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倒産の危機を迎えた「日本株式会社」
    ――高進するインフレのメカニズム――

 七三年、突然の「石油危機」が、日本社会情勢をパニックにたたき込んだ。しかしそれは、日本資本主義の高度成長のカラクリと矛盾の帰結に他ならない。
 本論文は、日本資本主義の驚くべき脆弱性と信じ難い程の大衆収奪構造に支えられている事実をあますところなく、革命的マルクス主義の立場から明らかにするものである。
 一九七四年一月、「第四インターナナショナル」誌、第一一号に掲載された。

第一章 高進するインフレと暴利むさぼる大資本

1 日本の社会経済情勢は、いま明らかにひとつのパニックにおちいっている。ひきつづく異常な物価騰貴、過剰の中の「わけのわからぬ」物不足。本当に終戦直後を思わせるような日用品の買占めと隠匿、買物の行列、配給=統制経済とヤミ市再現への不安、そして今回の、いわゆる「石油危機」による突然の暗く寒い冬への恐怖、政治のマヒ。
 このようななかで、日本列島のすべての労働者人民の生活は、全く嵐の中の木の葉のように翻弄されている。
 実際に暴動や「一揆」がおこっても、ちっとも不思議でない事態が現に進行している。「一体世の中どうなっているのか?」、「これからさきどうなるのか?」そういう不満と不安が、すべての労働者人民をとらえている。
 今日のインフレ――異常な物価騰貴は、もちろんただたんに「物価」それだけの問題ではない。それは明らかに資本主義体制そのものの総体としての破産の表現であり、それをマクロ的に示すひとつの指標にすぎない。ちょうど瀕死の重病人の体温が、異常な高熱を示すのと全く同じである。
 実に、今日の物価騰貴の、その加速のテンポは全く異常である。われわれの生活を現実に脅かしている物価高を、つねに数段低くしか示さない政府統計をもってしても、一九五〇〜五四年の、年率一・七%の上昇であった消費者物価指数が、五九〜七一年に平均年率五・七%台に飛躍的に上昇した。消費者物価指数が年率五%というのは、かなりのインフレだといわれている。そして実際、五%台で推移した六〇年代は、われわれにとっては、明らかにインフレ的物価騰貴の時代であった。
 ところが今日のそれは、なんと一五〜二〇%に達しているのである。(牛肉、野菜、さらし木綿など六十四品目は二〇%以上!)これがどんなにすさまじいものであるかは、早くから「所得政策」や物価凍結をつづけてきたアメリカや西ヨーロッパ諸国が、四〜七%台にあるのと比べても非常にはっきりしている。

2 ところがこのインフレのなかで、いやまさにこの異常な物価騰貴を喰って、大手企業や商社はぼう大な利益をあげているのである。
 今年の三月期決算で、鉄鋼の経常利益が、四七年九月期の三・四倍、繊維のそれが二・三倍、紙パルプがほぼ二倍(日経、五・十三日)をはじめ、笑いのとまらぬもうけを手にしているのは、鉄鋼、化学、セメント、合繊等、すべて市況産業で、製品価格の上昇によるもうけが六〇%といわれている。
 さらに、その投機と買い占めが国会でまでとりあげられた商社は、三月期の業務利益が四七年九月期に比べ六〇・四%増の九百九十四億円。(丸紅や伊藤忠は二倍以上!)「六大商社の三月期売上高は、十一兆六千六百三十億円……昨年九月期の九兆八千七百九十九億円と合せて、年度間で二十一兆五千四百三十億(四八年度国家予算の一・五倍)となり、四十七年度の推定GNPの二〇%に相当する」(日経、五月一〇日)という。
 そしてこれら大資本のぼろもうけは、その後のひきつづくインフレのなかで、さらに脹れあがった。新日本製鉄、日本鋼管、住友金属工業、神戸製鋼の鉄鋼大手四社の、九月期の経常利益合計は千四百八十億円と、前三月期(それは、神武・岩戸景気を上回る戦後最高のもうけを記録した)を五八%も上回った。
 なかでも新日本製鉄の経常利益は七百八十億円で、他の三社合計を上回っており、税引利益となると、前期のほぼ二倍の二百三十億円に達している。ところが新日鉄の例で、「経常利益七八〇億円のうち、価格効果が二〇〇億円のウエートをしめている」(エコノミスト十一月十三日)という。
 そして、いうまでもなくこれらの大企業や商社は、決算の際に、過去だけでなく将来の為替差損を計上したり、特別償却、引当て金などを大巾に落して、利益中を最大限小さくなるようにしている。このようにしてなお、隠しきれない巨大な利益をあげてあるのだ。
 こうして、今九月期決算においても、鉄鋼をはじめ、化学、合成繊維、紙、パルプなどの市況産業のほとんどが、「物不足」によるフル操業(数量効果)に加えて、価格上昇効果による膨大な「インフレ利益」をはじき出したのである。さらに、そのもうけの六〇%以上が製品価格の上昇によってもたらされたという、メーカー出荷価格は、流通段階で増中され末端消費段階では、その価格はさらに数倍に脹れあがっているのである。そしてこの末端価格の途方もない上昇を保障する通貨は、日銀の信用膨張と水脹れした財政支出によっと充分に供給されてきたのである。

