第三章 社会党=民同体制の下僕
向坂派の具体的実践的害毒
前章で、われわれは協会向坂派は社会民主主義の集団にすぎないことを明らかにした。この集団は、階級闘争においてさまざまな害毒を流している。日本共産党が今やマルクス・レーニン主義を投げ棄て、改良主義に転落し、堕落を深めている間隙をぬって、協会向坂派が左翼的ポーズを装って登場しつつあるが、この登場の客観的役割は、労働者人民の戦闘性を解体し、再び社共、民同等の既成潮流の枠ぐみの中に押しとどめるものでしかない。具体的、実践的な協会向坂派の害毒は多岐にわたるが、さしあたってここでは、@モスクワ・スターリニスト官僚への完全な屈服により労働者人民の世界共産主義社会への前進をストップさせようとする役割、A実践的には社会主義革命をも放棄し、大衆闘争を改良主義の枠内におしとどめる役割、B「反合理化闘争だけ論」の強制によって、労働者人民の政治的決起をおしとどめる役割、C社会党一党支持論による労働者を社会党―民同体制の鎖につなぎとめる役割、D「学習」「社会主義のたましい」の強調によって大衆闘争からダイナミズムを抜き去る役割と大衆闘争へのセクト主義、を指摘するにとどめよう。
スターリニズムを全面美化
日本共産党の陣営は「日本の声」というソ連派を生み出し、社民の陣営は協会向坂派をしてモスクワ官僚体制日本派出所に仕立てあげた。すでに明らかなように、労農派―協会向坂派とつづく社民の一潮流は、基本的には世界階級闘争から身を引き離し、民族のカラに閉じこもるという路線をとりつづけてきた。実に驚くべきことだが、過去半世紀にわたってこの潮流から世界階級闘争への積極的、生産的提言がなされたことはない。その社民の潮流が、最近になってやっとモスクワのオオム返しで世界を視るようになった。これは偶然ではない。
六〇年代、日本帝国主義は離陸を開始し、アメリカの帝国主義との共同のもとに、世界戦略に裏打ちされた世界帝国主義として登場し、これに対応して、六〇年代から七〇年代にかけての日本の階級闘争も、二つの安保闘争、日韓条約反対闘争、ベトナム革命連帯闘争に明らかなように、世界帝国主義体制への闘争として「世界性」を帯びるようになった。労働者人民も世界を要求し始めるようになった。この情勢の深化が、わが協会向坂派へも世界戦略をもつことを強制したのである。
だが協会向坂派は、自ら内包する一国主義、民族主義的体質と敵対しない限りにおいて世界戦略を得るという最も卑劣な方策を用いたのである。彼らがモスクワ路線を借りたのは「日本における……」路線を温存し、「世界」という飾りつけをするためであった。彼らは、この借りものに高い利子を払わなければなかったのは不幸なことであった。
彼らは、平和共存路線を借りるために、スターリニズムへの武装解除、完全屈服という高い利子を払っている。
チェコ人民の官僚体制への反乱に、彼らはどのような態度をとったか。ソルジェニツィンのソ連からの追放にどのような態度をとったか。
モスクワ官僚体制日本派出所・向坂所長は次のように、チェコ人民の闘争を言う。
「ぼくはソ連が大国主義的傾同をもっていたとは考えない。チェコ問題がおこったゆえんはチェコ内部の問題であるとともに、ソ連圏といわれる社会主義諸国家の共同体制のなかから、チェコをひきはなそうというアメリカや西独のどす黒い意図にこそあった」
「たとえブルジョア新聞がどんな非難をしようとも、社会主義体制を全体として守らなければならない、とソ連が決意したことは正しかった」(註1)。
これが、A氏の質問「チェコ問題のかげには、あるていどソ連の大国主義的な傾同があったのではないか、という質問がひじょうに多いのですが」に対する所長の答である。驚くべきことに、この所長は「ソ連は正しかった」と確信した根拠として、ドイツ民主共和国、ソ連の資料を読んだこと、さらに、ヨーロッパの地図を眺めたことをあげている。つまり、チェコ人民を戦車で蹂躪した加害者の自己弁護の資料だけを読み、チェコ人民の血の叫びには一顧だにしなかったことを、何のためらいもなく語り、ヨーロッパの地図を眺めたら、チェコが東西ヨーロッパの接点に位置しているから帝国主義の反革命策動があったに違いないと「確信」するのである。
