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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital
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§ 解題
本書は、マルクスが一八六五年六月二〇日と二七日に、第一インタナショナル中央評議会でおこなった講演である。
☆ 一 本書成立の事情
一八四八年の革命以後、資本主義経済の急激な発展とともに、ほんらいの意味での産業プロレタリアートが歴史に登場した。彼らは、自己の組織のなかに、無制限な搾取にたいする有効な武器があることを認識し、労働時間短縮、賃上げ、労働者保護規定の獲得のためのストライキをおこない、ストライキはまた組織の形成と団結権獲得のための闘争をうながした。マルクスの指導のもとに一八六四年に創立された「国際労働者協会」(第一インタナショナル)は、それらの運動の指導の中核体であり、その創立は労働運動の第二の高揚期を画するものであった。
しかしこの協会には、マルクス、エンゲルスらの革命家がその中心であったとはいえ、思想上・運動上の諸宗派が集まっていた。協同組合や交換銀行の組織によってブルジョア社会をそっくり社会主義社会にかえることができ、したがってそのための努力を過小評価する労働者の活動はすべて有害だとするオ−エン主義的ないしはプル−ドン主義的な小ブルジョア・ユ−トヒア社会主義者、労働者の貧困は自然必然の法則であるとするマルサス主義者、労働者階級は政治闘争のみに専念すべきだとするえせ急進主義者らがあり、それらが労働運動に反映して、一方では、「賃金鉄則」が支配するため資本主義社会では労働者の生活改善は不可能であり、普通選挙権と国家の補助ある生産協同組合の創立のみが社会主義への道だとするラサ−ル主義、プル−ドンの流れをくんで平等と無政府社会を一揆(キ)によって獲得しようとするバク−ニン主義、政治闘争を過小評価して労働組合を日常の小改良闘争だけに限ろうとする労働組合主義などの諸流派があらわれていた。それらはいずれも労働組合無用論、労働組合の経済的・政治的闘争の否定、または階級闘争の否認の理論と運動であった。
国際労働運動の指導部のまえには、労働者の闘争によって資本主義内での彼らの状態の改善は可能なのか、彼らはその力をもっぱら社会革命の準備に集中して日常闘争を断念すべきではないのか(つまり、政党のほかに労働組合などは不要ではないのか)という問題があらわれた。インタナショナル総評議会は、この問題にこたえる必要にせまられた。一方ではヨ−ロッパ大陸のストライキ闘争にたいする自己の立場を決定する必要があり、他方ではその委員ウェストンがこの問題を提起して、資本主義内での労働者の地位改善闘争は有害だととなえたからである。
一八六五年四月四日、ウェストンは、つぎの問題を討議してもらいたいと提案した。
「第一 労働者階級の社会的・物質的福祉は、一般に賃上げによって向上させられるか。
第二 賃上げを確保しようとする労働者団体の努力は、他の産業部門に有害な作用をしないか。提案者は、第一の命題には、改善できない、第二の命題には、有害だという立場をとると明言した」(『第一インタナショナル総評議会議事録』、英語版、八八ペ−ジ)。
五月二日の中央評議会でウェストンは賃金問題の報告の一部を読みあげたが、同月九日の評議会の決定により、五月二〇日夜、特別総評議会で、この問題の討論をおこなった。当日の議事録は存在しないが、一八六五年五月二〇日付のエンゲルスあての手紙でマルクスはこう述べている。
「今夜はインタナショナルの特別会議だ。昔からのたいへんな変わり者、古いオ−エン主義者であるウェストン(大工)は、彼が『ビ−ハイヴ』紙であいかわらず弁護しているつぎの二つの命題を提出した。一 賃金率の全般的上昇は、労働者にとってはなんの役にもたたぬであろうということ、二 したがって(とかなんとか)、労働組合は有害な作用をするものであるということ。われわれの仲間でこれを信じているのは彼だけだが、もしこの二つの命題が承認されるなら、当地の労働組合のせいでも、ヨ−ロッパ大陸でいまはやっているストライキの伝染病のせいでも、われわれは嘲笑の的になるだろう。・・・・僕に期待されているのは、むろん駁論である。だからほんらいなら今夜の返答をしあげておくべきなのだが、僕の著書〔『資本論』〕を書きつづけるほうが大事だと考えた。だから即席にまかせてやるよりほかない。むろん僕は、二つの要点のことはもとより承知だ。一 賃金が諸商品の価値を決定するということ。二 きょうもし資本家が四シリングのかわりに五シリング支払うなら、あすは彼らは四シリングのかわりに五シリングで自分たちの商品を売るであろう(需要の増加によってそれができるようになる)ということ。ところでこれはなんとも愚にもつかぬことで、現象のまったくのうわっつらしか見ないものだが、ここでぶつかるあらゆる経済問題を無学なものたちに説明するのは、しかし容易なことではない。君だって経済学の一コ−スを一時間に圧縮することはできはしない。だが全力をつくすとしよう。」(本文庫版『資本論にかんする手紙』、岡崎次郎訳、上、一三四「一三五ペ−ジ)