3 昨年の夏以来、日銀券の増発が、ひきつづき対前年比二〇%以上(日銀券発行高)、四八年三月以降は、二七%にも達している。年に三分の一も増発されているのだ。昭和四十年から四十七年間の高度成長の八年間の平均で約一六%というから、これは「戦後の混乱期」を除いて最高の水準である。
 しかもこの日銀券増発率に占める物価上昇の寄与率(割合)が五一%だという。つまり、企業経営の拡大や消費の伸びなど、実態経済の拡大に対応して通貨量も膨張する。だが、物価上昇の寄与率五一%、ということは、今日の日本経済がインフレによって二倍に水増しされているということである。
 この水脹れした通貨は、それだけ拡大された大衆収奪をとおして、大資本の懐に溜っていくメカニズムの中を流れていくのである。
 「最近、みなさん景気がいいのか一万円札ばかり」と雑貨商のおかみさんがもらす。もちろん景気がいいのではなく、われわれの日常的な感性がとても追いつかないような、ものすごいスピードでインフレが進行しているということにほかならない。
 実際、日銀券発行高に占める最高額面券(一万円札)の割合いが、今日、七六・八%にも達しているという。一万円札が発行された三十三年当時、それは一一%であった。これが六〇%に達すれば、普通、次の札がつくられるのが常識だという。いまや本当に、五万円札、十万円札が飛びかい、千円札が紙屑のように消えていっているのが実状なのである。実際、なんの誇張もなしに、わずかばかりのチリ紙とトイレット・ペーパーと交換に千円札が消えてゆき、その紙さえ商社の買占めによってなくなっているというのが現実である。
 このようななかで、秋以来の「石抽危機」(その本質についてはあとでふれる)が、さらに「物不足」をあおり、これまででさえすさまじいインフレに拍車をかけようとしている。すでに十一月初旬から、石油、石油化学、鉄鋼、アルミ、セメント、自動車、家庭電器などが、続々と値上げの動きを示している。とくにアルミなど、夏にトン当り二万円値上げしたばかりで、十二月出荷分からさらに二万五千円値上げし、さらに第三次値上げ一万五〜六千円が必至だという。そのうえ「重油や電力の供給削減が一段と強化されれば、第四次、第五次値上げにもなる」(朝日十一・十六日)という。トイレット・ペーパーの不足で騒がれている紙・バルブ業界でも、三〇%以上の減産は不可避という。これが一段と大巾な値上げにつながっていくことは、火をみるよりも明らかである。