ちょうど、協会向坂派が平和革命論を正当化するためにエンゲルスの一文を歪曲して利用したと同じように、この手法は、あらかじめ結論を出しておいて、それに似つかわしいものを拾い集めたものであり、およそ「科学的社会主義」の手法とは無縁である、向坂先生編の「現代史と社会主義革命」によれば、「ソ連の社会主義建設にたいする態度が、プロレタリア国際主義に忠実であるかいなかの決定的基準である」そうだが、この自らの結論を機械的にチェコにあてはめたにすぎない。
ハンガリーとポーランドの人民の決起がそうであったようにチェコの反乱が、官僚体制に対するプロレタリア民主主義の復権を要求する政治革命の端緒的表現であったことは「二千語宣言」を一読するだけでも明白であるにもかかわらず、協会向坂派は自らの目と耳を無理にふさぎ、堕落した労働者国家の官僚に手を貸し、そのふところへ逃げこんでしまった。
ソルジェニツィンの追放に真っ先に賛意を表し、モスクワ官僚に媚を売ったのも協会向坂派であった。
派出所員の一人ともいうべき、山崎八郎氏は、スターリンを「歴史の大きな転換とともに生き、文字通り大事業をなした人物」「耐えに耐えてついにナチスドイツの猛攻をはねかえした指導者」「ヒトラーを倒して世界の労働者を感激させた人間」
(註2)と最大級のお追従を送り、(ソヴィエト)「国民の父」を山崎氏自身の父とも仰ぐことに何のためらいもみせない。その山崎氏が、ソルジェニツィンが「作家の主観と想像によってつくりあげたスターリン像」「反ソ的文献によってつくりあげたスターリン像」(註3)をこしらえあげたと憤激し、ソヴィエト社会の全体像を正しくとらえず、ゆがめてしまうと怒る。その結果、ソルジェニツィンを「魂を資本主義に売りわたし、みずから西側マスコミの反ソ宣伝に好材料を提供した」(註4)と断罪し、官僚のソルジェニツィン追放の暴挙を「かれの反社会主義的な思想や行動を権力がゆるさなかったのではなく、人民がゆるさなかったと考えるのが妥当である」(註5)を防衛するのである。
われわれは、山崎氏のようにスターリンを「ナチス・ドイツの猛攻をはねかえした指導者」と歴史の偽造までして称えあげることにまず反対する。われわれは、当のスターリンが、「ドイツ人の赤い血とソヴィエト国民の赤い血は同じだ」とまで言い、独ソ不可侵条約によってナチスドイツと手を結びソヴィエト人民に政治的・軍事的武装解除を強制し、ヒトラーの侵略にあわてふためき、ソヴィエト人民に甚大な犠牲を強いた張本人であったという歴史的事実を知っている。世界革命に背を向け、英露委員会や独ソ不可侵条約によってブルジョアジーとのとりひきにのみ終始し、ソヴィエト国内でもプロレタリア民主主義を根底から破壊してしまったスターリンとスターリニズムを、ソルジェニツィンが告発することを、われわれは充分に承認できる。「官僚万才、反革命ソルジェニツィン」と明解に結論を出した当の山崎氏が、同じ稿の中で「長いスターリン時代について、われわれは批判するだけの正確な知識をあたえられていない」(註6)と見苦しい逃げをうつのは卑劣としかいいようがない。
ソルジェニツィンに論及する際に「長いスターリン時代」にこそメスをふるわなければならないし、協会向坂派が後生大事に守りぬく平和共存路線とスターリニズムの関係について避けて通ってはならないのである。