五月二三日、ウェストンは彼の提案についての討論を続行し、マルクスは彼の見解に反対を表明した。六月六日、マルクスは、ウェストンの提案がふたたび討論されるさいには、それにこたえる報告をし、一連の反対決議をだすだろうと述べた。六月二〇日と二七日、マルクスはウェストンの論駁を展開した。二〇日には前半を、二七日には前回報告の主要点の要約をしたあと、後半部を報告した。ウェストンは二〇日には、マルクスの報告は自分の原理に影響するようなことをなにひとつ展開・証明しなかったと述べ、二七日にはマルクスの農業労働者にかんする報告の記述の正確さについて質問した。中央評議会での討論は七月四日、一八日、八月八日、一五日、二一日、二八日におこなわれ、委員らの見解が述べられたが、マルクスの見解が支持されたことは、その後のインタナショナルの決議や指令からも明らかである。
六月二七日の中央評議会では、ウェストンの報告とマルクスの回答報告の両者を印刷にふしてもらいたいとの提案があったが、これは実現をみなかった。マルクスは六月二四日付のエンゲルスあての手紙でこう書いている。
「僕は中央評議会で、賃金の全般的引上げ等がどんな作用をするかというウェストン君のだした問題について一つの報告を読みあげた(印刷すれば二ボ−ゲン〔一ボ−ゲンはふつうの書物の一六ペ−ジ〕になろう)。その第一部はウェストンのナンセンスにたいする答えだ。第二部は時宜にかなうかぎりでの理論的説明だ。ところで連中はこれを印刷させたがっている。一面ではこれは僕のためにはなるだろう。連中はJ・S・ミル、ビ−ズリ教授、ハリソンなどと連絡があるのだから。他面では僕はためらっている。一 『ウェストン君』は論敵としてはあんまりぱっとしないからだ。二 そいつは第二部では、僕の著書から先どりした多くの新しいものを、極度に圧縮した、だが通俗的なかたちでふくむものであるが、しかし同時に一方では、当然ながらあらゆることをみのがさないわけにはいかないものだからである。問題は、この種のことをこんなふうにして先どりすることが得策かどうか?だ。」(前掲訳書、一三六ペ−ジ) マルクスの手稿は、エンゲルスの死(一八九五年)後、一八九八年にマルクスの娘エリナによってその夫エ−ヴリングの序文をつけて公刊された。その表題は『価値、価格、利潤』であった。そのドイツ語訳は、同年E・ベルンシュタインによってなされ、(『ノイエ・ツァイト』誌、第一六巻第二号)、フランス語訳は、翌九九年マルクスの女婿シャルル・ロンゲの手でおこなわれた(『ダヴニ−ル・ソシアル』誌)。表題は、英語訳以外は『賃金、価格、利潤』となっている。マルクスの論文のはじめの六節の括弧内の小見出しは、マルクスの手稿にはなく、エリナがつけたものである。なお、表題の「賃金」という語は、正しくは「労賃」とすべきであるが、慣用にしたがうことにした。
☆ 二 本書の構成
本書は、マルクス主義経済学のもっとも重要な著作である。ここでは二年後に公刊された『資本論』の内容が圧縮された平易なかたちで述べられている。それと同時に、本書はマルクスの革命的理論の展開を、一で述べたような労働運動の実践的課題の決定に適用したすぐれた例であることをみおとしてはならない。
本書は、一から四までの主としてウェストンとの論争・論駁にあてられた部分と、五から一四までのマルクスの理論の展開にあてられた部分とに分かれている。