4 このような状況の中で政府の対策はすべて大衆の不満をそらし、問題を隠ぺいするための「対策」と手厚い企業保護に終始している。
 今回の「物価統制」も、それが弱々しい力を発揮するまえに、すでに値上げ攻勢は一巡しているだろう。ザルのように目のあらい「投機防止法」も、企業や商社の投機が終ったあとに動き出したのであった。そもそもはじめから、政府の「対策」はただ一つの効果だけを狙っているにすぎない。それは、あたかもこのインフレが、これまでの政府の政策とは無関係な、純粋に「経済的な法則」の作用によるものであるかのような、みせかけの効果をつくり出すこと。そうして、自民党の政治になにほどかの「幻想」の余地をつくりだすこと。手をかえ品を変えたウソ八百のごまかしで、ただこの効果だけを狙っているのである。

表−1

<72年以降相ついて値上げされた公共料金>
72年 1月 統制地代家賃値上げ          (2.7〜8倍)
   2月 郵便料金         (ハガキ43%、封書33%)
      医療費              (平均13〜17%)
      タクシー           (六大都市平均36%)
   3月 電報料金
   4月 公立高校授業料     (約60の自治体で平均50%)
      (いまや進学率90%)
      私大            (1/3の大学で平均13%)
   6月 営団地下鉄              (32〜40%)
      市電・市バス             (35〜50%)
   8月 東京ガス       (平均23%一般家庭40〜50%)
   9月 電話料金            (3分ごとに7円)
   10月 国立大学授業料              (3倍)
      消費者米価                (7.5%)
      高速道路料金               (25%)
73年 1月 保険料・国鉄運賃値上げ申請
   9月 関西電力・四国電力の料金値上げ    (20%以上)
   10月 私鉄大手14社    〃       (平均26.9%
                通勤定期45.3%、通学定期30%)

 この異常な物価騰貴のなかで、四七年以来の公共料金の値上げがおそろしくひどいものであり、インフレそのものを主導する尖兵の役割りを果してきた「実績」をみれば、政府がはじめから、物価の上昇を抑える気など、みじんもなかったことが一目瞭然である。
 そしてさらに四九年度にかけて、国鉄運賃、消費者米価、電気、ガス等々の値上げがつづいている。政府は公共料金を値上げするたびに、「消費者物価指数に占める割合は一・二、三%程度で……」と云いわけする。いま、消費者物価指数採用四二八品目のうち、公共料金の値上げが占めるウエイトは
 国鉄運賃 一・五二%
 米    二   %
 電気   一・九二%
 通話料  一・五三%
 宿泊料  二・二四%
 たばこ  二・二四%等である。
 だがこんな指数は、われわれが現実にこうむる被害とは、およそかけはなれたものである。
 シアン〇〇PPM、水銀〇〇PPM、カドミウム〇〇PPM――すべて基準以下だと! ところが、海と魚と漁民はそのすべてによって汚染されている。公害に対する厚生省の「PPM」と全く同じごまかしが、政府の「物価対策」のうえでも、同じようにまかりとうろうとしている。
 そもそも政府の「物価対策」は、現在の物価上昇をたんに「物価」の問題として切り離し、その原因を需要超過に求める。「需要超過」?――これは便利な指標である。生産財需要も消費者需要も一諸くたにして、「需要超過」に原因を求め、労働者人民にむけて「消費の抑制」をあおる。このためには「減税」さえも、消費をあおるという理由でとりやめようという。
 このように、物価上昇の基本的な原因を、「需要超過」にみる以上、その処方箋が「総需要抑制策」にしかならないのは当然である。成長抑制策=インフレ対策、資源対策、公害対策で終わってしまうのである。これはまるで、高熱を出している重病人に対して、冷すことしか知らないヤブ医者同然である。そしてすべての野党もまた、その処方はこの城を出ていない。彼らがつけ加えるのはただ「福祉」への転換である。
5 すべての野党が、今日、一般的・超階級的な「福祉」が、高度成長の行き詰りを転換できるような幻想をふりまいているだけに、われわれは、過去十年の重化学工業化を基軸にした高度成長の過程が、「社会資本投資」や「住民福祉」を、どのように食いものにしてきたかをみておく必要がある。
 周知のように、六〇年代の重化学工業化の推進は、池田の「所得倍増計画」の論理として展開されたのであった。それはむしろ、「国民生活の向上」を意識的に計画の基礎に盛りこんだのである。だが資本の論理が貫徹するかぎり、それは、資本主義経済=重化学工業の育成によって、結果的にもたらされるものでしかなかった。そのプランは従って、「不平等で差別的なパイの配分を、パイの拡大によってつぐなう」という論理にほかならなかった。ところが実際の結果は、「不平等で差別的なパイの配分」の拡大再生産でしかなかったのである。このように、重化学工業優先=生産第一主義は、「住民福祉」をこそ食いものにしてきたのである。
 それは、大企業偏重の公共投資とならんで「格差是正」を謳い文句にして、地方住民の「自主的同意」をも織りこんだ、自治体の企業誘致競争によってすすめられたのである。事実、太平洋ベルト地帯における工業地造成は、地方自治体を工業化の下請機関としてきたのであった。
 ところが、いままた野党の喧騒にたすけられて、「福祉」 があらたな食いものにされようときている。
 「福祉」=「成長抑制」=インフレ対策、公害対策という空文句! つまり、誰が誰を犠牲にして、誰のための福祉を実現するのか、ということがぼかされるのだ。

