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日本経済の危機と転換
    ――「安定成長」路線は第二のドッヂプラン――

 改良主義党派や経済学者が、純粋な経済政策としてのみ論じ、又そうであるが故にその本質を見失っている「安定成長」路線とは、激烈な階級闘争を通じてしか実現されえない事を鋭く暴き出した論文である。
 一九七五年一〇月、「第四インターナショナル誌、第一八号に掲載された。

A 古典的恐慌の落ちこみに匹敵する戦後最大の不況

 世界経済が戦後最大の全般的景気後退とスタグフレーションへ突入していくなかで、日本経済もまた戦後最大の不況に襲われた。七四年一〜三月から不況に突入した日本経済は、実質GNPマイナス〇・六%と戦後はじめてマイナスを記録した。景気の山から谷への鉱工業生産の落ちこみがこれまで一番大きかったのは、一九五七〜八年不況のマイナス九・四%であった。これにくらべて今回、七三年十一月のピークから七五年二月の底入までマイナス二〇%。全産業の常用雇用も、従来の不況では一%台の減少にとどまったのに、今回は約四%の減少であった。それとともに不況に突入してから底入れまで十五カ月以上というかつてない長時間にわたる点でも、戦後最大規模の不況であった。
 これは明らかに、一九五〇年代の後半にはじまる高度成長期の終焉を確証するものであった。つまり、これまでの高度成長を与えてきた国際的・国内的諸条件の崩壊が今次不況に従来とは異った特徴を与えたと同時に、不況をより一層深刻なものにしたということができる。
 国際的諸条件の崩壊について項目的に指摘するだけでも、次のものをあげることができる。すなわち、@IMF体制の崩城と円切上げ――変動相場制への移行という形で推移した国際通貨体制の崩壊。A世界的な全般的景気後退による世界市場の縮小・停滞、とくにアメリカ市場の縮小。Bこのような世界市場の縮小傾向のなかでの東南アジア諸国の工業製品との競合品目の増加。Cその低廉な価格が、重化学工業化を基礎にした高度成長を保障してきた石油、鉱物資源の価格の高騰。国内的諸条件の崩壊に関していえば、まず、@家電・乗用車を中心とする耐久消費財の需要の一巡。すなわち国内市場の狭隘化。A高度成長の過程がもたらした労働力需給のひっ迫と賃金コストの増大の趨勢、さらに公害・立地難。そして、B都市の過密と社会資本の極端な立ち遅れが生み出す能率低下とコスト増(公共輸送機関のスピードダウンと流通費の高騰等)。
 これら諸条件の崩壊が累乗的に作用した今次不況は、まさしくその点で従来の不況とは全く異ったパターンを描いた。

B 今次(七四〜七五年)不況の経過

 まず、今次不況は従来のそれが在庫投資の減少からはじまったのにくらべて、最終需要とくに耐久消費財を中心とする個人消費、民間住宅投資の減退が発端となっている。
 従来は不況下で減少したのは、在庫投資と民間設備投資であり、個人消費を中心とする最終需要は増加をつづけ、景気を下支えしたのであった。ところが今回は逆に最終需要の減少からはじまり、これに対してむしろ在庫調整が遅れたのである。そのため七四年前半期はその期を通じた実質GNPの動きにくらべて、鉱工業生産は高めに推移したし、企業の手持在庫水準もまたそうであった。
 ところで今次不況において、個人消費の減退が最初にはじまったのは、大きく次の二つの理由による。一つは個人消費の中でこれまでその伸びを支えてきた。乗用車や家電製品を中心とする耐久消費財の需要の一巡である。もう一つは異常なインフレによってもたらされた実質所得の大巾な落ちこみである。
 こうして、個人消費支出の停滞がつづくなかで、在庫調整が本格的に始まるのは秋以降である。それまでは、74年初めから景気停滞局面に入ったにもかかわらずむしろインフレ期待から、約半年も在庫投資の増加がつづいたのである。たしかに繊維、家電、自動車等の耐久消費財部門では、すでに四月以降一〇―二〇%程度の減産が始まっていた。だが、鉄鋼、石油、化学、機械、紙、パルプ等に波及していくのは秋以降であった。このように、今次不況は二段階的な経過をたどることによって長期化し、深刻さを増した。鉱工業生産の大巾な低下にしても、とくに七四年秋以降の急激な落ちこみが影響している。七四年四月から八月まで生産指数は四・六%の低下であるのに、同年九月から七五年一月までの同じ五ヵ月間に、一二%の低下である。そして、七四年十〜十二月には、前期比六〇%減となっている。また有効求人倍率が大巾に低下し、失業が急速に増大していくのも九〜十月以降であった。
 かかる在庫調整の遅れによる不況の一層の深刻化は、明らかにこれに先行して、過剰生産の矛盾を隠ぺいしひきのばしてきたインフレの矛盾が、不況過程におよぼした累積作用にほかならない。そこで、この点をややくわしく検討してみなければならない。

