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第三部

トロツキー著『ロシア革命史』を邦訳するまで

 一九七二年六月一一日に執筆され、トロツキー著『ロシア革命史』改版(角川文庫、七二年八月)のあとがきとして発表された。原題も同じ。
 なお、同書は現在絶版中である。(注:2000年に、藤井一行氏による新訳が刊行された)

 故アイザック・ドイッチャー氏は、トロツキーの『ロシア革命史』について、「トロツキーはマルクスから方法と様式を引き出しているが、そのマルクス以来、彼の歴史的著述はマルクス主義派の思想家によって書かれた、これに類する他のどの著書よりも弁証法的である。『フランスの階級闘争』『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』『フランスの内乱』のような、マルクスの歴史的小著にたいし、トロツキーの『ロシア革命史』は、豆絵(ミニアチュア)にたいする大壁画の観がある。抽象的思想とゴシック的想像の力において、マルクスは弟子の上にそそり立っているが、一方弟子は、叙事的芸術家、ことに行動している大衆と個人の、生々躍動する画像の巨匠として、一段とまさっている。彼の社会的・政治的分析と芸術的ヴィジョンとは、すっかり調和しきっていて、みじんの隙(すき)もない。彼の思想と彼の想像は一つになって飛翔する。彼は彼の理論を、物語のような緊張感と熱情をもって述べ、彼の物語は、彼の思想から深みをくみとる。現実感に生動する彼の情景・人間像・対話は、歴史的過程にたいする彼の観念によって、内部から照明される」と言い、「『ロシア革命史』は、そのスケールと力において、そしてまた革命に関する彼の思想の最も完全な表現として、彼の最高の著述である。革命の主役のひとりによって書かれた物語として、それは世界文学のうちで、比類ない立場を占めている」と言った(新潮社刊『追放された予言者』「歴史家としての革命家」)。
 『ロシア革命史』の英訳第一巻は、一九三二年六月、第二巻と第三巻は三三年二月に出版された。マックス・イーストマンの訳で、トロツキーは彼のすぐれた訳業にたいしてわざわざ感謝の言葉を呈している。当時ロンドンで生活していた私は、発売と同時に手に入れて、夢中になって読んだ。それはヒットラーが政権を握る直前の数か月で、ヨーロッパとソビエト・ロシアを打って一丸とする、ベルリンを首都とした大社会主義連邦が出現して、国際的な新しい文化の爆発的な大奔流となるか、それともヨーロッパ全土がナチスの恐怖の地獄と化し、第二世界大戦の大惨劇となるか、人類の運命が刻々に決せられていたときで、あの騒然とした未曾有の危機のさなかで憑かれたように夢中になって読んだこの革命史の一ページ一ページは、私にとって魂をゆさぶられるような啓示であり、生涯忘れられぬ感動にみちた経験であった。
 当時、ヨーロッパの大都市には、日本から留学した多くの学者や教授たちがいたし、帰国したときにも、日本橋の丸善の書棚に本書があるのを見てびっくりしたのを覚えている。だから、ロシア史研究の学者や評論家たちで、本書を見たり、入手したりしたひとはたくさんいたはずである。それにもかかわらず、それらのひとたちをおいて、一介の英語の教師に過ぎなかった私が、大戦中に、ロシア革命に関するこの最高の古典を邦訳し、同時にトロツキーについての隠された真実を日本に持ちこむという、思いもかけない役目をつとめることになったのはいったいなぜか? この私の思いがけない経験は、あの時代とおなじように、世界史が大きく転換しようとして、社会のあらゆる面で既成の権威が崩れ落ち、もはや一部の先覚者たちだけでなく、すべての人間の日常生活そのものが、体制そのものの変革を激しく叫び求めている今日、若い人たちに何かの示唆となるかもしれない。いまはだれでも初心にかえり、自分の真実の感覚に根ざした認識に立ちさえしたら、どこでも、歴史的意義をもった役割を果たすことができる時だと、私は信ずるからである。そこで、本書については故ドイツチャー氏のいまあげた『追放された予言者』の中のすぐれた解説にゆだねて、私は私の夢にも思わなかったこの経験について述べたい。

 私は一九三一年一月末、日本を立ってドイツへ向かった。当時のヨーロッパ行は、郵船でインド洋回りの三十余日の船旅によるか、また朝鮮と満州を通って満州里(マンチュリ)からソ連にはいり、シベリア鉄道でシベリアを横断、モスクワ経由、ポーランドからドイツにたっするのだった。社会主義に興味をもちはじめたばかりの私は、後者を選んだ。革命後十三年余のソ連に興味があったし、ベルリンは文化の中心であり、社会主義の輝かしいメッカだからである。
 一九二九年に始まった経済恐慌は、あのときの苦い経験に学んだ国際的操作による今日の緩慢な進行のそれとはちがって、爆発的で、たちまち世界中を呑みこんでしまった。恐慌下の日本は、三・一五や四・二六のような共産党弾圧の余燼もあって、「自由」とか「思想」といった言葉さえ危険視する特高警察的体制で、まるで地平線全体が深い黒雲に覆いつくされたような、暗澹とした不安感と危機感に満ちていた。こうした異常な社会心理の情況では、理性の自由な働きが停止して、広汎な知識層までが、とんでもない不条理に子供みたいにたわいなく振り回されてしまうという、世にもばかげた情況が、一国だけでなく、世界中を押し流すのだった。当時日本では、マルクスやレーニンその他の本が盛んに読まれていたにもかかわらず、スターリン主義の第三期論とか、この経済恐慌は決して回復せず、資本主義はこのまま社会革命に突入するのだという永久恐慌論、一国社会主義論、社会民主主義とファシズムは双生児だという社会ファシズム論など、ちょっと素直に考えてみれば、マルクス主義やレーニン主義とは相容れないことがだれにもわかるはずの考えが、熱狂的に信奉され、合言葉のように叫ばれていた。またそのころ騒がれていた中国革命についても――第二中国革命の記憶はまだ非常に生々しかった――トロツキーとは農民を蔑視し、農民問題を無視し、労働者と農民の民主的独裁の段階を飛び越えて、二段階革命を否定してプロレタリア革命を主張し、ソ連についてもロシア・プロレタリアートの力を軽視して一国社会主義を誹謗し、世界革命をとなえる、とんでもない冒険主義者、顎ひげを生やした気違い犬だというイメージを灼きつけられていた。トロツキーのものはただの一行も読んだことなしにである。当時日本では、彼のものはすでに全然手にはいらず、かつて彼の影響をうけたことのある人たちも口を緘して語らなかったからである。開始したばかりのスターリンの五ヵ年計画の成功が盛んに宣伝されていて、五ヵ年計画の文字は世紀の一大出来事として衝撃的に新鮮な権威をおびていた。
