取の可能性がなくなったとき、土地の所有者、工場の所有者がいなくなったとき、一方では満腹しているのに他方では飢えているというような状態がなくなったとき、――そういうことをやる可能性がもはやなくなったときに、はじめてわれわれはこの機構をごみだめにほうりすてよう。そうなったときには、国家はなくなるであろうし、搾取もないであろう、と。これがわが共産党の立場である。われわれは、今後の講義でこの問題に立ちかえることが、それもいくども立ちかえることができればよいと考える。

    一九二九年一月十八日に新聞『プラウダ』第一五号に始めて発表
    全集、第二九巻、四七七―四九六ページ所収

☆   事項訳注

 九 著書『国家と革命』は、一九一七年の八月から九月のあいだにレーニンが地下で書いたものである。国家の問題を理論的に研究する必要があるという考えを、レーニンは一九一六年の後半に述べている。レーニンは当時『青年インタナショナル』という覚え書(全集、第二三巻、一七五―一七八ページ)を書いたが、そのなかで、国家の問題にたいするブハーリンの反マルクス主義的立場を批判し、国家にたいするマルクス主義の態度について詳しい論文を書くことを約束した。一九一七年二月一七日(新暦)付のア・エム・コロンタイあての手紙のなかで、レーニンは、国家にたいするマルクス主義の態度の問題についての材料をほとんど用意した、と知らせている。この材料は、『マルクス主義国家論』と上書きされた青表紙のノートに、細い字でびっしりと書きこまれていた。そこには、マルクスとエンゲルスの著作からの引用や、カウツキー、パンネクック、ベルンシュタインの著書の抜粋と、それらにたいする論評、結論、概括が集められていた。
 レーニンは一九一七年四月にスイスからロシアへ移るにあたり、途中で臨時政府に逮捕されるかもしれないと考えて、保存のために労作『マルクス主義国家論』の手稿をスイスにおいてきた。七月事件後、地下にもぐったレーニンは、短信のなかでつぎのように書いている。
 「Entre nous〔ここだけの話だが〕――私がやられるようなことがあったら、私のノート『マルクス主義国家論』(ストックホルムにとめてある)を出版することを、君にお願いする。青表紙で、製本してある。マルクス、エンゲルスからの、同じくまたパンネクックに反対するカウツキーからの、抜粋が全部集めてある。いくつかの注解、短評、定式がある。一週間もあれば出版できると思う。私はそれを重要だと思っている。というのは、プレハーノフだけでなく、カウツキーも混乱しているから。・・・・」。ノート『マルクス主義国家論』をストックホルムから受け取ったレーニンは、そこに集めてある材料をもとにして、天才的な著作『国家と革命』を書いた。
 予定の計画では、著書『国家と革命』は全七章のはずであったが、最後の第七章『一九〇五年と一九一七年のロシアの経験』は書かれずじまいに終わり、その詳しい腹案が残っているだけである(『レーニン資料集』、第二一巻、一九三三年刊、二五―二六ページを参照)。本書出版の問題について、レーニンは出版所への手紙のなかで、「第七章の完成があまりにもおそくなるか、それがあまりにも大きくなるばあいには、最初の六章だけを第一分冊として、単独に出さなければなるまい」と書いている。
 手稿の第一のページには、著者の名として「エフ・エフ・イワノフスキー」という筆名が記されている。レーニンがこういう筆名で本書を出そうとしたのは、そうしないと臨時政府に押収されるおそれがあったからである。本書はやっと一九一八年に出版されたので、この筆名をもちいる必要はなくなった。レーニンが第二章に『一八五二年におけるマルクスの問題提起』という新しい一節をくわえた第二版は、一九一九年に出た。
 ソヴェト権力の成立以来(一九六〇年十月一日現在の数字で)、レーニンの著書『国家と革命』は、四六のソ同盟諸民族語で、一八八回、総計六五五万六〇〇〇部も出版された。そのほか本書は、イギリス、フランス、ブルガリア、ハンガリア、オランダ、ギリシア、スペイン、イタリア、中国、朝鮮、モンゴル、ドイツ、ポーランド、ルーマニア、セルビア、スロヴァキア、トルコ、フィンランド、チェコ、日本、その他の外国語で出版された。

 一一 フェビアン派――一八八四年、イギリスのブルジョア・インテリゲンツィアのグループによって創立された改良主義的・日和見主義的団体。レーニンの表現にしたがえば、フェビアン協会は「日和見主義および自由主義的政治活動のもっとも完成された表現」である。階級闘争を否定し、資本主義から社会主義へ改良的な方法で平和的に移行する可能性を宣伝するもの。第一次世界戦争中は社会排外主義の立場をとった。