C 今次(七四〜七五年)不況の特徴

 すなわち、今回の不況が、それに先行したインフレの矛盾と重なってより深刻化しただけでなく、従来の不況とは全く異ったパターンをとったことのうちに、高度成長経済の破産と転換期の構造が示されていたことを明らかにしなければならない。
 まず今回の不況が個人消費支出の大巾な減少にはじまり、インフレ期待によって若干ひきのばされたとはいえ、生産の低下がそれにつづき、しかもかつてなく大巾で長期およんだこと。そしてインフレブームが収束にむかい、ひとたび生産削減が拡がっていったとき、かつてない利潤率の低落をともなっていたことが明らかになったのである。実際、六三〜七五年の間の各不況期において、利潤率の底が常に前回の底を突き破って傾向的に低下してきたことがわかった。また、今回の不況における企業の減益は実に大巾であり、製造業のほとんどすべての主要業種におよんだのである。七四年上期に減益に転じた製造業は、全体として下期には四六・八%減という空前の落ちこみを記録した。その結果あとでみるように、長期にわたる民間設備投資の減退を招き、個人消費支出の伸び悩みと重なって景気回復を遅らせているのである。
 こうしてこの不況においては、一方における生産の大巾な低下や設備投資の減退と、他方における個人消費の低下と失業の増大が顕著にあらわれた。 #そしてまさにこの生産と消費の極端なギャップとしてあらわれていることのうちに、過剰生産の危機を根底とする深刻な不況の本質# をみることができるのである。しかもすでに指摘したように、過剰生産の危機に見舞われた資本主義経済が、七二〜七三年のインフレブームのなかで、利潤率の低落を価格騰貴によって吸収しつつその危機を隠ぺいし、先のばししたあとで、この不況局面における一層危機的な生産の低下をひきおこしたのであった。すなわちこの不況は悪性化したインフレーションを労働者・人民の犠牲において急速に収束しようとして生じたものにほかならないといえる。
 こうして、インフレも不況も、ともに経済の資本主義的形態から生ずる逃れようもない矛盾であり、そのどちらも危機に瀕した資本主義が労働者人民の犠牲のうえに生きのびようとすることから生じる攻撃にほかならないのである。そこでつぎにインフレブームにつづいた減産がどのように展開されていったかをみてみる必要がある。
 まず指摘されなければならないことは、 #資本は利潤率低下の圧力のもとで値崩れ防止のためにいちはやく減産を推しすすめた# という点である。この点で従来の不況期とはちがった動きを示したのである。外部からの資金の借り入れによって高投資をつづけてきた日本の企業は、経営の損益分岐点が高くなっているため、減産を強化すると生産単位当り「固定費」が増大して、コスト高になる構造をもっている。したがって従来の不況局面では、企業は全体として減産にむかうまえに「つくり過ぎ、押し込み販売」という形で対応してきたのである。
 ところが今回は異常なインフレのもとで、実質的な金利負担は低下し、また簿価による減価消却費コストも低下した。そのため「減産をしても生産量に比例して固定費の割合は増加しなかった。反面生産量に比例して動く原材料コストは価格の大巾な上昇のため、つくればつくるほど製品価格をあげないかぎり採算が悪化していく」ことになった。かくして #資本は収益の悪化を阻止するために大切な減産を強化する# という対応を行ったのである。これとともに、繊維・紙・などの市況産業に典型的にみられるように、インフレ下の投機的在庫投資が七四年初めの不況局面への移行に際して、必要以上の大巾減産を余儀なくさせていった点も見逃すことはできない。