 広漠たる北満の大平原は、息詰まる日本の空気に窒息していた私には、始めて知る感動だった。満州里(マンチュリ)からソ連領にはいり、チタからイルクーツクへの途上の、際限もなくつづく巨木の大原始林に圧倒され、ときたま見かける、眼に滲みるほど真赤に塗った新しい丸太小屋の集落に心をひかれた。一点の起伏もなく、車窓からじかに、果しなく広がり、大地という名にふさわしい物凄い量感を感じさせる、一木一草もない坦々たるシベリア平原の大地平線は、地球を背にしてじかに宇宙空間の奥を覗きこむような、いつまでも飽くことを知らぬスリルと畏怖感を覚えさせた。大きな駅々で乗り降りするロシア人はみな、何百キロの人跡絶えた奥地からやってきた、貧しい服装の純朴そのものといった、恐ろしく人の好い青年ばかりで、すぐ仲好しになった。ただひとり英語をしゃべる、ヨコハマにも行ったことがあるという船員上がりのいやに世間ずれした男がいて、小まめに通訳してくれた。私の懐中時計を彼が盗んだことを私は知っていたし、私が知っていることを彼が気づいていることもわかっていたが、大事な通訳なので深か追いせずにすませた。
 ソ連領へはいって驚いたことは、革命後十三年余、第一次五ヵ年計画が成功裡に進んでいるというのに、駅ごとに武装し、銃をもった兵隊が厳重に警備している異常な情景だった。人の好いロシアの若者たちに食堂車へ連れていかれて、盛んに強い酒をもてなされたが、そこには厳めしい軍服姿の憲兵の大男がデンと構えて眼を光らせていた。一般民衆は物凄く貧困で、零下何十度の痛いほど寒い深夜の暗い駅のだだっ広い構内の土間には、粗末な布団包みみたいな大きな包みに背をもたせて、昏々と眠りこんでいる男や女たちが――いつ出るとも知らぬローカルの列車を待っているのだった。それはあの農民反乱にも発展したスターリンの強制集団化の最中だったことを、あとで知った。
 エニセイ河畔のクラスノヤルスクだったと思う。新しく乗りこんだ人たちの中に、貴公子みたいに上品で聡明そうな青年と美しい細君がいた。じき親しくなって話しだしたが、エニセイ河口の万年凍結のツンドラ地帯の白金鉱で働いていて、年一回十日間の休暇でモスクワへ帰るところだった。飛行機とソリを乗りついで来たということだった。この若い夫婦とは特に親しくなった。西へ向かうにつれて、ときたま、真新しい工場が見えた。夜の大平原を漆黒に閉じこめた闇黒の中で、まるで宝石のように明るく光り輝いている終夜作業の新しい工場を見つけると、みんな興奮して廊下の車窓に集まり、「ファブリーク! ファブリーク!」と夢中で歓呼した、奥地からきたあの人なつこいロシア人たちの姿が、四十余年後のいまも無性に懐しく眼に浮かぶ。広大な平原にときたまポツリと立つ新しい工場は、貧困のどん底にある彼らには、まさしく宝石のように貴重な、大事な存在だったのだ。
 モスクワでは、終着駅の一つ手前の暗い小駅で一週間ぶりかに下車した。どこに乗っていたのか、ひとりの若い日本人が三、四人のロシア人に迎えられて、急いで立ち去るのを見た。私たちは、石だたみの暗い街路を、裸の馬車であの若い夫妻の家に向かった。汚れた建物の暗い階段をいくつものぼって、薄暗く、貧しい、寒々としたアパートにはいった。年老いた老夫婦と、十歳くらいの美しく可愛い少女が待っていた。見も知らぬヤポンスキーも暖かく迎えられたが、きびしい配給制の一家には、飛び入りの人間のために分ける飲み物もなければ食物もなかった。翌日青年は貴重な一日をつぶして、いっしょにいろんな役所を回り、私のために数日の滞在許可を求めてくれたが、だめだった。私はソビエトの学校教育を見たかったのだが。青年は私をベルリン行の駅へ見送ってくれた。別れるとき、手紙をくれと手真似で言った若い細君、真摯(しんし)で寡黙な青年、そして彼ら一家の者を、私はいまも忘れえない。
 ポーランドへはいると、いたるところの都市で職安に集まる失業者の長蛇の列が見られた。ドイツへはいって真っ先に眼についたのは、煙の消えた煙突が林立している大工場の集団また集団だった。灰色の貧困一色、極度に物資欠乏のロシアでは、天文学的な稀少価値をもつ極めて数少ない工場が、みな終夜フル作業していたのに、おなじ大地続きの国々、ことにドイツでは、最新の大工場の煙突の煙が消えているという、恐ろしく対照的な異様な光景が直ぐ眼について離れなかった。
 当時もドイツは世界で最も先進的な工業国であったばかりでなく、文化の中心であり、ことにマルクス主義運動のメッカで、ベルリンはモスクワ以上に日本に影響をもっていた。ドイツの労働者は、生産における地位、社会的ウェイト、組織の力からいって、ヨーロッパ最強のプロレタリアートだった。あの恐慌のどん底でさえ、社会民主党も共産党も、大きな政治的組織網だけでなく、スポーツその他のクラブ、料理や実務から哲学講座まで、各種コースの夜学の文化組織まであって、私は二か月のベルリン生活中、ひとりの若い日本人留学生といっしょに、ヘーゲルの哲学講座を聴講した。党本部のカール・マルクス・ハウスでは、党やコミンテルンの文献がいくらでも手にはいり、特高と憲兵の国日本からきた人間には、まるで真空の中にいるような解放感だった。
 が、世界は恐慌のどん底で、そのしわ寄せは敗戦国ドイツ(そしてオーストリア)がもろにかぶっていた。敗戦で植民地を失い、莫大な賠償金を課せられたドイツ資本主義は、極度の合理化と外資導入でそれをカバーしなければならなかった。合理化は西欧諸国を脅威する最新のドイツ工業を生んだが、一九二八―二九年の国家予算二十億マルクの中から、賠償金支払いは十二億五千万マルク、三一年七月の対外純債務百四十五億マルクという、完全な破産状態だった。
 それは大量の失業者と中産階級の大動揺を生んだ。ドイツの失業者は、三〇年二月には三百三十六万だったのに、私がベルリンに着いた三一年二月には五百万を突破、やがて六百万を超えた。四面暗黒の世界恐慌の底での失業と破産が気も狂うほどの恐怖だったことは想像できよう。世界中がそうだった。生産過剰で、売れなかったからだ。物が出来すぎて、ありすぎて、何百万の人間が世界の大都市の真中で餓えている! 何とも奇怪な話だ。なぜか! それは、生産されたものは生産大衆を安い賃金で雇っている、ほんのひと握りの資本家が独占し、生産大衆は自分の生産したものに何の権利もなく、欲しければ身銭を切っていろいろ上積みされた値段で買わねばならぬが、その身銭がないからだ。資本主義社会では、物はすべて万人の必要のためでなく、私企業の利潤のために生産され、私企業の利潤が唯一絶対の至上命令である。資本家はすべてうんもすんもなく、より多くの利潤のための血みどろの争いという、資本主義に必然のロジックに巻きこまれ、そのエージェントになり、いざとなれば戦争に訴えてでもその利益と縄張りを防衛しなければならぬ。その縄張りが国家であり、国境ではないのか? 地方により、民族によって、言語や伝統や習慣の違いはあっても、私企業の利潤のための、権利なき生産ロボットという、万国共通の一般勤労大衆には、何よりもまず人権回復という共通の悲願こそあれ、習慣や伝統の違いのため国境を距てて睨み合わなければならぬ理由があるだろうか?