われわれは、ソルジェニツィンが提起しているマルクス主義を捨てるという結論を絶対承認しはしないし、批判するにやぶさかではない。だが、問題の本質はここにはない。スターリニスト官僚どもが、トロツキーをはじめボルシェヴィキの最もすぐれた戦士たちを虐殺し、ソルジェニツィン事件に象徴されるように、プロレタリア民主主義を根底から踏みにじり、労働者国家の労働者人民を苛酷に弾圧しつづけている事実である。ハンガリー、ポーランド、チェコのみならず、最も強固な官僚体制を維持しているソ連の内部においてすら、知識人、学生青年を中心に批判と反乱が不断に起こされている事実をわれわれは知っている。これに対する官僚の側からする弾圧の一つがソルジェニツィン追放であったのである。
この官僚の弾圧、プロレタリア民主主義の圧殺を公然と支持してはばからないのが協会向坂派である。山崎氏は、「知識人の自由だけが自由なのではない。労働者や農民も同じように自由を主張する権利をもっている」(註7)と、労働者、農民もプロレタリア民主主義を奪われているのだから、ソルジェニツィンら「知識人」からも奪いつくさなければならないと全く逆の結論をひき出し、「少くとも重大な事態については独断的な処理ができるはずがない。諸段階の党組織や組合の諸組織の意見のうえにたって実行しなければならない。けっきょくは大多数の人民の世論が力をもつことになる」(註8)と、官僚の所行を全人民の意志と行動だとすりかえてしまうのである。同じく、向坂所長にかかればあらかじめ決められた官僚の結論を追認するだけの、いまや儀式と化してしまったソ連共産党大会すら「真の民主主義とはそういうことです」(註9)と、われわれの模範となってしまうのである。
彼らが徹底的に批判されなければならないのは、スターリン時代について、「正確な知識をあたえられていない」と彼らは、逃げをうち、中国についても同様に向坂先生は「中国の事情がよくわからないから具体的なことはいいにくい」「中国問題を論じるには、どうしても資料、具体的な資料がたりない」(註10)と逃げていることである。これは、論弁である。
唯一つ「資料が足りない」と無知を嘆いてしかるべきなのは、国際共産主義運動の歴史と総括に関してだけである。労農派はコミンテルンと無関係に存在していた。協会向坂派も国際共産主義運動と全く無関係のところからソ連路線に飛び移ったにすぎない。
協会向坂派からは、スターリニストと左翼反対派たちとの闘争は完全にぬけおち、ソ連労働者国家が堕落してゆく過程は何ら総括されていない。だから「ソ連の社会主義建設への態度がプロレタリア国際主義の基準だ」などのタワ言も飛び出すのである。世界革命から遠ざかり、世界革命をおしとどめる過程と軌を一にしてソ連労働者国家の堕落が進んだ。
これを国際共産主義運動のかなめたる社会主義などと宣伝する協会向坂派の犯罪性は明らかであろう。すでに労働者階級が権力を奪取したソ連などの労働者国家が、いまなお帝国主義のくびきのもとで呻吟する労働者人民を解放するに一指だに動かそうとしない反動性は明らかであろう。そればかりではない。地球上に初めて登場したソ連労働者国家の腐敗と堕落それ自体が、帝国主義支配下の労働者人民の社会主義への展望と勇気を打ち砕く役割を果していることを知らなければならない。
全世界の労働者人民が、労働者国家の堕落ぶりを知り、「もっとすばらしい体制になってほしい」と願っているにもかかわらずこの正しい感性に冷水をあびせ「それは社会主義について君たちの勉強が足りないのだ」と説教する協会向坂派のやり口は、労働者人民を帝国主義のくびきにくくりつける役割以外の何ものでもない。帝国主義体制を打倒しつくし、真に全世界の労働者人民を解放するためには、堕落した労働者国家における政治革命が密接不可分のものとしてあるのは自明のことである。
協会向坂派はスターリニズムへの完全な屈伏によって、世界革命をおしとどめる側に加担してしまっている。
民主主義の枠内に限定する闘争
「社会主義革命派」の協会向坂派は、その革命のための当面の闘争についてどう展望を立てているか。