実際にたとえば「繊維・鉄鋼などをみても、減産を開始した時点で比較してみると、六五年不況時よりも相対的に在庫水準が低い、つまり需給がそれほど軟化していない段階から減産を開始している」(七五年『経済白書』)ことが指摘されている。これに対して、工業製品卸売物価指数の対前月増加率をみると「七四年中の工業製品卸売物価はほとんど低下していないし、大企業性製品はその増加率も高く維持されている。また生産集中度の高い鉄鋼圧延広中帯鋼を例にとってみると、七〇年を一〇〇とした卸売物価指数は、七四年七月に一二七・八となって七五年二月まで変っていない」という。
  #明らかに寡占体制の進展を背景にして価格の低落を阻止(または価格維持)する観点から、製造業における減産がすすめられた# ことを物語っている。
 このようにして資本は、この不況局面において、インフレ期の矛盾をそのままテコにして労働者人民に対する攻撃を強化する方向で対応したのである。
 まず、減産の拡がりはかってなく広汎で多様な形の「雇用調整」をともなったのであった。その結果、七四年下期は七三年上期のピークから約二五%の減産という事態のなかで、各業種とも金融コストは上昇したにもかかわらず、人件費コストは総人件費に占めるコスト軽減額が一〇%にも達するほど逆に減少したのであった。そしてこの「雇用調整」は、当初は「残業規制」にはじまり、季節工などの「中途採用の削減・停止」、「臨時工の再契約停止・解雇」という形ですすみ、つぎに本工部分の「配置転換・出向」というふうに拡がり、七四年末〜七五年初めにかけて、本工の「レイオフ」、「希望退職の募集・解雇」にまで拡大していった。この雇用調整のあり方は、日本資本主義の強蓄積を支えてきた重層的雇用構造(本工―準社員―臨時工―パートといった差別的重層構造)の特殊性によって規定されていることがわかる。
 ところでこの不況のもう一つの特徴について指摘しておかなければならない。それは景気調整のための政策波及効果のちがいである。これまでは一般に景気調整過程では、金融政策が軸であり金聡引締めによる資金調達難が企業の投資活動にブレーキをかけ、それが相互に波及しつつ資本ストックの調整がすすむという形をとってきた。インフレを収束させるためにとられた今回の「総需要抑制策」においても、財政支出の大巾な削減とともに金融政策が重要な柱として位置づけられていた。ところが今次不況における最も重要な特徴として指摘されているのは、金融引締め効果の浸透の遅れである。
 すなわち、繰り返し指摘されているように、「総需要抑制策」はすでに七三年二月から預金準備率の引き上げ、四月から年末へかけて公定歩合が五回にもわたって引き上げられるという形で強力に展開されたのである。公定歩合がかくも矢継ぎ早に、累計四・七五%もひき上げられたというのは全く希有の事例である。従来の不況局面ではせいぜい一%程度の引き締めであった。それにもかかわらず、今回のそれは浸透するまでにほぼ二年もかかったのである。
 『経済白書』はこの引き締め浸透の遅れについて、@(ドルショックと円切上げ以来の)「過剰流動性」の解消に時間がかかった。Aインフレが引き締めの影響を打ち消した。B企業のインフレ利得による自己金融力の増大、等をあげている。
  #だが問題なのは、こうした一時的要因の基礎にある国際的・国内的経済成長パターンの全体としての変化であり、とくにこうした諸条件の変化とならんだ企業の金融構造―資本蓄積構造の変化に対して、従来の金融政策がその有効性を低下させてしまった# ということである。この点については『高度成長の破産と転換期の構造』のところで検討しよう。