 この大渦巻の中心ベルリンから、大恐慌下のヨーロッパ大陸を眺めることは、私には全く新しい経験だった。どこかで銀行か会社が破綻すると、間髪を入れず大陸中に波及し、反響誘発の波欄を巻き起こす。島国日本から来て、「国際的」ということは観念的にしかとらえられなかった私には、これは痛烈な経験だった。まだ細かなことに目移りしない新来者の巨視的な眼に、こうしたヨーロッパは全く一個の有機体でしかなく、自然の障壁などほとんどない、地球上で最も高度の文化をもった、この地続きの大陸が、眼に見えぬ国境線なるものでこま切れに区切られて、その一つ一つが独立の国家と呼ばれてたがいに鎬(しのぎ)をけずっているのは、徳川時代の藩制そっくりで、いかめしい国家論を持ち出すまでもなく、リリパットの世界か子供の遊びみたいに、何ともばかげて見えた。これが私の眼に映った第一の素朴な疑問だった。
 つぎに、ドイツを襲っているこの危機は、五、六百万という失業者の大群(その中には、優秀な熟練工ばかりでなく、世界でも最も有能な科学者や技術家がいた)のほかに、操短や閉鎖による最新の大工場と機械の活動停止、精巧な工業製品や科学肥料、ありとあらゆる消費物資の在庫の氾濫を意味した。これはあの広漠とした大地に新工場といっては天文学的な稀少価値の存在であるソ連の人たちにとって、どれも咽喉(のど)から手の出るほど欲しい緊急なものばかりで、物資の絶望的欠乏と恐るべき大過剰とで、ともに崩潰寸前にある、殆ど地続きの独ソ両国の、極度に対照的な危機的情況は、一国社会主義のカッコのよさにもかかわらず、まるで二つの高圧線が極度に接近しながら、短絡して物凄くダイナミックな大回路を出現させずに、平行したまま走っているような、異様な空しさを感じさせた。山峡の寒村出の私は、農民が何をどんなに切実に必要としているかを、子供のときから痛いほど知っていた。コミンテルンがあり、両国共産党と所属労働組合がありながら、両国の痛切な要請を、歴史的使命をもつプロレタリア独自の立場から既存体制の次元を起え、共通の問題として取上げないでいることは、田が干上がって苗が枯れかかっているのに、互いに溢れる水を堰(せ)き止め合っているような、やりきれないもどかしさを感じさせ、一国社会主義の連呼も、寒村の子供に刻みこまれた生活感情には、白けた空廻りの違和感を覚えさせた。
 ナチ党と社会民主党にたいする共産党の態度もすっきりしなかった。前年九月の国会選挙で共産党は一九二九年五月の二、二六四、八〇〇票から四、五九二、一〇〇票に増し、日本でも大勝利が宣伝されていたが、ナチスの八一〇、一〇〇票から一挙に六、四〇九、七〇〇票、実に八倍余への津波の激増と、十万を越える突撃隊の出現にたいし、万全の防壁とは思えなかったのに、コミンテルンや共産党の攻撃は「社会ファシスト」の社会民主党、それも指導者だけでなく社民系の一般党員に向けられ、それも批判的攻撃というよりは、労働者にたいするナチスの憎悪にも似た、気違いじみた憎しみであり、さらにピオニールに組織された党員の子弟を「社会ファシストの伜どもを運動場や遊び場から叩き出せ!」と激しくアジってさえいた。無心な小学児童を無用な憎悪に駆りたて、親たちの感情を逆撫でしながら、下からの統一戦線を叫んでも、思い上がった独善としか思えなかった。当時、社会民主党は党員九七一、四九九(一九三二年九月三十日)、社民系労組員四、八九五、〇〇〇ないし三、五三三、〇〇〇(全組織労働者の約八〇%)だったのに、共産党は党員三三二、〇〇〇、共産系労働組合反対派は三一二、〇〇〇、それも前者は大工場を握っていたのに、後者には失業労働者がたくさんいた。急進撃をつづけるナチスとの対決をまえに、これでいいのだろうかという不安を禁じえなかった。
 私は四月始めベルリンを去って、イギリスに行くことにした。オスタンドからドーヴァーに着いた。四月十三日で、英国の土を踏んで最初に求めたタイムズ紙は、スペインに革命が起こり、王制が倒れて、アルフォンズ十三世は国外亡命したと報道した。ベルリン滞在中、スペインの話は一度も聞かず、危機の記事や論文は一つも見かけなかったので、これは全く青天の霹靂(へきれき)だった。

 イギリスも深刻な不況に見舞われていて、失業者デモが荒れていた。ロンドン生活を始めて早々にびっくりしたのは、多くの知識人や各層の人間が新聞やラジオに動員されて、「発明と発見は人類の幸福に役立つか否か」を喧しく論じ合っていたことだった。一見ひどくばかげたこの論争も、一つの小さな発明発見、一つの小さな工夫も、直接社会の安定と失業の不安につながる真剣な問題だった。老朽した基幹産業の構造に密着し、固定化したイギリス生活全体の慢性的停滞は、彼らの体質化した救いようのない、コチコチの偏狭な保守性を生みだしていた。それが大英帝国の過去の亡霊の誇りと結びついているので処置なしだった。党の小さな書店へいけば、コミンテルンや独仏の機関紙も入手できたが、何の新鮮味もない定り文句の羅列が鼻につきだし、イギリスや大陸の様子は、大英博物館の図書室が閉じてから、館を出たところにある市立図書館で、右から左(労働党のへラルド)までの新聞を、七時閉館まで貪り読むことにした。左翼関係の本の出版は貧寒で、レーニン全集は私が去るまで二、三巻出たままだった。私が日本から取り寄せた改造社版のマルクス・エンゲルス全集の中の往復書簡集五巻を見て、みんなびっくりして眼を丸くした。
 日中事変が起こると、党機関紙でも集会でも、理論的分析はなく、日本には階級的矛盾などありえないかのように、ただヤンキー・ゴウ・ホームを大増幅したジャッブ、ジャップの罵倒の洪水だった。私は折から公判中の鍋山氏が拷問で紫色に脹れあがった顔をして出廷したという日本の新聞の記事を見せて党の中央委員会に抗議し、デーリー・ワーカー紙に発表させた。だが、こうした数々の疑問にもかかわらず、モスクワやコミンテルン、ドイツ共産党へのこれまでの観念から解放されたわけではなかった。それはちょうど個々の公害汚染の現実に長年眉をひそめていながら、ある日突然、その重大性にはっきり気づくには、何かのきっかけが必要だったようにだ。
