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スターリニスト官僚独裁とトロツキーの闘い
――トロツキー著『スターリンの暗黒裁判』解説――


 二十世紀前半期の世界政治の特徴が、二つの帝国主義戦争と相つぐ国際革命の敗北、ファシズムの制覇、十月革命の孤立とスターリニズムの勝利という、地平線を覆いつくすまことに暗澹たる反動の時代であったとすれば、後半期のそれは、植民地帝国主義の崩壊と、スターリン批判に端を発するスターリニスト的官僚独裁制全体の危機という形をとって始まった、国際革命の高揚であると言っていいであろう。この二つはたがいに密接に反響誘発しあいながら、未曽有の爆発力をもって進展している。世界史の潮の流れは、はっきりと上げ潮に転じたのである。わたくしたちはいま壮大な世界史的転換――高度の文化の世界への――の門口に立っているのであって、「平和的共存」と「現状維持」の百年を夢見る人たちは、恐ろしく見当違いな時代に生まれたものであると言わなければならない。
 ミコヤンやフルシチョフなどによって、上からはじめられた「スターリン批判」は、まるで火薬庫に火を点じたようなもので、たちまち嵐のような反響をまきおこし、恐ろしい爆発力で全東欧諸国に燃えひろがり、小スターリンとして君臨していた輝かしい巨頭たちは、つぎつぎに、ムッソリーニやヒットラーの末路同様、さながら古雑巾みたいに憎しみと軽蔑の中に見すてられた。ポズナン労働者の暴動は、この「批判」の直接の反響であって、この暴動が東欧各国の勤労大衆の間にどんなに激しい共感をまき起したかは、暴動直後の各国の大混乱がはっきり物語っている。そして、ハンガリーの革命である!
 ハンガリー革命の激しさと深刻さは、まことに史上未曽有といっていいであろう。この激しさは、スターリニスト的官僚独裁制そのものが、大衆の生活にとり、生産力の発展にとって、どんなに耐えがたい桎梏であったかを明白にしめしている。ハンガリーやポーランドの状態は、同時に全東欧諸国の状態であり、何よりもまずソ連自体の状態であって、何もこの二つの国だけにかぎられたものではない。ポーランドの変革とハンガリー革命の激しさは、全ソ連圏にプロレタリア民主主義的エネルギーが鬱積して、一大火薬庫と化している何よりの証左である。
 一九五三年六月、東独労働者百万の反乱のときにも、各国のスターリニストたちはファシストや帝国主義の手先に踊らされたものだといって、ソ連軍の武力弾圧を支持したが、こんどもまた反革命分子やファシストの生き残りたちの騒乱だとして、ソ連軍によるハンガリー革命の残虐極まる弾圧に協力している。東独の労働者も、ポーランドやハンガリーの労働者も、ファシズムの呪いは、いやというほど体験させられているのである。何十万の労働者が、全国的な組織の統制のもとに、武器をとって英雄的闘争に蹶起し、大学生も、ハンガリー軍隊も、これに合流しているとき、外部からこっそり潜りこんだり、わずかに生きのこっていたファシズムのぼろっ切れの蠢動をゆるしたろうなどということは、およそ労働者的感覚をみじんも理解しない暴言であり、労働階級全体にたいする冒涜であるといわねばならない。
 だが、それはいまさら驚かないとして、一般に日本の良心として考えられている、非常に尊敬すべき進歩的学者までが、ソ連の行動だからというので、あのような全世界を震憾させた暴虐を弁護しようとしているかに見えるにいたっては、その史眼はどうしたのかと悲しまずにはいられない。アジアやアフリカの国連代表が国連のハンガリー調査団派遣決議に棄権したとか、ユーゴ通信がナジ政権を批判したとかいうことが理由になっている。だが、いったい自分たち自身の全国的な組織をもって死闘しているハンガリー労働者たちが、自分たちの陣営内で、自分たちを裏切る反動の蠢動をゆるすだろうか? それぞれ国内に矛盾を内包している後進諸国の(民族ブルジョアジーの利益を代弁する)国連代表や、緊迫した国際情勢を微妙に反映しなければならぬユーゴ通信の言動を信ずるか、それとも英雄的闘争に立っている何十万の革命的労働者の一致した行動を信ずるかは、かりにも曖昧をゆるさぬ非常に重大な問題である。ことにソ連戦車の砲火がだれに浴びせられているかを思えば、疑問の余地はありえないはずである。
 こんなことは一流の学者をまつまでもなく、わかりきったことである。こんなわかりきった問題に困惑を感ずるのは、かえって進歩的な考えをもった人々に多いことであって、進歩的思想に忠実であればあるほど、その混乱はいっそう深刻である。いったいなぜだろうか?