D 景気回復過程の特徴

 七四年一〜三月期から始まった不況過程は一年後の一〜三月期にほぼ底入れしたとみられている。たしかに、それまで増勢をつづけてきた鉱工業製品在庫が一月から減少しはじめ、出荷は二月から、生産も三月から上向きはじめた。だが個人消費支出は相変らず増勢が鈍く、民間設備投資も停滞して、底入れ後の景気回復過程はきわめて重い足どりで推移した。
 この回復過程での特徴は、民間設備投資の著しい停滞である。その要因は、個人消費や輸出等の最終需要の伸び悩みと高水準の在庫にあることもたしかであるが、むしろそれ以上に利潤率の大巾低落による投資誘因の冷えこみにあるというべきであろう。「産業界全体でみて、上場会社の三分の一が九月の中間決算で赤字を免れない」といわれている。
 こうして、「名目成長と実質成長のギャップ」、あるいは「マクロの回復とミクロの不況」という指摘がなされている。たしかに、実質成長率はあるていど急速なスピードで回復してきている。たとえば鉱工業生産は四〜六月期は、一〜三月期にくらべて四%も増え、出荷も四・六%増えている。これらは年率になおすと一七%、二〇%と、これまでの不況局面からの脱出期とくらべてもむしろ高いくらいの数値を示している。
 ところがこの数量的拡大に比して、名目成長率でみた伸びは逆に鈍化してきている。名目成長率の伸びが鈍ってくると、当然企業経営の業績は悪化するし、また財政収入も大巾な減少をもたらす。こうして今回の景気回復過程においては、 #企業経営の業績不振からくる景気停滞の長期化# が非常に大きな特徴としてあらわれている。そしてそれだけ「財界」の不況感は深刻であった。だがまさに、この景気回復過程にあらわれた特徴のうちに、日本経済の転換期の構造、すなわち高度経済成長の破産、戦後ブームの確実な終焉が色濃く刻印されている。だがそれだけにまた、ブルジョアジーの危機感は一層深刻なのである。
 つまり、個人消費の大巾な落ちこみ、企業収益の悪化と民間設備投資の不振、そして、経済の「民間設備投資主尊型から財政主尊型への転換」局面での、国家・地方財政の危機、等々。こうしたことの背景にあるのは、物価流通メカニズムから金融構造・賃金・雇用構造まで含めた、高度成長期の蓄積構造そのものの全面的な再編成が問題になっているということてある。政府ブルジョアジーのいう「安定成長」への移行とはこのこと以外のなにものでもない。
 ブルジョアジーは今年の初め以来政府と政策当局に対して大胆な不況対策を要求しつづけ、政策当局と対立してきた。政府は一貫して「物価対策」と「インフレ収束」の観点から、「不況対策」については後手にまわらざるをえなかった。
 だが今年の初めからつづいたこの政府と財界との「不況対策」をめぐる見解の対立は、けっして不況局面についての判断のちかいや不況対策の規模をめぐる対立にあったのではない。また、たんに三木―福田の経済政策の失敗ということでもなく、その背景には深刻な政治的問題が横たわっていたのである。
 三木政府はもともと、田中のインフレと金権政治に対する労働者人民の不満の爆発のなかで、自民党=ブルジョアジーの危機を救うために、「野党的」な仮面をかぶって登場したのだった。三木の役割は「自民党反主流」=中道路線のまやかしのもとで、労働者人民の要求に譲歩するポーズをとりつつ、労働者人民の不満を抑えるところにあった。
 したがって、マル生粉砕闘争から七四春闘まで昇りつめた労働者階級の戦闘性に対する恐れから、三木の不況対策は「七五春闘対策」に従属させられなければならなかったのである。そして七六春闘の動向に対する配慮は、物価問題に神経をとがらせることを余儀なくさせてきた。
  #三木が不況に対して積極的景気回復策をとれなかったのは、こうした政治的対応とブルジョア政治支配の危機からきていたのである# 。
 これに対してブルジョアジーは、世界市場のなかでシェアを保持し拡大していくために輸出競争力を強化しなければならないし、「安定成長」への移行を急がねばならない。そのためにはまずなによりも、経済活動を早いとこ回復させなければならない。ここから「財界」は、労働者人民に対する攻撃的姿勢を露骨にしながら、大胆な景気浮揚策を要求しつづけてきたのである。
 ブルジョアジーはその観点から、七四年末の首切り攻撃〜七五年春闘での一五%ガイドラインへの賃金要求の釘づけ、金属・電機等中小企業の労働者の戦闘性の解体と御用組合づくり、自治体労働者への攻撃を強行してきた。
 ブルジョアジーの側からこのようにして推しすすめられている「安定成長」への移行は、明らかに強権的な国家的統制と労働者人民にたいする徹底した搾取と収奪、抑圧体制の強化を企図してすすめられている。
  #だがこの「安定成長」への移行は、けっして純経済的なメカニズムのみをとおして貫徹されることはありえない。それは激烈な階級闘争を媒介にして決着をつけられなければならないのである# 。