 ある日、私はチャーリング・クロス・ロードの小さな本屋で、宗教団体などの小さなつまらぬ新聞雑誌にまじって、アメリカの「ミリタント」という小さな週刊紙に、トロツキーの名前があるのを見た。長い論文で紙面を埋めていた。が、灼きつけられていた反撥が先になって、最初は現に私が見てきたソ連の経済に関するものらしかったが、読みもせず見捨てた。たまたま立ち読みしかけても、いやに堂々とした文章を書くものだという、当時の共産党系の文献には見られないスタイルと説得力にさえ、まず反感を感じ名もない小新聞に書いていること自体、彼の落魄ぶりを語っているような気がした。ところが、そのころ私が親しくしていたシドニー出のウォレル博士、コロンビア大の教授ハートマン、ドイツ人の歴史学者ケアコフ夫妻、それにセイロンのフィリップ・グナワーディナなどのグループがあって、よく会っていたが、ある晩、たまたまトロツキーの話が出て議論になり、帰りしなに「これを読んでみないか」といって渡されたのが、トロツキーの第二中国革命論の一つだった。よし、読んでみよう、読んで、もっと議論しよう、といって持って帰って、読みだした。そして、オヤッと驚いた。彼が農民を無視したというのはまっかな嘘で、ことに中国での農民問題を非常に重視していたこと、ロシア革命自体、二段階革命ではなかったことなど、初歩的なことばかりでなく、スターリンによって裏切られた第二中国革命の隠された、驚くべき真実を始めて知って、私はほんとに驚いた。が、まだ半ば抵抗しながら彼の他の本や論文を読んでいくうちに、いっさいが明白になった。それまで自分は嘘のイメージに踊らされていたことをいやというほど思い知らされて、身が縮むほど恥ずかしい思いがした。同時に、地球が半分欠けたほど、世界史に大きな穴がポッカリ開いていることに驚き、それを知らないでいる日本の人たちを遥かに思って、大変なことだと居たたまれない焦燥を感じた。
 だが、彼にたいする私の関心を決定的にしたのは、現に進行していたドイツの危機にたいする彼のすばらしい分析と綱領だった。はじめてそれを知ったのは、前年九月の総選挙の結果を分析総括した彼の長論文「共産主義インタナショナルの転換とドイツの情勢」だった。これを読んで第一に心打たれたのは、トロツキーが真実の前に、そして労働者大衆の前に、何て謙虚で、何て誠実な人間かということだった。彼はだれにたいしても決して高飛車に出ないで、真実を、どんなに不利な真実をも恐れず直視し、それを労働者の前にさらけ出し、それがもつ現実の危険と、それを有利に転換させることができる可能性と論理と展望を、具体的に、平明に、だれにもわかる言葉で、噛んでふくめるように、何度もくりかえし、懇切丁寧に説明する。真実はすべて革命的であると断言する。それは所属の如何にかかわらず、労働者大衆を唯一の進歩的、創造的階級として絶対に信頼していたからである。
 彼はあの〔不信と憎しみと独善的蔑視を現わしただけの――筆者〕害悪であるばかりでなく危険な社会ファシズム論と、最後通牒主義でしかない「下からの統一戦線」の呼びかけを捨てて、一九一七年のボルシェヴィキの統一戦線政策、それは最も遅れた労働者をも結集するように、攻勢でなく、労働者の既得権利防衛のための、守勢の立場から出発しなければならないとし、「社会民主党の労働者を盲目だなどと考えてはならない、彼らは彼らの指導者にそんなに従順ではないのだが、現在の情勢下では他に出口が見つけられないからだ」と言い、「彼らが共産党を信頼しないのは、共産党が革命的政党だからではなくて、党指導部の革命的勝利を達成する能力を信じないからだ、彼らが社会民主党へ投票するのは、社会民主党への信頼の表明ではなく、共産党にたいする警戒心を表わしているのだ」と言った(傍点筆者)。侵略者はナチスであって共産党ではないと、だれの眼にもわかる守勢的反ファシスト統一戦線であるべきだとする彼の主張は、彼が三八年に書いた「資本主義の死の苦悶」の中の「〔プロレタリアートが政権を獲得するという〕この戦略的任務の達成は、戦術上のいっさいの問題に、小さな部分的問題にさえ、最も慎重な注意を払うことなしには考えられない」(傍点は全部筆者)の主張と同様、労働者の既得権の防衛も、主婦が抱えている問題も、老人や病人、児童や学生の問題も、すべて体制の変革につながるという信念、党がそれらの問題を正しく力強く取上げるなら、労働者大衆は社会変革もあえて辞さない、それをせずにいきなり高次の政治問題ばかり持ち出すのは、最後通牒を突きつけるものだという、一般大衆にたいする信念から出ている。
 私はまた前にあげた、物資の欠乏と氾濫(はんらん)という正反対な情況で悩む独ソ両国の問題を、彼がこの論文で「ソ連の計画経済とドイツ〔そして世界〕の失業問題」という形で提起しているのを見て、胸がすくほど感銘させられた。「資本主義的合理化反対の闘争と、一日七時間制のための闘争は、全く現実的である。だが、ソ連との広汎な組織的協力というスローガンだけが、これらの闘争を革命的任務の高さにまで高める」「共産党は、権力を握った後にソ連との経済協力を達するだろうと言っているが、そんなことは当りまえだ。だが、歴史的展望を今日の政治的任務に対置することはできない」と言い、さらに「次は何か?」その他でこの問題をくりかえし詳細に、具体的に提起した。それは世界恐慌と失業地獄を背景にして、社会主義社会建設のための計画経済と資本主義生産体制下の世界の労働者を、現在あるがままの情況で労働者の生産を通して直結し、彼らの労働にモラル的威厳と展望をあたえる壮大な構想で、彼の反ナチ統一戦線のそれと同様、彼の全哲学と全経験からわかりきった必然的要請として生まれた構想だった。が、それは、世界の共産党や同調者たちの「ソ連プロレタリアートの一国社会主義建設の力を信じえない日和見主義者」等々の罵倒に消されたのだった。それから十八年、中国革命の勝利以来、私はそれを対中国関係でくりかえし提起したが、そんなことは実現不可能だとか、「それは政権獲得してからの話だ(トロツキーが四〇余年昔きっぱり否定した、共産党の主張を、そのままくりかえして!)」とかとして無視された。が、吉田独裁下でさえ関西資本家は、吉田の対中国禁輸に執拗に反抗していたし、昨年のニクソン・ショック直後からの日本独占資本の中国貿易への、あのなりふりかまわぬパニック的殺到は、両国間の経済関係確立への要因が、独占資本の逡巡よりどんなに巨きく根深いものか、を悲喜劇的に実証し、この好機に独自のイニシアティヴを取りえなかった日本労働者階級の立ち遅れを無惨なまでに露呈したのだった。