彼らは、「これは社会主義の綱領ではなく当面の民主主義革命の綱領だ」 (社会党勝間田社会主義理論委員長)と規定した「国民統一の基本綱領」(=国民連合政権綱領)に完全に屈伏し、階級闘争をブルジョア民主主義の水準におしとどめるために積極的に立廻ろうとしている。日本共産党の二段階革命に悪罵を投げつけ、綱領は社会主義の綱領しか不必要だと大見得を切った協会向坂派が二段階革命論に転落し、社会主義革命を無限に彼岸化しようとするのである。彼らの「社会主義革命」なるものの底が早くも割れてしまった。
社会党第三十七回大会(七四年一月)で採択された「国民統一の基本綱領」(=国民連合政府綱領)は「国民連合政府は、まだ社会主義の政府権力ではないが、独占資本を政治的に孤立させ、勤労国民が当面する生活防衛の緊急課題と民主主義の拡充にとりくみ…」というしろものだが、これを協会向坂派は「われわれは、この国民統一綱領の採択によって『道』(=社会党の綱領的文書・日本における社会主義への道)とともに思想闘争と党の思想統一推進のための武器が新たにくわわったことを確認することができる」(註11)と手放しの評価をしている。
なぜ彼らは手放しの評価をするのか。それは、この綱領が生産手段の私的所有や国家権力の暴力装置にただちに手をふれないことを明らかにしているからである。
「綱領」の生産手段の国有化をただちに行わないというブルジョアどもへの約束について協会向坂派は、次のように防衛する。
「統一戦線政府(=国民連合政府)の歴史的役割は……革命の客観的条件が成熟したとき、これにただちに適応してプロレタリアート独裁に移行しうる主体的条件の準備を、徹底的にととのえることになる」(のだから、したがって)「国民連合政府の段階では、重要産業の国有化など社会主義の政策は、原則としておこなうことはできないし、またおこなってはならない」。(社会党大会で)「石炭部門以外でも国有化、社会化をすすめるべきではないかという誤った意見にたいしても、国民連合政府の段階は、独占資本の支配している段階であり、社会主義的な内容をもつ社会化をすすめようとするのは誤りであり、一般的民主化でなくてはならないという正しい答弁がおこなわれ、この国民統一綱領が科学的社会主義の正しい立場をふまえている事がいっそう明確になった」
(註12、傍点筆者)。
国有化をしないで、一般的民主化に限定するのが科学的社会主義にもとづいた正しい考えだというのだ。驚いてはいけない。彼らは国有化から数段後退した「特殊法人化」にも反対するのである。(われわれは、無償国有化労働者管理をかかげ、「特殊法人化」などの夾雑物に反対するが)。
「(電力産業の)『特殊法人化』の場合は、国有化にくらべると独占資本の抵抗がすくないことは考えられるであろう。…しかし、敵も必死の妨害とまき返しをする以上、そのとき(主体的条件の)どのていどの強化がなしとげられているかについては、いまからきめることはできない」(註13)。
協会向坂派は、暴力装置についても手を触れてはならないと強力に主張する。
「国家機関の民主的改革と自衛隊の解体といっても、もちろん国民連合政府の場合は、それはあくまで『憲法の完全実施』という立場からおしすすめられるのであって、決して社会主義政権(プロレタリア独裁)の権力機構を樹立するという立場からこれにとりくむのではない」(註14)。
最少限綱領と最大限綱領の間に千里の壁を築き、事実上、革命を永遠にプロレタリアートが掌中にすることのないものにしてしまうのが、日和見主義、修正主義者の常套手段であるが、「一般民主化」の枠づけをした国民連合政府綱領がそうであるとともに、これに安堵し、全面的評価をした脇会回坂派も同種の日和見主義である。