 三三 ゴータ綱領――一八七五年、ゴータの大会で、それまで別個に存在していたドイツの二つの社会主義政党、すなわちアイゼナッハ派(A・ベーベルとW・リープクネヒトに指導され、マルクスとエンゲルスの思想的影響下にあった)とラッサール派との合同にさいして採択されたドイツ社会民主党の綱領。この綱領は折衷主義の欠陥をもち、日和見主義的なものであった。なぜなら、アイゼナッハ派はもっとも重要な諸問題についてラッサール派に譲歩し、ラッサール主義的な規定を受けいれたからである。マルクスとエンゲルスは、ゴータ綱領草案を激しく批判し、一八六九年に採択されたアイゼナッハ派の綱領にくらべていちじるしい後退であるとみなした。

 三八 アジ豆のあつもの――ささいな物質的利益のために行動するばあいにもちいられることば。旧約聖書のイサクの長子エサウが、パンと「アジ豆のあつもの」のために弟ヤコブに長子権をゆずった故事から出ている。

 四六 『ノイエ・ツァイト』(『新時代』――ドイツ社会民主党の理論雑誌。一八八三年から一九二三年までシュトゥットガルトで発行された。一九一七年十月まではK・カウツキーが、それ以後はH・クノーが、編集にあたった。マルクスとエンゲルスのいくつかの著作――マルクスの『ゴータ綱領批判』、エンゲルスの『一八九一年の社会民主党綱領草案の批判』など――は、『ノイエ・ツァイト』にはじめて発表された。エンゲルスは同誌の編集局にたえず忠告を与え、同誌のマルクス主義からの後退をしばしば批判した。『ノイエ・ツァイト』には、A・ベーベル、W・リープクネヒト、R・ルクセンブルグ、F・メーリング、K・ツェトキン、ゲ・ヴェ・プレハーノフ、P・ラファルグなど、一九世紀末から二〇世紀はじめにかけてのドイツおよび国際労働運動の著名な活動家が寄稿した。エンゲルスの死後、九〇年代の後半から、同誌は修正主義者の論文を系統的に掲載するようになった。そのなかには、修正主義者によるマルクス主義攻撃の口火をきったE・ベルンシュタインの連続論文『社会主義の諸問題』もふくまれていた。第一次世界大戦中、同誌は中央派的立場をとり、事実上社会排外主義者を支持した。

 五〇 「武器をとるべきではなかった」――これは、一九〇五年十二月の武装蜂起について、プレハーノフが雑誌『ドネヴニーク・ソツィアル―デモクラータ』(『社会民主主義者の日記』)で述べたことばである。

 五二 『クーゲルマンあてのマルクスの手紙』は、最初『ノイエ・ツァイト』誌に発表された。レーニンはつぎのようなこの手紙のロシア語版を念頭においている。(1) 『ノイエ・ツァイト』編集局の序文つきのK・マルクス『L・クーゲルマンあての手紙』、これはレーニンの監修のもとに彼の序文つきで翻訳された。出版書店はサンクト―ペテルブルグの「ノーヴァヤ・ドゥーマ」出版所、一九〇七年。この序文は本全集第一二巻にはいっている。(2) カール・カウツキーの序文つきの『インタナショナルの会員クーゲルマンあてのK・マルクスの手紙』(『科学的社会主義文庫』)、一九〇七年。

 六一 アナルコ―サンディカリズム――労働組合運動内の小ブルジョア的・日和見主義的潮流で、労働組合に無政府主義思想をもちこむもの。労働者階級の政治闘争とプロレタリアートの政治支配を否定し、生産手段を労働組合に移すことを終局目標とする。労働者階級の党がなくても労働組合だけでブルジョアジーに勝利することができると主張する。

 六三 『デーロ・ナローダ』(『人民の事業』)――社会革命党の日刊新聞。一九一七年三月から一九一八年六月まで、何回か名称を変えて、ペトログラードで発行された。

 六八 ヘロストラトス的――ヘロストラトスは前三五六年ごろのエフェソスの人。後世に名をのこそうとして、アルテミスの神殿を焼いた。

 七七 ブランキ主義者――フランスの革命家ブランキの教えの信奉者。ブランキ主義は一八三〇年の革命暴動以後たびたびパリの暴動、最後にパリ・コンミューンに参加したが、彼らは政党に結合した労働者階級の大衆的・革命的組織ではなく、少数尖鋭分子の暴動と反乱が被抑圧階級の解放の手段だと考えていた。だから、今日ではブランキストということばは盲動主義者の意味にもちいられている。