E 高度成長の破産と転換期の構造

 今回の不況が、それに先行したインフレの矛盾と重なってより深刻化しただけでなく、従来の不況とは全く異ったパターンをとったことのうちに、高度成長の破産と転換期の構造が示されていた。
 まず第一に、すでに指摘したように七三年初頭からのかつてない強力な金融引き締めが浸透するのに二年近くもかかったということは、すでに変化した企業の金融構造に対して、従来の金融政策がマッチしなくなったということである。
 そもそも日本資本主義の高度成長を支えてきた金融構造は、間接金融方式と低金利政策であった。(本誌「新たな段階にきた日本帝国主義のアジア侵略」参照)ところがこの二つは本来まったく矛盾するのである。低金利を保証するためには、企業の白己金融力によって、銀行の過剰流動性が保たれている状況がなければならない。ところが日本の大企業は自己資本比率が極端に低いなかで高投資をつづけるために間接金融方式にたよってきたのであり、ほとんどの企業が都市銀行から肥大な借金(オーバーボローウイング)をして高投資をつつけてきたのである。そのため日本の都市銀行は慢性的な過少流動性の状態におかれつつけて、本来なら当然高金利状態がつくり出されるはずである。しかるに、都市銀行は日銀からのオーバーローンによって、かろうじてバランスをとりつつ、低金利政策を維持してきたのである。これこそが日本資本主義の強蓄積を保証してきたし、国家の産業政策も全体としてこの金融メカニズムを支えてきた。
 また他方では、この間接金融方式と低金利政策のもとで、これまでは公定歩合の引上げと窓口規制をとおして、きわめて敏感に企業の投資活動をチェックすることができたし、政府の従来の景気政策は、つねにこの金融政策の展開をとおして自由に操作しえたのであった。ところが今回は、従来の金融政策による景気調整作用がほとんど効果を発揮しなかったのである。
 この点については『経済白書』も次のように指摘する。日本の金融政策がこれまで高い有効性を示しえた理由は「企業の金融資産構成の中心が現預金であり、また大巾な投資超過傾向が持続していたため……通貨供給が抑えらると企業は実物投資の抑制をつうじて資産構成のバランスを回復」しなければならなかった。しかし六○年代後半以降「企業の資産保育パターンが変化し、実物投資と現預金の間に、緩衝帯として介在する有価証券等の金融資産の比重が増大し……通貨供給の抑制が実物投資の抑制に結びつくまでにタイム・ラグが拡大」するようになったと。こうして、企業の全体としての自こ金融力の増大を指摘している。
  #だがまさにこうした変化の背景にあるのが企業相互間の株式持合いをとおして形成された寡占体制の確立にほかならない# のである。そうしてこの寡占体制の確立は、産業構造の知識集約化に対応して進展してきたのである。
 この知識集約型・省資源型産業構造への転換は、すでに七〇ー七五年にかけて、従来の高度成長を主導した重化学工業化そのものの過程で準備されてきたし、一定程度進んでいた。すなわち、いわゆる重化学工業化を軸とした高度成長の過程で、この高度成長の過程で、この重化学工業化の内容自体が、鉄鋼・石油・石油化学を中心とする基礎資源型産業から、あいかわらずそれらを基盤としつつも、輸送用機械、一般機械、電気機械等を中心とする方向へ移りつつあった。