 私がロンドン生活を始めてからたった一か月後の五月十四日、オーストリア最大の銀行クレジット・アンシュタルトが破産を暴露し、経済恐慌を一挙に全欧の金融恐慌に転化した。この衝撃的ニュースはイギリスの新聞に大々的に報道され、市民を深刻な不安に叩きこんだ。衝撃は真っ先にドイツに波及、独墺両国の金融危機を救うため、六月十五日、一億五千万シリングを貸付けて、クレジット・アンシュタルトに挺子(てこ)入れしたイングランド銀行自体が七月には早くも危機に陥った。七月三日にドイツ最大の企業の一つ北ドイツ羊毛会社が破産、関連大銀行が取付け騒ぎで休業、政府は十四日、全銀行の三日間休業と取引所の無期限閉鎖を宣した。だが、それは、これらの会社銀行に債権をもつロンドン金融市場からの金引揚げとなり、そのあおりをかぶって、イングランド銀行は二週間、連日二百五十万ポンドの金喪失となり、ついに「世界の銀行」の面子を捨て、米仏に泣きついて計五千万ポンドの融資を受けねばならなかった。だが一時再開したドイツ・ダヤード銀行の破産と、イギリス政府財政年度の大赤字必至、社会政策費の大削減と増税の不可避が明らかにされたことから、金の引揚げが再燃し、五千万ポンドも惣(たちまち)ち枯渇、八月二十三日には再び両国に八千万ポンドずつの援助を求めたが拒否され、マクドナルドは米国の要求を呑んで労働党内閣を解散して保守・自由両党との挙国一致内閣を組織、失業者手当と海軍の給与の大幅切下げ、社会政策費の大削除と増税を条件として、両国から再融資を受けた。だが、それは全国に失業者デモを爆発させ、各地からロンドンに向かって失業者デモ行進が組織された。
 一方、海軍給与の切下げが士官に軽く、下士官や水兵にほとんどかぶせられたことから、それでなくても鬱積していた水兵たちの不安と不満が沸騰した。北海での大演習のため、プリマスやポーツマスなど三つの基地軍港を出発、北海を制圧し、大西洋に睨みをきかせていたスコットランドのインヴァゴードン軍港に向かって北上する、ネルソン号を旗艦とした大西洋艦隊の水兵の緊迫した無気味な空気を、海軍本部委員会と政府は、極度の不安に包まれながら、刻々無電で追いつづけた。九月十二日朝、ついに世界の海軍史上空前の大反乱が起こった。世界大恐慌とドイツの政治危機の最中に勃発したこの反乱の衝撃的な重大性は想像を絶した。
 トロツキーはこの『ロシア革命史』の「軍隊と戦争」の章で、「艦隊の生活条件は、軍隊のそれ以上に反乱の生きた種を培養した……」と言って、その理由をあげている(同書三四六ページ)。
 イギリス海軍水兵の反乱もこれが最初ではなく、十月革命直後の武力干渉でアルクハンゲリスクからドビナ河遡航作戦を拒否して反乱した砲艦シカラ号や、黒海で反乱した空母ヴィンディクティヴ号などは、全艦隊に深刻な反響を巻き起こしたのだった。
 五年前の一九二六年の大ゼネストで、イギリスの労働者が全土の生活を掌握していた記憶はまだ生々しかった。ノーフォーク号の乗員でこの水兵反乱に点火し、これを指導した、そして第二大戦中ソ連国籍を取得して、いまモスクワ郊外に住むレナド・ウィンコットは、最近つぎのように語った。「給与の切り下げのことをはじめて知ったのは、九月十二日、日曜日の朝、掲示板に掲示が出たときだった。切り下げの噂は前からあったが、自分たちがやられるとは夢にも思わなかった、海軍委員会は前からこれを準備していながら、艦隊が孤立した北の端のインヴァゴードンに向って基地軍港を出航するまで伏せていたのだ。大失業があり、失業者の大群があふれている三つの基地軍港で、われわれだけではなく、国民全体に影響し、二百五十万の失業者の手当まで切り下げるこの案を発表などして、失業者、下士官に水兵、それどころかおそらくはその地方の陸軍までいっしよになって怒り出したら、それこそ倍も危険なことを知っていたからだ――ぼくは火曜日の朝八時、ノーフォーク号で『反乱』が始まったとき、メスデッキに降りていって、みんなに同調を要求し、全員同意、直に小銃を押えた……」。彼は「水兵宣言」の起草者で、十二日の日曜日にはじめてインヴァゴードンでアジ演説をし、反乱に点火した。全水兵は給与切下げの全面撤回を要求し、大挙完全武装して上陸し、首都ロンドンに向かって大行進を開始するという、強硬な最後通牒を政府に突きつけた。この衝撃のニュースは、国際的金融恐慌に揺れに揺れていたイギリス全国を震憾し、ヨーロッパ中に大衝撃をあたえた。イギリス海軍は当時英国ばかりでなく、いざといえば、全欧の支配階級がたよりにできる、たった一つの強力な武力であって、陸軍は無にも等しい英国では、大武装水兵団の首都行進を阻止する力は完全に絶無であるばかりか、二百五十万の失業労働者が勇躍してこれに合流することは火を見るよりも明らかであり、イギリス全労働者のゼネストに発展することも予想されたからである。東洋艦隊からもいち早く共同闘争を表明する宣言が打電されてきた。インヴァゴードン反乱の三日間、下士官と水兵は一体となって大西洋艦隊を占拠していた間、全欧州が息を呑み、イギリス海軍本部委員会と政府閣僚は、各艦の動静におびえ、茫然自失、なすところを知らなかった。