 八七 エルフルト綱領――ドイツ社会民主党が、一八七五年のゴータ綱領のかわりに、一八九一年にエルフルト大会で採用した綱領。国民文庫版に全文がおさめてある。

 九〇 社会主義者取締法は、ドイツで一七八七年にビスマルク政府が労働運動と社会主義運動を弾圧するために施行したもの。この法律によって、すべての社会民主党組織、労働者の大衆組織、労働者出版物は禁止され、社会民主主義的文書は没収された。取締法の有効期間中、約三五〇の社会民主党組織が解散され、約九〇〇名の社会民主党員が国外へ追放され、約一五〇〇名の党員が投獄され、数百の新聞、雑誌、不定期刊行物が禁止された。しかし、こうした迫害や弾圧も社会民主党を粉砕することはできず、その活動は、非合法的存在の諸条件に応じて再建された。すなわち、国外では、党中央機関誌『ゾツィアル―デモクラート』が発行され、党大会が定期的にひらかれた(一八八〇年、一八八三年、一八八七年)。ドイツ国内の地下では、非合法の中央委員会に指導される社会民主党の組織やグループが急激に復活した。党は地下で活動しながらも、大衆との結びつきを強化するため、合法的可能性をひろく利用した。その結果、党の影響力は伸びて、国会選挙で社会民主党候補に投じられる票数は、一八七八年から一八九〇年にかけて三倍以上にふえた。マルクスとエンゲルスは、ドイツ社会民主党員に大きな援助を与えた。ますます強化していく大衆的労働運動の圧力におされて、一八九〇年、社会主義者取締法は廃止された。

 九三 「上からの革命」――エンゲルスがここでさしているのは、プロシアの支配者によって「上から」軍事力で遂行された、解体したドイツ国家の単一国家への統一のことである。一八六六年のプロシアのオーストリアにたいする戦争は、北ドイツ連邦の形成にみちびき、一八六六年のフランス=プロシア戦争はプロシアを頭首とするドイツ帝国を創立する結果となった。

 一二三 エヌ・ポミャロフスキーの『神学院生活のスケッチ』をさす。同書でこのロシアの小説家は、前世紀五、六〇年代にロシアの神学校を支配した不合理な教育制度と野蛮な習慣とを暴露した。

 一三一 第一インタナショナルのハーグ大会――一八七二年九月二―七日(新暦)にひらかれ、マルクスとエンゲルスが出席した。大会の代議員は六五名で、議題は(一)総務委員会の権限について、(二)プロレタリアートの政治活動について、その他であった。大会の全活動は、バクーニン派との激しい闘争のうちにすすめられた。大会は総務委員会の権限を拡大する決定を採択した。「プロレタリアートの政治活動について」の問題では、プロレタリアートは社会革命の勝利を確保するために独自の政党を組織しなければならないし、政治権力の獲得がその偉大な任務となると、大会の決議には述べられていた。この大会で、バクーニンとギョームが組織撹乱者、新しい反プロレタリア政党の創立者として、インタナショナルから除名された。

 一三三* 『ザリャー』(『あかつき』)――マルクス主義的な学術=政治雑誌。一九〇一―一九〇二年にシュトゥットガルトで『イスクラ』編集局から発行された。全部で四号(三冊)出た。第一号は一九〇一年四月に(実際には新暦の三月二十三日に)、第二―三号は一九〇一年十二月に、第四号は一九〇二年八月に出た。雑誌の任務は、レーニンがロシアで書いた『イスクラ』および『ザリャー』編集局の声明草案のうちに示されていた(全集、第四巻、三四七―三五九ページを参照)。一九〇二年、『イスクラ』および『ザリャー』編集局内に意見の相違と衝突が起こったとき、プレハーノフは雑誌と新聞とを分離する案を出した(『ザリャー』の編集を自分の手にのこしておくために)が、しかしこの案は採択されず、これらの機関紙誌の編集局はずっと共通であった。
 雑誌『ザリャー』は、国際修正主義とロシアの修正主義を批判し、マルクス主義の理論的諸原則を擁護した。『ザリャー』には、レーニンの諸論作『折にふれての覚え書』、『ゼムストヴォの迫害者たちと自由主義のハンニバルたち』、『農業問題における「批判家」諸君』(労作『農業問題と「マルクス批判家」』の最初の四章)、『国内評論』、『ロシア社会民主党の農業綱領』が掲載され、またプレハーノフの諸労作『わが批判家への批判』第一部(『マルクスの社会発展理論の批判家の役割を演ずるペ・ストルーヴェ氏』)、『カントに反対するCant' あるいはベルンシュタイン氏の遺言状』、その他も掲載された。