第二章 高度成長を支えた「日本株式会社」のメカニズム
    ――国家と銀行、企業の癒着の構造――

   ##一、「民間主導型」成長の要の秘密##

 今日のインフレが、これまでの高度成長そのものの結果であり、その行き詰りと破産の表現でしかなく、そして、この高度経済成長を支えてきたメカニズムが、国家と大資本の強固な癒着による激しい大衆収奪のメカニズムにほかならなかったとすれば、いま叫ばれている「成長抑制」、「安定成長」は何をもたらすのだろうか。
 五〇年代後半から六〇年代いっぱいをとおして持続してきた日本経済の高度成長は、典型的な「民間設備投資主導型」によって特徴づけられるといわれている。あたかもそれが資本主義経済の健康な活力を示す一つの指標ででもあるかのように。そしてまた、戦前とは異った、民間主導の「自由な経済システム」の上に成長してきたかのような印象を与えようとしている。なるほど、相つぐ外資の導入と技術革新にもとづく民間設備投資が、事実として経済成長を主導したし、「投資が投資を呼ぶ」パターンのなかで、急速な成長をもたらした。
 しかしながら現実の過程はそれほど単純なものではなかった。むしろ、国家による財政、金融メカニズムが作用して、民間経済を刺激し、結果として「民間設備投資主導型」の経済成長を生み出してきたにすぎない。
 個別大企業の設備投資を、見事なまでに補完し一体化している財政支出。企業に対する過保護的な税制、金融構造。
 戦後、同じように国家独占資本主義として特徴づけられる主要資本主義国で、政府需要中に占める投資的支出の割合が、二〇〜三〇%と比較して、日本では五〇%前後を占めているという――このような財政の投資的支出が果した役割は極めて大きなものである。
 戦後の日本資本主義もまた、戦前のそれと全く同じように、国家による強力な保護と、財政支出に支えられた資本調達構造をとおして、かの高度成長を達成したのである。
 このような構造の上で、翌年度経済見通しによるGNPの増加率よりも高い財政規模の増加率が、民間企業の投資計画に刺激的に作用するのは当然である。かくして、常に見通しを上回る経済成長が実現し、結果として民間投資の伸びが財政の伸びをこえ、「民間設備投資主導型」成長をつくり出してきたにすぎない。
 昭和三五年度に正式に閣議決定されたいわゆる「所得倍増計画」で、十年後の昭和四五年度の経済規模を算出している。その際、国民総生産は、昭和三一〜三三年度平均、九兆七、四三七億円を基準にして(三五年度のGNP一四兆七、〇〇〇億)四五年度の目標を二六兆円と定めた。ところがなんと、わずか半分の五年後(三九年度・二五兆六、〇〇〇億)にほぼ達成してしまった。そして四五年度のGNPは、七○兆にも達している。
 この一例だけでも、政府見通しを上回る急激な経済成長の実態を知ることができる。
 このような急速な高度成長過程をつうじて政府による財政、金融を中心にした経済管理の全機構がフル回転したのである。われわれはこの点を、もう少しくわしくみてみよう。