このパニックと麻痺の情況は、海軍本部委員会に保存されている、各艦と刻々交される無電の記録に、熱い吐息が洩れるほど生々しくのこされている。蔵相スノーデンは反乱水兵の最後通牒を全面的に呑み、艦隊は北海での予定の演習を中止して、直に各所属軍港に帰航することにした。だが、反乱水兵が指令に復して、結束を解いてそれぞれの基地軍港に帰航してくれるかどうか、予想もつかず、帰航してからも軍港で暴動を起こすかもしれないといった不安な流言がみだれ飛び、新聞がそれを敏感に反映した。反乱艦隊が演習態勢を解いて各基地軍港に帰着し、水兵たちが静かに上陸した後も、各基地、ことにプリマス軍港の海軍情報機関は、水兵たちは暴動を計画しており、軍港守備隊の軍隊もこれに同調して反乱し、労働者とともにロンドンに向かって行進を起こそうとしているという、秘密情報を、直接プリマス司令官に伝えている。この秘密情報は直に海軍本部委員会に伝達され、「連続会議中」の委員会で検討され、軍指令部長フィールド卿自身、月曜日の閣僚会議にかけた。これを前に、おびえ切り、途方に暮れた閣僚たちの顔が眼に見える。
 この海軍本部委員会の極秘記録に基づいて一九七〇年、『インヴァゴードンの反乱』を発表したデーヴィド・ディヴァイン氏はこれについて、「艦隊が帰着したとき、各基地軍港、ことにプリマス軍港での機密情報活動がもし外部に洩れたりしたら、世界の世論にどんな影響をあたえたか、予想もつかない。インヴァゴードンの静かな反乱の脅威でさえ、ポンドの大崩壊を引き起こしたほどだから、もしそのようなことが起こったら、それこそどんなことになったか、全く想像もできない」と言っている。
 この史上未曾有(みぞう)の反乱の三日間とその前後数日、イギリスの死活は反乱水兵の手中に握られていたと言っていいだろう。だが、彼らの意識は彼らの反乱の内包した力の次元に達せず、彼らの要求は素朴な純経済問題に限られていたため、政府はそれを丸呑みにしてこの危機を切り抜けた。大西洋艦隊が黙々として南下していた九月十七日、海相チェンバレンは下院で「政治的慈悲」の行為を提唱した。「名誉ある勇敢な紳士は、あちらで起こったことにたいして処罰すべきでないとうったえた。過去は過去である。それを忘れることは、海軍の内部と外部を問わず、すべてのもののためになる。私は後ろを振りかえろうとは思わない。私は前を見、軍の伝統と、この伝統を忠実に擁護する今日の軍人たちを信頼する」。反乱水兵たちが反乱の態勢を解いて静かに基地軍港に帰航していたとき、海軍情報部の手先がどこかのビアホールか何かで拾ったと思われる「機密」情報に胆(きも)を潰しながら、勇敢なるイギリス伝統の騎士、海相チェンバレンは、この日の海軍問題討論の劈頭(へきとう)に演説した。処罰する力を持っていたかのように!
 ところで、イギリス共産党は? 数人の共産党員が岸壁から、港内に集結している反乱の艦隊に向かって赤旗を振っているだけだったという、あの日の新聞記事を、いまも覚えている。
 だが、大陸ではドイツの危機の深刻化から、九月十四日には、水兵反乱と呼応するかのように銀行株の大暴落が起こり、十五日の大陸の全取引所に拡大、十六日には英国政府証券の売物殺到となり、この日の夕刊に現地取材の反乱記事がイギリス新聞にいっせいに発表され、十七日には全大陸の新聞の朝刊に大々的に報道されて騒然となり、一流株の売り叩きの殺到で完全に統制を失った金流失でイングランド銀行は破産寸前に追いこまれ、二十日夕、ついに刀折れ矢尽きた蔵相スノーデンは、「過去数日間の国際金融市場は道義を失っていた」と、やるかたない悲憤の言葉を述べ、イギリスは九月二十一日以降金本位を離脱すると、大英帝国の栄光の弔鐘を全世界に告げる重大な歴史的声明を行なった。
 あとがきの制約を越えて、いままたインヴァゴードン事件をやや詳しく述べたのは、この大事件が英国外はもちろん、英本国でさえ、ディヴァイン氏の著書が出るまでは、ほとんど完全に忘れ去られていたからであり、悲劇に終わったドイツ革命が内包したダイナミックスを知るためには、ドイツ国内の事態ばかりでなく、あの危機に、ドイツ周辺の国々の情勢がどれほど安定していたか、それともどんなに動揺していたかを、はっきり知らねばならぬからであり、これほどの大事件を無視しつづけてきたアカデミズムの歴史と真価が問われなければならぬと考えられたからてある。
 蔵相スノーデンの重大声明は、たちまち大陸中に波及して、金本位離脱の連鎖反応を巻起こし、その影響が津波のようにドイツに押し寄せ、銀行取付けと休業の続出、企業の倒産と失業の激増から、社会不安はいよいよ悪化し、それに乗じて狂信的なナチス党は怒濤のような勢いで組織を拡大し、突撃隊や親衛隊を先頭に、ブラウン・シャツ隊による社民・共産の区別なく、労働者ばかりか、自由主義者への武装襲撃と殺傷が、連日のようにドイツ各地で起こり、左右の激突がいつ激発するかわからない緊迫感が全欧に深まり、ことに英国金本位制があえなく崩壊してからは、いつどこで何が起こるかわからぬという危機感となり、ロンドンでは戦争になるそうだ(どことどこが、なぜに? の問いかけもなく)という流言が渦巻いた。ベルリンからアメリカ回りで帰国の途中ロンドンに立ち寄られた藤森成吉氏夫妻は、そのためニューヨークへの船便を一便遅らせたほどだった。こうした理性も常識も麻痺させてしまう、想像もできないあらゆる危機感の上に、ドイツでは革命か反革命が秒読みにはいっているという現実の不安が、一般市民の意識に巨きくのしかかっていDER="0" CELLSPACING="0" CELLPA龜ь`ノ入ろうとしなかった。労働者が(は、第四インターナショナルの綱領および規約と全般的に合致す階級 G団ウivウz゚~"| コ8崗ン|r1H」E香歌ゥ$Pタミ蛄ュユZェ*HE/契ソS册-オウ?Zラ_bタf C/'3:)}ウ3ィイ)8}tK・ ロZソe^コマ#dGヲクノア抂)鰻クォ゙奪黹# =ヒヒ(J濛ヌ <ノ\ .