 この点は品目別輸出構成にはっきりと反映している。輸出品目構成比で、繊維・雑製品が低下しているだけでなく、鉄鋼化学製品の割合も次第に低下しているのに対して、一般機械、電気機器、輸送機器の上昇が著しい。また鉄鋼においても、輸出品目のなかで傾向的に高級品目の比重が高まっている。
 明らかに、七〇〜七五年にかけて、それ以前の軽工業品から重化学工業品へという段階から、より加工度の高い、技術集約的なものへと変化がすすんできたのである。
 こうした点はさらに、製造業における労働力構成にも反映されている。七〇年以降、生産労働者は漸減しているのに、「管理・事務・技術労働者」は逆に増えていっている。
  #そしてこのような産業構造の転換の方向に対応して寡占化の傾向がより急速に進展# したのであった。すなわち、住宅産業や流通産業などそれ自体としては、従来中小企業によってになわれてきた分野に、大企業が進出し産業としての性格が一変させられつつある。 またこれらを中心にすえて、情報産業、システム交通、都市開発産業等々がクローズアップされてきた。
 ところでこれらはいずれも技術面あるいは市場面での産業連関の範囲や広く、システム産業としての性格を強くもっている。したがってそこへの進出自体が、企業集団としての資本グループの結束を強化する作用をもつ。実際、すでに六八〜六九年頃から、このような産業構造の転換に対応した新たな企業集団づくりがすすんでいた。情報産業、住宅産業、都市開発、流通産業等々に、三井、三菱、住友を先頭とする大企業集団が続々進出し、金融系列の枠をも越える株式持合いをとおして新たな企業集町をつくり出してきていた。
  #しかもこのような寡占体制の上で、たとえば鉄鋼業と自動車・造船との間の価格協定のような、明白に寡占的価格決定のメカニズムが定着し# 、産業構造の転換にともなうシステム化、流通合理化とともに、物価・流通メカニズムそのものの転換が迫られているのである。
 金融構造の変化という点で、第二に指摘されなければならないのは、IMF体制の崩壊と変動相場制への移行のもとで、 #これまでの日銀―市中銀行―企業という間接金融方式のルートに代って、政府資金が市中銀行や企業に直接流入するという新たな資金調達メカニズムが開かれた# という点である。ドルショック時の外代特別会計の支払い超過はまさにこれであったし、それこそか企業の過剰流動性をつくり出したのであった。
  #さらにまた今日の国家財政の危機のなかで大軍に発行される国債と、日銀によるその元オへ、買オペが新たな金融メカニズムのなかで屯要な位濱を告めるようになってくる# 。こうして構造転換にともなう #システム産業の投資拡大にあたっては、直接・間接に財政投資によるバックアップがますます重要になってくる# のである。「安定成長」への移行局面にあたって、日本経済の「民間設備投資主導理から財政主導型への転換」といわれる中味は、このようなものである。
 実際、今次不況からの脱出過程で財政投資の果している役割の大きさからしても、この点は明白であろう。
 以上みてきたように、高度成長の過程で準備されてきた産業構造の転換そのものが、従来の金融構造や、物価・流通システムと衝突しつつ、新たな資金調達メカニズムと価格決定の寡占的メカニズムをつくり出してきていることを見逃してはならない。その特徴は、より一層巨大化した寡占支配を基礎にした、国家的に管理・統制された経済体制にほかならない。国家と大資本の一体化はますます露骨に進行せざるをえない。