   ##二、企業偏重の公共投資##

 主要な先進資本主義国の中で、戦後の日本ほど、国家の財政装置が民間経済の体質の中に深く組み込まれているところはない。
 それはまさしく、国家的規模で行なわれる大衆収奪によって、搾取のメカニズムが補完されている構造にほかならない。
 それを最も典型的に示すのが、大企業とくに重化学工業資本の蓄積と結びついた、財政支出における公共投資偏重の構造である。
 いうまでもなく、道路、とくに高速道路と鉄道新幹線、港湾、専用岸壁とパイプライン、工業用地、工業用水等々の社会資本の整備は、資本の再生産にとって不可欠の条件である。これらの諸施設がなければ、どんなに大きなプラントも稼動することはできない。したがって公共投資は、民間設備投資を補強するというよりも、民間資本の再生産構造の中に、その一部として組み込まれているといってよい。こうして、六〇年代をとおして積極的役割を果した膨大な額にのぼる公共投資は、強蓄積を行ってきた日本の巨大資本にたいして蓄積促進的に作用してきたのである。そして五〇年代後半以降の公共投資偏重が、戦前とくらべても、他の先進資本主義諸国とくらべても、いかに過大であり、かつ徹底して資本の立場から行われているかということを簡単に示しておこう。
 政府の総資本形成は、昭和三〇年度六、八三八億円から三五年度には、一兆二、五二九億円と倍増し、さらに四〇年度には三兆一、三八三億円、そして四四年度には約五兆四、六〇〇億円と、この十五年間に実に約八倍の伸びを示している。
 ところで、この政府資本形成が国民所得にしめる比率は、戦前(昭和九〜十二年)で三・五%が、昭和三〇年以降は一四%を上回っている。そして、国家予算に占める公共事業関係費は、昭和三〇年以降一七〜二〇%と最大のウエイトをしめてきた。
 さらにその内訳をみると、四八年度一般会計の公共事業関係費は、二兆八、四〇七億円であるが、そのうち道路整備費、港湾、空港等に一兆二、七三四億円。住宅が二、〇三四億、上下水道、公園など生活環境施設整備が二、二六一億円となっている。
 ここでも公共事業費総額のうち、産業基盤整備にふりむけられるのがなんと六五・五%で、生活関連施設は一六・七%にすぎない。
 大企業とくに重化学工業部門の資本は、この負担を免れることによってはじめて、かの驚異的な強蓄積をなしとげることができたのである。