硯k【"(4!p札疎~罌w`ソケ8h。6屎ノシ0aチ∃ンス:`Y=Oカ壘セヨンホ|ョ#A:塁ネツ=楕I4 ウヘ撤メムZc彝ZU堪メ捌r2ウNッア#)ンナ譚樶サ拯|圈x鵬促 Huミ^ノW-レ此ェウb,rトテu[9(`リ;博ィ= リ噫ア1租晴姉>ムヒ 冢゙-A)レ,$xヤ2?n禎ツュヂー cマク~5w\フセ?s)w1'MCGヒ哺u柢y&宙ツAナ ヤBAヌノPッチ%IネPリ、ExX踝崟掌ケ[ォ魄ササァ奪"7Kヒ J秡I*<ニ^ ナ .$ヒ〔。(|膏セU*Fヘチ|H#bクネcレRメ匯聯nq・JヌンフIモQ#袁&ケ逵|的a 竇W0L(8)ヒ・FIヤ0oT$嬉アヘ7s キsキ_Vー>-ホコ>ThI.リ櫺,i"閔(&+D%丞=奬rョgコ剱掖垉m4。1欺カーヨ歡ンdbn 。温ナゥ・婀ヌョ2x,1-フcョ゙qラハュ賁・RS烏Ei髪牴9Q キ」イラコE]L涓ヨO貝\ヨ禅ヨ如,V.*mルイt2唾。「(地Mホ、Zu・釣ロM痕髫呶JョハrfkゾgSZHオ鎧 ネZ$タ、lnミヒM-=IQテLb3sタタ^鹽」@サQ壤ネ桐(*8タsランヲミ<=レTリ^w豹t?フワ7」~:-帚ラgヌオホモyソtuR<]=BNハ・。モユ%FSO b轣ワ+ゥ凋 オ4ヘAr  ヌW0ュK eユ*}ゥd」!薀ツ=ー ハUヌフクョG刧ヒIナ@ハミ BQ瀑/lA亞bjgUユルォj「]ン*aニ 晦gキ&XB $「dヤ奥4cヒネ矧ミ415{惟}$ニ鮴yUクY奪#8JC,J稘Ha\ / ヒ》$' p鰄レK@)腥潭ミ*ヤ j痾I7マ&ソV ェユオ ム腫・aニ 晦gキYアN,0忠迅、L釖」X曠、V■荷}ワF楢Q&7MハュツネNニメZJ梯_ィ6Z5ヒ%閃ル、・ロ^候2bpUU[`L5=[)Q*ツゥKニミェ)Ni 駈7r?Eワ\Wネ税ンaメVzQAッ搜3'妄ヲ也0uk%+ユekヒャ相^タWU051Z.レJ`ヌ'<ハ瓜ィャ+マミーyハケテQ榠ソ;赱=殀K?c、ナ+ -フキcンF&&ミwBヒKZ腿ンメsg|>ウx\ニaRrヘuヌカ ル コ/)リフロム9、5齋剳 ・ル匳/%ヘロ/6「=脈&簾゙~ア謠ヤUタヒ奪"錚K+B濘ネI=h\ 帆+-)円"邏pハsョ確_hb0`Z&チDフォ゚59_スロウq]?<# \>|H9クカyK?フイト斐ッレク{WngCヨ&カZノ0ヨ、ゥ2ヒツ}ル)腫モ5ヘdXc(タp 斌急jv@ァムCスOヲвIE9+LTQ!ィ3!^X鮒7|$<イB蝗Lョョ懿Iハコ貢カモRN詳゚gワSッ検~フ{v埼(t 4Qセpニェルヌq[ロKs A_゚r#、コ6Fa。w贋ΩPゥホI黯イG1絅yコihネ;;テサ_/Q7UtDL殼Gンソuニノヌ〇`ヤ・サスケ_wス觸+@$)テeF  Iキ甲鬯祓イSシ穃_"6ォjゥ~ーC ]ヘソリト*i[fモ=モサrV奪#48JC)b濺I9<ィ^K+,・+永'p!qe酲 1o暎・Yz|・cG;゙em+@qF、Lh4ォヘu~kU3Eシキ}鴿ャラso=H觝。奪驍# 8ヒcb濛H = \ テ) -堰m!'u!pf 69ツ8"ケル牀]チキ楫U!"テケカ$コj-\エタヘfヲ4考y喃イ#3TyオZ汎ク迩=;Gロヲ裂テ痒ム肩#ワ9Q苣]FYKJ鬧p鋺Y毬/Vsマ婬!<;馼ーY_tAカaQ'イアレj|{ヘ+,-ラ}箏z茜c越c[ヲキ冷椡螯ユル剩ibマTRsハエぞ.ツネQ+ワH8qヲソVg゚+6>ロが'{V tルヲ]ァ 8カ# 硯8V偕d゙ト%、Xァ}嬌k{ラJロL情>[ケばセ$硯餌罠s対ア顳6&JCマLフ#ek 8ノーZワU雍」ンワ萢-X鰺Cソt:Jオ輟+PレョR"Vb山偬jナKンKvmォl/奪#8ハヒ(b濟g ゙= \L4゚) ・求~ ァx!pЛ({賃ユWOP$PヌIシタvヨ5Ty噴(蓆キE-(aw92繻ャt蝪゚コpレJオ輟+Pレョ.、Eャナ・1ユ,傅渟キャ=ウ<セviスン袖゚?夬1M*セPミ@ェT5。リヲ革ペ棺ヤ賞[コ'gマz4欽Iヒ連J捉テdニ欝CBケシハik椌リィ妛Pレム#o゚爛「$1ナ餅徳7b\クォ房 妓>ャVホ>;ル芝坑笈cEムX 碎fフヤ}リ耗&カォD」 rソ5Q^憐?ャャvX給コh8 u hRコ`リLヲbホG、C?9:;」mF 弍職ャーロ+渫7ヌハRムm"ヌミ耆哮ヨス[*ZSゥX{2&猩ソ轉ハソ9咄シ2,カゥ織#8ハロb瀉(9フ= \Kャヒ)l%+’#'t。q「ノエ睡ソ、フタDヌ G芍_俳.副「Zy帰セzY頡@EP N<hロワフ~サ'S緝 G -ニQTそォ@ホ負uc謬伽%包P葯ヌィ*好蛍哮8Wm2R@ゥ0ィ隲^ネ槽 e}]e$ン薄Aス瀕Bンせ+残8ス 損ユ崋dv6ns-ヘFTュェ、M,ッz&j 喝#Q#c叡 ヲ]ウKH&":*ライ$aC_Wde$ン薄Aス瀕B銘\壁"ニ_Eワ/4+%8鰈D5t6o姙BQHヂォC゙リ7I"Mo( IXェムB6ハ0sフニn3e~gミ(+Zネ)O短ト梼ロッラkワ奪驛#2ノテ)J濛gヘ=\ x゚(!+÷&%qm纃ャ]ァh:ヲJュ]*モ(d)ワd今コcB4Nョ " *呶ラ6嶐; 2ル巡專^9ッtケyfッルセKナ$ォy ヘDナK.V0セP賛JS開フレYP曹X;=$マャクエ'@アeX8ィNp|ョ#ェO爬%} イ蜍コ瓢戟循*クテ佝moM麾奪閹c1ノC b濬ヌケス=\Kp&ャ%+fー・qY(ラnレA憎xウ,エZァ゚#%ウ害呶ケハъe#g、。ァラャクァ碍:ェX吃XuJヲ%コM==zj庖2>ンZRn゚カg>3スルMヌ・ヘu7hDェワフ「WV免テrY RJdテイ棯ヘAシ{vヤソユ%{サ <&ニオ3iWk{ヘ#黨j降セ搖クオ>mッシヨユヨ?・\< キ゚n9b_ オ〕ンHメ圦フ$AZノ}bョャA2MbwhヤQR・Bg$禧゚;bサw、ンママ邑マsヌモNmz3O盲ァ^6&樛v゙xフiワロョ齲: ホ^@。モ幣ィwRダチNョ骨B@rロF簀[qセヒEOe&ュ゚攻tエ 3Kノレ-奪#"7ノB b濺ヌルャ=,\ 0' %《$'<-pロ?膠 ケ7C_テM9o{ラiO>ecn"凡ウ!.メ r`セ#XD潤 ー2aR゙焉ツ(Rl鰒必tョ}!ヘキイメウエタヤ4IJクfホ<_尠ヤ讚 讌ユ\\8^&sh.