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なお、このテキストはTAMO2さんのご厚意により「国際共産趣味ネット」所蔵のデジタルテキストをHTML化したものであり、日本におけるその権利は大月書店にあります。現在、マルクス主義をはじめとする経済学の古典の文章は愛媛大学赤間道夫氏が主宰するDVP(Digital Volunteer Project)というボランティアによって精力的に電子化されており、TAMO2さんも当ボランティアのメンバーです。
http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/DVProject/DVProjectJ.html
http://www5.big.or.jp/~jinmink/TAMO2/DT/index.html


☆  一〇 利潤は商品をその価値どおりに売ることによって得られる

 一時間の平均労働が六ペンスにひとしい価値に体現される、つまり一二時間の平均労働が六シリング〔一シリングは一二ペンス〕に体現されるものとしよう。さらに、労働の価値〔一日の〕のほうは三シリングつまり六時間の労働の産物であるとしよう。つぎに、もしある商品〔の生産〕に費やされた原料や機械その他に二四平均労働時間が体現されているとすれば、その価値は一二シリングになるであろう。さらにまた、資本家に雇われた労働者が、それらの生産手段に一二時間分の労働をつけくわえるとすれば、この一二時間は六シリングの追加価値に体現されることになる。したがってその生産物の価値総計は、三六時間の体現された労働となり、一八シリングにひとしくなる。だが労働の価値、つまり労働者に支払われる賃金はわずか三シリングにすぎないから、労働者の働いた、その商品の価値に体現された六時間の剰余労働には、資本家はなんの対価も支払わなかったことになる。したがって資本家は、この商品をその価値どおりに一八シリングで売ることによって、自分がなんの対価も払わなかった三シリングの価値を儲けることになるであろう。この三シリングが、彼がふところにいれる剰余価値または利潤をなすことになる。その結果、資本家は、彼の商品をその価値を超過する価格で売るのではなく、その真実の価値で売ることによって、三シリングの利潤をあげる。
 ある商品の価値は、それにふくまれている労働の総量によって決定される。だがその労働量の一部は、賃金というかたちで対価が支払われた価値に体現されており、他の一部は、なんの対価も支払われなかった価値に体現されている。商品にふくまれている労働の一部は支払労働であり、一部は不払労働だ。したがって資本家は、商品をその価値どおりに、すなわち商品に費やされた総労働量の結晶物として売ることによって、必然的に、利潤を得てこれを売ることになる。彼は、自分が対価を費やしたものを売るだけでなく、自分がなんの対価も費やさなかったもの「「それには彼の労働者の労働が費やされたにもかかわらず「「をも売るのである。資本家にとっての商品の費用と、商品の真実の費用とは、別物なのである。したがって、くりかえして言うが、正常かつ平均の利潤は、商品をその真実価値以上にではなく、その真実価値どおりに売ることによって得られるのだ。


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