   ##三、財政投融資の大衆収奪的性格##

 この財政支出による産業基盤整備を促進するうえで、もう一つ重要な役割をになっているのが「第二の予算」、財政投融資である。
 本来、公共サービス事業は全面的な財政負担によって経営されなければならない。ところが実際には、企業の資本蓄積を補完する産業基盤投資に偏していく度合が大きくなり、「財政負担軽減」を目的として――というより、一層巧妙な大衆収奪のための新たなメカニズムが作動し、脹れあがってきたのである。
 道路、鉄道、給水、工業地関発などすべての政府事業が、道路公団、首都高速公団、用水公団、水資源公団等の公社、公庫、公団の形で独立した企業形態へ発展させられる。そしてこのすべてが「独立採算方式」によって受益者負担の増大をもたらしている。こうした部門の増大に対応して、財政投融資の膨張が急速にすすんできた。この財政投融資は、その規模が一般会計の半分にも達する膨大な額でありながら、行政部の自由な運用にゆだねられている。
 ちなみに、この財政投融資は、「戦前、つめに火をとぼすような零細な貯蓄に依拠し、大蔵大臣のポケット・マネーのように支出され、政商の関係する不良会社や中国軍閥への政治借款として支出された《資金》が、姿を変えて膨張たもの」ということである。(注@)
 今日この資金は、日本輸出入銀行、日本開発銀行、電源開発株式会社、農林漁業金融公庫、中小企業金融公庫、住宅金融公庫等々によってその運用がになわれている。その金融市場に占める量的比重は、地方銀行全体が全国金融機関の資金合計に占めるのと同じ二〇%にも達している。そして「輸出入銀行の船舶、プラント向けの延払い輸出金利などは四%という世界最低」だという。こうして、政府は、財政計画による低利、長期の金融活動をとおして、高度成長のインフレ的な金融メカニズムを補強してきたのである。そしてまた預・貯金金利よりも低い、低利の融資が、企業の間接金融方式を一層拡大したのである。
 ところで、この源資は、まさしく「つめに火をとぼすような」庶民の零細な貯蓄に依拠してかき集められたものである。それは、租税だけでなく、郵便貯金、簡易保険、社会保険料収入および積立金による調達資金が使われているのである。いまこのようにしてかき集められた資金がこ十四兆円にも達するといわれている。
 「社会保障ダンピング」といわれるほど、おそろしく貧困な日本の社会保障、そして、老後の不安や不意の災害を最も大きな理由にした貯蓄率の高さ(先進工業国の中でも最高)を考えるならば、これが明らかに隠された大衆収奪以外のなにものでもないことが明らかである。

   ##四、税制における企業偏重と「戦時下」の大衆課税##

 もちろんこの財政投融資の部分だけが、資本偏重なのではない。一般会計の収入をまかなっている税制面における、さらに露骨な企業偏重の構造がある。それはさまざまな形の租税特別措置をとおして行われている。
 特定の企業・産業への傾斜をもった企業減税措置、輸出振興、基礎資源開発等の産業政策的目的のための減免税措置、特別加速償却制度をとおした極めて巧妙な減税措置、そして地方自治体による企業誘致のための減税措置と、あげればきりがないほどである。
 とくにこの特別加速償却制度は、たんに企業の税負担を軽減するだけでなく、企業を積極的に投資にかりたてる、制度的機構をつくりあげているといってよい。相つぐ技術革新と投資の拡大、過当競争の激化という条件のもとでは、企業は償却の速度を速めることによって機械設備を次々と更新し、省力化投資を推しすすめることによって、経済的に大きな利益をあげることができる。この特別加速償却制度は、税負担の軽減をテコにしてそれを促進するものである。大規模な借入れに依存しうる大資本は「特別加速償却の対象資産を新設すれば、事業拡大前に想定された税負担を、事業の拡大そのものによって、軽減できる」というしくみである。(注A)
 さらにまた、今日法人税の引上げをめぐって財界の抵抗が試みられている配当所得への軽課、利子所得の分離課税およびその減免税、有価証券キャピタル・ゲインの非課税――これらの租税措置は、ただ「資産所得」を優遇するというだけでなく、利子所得に対する優遇措置なども、まさに企業の外部資金依存の蓄積方式を税制面から補強しているのである。
 かくして、法人の粗利潤に占める租税支払額の比率は、「アメリカ三〇・二%、イギリス三三・四%、西ドイツ二一%」に比べて日本は驚くほど低い一四・三%という状況である。
 そしてこのような産業優先的な税制は、いうまでもなく、労働者人民の負担のうえに成立しているのである。そのために所得課税の大衆化が制度化され、租税負担の増大がはかられてきたのである。
 一般大衆の租税負担率は、戦前、昭和九〜十一年に、一二・九%であった。それが昭和十九年に、戦費調達を目的として、二四・一%に引きあげられた。そして、戦後は一貫してこの水準が維持されてきた。つまり戦後税制は、戦費調達を目的とした戦時税制の税水準を、そのまま踏襲してきたのである! しかも大企業の「自主申告制」や分離課税等による「脱税のメカニズム」にくらべて、源泉徴収制は、労働者階級に対する何たる強権的統制であることか! この『源泉徴収制』は、「昭和十五年の戦時大増税において、導入されたもの」である。戦時統制経済の名残りは、大衆収奪の側面においてはいまだにつづいているのである。(注B)