個ケ値17"鰾)・ュツ%_9 クケュエノゥ゚5njラyキエ 肆=>oュ17mルォCP"w袋ソフ イ ー茱ge。Dkヘ-\dクテ9 繧C28D`\ニ覈ー「.)斃フニr僻uキrko垤5kシロ竡゚1淇o>&シIュgロメレQ)|ュケ}V≧Vハ蚰ケl侶3@17B 0:Yンンムy。ユ>ハセKW ミ米>ユ、心ホyオ](L9ロ搓ヤヒシu d奪鼇"0ノテb`[ネ河<ネ\ L% %$&ー=qヒワю!フ 0牝カ.x痢Rセテッ ミアッVフラヘオ愬$5UテBゥEァsレウル」!揚(ヒォQC杵ホョキセヲ~ニニ閘+,k|イ"キ$e╋ティ6+RLイ匍煉@キ菖リ CVオ)H! 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BREAKS OUT IN BERLIN!!"「ベルリンに革命ついに勃発す!!」と、かつて見ない大活字で衝撃的な見出しの記事を載せて、ロンドン市民を驚愕させた。危機の尖鋭化とともにドイツ支配階級内部の対立抗争も激化し、三二年にはブリューニングが倒れて、パーペンになり、ついでシュライヒャーとなった。そのたびに、ヨーロッパ中の知性は混乱と昏迷を深めた。
 この間、トロツキーは、プリンキポの孤島にあって、ソ連、アメリカ、極東と、世界の情勢をつねに視野に入れながら、刻々に昏迷し激化するドイツの危機の発展にピッタリ視点を据えて、一つ一つの変化を明快に分析し、それから壮大な展望や個々の細かな戦術を引き出し、どんな小さな出来事にも、無名の労働者の発言にも、真剣に耳を傾け、取り上げて、それをだれにも分る言葉で、懇切丁寧に、繰り返し提起し、説明し、警鐘を乱打しつづけた。彼が書きつづけた、直接ドイツ・ファシズムに関する主要論文や小冊子をまとめた大冊一巻のほか、一九二九―三四年までのものが六巻、邦訳十数巻(一九三四―四〇年の論文は五巻、邦訳で約十巻――これは『トロツキー著作集』として、柘植書房から出版されつつある)という膨大な量にのぼることを見れば、ソ連と全欧の社会主義連邦か、それとも全欧のナチスの恐怖地獄化と第二世界大戦の大惨劇かを決するドイツ革命に、彼が総昏迷の裡(うち)に刻々失われていく時と戦いながら、全知能と全精力を傾けて、どんなにヘラクレス的大死闘を戦いつづけたかがわかろう。それはかつて人類がより純粋な社会主義革命にいちばん近づいた――近づきながらそれに気づかず、空しく失った最高の革命的情況であった。四〇年八月、メキシコ郊外のコヨアカンの私邸で暗殺された日の血染めのデスクに残された未完の原稿の一つ「ボナパルチズムとファシズムと戦争」には、「だが、この権力獲得で決定的役割を演じたのは、ブルジョア祖国防衛の拒否ではなくて、『全権力をソビエトへ!』のスローガンであった」と言っている。ドイツ革命で欠けていたのは、ただ一つ、明確な権力獲得の意欲であった。
 このような混乱し、緊迫した情況で、私はこのトロツキーの『ロシア革命史』を憑かれたように耽読したのだった。それは、ロシア革命の大叙事詩であるとともに、混乱と昏迷を極める革命の生理、その力学とロジックを、幾何学の図のように明快に示す革命の躍動する大弁証法であった。一九三三年、国際連盟からの脱退を宣して退場した松岡洋右は、コペンハーゲンの海岸からプリンキポ島の方を望んで、「おれはトロツキーと議論を戦わしたい」と豪語した。全欧州総昏迷の真只中で、つぎつぎに展開され、微塵の狂いもなく正確無比に実証されてゆくトロツキーの、驚くほど明解な情勢分析とそのうえにたつ極めて具体的で簡単明白で誰にもわかる雄大な展望と、大叙事詩的な反ファシスト闘争を終始一貫、憑かれたように目撃しながら、偉大な啓示に開眼されるように驚嘆しつづけていた私にとって、松岡のこの豪語は、一歩先は直下千仞、底知れぬ奈落の淵にあるとも知らず、大仁王像の前で逆立ちして威張っている小さな蟻か、それとも哀しいピエロのように思えた〔*〕。「頻発する右翼のテロ下の日本のニュースは、ロンドンにも極度に緊迫した危機感をつたえた。革命的騒乱が起こったとき、もしも本書が多くのひとたちに読まれているなら、決定的相違が生れ、恐るべき混乱が避けられるかもしれない。ドイツ革命の悲劇の真実とともに、世界史的な真実に目隠しされているあの極東の日本に、この本を何としても持ちこまねばならない。私は固く決心した。私がフランスを去る日、フランスにいたリョーヴァも、リョーヴァを通してトロツキーも、それを強く望んでいた。ほんとうに仕事に取りかかったのは、大戦が激化した一九四四年六月二十五日だった。工場動員や空襲や燈火管制に悩まされながらも、戦後思想の混乱を思い、いつ爆死するかもしれないことを恐れ、これだけは何としても日本語にして残さねばならぬと考えて、乏しい燭火のもと、凍る指先でペンをすすめたりして、訳出したのだった。トロツキーにたいする共産党シンパのひとたちの反感は最初私自身がそうだったように――非常に強く、その方面の事情に詳しい温厚なF教授は、初めて本書が出ることになったとき、訳者の実名を出すのは危いから止めよ、と強く注意されたほどだった。かれの名が多少とも市民性を得るまでには長いことかかった。だがしかし、いまではかれの文献の出版は世界一である。とはいえ、かれから学ぶことは、まだ実にはるかに多い。
 最後に私は、私が社会主義に関心をもっていたことも、そのため隔週毎に私服の訪問を受けていたことも、秘かに承知されていながら、私が足かけ五年ロンドン生活をして、トロツキーを知り、あの厳戒裡の日本に無事帰りつくことを可能にしてくださった、いまは亡きM氏御夫妻の生涯の思い出に、謹んで心から感謝したい。それはすべて御夫妻の、当時としては驚くべき、身分も何も越えた厚意の賜物だったからである。
  一九七二年六月十一日

〔*〕 二〇五頁 この一センテンスは本文庫収録時に追加された。


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