 それは今日のソ連の性格、今日のクレムリン指導者たちの性格にたいする絶望的な無知からきていて、党も、指導部も、ソヴィエトも、客観的情勢の圧力のもとに、レーニン主義の時代のそれとは似ても似つかぬものになってしまっていることを知らないからである。スターリンの神格化に長い間馴らされてしまって、自分で考えることをやめてしまったため、スターリン批判によりスターリン崇拝はやめても、クレムリン崇拝はやめられないからであり、帝国主義か、クレムリンかの二者択一しかゆるされないと思いこまされているからである。自国の党の不断の動揺は見ていながら、レーニンのボリシェヴィキ党は、歴史的発展の法則の支配はうけないで、真空の中で理想的発展を遂げることができるという、機械主義的、事大主義的考えに骨の髄まで毒されているからである。
 一九五三年六月の東独労働者の反乱とその弾圧にたいしては完全に沈黙していた総評が、ハンガリー革命の弾圧については、ソ連の行動を遺憾とし、ソ連 #労働者# とハンガリー #労働者# が(官僚的指導者でなく、
#労働者# である)話合って問題を解決すべきであると、はっきり声明したことは非常に正しい。労働者と労働者が直接話合ったら、どんな国際問題でも、解決されぬ問題はないという、プロレタリア的な不動の信念に立っている。だが、一片の声明に終っているのは首肯しがたい。なぜ国際的ソリダリティの精神に立って、ハンガリー労働者の機にこたえ、真相調査の代表を急派しないのか。ソ連や中共の視察も結構であるが、ハンガリーの問題を調査し、その真相を広く発表することが焦眉の急務であるはずである。ソ連とカダル政権は、国連代表の入国は拒否しえても、総評代表の入国を拒否することはできないはずであり、総評はそれを実行するだけの権利と国際的権威をもっているはずである。

 スターリニズムとはスターリン個人の主義や性格の問題ではなくて、そういうスターリンによって象徴されたクレムリン官僚独裁制全体を指しているのである。そのようなスターリニズムがボリシェヴィズムからどのようにして発展してきたかをはっきり理解しなかったら、東欧におけるソ連の行動も理解できなければ、明日の世界政治を予測することもできない。
 トロツキーは『スターリニズムとボリシェヴィズム』という論文の中で、つぎのように言っている。「だが、ボリシェヴィズムはただ一つの政治的傾向に過ぎないものであって、労働階級と密接にとげ合ってはいるが、それと同一ではない。それに、ソ連には、労働階級のほかに一億の農民といろんな民族、抑圧と悲惨と無知の遺産が存在している。ボリシェヴィキが樹立した国家は、ボリシェヴィズムの思想や意志ばかりでなく、国の文化的水準、国民の社会的構成、野蛮な過去とこれに劣らず野蛮な世界帝国主義の圧力をも反映する。……ボリシェヴィズムは自分を歴史的要因の一つ――非常に重要ではあるが、しかし決定的なものではない――意識的原因」として考えた。われわれは、歴史的主観主義の過ちを犯したことはけっしてなかった。われわれは決定的要因を――生産力の現存の基礎をもとにして――国内的ならびに国際的規模における階級闘争の中に見ていた。」
 このように、党は労働階級そのものではなくて、労働階級のごく一少部分の、最も意識的な前衛分子の組織であるに過ぎない。しかもこの前衛分子の党でさえ、大衆的な党である以上、けっして等質的《ホモジーニアス》なものではなくて、党員なりにいろんな性格と傾向を包含していて、それが外部のいろいろな圧力を反映し、たえず内部「闘争」をつづけているのである。こうして勝利したボリシェヴィキ党は、遅れた、未意識的な一般労働大衆の広範な層と、いっそう圧倒的多数の、日本の農民とは比較にならぬほど無知盲味な「ムジーク」や、その他の非プロレタリア的階級に取りまかれ、絶えずその影響にさらされたのである。そればかりではない。内乱や干渉戦による荒廃と多くの戦闘的な前衛分子の戦死、戦慄すべき貧困、国民大衆の疲労困憊、これらはすべて前衛分子の中でもいっそう戦闘的な分子の力を弱める働きをした。その上、終戦と同時に復員してきた何百万の農民出身兵士や、建設期にはいってからの知識階級の発言権の増大も、強大な保守的圧力となったし、さらにこの国を包囲孤立させていた帝国主義の圧力も、この傾向を強化した。物資の恐ろしい欠乏が、官僚層をどんなに急激に発生させるかは、わたくしたちが終戦直後骨身にこたえて体験したところである。
 レーニンはすでに一九二一年一月、つぎのように書いてこの傾向に警告した。「労働者国家は一つの抽象である。現にわれわれは労働者国家をもっている。だが、それはつぎのような特質をもっている。第一は、国内で圧倒的なのは労働階級ではなくて、農民だということであり、第二は、官僚的に引き歪められた労働者国家だということである。」レーニンが死の直前の最大の努力は、スターリンによって代表されつつあったこの官僚化的傾向にたいする闘いであったのである。