彼ら協会向坂派は、当面、生産手段に手を触れてはならないし、国家の暴力装置に触れてはならない理由として、国民連合政府の段階ではまだ充分に主体的条件が整っていないし、ブルジョアジーから強力な抵抗をうけるというブルジョアジーへの恐怖をあげている。チリ反革命クーデターについても、彼らは同様の総括をしている。「チリの経験は、平和革命における労働者階級とその組織とりわけ社会主義政党と階級的労働組合の統一された強固な組織の重要性を、つよく教えている」(註15)。つまり、チリでは強固な組織なしに、大胆に進みすぎたから、敗北したのだ、日本でも主体的条件がないのだから、民主化の枠内で自重しようではないか、ということを主張しているのである。
ところで、国民連合政府はなぜ可能なのか。綱領は言う「労働者階級を中心とするいっさいの勤労国民が、独占資本と自民党を政治的に孤立させ、かれらを共通の敵として結集し、連帯してたたかう条件を必然的に成熟させている」からだと。
ブルジョアジーとその政党・自民党を弧立させる条件が成熟しているのが、国民連合政府の条件だという。ちょっと待ってくれたまえ。とすると、この成熟は、プロレタリアートの権力奪取の条件の成熟と違うのか。
全く同一ではないか。にもかかわらず、なぜあいまいな中間的な国民連合政府をしつらえ、協会向坂派の大嫌いな二段階革命論に転落するのか。独占資本と自民党を孤立させるような成熟した条件下で、なぜ国民連合政府は勝利し、社会主義革命は時期尚早なのか。国民連合政府の条件は成熟しているが、社会主義権力の主体的条件は未成熟だというのは言葉の遊びにすぎない。
共産党の民主連合政府や社会党の国民連合政府など、人民戦線政府が成立する条件とは、社会主義革命に勝利する条件に他ならない。前者が革命を流産させる道であり、後者が労働者人民の勝利する道であることは、すでに述べた。この二つの道は、前者が後者の前段にあるのではなく、同じ条件下で選び得る敗北と勝利の道であり、両者は非和解的に敵対する道なのである。
協会何坂派のチリの総括は全面的に誤っている。主体的条件を顧りみず、革命が行き過ぎたから反革命クーデターを呼びおこしたのでは絶対にない。逆である。中間的アジェンデ政権を生み出したということは、客観的に条件は成熟していたことを示し、ひとたび烽火をあげたチリ革命は、反革命勢力に立ち上る余裕を与えることなく、文字通り全人民的武装で彼らの息の根を止める闘いを徹底化することこそが必要であり、アジェンデ平和革命論をのりこえる真に革命的な指導部が必要だったということを意味する。やりすぎたから負けたのではない。中途半ばにおしとどめようとした平和革命路線が敗北したのだ。協会向坂派は、革命が問われているいま、「民主化」におしとどめ、チリの悲劇を再現させようとしている。
わが「過渡的綱領」は「歴史的諸条件は社会主義のためにいまだ『成熟』していないといった一切のおしゃべりは、無知もしくは、意識的な欺瞞の産物である。プロレタリア革命のための客観的前提条件は『成熟』しているだけではない――それはいささか腐りはじめている」と帝国主義段階を正しく指摘した。これはそっくりそのまま協会向坂派へ献げるべき批判である。
革命への情勢が深化すれば、するほど、労働者大衆の日常的な改良の要求から出発した闘争をも不可避的に権力との衝突へと発展するのは歴史の法則だが、われわれは、大衆が日常の闘争の過程において当面する諸要求と、革命の社会主義的綱領のあいだの架橋として過渡的諸要求の綱領を提起した。これが最も革命のダイナミズムを表現しうる綱領である。
だが、「社会主義は望ましいのだが、当面は国民連合政府綱領の一般民主化の枠内で」という路線は、最少限綱領と最大限綱領の間の架橋をとりはずし、労働者人民の闘争が革命へと迫ることを阻止する役割を果そうとするものである。国民連合政府綱領で、協会向坂派は、「社会主義への闘争」を投げすてた。
「社会民主主義はそのような架橋を何ら必要としなかった――というのも、社会主義という言葉はただ休日のおしゃべりのために用いられるにすぎなかったからである」(過渡的綱領)という指摘は、国民連合政府綱領に示した協会向坂派の本質を白日の下にあばき出すものである。