   ##五、企業と国家と自民党の見事な癒着##

 この見事なまでに企業のために大衆収奪を行う国家財政は、その編成の過程で官僚機構と自民党、財界との結びつきを一層強めていく。それは二つの点で非常に明確であり、また極めて深く制度化されている。
 そのひとつは予算編成過程そのものにある。つまり、実質的な予算は常に、前年度の予算編成という行政過程で事実上できあがり、それで終っているのである。大蔵省原案がほぼ政府の予算案となり、国会でほとんどそのまま通過してきた。そして予算の再編成は、各省庁の官僚機構によって行われる。すなわち、各省庁別に自民党の政務調査会の各部会が対応し、大企業の利害を代表する各派閥の政治力の作用を介在させつつ、この両者の事前打合せによって、各省庁の概算要求がきまる。
 そして自民党の各政調部会の主導権を握っているのは、ほとんど当該省庁の高級官僚出身議員である。この過程に大企業の意向が露骨に反映していることは、概算要求が揃い、予算規模とそのアウトラインがほぼ決った段階で、ただちに民間企業が動き出していることによって明白である。たとえば、四九年八月の全国銀行貸出増加額は、前年同月比で一四・一%の増にすぎなかったものが、予算のアウトラインが決まった九月には、一挙に七八・五%にまではね上っている。
 だから、議会で予算についてのお喋りがはじまる頃には、すでにそれは半分以上動き出しているのである。この点にまず、民間企業と官僚機構と自民党の見事なまでの癒着・結合の構造がはっきりみてとれる。
 その二つは、財政構造における中央の地方支配の構造とそれをとおして行われる自民党の地方支配である。
 徴税面における中央・地方の税収入配分は、国税七〇、地方税三○と中央集中的配分が行われる。つぎに国税の約半分は地方交付税、国庫補助金等の形で地方に交付される。この配分によって最終支出段階では、中央三〇〜三五%にたいして地方六五〜七〇の割合になる。こうして結局、公共事業、教育、社会保障の大部分が現実には地方自治体の手をとおして執行されているのである。
 とくに問題なのは、地方歳入において二三・二%もの比重を占める補助金は、各省庁をつうじたタテ割り(〇〇省――地方〇〇局――○○事務所等)でもちこまれる点である。
 地方自治体内部にもち込まれる、中央のこのタテ割り行政こそが、繁雑な形の中央による地方支配を強める手段となっているだけでなくいくつかの省庁にその所管が細分されることによって「ムダ」の制度化が行われることになる。たとえば、上下水道事業の場合、厚生省、建設省、労働省、自治省、経済企画庁にその所管が細分される。だがまさにここに民間企業が寄生虫のように群がり、汚職の温床とともに、自民党ボスの地方支配のテコができあがっているのである。
 そして、このタテ割行政の末端に、公社、公庫、公団等の特殊法人がコブのようにくっつき、それがますます膨れあがっている。政府の関係する特殊法人は、五五年以降三倍以上に増大しているという。そしてこれら諸機関の幹部のポストの大部分が、「天下り」した高級官僚によって占められ、官僚の人的パイプをとおした国家と企業と、そしてまた自民党の癒着が貫徹しているのである。
 そしてさらに「経済審議会」をはじめとする各種審議会の委員が、ほとんど大企業、銀行の社長、会長クラスの人物によって占められているのをみても、人的結合をも含んだ国家と企業の結びつきは驚くほど良くできあがっている。まさに「日本株式会社」である。

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