F 「安定成長」への移行にともなうジレンマ

 この点で、田中の「列島改造計画」=高度成長路線で、これの転換である「安定成長」への移行=福祉経済への転換という、社、共民同のとらえ方は全く間違っている。田中の「列島改造計画」は、従来の高度成長路線の単純な延長上に描かれたプランであったわけではない。その内容は知識集約型・省資源型産業構造への転換を企図するプランであり、工場再配置を含む、内陸型・都市型産業への転換にむけた工業化プランにほかならなかったのである。そうした転換にそって、都市周辺部の安い労働力と工業用地を確保し、それを効率的に活用するための、全国高速ネットワーク(本四国架橋、新幹線網、高速道路網)の建設を準備していたのである。
 要するに、六〇年代の重化学工業化を基礎にした高度成長の過程でつくりあげられてきた日本経済は、このような転機の方向しかありえなかったのである。今臨時国会に提出された「第四次不況対策」の中味が、結局田中の「列島改造計画」と同じものになっているのをみても、この点は明白である。
 すなわち、高度成長の枠組みのなかでつくりあげられた日本資本主義の生産力は、高度成長構造そのものの枠と衝突し、国内市場との関係で全く過飽和な状態に達したのである。したがってブルジョアジーは、高度成長下の利潤獲得、資本蓄積構造を国境の枠を越えた規模で再編成しなければならない。これが、「安定成長」への移行と「知識集約型産業構造」への転換の、本当の内容なのである。したがってこの産業構造の転換は、たんに知識集約産業への高度化を意味するだけでなく、1金融・財政構造から、物価・流通メカニズム、賃金・雇用構造まで含めた全面的な構造転換なのであり、再編成なのである。 #それも徹底的に大衆収奪的な構造をもって成立する日本帝国主義の、より一層強化された収奪構造への転換にほかならないし、その構造の国境を越えた拡大=帝国主義的海外進出# 以外のなにものでもない。田中の「列島改造計画」は、一面ではそのような方向性をもったブルジョアジiの転換のプランでもあったのだ。
 だがしかし、国際的な規模で一元化された計画経済のもとに置く以外に処理しようのない国境の壁をあふれ出る巨大な生産力の上に、六〇年代と同じ構造と高利潤を保障しつつ転換をはかろうとする田中の「列島改造計画」は、資本主義自身の矛盾によって粉砕されたのである。七二〜七三年の異常なインフレと、七四〜七五年の深刻な不況として表現された経済的・社会的危機はまさにそのことを明らかにしたのである。
 言いかえると、この日本経済の安定成長への転換、すなわち、物価・流通メカニズムから賃金雇用構造まで含む #全面的な再編成は、たんに純経済的なメカニズムをとおして貫徹されることはありえないということ# 。それは #激烈な階級闘争をとおして決着をつけなければならない# ということ。このことを明らかにしたのである。
 したがって、 #労働者階級にとっては今日の経済危機からの脱出の道は、社会主義的計画経済の道しかないと# いうことである。とくに、資源・労働力その他の諸条件からして、アジア的規模の合同計画経済のみが、これを実現できる唯一の道なのである。そのためにはいうまでもなく、資本を全面的に収奪し、資本主義的私的所有を根底から打ち倒すしかないのである。
 かくして、資本にとっての産業構造転換の要請は、同時に高度成長の過程で蓄積されてきた資本主義的矛盾の表現でもあったということが明白である。つまり、すでにくり返し指摘してきたように、高度成長を支えてきた金融・財政構造、物価と流通のメカニズム、貸金・雇用構造といったすべてが、高度成長の過程でつくり出され、高度化された生産力ともはや相入れなくなり、衝突しているところから、今日の危機が生み出されてきているのである。
 高度成長の過程をとおして都市に集積された腰大な労働者階級の存在。趨勢的な労働力不足が構造的に定着するなかで一定程度上昇しつづけてきた賃金水準。これまで日本資本主義の高度成長を支えてきた「終身雇用制」を軸とする雇用構造。プチブルジョアジーを含めて、高度成長の過程があおりつづけてきた消費水準と福祉の要求。社会資本投資下の極度の立ち遅れ等々。すべてが、今日、日本ブルジョアジーにとっての重大なボトルネックになってきている。
  #今日の国家・地方自治体における財政危機は、高度成長の破産によって日本資本主義がもはや全く許容しえなくなった、これらの諸問題を最も端的に表現している# のである。

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