経済主褻者の「反合闘争だけ論」
社会党の国民連合政府綱領への協会向坂派の補強・修正意見は、@国民連合政権が社会主義革命への主体的条件の準備であること、A反合理化闘争を中心にすえた分析をすること、H生産手段の私的所有に手をふれないことを明記すること、C国家機関の民主化、解体も憲法の枠内にとどめること、等であった。特に、社会党三十七回大会が、国民連合政府綱領に「反合理化闘争」を盛りこんだことを協会向坂派は高く評価し、国民連合政府綱領への忠誠をあらわにしている。
実に協会向坂派ほど、反合理化闘争に神秘性を与え、「反合理化闘争だけ論」を憶面もなくふりかざす集団はめずらしい。われわれは感嘆の念を禁じえないが、この路線が、現実の階級闘争で労働者人民の政治的決起をおしとどめる反動的な役割を果しているので、批判を加えないわけにはいかない。
協会向坂派によればこうだ。
「日本の労働者階級が当面する反独占、民主主義擁護、帝国主義戦争反対の統一戦線の結成は、憲法改悪阻止の統一戦線をつうじて具体化される、……独占資本は、この(当面の尖鋭化する)矛盾を克服するために、強力な体制的合理化をおしすすめるほかに方法をもたない。それは、体制的合理化に反対する労働者階級の強力な抵抗に遭遇する。広範な反独占統一戦線結成の中心的、基本的運動が反合理化闘争である所以である。生産点における反合理化闘争によって強化された労働者階級の組織された力なくして、この統一戦線の成立と成長はない」
(註16)。
これが、彼らの党派的路線、改憲阻止=反合理化路線である。
なるほど、よくわかる。特に、協会向坂派にとって民主主義擁護、帝国主義戦争反対の切実な意味は理解できる。なにしろ協会向坂派の平和革命論の立脚点は、戦争など起らず、世間が静かであること、現憲法の民主主義体制が持続すること、が絶対の前提条件だったのだから。彼らの「科学的社会主義にもとづく平和革命の法則性」などと大仰に言ってみてもその実態は所詮、現憲法への幻想とのめりこみの表現でしかないことは前述した。
問題は、民主主義擁護の統一戦線結成の中心的、基本的運動が反合理化闘争だとする論理展開だ。労大新書「体制的合理化」によれば協会向坂派は次のように論を立てる。
@現在の「合理化」は個別資本の搾取強化の諸方策にとどまらず、国家独占資本主義の諸機能がフルに動員される体制的合理化であり、資本主義体制延命の中心的方策である。
A反合理化闘争は、労働組合の中心的・日常的なたたかいであり、労働組合の階級強化と抵抗力、ならびに階級的連帯の輪をひろげ強めていく基本的な日常的なたたかいである。
Bだが、反合理化闘争は経済闘争であり、労働者の階級的意識を政治的にたかめ、政治的社会的諸闘争と結合しなければならない。
Cだが、高い政治意識は自然発生的に生まれるものではない。「外」から持ちこまなければならない。したがって社会党と社青同を強化し、労働者の階級意識を高め、社会主義の学習を強め、社会主義教育を強化しなければならない。
Dこのようにして、反合理化闘争を通じて強化された労働者階級が中核となって憲法改悪阻止の統一戦線が結成され、強化される。
この論理を経済主義的偏向とわれわれが批判するのははたして不当なことだろうか。すべての情勢を「合理化の窓」から見ることしかできない集団だと批判するのは誹謗や中傷なのであろうか。事実、六〇年代後半から七〇年代前半にかけての日韓条約反対闘争、ベトナム反戦―ベトナム革命連帯闘争、安保闘争、沖縄闘争等のいっさいの政治闘争に協会向坂派とそれに指導された社青同一分派が、何ら決起することがなかったのも、「反合理化闘争と結びつかない政治闘争は本物ではない」「われわれの反合理化闘争がまだ不十分である段階で、政治闘争などとんでもない」という路線が強い足かせとなったためである。これは一時的偏向では決してない。協会向坂派の路線が忠実に、教科書通りに実践された結果である。