 一三三** 一九〇〇年のパリ国際社会主義者大会――一九〇〇年九月二十三日「二十七日(新暦)にパリでひらかれた第二インタナショナルの第五回国際社会主義者大会のこと。ロシア代表団は二四名(そのうち社会民主主義者は一三名)の代議員によって代表されていた。「労働解放」団のもっていた大会への信任状六通のうち、四通はレーニンの手をつうじて受け取ったものであった(三通はウラルの「社会民主主義」グループから、一通はウファの組織から)。大会では、社会民主主義の代表団は二つの部分に、すなわちベ・エヌ・クリチェフスキー〔*〕を中心とする多数派と、ゲ・ヴェ・プレハーノフを中心とする少数派とに分かれていた。A・ミルランがヴァルデク・ルソーの反革命的政府に入閣したことから生じた「政治権力の獲得およびブルジョア政党との同盟」という主要問題をめぐって、多数派はK・カウツキーの伸縮自在な決議案に賛成票を投じ、少数派(ゲ・ヴェ・プレハーノフ、ペ・ベ・アクセリロード、ヴェ・イ・ザスーリッチ、デ・コリツォフ)はミルラン主義を非難するJ・ゲードの決議案に賛成票を投じた。
 パリ大会では、各国の社会主義政党の代表から構成され、かつ書記局をブリュッセルにおく国際社会主義ビューローを設けることが決定された。大会の決定により、代議員たちによって選ばれたビューロー員は、各国の党組織の確認を得なければならなかった。この確認を得るまでは、彼らは臨時委員とみなされた。

一五一* 『社会主義月刊』(《sozialistische Monatshefte》)――ドイツ日和見主義者の主要な機関誌、同時に国際日和見主義者の機関誌の一つ。一八九七年から一九三三年まで、ベルリンで発行された。第一次世界大戦(一九一四―一九一八年)中は社会排外主義の立場をとった。

一五一** イギリス独立労働党――一八九三年創立。マクドーナルドなどによって指導され、ブルジョア政党からの政治的独立を誇称したが、レーニンによれば、実際には「社会主義から独立し自由主義に依存し」ていた。第一次大戦中同党は最初は戦争反対宣言(一九一四年八月十三日)を発したりしたが、のち一九一五年二月、ロンドンでひらかれた連合国の社会主義者会議で採択された社会排外主義的決議に同意した。そのときから、独立労働党の指導者たちは、平和的お題目のかげに隠れて、社会排外主義的態度をとってきた。一九一九年のコミンテルン設立ののち左翼化した大衆の圧力のもとに、独立労働党の指導者たちは、第二インタナショナルからの脱退を決議した。彼らは、一九二一年、いわゆる第二半インタナショナルにはいり、その分裂後ふたたび第二インタナショナルにくわわった。

一五二 原稿では、このあとはつぎのようになっている。
   「第七章 一九〇五年と一九一七年のロシア革命の経験
 この章の表題にかかげたテーマは、無限に大きなテーマであって、それについては数巻の書物を書くことができるし、また書かなければならない。この小冊子では、もちろん、国家権力にかんする革命におけるプロレタリアートの任務に直接関係のある、経験から得られたもっとも主要な教訓だけに限らなければなるまい。」(ここで原稿は中断している。)

一五五 スヴェルドロフ大学――一九一八年に全ロシア中央執行委員会に付属して扇動家・中堅指導者養成所がいくつかつくられ、のちに改組されてソヴェト活動の学校となった。ついでロシア共産党(ボ)第八回大会が党幹部養成のための中央委員会付属上級学校の組織を決定したのち、右の学校は改組されてソヴェト・党活動中央学校となった。さらに一九一九年の後半に、党中央委員会組織局の決定により、ヤ・エム・スヴェルドロフ記念共産主義大学と改称された。
 これは最初の党大学であった。レーニンは大学の組織に非常な関心を示し、最初の教案作成に参加した。
 一九一九年七月十一日と八月二十九日に、レーニンはこの大学で国家について講義したが、八月二十九日の講義の記録は残っていない。同じ年の十月二十四日、レーニンは戦線にむかうスヴェルドロフ大学聴講生のまえで演説した。


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