 トロツキーは一九二三年十月八日、党の中央委員会にたいしてつぎのような書簡を送った。「戦時共産主義の最も激しかったときでさえ、党内における任命制は現在の十分の一の程度にもたっしなかった。地方委員会の書記を任命することは、いまや通則になっている。これはき詑のために、本質的には地方組織から独立した地位をつくり出す……党活動家の非常に広範な層がつくり出され、これらの党活動家たちは党の支配的機構にはいりこむが、彼らは彼ら自身の党の見解をすっかり放棄して、一切の決定は呼び出して命令することだと考えている。」
 四十六名の党指導者がトロツキーの警告を支持し、ここに左翼反対派が生まれることになったのである。その直接目的は、党内民主主義に関する決議を真に実行し、経済計画を基礎とする工業と農業の調和的発展をはかることであった。
 上にあげたような傾向はすべて保守反動的な圧力となって、ボリシェヴィキ党内や国家機構内の戦闘的分子の力を弱め、プチ・ブル的傾向を強化することになった。圧倒的に強力なこれらの圧力に対抗して、意識的労働者の指導権を維持することのできる唯一の保証は、革命が国際的に拡大すること、ことに西欧の #先進国# に拡大することであって、就中ドイツの革命に絶大な希望が託せられたのであった。
 一九二三年秋のドイツ革命の敗北は、国際情勢を逆転させるとともに、国内情勢にも深刻な影響をひき起した。「国際情勢もまた巨大な力をもって同一方向におし進んだ。世界プロレタリアートに重大な打撃がくだされればくだされるほど、ソヴィエト官僚はますます自信をえた。この二つの事実の間には、時間的関係があったばかりでなく、因果関係があって、これは二つの方向に働いた。官僚の指導者はプロレタリアートの敗北を促進させ、この敗北はまた官僚の勃興をうながした。」(『裏切られた革命』)
 一九二三年のドイツ革命の敗退につづいて、一九二四年のエストニア反乱の失敗、二六年のイギリス総罷業の裏切り、そして一九二七年の第二中国革命の絞殺となった(中央公論社刊、トロツキー著『中国革命』参照)。国内問題と同様、これらの国際革命の危機にあたっては、左翼反対派を代表するトロツキーと、官僚を代表するスターリンとの間に論争の死闘がつづけられた。だが、これらの論争において、スターリン派は理論の代りに歪曲と中傷をもってするだけであったが、第二中国革命の絞殺と同時に、ただ歪曲や中傷だけではもはや抑えられなくなった左翼反対派の批判を封ずるため、国家権力による弾圧にのりだし、大量に検挙し、投獄やシベリア追放に処し、トロツキーをも新疆国境のアルマ・アタに追放した。これは前衛分子にたいするスターリン派の最初の大規模なテルミドール的クーデターであった。
 党内民主主義に基づく理論闘争の代りに、暴力による弾圧に出たスターリン派は、党内民主主義を絞め殺し、ソヴィエト、労働組合、共産青年同盟その他一切の組織の自主性も、国民生活の自由な息吹きも、ことごとく圧し殺してしまった。
 乏しい消費物資の分配者として生まれた官僚層は、こうして国民大衆から完全に離れ、その統制から解放されて、あらゆる特権と国家権力を独占し、官僚独裁制を樹立した。このスターリニスト的官僚独裁制の性格は、トロツキーの『裏切られた革命』の中で、非常に鮮かに描き出されている。
 ところでソヴィエトの独裁官僚は、相矛盾した二つの性格をもっている。その存在は、ソヴィエト国家に依存しており、その膨大な特権的収入は、ソヴィエト経済(国有化による計画経済)から得られるものである。したがって、彼らは外敵にたいしても、内敵にたいしても、(官僚的なやり方で)ソヴィエト国家を防衛しなければならず、自己の収入を増大するためにも、国内治安と国家防衛のためにも、ソヴィエト経済を(官僚的手段によって)発展させなければならない。それといっしよに、マルクスやレーニンの著書を印刷し、いわば箸の上げおろしにまでも、その言葉を歌い文句にしなければならない。しかも、マルクス主義の芽生えや、批判的、民主主義的精神の萌芽は、仮借なく摘みとらなければならない。プロレタリア民主主義どころか、ブルジョア民主主義も、資本主義国でみとめられている基本的人権さえゆるすことができないのである。そして、この想像を絶するような窒息状態を、社会主義や共産主義のあらゆる美名で謳歌しなければならない。ソヴィエト官僚の極度に陰惨で、残虐で、冷嘲的《シニカル》な性格は、このような本来の激しい矛盾から必然的に生まれてきたのである。
 理論闘争にたええない独裁官僚は、一切の理論的歪曲や中傷や脅迫で圧殺するとともに、批判的精神の中心となる可能性のちょっとでもあるものの存在をゆるすことができない。一九三六年から三八年にかけておこなわれた、レーニンの戦友であった指導者たちにたいする粛清裁判は、旧ボリシェヴィキを抹殺するための、公然たるクーデターであり、政治的反革命であったのである。これらの裁判のあまりにも露骨な虚構、破廉恥極まるでっち上げ、そして目を覆わしめるほど残忍な糾問は、スターリニスト的官僚の醜怪な性格を、直接映し出している。モスクワ粛清裁判の真相を知れば、クレムリン官僚独裁の性格をはっきり知ることができる。それはまた、全世界のスターリニズムの性格を知るための、有力な鍵《キー》である。


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