「この反合理化闘争だけ論」は、さまざまな誤りをもっている。この誤りは、彼らの無知に帰因するものか、それとも知り尽した上での故意の歪曲であるかは、さしたる問題ではない。いずれにしても、彼らの路線が、労働者人民を権力打倒の高みに上らせない二重、三重のワナをしかけたものであることは事実である。
第一の誤りは、彼らの反合理化闘争論の前提に労働組合絶対論、労働組合崇拝観があることである。彼らは「労働組合が労働者の日常的利益を守り、さらには日本における反独占統一戦線と社会主義実現の中心部隊として前進する」(註18)といい、あるがままの労働組合が、労働組合として階級的に強化され、社会主義権力の中心部隊となる、という珍理論を展開し、それにつけても、労働者の組織率が低いことを嘆く。佐藤氏は、一九三六年の人民戦線前夜、フランスの労働者が一、一〇〇万に対して、組合員は一〇〇万前後であり、九〇%以上が未組織であったという事実に驚嘆し、「階級的労働組合づくりのむずかしさと同時に、そのおよぼす影響力の大きさを物語っている」(註19)と教訓をひき出す。
だが、労働組合が強化されて、そのまま社会主義実現の中心部隊になるという彼らの主観は理論的にも、歴史的事実からしても完全に誤っている。労働組合は、労働者階級の体験、自然発生性にもとづくもっとも日常的な大衆的統一戦線であり、労働組合の闘争は「労働力を販売するいっそう有利な条件を獲得するため、労働条件と生活状態を改善するために、労働者が雇い主にたいしておこなう集団的闘争である。この闘争は、必然的に職業的闘争である」(註20)。その上、協会向坂派の諸君が、すべての労働者を労働組合に組織することによって労働者階級の統一を実現しようとすることは、その意気を壮として敬服はするが、歴史はこんなことはありえないことを示している。佐藤氏が嘆いた九〇%は未組織だったという事実は、さして驚くべきことではなく、革命の勝利まで、労働組合が大多数の労働者を結集することはありえない。
引き出されるべき結論と協会向坂派の誤りは明らかである。「労働組合は完全な革命的綱領を提起しえないし、またその任務、構成、組合員徴募のしかたからして、これを提起することができない。したがって、労働組合は党にとってかわることはできない」(註21)ということであり、社会主義権力が現実的になるためには、「闘う全大衆を包含する特別の組織、すなわち、ストライキ委員会、工場委員会、そして最終的にはソヴィエトをつくらなければならない」(註22)のである。特に、帝国主義衰退期の現情勢では、労働組合の国家権力への接近と、国家権力とのあいたずさえての進行する肥大化が一般的特徴なのであるからなおさら、協会向坂派の誤りは明らかである。
このように結論すると諸君たちからの「それでは君たちは労働組合を無視するのか」という反論が予測されるので答えておこう。われわれは無視はしない、労働組合の闘争が前記のような限界をもっていても、否、限界をもっているからこそ、われわれ共産主義者は、労働組合の最先頭で闘うとともに、労働組合の独立した発展を妨げないどころか、労働組合の闘争を全力をあげて支援する、われわれは、われわれに似せた「第二の革命的組合」を自己満足的につくろうとは思わない。だが、われわれは、「労働者階級運動の全課題にかんして意見を表明し、労働組合の戦術を批判し、労働組合に総体的な提案をおこなう権利を保持」(註23)しつづける。
第二に、労働組合崇拝から提起されている「反合理化闘争だけ論」は、労働者大衆を経済主義の枠内におしとどめるという誤りをおかす。「反合理化闘争を徹底してたたかった組合こそが、公害問題などにも先進的に闘えるんだ」(註24)という彼らの路線は、経済主義、組合主義そのものであり、彼らのいう政治闘争との結合論にしても、しょせんレーニンが鋭く批判した「経済闘争そのものに政治性をあたえる」路線を一歩も越えるものではない。