ウェストンの議論は、マルクスが五で言っているように「賃金が商品の価格を決定する」ということである。これはいまも資本家ならびにブルジョア経済学者がくりかえす「賃金が上がれば物価が上がる。だから賃上げは有害だ」という主張にほかならない。ウェストンの報告は発見されていないし、その議論も支離滅裂であるから、これを論駁したはじめの部分は、多少わかりにくいが、マルクスは、まず、賃金が物価を決定するという説の第一の大前提をとりあげる。ウェストンは、第一に生産物は不変量、常数であるという。つぎに生産物が不変量だから、労働者がもらう実質賃金はこれまた不変だ、賃上げしてももらい分の中味は同じだという。このばあいに賃上げをすれば、生活資料への需要がふえてその物価が暴騰し、労働者のもらい分はもとのままでしかなくなる。また一方では賃金騰貴分を支払う通貨量は手にいれようがないし、そのため資本が不足しさえする。賃上げ→生活資料への需要増加→物価上昇という過程は、賃金が物価を決定するという論に帰着する。賃金のほかに利潤、地代も加算されて物価が形成されるといったところで、それは賃金への付加物にすぎないから、論理のすじみちに変わりはない。賃金が上がると価格は上がる。ところが、需要増で価格は上がっているし、賃金は買い入れる商品の価格ではかられるのだから賃上げは役にはたたない。賃金つまり労働の価値は、価格つまり商品の価値を決める。ところが価格つまり商品の価値は、賃金つまり労働の価値を決める。以上がウェストンの堂々めぐりの論法である。
生産物の額は不変であり、実質賃金の額は不変だという説は、賃金基本説とよばれるもので、ラサ−ルの賃金鉄則もその一変種でしかない。それは総資本のうち、賃金に支払う資本部分が不変だとする考えかたで、その根底には、高賃金は労働人口の増大をきたし、労働人口の供給が需要を上回って賃金を引き下げるというマルサス人口論が横たわっている。マルクスは、ウェストンの賃上げ否認論の根本前提である基本説的考えをまずとりあげて、生産物も賃金も可変であると説く。ついでマルクスは、ウェストンのどんぶり鉢論に言及しながら、賃上げによる生活資料への需要増は、利潤率の低下をもたらすこと、需要増は価格の一時的変動を生じても供給増でもとの価格に下がることなどを説く。マルクスはさらに通貨量不足説は根拠がないこと、ウェストンが価格上昇の論拠にしている需要供給は、価格の一時的変動を規制するものでしかないこと、賃金が価格を決めるという考えが、じつは価格が賃金を決めるという循環論法にたっていることを追及する。
以上は、ウェストンの考えを抜きだしてみたものであるが、つぎに五以下のマルクスの根本理論の展開を読むにあたっての二、三注意すべき点を述べよう。
第一に、マルクスの理論の根本認識、すなわち労働者はその労働ではなく労働力を売っているという点である。剰余価値は労働者の剰余労働にほかならず、剰余労働は資本家のための不払労働である。労働者に払われる賃金は、労働者が生活の再生産に必要な必要労働への支払でしかないのに、この労働力の代価は、労働全体の価格であるようにみえる。
第二に、利潤は、剰余価値の転化形態であり、この搾取関係をおおいかくすものである。剰余価値と賃金部分との比は剰余価値率といい、搾取関係を正確に示すが、剰余価値と総資本との比は利潤率といわれ、その関係をおおいかくす。マルクスは本書では、一般にわかりやすくするために、この両者を利潤率と称している点に注意すべきである。
剰余価値の右の隠蔽こそ、賃上げがただちに物価上昇をひきおこすという見解、労働者は生産者として手に入れるものを消費者として失うという見解のもとをなす。マルクスはこの説を論破した。労働と資本との闘争は支払労働と不払労働をめぐっておこなわれる。賃上げは利潤の低下をもたらすだけだということが価値論の立場から展開される。
労働者の自己の状態の改善のための闘争、労働組合の闘争は、資本の攻勢のまえには、重要な役割を演じるし、他方、産業循環をつうじて窮乏化の道をたどる労働者は、経済闘争だけでなく、賃金制度の廃止という政治闘争とこれを結びつけなければ、絶対に生活を保障されない。 マルクスの講演がなされてから一〇〇年をへたこんにちもなお、この講演の現代的意義は、すこしも滅びてはいない。アメリカ帝国主義と日本の独占資本の収奪は、ますます激しさをくわえており、ウェストンまがいの賃上げ否定論はあいかわらずむしかえされている。
本訳書には、学習の便宜のためできるだけ注をほどこしたが、読者は、なお『賃労働と資本』をはじめ、本文庫版『労働組合論』(とくに「労働組合、その過去、現在、未来」)、エンゲルス『資本論綱要』を読まれるようおすすめする。とくに『資本論』は本書の理解のためにも常時ひもとくべきであろう。
なお、学習にあたっては、著作全体の構成、つまり著作の思想の展開をつかむことが、とくにたいせつである。章や節の見出しは往々にしてみのがされがちであるが、章から章へ、節から節へ、段落からつぎの段落へ、著作はたえず全体的視点において論理を展開しているのであるから、章や区切りの意味、そして最後に全体的な概括をもって著者の真意をつかむことがたいせつであろう。
一九六五年五月
訳 者
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