レーニンは諸君たちに二つのことを質問している。
「この(専制の)抑圧は、種々さまざまな社会階級にのしかかっており、職業的、一般市民的、個人的、家族的、宗教的、学問的、等々の、生活と活動の種々様々な分野に現われているのだから、専制の全面的な政治的暴露を組織する仕事をとりあげないかぎり、われわれは労働者の政治的意識を発展させるという自分の仕務を果しえないのであろうことは、明らかではないだろうか?」
(註25)。
さらに、
「農村司政長や、農民の体罰、役人の収賄や、都市『庶民』にたいする警察の扱い方、飢えた人々にたいする闘争や、知識と学問を求める人民の渇望にたいする迫害、税金のむごい取立てや、異宗派の迫害、兵士のきびしい訓練や、学生と自由主義インテリゲンツィアの兵籍編入―『経済闘争』に直接関連のないこれらすべての圧制の現われや、その他幾千の同様な圧制の現われは、なぜ一般に政治的扇動のため、大衆を政治闘争に引きいれるために、経済闘争ほど『広範に適用しうる』手段やきっかけでないのか?」(註26)
この二つの間に諸君たち経済主義者は沈黙を守っている。事実、諸君たちは、反合闘争にただちには結びつかないと考えて、ベトナム革命連帯闘争は完全にサボタージュしたし、アジア情勢の環としてある南朝鮮人民の闘争と金大中事件について諸君たちの「社会主義」(七四年二月号)は「主権侵害論」を発表して恥じるところを知らなかった。また。革命路線の根幹にかかわる第一級の問題として労働者人民の前に鋭く提起されている部落解放闘争に関して何らの提起もしないどころか、実践的には「共産党への譲歩やむなし」の成田路線の実際上の支柱になっているではないか。
第三に協会向坂派の誤りは、彼らが最も得意とする反合理化闘争においてすら敗北の路線を提起していることである。
彼らは、反合理化闘争の基本路線は、三池の労働者がたたかいの中からあみだした「長期抵抗・統一戦線」であるといい、敵との妥協は、物とり的妥協と階級闘争としての妥協があるのだという奇妙な分類をして「妥協は、『合理化』反対の原則的立場で貴かれ、たたかわれた結果であれば、労働者の新たな前進とより強い抵抗を可能にする橋頭塗となる」(註27)と労働者に徹底的な実力対決の回避を強制する。そして「資本の搾取と抑圧に抗してたたかう労働者階級のすべてのたたかいは、抵抗闘争である」という全く誤ったテーゼを提起する。
われわれも三池労働者のすぐれた英雄的な闘争を評価し、その巨大な闘争からさまざまな教訓を学ぶことにやぶさかではない。だが、全石炭産業にひとしくかけられたスクラップ攻撃に対して、炭労総体が闘わずして敗北し、炭鉱合理化の帰趨をかけて三池労組がひとり孤立して闘うことを余儀なくされたあの「抵抗闘争」を全階級闘争に一般化することにわれわれは反対するし、それは犯罪的であると考える。妥協を目標にした協会向坂派の路線からは、労働者の攻撃的な闘争の展望は全く出てこないし、労働者階級がブルジョア権力を解体し、自らが権力を握りしめるというダイナミズムは全く姿を消してしまっている。フランスの社会党ですらが、リップ闘争に学んで、生産管理をうちだして共産党と党派闘争を始めているというのに、わが協会向坂派はただひたすら抵抗をよびかけ、妥協を強制するというのだ。
特に、資本主義の危機がドラスティックに進行し、倒産、首切り合理化が「体制的に」かけられている時に、協会向坂派の座りこみスト、実力ピケ、職場管理を提起しえない路線は全く無力であり、大衆に乗りこえられる運命が待ちかまえているにすぎない。
「社会主義協会は、創立以来、つねに極左翼とたたかい」という協会テーゼと、長期抵抗路線は、協会向坂派の日和見主義的体質を暴露してあまりあるものであろう。
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